「アパシー」を含む日記 RSS

はてなキーワード: アパシーとは

2023-06-07

いじめっ子おじさんvsアパシーおじさん

いじめっ子おじさんって強そうだな

結婚普通にしてそう

2023-05-25

anond:20230524222248

エロからSQL検索してみた

亡国のクルティザンヌ

仮面のセカイ

偽骸のアルルーナ

僧房カンタレラ

円卓のレスレクシオン

円環のメモーリア

冥契のルペルカリ

冬色のマフラー

創刻のアテリア

創神のアルスマグナ

双空のシャクティ

地球メルクマール

夏空のペルセウス

夏空のモノローグ

夏色のエプロン

夏色のコワレモノ

夏色のコントラスト

夕凪スノードロップ

夕刻のペルセウス

夢幻ゼロ

夢限のヤミ

天冥のコンキスタ

天壊のアルカディア

天海メッセージボトル

天空シンフォニア

天翼のアスクレイン

太陽のオルゴオル

太陽のプロミア

娼館エミリー

学校のセイイキ

密室サクリファイス

封印エリザ

封緘のグラセス

屈辱カレン

帝都ユリ

幻影のゴーストビル

幻月パンドオラ

幽境のアステール

廃忘のガゼボ

彩管のアパシーキネマ

彼女キモチ

彼女のセイイキ

彼方のトケイ

忘却のカナタ

恋情のファントム

悠久のカンパネラ

愛慾のエプロン

戦乱のヘキサ

戦律のストラタス

敗北のアークカルミア

断罪のエルミア

星彩レゾナンス

星逢のプリズムギア

最弱のムートンブルージュ

月光アドニス

月影のシミュラク

朝凪アクアノーツ

椿色のプリジオーネ

欠月のラプソディー

正義のキヅナ

永遠のメルディラージェ

流星のアーカディア

海空のフラグメンツ

涙声のギニヨル

淫紋のクロスロード

淫魔のトラップアイランド

深淵のイクスフィリア

深淵ラビリントス

深淵レコンキスタ

溶鉄のマルフーシャ

灰色アルカディア

灰鷹のサイケデリカ

灼眼のシャナ

無形のドルドナ

王国ソウルスミス

痴漢ライセンス

白銀のイクシア

監獄ダークエルフ

破滅のマルス

神父のオシゴト

福音のアパス

秘密ヌードデッサン

穢翼のユースティア

穹窿のアルフヘイム

籠庭のクックロビン

粘獄のリーゼ

精霊ディストピア

純白のワスレナグサ

終奏のオーグメント

終末のメシア

終極のヨル

聖剣のフェアリース

色染のカドエイ

蒼撃のイェーガー

蒼穹のファフナー

薄明のアジール

虚空のバロック

虜辱のディレンマ

記夢のセカイ

軋轢イデオローグ

迷宮マリオネット

迷宮ユグドラシル

追奏のオーグメント

鈍色のバタフライ

鈴夏のメロディー

銀色オーブ

鋼心のオルトロス

閃紅のアリエス

閃鋼のクラリアス

闇色のスノードロップ

陥落のソーサリア

雨恋のキセツ

雪色のカルテ

雲上のフェアリーテイル

霧上のエラスムス

霽月のアフターキネマ

青色のエピタ

風色のロマンス

魔女デリバリーヘルス

魔法パレット

鯨神のティアスティ

鳥籠のアストライア

鳥籠のマリアージュ

黄昏シンセミア

黄昏フォルクローレ

黒蝶のサイケデリカ

2022-12-18

anond:20221218201735

もう戻らねえよ。おっさんおばさんになったんだよ。

ようこそ、アパシー世界!!!

2022-11-15

AIシンギュラリティが起きてもそれを使う人間バカから本質的に何も変わらんだろうな

どうせAIを駆使した戦争が始まるだけだ

資本主義の出口なんてものもない

本質的にこの世界競争を促すようデザインされているからだ

もしあるとすれば、それは競争という概念がこの世界からなくなったときだろう

それは差異存在しない世界、あるいは差異認識できない世界

自他の境界が崩れて自己他者区別がつかない、集合的無意識的な世界

あるいは他者に全く関心を示さない完全なアパシー状態

いずれにせよ極めて非人間、非自然的状態であり、「生」というよりは「死」に近い状態ではないか

それもそのはず、競争とは、絶え間ない緊張と弛緩、上昇と下降の繰り返しであり、その様子は心電図の波形(=生)に相似する

競争を失った生は弛緩し、鼓動を止めた心臓のごとく波のない直線を描き出し、必然的に死に漸近していくのである

2022-11-07

1420見てる?

アメリカ人とかは能天気に、俺らアメリカンロシア人を憎んでもいないしプーチンに抗議しないなんて意味がわからない!とかコメントしてるけど、いやアメリカ人以外もだけどさ、(我こそはアメリカ人なりと名乗るのはアメリカ人くらいだ)デモしても何も変わらないから...ていうアパシーじゃなく、なんか余計なこと言ったら取っ捕まってなおかつ正当な裁判が受けられるでもなくまして戦場に送られるかもよ?ていう社会暮らしている時に、あそこに出てくる200%のアパシー市民自分ジャッジできないよ

完全に人生終わってるホームレスのじいさんが、俺は何も怖くねえプーチンはクソだって言ってたけどさ、あそこまで失うものがない状態にならなきゃ口開けないんだよ

別のロシア人 youtuberが、ロシア人ウクライナミサイル落としても大多数が抗議しないが、ロシア軍が仮にモスクワミサイル落としても同じくらいの割合しか抗議しないだろうって言っててなんか納得したよ

宗教テーマの時に大多数が無神論者懐疑論者だったのもよくわかる

メドベージェフスピーチであたかロシア国民洗脳された盲目クリスチャンみたいに思われてるけど大多数はもう何にもいえないし何もかもを諦めてるんだと思うよ

 

てか本当に、ロシア人よ!正義のために立ち上がらないなんて信じられないぜ!!とか思ってるんなら自分モスクワに行って抗議活動先導してみろよと思うんよな

そんなことやって捕まりたくないよな

ロシア人だってそのくらいハードル高いんだよ...

2022-09-24

anond:20220924020910

アパシー(無気力無関心)

感情動かすのもエネルギー使うわけで、それすら節約したいくらい疲れてるってパターン典型的。『今すぐ休め』サインと捉えたほうが良いと思うぞ。

2022-04-11

anond:20220410205547

その時間英単語でも覚えたり、体鍛えれば社会に貢献できるのにな。

アパシーとか、学習性無力感によって中々そういう努力が続かなかったりするんだよ。

そういう人がキチガイ行為に逃避し、依存してしまうんだよ。

から、そういう人に一番必要なことは、適切なケアを受けられる場所を探すこと。

精神科カウンセリング自助会、等々。

何度も努力を試みるのはやめたほうがいい。同じことを繰り返して違う結果を期待することは狂気からな。

2022-01-28

anond:20220128193937

自殺って痛そうだもんなセルフでやるなら根性アパシー状態じゃないと無理そう

2020-12-24

M-1面白くない根本的な理由

そもそもお笑い芸人自体面白くない説。

面白い人はたいてい、漫画家になったり小説家になったりミュージシャン言論人になっている。

教養で取りえが無いけど何者かになりたい人の最後の手段お笑い芸人ではないだろうか。

俺は漫画小説を見て普通に笑ってるけど、歴代M-1優勝コンビを見ても全く笑えない。

もはや芸人アパシーになってしまった感じがする。

2020-11-22

リモートワークの達人」を読んだが結局有能じゃないと在宅勤務できないんじょね?

結局、有能で自分仕事が進められて、

自分情熱を持てる仕事を持てる人じゃないと、

在宅勤務できないってことがこの本を読んでわかりました。


わいみたいな、先延ばしグセが抜けなくて、仕事アパシーしか感じてない人間でも在宅勤務で

うまくやる方法が書いてあるのかと思ったけど、

そもそもわいみたいな人間とは仕事すんなって書いてあったわ。

在宅勤務どうこう以前の問題やね

リモートワークの達人」を読んだが結局有能じゃないと在宅勤務できないんじょね?

結局、有能で自分仕事が進められて、

自分情熱を持てる仕事を持てる人じゃないと、

在宅勤務できないってことがこの本を読んでわかりました。


わいみたいな、先延ばしグセが抜けなくて、仕事アパシーしか感じてない人間でも在宅勤務で

うまくやる方法が書いてあるのかと思ったけど、

そもそもわいみたいな人間とは仕事すんなって書いてあったわ。

在宅勤務どうこう以前の問題やね

2020-11-19

合衆国大統領選挙不正への眼差しと態度について

 以下の記事のごときものは、自分管理するブログを持っているから、そこで書いて発表すれば良いのだろう。だが、私のブログは人の訪れるものでない。そこでよりは人の目に触れて、多くの人に読んでもらえもするかと想像して、ここに投稿する。

 大統領選投票日以降、いわゆる確実な証拠を挙げよとの要請を口にして、あちこちから報告される選挙での不正に関心を向けることを否定し、さら不正に目を向けながら、大統領選帰趨について論評することを控えるべきであるとする人たちがいる。

 この眼差しの持ち方と態度を守る人たちの中で、次のような人たちのことは、私は特に気にしない。例えば、バイデン民主党候補応援している者、トランプ大統領の退場を望んでいる者。これらの者たちがそうあるのは当然のことであろうから

 私が気になるのは、トランプ応援しているし、トランプ大統領の2期目に期待していると口にして、しか不正への関心を抑制し、それから視線を外して、どちらの候補大統領になるか、もはや自分たちの論評すべきものでない、と口にする者たちである

 代表として上念司、奥山真司の二人の名前を挙げておこう。とは言え、この二人に限るわけではない。彼らは、他の者たちよりは多少は筋道立てて、先の眼差しと態度をとる理由説明しているから、私には扱いやすいのである

 ところでお気づきの人もあろう、私は Youtube虎ノ門ニュース、アメ通 Live をこの一年、大変勉強になると感じて視聴してきた。加えて、上念司チャンネル文化人放送局DHC テレビニュース女子なども、興味深いと視聴を続けてきている。ついでに加えれば、SakuraSoTV とか、古是三春篠原常一郎チャンネルさらにはラジオ文化放送局、おはようちゃんなども、同じ関心に叶うところから視聴している。つまり私は、これらが人々に伝えて、解説する時局、情勢の認識批評が、現状の政治社会を、他のところでのものよりよく捉えていると評価しているし、自分理解を形作る参考にしているのである

 さてそれで、先の二人が自らの態度について言うところは、いくつかの論点から成り立っている。ここで彼らの議論論点全てを取り上げはしないし、そのまま辿ることもしない。同意できるところをあらかじめ挙げておけば、未確定情報に振り回されないようにすべき、選挙不正の論評にいたずらに促されて米国への評価自体を損なってはならない、などの主張を、私もしかるべきものとひとまずは同意しよう。

 だが、総評的にか、つけたりなのか、まるで根本的な姿勢の取り方の如きに、私たち米国大統領選挙権があるわけではない、他国指導者選択であって自分たちの指導者を選ぶわけではない、かように申し立てるところは、さしあたって尤もなことと感じながらも、何かうまくいなされた気分を覚えてしまう。

 さらにまた、不正については、裁判で決することができるのだから、その判断を待つべである不正は訴えることができるのである裁判を起こす権利が彼らにはあるのである三権分立が云々と教え諭されるところになると、いやどうも不正目眩して冷静さを見失っていましたと反省させられる。

 がしかし、先のいなされた気分の中で、この反省を自らに強いてみると、何かおかしものしかもどこか剣呑さを持ったものが潜んでいる不安に、私は囚われるのである

 それが何かと自らに問うてみるに、例えばこんな風に先の主張を言い直してみよう、すなわち、他国重要政治選択は、他国民の決めることであって、こちらが論うことではない、他国政治不正については、他国政治制度か、なんらかの強固な社会規範解決するのを、こちらはただその行く末を見ているべきである、まずはこのように言い換えてみよう。

 そして、他所の国や社会存在していると知らされたり、生じつつあると報じられたり、行われる可能性があると訴えられる不正について、私たちは須く他国政治解決に待つべきなのである他国政治社会能力に期待すべきなのである、このように答えて恬然自若としているべきなのであろうか、このように問うてみよう。

 この記事主題であり、私が気にかかるところの、大統領選挙での不正に対する眼差しと態度に沿うならば、この問いに対しては、然りそうあるべきである、と肯定的に答えることになろう。

 ここに私の不安は、むくむくと大きな黒い影となって、私の胸を塞いでくる。

 なんとなれば、それならば中国でのウイグル人の例の話題や、香港のことも、同じような態度をとって、それらは中国政治選択政治能力処置すべきことであって、不正だの不正義だのと感情を昂らせるようなことではない、中国政治解決に期待して、その帰趨を見ているべきなのである、このような主張も肯定してしまうことになるからである

 中国共産党独裁で、人権もないが、アメリカ民主主義国で、権利と法とがあり爾斯く斯くと言っても、なんの反論にもならない。何故なら、不正からは目を逸らして、ことの成り行きを待とうと説く者たちは、その態度から当然引出される主張として、バイデン大統領就任することになったならば、そうなった米国を見据えて、どう米国と接していくか、どんな外交技術でもって日本国益を実現させていくか、このことに注視せばならないとも力説しているのである

 ここで再び指摘しよう、それならば中国の例の件についてもまた、中国でどんな推移を経ていくのか、それを見定めて、その上で、どう中国と接するか、どんな外交でもって日本国益を実現させていくか、その工夫に腐心すれば良い、かように唱えるのが主張するところに忠実な態度であると言わねばならないかである

 我々は米国民ではない、だから米国大統領選について、なんら口を開くことはできない、物を言ったとしても、なんの意味もない、かように言うならば、これと同じくまた、我々は中国人民ではない、中国人民の状況について、なんらの口を開くべきでもなく、他所の国の我々が何かを指摘したとしても、なんの意味もない、このように言うべきことになるからである

 名前を挙げた二人についてみれば、上念司不正に対する感情を、自らにおいても他者においても、抑制せねばならないと留意するところから、先の態度を唱えているように見受けられる。その抑制理由も、私かに慮れば、納得できないものでもなく思える。しかしながら、政治への冷静さを得るための距離を取らんとして、政治的無関心・アパシーへと導く主張に近づいているように、私は思うのである。そして私がこれについて恐れるのは、政治不正への無関心を理屈だてる主張の、その一歩先に、人々の無関心によって批判されることなく、剥き出しの欲望自由になっている、そんな地平が広がっていると考えているかである

 他方奥山真司については、私の貧しい知識ながら理解する地政学よりして、選挙での不正といったものも、人権侵害といったものも、そうした政治価値に反することや、あるいは何かしらの理念に悖ることなどは、さしあたって考察の中になく、いやおそらく関心を向けるところですらなく、そんなことはどうであっても、つまり習近平中国共産党独裁国家らしいあり方をし続けていくのに対して、またバイデン米国民主党主導で営まれていくのに対して、日本国が自ら所持し、かつ国際的に構築できる政治的な力・リアルなパワーを行使して、日本国益を実現していく道筋を見つけることが、彼の主たる関心であり、もしかしたらそれが全てではないかと思える。

 いつ頃までのことであったろうか、昔は、ジャーナリズムというものが言われていて、それを実践するに努めたテレビ新聞報道では、何かしら政治不正が行われている国が、ことの重要性に応じて、熱心に取材され、分析され、そして批評されて、テレビ番組や新聞記事となっていたものである

 一つの話題が集中的に報じられるときには、国際世論喚起という風に目的づけか性格けがなされたもので、問題ある国に対して、国際社会には厳しい批判非難が湧き起こっているぞと感じさせて牽制を与えることで、その国の不正が深刻なものとならないように働きかけるのだ、そんな意義づけもなされていたと覚えている。

 今から思えば、そうした国際報道も国際規模でメディアを利用しての政治工作、そんなものと感じないでもないが、たとえそうであれ、米国の今回の大統領選挙では、こんな不正、こんな暴力、こんな悪事が行われているのだと、盛んに話題にするならば、外国でそんな風に言われてしまっていることが、よしやごくわずかなものとしても、それなりの牽制になるだろうと、やはり私は思うのである

2019-12-08

小さく死ぬとかやってみたい

今の気分を簡単に言うと死にたいってことなんだけど、絶望に打ちひしがれているとか苦しくて苦しくてたまらないとかじゃなくて、

うっすら、うっすら死にたい。うっすらも違うかな。生きるのが面倒、もちょっと違うな。

独身でとりあえず食うには何とか困らない。映画見たり本読んだりの娯楽もまあまあ楽しんではいると思う。

甥っ子姪っ子かわいい。この子たちを笑わせたいし悲しませたくないと思う。

でもなー、なんか、倦怠感?アパシー?不全感?

諦めというか、何かを諦めきれていないからこんななのか、うーん。

心療内科案件なのかな。でも、こんな軽い感じで医療リソース食っていいのかなっていうのと、

将来ローン組んだりするかも、狩猟やりたくなったりするかもとか思ってなんかめんどくさい。めんどくさいなあもう。

2019-05-14

学歴コンプレックス研究概観展望津田容子)

【関心テーマ意図

日本社会は表向き実力主義成果主義を掲げつつ、未だ学歴主義体質が根強いと言われている(渡辺,2006)。そのような社会の中で、大学学者割合が初めて5割を超え(文部科学省,2009)、数十年前と比較して高学歴化が進んでいる。全入時代までは至らないが、志望大学に拘らなければ受験生の9割超が大学に進学できる時代となった。今後は大卒肩書きのみでなく、大学知名度や質を重視する傾向が強まり受験競争さらに激化するとも考えられる。ここで問題となるのが、受験という競争に伴う敗者と勝者の存在である。彼らが過剰な挫折感や劣等感、あるいは優越感に囚われた場合学歴コンプレックスとして諸々の心理的社会的な問題を引き起こす。しかし現状は、定義自体曖昧であるため、研究者独自概念言葉で当問題が扱われている。そこで、今回は心理学分野での学歴コンプレックスに関する研究に注目し、考察と今後の展望を述べることとする。

【先行研究概観

学歴コンプレックスとは、不満足の原因を自己あるいは他者学歴に関連づけることで感じる、劣等感自尊心のこと(鷲田,1995)であり、学歴に対して劣等感を抱く場合学歴への誇大な自尊心を抱く場合の2層に分けられる。両層に共通する主な特徴は、以下の3点に集約される。第1に、自己の実力不足や失敗を過度に学歴帰属すること、第2に、自己だけでなく他者をも学歴評価すること、そして最後に、学歴ばかりに囚われ学業という本来目的を見失いかねないことである。これらの根底には、学歴が高いほど将来は報われると考える「学歴社会意識」(安藤,2007)や有名大学の進学のみに価値を見出す「学校主義」(野田,1996)といった学歴志向存在が窺える。層別に見ると、劣等感層では上述の志向に加え、入試時に第1志望に落ちて仕方なく所属大学に入った「不本意入学」(伊藤、1995)がコンプレックスの主要因となっている。そして、不本意から多浪仮面浪人、退学を繰り返す再受験症候群や、国公立大の進学者優遇する国公立大学至上主義下での私大学者なども本層に含まれる。一方、誇大な自尊心層では、学歴社会の勝者であるがゆえに、学歴に比例して自己過大評価する傾向がある。その裏には人柄や実力よりも学歴イメージが先行する、レッテルとしての学歴の影響が見られる。その他、学歴に見合った社会待遇でないと受け入れられない学歴保証希求や、就職時に多い高学歴者の挫折体験等の問題も挙げられている。これらの学歴コンプレックスに伴い、失敗感、挫折からくる無気力自尊心低下、不本意感に由来する不適応抑うつ状態といった心理的問題に加え、充実感や生き甲斐の欠如、自我同一性拡散の深化など、生き方のものに関わる問題存在示唆されている。また、学歴志向や進学観が親子間で継承される(吉川,2005)ように、親子間でのコンプレックス継承家庭内学歴格差によるコンプレックスなど、個人のみでなく世代間に学歴問題が発展する可能性もある。

【先行研究臨床心理学的意義と展望

先行研究は、学歴コンプレックスを多側面から検討し、日本独自学歴観や学歴の持つ意味学歴認知思考に及ぼす影響について言及した点で、学歴問題の諸相と今後の研究可能性を提示した意義を有する。今後の展望としては、同じ状況下で不適応に陥る人とそうでない人との相違や学歴にまつわる不適応への対処法など、臨床実践に向けた研究を進めていく必要がある。

津田容子引用文献>

安藤聡一朗 (2007).学歴社会意識とスチューデントアパシーとの関係についての考察 学習院大学人文科学論集,16,137-165.

池上知子 (2004).「学歴社会」に対する意識大学自己同一視との関係 愛知教育大学研究報告(教育科学),53,79-86.

伊藤美奈子 (1995).不本意就学類型化の試みとその特徴についての検討 青年心理学研究,7,30-41.

吉川徹 (2005).7-106間移動を考える.日本教育社会学会大会発表要旨集録,(57),44-45.

文部科学省 (2009).平成21年度学校基本調査.2010/02/02情報取得

野田陽子 (1996).学歴観の構良智 (学生とその親の学歴観の分析をとおして― 淑徳大学研究紀要,30(II),87-113.

鷲田小弥太 (2005).コンプレックスに勝つ人、負ける人PHP研究所渡辺山.

渡辺良智(2006).学歴社会における学歴 青山学院女子短期大学紀要,60,87-106

引用元:東京大学大学院教育学研究科臨床心理学コース下山研究室 社会と臨床心理学―研究会活動から見えるその諸相―

アパシーシリーズを追うのをやめた話

(この日記は、アパシーシリーズ及び七転び八転がりの現在の状況をある程度知っている人向けの文章です。

全く知らない、という人のため解説を挟んではいますが、分かり辛い点もいくつかあるかと思います申し訳ございません。)

1:概要

タイトルアパシーシリーズ」とは、1995年に発売されたSFCゲーム学校であった怖い話(以下SFC版)」を軸に展開された作品群の事だ。

経緯が少々特殊なのだが、このシリーズは「七転び八転がり」というサークルから今もなおゲームが出続けている。

単純に考えて24もの間、この「学校であった怖い話」という作品応援され続けてきている。また来年迎える25周年に向けての動きも出始めているようだ。


尚実際には24年ずっと絶え間なく作品が出続けたかと言うとそうではなく、パンドラボックス(SFC版の制作会社)の経営不振等により2001年以降は休止状態であった。

その後メインシナリオライターである飯島多紀哉氏(旧飯島健男氏)がゲーム制作に復帰しアパシーシリーズ制作が開始される。

同人ゲーム小説・グッズ等を数年に渡り販売するも再び休止、数年後また復活……と大まかに言えばこのような流れだ。

また正確にはSFC版及びリメイク作品であるPSゲーム学校であった怖い話S(以下PS版)」はアパシーシリーズには該当しない。


2:自分について

ここまで「学校であった怖い話」「アパシーシリーズ」は長い間応援されてきたゲームシリーズである、という事を記してきたが、実は私自体の歴はそれほど長くはない。

学校であった怖い話を好きになったのはおよそ8年ほど前である上記の流れで言うと2度目の休止時期に当たる。

最初SFC版の存在を知り、恥ずかしながら実況動画から入った。その後SFC版をバーチャルコンソールで、PS版をゲームアーカイブスでプレイした。

後々になって「アパシーシリーズ」もプレイし始めた。人によってはアパシーシリーズを苦手とする事も多いが、私は夢中になった。二次創作も多少していた。

少なくとも1995年舞台とした、SFC版と同じキャラクターが出てくるゲームは一通りプレイした。そうでない作品の中には触れていない物もあるため、その程度かと言われればその通りなのだが。


この頃既に休止状態に入ってた事もあり、アパシーシリーズはもう更新されないだろうと思っていた。

それだけに、2014年小学館から小説学校であった怖い話 月曜日」及びその作品群が発売された時には本当に驚いた。

更に2018年、他でもない七転び八転がりから同人ゲーム学校であった怖い話 新生」が発売された時には非常に期待に満ちていた。

知ったときには遅かったと思っていたのに、「ゲームが次々と発売される」という流れをリアルタイムで実感することができるのだと。


上に「少なくとも1995年舞台とした、SFC版と同じキャラクターが出てくるゲームは一通りプレイした。」と書いたが、厳密に言うとこれは僅かに誤りがある。

現在最新作に当たる「アパシー 学校であった怖い話 極(以下極)」は購入していない。その一つ前の作品であるアパシー 学校であった怖い話1995 月下美人の章 第一巻」も、購入はしたがプレイをしていない。

理由としては、極が発売される前のタイミングジャンルを離れたからだ。



3:CFについて、及びそれに関係して起きた問題

2019/5/13現在、七転び八転がりは「アプリ開発」を目的としたクラウドファウンディングを行っている。

このアプリ開発こそが、上記「25周年に向けた動き」の中で現在確認できるものである


https://camp-fire.jp/projects/view/140712


支援額1000万円到達でアプリ開発に着手する他、そこに至るまでの区切りとしてもいくつもの企画が立てられている。


このクラウドファウンディング、またその前後Twitter製作者のブログに対し、既存ファン(ここでは暫定的に「学校であった怖い話及びアパシーシリーズが好きである人」のことを指す)から疑念の声が次々と上がっていったのだ。

具体的にどういった事がありどういった声が上がったのか、明確に記す事はここでは控えさせていただきたい。その理由となる事態については以下に記載させていただく。


ファンの間で不信な声が上がり始めた頃、「問題まとめ」と題し不信だと感じられる事柄をまとめたプライベッターの記事作成された。

現在は削除されており引用はできない。私も一読はしたものの、詳細には覚えておらず申し訳ない。

またTwitter等ではサークル代表である飯島氏及びクラウドファウンディングの苦言や暴言がちらほら見かけられた。支援しない事を勧める声や、高額なプラン支援した人への暴言も見られるようになった(ただしあくまでこれらは極一部のユーザー発言であり、多くの人は疑念や不信の声に留まっていた)。

そういった動きに対し、飯島氏は最終的に以下のブログ記事を発表した。


二次創作ライン個人的見解

http://plaza.rakuten.co.jp/iijimatakiya/diary/201904120000/?scid=we_blg_tw01


読めば分かるのだが、二次創作に関する記述については全く正しい事が書いてある。二次創作違法であり、作者がそれを黙認していることが多い。

学校であった怖い話」を全く知らない人がTwitterでこの記事について言及し、そのツイートには多くの反応があった(所謂「バズった」)。

多くは「当たり前だ」「筆者の言うとおりだ」「このジャンルファンは何を考えているんだ」といった内容である

そしてこのブログの内容通り、何人かが「弁護士を介して話をした」という発言をした。その中には上記プライベッターの記事作成者も含まれている。

補足しておくが、この作成者はれっきとした学校であった怖い話ファンである。この事態の後、極を購入したという旨のツイートもしている。

どころか、苦言や暴言を吐いた人の殆ど学校であった怖い話を好きなファン達だ。

……ただし、これはあくまで上で脚注を加えた通りの意味での「ファン」、つまり作品自体ファンを指す。


この文章で具体例を明記しないのは、こういった事情があったからだ。

プライベッターの記事は、明確なネガティブキャンペーンが行われていた「極端な例」だったかもしれない。

しかし実際起こった事を列挙する際、当然ながらユーザー側の事態は把握できても、サークル側にどういった事情があったのか、どういった対策を取ったのかを全て把握することができない。

そのため「今回起こった問題」を私が書き連ねると、どうしてもユーザー側贔屓のバイアスがかかってしまい、サークル代表批判と取られかねない文章となる。

今回はあくまで私が「アパシーシリーズを追うのをやめた話」という個人的な内容の記事であるため、上記理由により詳細は省かせていただく。

またそういった経緯があるため、現在はなかなか事態が分かりやすくまとめられている文章は見当たらない。


なお、私自身はTwitter等で暴言を吐いたり、クラウドファウンディングに対してネガティブキャンペーンを行ったりはしていない。

匿名ブログでこう言っても信憑性は無いだろうが、つまり弁護士が怖くて離れた」という理由ではないことを主張しておきたい。

二次創作がやりたくてゲームプレイしていたから、その趣味が脅かされるため離れた」という理由でもない。

何故追うのをやめたかというと、「ブログ最後に『黙って去ればいい』と書いてあったから」である


4:追うのをやめた理由

今回飯島氏がブログでこのような発言に至った理由は何故だろうか。

飯島氏の言う「自称ファンだがこちらはファンだと認められない人物」が増えすぎて、個々人に対処しきれなくなった、

もしくはそういった暴言に耐えきれなくなり強い語調のブログ拡散せずにはいられなくなった、等色々考えられるが、これらはあくま憶測に過ぎない。


ただ結果として、この記事は「自称ファン」のみならず普通ファンの一部にも圧力を与えてしまったのではないだろうか。少なくとも自分はそうだ。

自分は正直、「学校であった怖い話」及び「アパシーシリーズ」のことは好きだが、飯島氏に対してはそれほど良い印象を持っていない。

そもそもの考え方として「作者と作品は分けて考えられるべきであり、作品が素晴らしいからといって作者まで好きになる必要は無い」と思っていた。

勿論良い印象を持っていないからといって暴言は吐いていないし、素晴らしい作品の作者であるという点に置いては尊敬の念があった。

しかし、どうにも飯島氏の諸々の発言及び行動においては懐疑的な目を持ってしまっていたのだ。

上記ブログ記事を読んで、区切りがついた。「ならば自分は黙って去ろう」と思った。発表していた二次創作作品は全て取り下げた。

純粋に怖いと感じた。こういった思いを持っている以上、私も少なからず敵意を持たれているかもしれないと思った。

……そう思うと、私みたいな人間も「自称ファン」の一部であっただけなのかもしれない。

あの記事は、二次創作はしておらず、尚且飯島氏の事も悪く思っていない人にとっては、特に疑問を持たない当然の内容なのだから


重ねて言うが、飯島氏の二次創作に関する主張は正しいだろう。私だって自分のことを嫌いな人に自分創作物を弄られたくはない。

そのため、私は深く反省した。作者に懐疑的な目を向けながら8年間、その作者の制作物で二次創作をしていたことを恥じた。

そうして私は学校であった怖い話アパシーシリーズから離れることにした。

しばらくはこの事を思い出してしまうため、SFC版含め過去ゲームプレイする気も起きないだろう。


未練が無いとは言わない。未練が無かったらこんなお気持ち表明文は書かない。

気持ちを整理するため、このような文を書かせてもらった。


最後に、この日記は決して「作者に少しでもマイナスイメージがあるなら二次創作をやめろ」という主張をする物ではない。

私の場合は今回語った事態が一番のきっかけであったが、「飽きを感じ始めていた」等他の理由も少なから存在する。

あくまで「そういう人間もいた」という自分本意の語りであって、他人強要するものではない。

たとえ同じ状況であっても、二次創作を続けるか、ファンで居続けるかを決めるのは各個人で考えるべきことであり、

またそういった人に対して対処をするかしないかも作者が決める事であると考えている。

2019-04-12

大学在学中にアパシー(今でいうひきこもり)になった思い出

今日出身大学東大入学式ニュースになっていた。


私は在学中の卒業間近というところで進路や卒論自分存在価値に行き詰った。

家を出られなくなった、電話線を抜いたりもした、3年ほど家と近所のスーパーコンビニを往復する日々。

卒業できないと絶望したときもあった。

それでも根性卒論書かせてくれて卒業させてくれた学校

心も体もよれよれになりながらもなんとか今まで社会で生かしてくれている親や世の中には苦しみもあれど感謝している。


知っている東大生や東大院生の中には国家のために働いている人もいれば、誰でも知っている大企業で働いている人もいる、

中退した人もいれば、会社を興した人もいれば、結婚してパートやっている人も、消息不明になった人もいる。


入学式の日はキラキラしている、そして色々な出会いと別れもあるだろう、順風満帆人生かもしれないし、荒波にもまれて難破する人生かもしれない。

それでも一人一人の人生幸福をめざしてほしいし、自らが幸福を目指すことが周りに力を与えていく人生もあると思う。

2018-11-22

anond:20181122193933

誰しも最初から指示待ち人間だったとは思えず,おじさんにも活発に働いてた頃もあって

しかしこれまでの転職先で幾度となくその行動が否定されてきたのだろうなぁ

パワハラで脳が萎縮してワーキングアパシーになってそう

2018-03-17

アホの子教えるのは楽しかった

学生時代バイト個人指導塾講師をやっていて、座ってられない&話が聞けない中2とか、アルファベットのaとdとbの区別が付いてなくてbog とかdopple とか平気で書いちゃう中3とかを担当していた。

そういうレベルの子供でも、ちょっとした一言というかきっかけが見つかれば変わるし、偏差値27から50超のだいたい普通レベルまでもってくことは、片手間の個人指導大学生バイトでも割と難しくなかった。

逆に私にとっては、普通の子を出来る子にする方が簡単じゃなかった。本人に勉強への自発的意欲があって家庭の協力があれば偏差値60超くらいまではいけたけど、そこから先は元々の素養がないとダメかなぁという感じだった。個人的な体感だと65を超えるのは元々の素養が大きく左右するなぁと思っていた。

アホの子普通の子にする役目は、他のバイト講師仲間の誰もがやりたがらなかった。私はアホだったからそっちのが性に合ってたのもあるが、アホの子普通に近づけていくことで、どんどん目に見えて変わっていくのがすごく楽しかった。こういう言い方はあまり正しさがないとは思うのだが、アホを普通にする方が、普通を出来るにするよりも賞賛されやすかったし、本人からも周囲から感謝されやすかった。労力に比して賞賛感謝が多いバイトだなーとあまり倫理的でないことを考えていたし時給の昇給も早かった笑

アホの子へは、勉強理解を促すための教え方とか理解させ方以前に、取り払ってやらなくてはダメなことがある。

彼らは、勉強=キライ、怒られる、自分が惨めになるだけ、といった思い込みがある場合が多い。どうせ分からないのだから頑張るのは無駄、と思うらしい。で、Togetterでまとめられてた子のように無意識アパシー状態なる子が多かった。

なので、まずは、間違ってくれないと先生が困る、と言うようにした。

あなたが間違ってくれないとどこが分かっていないのか先生が探せないから、間違ってくれないと困っちゃうんだよー、と言う。でなぜその間違いをしたのかを、問い詰めるのではなく一緒に探していこー!というスタンスで接していた。

なんで間違ったの?と聞くのは子供たちにとっては死刑宣告に聞こえるようだった。この人も結局私を救ってくれる人ではない、と思われ閉じられてしまう。実際に最初の頃に担当した子供の中にはそうやって閉じられてしまった子もいた。

よく考えたら、間違ったところや間違った理由自力で分かったらアホじゃないし人の手助けはいらないはずだ。アホの子だって一丁前の中学生なのだから、できることな同級生女子大生()の塾講師にアホを晒したりしないでカッコつけたいはずだし、自分で分かることができるようになりたいはずだ。

aとdとbの区別が付かなかった中3には、なぜこの3つがごっちゃになるのかを見つけてやった。まぁ簡単なことで形が似てるからなのだが、彼は自分が混在させてしまアルファベット同士の形が似てることすら気づいていなかった。

aはアタマが短いけどdはアタマが飛び出してるかごっちゃになるんだよ!だから書く時にアタマ飛び出すか飛び出さないかに注意すればいいよー、と言っただけなのだが、次の週にはbとd問題勝手クリアしていて、普通綴り間違えなくなったし音読もできるようになっていた。

さすがにこの時は、私サリバン先生かよ!と図に乗ったが、26文字中のそれも比較的頻用するアルファベット3つが見分けられないまま放置されてりゃ勉強嫌いになるよなぁとかわいそうにも思った。もっと早く誰か気づいてやれなかったのかよーオトナー。

一次方程式で硬直する別の子は、単にxとか英語が突然出てきた!ずるい!と思考停止してただけだった。便宜上記号から怖がらなくてもいいと理解できた後は数学だけじゃなくて英語の成績も人並みになったし、英語の成績が良くなったら国語社会も急に頭に入るようになったと言っていた。

びっくりするレベルで出来ない子は、こちらが想像できない些細なところで驚くほど繊細につまづいているケースが多かった。だから学校先生から見落とされ続けてたか対応しきれなかったんだろう。あと、そういう子は大抵、家の環境はあまり良くない傾向は確かにあった。貧困家庭、片親、離婚再婚で家にいづらいとか。

そういう子が、アホの子から普通になることのインパクトは大きい。劣等感と、どうせここから抜け出せないという無力感と共に生きてきた子にとって、普通になるということは、普通の将来を考えられるようになるということだ。アホ高じゃなくて普通高校行ける、普通高校行ければまともな就職もできるんじゃないか?という希望だ。

私が面倒見たアホの子たちは2年間で6人いたが、高校行けないかもしれないところから普通レベル公立普通科や商業科に進めて、それぞれ今は会社員などをやっているらしい。地元から生徒のお母さんに会ったりして近況を聞けたのだ。

adb区別の付かなかった中3は、なんとホテル系の専門学校に進んで大手ホテルチェーンでフロントをやってるらしい。立派になって先生は嬉しいよ

2018-03-04

anond:20180304122642

なんでもかんでも鬱病認定するんじゃない。アパシーってのもある。

2015-08-08

認知症診断をめぐるもやもや

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150805/k10010179491000.html

上記を読んでのもやもやを書き出しとく。

  

認知症」というのは基本的に症状名であって、病名ではない。「認知症がある」といったときにその原因となる病気存在していなければならない(アルツハイマー病とか脳卒中とか)。

なので「アルツハイマー病の薬」はあるが「認知症の薬」というもの存在しない。

日本認知症を診ているのは主にneurologist(神経内科医)と psychiatrist(精神科医)。ややこしいが神経科というのは本来 neurology の和訳としてつくられた言葉だが、実際には psychiatry とほぼ同じ意味を指している。

この記事に出てくる老年精神医学会というのはほぼ精神科医の集まり。これを出すのであれば神経内科医の集まりである日本経学会もださなきゃダメだろう。

  

で、認知症とは何かということだが、

「一度正常に発達した知能が何らかの原因で減退し、そのために社会生活に支障を来す状態」

ということだ。これをみればわかるが正常と異常の境というのはそんなに簡単ではない。誰が診ても正常という人と誰が診ても異常という人はいるが、その中間層は簡単に判断できるものではない。さらに言えば知能は減退しているが、社会生活には支障を来さないという状態(これは軽度認知機能障害と呼ばれる)もあってややこしくなる。

ちなみに社会生活に支障を来すというのは、一つは対処行動がとれるかどうかということ。具体的には「この人を知らん町に放り出しても、ちゃんと周りの状況を判断して家に戻ってこれるか」ということ。こんなん、家族か周りの人間に聞かないとわからんし、ちゃんと線引きできんだろ。一応、CDRとか生活状況を確認するための質問票はあるが、やたらと時間がかかったり、そもそも細かい生活状況を把握している人がいなかったり、ルーチンで全員に行うのは難しい。

  

次に行く。「正しい病名はせん妄だった」とあるが、「せん妄」というのは症状名なので、基本的には原因というものがある(ただし、原因がよくわからず「年のせい」とせざるをえないものもある)。酒を飲んでせん妄になることもあるし、そもそもアルツハイマー病もせん妄の基礎疾患になる。これを書いた記者が病名と症状名をごちゃごちゃにしているからわかりにくいのだ。あと「病名:せん妄」とする精神科医にもいいたいことはあるがやめとく。

  

次。アルツハイマー病の誤診例で実際はうつ病だったとあるが、そもそもうつ状態というのはアルツハイマー病の初期症状でもあるだろうが!(ちなみにアパシーといって周囲への無関心、やる気のなさもアルツハイマー病の初期症状としてある)

ある程度症状が進行して画像でもアルツハイマー病に典型的な所見が出てくればともかく、初期の状態でうつ症状のあるアルツハイマー病とうつ病を厳密に鑑別することはできねーよ!結局、最初の時点である程度決め打ちして治療経過をみながら診断を考え直すしかない。「後医は名医」という言葉がこれほどあてはまる分野もないだろう。

  

最後認知症専門医の堀智勝名誉院長って誰かと思えば、脳外科の医者じゃねーか!全く専門家じゃねーよ。この患者さんは、たぶんコリンエステラーゼ阻害剤の副作用がでてて、それをやめたらよくなったというのはそうなんだろう。ただ、本人(もしくは家族)が何かを訴えて最初病院にかかったんだろ?そちらは結局なんだったんだ?それこそ鬱だったんじゃねーの?単なる健忘症だったってこと?

東京女子医の名誉教授を引っ張ってくるのなら、岩田先生を引っ張ってくるべきだろう。この人の方がよっぽどガチ専門家やぞ。

  

そもそも誤診とか気軽に言ってくれるなよ。誤診というなら正しい診断とは何か?ということが問題になってくるだろ。

この辺は臨床診断と病理診断の違い(最終診断というのは亡くなった後に脳をあけてみるまでわからん!)や、薬の問題アルツハイマー病以外の認知症を来す疾患の話などいろいろあるが、しんどくなったので終了。

2015-05-07

http://anond.hatelabo.jp/20150507231124

社会的地位(そんなもんもともとないし)を失ったのじゃなく、自分が拠って立つ価値観を失ったのだよ。

ほめてもらって育ったから、院生になってまで同じようにほめてもらいたいと思っている。

そういう人が、高学歴アパシーを感じている人には案外多い。

誰しもどこかで、刷り込まれた決別すべきであって、そっから自分価値観を得るものだと思う。

悩むべき時(今)思い切り悩まないと、きっと10年後も全く同じことで悩み続けてしまう。

2014-12-14

留置中に投票しそうになったの思い出した

投票行ってきてほっとしてる中、

留置中に投票しそうになったことがあったのを思い出しました。

2〜3日で出れるつもりで、弁護士さんも意見書つくったり、

裁判官時間外まで食い下がったりしてくれたのに勾留が確定。しか接見禁止

ぜんぜん出られる気配がないまま投票日が近づきました。

実は留置所でも投票不在者投票)はできるのを知らなかったので、

担当さん警察官)に知らされて妙に感動したのを覚えています

担当さんに「投票どうするー?」と聞かれて「します」って答えたら、

「えっ、ほんとに?」って言われたのも衝撃的でした。

留置は半分以上が外国人だったので(地域・時期によるでしょうが

投票する人は珍しいのかもしれません。

(でもみんな新聞は熱心に見てたかアパシーってわけじゃないのか?そのへんはよくわからない)

で、手続きのための書類に記入しました。

私の場合接見禁止がついていて、つまり文字を書いて通信することが禁止されていたので、

投票用紙に記入するのにも裁判所の許しを得る必要があったのです。

(その手続が面倒だから警察官が「えっ」っとなったのかも?)

開き直っていた私は「これも経験だ」と留置中の投票を正直、少し楽しみにしていました。

毎日ヒマでしたし。

ところが突然釈放が確定。

投票をする前に社会に放り出されてしまったのでした。

帰宅から何日かたったころ、そして投票日も過ぎたころ、

地方裁判所刑事◯部から特別送達が届きました。

接見等禁止一部解除決定」というお手紙でした。

いまも手元にあります

審査の上、法令範囲・・・不在者投票に関する投票用紙、

発送用封筒及び投票必要立候補者名等が記載された書面の授受に限り、これを解除する」

リビングで「遅いよwwww」と一人大声でツッコミを入れ、一人ゲラゲラと大笑いし、一人うわーんと大泣きしました。

・・・という思い出を投票日の今日に思い出したので、こちらに書いてみました。

この文章が誰の役にも立ちませんように。

そういえば、特別送達とやらは郵便屋さんが玄関越しに手渡す形だったのですが、

封筒にはばっちり「被収容者 ◯◯ ◯子」って書かれてて顔から火が出そうになりました。

あれ何とかならないのでしょうかね。

終わり

2013-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20130905185547

ツマんないと気づいた増田や、不良たちは受験を失敗する。何も考えずに親から言われたとおり勉強し続けた視野狭い君が一流大に行く。高校の時に気づかなくてよかった。確実にアパシーで詰んでたわ。

わかるわ…真面目系クズって言葉あるけど、そうそう。高校生くらいまではそういう姿勢でいいんだよな。「受身で親、教師の言われた通りに勉強してるだけの俺…何てつまんねえ人間なんだろう」と思ってて全然よし。個性なんて大学入ってから出せばいい。

あんたの親の世代からすでに無気力しらけ世代なんだぜ? 無気力・無関心なんてもはや多数派なんだからカッコつけたかったら逆を行ってみたら。

だよね。新人類ってやつ?古本屋でその頃に書かれた若者理解本読んだりすると、親も親で若い頃は「最近の若者は何考えてるかわからん」だの「チャラい」だの色々言われてたんだなぁ…と感慨にふける。

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