はてなキーワード: カーストとは
http://topisyu.hatenablog.com/entry/monster_friend
による(というかあさイチによる)ママ友カーストの決定要因は以下のものらしいけど、
4.住まいの広さ・立地
5.専業主婦かどうか
私の周りでは、「うちのパパはパチンコ店(仮)で働いてるの~」とあっけらかんと喋ってたママはいたけど
知ってるのはそれくらいで他数十人の夫の職業など知らん。
個人的に仲が良い同士であれば知ってるかもしれないけど、「ママ友」レベルの付き合いじゃそんなもん。
つか夫の職業ってママ友間のタブー話題No.1だと思うんだけど、それを皆が周知しているコミュニティというのが想像の範囲外過ぎる。
隣近所皆知り合いな田舎なら有り得るだろうけど、topisyuっていかにも都会在住っぽいと思ってたけどなあ。
同じく6も知らん。今働いている人だったらどこで働いてるか喋ってる人もいるけどさ。
3もお受験園でもないので関係なし。そういうのに熱心な人は別の幼稚園入れてる。
4も皆がどこに住んでるかなんて知らん。そもそも一軒家など周囲に存在せず社宅族・転勤族もかなり多い地域なため
住んでいる家で財力なんて測れないし、どうせ大多数がいずれ引っ越すわけで
(小学校区どこか聞いても「小学校入る頃にここに住んでるか分からない」なんてよく言われる地域だ)ほんとどうでもいい。
5は単にお互い関わらないというだけ。私は専業主婦だけど、働いている人は延長保育使ってて迎えの時間が違うのでたまの行事くらいしか会わない。
働いていてもLINEなんかで専業主婦とも交流しまくるコミュ力あるママもいるみたいだけど。
7もどうでもいい。ヤンママなんて居ない地域だから皆おばさんだし、所詮は地方だからVERYみたいなママが居る訳でもなし。
その後の「専業主婦の方がカーストが高い」「ママ友カーストは、"基本的には""一部の"専業主婦によって構築される」ってのもな~。
topisyuは保育園ママだから(ママ=女だとは明かしてない!とかは今更言わんでよし)バイアスかかるんだろうけど、
私は「保育園の懇親会出たら学歴自慢仕事自慢合戦だった」と言う話を聞いて怖いし関わり合いたくねーと思った事があるけども。
つか今時は他人の目や序列を気にするタイプは働いていて、そういうの気にしないマイペースタイプが専業主婦率高くない?一昔前なら逆だったけど。
優秀だからじゃなくて。
日本人はいつか必ず自分の国に帰ってくれるから信用されてるの。
でも中国人、韓国人は業績でなくても絶対に帰らないから(当たり前だけど)相当警戒されてはいる。
もちろん優秀なら別だし、優秀な人はどんどんキャリアアップしていく。
インド人はまた複雑で、インド人同士がカーストが絡んで面倒で。
あと、突拍子もないこと思いつくのもかなりボスな、ちなみに。
やっぱ英語が母国語だと学会の片隅から小さなアイディアいろいろ拾って来るのがうまいわ。
ボスは億単位でグラント取ってくるんだけど、日本との違いはやはりお金の流れかなあ。
5年ごとに再雇用なんだから必死だよ。テニューとるのは大変だけど、そこまで業績あればテニューはとらないで他に行くとかいろいろある。
これはお金とスピードの勝負、ってわかってる分野ってあるじゃん。特に生物系は。
あと抗体関連もそう。
私はスクールカーストで言えば最下位だ。学生時代からぼっちで友達いないし、彼女もいないし、コミュ障で口下手、流行の話題なんてチェックする気もないもないからなおさら会話に困る。普通こんな人間が就職出来ないんだが、なんだかんだ30過ぎても正社員として働いている。
7,8年働いて分かったこと。カースト下位だと、「がんばり」に関しては認められるが、「結果」と「成長」に関しては上司、同僚など認めたがらないことだ。こんなやつに何があっても負けられない。自分より・・自分と同等の能力、根性があるなんて何があっても認められない。
会社に入って思うのだけど、だいたい会社っていうのは面接の時、同じような偏差値の高校、大学からスクールカーストでなるべく中位~上位に属してそうな学生を採用するのだと思う。うちは中小企業だから学歴も中堅どころの人が多い。自分は派遣社員から当時の上司に気に入られて入ったので会社の社員とはちょっと違う。
「東大生はバカだ」ってよく聞く。小中学校で東大行けるほど頭いいっていうとがり勉でカースト下位が多かった。運動が苦手で女にもてない、友達も少ない。それは傾向としてある程度はあってるのだと思う。うちは中小企業だから「大手企業はさ、給料いいかも分かんないけど、下請けまかせだし、基本的にあいつらバカなんだよね」とよく話す。
実際東大生がバカか否かはさておき、実際にはそうやってみな自尊心を保ってるんだと。東大生が運動もできて女にもてて、コミュニケーション能力も抜群、勉強以外の場面でも頭がよかったら、皆自分が劣等人間のように感じて自尊心を保てないはずだ。高校からは偏差値ごとに分かれて生活し、大学、就職しても特に能力を比べられるような場では一緒に働いたりしない。
学歴の話はさておきともかくスクールカーストだ。別に出世したいわけでもない。ただ食っていければいい。自分がせめてカースト中位だったらそれなりのがんばりで会社に居場所を作れたかもしれない。
20代で若手のころは「君はがんばってるね」とニコニコして認められても、30代になれば「能力」「成長」「結果」を求めざるを得ない。上司は「がんばり」は認めるが「能力」は認められない。年が近い社員はこいつの下で働くことはプライドが許さない。
市場原理の下の元、残酷な競争にさらされて、自分の身を守るために仕事を身に着けなければいけないと思えば、仕事もいやでも覚えるのだけど、周りの人にそういう人はあまりなくて、スクールカーストの延長で会社内カーストみたいな感じでしごとしてるのね。
カースト下位でがんばらなきゃただの役立たずだし、がんばっても能力があるとは認められない。がんばりだけで通用するのは20代だけ・・最近行き詰ってきた。本当に食っていけりゃそれでいいんだけど・・
ブスが心置きなくオシャレ出来るジャンルこと、オーガニック系カジュアル界に舞い降りた天使である。
今まで宮崎あおいちゃんが長らく在籍していた、オーガニックカジュアルカーストの頂点の座を受け継いだ女性(と勝手に思っている)である。
佐々木希ちゃんにも似たハーフ顔で、スタイルもよい。国立大学出身で賢く、イラストもプロ並みにうまく、女優として演技も上手である。インタビューを見ても性格がよさそうで嫌味がなく、博識。自身で雑誌を刊行するほどのガッツもある。完璧、非の打ちどころなし。
ブスでも可愛くオシャレに見えるし、物はいいしで、私は数年前からクウネル・リンネルのファッションに傾倒していた。それこそ雑誌は宮崎あおいちゃんとか、タレントのはなさんとか、蒼井優ちゃんとか、雰囲気美人(失礼だったらスンマセン)の表紙が多くて、雰囲気を頑張れば私もきれいに見えるかも、と淡い期待を寄せていた。そこに彼女の到来である。
彼女が、まあそういう服の似合うこと似合うこと。やっぱり美人でスタイルがいいほうがなんでも似合うよねっていう当たり前すぎる事実をまざまざと感じる。思いっきりK.Oされ、嫉妬の抱きようもないのである。そのくらい完璧なのである。あそこまで美人だと、なぜこういうブスが好き好んで着ているファッションをしているのかも謎である。端正な顔立ちなので、奇抜なきのこみたいな髪型もやめて、普通のファッションしたほうがもっと似合うのではと思うときもある。
はてな村ではきっとこれから大人気だと思うから、嫉妬の垢まみれですが彼女の紹介です。知らない人は名前をググると天使がいっぱい出てきます。本当にかわいいです。朝起きたら彼女の顔立ちとスタイルになっていないかなあ…
ツイッター限定の話になるが、はるしにゃんはそのメンヘラカーストのトップに君臨している。
はるしにゃんを拝めるはるしにゃんガールズというグループがあるくらいだし、はるしにゃんに抱かれたいってメンヘラは多い。
その最たる理由は、はるしにゃんがメンヘラをコンテンツにしようと積極的に活動してそれなりに効果を上げているから。
はるしにゃんは同人誌を作ったりイベントをしたりブログでいい感じの記事を書いたりしてメンヘラをコンテンツにした。
これまでの狭い暗いメンヘラクラスタの内輪ノリを飛び越えたそれなりのコンテンツにした。
はるしにゃんの外に向けた活動によってコンテンツとしてのメンヘラの知名度と価値が高まったのだ。
この業績が何より評価されている。
メンヘラがコンテンツとしても価値があるというのは、メンヘラにとっては自分に価値があるように思えるのだろう。
その業績、高学歴というステータス及びメンヘラウケがいい顔がはるしにゃんをメンヘラカーストのトップに君臨させている。
はるしにゃんはメンヘラ界のトップでありリーダーといってもいい。それくらい人気なのだ。
彼は最近の記事で「お前がそれを言うのか」ってくらいまともなことを書いているからどうかその路線でやっていって欲しい。
メンヘラオフ会もオフパコも自由にすればいいけどあまりコンテンツにしようとしないでくれ。
それがどれだけメンヘラに影響を与えるかもういい加減分かっているだろうし、はるしにゃんは頭がいいから私が言えることではないけれど。
だからこそ乗り越えるのが難しい
話も合わないし、いろいろな価値観がまるっきり違っていたりする
高カーストの美人と低カーストの美人がいたら、高カースト男性は普通に前者を選ぶし
カースト=財力なら、顔が良ければ2つ上は行けるだろ。
「やばい」だけで会話できる層とできない層の溝は、ただしイケメンでもダメだと思ってる。
まあ家計に余裕があるとすれば、あとは本人の働く気力次第なんだろうけど。
http://anond.hatelabo.jp/20140303221341
マジレスすると職業選択の自由というのは憲法にうたわれている基本的人権の一部だけど、憲法というのは国家権力を規制するもの。
なので、その自由の内容は「国民の職業を国家が強制してはいけない。国民の職業は各自の自由で決めるもの。」ということ。
つまり例えば現実にインド等であるような「非差別カーストに属する者は屠殺業以外への就業を(国家が)禁止する」などの行為を戒めるもの。
ドワンゴの施策が気に入らないなら「ドワンゴで働かない自由」を何ら侵すものではないので、職業選択の自由云々にはあたらないんじゃないかな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%B7%E6%A5%AD%E9%81%B8%E6%8A%9E%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%94%B1
ひとつ覚えのように「カーストはおまえの頭にあるものだ」と繰り返す人がいるので、ちょっと書く。
結論から言うと「完全匿名にならない限り、カーストはみんなの頭に発生しうる」と言うことだ。たとえば高木浩光氏が「こいつアホ」って言えば無条件にそいつをアホだと認識する人たちはいるし、topisyu氏が「これは釣りですね」って言えば無条件にそれが創作だと認識する人たちはいるし、加野瀬氏が「味わい深い」って言えば無条件に生暖かい視線を用意する人たちがいる。
情報を発信する個体が識別され、それに対して考えることを任せる人が出てきた瞬間に、いわゆる「カースト」と言うものが発生する。だから「カーストはおまえの頭にある」というのは正しい一方、他の人の頭にも生じている。また「おまえがカーストを作った」というのも正しい一方、それを受け入れるのは自分の頭で考えるのをやめた奴らである。
それを公開した場所が増田であったとしても、ある程度個体が識別される状態でもって、それなりのブクマを得ることができた時点で、あんたも、あんたの言葉で言うところの「カースト」を作っていることは自覚した方がいい。これもまた影響力のひとつだ。
スクールカーストってもうどうしようもないもんだと思うよ
本人の顔とか雰囲気、趣味やしゃべり方もあるし、家庭環境だって多分にある
明るくて冗談好きな親か、寡黙で真面目な親か、兄弟との仲がいいか悪いか
いわゆる文化資本に近いもんでさ。本人の能力だけではどうしようもないもんがある
ただ、スクールから遠く離れた人間が、何にもせっぱつまってない状況から言うけど
学校で浮いてて変な奴くらいの奴の方が、大人になってから人生楽しそうだし稼いでる気がする
学校っていう環境に適応する能力「だけ」だとたいして役にたちゃしない
与えられた環境に不満のある奴だけが自分に合った環境を探す原動力を得るし
自分に合った環境を得た時の爆発力こそ、人生をイージーモードにする力がある
いまの日本人の多くからすると、某国のカースト差別だとか、某宗教が女性に肌を見せるのを禁じて顔までベールで覆わせるのだとか、不合理でバカバカしいと思うはずだ。
問題は、合理性があるかどうかということであって、つまり、自然道理に合っているかどうかだと思う。だとすれば、社会慣習だからどうこうとかいうものでもないし、おなじように、法令だからだとかモラルだからだとかいうものでもないと思う。自然法則にしたがっているか、道理に即しているかどうかという問題だ。
たとえ一般論としては通用する慣習でも、個別事例には適しているかどうかはこれまた別で、合理性があるかどうかはいちいち考えなければわからないだろうて。ジェンダーだとか年功序列だとかもそうだろう。中には学校で飛び級をさせるべき子どももいるし、だが多くは飛び級は適さないだろう。どのように生まれ育ったかで、どの学校に行くかにしても、どの職業につくかにしても、異なるはずだ(だからもちろん、カースト制だとかの身分による分別は合理性が低い)。生まれ育ちによっては例えば「特別支援学校」(「養護学校」)に行くほうがしあわせなこともある。
そう、しあわせというのは一般論ではわからない。合理的か否かも個別具体的にいちいち考えなければわからないことも多い。例えば形式的平等というやつも、下を底上げするのには都合がいいが、それでは合理的とは言い切れない、みんなしあわせっていうわけがない。
例えば、不登校であるほうがマシであることもある。無理やり学校に通わされたら、なにも悪いことをしていないのに、そもそもなにもしていないのに、イジメられるってこともある(私もそうだった)。
合理的か否かというのは、思考停止している人間にはわからない。いちいち思考するというのはしんどいことで苛酷ではあるが、だからといっても、思考せずに勝手に決めつけるというのは教養のないガキの甘えだと思う。
http://masudamaster.hatenablog.jp/entry/2014/01/09/215828
より転載
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20140105/1388933903
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20140109/p1
お笑いである。次は「アフィリエイトは悪くない」運動でも始めるのだろうか?
金銭欲そのものを叩いてる人は残念?
が
「業者」と「ワナビー」
というゴキブリをネットに繁殖させた歴史をまるで知らないのだろうか?
他人がアイドルやタレントになる手助けを何で我々がしなければならないのだ。
他人の金儲けを何で我々が手伝わなければならないのだ。我々はお前らの戯言や
自己実現よりも、人々の好きなもの、人々の日常でのささいな幸せ、彼らの黒歴史や
日々の苦しみ、葛藤、悩み、その人が現実では言えないこと、そういうものを
読みたいのだ。それをアフィリエイトと承認欲求なんかで見えなくされてたまるか。
であって、「俺の方が上手くやれる」「褒められてるあいつが妬ましい」
なんて動機は一切無い。それがあるのは健常者(ワナビー)の方だろ。
ツイッター登場以降に急激に増えやがったよな。
「中二病」「ドヤ顔」とかも健常者が意味をねじ曲げたり作り上げたりした
言葉だろ。妖怪は中二病もドヤ顔も大好きだよ。それを表現したり摂取したりして
俺たちはネットで生きてたんだ。それがネットでどんどんできなくなっていった
のは、スカした健常者のせいだろ。
健常者は自縄自縛になってるんだよ。自分たちでワナビーをいっぱい作り出して
おいて、ていうかお前がワナビーなのに
「人を妬むのは止めよう」「承認欲求は悪くない」
じゃねーよ。マッチポンプだろ。お前らはネットで妬み嫉みしかできないんだよ。
インターネットで「何者か」になりたいのか?ネットでそんなもんになってどうすん
だよ。その限界はニコニコ動画のタレントが見せてくれてるだろ。
「何者か」になりたい野心を持った健常者が大量にやって来たからインターネットに
わけのわからん競争原理が生まれたんだよ。そんでカーストも生まれた。属人性や
パーソナリティが重要視されるようになった。サードブロガーとかもそれの被害者
だろ。
「ぼくはアルファブロガーに勝てない」じゃねーよ。誰がそんなこと決めたんだよ。
勝てるかもしれないじゃん。自分を値踏みするな。好きなことを書けよ。
「さとりブロガー」じゃねーよ。そんなこと言ってる時点で悟れてねーだろ。
これはさ、健常者たち自身の生み出した毒で健常者たちが苦しんでるだけなんだよ。
表現欲求は無いのに承認欲求だけはあるんだろ?だから毒がどんどん染み出して
いく。そういう毒でネットが汚れるんだよ。一般化する前の2ちゃんねらーの観察眼
とはまた一味違う、いやらしい、人間の観察の仕方。小野ほりでいとかが生まれたの
もそういう背景からだよ。他人の自意識を邪推したりカーストを作ったりしてる。
そんなことをして何が面白いんだよ。そんなことをするから、誰も自分の本心を
語らなくなったんじゃねーか。今や本心(?)を語るのは炎上上等の芸人と
デリカシーの無いタイプの女だけになっちまった。しかも彼女たちはオブラートに包
夫に話すと「愚痴」が「悪口」になっている
これが良い例だよ。こんな意識でブログ書いてるんだよ。読む人の心にナイフ
グサグサ刺してるんだよ。
「承認欲求(笑)」「歌い手(笑)」「創作(笑)」「黒歴史(笑)」みたいな茶々入れが、クリエイターにどれくらい悪影響なのかそのうち語りたい。”そんなの気にすんなよ”ってアドバイスじゃ片付けられない何かがあると思う。中学の英語の授業で、発音が正しいと茶化されるみたいなのに似てる。
@私がui_nyanだ
全部お前らがやって来たことなの。ワナビーを増やしておいて(競争原理を取り入れて
おいて、)「茶々入れが増えた」じゃねーよ。ワナビーが増えたからカーストが生まれ
俺たち妖怪は他人の英語の発音が巻き舌でも馬鹿にしなかった。議論を「くさい」
とか言って忌避しなかった。俺たちは本気とネタを見極めた。俺たちに上昇志向なん
かなかった。俺たちは何者にもなろうとしてなかった。
でも俺たちもゼロ年代の終わりと共に絶滅したんだ。今や俺や嫌儲が最後の砦だよ。
でも俺たちもいずれ滅び行く。そうすりゃカースト作りと自意識邪推の上手い
健常者が今よりもっと幅を利かす。でもさ、そういう世界で一体誰が何かを本気で
語ろうと思うんだよ?インターネットからどんどん(ポジティブな)熱が消えて行って
るのはどんな鈍感な奴だって気づいてるはずだ。当たり前だ。金銭欲や承認欲求は
人を自由にさせない。タレント志望や金の亡者が世界を面白くできるか?
「承認欲求を叩くのはけしからん」とか言ってるお前の存在が、いちばん人の言論を
スポイルしてんだよ。
というかさ、そもそも承認欲求なんて私的領域で満たすものだろ。ピングドラムも
そういう話だ。家族や親友関係の中で傷ついたり喪失したり葛藤したり、そういう
それを公的領域(社会)で誰かに認められて云々というワナビーの話にすり替える
ありむーが「ニコニコ動画ごときで満たされるカジュアルな承認欲求など要らぬ」
と言ったのは至極正しい。ニコニコ動画を馬鹿にしてるわけじゃない。MMD杯には
いつも感動してるし、今でも探せば、お金や承認欲求なんかに関係なく、
ただ「自分のやりたいこと」を本気でやってる人は山ほどいる。そういう作品を
見たり作ったりする営みは、作り手も視聴者もすごく満たされると思う。でも
それは「承認欲求」が満たされてるんじゃなくて、もっと別な何かである気がするん
だ。
つまり、創作や表現で「承認欲求」を満たすことが目的の人って決定的に何かが間
違ってるんじゃない?という疑問が拭えない。
そんな疑問だらけの欲求、いや欲望と言おう。その欲望でネットをこれ以上汚すのは
1 オナ速の登場
先日電車でJKが「○○ちゃんはオナ中でオナクラに入ってた」なんて宣ってたが、これは断じてオナニー中毒の少女がオナクラで働いてたという意味ではなく同じ中学で同じクラスという意味だ。
しかしながら、タイトルにある「オナ速」のオナは今度こそオナニーのことであるから自慰マニア各位は安心するように。ただし、それはオナニー速報のことではなくオナニー速射でもなくて、残念オナニー速読でした。
勘違いされがちだが速読は特殊能力でもなんでもなく誰でも速く読めばそれで速読なのだ。速読の習慣の多寡によってスピードに著しい差があるため、まるで速読自体が超人技であるかのように思われているが何ともあほくさい話である。つまり、頭の硬い大人たちが速読という誰でも訓練なしにその場でできる素朴な行為を勝手に特別なものと考えて挙げ句の果てには不可能と決め付けて凝り固まっているだけの話なのだ。そしてそうした洗脳された可哀想な人を思い込みから救うための治療法をわざわざいかめしく速読法と呼称しているだけのことだ。
だからオナニー速読ではそういうくだらない風潮に小石を投げてもっと単純に楽しめよと訴えかける。つまり、オナ速は世にはびこる速読法の類いのものではなく、あえて言うなら読書の楽しみ方である。
まず声をゴリラにして叫びたいのは、このご時世読書の楽しみ方が画一化され過ぎているということだ。スローリーディングが近年もてはやされているが、それも読書の楽しみ方の一端にすぎない。スローリーディングの最も不自由な点はスローへの不必要なまでの拘りである。速さも遅さも両方大切なのに。
自由や個性という言葉を強調する人間に限って、単に不自由で没個性な自分のやり方を正当化したいだけで、自由や個性とは程遠いシロモノであるのはよくあることだが、だからと言って自由や個性を叫ぶのを止めてしまうと人間社会の硬直化に対する抑止力が女性の「硬いのはチンポだけにしてよね」という台詞しかなくなってしまうというジレンマがある。
こと読書に関しても、自由という名の不自由の押し付けであることを恐れずに私は言いたい。今こそ全人類が読書解放運動を起こすべきであると。読書にまつわる先入観を捨てて、読書を再定義&新発見していかねばならない。読書ってまだまだこんなもんじゃないぜってところを見せてやらないといけないぞっと。誰に見せるのかは知らないけど。
よく言われることだが、文字情報というのはそれ自体は画像よりも遙かに情報量が少ない。しかし、文字の意味するものを想像し推し量ることで初めて豊かな情報を含んだ感覚が読み手の前に現れる。換言すれば、想像力と推理力いかんで全くもって読書体験が違ってくるということだ。
したがって、みんな「読書」「読書」と共通する言葉で呼び習わしているけれども、その中身は「あなたとわたしでまるで違ってた」ということが当然あるわけである。
だから、異次元な読書に遭遇してもそれもまた1つの読書法であると寛容の心で迎えることにしよう。受容すること、それがあなたの読書を豊かなものにする。
ところで、何故オナ速という名前にオナニーが含まれるのかというと、読書にはオナニー的な側面が色濃いからだ。ここでのオナニーとは単なる自己満足の同義語ではなくて、胸を高鳴らせながら「オカズ」と呼ばれる情報を探して、良いオカズを見つけたら食い入るように「味わい」、「集めた」オカズからより興奮度の高い「妄想」を作りあげる、という一連の特徴を有する行為のことだ。
うーむ、改めて考えると読書ほどオナニーに酷似した行為はない。そう思わないだろうか?よく考えてみてほしい。
ここで、読書のような高尚で知的な行為がオナニーのような低俗で馬鹿な行為のわけがないと思う諸君は、エロ漫画やエロ小説から類推してもよい。具体的には、エロ動画→エロ漫画→エロ小説→小説→高尚な専門書というオカズの状態遷移図をイメージして欲しい。
そして実際にエロ動画を楽しむ時のような気持ちと心構えを保持したまま矢印にしたがってオカズを推移させてみるとよい。そうすれば、高尚な専門書もその本質においてはエロ動画となんら変わる所がないのが認められるであろう。ただし、チンコは出さずに楽しむこと。
なるほど読書は確かに限りなくオナニーに近いことが分かったけれども、賢明な諸君は既にお気づきだろうが、それでもただ一点、陰茎の有無という点が異なる。もうお分かりだろう、オナニーには陰茎があるのに読書には陰茎がない。
そしてこの一点のために、読書とオナニーの間には深い深い断絶が生じているのだ。読書という本来楽しい行為が文字通り去勢されて、無味乾燥なものに堕してしまっている。
若者の活字離れが叫ばれて久しいが、実は近年ではケータイ小説やラノベの隆盛によって活字と接する機会がむしろ増えているのだという。
それを知り、今こそ読書を復権する一世一代の大チャンスであると考えた私は、まず読書と自慰の間の橋渡しに取りかかった。そろそろいい加減に読書と自慰の両者は和解しても良かったのだ。誰もやらなかったから私がやった、それだけのこと。
3 これがオナ速だ
以上を踏まえ、オナニーとしての読書を前面に出した速読がオナ速である。
繰り返すが、これは速読法ではなく読書の楽しみ方である。速読法というもの自体が実にナンセンスなことは既に述べた。よって、従来の速読法を去勢されたものとして否定的に見る。全否定まではしないけど。
ではオナ速の方法を紹介しよう。オナ速に入門したはいいが何から始めて良いか分からないという新入生は必見である。ただし、技法論に終始して楽しみが失われては本末転倒だから、最低限の技法の紹介にとどめる。
それではまず、君はエロ漫画を速読する習慣を身に付けねばならない。オナ速は楽しさをモットーとするが、開放的な享楽の裏には必ず厳しい統制があるものだ。エロ漫画片手に厳しく行こう。
先ほどの状態遷移図を今一度見てもらおうか。エロ動画→エロ漫画→エロ小説→小説→高尚な専門書。
これを見ても分かるようにオカズカーストの最上位に位置するのはエロ動画である。最もオカズとしてのパワーが強い。
次がエロ漫画、その次がエロ小説と続く。困った時はまず身近な相談役のエロ小説先輩に聞く。それでも解決しない時はエロ漫画先生に、それでもまだ解決しない時はスクールカーストの最上位のエロ動画校長を用いれば良いのだ。
しかし君たちはまだ駆け出しのヒヨっ子なので、最初からエロ漫画先生の力を積極的に借りたほうがいいだろう。エロ小説先輩は気が優しいけどちと力不足だ。
さてエロ漫画の読み方だが、分かっているとは思うがチンコは出さない。そしてこれが重要なのだが心のチンコをしごく。
「ネットペニス」という言葉をご存知だろうか?かいつまむと、どれほど処女力の高い女性であっても2chの男どもの手にかかれば毎日妄想内で犯されまくりで、実質ネットごしに処女喪失したのと一緒じゃね?という話である。
この話で重要なのはネット上でも処女喪失が成立することではない。そんなことはどうだっていいことだ。
本当に大切なのは、バーチャル世界でもペニスが存在することの発見、そしてそこから論理的に導かれる、ペニスがあるならオナニーだって出来るじゃないか!という気づきである。
まだピンと来ない人もいるだろうから具体的に言おう。これをエロ漫画に置き換えると、物理的にはチンコを出さないけれども、精神的にはチンコを出してオナニーすればいいと。そういうことなのだ。
そもそもオナニーに物理的チンコは不要である。第一に物理的チンコは性感帯の一部に過ぎないし、第二にその性感というのも単なる快楽物質の分泌に過ぎない。言うなれば、チンコは快楽スイッチの1つに過ぎない。
その快楽スイッチが身体に存在するのは甚だ不便だと思ったことはないだろうか?心にスイッチを備え付けたい。思春期にそう強く切望していたのは私だけでは無いだろう。
それは可能である。可能なのだがそれに納得して貰うために少し説明しなければならない。
まず基本事実として、人間は適切なオカズさえあれば深いエクスタシーに達することができる。言い換えれば、物理チンコなどなくても純粋に精神的な手段で快楽が得られる。これをエナジーオーガズムと呼ぶ。
次に、オカズを物理的に調達しなくとも純粋に心の中で妄想するだけで、オカズとしての働きを十二分に果たすことができる。これは妄想を習慣としない人には信じがたいだろうが事実である。
以上何でもない2つの事実を確認したが、この2つからとんでもないことが分かる。純粋に精神的なスイッチを作ることが可能なのである。これを精神的チンコと定義する。
そして他でもないこの精神的チンコをしごくことこそがオナ速の極意なのである。なんだってー!? 要するに、心の中に精神的チンコと呼ばれる快楽スイッチを作り、それをこすりながら読書する。これがオナ速の全貌である。
4 オナ速の実践
とは言っても、精神的チンコをしごく感覚はなかなかつかみづらい。そこでまず感覚のつかみやすいエロ漫画から始めるのである。
その際にページを「読めないギリギリの速さ」でめくってほしい。読めるギリギリじゃなく読めないギリギリ。限りなくセーフに近いアウトで頼む。読めてしまったら従来の読書法に先祖返りする危険性が高いからである。
ギリギリ読めない速さでめくりながら読もうと努力するのだ。読めてきたらまたスピードアップして「読めないギリギリの速さ」にする。この繰り返しで少しずつ速くしていくこと。
勘違いする人が続出しそうなので言っておくと、これは一見すると速読習得法のようだが全く違う。速さは従来の読書を回避するためのものに過ぎない。実際のところ、速さが欲しいなら「読めないギリギリの速さ」にせずに最初からビュンビュン飛ばせばいいのである。それをしないのは速さ自体はどうでもいいからだ。
さて、読めないギリギリの速さで読もうと努力すると言ったが、その努力のしかたも大切である。絶対にやってはいけないのは、立ち止まること(停止)と目など身体を緊張させること(緊張)、である。
停止と緊張を避けるには、ページをめくる速さを一定にするとよい。淡々と流すようにリズミカルにページをめくる。理想はエアロバイクを漕ぎながらのタブレットによるオナ速である。これなら絶対に停止と緊張が起きない。
さてページをめくるリズミカルな動作は何かに似ている。そう、シコシコに似ている。あとは言わなくても分かるな?そう、めくる動作に合わせて精神的チンコをしごくのである。
合わせると言ってもタイミングが重要だ。ページをめくった次の瞬間、ちょうど紙面を視認した瞬間が黄金のタイミングだ。このタイミングでスイッチオン。ここから少しでもズレるとガクンと成功率が落ちるので注意しよう。タイミングをつかむには身体でリズムをとりながらやるのが良いだろう。コツをつかむのに1ヶ月は最低かかると思う。
成功すれば一瞬視界が明るく光って快感が生まれるからすぐそれと分かるはずだ。安定して成功するようになったら、今度は吹き出しのセリフも正確に読み取ろう。
それも出来るようになったらエロ小説に取りかかり、それも出来たらやっと高尚な専門書に進むことができる。長い道のりだが決して無駄ではない。全てはエロ漫画のように生き生きと読書をするためだ。
エロ小説や高尚な専門書の読み方もエロ漫画と基本的に同じだけど、しごくタイミングには少し注意が必要である。文章だけの本の場合、おすすめのタイミングは数行をまとめて目に入れてその次の瞬間である。一行ずつしごくやり方も試行錯誤したがどうもうまくいかない。数行ごとが良いと思う。
数行ずつのまとめ読みをマスターしたら5行、1/2ページ、1ページと増やすことになるが、無理に急ぐことはない。無理をしてオナニー性が薄れたと感じたら数行ずつのまとめ読みにただちに戻るべきだ。
ともかく、以上の方法を実践すれば新鮮な読書体験が得られるであろう。その感覚、喩えるならエロ漫画のような読書。何がエロ漫画だと思うかもしれないが、とにかくエロ漫画なのである。
5 将来の展望
これまでオナ速という一見不思議で実は本質を突いた読書法を紹介してきたわけだが、ここで衝撃の発表がある。それは、私たち人類は知らず知らずのうちにオナ速をしているのだ。なんだってー!?
例えば、美味しそうなシュークリームを見た時にパッケージをどんな気持ちで読むか考えてもみてくれ。思いっ切り精神的チンコをしごいてないだろうか?それは否定しようがないれっきとした事実だ。
気になる異性からのメール、面白そうなゲームの特設サイト、すごく注目してる新製品の情報、それらをどんな態度で読んでいるか?それはもう目を血走らせて食い入るように見ているのではないか?
そのような読書態度はエロ動画に対する態度と全く同じであることに気付いてほしい。みんなしごいて見てるだろう。
そのようなありのままの人間理解に基づいて情報社会というものを捉え直さないとダメ。これまでの無味乾燥な情報科学では限界があることは明白であり、古めかしい情報観は終焉を迎えようとしている。もう夢見る少女じゃいられない段階に来てるんだよ。
オナ速というのはそのほんの始まりに過ぎず、決してゴールではない。