2014-07-30

釣りかどうか」にとらわれずに話を進めていく時代

古今東西インターネットというものは「釣り堀」としての側面を持っていた。

どこまでも広がるWAN大海原は、多くの釣り師にとって腕を競い合う戦場であった。

人々はそこで「世代間対立」や「カースト間の妬み蔑み」を撒き餌にし、

架空女子高生」や「架空の友人」を釣り針にし、

数多の釣果をあげては己の腕前を人知れず誇っていた。

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釣りと思われるような文章に遭遇した時どうすべきか?」

こう聞かれた時みなさんならどうこたえるでしょう。

「どこに釣りっぽさを感じるかを必死になって指摘する」

釣りでない前提で体験談についての感想を述べる」

こう答える人が今でもそれなりにいるでしょうけど、

僕はもうこの考え方は古いと思います

超高速で時代ループして100周回ってその場所に帰ってきたと主張するのならもう何も言えないですけど。

今のトレンドは「釣りであってもなくても関係ない部分について論じる」だと僕は思うんですよ。

この「釣りであってもなくても関係ない部分」とは、

・その文章で起こったシチュエーションのうち他の人にも十分起こりうる物

・その文章登場人物にのみ当てはまるわけではない人格的な問題点

・その文章内で定義された問題の根っこにあたる社会的な歪み等

そういった「その文章において限定的に起こっている事象以外の部分」の事です。

そこに言及することで「釣りと思われる文章に対してのみ限定的意味をなすわけではないコメント」を作ることが出来ます

これは「強い」です。

たとえもとの文章釣りであったとあとで宣言されても意見を取り下げる必要なんて微塵も有りません。

釣り餌に群がっていた者同士で進行させていた議論を作り手の「釣り宣言」と同時に幕引きにする必要もないのです。

釣りだろうが何だろうが、それと似たような事は起こりうるかも知れない」

「この文章自体釣りだろうが、こういった事件を起こす人間は身近にいる。さてどう対処すべきだろうか」

そういったレスや議論に対して「釣りでした」は何の意味も持ちません。

そういった意味で「強い」のです。

従来の「Aさん最低ですね」「Bさんも悪いと思う」などの反応は、

作り手の「釣りでした!爆釣!」の一言で全てが『踊らされた馬鹿』になってしまっていました。

この新しいスタイル(昔からあったんだろうけど最近まで僕はあまり目にしていなかったスタイル)は、

その点において明らかに従来よりも「強い」と思います



拙い文章力だったのでうまく話したいことをまとめられた気がしません。

誰かもうちょっと綺麗な文章で私の言いたかったことをまとめくださると非常に助かります

自身がそれを読んで自分の頭を整理したいです。

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