はてなキーワード: 雑居ビルとは
包茎手術を受けたのは5年前。
まだ俺が大学生だった時だ。
大学生とはいってもまだ多感な時期、大っぴらにすることでもないが、
なんとなく「包茎は嫌だなあ」くらいの認識として持っていた。(今思えば高須院長の策略にハマっていた)
かといって具体的に手術をしようとは考えていなかったが。
これだ!早速問診の予約を済ませる。
後日向かったのは、大阪市内の某雑居ビルに拠点を置く「A美容外科」。
受付を済ませると、にこやかなガタイのいい白衣の男性(以下ガタイ)との問診がスタート。
最初に説明漏れが無いように、とガタイはボイスレコーダーをセットし机に置いた。
ガタイは話が上手で、緊張している自分を和ませようとしているんだな、と感じた。
アンケート用紙・問診票に一通り記入し、予定している手術の内容を聞くと、次に通されたのは診察室だった。
ガタイが「ここからは医師の○○(細身)に任せますね」と言った。
お前は医者じゃねーのかよ!この辺から緊張と不安が高まってくる。
今更帰るとも言えないので、パンツを下ろしチンコをさらけ出す。
ベッドの上に寝転がり、スプレー式の麻酔をかけられ、あっという間にチンコの感覚が無くなった。
ガタイと細身で触っているらしいが、何をされているのか全く分からない。
細身「うわーこれはひどいな……」
ガタイ「そうっすね、これは通常手術じゃ無理かもっすね……」
どうやら俺のチンコに恐れ慄いているらしい。
でも俺自身は何も考えられず、二人の言葉に戦々恐々しているだけ。
ガタイ「今一通り患部の状態見せてもらいましたけど、聞こえたと思いますが状態としてはだいぶひどいです」
もう恐ろしくてただただ彼の言葉に弱々しく「ハイ……」と答えるだけ。
ガタイ「あとは先端にヒアルロン酸注入しますね~これが1本5万円」
「今回はヒアルロン酸6本入れないとまたすぐに包茎に戻っちゃうので、いいですねー?」
俺「ハイ」
そのあともなんやらオプションを大量に追加され、終わってみれば総額120万円程の大手術と化していた。
問診終了後、ガタイは「ローン組めば一か月1万数千円の支払いで済みますよ。期間は……10年位ですかね」
そんなもん払えるわけがない!
ようやく我に返った俺は適当な相槌を打ちながら、クリニックを後にした。
初診の費用は5000円だったと思う。
いろいろ調べた結果、ちょっと遠くの某市民病院の泌尿器科で包茎手術を行っていると知った。
そこの泌尿器科の先生には、「カントン包茎だから保険適用でだいたい7~8000円程度です」
との診察が下った。
こっちはこっちで不安になり、泌尿器科の先生に美容クリニックでの出来事を話した。
すると、「ああいうクリニックは半分詐欺みたいなもん」「アホみたいにオプション追加して法外な値段を請求する」
「見た目重視とか言ってるけど、ほんとにそれだけ。終わったところで機能面の違いなんかない」
との厳しいご意見。
結局その市民病院で手術を受けることになり、おばちゃん看護師にチンコをみられたり、
術後2週間は患部が腫れ上がったりして大変だったが、結果的にアホみたいなローンを組まなくてよかったと思う。
長々と駄文を書き連ねたが、何が言いたいのかというと
どういうタイミングで加入するんだろう。
ある日ポストに謎の招待状が入ってて
ジメジメした階段を降りた先にドアがあるんだけど
ドアにある小窓に招待状を差し込むと
ギィってドアが開くのよね。
中は明るくて色んな人がグラスを片手に話をしてるんだけど
男の人は黒い皮のメガネみたいなやつ、女の人は羽根がフワフワしたメガネみたいなのをしてるわけ。
自分も渡されたやつをして所在なさげにお酒飲んだり愛想笑いしてるんだけど
燕尾服をきた太っちょのおじさんが、バニーガールとステージにあらわれて
筋肉お化けみたいな二人組に無理やり引きずり出された僕のシャツを剥ぎ取って
右の肩甲骨に焼き印を押してきて激痛と
肉の焼ける匂いに頭がくらくらしてる僕の目の前に
銀のお盆の上にのった何かを渡してくれたんだけど、あまりの痛さにそこで意識がなくなっちゃたのよね。
次に気がついた時は自分のベットで普通にパジャマを着て寝ていたんだけど
財布を開けてふと見ると、そこにゴールドカードが入っていて
あぁ昨日のことは現実だったのか
って僕は思ったのでした。
「身勝手」「償ってほしかった」容疑者死亡に憤りと無念 大阪ビル放火
https://news.yahoo.co.jp/articles/2be5486abd227edbac0fe9f11f16e7bf25230879
大阪市北区の雑居ビルに入るクリニックで男女25人が死亡した放火殺人事件で、意識不明が続いていた谷本盛雄容疑者(61)が30日死亡した。
事件発生から13日。犠牲者の知人やクリニックに通っていた患者からは「あまりに身勝手だ」などと容疑者への憤りと共に、動機など真相究明が遠のいたことへの無念の声が広がった。
こういう反応を見るとジャップの野蛮な死刑制度の犠牲にならなくて本当に良かったと思う。
どうか天国でもお元気で。
きっかけはソープではじめは立つんだけど前戯中にフニャフニャになってしまい入れることが出来なかった為
個人輸入も考えたけど大半が偽物だって言うニュースを見たのでやっぱり国内の病院にいくことにする
病院によって診察料がかかったり薬の値段が違うって事
初診料+診察料が無料でバイアグラ1錠1500円の病院にいくことに決めた
予約不要ってことで病院に到着、雑居ビルのなかに受付と診察室があるのみだった
バイアグラが欲しいって事を受付の男の人に伝えると問診票を渡させた
名前と区までの住所と簡単な問診だった、バイアグラは保険がきかないので保険証の提示も不要
こんなもんでいいのか
医師との問診では貴方の一番堅いときの堅さはどれくらいですか?
とスポンジの棒をさして聞かれた
4本スポンジが並んでいて1.フニャフニャ、2.やわらか、3.堅い、4.カチカチって感じ
自分は3と回答、3なら挿入には問題ないですねと言われた、2の人はどうなるんだろう
バイアグラ、シアリス、レビトラの3種類から選ぶように言われた
バイアグラは知名度はあるけど最初の薬なのでデメリットが多いらしい、
そういわれると別なものを選んでしまう、シアリスとレビトラの違いは持続時間の違いらしい
彼女が居て一晩中Hするぜって言う人にはシアリスが向いているみたい
レビトラにも5mg、10mg、20mgとあってそれぞれ1200円、1500円、2000円
効き目の長さが違うらしい、とりあえずはじめなので5mgでもいいかなと思ったけど、
10mgを割れば5mgだよねって思うと10mgが一番お得な感じがしたので10mg
後は受付でお金を払えば薬をその場で貰える
一般の病院みたいに処方箋を持って薬局まで行かなくて済むのはありがいたい
もらったはいいけどお気に入りの子が出勤していないのですぐには使う予定は無し
ちゃんと立って持続してくれればいいんだけどね
叩かれそうだけど公私ともに雑居ビルへ出入りすることが多いので純粋に知りたい。
ホテルに泊まる時はドア裏に貼ってる避難経路は必ず歩いていって確認するし、最悪飛び降りを想定して可能な限り低層階を予約して窓の開閉も確認してるが街の雑居ビルはこちらの都合で選べないのでどうにもならん。
一応、廊下を歩くときには見渡して通路誘導灯または避難口誘導灯を確認してはいるが未だにゴミや荷物を山積みにしているとか施錠されているとかがありそうなんだよな。床を這いつくばるようにして避難口へ駆け込むしかないのか?
おいこれテロだろ
犯人ぜったい捕まえろ
17日午前、大阪・北区の繁華街のビルで起きた火災で、消防によりますと28人がけがをし、このうち27人が心肺停止となっているということです。
大阪府警察本部は現場の状況などから放火の疑いがあるとみて捜査を始めました。
17日午前10時20分ごろ、大阪・北区の曽根崎新地で「ビルの4階が燃えている」と複数の人から消防に通報がありました。
消防車70台が出て消火活動にあたり、およそ30分後の午前10時46分に火はほぼ消し止められました。
消防によりますと28人がけがし、男性が17人、女性が11人だということです。
このうち27人が心肺停止となっているということです。
この火災について大阪府警察本部は現場の状況などから放火の疑いがあるとみて捜査を始めました。
現場は、8階建てのビルの4階部分で、20平方メートルが焼けたということです。
JR北新地駅からほど近い、ビルや飲食店が建ち並ぶ繁華街の一角です。
捜査関係者によりますと、出火当時、火災が起きた現場では紙袋を持った60歳くらいの男性がいて、紙袋のなかから流れ出た液体の付近から火が出たという目撃情報があるということです。
大阪府警察本部は放火の疑いもあるとして男性がけが人のなかにいるかどうか確認を進めるとともに、付近に緊急配備を敷いて捜査を進めています。
大阪・北区、北新地の火事の現場では、大勢の消防隊員が慌ただしく活動しています。
こちらからは、ビルの4階部分が激しく焼けた様子が確認できます。
消防隊員がけがをした人たちをストレッチャーに乗せて次々と搬送していく様子が確認できました。
現場のビルはJR北新地にほど近い人通りや車の通りも多い道路に面していて、現場は騒然として状態になっています。
付近では多くの人たちが立ち止まり、心配そうに現場の様子を見ています。
消防によりますとこれまでに28人がけがをし、このうち27人が心肺停止となっているということです。
大阪府済生会中津病院によりますと、けがをした人たちの一部が搬送されてきたということです。
また、大阪警察病院によりますと、中津病院から2人が転院してきたということです。
このほか、大阪医療センターにもけがをした人が搬送されたということです。
火事のあったビルはJR北新地駅の南側に位置する地上8階建ての雑居ビルで、火が出た4階はクリニックが入っていて、1階には衣料品店が入っているほか、英会話スクールやエステサロンなどがあります。
大阪・北区の火災があったビルの4階には、心療内科と精神科、それに内科の患者を診察するクリニックが入っています。
クリニックのホームページによりますと、17日は午前10時から診療時間となっていました。
火災のメカニズムに詳しい東京理科大学の関澤愛教授は「たいへん衝撃的な火災だ。新宿・歌舞伎町での44人が亡くなったビル火災から20年となるが、それ以来多くの人が犠牲となるようなビル火災は起きていない」と述べました。
その上で「火災の詳細がわからないのでまだはっきりしたことは言えないが、いわゆる小規模な雑居ビルの場合、避難階段が1つしかないこともあり、避難階段の途中に物があったり、出口の付近で火災が起きたりすると、逃げ場が無くなり、火と煙にまかれてしまう可能性も考えられる。どういう状況だったのか調査も必要だ」と話していました。
繁華街のビルなど、人が多く集まる場所で多数の死者が出た火災は、これまでにも起きています。
2001年には東京・新宿区の歌舞伎町で雑居ビルから火が出て飲食店などが焼け、客や従業員など合わせて44人が死亡しました。
この火災では、避難経路となっていた階段に物が置かれているなど悪質な違反が放置されていたことが被害の拡大につながりました。
「みんなが見てる前でオナニーしろよ」なら、恥ずかしくなくできる(別の恥ずかしさはあるが)。
自分の部屋でオナニーしてるのを外から見られるのも、まあ大丈夫。だって見るほうが悪いから。
だけと中2の私は、病院の待合の時に、雑居ビルのトイレの個室でオナニーして、
夏休みの暑い土曜日の昼下がり。母親と一緒に通院してたんだけど、
トイレでおしっこをして、そのビルは少し寂れてて、フロアも「しーん」としてて、
立って壁にもたれて、股を大胆に開き気味でオナニーをした。
まだイクことは知らなかったけど、あそこは濡れるし、気持ち良かった。
服をたくし上げて胸を出して、自分で揉んだり。
それでもっとエッチな気分になった。背徳感。中2でこんなことして自分だけ変態。
ふと不安で目を開けたら、誰かの頭が下に降りてくのが見えた。
今考えれば、オナニーしてるより覗いてるほうが大きな問題だし。
それを不意に覗かれてるのわかって恥ずかしいこの気持、なんなんだろう。
うんちしてるのなら「トイレはうんちするところじゃん!」って言い返せるのに。
他に恥ずかしかったのは、友達と温泉に旅行に行って、外でおしっこしたくなって、
「誰も居ないししちゃう?」ってなったとき、私は立ってしたんだけど、
恥ずかしくてすぐにしゃがみたかったけど、「シャワーしながら立ってしない?」と言い訳。
「私はお風呂でするとしてもしゃがんでるけどね」。それもどうかと思うが。
友達は拭かずにそのままパンツを履いた。じんわり湿ってるだろう。
私は最後の勢いが無くなったのが、降ろしたパンツとズボンに引っかかり、
太ももにも伝った。旅館に帰ってお風呂に入るのだし、と黙ってパンツを履いた。
恥ずかしい気持ちって、いったいどうゆうことなんだろう。ぼく、わからない。
ヘッドホンしてノリノリで歌を歌ってるときに、家に居ないはずの父親が居て、
「何歌っとるだ」と言われた時も、恥ずかしかったの思い出した。
なぞなぞだよ!
愛工大名電、アイアン・メイデン、ブライアン・メイ、メグ・ライアン
この中でとなりのトトロのサツキにメイのバカ!って言われてないのはキャッシー中島さーんだ。
ランチか何かしないって誘ったら、
いいよと言うので
この際だから今私が一所懸命集めて交換したいパンの白いお皿を地で行く餃子のお皿を交換すべく、
そんで加勢してもらおうって魂胆よ。
ちょっと話し変わるけど、
「魂胆」って英語で言うと読みが似ていて綴りKongTangってなるの。
でね、
そこの餃子屋さんは2つで1人前なので
凄く食べてる感が出るけど
実際は個数にするとそうでもないのよね。
100人前食べてもな、
もはやイナバ物置のレヴェルよね。
そんで、
エレベーターのドアの扉が開いたら目の前がすぐもう店内で横にはレジとか、
そんで、
どんどん近づいていくうちに
小さい音の餃子が焼けるじゅーじゅーって音がだんだんと大きくなっていって
到着して扉のドアが開いた瞬間
じゃんじゃんもうじゅーじゅーって焼ける音がけたたましいのよ。
なんかクラブみたいじゃない?
そのサウンドが。
細かく刻まれた美味しい具材に包まれた餃子を食べるテンションを爆上げさせるの。
そんでね、
途中味変味変戻り味変戻り返しと
いろいろな技を決められるように、
自由自在なタレで餃子ビートを刻みながら舌鼓も打てるわけなの。
私の選抜メンバーは
なかなかヴァリエーションに富んで飛びまくっているでしょ?
もうみんなで100人前は食べてるよ!なんつって止められちゃったけど、
ちなみに
ちまちまとここでは何人前とか言わなくて
それぞれ8人前16人前の餃子がやって来るの。
でもこれだけ食べても
餃子の白いお皿までの道のりはまだまだ長くて、
これ本当にスタンプ全部押せるのかしら?って思うぐらいよ。
結局はみんななんだかんだ言ってペロッと食べちゃうのよ。
ここのお店の通の常連さんは
私はその注文の仕方を1度見たんだけど
エイトフォーって言う頼み方でも32人前来て、
なんかカッコいい注文の仕方じゃない?って。
私も真似して、
8分の5で!って頼んでも、
この注文の仕方はスベりまくるわ。
今度から気を付けないと、
私もエイトフォーって言いたいのよ。
そう言う年頃でもあるし、
このお店に来たらまず歳の数だけ餃子を食べるってことになってるから、
初来店で来た人はビックリするみたいよ。
英語で複数形にならないシープとかフィッシュとかペーパーとかサーモンとかあるじゃない。
よく分からないけどふーんて感じよね。
で話戻すけど、
トップクラスだと累計100万人前ぐらい食べてる人がいたりなんかしてるから、
このランキングってもう私なんかのクラスの餃子好きでも到底ランクインなんて無理だわ。
無理すぎる前人未到の記録よ。
帰りのエレベーターの中で3人で
今日の餃子美味しかったね!ってヒーローインタビューに答えるのよ。
あまりに長くお店にいると髪の毛が餃子臭あぶらの香りが染みてしまうから、
それはそれで困ったり困らなかったりって話しよ。
以上そんな
うふふ。
これも飽きないわよね自分で言うけど
あんまり新商品ニューカマーなサンドイッチもないのも一つの原因ね。
横文字にするとカッコよく聞こえるわよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
中野区中央は狭い敷地に同じような家が同じように建ち、みっしりと並んだ区画が続く。歩いているうちに自分がどこへ向かっているのかわからなくなる。東京の住宅地はそんなものだといえばそうだが、中央と名乗るからには、もうすこし街らしい華やかさがあってもよさそうなものではないか? 中野区中央は、その種のにぎわいとは無縁な場所だった。
べつに好き好んで中央まで歩いて来たわけではない。職場の寺元さんがこの1週間ほど出勤せず、連絡もとれない。社長に渡された住所のメモと住宅地図のコピーを頼りに寺元さんの居所を探し、様子を探るよう、依頼を受けて来た。他に社員は私しかいなかったからそうなったわけだ。
ファート商会という会社が私たちの職場だった。本社は中野にあり、放屁の気体用保存容器を製造販売している。このシリンダー状の容器に放屁を閉じこめておくと、どれほど時間が経っても、栓を開けさえすれば、気体が肛門を通って出てきた瞬間のフレッシュな臭気を嗅ぐことができる。このような器具にどれほどの需要があるものかと、最初私は半信半疑だった。が、細々と着実に注文が入り、会社は今まで生き延びてきた。
中野では誰もがその日を生き延びるのに精一杯だった。いちど中野駅で電車が止まれば、もう中野を出て行くことはできなかったからだ。
もう何年も前の話だ。夕方、私は仕事を終えて秋葉原から総武線に乗り、荻窪のアパートへ帰ろうとしていた。電車は中野で停まり、ドアが開いた。もともと中野での停車時間は不自然に長かった。新たに乗り込んでくる人はおらず、車内に放置された乗客は、列車が再び動き出すまで忍耐強く黙っているのが常だった。だがその日の停車時間は長すぎた。15分を過ぎた頃から、いらいらと外の様子をうかがったり、ホームへ降りたりする乗客が出はじめた。それでも列車は動く気配がなかった。30分が経過した頃、当駅で列車は運行を終了する旨のアナウンスが流れ、乗客は全員が外に出された。それ以来、私たちは中野で暮らしている。
中野は孤絶している。東京の他の区からも、日本の他の地域からも隔離されたままだ。新宿よりも西に向かう列車を選択的にブロックするよう、政府からJR東日本へ命令があったとかいう噂だ。感染症の拡散を防ぎ、テレワークの普及を急ぐためらしかった。通勤を控えるようにこれまでさんざん忠告したのだから、都心へ通勤した輩はもう帰宅させなくてもよろしいというわけだ。だが噂は噂で、なぜ中野以西への鉄道運行が突然終了したのか、本当のことを知る人はいない。少なくとも中野にはいないと思う。
中野で足止めされたら、人生を中野でやり直すしかなかった(生き続けていくのであれば)。テレワークをしていなかった乗客は一瞬で路頭に迷った。中野で住みかを見つけ、仕事を見つけ、生活の糧を得ていくしかなかった。
練馬、杉並、新宿と中野の境界には有刺鉄線を張ったバリケードが設置され、高いコンクリート壁の建設が始まっていた。20式小銃を抱えた警備隊が昼も夜もバリケードの前を行き来していた。こうした措置に抗議したり、やけを起こしたりして境界へ突入する人はときどきいたが、その場で「管理」され、戻ってくることはなかった。「管理」されたくなければ、望んで降りたわけでもない中野で生きていく他はなかった。
ファート商会は、中野へ流れ着いた人間で始めた会社だった。偶然に同じ場所に居合わせた三人、空き家になっていた蔦だらけの木造家屋を見つけて寝泊まりしていた三人だった。私たちは手持ちの金を出し合って米を炊き、駅前の広場で獲った鳩を焼いて共同生活を送った。放屁を保存するシリンダー型容器というアイディアを出したのは、社長の鬼澤さんだった。本人の話では、食品の品質検査に使う精密機器の会社に勤めていたそうで、その方面の知識は豊富だった。最初は中国から大量に取り寄せたシリンダーを小箱に詰め替えて転売していた(中野から移動はできなかったが郵便物は届いた)。仕入元と取引を重ねるうちに、小ロットでも自社ロゴマーク入りの製品を作ってもらえるようになった。
その頃には空き家の相続人を名乗る人物から弁護士経由で文書が届いて、私たちは追い出された(急激な人口増加のため中野の地価は上がったらしい)。駅近くの雑居ビルにたまたま空きがあったのでそこに移り、事務所で共同生活をしながら放屁の保存容器を日本中に送り続けた。事務所とは名ばかりで、中国から届いた段ボール箱が積み重なる室内には洗濯物が下がり、夕食の豚肉を焼くにおいが漂っていた。
三人がそれぞれに部屋を借りて事務所から引越したのは、それからさらに一年ほど経ってからだ。そうするだけの資金がようやくできた、そろそろ仕事とプライベートを分けたい、当面は中野から出られる見込みがなさそうだ、といった思惑や妥協が交差した結果、私たちはそろって職住同一から職住近接の体制へ移行したのだった。
鬼澤さんに渡された地図のコピーを見ても、寺元さんの住みかはさっぱりわからない。どの角を曲がっても同じような家並みばかりで、ときおり家の塀に貼ってある番地表示板だけが現在地を知る手がかりだった。ひと昔前までは、スマートフォンで地図アプリを見れば迷わずにいろいろなところへ行けた。中野に閉じこめられてから、その類のアプリはなぜかいっさい起動しなくなった。だから中野で住宅地図は貴重品になっていた。
何度も同じ所を行ったり来たりして、ようやく見つけた寺元さんの居宅は、路地の奥にあった。旗竿地というのか、家と家の間を通って行くと不意に現れる隙間がある。そこへはまりこむようにして古アパートが建っていた。鉄柵にかかるプラ板に、かすれた文字で「シャトーひまわり」と書いてある。柵のペンキはささくれ立った指の皮のように、いたるところから剥けて、露出した地金から赤錆が吹き出していた。一階の通路には落ち葉が吹き溜まり、繰り返し人が通った箇所では砕けて粉になっていた。各戸の前に置かれた洗濯機のカバーは、もとは水色だったらしいが、雨と埃をかぶり続けて黒くなっていた。
103号室には表札も呼び鈴もついていない。寺元さんの居所はここらしいが、本当にそうであることを示す手がかりはない。ドアをノックしたら全く無関係な他人が出てきて、警戒心に満ちた視線を向けてくるかもしれない。そういう可能性を考えると、ドアをコツコツとやる力が自然に弱々しくなる。返事はない。中に人の気配があるのかどうかも分からない。洗濯機の上にはすりガラスの小窓がついているが、その奥で人影が動く様子もない。小声で名前を呼びながら再びノックしてもやはり返事はなかった。
寺元さんは出かけているのだろうか。あるいは先週あたりに部屋の中で倒れて誰にも気づかれず……不意にそんな想念にとりつかれたが、辺りは埃っぽい臭いがするだけだ。やはり出かけているのだろう。
その場を離れようとして歩き始めた瞬間、背後で音がした。振り返ると、寺元さんがドアの隙間から半分だけ身を乗り出し、こちらを見ていた。禿げ上がった丸顔はいつもより青白く、無精ひげの生えた頬がこけて見えた。「田村さん、なんで……ああ、そうか……まあ、ここじゃなんなので、どうぞ……」
「散らかってるけど」
といいながら寺元さんは私を部屋に招き入れたが、中は私の部屋よりもきれいに片づいていた。ローテーブルの上にはA4サイズのポスターみたいなものが散らばっていた。猫の写真の下に黄色い枠が印刷してあり、「さがしています」という文字が見えた。
「先週から急にいなくなっちゃってね、ずっと探してたんだけど……」
猫を飼いはじめたと寺元さんが言ったのは半年ぐらい前だったか。ランチの時に写真を見せてきたのを覚えている。たしか、ニティンとかいう名前だった。額の毛が富士山のような形に、白と黒に分かれている猫だ。
「この近所では、見つからない感じ?」
「毎日そこらじゅうの路地に入って見て、電柱にポスターも貼ったんだけどね。今のところ手がかりはなくて……」
寺元さんは俯いたままTVのリモコンをいじくり回していた。目の下にできた隈が濃かった。
中野では孤独死が増えているらしい。突然にそれまでの生活、人間関係から切り離され、中野に閉じこめられた人々が、生き残りをかけてあがき続け、一息ついたあとに待っていたものは、容赦のない孤絶だったというわけだ。
職場への連絡も忘れ、一週間にわたって捜索を続けていた寺元さんと猫との個人的な結びつきは、どれほどのものだったのだろう。そして突然に去られたと知ったときの衝撃は……いや、仕事を忘れていたのではなくて、猫を探すために休むと言えなかったから、連絡できなかったのかもしれない。猫の存在が、どれほど寺元さんの柔らかいところに入り込んでいたか、誰にも知られたくなかったから、中野ではそれなりに気心が知れているはずの私たちにも、失踪事件とそれがもたらした内面の緊急事態について、口を閉ざしていたのではないだろうか……
「鬼澤さんには、寺元さんが体調崩して寝込んでたとか言っておくので、ニティンの捜索、続けてください」
「気遣わせちゃって、ごめん。僕の方からも、後で連絡入れておこうと思うから……」
寺元さんはアルミサッシを静かに開け、冷蔵庫から麦茶を出した。梅雨時の空気で蒸し暑くなり始めた部屋にかすかな風が入ってきた。窓の外に見えるのは隣家の壁ばかりで、申し訳程度についたコンクリート製のバルコニーの下には、古い落ち葉が厚く積もっていた。その隙間に何か、木の根か、古い革製品のような、黒に近い焦げ茶色のものが突き出ている。表面には緑の苔か黴のようなものが吹いて、時折、びくり、びくりと脈動しているように見える。
「寺元さん、そこに、何かいるみたいなんだけど」
「ああ、それ、引っ越してきたときからずっとそこにあって……え、動いてる?」
その「何か」の動きはしだいに大きくなり、周辺の落ち葉がめくれて露出した土には蚯蚓や百足が這っていた。そこに埋まっていた朽木のようなものは、地表面に見えていた一部分よりもはるかに大きかった。それは蛹のように蠕動しながら室内へどたりと入ってきた。麦茶のグラスが倒れ、中身がフローリングの上に広がった。
その「何か」は動き続けるうちに表皮が剥がれて、琥珀色をしたカブトムシの蛹的なものが姿を現した。痙攣的な動きはしだいにゆっくりと、動物らしい所作が読みとれるようなものになってきた。やがて内側から被膜が裂け、現れたのは肌だった。真白なその表面へしだいに赤みが差してきた。寝袋のように床へ残された被膜から、人型をしたものが起きあがる。
それは姉だった。間違いなく姉だった。17歳の夏の夕方、高校の帰り道、自転車ごと、農道のどこかで消えた姉。警察が公開捜査に踏み切り、全国の交番に写真が貼り出されても、けっして戻ってくることのなかった姉。落ち着いたピンク色のフレンチスリーブワンピースを着て、薔薇色の頬に薄い唇と切れ長の眼が微笑み、当時の面影はそのままに、だが記憶の中の姉よりもはるかに大人びた姉が私を見ていた。
「背、伸びたじゃん」
といいながら姉が私の腕に触れた瞬間、思わず涙がこぼれた。
「そうか、田村さんのお姉さんだったのか。だからずっとそこに……」
寺元さんは何か遠く、眩しいものを見るような目で、姉と私を見ていた。
姉は寺元さんに微笑みかけながらも決然と言った。寺元さんは照れくささと寂しさの入り交じったような顔で笑った。が、不意に真顔に戻った。
かすかに、猫の鳴き声のような音が聞こえる。涼しい夕方の空気が窓から入ってくる。
どこか遠いところを見ながら姉が言う。
「もうそんな季節か」
中野ディオニューシアまつりは毎年初夏に行われる。今年もたくさんの供物を捧げた行列が、狂乱状態の男女が、鍋屋横町を練り歩くのだろう。中野で過ごす何度目の夏になるだろう。いつの間にか、夏の風物詩を繰り返す季節の一部として、中野で受け入れつつある私がいた。
サンプル数1だけど。
飴と鞭の使い方が上手いというか。あんたが悪いって怒るケースと、あんたは頑張ってる、いずれ報われるって救うケースの選別が上手いなと思った。
簡単には説明できないんだけど、子育てママの相談に乗るみたいなことをずっとやってた人で、浅い付き合いの時は結構ためになることを言うので、安い金払うぐらいならメリットはある団体だった。
それが、ボランティア的な作業を押し付けたり、何千円かかかるような講習受けさせたりとちょっとずつエスカレートしていく。
信者にならなかった人も何人も知ってるけど、その人達は普通の人。ただ子育てに悩みがあって、相談に乗ってもらえたら楽になるぐらいの。
その普通の人たちが一斉に脱落する時期があった。残ったのは酷い悩みを抱えている精鋭というか信者だった。
それこそ○○菌とかそういうの。波動とか。心理学っぽいけど心理学じゃないやつとか。
多分その代表を経由してなければ、信じてないようなものも、その代表に勧められると疑いなく信じてしまう信者だけだった。というかそういう状況を作るのが上手かった。
将来の団体は日本中に広がるだとか、なんかしょうもないフリーペーパーに乗ったこととかをあたかも注目されてると誤認させてた。
そこの団体のメンバーでにしか書けないような、(要出典)だらけのWikipediaページ作った時には笑えたが、身内がWikipediaにも載ってる! って感動してたからめっちゃしんどかった。
ちょっとした悩みでも話を聞いて、しかも、『忙しい中わざわざ時間を取った』みたいな押し付けで、誰でも考え付くようなアドバイス与えて、それを自分の手柄にするのが凄く上手かった。
まさに洗脳の手順なんだと思う。ちょっとした恩をことあるごとに繰り返し、「あの時は私が助けてあげた」みたいなことを刷り込んでいく。
数百万貢げって言われた時に、増田も話し合いの場に居たのだが、「いや、あんたおらんでも解決しとったで」っていうエピソードだらけだったんだが、元嫁は「確かに! あの時はありがとうございました」モードになってたから、わしもちょっとは協力したんやけどのわしの存在が元嫁の記憶から抹消されてたりした。
・科学やら情報やらのリテラシー無い人には正誤の判断が付かないようなもののうち、都合の良いものを取り入れて、
{初めはえらい先生がいるからって先生(偽科学の人)立ててるんだけど、徐々に自分の理論にしてくのも美味かった}
・団体から不穏分子(冷静な判断が出来る、常識的な知性の持ち主)を排除して
・依存させる
タイプの人だった。
偽科学系の人たちが結構わかってやってる悪い人だったりもしたけど、その代表通すと信者にとっては素晴らしい理論だったり、健康食品になってしまってるのが恐ろしかった。
家に帰りたくなくなった。居場所がない。増田も仕事が忙しくて子育てにそこまで協力できなかったというのも原因ではあるんだけど、元嫁から増田への恩や感謝がゼロになって、その恩師というか代表への感謝だけになっていくのがまざまざと感じられた。
たまに感謝を述べるんだけど、裏で代表が糸引いてるのが見えてしまってた。{パパ(増田)に感謝しましょうねみたいなことを聞いた後とかで}
ちょうど残業減らしていこうみたいな会社都合のイベントと重なって、それまでは帰って飯食って寝るで終わってた生活が、帰って、飯食いながら、代表の思う理想のパパになるため講座を聞いて、モヤモヤして寝るという生活に変わってしまいそうだった。
家に帰るのが嫌になった。とはいえ月小遣い3万円とかの極貧でヤニも吸うから飲みに行くとかでは金が続かない。
結局、会社の近くの一円パチンコで時間をつぶすという日々が続いた。
その時はまだ離婚までは考えてなかった(子供が小さいから悩みが多いが、子供が大きくなったらその代表への依存も弱まるだろうという楽観的希望)のではあるが。
ほんとうに死のうか考えるぐらいの日々が続き。
たまたま1円パチンコながら、数万発を得ることが出来た帰り道。
具体的なワードは忘れてしまったが、「オナニー ○○」みたいなので検索してしまっていた。
風俗に行く勇気はなかったが、当時よく妄想してたのが、個室ビデオ店でヌキヌキのお手伝いをしてくれる人が居たらいいなーみたいなことだったから。
検索すると、帰り道に定期で立ち寄れるエリアに、「オナニークラブ」という店があることを知った。
コース名詳細書くと特定されるからぼかすけど、オナニーを見てもらうようなコースと、オナニーを積極的に手伝ってもらえる(tekoki)コースがあった。
見てもらうことには何の価値も見いだせなかったのではあるが、その店にはオプションがあり、俗にいうネタ? になってもらえる、下着姿とか言葉攻めとかがあった。
それだけでは増田の心は一切揺らがなかったとは思うのではあるが、燦然と輝く
_人人人人人人人_
> トップレス3000円!! <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
思っていたよりも丁寧な対応で、多少恐怖心が緩まって、もう行く気満々になっていた。
料金も最安では30分だったが45分でも十分安いと思えた。トップレスオプションを付けてさえ。
今まで訪れることのなかった街並みの雑居ビルを見つけ、受け付けへ。
みんな若くて可愛い。
一番好みのこを選んだ。
来た。思っていたとおりぐらいには可愛い子だった。その後風俗経験値が爆上がりした増田からしたら、コミュニケーションに難ありではあったが、そつなくホテルへと案内はしてもらえた。
思ってたラブホよりも2等級ほど低い、安くてぼろいホテルだった。
シャワーを終えると、オプションどうしますか? と尋ねられた。
実際のところ、全部真面目に答えたら20分以上はかかるであろうアンケートに、希望するシチュエーションやらなんやらを回答して、希望オプションも明記していたのではあるが、そのこはその紙を読みもしていないようだった。
「お手伝いのコースでしたっけ」
「いえ、見るだけのほうです」
「あー」
そういうと嬢は、おもむろにロンTをまくり上げて、そのままブラジャーもまくり上げた。
「どうぞ」(正確には覚えていないが、そんな感じのことを言われた気がする)
「入れ墨入れてるんですね」
ぐらいの言葉をかけながら、
恥ずかしがることもなく、ただそれが自分のやるべきことと、おっぱいを晒しながらに微動だにしない嬢。
あっという間に果て、その後のことは一切覚えていない。