はてなキーワード: 高まるとは
地上アイドル数組と地下数組通ったくらいなのでほんの一例です
・抽選が激戦のため
オタクネットワークがあるため、激戦チケットは余らない。身内優先でさばいて余ればツイッター等で募集かける。
高値で売るやつも居る。やめてくれ。
あと激戦っぽいことが予想されて結果そうでもなかった場合とか、知らん人は売り切れだからと諦めるけど、チケット自体は余ってたりしてモヤる。
・良席(良番)確保のため
抽選機会を増やせば当然、ステージとの距離が縮まる可能性が高まる低まるビスマルク。
当然余るので、定価~格安で売って次の資金に。チケット余るのも仕方なし。
そこそこ良い席を高値で売って、その金に自己資金を足してさらに良い席を買うなどというのも横行してるグループある(あった?)らしい。
チケット余るだろうなーって時、とりあえず買う。
デカめの箱に挑戦する「埋めるぜ○○」でありがち。
とにかく買って、少しでも行きそうな人を誘ってみたりする。(安価だったり無料で)
オタク馬鹿だから、社交辞令の「今度機会があれば見に行ってみたい」を鵜呑みにする。
実際一般人誘うと苦い顔される。あと、他所のオタク誘ったり、誘い合いみたいなのもあるが大体はハマらずに帰ってくる。
アイドル本人が手売りしたり、チケットになんらかの特典が付いたりして運営もオタクが一人で複数枚チケットを買うことを期待してたりする。
売る方も買う方も建前は、友達誘って……なのだが、そう上手くは行かない。
なんにせよアイドル本人から「増やん、沢山チケット買ってくれてありがとう」と言われたらとりあえず幸せ。
1申し込みあたり2~4枚とか買えることが多い。その中で自分以外のチケットも買う。
信ぴょう性はないが2枚とか4枚買うと席が良くなるというおまじない。
あと、買い忘れ、予定が不明、入金時にお金無い等で申し込めなかったオタ仲間のための保険。
常にクレカの限度額いっぱい層が多数居るので、ほんとに4000円が払えないことも多々ある。
ライブ近くになるとチケット代はおろかTシャツ、タオル等を買う余裕ができてたりする。
なので1~2週間前に呼びかけると行きたいし行けるけどチケット無いオタクが結構な確率で存在してる。
日頃の布教活動が実って、申し込み時には興味なかった一般人や他現場のオタが同行者になるケースも。
彼氏彼女が出来て理解してほしいから連れてくパターンもあるらしいが、レアだと思う。多分引かれる。
過去に激戦のライブが多かったグループだと、2人で2枚ずつ申し込んで当たった方のチケットで二人行くとか、当選した〇日のチケットと落選した△日のチケットを交換したりとそういうのが癖になってたりするので、なんとなくで2枚とか4枚とか買う人も居たりする。
外れなさそうなチケットだと代表者が人数分申し込むオーソドックス。
普通。
結構多い。知り合いが多く、人望があると、全員1枚しか買えなくて、本人確認があるライブ以外は大体誰かが拾ってくれる。
ストレート以外の男たちがバスに乗ってラスベガスのオーストラリアみたいな場所に荒野をかける話だ。
初めて見る舞台だったし、圧倒的女性率だし、グッズはレインボーでメッセージ性が映画よりも随分と強くて
始まる前から肩が鳴るような緊張感があったが始まってみると意外とそんなでもなかった。
後ろのお姉さんお兄さんが率先してしてくれる手拍子に乗れば、聞き古されたGoWestにのって否応無く気持ちが高まるし。
バーナデッドとナイスシニアが結ばれるところで思わず拍手をしたら
その後すぐにアダムが舞台から合図してここ拍手していい場面だということがわかって
中の人が60歳で役を演じている人と劇中の年齢と同じ。
個人的に体を張ったシーンでいいなと思ったのはアダムの片手倒立でもなく、ミッチのバスへの飛び蹴りでもなく
陣内さんが他の二人と同じ水着に着替えた時に下半身がツルツルだったことだ。ちゃんとすね毛ケアしてる!!
ミッチやアダムが短パンや衣装を着るシーンはなんどもあったから足ほっそとか椅子に座った時の筋肉の浮いた太ももがいいとか思っていたが
毛がないことに気づかされたのは遅まきながらバーナデッドが化粧室で着替えた後のことである。
さいごに、双眼鏡でアイラインがぐっちゃんぐっちゃんになった主演をつい見ちゃった後でそれでも残念な気持ちにならなかったのは
・チカラ入ってるなら少しチカラ抜こう。気負いすぎるな。そんなにみんな新入社員の一挙手一投足に注目してない。謙遜しすぎる必要もない
・雑用とか要返信みたいなメール対応とかは、考えずに最速で対応しろ。それだけで第一印象がかなり高まる
・自分自身の予定(会議とか提出物)は自分が管理しろ。先輩や上司は把握していないと理解しろ。上司との打合せが長引いていても次の会議相手はそんなこと把握してない。自分から次の予定があるのでまたあとで話しましょうといって退室しろ
・上司やら先輩社員が常に正しいと思うな。理解できない部分は明示的に確認しろ。思いのほか、本質的な部分をすっ飛ばしてる輩は多いぞ
・自分の価値観と異なる価値観で自分を値踏み(評価)する人間がいることを意識しよう。社内ルールの解釈違いとかに注意しろ。例えば新人のくせに権利を主張することをよく思わないアホが役持ちをやってたりする
・ゆるい運用でやってること、厳密にやらなきゃならないことをハッキリさせて、後者は間違えないように気をつけろ
・形骸化している社内ルールなど、上司先輩が守ってないからといって自分まで同じレベルに落ちる必要はない。新入社員こそ厳格にルールを守ろう。ちゃんとした人だって印象つけよう。周りの悪習慣にわざわざ染まるな
■生活
・社会のルールを守ったり、社会に貢献することが会社だけでなくあなた自身の価値を高める。逆は即信用を失う結果につながる。そんな責任を背負っている意識を持とう。簡単なところだと、ゴミ出しのルールとか信号を守ろう。電車やバスで席を譲ろう
・知らない土地に移り住む場合、なにげなく選んだ駅が新たな地元になって、なんだかんだ愛着が湧いたり、そこに生まれ育った伴侶が見つかってしまうかも知れない。思ったよりもずっと長く住むことになることが多い。子を望むなら今のうちから子育て環境も考慮して選ぶとよい。治安とか。
・部屋はやはり駅近が便利。バス便が充実しているところだと、バス停近くも便利。俺の場合は、不動産屋で信頼に足りる担当者を見つけてからは話が早かった。なんにしても時々いる有能なエージェントを見つけて頼るのは成功への近道
・学生時代から付き合ってる相手がいるなら1回目の賃貸の更新で同棲→結婚くらいの時間感覚。お金がカツカツでない場合の話ね。
よく安倍政権がナチスやヒトラーと一緒だという人間がいる。間違っていない。
例の排外主義は結局中東にイスラエルという国が復活する結果を引き起こしているし、実際目的がそうだった。
現実に起きている反ユダヤ感情が高まれば高まるほどイスラエルという国が助かるし、反朝鮮感情も結局は朝鮮を助けた。中国だってそう。
そして、これに学んでいる国がある。そう、この日本だ。
日本は移民受け入れ容認の原因を人口減少や労働コストの急騰などとしているが、それは表向きの理由である。本音は「民族国家日本の復活」である。
日本は2700年近く民族国家でありながら外国への移民者を輩出した。明治時代のブラジル・アメリカ移民などがいい例だ。ブラジルやアメリカに移住した日系人は独自のコミュニティを都市において形成したが、年々同化が進み、今では日本人としてのアイデンティティが失われつつある。
2010年代には世界各地でドナルド・トランプのような民族主義的な政治家が台頭し、日本も安倍政権になって以降国内の民族主義ムードが高まった。ムンジェイン政権下の韓国もそうだ。
ドナルド・トランプ政権によって得している地域はどこか?それは中東・東南アジアでありアフリカである。アメリカで迫害された人々は元いた国々に帰りその国の社会に溶け込み、アメリカで学んだノウハウをその国の社会に持ち込んで成功している。
日本は30年ぐらい低迷していて人口も減少し始めている。移民も必要だが、できれば日本人と同化しやすい移民がほしい。そこで白羽の矢が立ったのが全世界に370万人近くいるとされる日系人である。
日系人の中には政治家や大企業の重鎮などを経験した人もおり、それは低迷している日本が挽回するには喉から手の出るほど欲しい資源でもある。安倍政権にとっては反日ムードが世界的に高まっている今がチャンスであると思っているのだろう。
酒の量が1日ビール1リットルを突破してきてて「こいつはやべえな」と思った。
手が震えたり、仕事中に酒のんだりはしてない。でも退勤時になると頭に頭痛のような違和感が出てくる。なので酒を買う。そう、酒を買って飲むのだ。体調悪いのに酒を飲むのは依存症状だ。離脱症状で幻覚みるとかはないけど、それが我慢できないっぽい。まだ33で、致命的な事態には至ってない。酒で失敗をしたことはないし、記憶もなくさない。だけど、これが10年後、20年後になるとどうなってるか?YouTubeで依存症末期のひとの動画をみた。手の震えでコップがもてなくなってた。心底ゾッとした。
なのでこれまで何度も躊躇っては行かなかったアルコール外来を受診することにした。
まずは電話で予約をいれる。三週間後にきてくれという話になった。電話越しに簡単な問診を受ける。なぜ予約をいれたか、酒で記憶をなくすか、1日どのくらい飲むか、酒が原因の犯罪歴は、ドラッグの服用経験は…。最後の二つは何もないのでなしと答える。三週間後の平日午後に予約がとれた。
当日、仕事を一時離脱して病院へ行く。表通りからはわかりづらい診療所で、精神科と併設だった。そりゃそうだ、そういう分野である。受付を済ませると、初診の問診票を書くことになった。ここでも似たような感じのことを書く。精神科の受診経験(数年前に鬱)、アルコール依存症の点数チェック(3点か4点)、身体症状のある病気の有無(なし)、犯罪やドラッグ歴…。
おもしろかった?のは「家系図」を書けという項目。なんで家系図?素直に書くが、書いてるときに気づいた。俺、どちらの祖父も酒飲みだ。片方は暴力振るってそのまま絶縁。もう片方ものんべえだった。うーんこれは。
提出して10分後に診察室へ。先生の問診…ではない! その前に心理療法士?さんとのカウンセリングが待ってた。そこではもう少し深掘りした話をすることに。これまで聞かれたり質問されたことに「なぜ?」が要所要所で挟まり、根掘り葉掘りとはいかない範囲のちょっとした深掘りをされる。仕事がつまらないことや、飲むタイミングが一番高まるのは仕事終わりであること、過去の女性関係の話、ギャンブルやタバコの嗜好有無(ない)、帰ったら酒以外になにやるか(読書とゲームとネトフリ)。経済状況も聞かれたかな。
それが終わったあとに一時間診察待ち。一時間は長えだろ。精神科医大変だな。居眠りしたりFGOやったりしながら待つ。仕事一時離脱してきてたんだがここまでかかるとは思ってなかったんで午後休の連絡を会社にいれる。
診察の時間が回ってきたので診察室に入る。ふっくらした優しそうな男性だ。これまでと似たようなことを聞かれつつ、肝硬変までのステップの説明、会話でわかる範囲の想定される体質の話(顔が赤くなりにくいので多分アルコール分解要素の片方が少ないかも?みたいな)をされる。
印象的なのは「お酒をどうしたいですか?絶ちたい?コントロールしたい?」というもの。正直、辞めたくはない。会社の付き合いもあるし、あと酒飲む以外の場で会う頻度の少ない大事な友達がいて、酒断つとそいつと会いづらくなる。あまり素面で舌のまわるほうではないので、気まずくなるのがこわい。あと、おいしいお酒が飲めなくなるとそれはそれで人生の楽しみがなくなる。芳醇な香りと濃厚な味のデリリウムビール、ピートが強く香りの華やかなスコッチ、最近開拓したバーで出てきた薬香の強さと甘みの組み合わせが癖になるアブサン…。絶つとまではいかない。なので断酒はノーと答えた。「そっすか、じゃあその方向で」えっいいの?やめろよと言われるもんだと思ってた。拍子抜け。
その代わり、「コントロールを目指そう。ビール1日500ml、飲まない日を週に何日か」という感じでまず1ヶ月やってみようと言われた。記録紙を渡されて、「断酒ができた日、飲んだ日は飲酒量」を記録するように言われる。あわせて薬も処方された。抗不安薬。あっ断酒薬じゃない!飲むとアルコールで吐き気がするとか、飲酒欲求劇的におさえるとか、そういう薬期待してたんだけど。ちょいがっかりした。
「この薬飲んだらお酒飲んだらダメだよ、効果強くなるから」あっわかりました。でもそれアルコール外来に来た人に渡す薬としてオーケーなのか…?絶対飲むでしょ。それ見越して処方せん少な目に書いてるのかね。20分くらい話して、1か月後にまた来ることに。
今日は5日目くらい。初日は薬のむ前に帰りの一杯をやらかして3杯くらい飲んだが、翌日からは薬を飲んだら酒は飲まなくなった。抗不安薬の効果なのか。あと、これ「酒NGの薬渡されて我慢できるか」もみてるんだろうな。
昨日の朝はここ数ヵ月で一番スッキリした目覚め。頭のもやがすっかり晴れた感じだ。そう、酒飲まないと頭がスッキリするんだよ。忘れてたこの感覚。まあ酒飲んだらまた忘れるんだろうけど。
とりま、アルコール外来レポはこんな感じ。自分ではまだヤバイ段階にいるとは思ってないけど(問診過程の質問事項に闇を見た)、コントロールは完全にできてないので、行くのけっこう躊躇ったけど受診してみてよかったと思った。それに、やめなくていいからコントロールを目指せと言われたことで変な負い目が心の中から消えた。あと、会社の人間にアルコール外来行った話すると酒の無理強い減ったのでそれもよかった。
これ書いた理由は、「海外の芸能人ガンガン病気の話してるのいいよな、ああいう世界きてほしい」と思ったからです。山口達也はああなる前にアルコール外来に行くべきだったんだよ…。
みんなももっと気軽にアルコール外来に行くべき。気になるひとは行っとけ。
※追記:「アルコール外来高そう」というコメント見かけたので値段も書いておく。自分の場合は診察費2000円、薬3週間分で2000円。これが高いか安いかはわからん。
※追記2:この駄文見て行こうか考え始めてる人をちらほら見るのでもう少し補足。
ビール1リットルが「やばい」の根拠は、医学的に「健康に支障をきたさない1日の飲酒量」が20gだから。ビールだと500ml。それ以上毎日飲むと健康に影響が出る、と医学的にはされているらしい。そそれをオーバーしてるのは当然よくないし、何より「アルコール依存症かどうか」を酒飲みが冷静に判断できるわけがないのだから。まずは医者にみてもらった方が確実、と思った次第。
あと数ヶ月で渡米して一年になる
正直、もうこれ以上頑張ることが出来なくて、帰ろうっていう気持ちがある
表面上はうまく振る舞えているかもしれないが、心の奥深く底では、もうこの地にいるのがしんどくて、日本が恋しくて、日本で働くことが恋しい
思い返すと、最後の最後まで自分が渡米したいのかどうか迷っていたんだと思う
VISA面接の前日、無意識に半分わざと寝不足になるような一夜を過ごして、
面接時は面接官が何言ってるか全然わからなくて、半分蕩けた頭で返事をしていた
approvedって言われた瞬間に、approveされた安堵の気持ちと、
面接の後、その足で会社に向かう途中でよくわからなくなって半泣きだった
この会社は僕に渡米してほしいということを望んでいて、それは察知して
僕もその時はなんとなくチャレンジしたいなって思って「はい」って答えてた
面接日が近づくにつれ、正直半分後悔し始めていた
あと、渡米してからその時から色々状況は変わってて、正直それがしんどいと思う部分も多い
一方でもうここで少し頑張りたいって気持ちもある
渡米したい日本のソフトウェアエンジニアは山ほどいることを感覚的に知っている
その中で、運良く自分はそのチャンスを手に入れることが出来て、他の人達から見たら、今めちゃくちゃ幸せな環境で働いているんだと思う
ここであと数年踏ん張って頑張れば、自分の市場価値はめちゃくちゃ高まるだろうし
自分にとってもその後、仮に日本に帰ったとしても、更に難しい、自分の問題解決欲求を満たす問題にチャレンジできるんじゃないだろうかと思う
でも、キャリアも大事だけど、自分の生活が一番大事なんじゃないかなとも思う
自分の精神的な安定があって、その上に身体的な健康があって、その上にキャリアとかお金とかそういうのがあっていいと思う
キャリアを優先した結果、身体や心が壊れてしまったら元も子もないとは思う
僕は良くも悪くも、自分勝手な部分/自分がやりたいことと、逆に誰か/会社の望むことをちゃんとやるということのバランスがまだ上手く取れていない部分があって
会社って組織なので、組織の一部として組織全体がうまく回るように個を殺して動かなければならない部分があるのはわかってる
一方で、俺は俺の人生を死ぬまでちゃんと楽しみたいんだから、俺がやりたいことは全部やりたいし、やりたくないことは極力避けたいんだ、という感情もある
昔、インターネットでとあるものを作ってたのもあって、「一人で」なにかの作品を作って色んな人に見てもらうのは嬉しかった
自分に陶酔して自分のベストの作品を作り、それが評価されるから尚更嬉しかった
そもそも組織の人間としてコードを書き続けることはあんまり向いてないのかもしれないともこれを思い出す度に思う
この気持ちは贅沢な悩みでもある、それはわかってる
たとえばパキシルはこんな感じ
>18歳未満の青少年を対象にした追跡調査が、少なくとも3件行われていたにもかかわらず、1つしか論文として公表されておらず、しかもその内容に捏造が行われていたと、司法当局によって断定されました。
極めつけは、この薬の効果が、プラセボ(偽薬)より劣っていることを示すデータが隠蔽されていたという事実です。つまり、この薬はうつ病の症状をむしろ悪化させてしまうものだったのです。しばらくして米国の政府機関FDA(米国食品医薬品局)も、ようやく重い腰をあげ、製薬企業に対して「18歳以下の青少年に使用すると自殺のリスクが高まる」という一文を添付文章に加えるよう指示
おっぱぶでの経験から、自分の期待とおっぱいの関係について記しておこう。
おっぱぶに行こうとするときは、男性なら大抵おっぱいに関心があり、期待で胸を膨らませているだろう。人によっては息子も。
そうしておっぱぶに行く。指名あるいはフリーで入り女の子が登場する。この瞬間に、この後の40分のやる気のなさが決まったり金返せと言いたくなる場合もあるが、そうした不運を除くと、更に一段階胸や息子が膨らんでいるだろう。
その後女の子との会話でますます高まる期待を感じつつ、いよいよおっぱいが目の前に現れる。明るい空間であろうが、暗がりのサービスタイムであろうがこれは必ずだ。
おっぱいは自分が待ち望んでいた対象物だ。おっぱぶで8千円払おうと思えるのはその空間や酒や女性とのコミュニケーションに価値を感じるからではない。そこでしか経験できないもの、つまり揉めるおっぱいの視界への出現に価値を感じるからである。(もっとも社会からおっぱいには価値があると思わされているのがその理由かもしれない)
そのため、客観的には、対象物を見た瞬間素晴らしい感情になることが予想できる。満足度をy軸においたグラフで、そこまで順調に一次関数的に右肩上がりを続けてきた半直線が、指数関数的に一気に傾きが大きくなり垂直線に近づくかのように。それが8千円の目的だと外野からは思えるからだ。そして本人がある程度客観性を備えているなら、本人もそう思うだろう。
ところがそうはいかないのだ。おっばいを実際に見る。すると、そこで例の半直線の傾きはゼロになってしまう。目的は実は見ることだけなのだ。その後、こんなはずじゃないと、再び満足しようと、おっぱいに手を伸ばし揉んだところでもうあの頃の期待の大きさは戻らない。理不尽で悲しい。
なぜこんなことを書いたかというと、今、懲りずにおっぱいに過剰な期待を持ってしまったことが分かったからだ。
思うに射精も同じだろう。この現象に、結婚は墓場だと言われている現状も併せて鑑みると、男性の性欲は理不尽をもたらしがちだと思う。
“世界を博愛と寛容で包むラブのマインドを伝播するライブ”のように俺は捉えている。
世間的な感覚では、ラブ=セックス、と捉えて「ラブライブ」の単語をいかがわしい響きと感じがちなのはよく分かる。
もし「ライブする少女たちはセックスシンボルではないか」と問われれば、「その側面は間違いなくある」としか言えない。
だが、この作品はそれをネガティブに描かない。そこに意義がある。
素直に、真っ向から、自分たちが女性であること、少女であること、若者であること、地域や学校に属する人間であること、そして成長する人間であることを全身で表現し、ライブで伝えるのだ。
そうした姿が不健全に映らないのは、世界観がそう設定されているからというのもあるが、
パフォーマンスをするキャラクター、そして演者が、純粋であることを恥じない強い精神を持っている/持っていく動線が描かれているからだ。
結果として、観る者は作品の独特の世界観に没入するほど、世俗的で動物的な「ラブ」ではなく、より高次元の「ラブ」への感度が高まっていく。
友愛、親愛、対立する者への愛、家族愛、級友や地元の人々への愛、郷土愛、自然や動物への愛、都会への愛(受容)、先達への敬愛、全国のアイ活する同志への愛。
これほど全方位に「ひねくれていない」生き方ができるのは現実の我々からすると眩しいが、作品によって感度が高められるとそれを肯定したくなるのだ。
本稿では、現在の「ファン/オタク」が「関係性消費」を志向するようになってきているという事象を踏まえ、その内部の「男オタク」と「女オタク」のジェンダー格差や、関係性消費の今後について多角的な視点から分析を試みる。なお、本稿においての「オタク」は、二次元三次元を問わずある作品・概念・グループなどを愛好すると自認している人々のことを指すポジティブな言葉として用いる。拡散し多様化するオタク文化は2次元と3次元の壁を超え、全体像を画一的に語るのはほぼ不可能なため、ジャンルやジェンダーに関する詳細については各部で詳細を補完したい。
「日常系」は広大なオタク市場の中でもかなりの割合を占める作品群だ。基本的には複数の女性キャラの日常生活を描写した4コマ漫画が多く、それを原作としたアニメは2010年代以降各クールに2~3本は放映されている。基本的にドラマティックで壮大な展開や激しい戦闘を行わない、いわば反「セカイ系」カルチャーともいえるだろう。源流としては美水かがみ「らき☆すた」(2004)や、なもり「ゆるゆり」(2008)などが代表的なものとして挙げられるだろう。00年代初頭から現代まで増加傾向にある「日常系」は、現在も各メディアで売れ続けている。この背景には、やはり弛緩した日常風景の一瞬・ごく短いセリフや1コマのシーンの行間を読む関係性消費への志向への高まりが一因であると思われる。日常系の「物語性のなさ」は、逆に巨大な「行間」を生み出し、そこにオタクが各々関係性や物語を想像して消費することができるからなのではないだろうか。
関係性消費について、2,5次元舞台での「リアリティの担保に参加しつつ、舞台裏も消費するファン」や、「タカラジェンヌの四層構造」(東 2015:96-98)*1 で取り上げられた「各レイヤーを横断し、その要素を複雑に融合させながら関係性を消費するファン」は非常に興味深い。これに似た位相にあるコンテンツに、「バーチャルYouTuber」が存在する。「バーチャルYouTuber」とは、2D/3Dの二次元的アバターを現実の肉体の動きとシンクロ(トラッキング)させ、そのキャラとしてゲーム実況や雑談配信などを行う人々の事を指す。そもそも「YouTuber」の動画には前提とされる物語や世界観はなく、その動画単体でも楽しめることが前提とされており、多くのバーチャルYouTuberも同じく、上記の「日常系」にも通ずる他愛もない放送を行っている。しかしここにおいて重要なのは、「日常系」を「実在の人物が演じる」ことがコンテンツとして確立し、今流行していることである。難波優輝は「Vtuberの鑑賞の構成要素は、パーソン、ペルソナ、キャラクタという三つの身体に分けられる。そして、ペルソナとキャラクタ画像がつねに重ね合わせられ、かつ、パーソン/キャラクタとペルソナの層がそのつど関係づけられながら、装われるペルソナが鑑賞者の鑑賞の対象になっている」(難波 18:121)*2 と論じ、これを「Vtuberの三層構造」と名付けている。
そしてバーチャルYouTuberは、電子の肉体によって軽々と他のバーチャルYouTuberとの関係性を構築する。コラボ放送などでみられる仲睦まじい様子を、鑑賞者は「Vtuberの三層構造」を横断し、「彼/彼女らのパーソンのレイヤーでの関係性」が見え隠れする片鱗をSNSや動画において意識しながら鑑賞しているのである。また、バーチャルYouTuber側も当然「パーソンを消費される」ことに対する意識を持っているため、現実世界でパーソン同士が実際に会い、その時食べた飲食物の画像を投稿する、それに対して「パーソン・レイヤーにおいても継続される強い関係性」を読み取れるようになる、といった事象もあった。これはまさにタカラジェンヌの四層構造における「芸名の存在」におけるパフォーマンスと相似であり、その表象が3DCGやVR機器の発達によりさらに「オタク」向けに変化(美少女・美少年だけに限らず多様化)したものではないだろうか。「日常系」と「関係性消費」の拡張であり、またジェンダーと次元の攪乱への大きな手掛かりとなるムーブメントだと考えられる。
つまり、「実在の人物が裏に存在するという事実に裏打ちされた生々しい日常系・関係性」が、液晶内のキャラクタバターと動画配信という形態の手軽さにより、オタクの関係性消費への志向は次元を超えてさらに加速していくと予想できる。
・関係性消費における性別によるジャンル分け(女性向け/男性向け)の無意味さ
前章で関係性消費への志向がさらに高まると予想したが、本章ではオタクのジェンダー格差について女性向けジャンル・男性向けジャンルという分類の持つ意味合いやその内部の消費形態に差異があるのだろうか。
もちろんHL(異性愛)文化を扱う少女マンガ・少年マンガにおいても恋愛・友情・ライバルなどの相関図は存在するが、メインとなるカップル男女の恋愛関係がメインに据えられることが多い。一方BL/GL文化ではそれ以外の登場人物の関係性をより深く読み込み二次創作に落とし込む、あるいは理想の相関図を一次創作で描き出す。今後どんどん規模を増していくであろう関係性消費においては、性別によるジャンル分け(女性向け/男性向け)は無意味になっていくのではないだろうか。しかしここではあえて、わざわざラベリングされている「腐女子」と「百合男子」という言葉の意味合いについて掘り下げ、BL/GL(同性愛)ファンの文化それぞれの特徴から考察してみたい。
女性オタクの人文学/社会学的研究に関しては、特に「腐女子論」か「ジェンダー論」による先行研究が数多くある。その中でも数多く散見されるのは、「主体的な女性の性的欲望の解放」といった視座からの言説であった。特に「腐女子論」と「ジェンダー論」を組み合わせた言説では、「自らの女性身体が侵されない安全な領域において、性的な表象を消費するためにやおい文化は発達した」といったものも存在する。しかし、現在においてこれらの言説に私は違和感を感じる。勿論そういった側面も確かに存在する(した)と思うが、現在の日本の混沌としたオタクカルチャーの中で女性オタクの中から腐女子だけを切り取って上記のように論じるのは既にごく限られた一部の事例においてしか適用されない理論であるように思う。
今あえて「腐女子」を論ずるならば、私は「腐女子同士の関係性」に目を向けたい。腐女子であることによる世間からのマイナスイメージを払拭しようとしたり、イベントやSNSでの趣味やスラングの共有による特殊な連帯が、このコミュニティでは無数に形成されている。やおいコミュニティの特殊性について東は、「やおいを好む女性たちは、一様に異性愛から疎外されているわけでも、異性愛を拒絶しているわけでも、異性愛を欲しているわけでもない。彼女たちはただ、異性愛を排除したところで成り立つ、女同士のホモソーシャルな絆がもたらす快楽を求めているのである。」(東 2015:236)と述べている。さらに、腐女子は扱う創作物の特性上セクシャルマイノリティに対する理解が深く、またホモソーシャルな絆から発展し、腐女子同士が交際していることなどもよく小耳に挟む。シスターフッドやレズビアン連続体、ホモソーシャルな関係性を含んだ腐女子コミュニティは、作品上においても現実世界においても強い「関係性」を追い求めている集団なのではないだろうか。
では次に、GLを愛好する男性オタクについて考察してみたい。残念ながら、男性オタクの先行研究は数多くとも、その内容は美少女キャラクタへの欲望やコミケでのゆるやかなホモソーシャルな交流などになり、「百合男子」単体にスポットライトを当てたものは見つけられなかった。なぜなら、GLというコンテンツは受け手のジェンダーによって大きくその意味合いが変化してしまう場合があるからである。そして男性のGL愛好者は、「美少女キャラクタへの性的な消費」という使い古された言説の中に含まれ見えなかった存在であり、その消費の仕方は齊藤によって「腐女子との比較でいえば、男性おたくの『萌え』にとっては、関係性のプライオリティはそれほど高くない」(齊藤 2009:154)*3 と評されていたのだ。よって、ネット上でGLを愛好するファンは「百合厨」「百合豚」などと呼称され、その性別は限定されていない。これはGLというジャンルを男性だけが消費することに対することが上記の齊藤の言説のような文脈を帯びてしまうことに対する対策と、実際にファンの男女比がほぼ半々であるため、両方の理由によるものと思われる。逆説的に考えれば、「腐女子」という呼称が流行ったのはBLというジャンルを女性が消費することを蔑視されることに対するアンチテーゼとして、BLファン当事者たちが自らをそう名乗ったことに起原するのではないかとも考えられる。
また、百合厨コミュニティにおける異性愛忌避の姿勢は、腐女子コミュニティのそれに比べてはるかに厳格なものに感じられる。先に述べた「男性による女性キャラクタの性的消費」とは違うことを宣言するために「百合男子/厨」を名乗った男性オタクたちは、腐女子のようにホモソーシャルな絆を構築することはなく、二次元三次元を問わずして異性愛的な欲望を抑圧されるようになった。この構造は腐女子のジェンダー論に見られた主体的な性消費の解放とは真逆の道を辿っており、非常に面白い点だと思っている。
こうして述べてきたように、同性愛コンテンツのファンの構造は非常に複雑で特殊なルールの基に成立している。しかし、上記の性的欲望を抑圧される百合男子に関しては、百合というジャンルの男女比がほぼ同じであることに大きく由来するだろう。つまり、「同性愛コンテンツを扱うにあたり、そのファンは異性愛を忌避しなければいけない」といった暗黙の了解のようなものがオタクの中で存在しているということである。これに関しては、創作物と消費者のセクシャリティは隔絶して考えるべきであるという立場をとりたい。そして、特殊な連帯がプラスにもマイナスにもなり得るBLファン界隈と、ジェンダー問題に揺れるGLファン界隈は、第一章で述べたバーチャルYouTuberの関係性消費をモデルとして再構築されつつあると考えている。バーチャルYouTuberの関係性消費は、非常に複雑なジェンダー攪乱が日常的に行われている。パーソンがシス男性、ペルソナがシス女性、キャラクタがシス女性のキャラ同士の「絡み」は、GLともBLともタグ付けをすることが難しい議論になってくる。しかし、その関係性に惹かれるファンはキャラクタとパーソンのジェンダーを軽々と越境し、その複雑な「関係性」を消費することができるようになるのである。これに似た現象はアニメ・漫画においても進んできており、創作物と受け手のジェンダーが必要以上にファンを語るうえで関係づけられることも少なくなっていくのではないだろうか。
【続きと参考文献リスト】