はてなキーワード: 調子とは
○ご飯
○調子
むきゅーはややー。お仕事は、それなりー。
エビワラーのアーエビウはわざマシンでもレベル技でもろくな技がない。
仕方ないので影分身からのスピードスターでゴリ押し作戦をしている。
赤緑の影分身は普通に回避率アップが高いだけじゃなく、バッチ補正バグの影響をバッチリ受けれるのも強いんだよねえ。
捕まえた数39。
そもそもヒゲ薄いし、太いやつは抜いてるから毛根の白いような細い毛の処理にしか使ってないけど。それでも襟足のキワを整えたりムダ毛剃ったりはしてるから負担はかかってる気がする。
替刃って高い。他の出費ならいざ知らず、なぜだかこれに数千円払うのは異常に躊躇われる。どちらかといえば必需品の類に入るはずなのに。で、ホルダー付きな上に枚数も多いやつの方が安かったりする。詰め替え用シャンプーの方が高いのと同じ理不尽さを感じる。本体(?)がダブつこうがなんだろうが、安いならそっちを買い続けるが?持続可能な社会より今日の財布の中身だ。
使い続けたって別にカミソリ負けするほど刃がヨレる訳でもない。シャワーついでに石鹸塗りたくってシャッシャと剃ってるから引っかかりを感じるような事もない。
でも間違いなく新品の時の滑らかさはない。あの刃の手前についてるヌルヌルの影響を差し引いても、間違いなく切れ味が落ちてはいる。
気持ちの余裕がある時に買ってみると、その時は調子こいて数週間単位で交換する。ベストな剃り心地を過ぎた辺り。
そんですぐに弾切れになって、一度使い終わってケースに入れたといたやつを再利用したりもする。
数週間で使い終わったやつも、半年使い続けたやつに比べたらまだまだ全然。
おろしたての時はジレットの方が切れ味良くて気持ち良いけど、長く使い続けるならシックのような気がする。
電気シェーバーは深剃り出来ないので使わない。というか電気シェーバーで処理できるようなヒゲは全部抜いてあるし、それ以上残ってる毛を処理できなければ意味がない。
サウナとかのアメニティで置いてあるような、首が動かない上に二、三枚刃の使い捨てカミソリもたまに使ってみる。
普段8枚刃を肌の上を適当にガシガシ滑らせてるのが信じられないくらいに緊張感がある。
昔適当に使って肌にひっかけたのが若干トラウマではあるけど、今は慎重に角度を合わせるピリッとした空気が嫌いではない。
でも毎日はやりたくない。
お前らが萌え豚がー萌え豚がーとか喚いてても、誰も萌え豚じゃない! とか反論しないでしょ。
反論しないから、調子乗って萌え豚確定! 美少女動物園がーとか喚いてたわけでしょ。
そういうことだよ。
そらおっさんが呼び出されてきた若い女の子達に調子こいて高級バーでシャンパンガンガン飲ませた挙げ句に、俺ら友達だから割り勘しろって、おっさんと飲むのバイトにしてる子達には大型地雷だわな。
○ご飯
朝:なし。昼:サラダ。夜:キャベツとベーコンとエノキと人参のスープ。天かす、だし納豆豆腐。目玉焼き。りんご。ヨーグルト。間食:フルーツケーキ。
○調子
むきゅーはややー。お仕事は、それなりー。
サントアンヌ号攻略して、マチス倒して、イワヤマトンネル突破してシオンからタマムシを通ってセキチクも格闘道場を倒した。
カメックスのアーゼニア単騎プレイだと楽しくないので、色々と新メンバーを追加した。
この後、ラプラス、カブト、プテラを加入させる予定。(いあいぎりの枠がねえ)
捕まえた数37。
これは仕事で疲れ切っていた若くて馬鹿な私が、云年越しの真実に打ちのめされる話かもしれない。
どこか嘘かもしれないし全部本当かもしれない。ただただやりきれない気持ちだけで書く。
この日記を一行でまとめると下記の通りだ。
業務時間外に書いた云十万字の小説の権利が、一切自身になかったことを知った話、である。
* * *
学校卒業後に就職したのは小さな小さな編集プロダクションだった。執筆も編集者がやるタイプの編プロだった。
ニッチな界隈の本を細々と出していた会社で、今はもう存在しない。
好みの分野を扱うことが多かったので仕事自体は楽しく、担当していた界隈がにわかに盛り上がったときは激務に次ぐ激務だったがかなりのやりがいを感じていた。
編集者のいいところは、自分の関わった商品が本屋という身近な場所に陳列されて、しかも奥付に自分の名前が載ることだと思う。
「私はこれを作ったんだ」という実感は激務を忘れさせるほどの麻薬だった。
+
会社にはいろんなタイプのオタクがいて、コミケにサークル参加するような同人作家も在籍していた。
スタッフが創作者であることは仕事に生かされ、それが会社の強みにもなっていた。
私もそんな創作者のひとりだった。小学生のころから二次創作小説を書いていたような、生粋の創作する側のオタクだ。もちろんコミケにサークル参加したことがある。会社でも小説を書くことは隠していなかった。
前述したとおりいろんなオタクが集まっているのはこの会社の強みであり、取引先からも面白がられていたので、何かとそれは話題にあがった。「あなたは何のオタクなの?」という感じの雑談から、私が小説を書くオタクであることは取引先にも知られていた。
+
ある日、上司に呼ばれて席まで行くと、「小説を書いてみないか」と言われた。
とある人の半生が面白いので、脚色を加えて小説にする企画があるのだが、書き手(ライター)が見つからない。
そういえば御社に小説を書く人がいたよね? ――と、取引先からお声がかかったらしい。
素人の思い出話を物語として成立させるには、筆力のほかに構成力も必要になってくる。
小説が書けて、編集者の視点も持っている人にお願いしたい、というのが私が選ばれた大まかな理由だ。
「人生何が起きるかわかんねぇな」と思いつつ、正直先方の正気を疑ったが、特に断る理由もないので「自分でよければ」と答えた。
そして、企画が動き出した。
+
当時私は中堅の社員で、後輩の教育も任されており、わりと大きな継続企画も抱えていたので、まあそこそこ忙しかった。
そこそこ忙しくはあったが、後輩に任せられることは任せ、溜まりに溜まっていた有休を無理くり使い、執筆作業に当てた。
徹夜もよくしたし、午前中にネカフェで執筆して午後から出社、終電後まで働くみたいなことも多かった。
執筆はすべて業務時間外にしていた。これは単に会社にいると仕事が降って来るので落ち着いて書けないし、原稿料をもらうからには切り分けねばと思ったからだ。
会社を空けることが多くなり、雑用や確認作業が頼みにくいと上司からはよく嫌味を言われた。
+
通常の仕事に加え、睡眠時間を削りながらの執筆、「自分で書くのだから」と資料作成・装画周りにも関わり、とんでもなく忙しくはあったがやりがいも楽しさも感じていた。
初稿が上がり、大勢の人の目が入り、製作も大詰めというときだった。
上司が、軽い調子でこう言ったのだ。「著名は原案者だけにするかも」と。
反射で「私の名前が載らないってことですか?」と尋ねると、「そういう案も出ている」と言われた。
忙しくて頭の回っていなかった私は、ただただ「そんな話が出ているのか」とショックで、会話はそれで終わりになったと記憶している。
(デスクに座ったまま、ぽろっと言われたくらいのノリだったように思う)
その日の夜になってようやくだった、「いや、私の名前が載らないのはおかしくないか?」と怒りが湧いてきたのは。
+
前述したとおりこの本は、とある人物の半生を脚色して小説化するというものだ。
当然、この「脚色」は私の創作である。些細な話題を膨らませてドラマチックにしたり、つなぎになるエピソードを創作して物語を盛り上げた。
たとえば登場人物の紹介をするのに、設定にある特徴から勝手にエピソードを作ったりした。
こうした追加エピソードについては、原案者からも「まるで本人を知っているかのような描写で驚いた」とお褒めの言葉をいただいている。設定から妄想を広げるのは二次創作同人屋の得意分野だ。
そう、この小説は相当私の「創作」が含まれているのだ。それなのに何故、ゴーストライターにされてしまうのか。
+
怒りのまま、とはいえギリギリビジネス文章に落とし込んだ形で、私は上司と出版社の担当者にメールを書いた。
個人のアドレスから送ってやろうかと思ったがそれはやめた。不審なメールとしてはじかれたら元も子もないからである。
要は「私の名を出さないのなら、創作部分をすべてカットする」という内容だ。原案者が著者なら創作部分は生まれなかったはずだから、という理論だ。
私のガチギレぶりにめんどくささを感じたのだろう。私のペンネームは原案者と併記されることになった。
ガチギレメールについて上司から小言をくらったが知ったことではない。私のやることなすこと気に食わない上司の文句などすでに聞き飽きていた。
今思えば原案/著で記載されるべきだったのだろうが、この後の出来事を考えるとこの時からすでに事は動いていたのかもしれない。
+
発売後、今度は社長に呼び出された。社長と総務の前へ、何事だろうと寝不足の頭で棒立ちになっていた。
私個人と出版社の契約でなく、会社と出版社で契約を結び、入金された印税の中から褒賞として私に支払う形にする、という通達だった。
当時二十代半ばの私は、この言葉の意味をよく理解しないまま、印税がもらえるならいいかと了承してしまった。
ここがすべての間違いであったのだが、そんなことは当時の私が知る由もない。
その後、若い私にとってはそこそこの額の執筆料をもらったが、当然のことながら重版などかからなかった。
なんやかんやあってその数年後、いろいろ限界を感じた私は逃げるように辞職した。このままでは飼い殺される、という危機感が一番強かった。
同じ家に暮らす家族から「最近顔を見ていないけど元気?」とメールが来るような日々だったのだ。
それなりに「できる社員」として取引先にも認められていたので、おかげで再就職は比較的スムーズに進んだ。
* * *
それから結構な時間が過ぎたころ、なんと前述の本のメディアミックスが決まった。
私がそれを知ったのはネットニュースでだった。
起き抜けのTwitterTL巡回中、見覚えのあるタイトルが目に入って一気に目が覚めた。それは結構な規模のメディアミックスで、有名な人も参加するプロジェクトだった。
スタッフクレジットの「原作」欄には、原案者の名前しか書かれていなかったのだ。
とはいえ、今も同人活動をしている身としてはあまり名が売れてほしくない思いもあり(商業活動をしているわけでもない)、それについてはそこまで怒りも湧かなかった。
何よりかにより私が衝撃を受けたのは、原作欄に掲載された書影から私の名が消されていたことだった。
ぱっと見た瞬間、変だと思った。画像の一部に雑な加工の跡があったからだ。何故加工されているのか、よく見たら名前が消えている。そういう順番での認識だった。
なんだかんだ長く出版界隈に居座っているので、画像加工については見慣れている。本職デザイナーの手にかかれば、あたかも初めから存在していなかったような「画」を作れることも嫌というほど知っていた。
その書影の加工は、どこから見ても素人仕事で、スタンプツール連打したんだろうなって感じのものだった。私でももっとましに作れる。
加工者が誰であれ、私の名は意図的にその画像から消されたという事実に変わりはなかった。
+
少し前に好奇心から知財の本を読んでいた私の頭には、人格権、翻訳権、氏名表示権などなどいろいろな言葉が浮かんでいた。名を消されたことに関する影響も危惧していた。
それと同時に、ずぅっと謎だったけれど、見ないふりをしていた疑問も浮かんでいた。
私の印税ってどうなっているんだろう。
前述したとおりこの本はほとんど広告が行われていなかったため、重版など夢のまた夢だと思っていた。だから、それまで考えないようにしていた。
メディアミックスされるとなると話は別だ。
この時私は打算的にものを考えていて、名前を消した理由を尋ねるところから入り、この本に関する私の権利について確認を取ろうと思っていた。
正しくない書影を掲載したという非が向こうにはあるので、多少強気でかかって話を引き出せると思ったのだ。
微々たる額でも印税がもらえたら御の字だなと考えていたのだ。なんたって印税契約をしていた会社はすでに倒産していた。
担当部署に直で聞くのが手っ取り早いが、権利に関する問題であるし、内々で片付けられても困る。よそを巻き込んで大事にしてやろうと思ったのだ。
結果、私は惨敗することになる。
なんと、当時の担当者がライツ部に異動になっていたのだ。こんな偶然があるのだろうか。
+
この本が出たのはもうずいぶん昔の出来事で、だから、当時を知る人がもう社内におらず、だから、私と連絡が取れず、だから、書影から名を消していたのだろうと、そう思っていた。
問い合わせのメールには、連絡が取れないから名前を消したのだろうか、だとしてもこんな雑な方法で消すのはどうなのか。何故名前を消したのか理由を知りたい。権利にかかわる問題をはらんでいる恐れがあるためライツ部に連絡をした。製作時も記名に関してひと悶着あったというのに残念だ。そんなようなことを書いた。
当時を知る人がいない前提の文面だ。
だというのにどうだ。その担当者は私が転職したあとも仕事のやり取りがあり、だから、私の連絡先は知っていた。なんなら携帯番号も知っている。
連絡しようと思えばいつでもできたはずだった。
+
返信には、非常に軽い調子でこう書かれていた。
「先方に間違った画像を送ってしまった(入稿前のものだったのかも?)。今正しいものを送ったので即時修正されるはずだ。今後の重版に関しても名前が消されていることはないので安心してほしい」
製作に関わっていた私が、そんな画像が存在しないことくらい知っているだろうに、そう、本当に軽い調子で書いていた。
誤魔化すつもりなのだ。公式サイトに私の名を記載しないが故、書影との差異を出さないように雑に消したのだろう。バレないとでも思っていたのだろう。これだけ対応が早いということは、この人が本件に関する責任者なのだろう。
つまり、あの時私の名を本から消そうとしていた担当者が、私の名を表紙から消したのだ。
+
大事にしたかったのにならなかった。この時点でもう打つ手はないなと感じつつ、「当時を知る人がいるとは心強い!」とよいしょしながら、本書の権利について尋ねた。
念のため最初からメールの署名からは電話番号を消していた。電話では余計なことを口走ってしまう可能性があるし、丸め込まれる恐れがあるからだ。諸々のことを文章として残しておきたかったのもある。
この時点ですでに、職務著作という言葉が頭をよぎっていた。簡単に言うと、業務で制作した著作物の著作権は会社に帰属するというものだ。
わざわざ業務時間外に小説を書いていたが、契約を会社に委ねてしまった時点で私は著作権を放棄したことになっているのだろうなとほぼ確信していた。
とはいえ契約先である会社はすでに倒産しているわけだし、そこはどうなっているのだろう。この際だからという気持ちでいろいろ疑問をぶつけてみた。
会社在籍中は印税の一部は会社から支払われることになっていると聞いたが、という話も伝えていた。
(誤魔化そうとしているのは明白だったので、雑な加工については「画像の送付間違い」ということで流した。一応修正前の魚拓は保存している)
+
結果、分かったことは以下のとおり。
・著作権は原案者のみが所持、会社とは業務委託の契約しか結んでいない。
+
はあ、つまりだ。
職務著作どころでなく、はじめっから私の権利は知らんところで放棄されていたのである。
ずいぶん話が戻るが原案/著表記にしなかったのは、こうすると私が著作者として確立してしまうからだったのでは?みたいな気持ちもある。
こんなめんどくさい人間を絡めるといろいろやりにくいと思われたのだろう。事実暴れてしまった前例もある。
そしてこの本がいくら売れようと、印税が入るのは案件ノータッチの元社長の懐だ。
結局、知識のある人間が得をするのだ。悪いのは無知な私だ。目の前の仕事で目を回していて、いったん持ち帰るということができなかった、仕事に疲れ切っていた若くて馬鹿な私なのだ。
+
いろいろ教えてくれたことに感謝はしつつ、とはいえ雑に私の名を消した恨みは募っていたので、最後っ屁のつもりでやり取りの最後はこう締めた。
「本来の書影に書かれている名が意図的に消されていると、『この消された人物は何者なのか』と無為な詮索にさらされる危険性がある。それが一番の懸念だった。もう二度とこのようなことが起こらないよう留意してほしい」
シンプルに名前が消された怒りもあるが、この危惧もあった。メディアミックスに際して名を消された著者。もし、私がこのペンネームで商業活動をしていたとしたらどう思われるだろうか。
消されるだけのことをしでかしたのではないかと思われる危険性は高い。これは信用問題になってくる。
それに、今のネットの「面白そうなおもちゃ」に対する残虐性は認識しているつもりだ。自分が掘り出した“真実”を喧伝し、当事者を炎上させる。何かあったら嫌だ、と身構えるのは致し方ないと思われたい。
とはいえ、これを読んでいるような人なら理解してくれるだろうが、出版社のこの手の人間には理解されないだろう。
それでも、もう二度とこんな雑に人の存在を消さないでほしい、という訴えは届いてほしかった。
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* * *
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この件に関して、私は別に詐欺にあったわけでも、法を犯されたわけでもない。ただただ無知で、己の権利に鈍感だっただけだ。
手痛い授業料だと思っている。このエントリーは半ば逆恨みだし、書いてすっきりして忘れたかったのかもしれない。炎上させたいわけではない。
自分の無知で痛い目にあった私ができるのは、二度と同じ過ちを犯さぬよう、そして後進たちが同じ轍を踏まぬよう努めることだけだ。
提案は一度持ち帰って調べろ、即決するな。とくに寝不足のときは危険だ。
教訓として、とりあえずこの一連についてはいたるところで語っていきたい。
なんせ、私と出版社は(ついでに元社長も)、なんの契約も交わしていないのだから。
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ほんの少しだけよかった話をする。なんと印税をもらえたのだ。
印税契約を譲渡した元社長の現会社から連絡があり、お小遣い程度の収入を得た。夢にまで見た不労所得である。
連絡をくれたのが元総務の人だったので(元の会社の上層部がそのまま現会社に移っていた)少し話をしたのだが、出版社の担当者の話題は一切出てこなかった。私とその人がやり取りしたことは知らないようだった。出版社から入金があったので粛々と対応した、という感じだった。
献本は送られてこなかったので自分で買った。初版と第二版の年月日を見比べると渇いた笑いが漏れた。ずいぶん長い時間がかかったものだ。
メディアミックスについてはとくに興味も湧かず、とはいえ周囲から話題を聞くこともないので、爆死も盛況もしていないのだろう。
今日は「演習で学ぶ科学のための数学」という本を一通りやり終えました。薄い本ですが線形代数・微分積分の基礎からフーリエ変換まで書かれています。
これぐらい薄い本だと、計算問題を具体的に解こうとしない限りは一日で読み終えることができます。私はいつも計算問題を見ると、sage mathというツールを使えば解けるのになぁと思ったりします。
さて、最近の調子はどうかというと、インターネットの楽しみが増してきました。
「数学の複数の概念を繋げたらどうなるのか」という興味に基づいてグーグル検索するととても面白いのです。
調和解析と数論を繋げるような深淵的なものから、とりあえず繋がっただけという表面的なものまであります。
複数のドメインを繋げる際の「センス」について素人なので、どの繋がりが本質的なのかを見抜くことがまだまだできていない気はします。
atcoder的な問題解決者ではなく、コホモロジー的な理論構築の観点から深淵を覗きたいのです。
最先端のトピックが概ね英語で書かれていることが多いので、読む際に翻訳にかけなければスラスラと読めないのが少し難点です。
ところで「笑わない数学」という番組を知りました。私が最初に見たのは確率論に関するエピソードでしたが、昨日やっていたのは非ユークリッド幾何学でした。
テレビとTwitterの連動性はよく知られていますが、こういう番組に対して視聴者が持つ感想を眺めるのが面白いです。
低コストで飽きない趣味としては、数学はとても良い題材だと思います。
ファインマンさんが言うように、誰かに教えるときに学習効果が最大化されるという面もあるので、いずれブログを書いてまとめたいです。
そしたらたまたま新人体験入店の空き枠あったんでその子にしてみたんすよ!
その子の出勤時間的に俺は恐らく3人目の客だったと思われるのですが!なんかもう酷かった!
どうもガチな初風俗体験入店だったようです!それで1人目と2人目の客とのセックスしてみてよっぽど嫌だったんですかね!
おいおい大衆店にいるには勿体ないじゃんってくらいの美形嬢だったのですが!
俺に対してはもう俯いちゃって挨拶も無いし会話も全然弾まないし!ソープ経験はそれなりにある俺が頑張って会話しようとしても全然ダメ!
この時点で超萎えてたんですが!でもまあソープじゃないですか!
そろそろ脱いで欲しい!やることやりたい!と申し出たんですよ!
脱いでみたらまあスタイルもよくて美乳の恐らくEカップで腰はクビレてるしそのくせ尻も良い感じに丸くてすげえ!
確実に俺の経験上でルックスだけならベスト5以内だ!とここで愚息は元気になりました!
ソープにおける通常の範囲内で特にNGは無いとのことで!当然にマグロだったので俺頑張ったんですが!
何も反応が無い!濡れない!ローションつけて入れてもらっていいですかとすごい嫌そうに言ってくる!
一応入れたところやっぱり反応無いしやっぱりすごい嫌そうなんですよ!
もう超萎えたんですよ!結果的にイクのに時間かかって中折れとかじゃなくて本当に萎えて愚息もシナシナになりました!
そこで俺は思いました!「そうか、俺は今、嫌がる相手と一応合意の上ではあるが無理やりセックスをしている。つまり俺はレイプの疑似体験をしているのだ」と!
無理!俺レイプ無理!あくまでエロ漫画とかAVではレイプモノでも普通に抜いてましたがリアルなレイプは無理だ!
勉強になりました!ホントシナシナです!あとは時間まで普通に風呂入ってました!その子はいつの間にか服着てベッドでスマホいじってました!
ところで俺はその店の新人嬢に入ったら感想と改善点をスタッフに聞かれる程度には常連です!自慢になりませんが!
やっぱりスタッフに聞かれたので!ちょっとあの子マジでこの仕事向いてないと思うよという感じのことを答えました!
今日になってシティヘブン見てみたらその子は1日でいなくなってました!
てか見た目すごい良かったからもうちょいまともな仕事で見た目を活かして稼げそうな気がしますよ!
○ご飯
朝:なし。昼:サラダ。夜:キャベツとベーコンとエノキと人参のスープ。だし納豆豆腐。目玉焼き。りんご。ヨーグルト。間食:フルーツケーキ。
○調子
むきゅーはややー。お仕事は、それなりー。
捕まえた数17。
いつだって最初は楽しい。ギターポチって、届くまではYoutubeの初心者向け動画を漁って、エアギターなんかしちゃって、現物の到着を待ち詫びる。
エフェクターについても調べてみて、少し面倒臭そうな話が出ると飛ばし読みして、なるほどこれがツウ好みなんだななんて思う。ロクに練習もしない機材厨になっちゃうと困るからな、と調べ物を中断する。
やっと届いたギターを一目散に開封する。メルカリで売る事になったらこのダンボールも捨てずに……と一瞬よぎった考えを捨て去るように、ダンボールをへし折って束ねる。
アンプに繋いで音を出す。騒音トラブルはゴメンなので一緒に買ったモニターヘッドホンを繋ぐ。おお、エレキギターだ……
ローポジションのCメジャースケールとCコードだけは手が覚えている。ボヘミアン・ラプソディのギターソロは全く思い出せない。
2年前にも一連のこれと全く同じ体験をしている。強敵と名高いFコードに息巻いて、割とすぐ抑えられるようになった。ちょっとセンスあんじゃね?と浮かれたけれど、セーハなど数ある難所のほんの一つでしかない事を知って投げた。厳密には徐々に触らなくなって、埃をかぶっていく挫折の象徴が目に入るのが不快でメルカリ行きになった。
前回の反省を踏まえ、アンプラグだけではなくちゃんと10Wのアンプを買った。のちにマルチを買い、別にアンプは要らなかった事を知る。
そしてどんなに飽きようとも、毎日必ず基礎練だけはやろうと固く誓った。
ようやく楽器が届いて、待ち侘びた基礎練を試してみる。中々上手くいかないけれど、やりたい事が出来ない苛立ちよりメキメキ上達する楽しさがまだ勝っている。指が痛むけれど、この痛みが練習の勲章だと思わせてくれる。まだまだ浮かれている。
好きな曲の好きなフレーズを繰り返し再生しながら、自分がその音をかき鳴らす姿を妄想する日々。それは昔からだけれど、今はわずかながらも実現に近づいている事実にニヤつく。
基礎練習の練習を終え、ようやくまともな基礎練が出来るようになった頃、少し調子に乗ってOMOIDE IN MY HEADのイントロのリードギターに挑戦してみる。出来そうな部分だけを数小節ずつほどつまみ食いしているので、当然少しは弾ける。サマになってるじゃん。
でも数小節弾けた喜びは数小節分でしかなくて、それよりも以前は辿り着くことのなかったミュートの難しさに気付き、道のりの長さに気が滅入る。
カチカチになった指先が脱皮した頃、基礎練にはすっかり飽きた。もはやアンプに繋ぐのも面倒で、生音で弾いてばかりだ。
成長のボーナスステージは終わった。長い目で見れば今も猛成長中かもしれないが、そんな事は今のおれにはどうでもいい。牛歩も牛歩だ。
さりとて曲を弾くこともままならない。きらきら星や好きな曲のメロディを単音でなぞるくらいなら、まだ基礎練の方がマシだ。
Youtubeで憧れの曲のTAB譜を調べてみても、基礎練には出てこない技術ばかりで全く歯が立たない。少し挑戦しようとして、すぐ投げる。新宝島を弾こうと息巻いて買ったカポは、届いた翌日以降たまに使うおもちゃにしかなっていない。
全く楽しくはないが、基礎錬だけはやる。もはや新しい練習に移ることもなく惰性でしかないが、それでも毎日やる。触らない日がない訳でもないけれど、ほぼ毎日といっていい。
夏休み、ギターを触る時間の20倍スマホをいじっていた。田舎の祖母宅に行った時、せっかくだからアンプを持っていけと言われた。別にマルチにヘッドホンでいいけどな……と思ったけれど、一応持っていった。
フルテンで適当なコードをジャーンと鳴らしてみて、死にかけていた初期衝動がやや蘇る。
つまみ食いで覚えたOMOIDE IN MY HEADや閃光少女のフレーズを鳴らしてみる。気持ち良い。生音とは比べようもない。これはどんなに言葉を並べようが、体験しなければ分からないと肌感覚で理解した。
田舎でやる事もなく暇なので、スマホポチポチゴロゴロとギター練習を交互にやる。徐々にスマホの比率が増えるが、それでも日頃の練習時間とは段違いだ。
祖母宅にいる間の課題曲として、リライトに挑戦した。以前初心者向けの簡単な曲と聞いて挑戦したが、どこが初心者向けだよとキレて一瞬で諦めた。
かまいたちの番組観ながら延々と練習していたら、拙いながらもオクターブ奏法が出来るようになっていた。
完成はしないまま帰る事になったが、ギターへの意欲は復活した。
意欲だけは蘇ったものの、やはり好き放題弾ける訳ではない。
音楽映画の天才少年とは違って、デタラメに弾いても本当にデタラメな音しか出ない。よほどの天才でもなければ、即興演奏にはそれなりのセオリーを知る必要がある。お勉強は大嫌いだ。音楽がしたいのであって、音学がしたいのではない。
「ペンタトニック」で検索したタブはどのサイトも開かないままもう数ヶ月経つ。
体系的に学ぼうと息巻いていたコード理論は、もはや虫食いの知識でおおよその理解を迎えていた。理屈を知ってあとは抑え方を覚えるのみだが、やはり面倒臭い。
目指すものの輝きに目をくらませて、途中の退屈な道のりまでもを楽しめるよう錯覚する事は出来ない。
つまらないものはつまらない。でもステージでギターをかき鳴らす姿はかっこいい。フジロック出てェ〜
と口にした所で冗談と思われるか苦笑されるだけだが、割と全然マジで思ってる。実現するかなど些細な問題だ。
惰性にまみれて弾き続ける中、リライトを通しで弾いてみた。拙いながら、マルチのリズム機能を使ったらなんだかそれらしく思えた。その達成感といったら、快感といったら、映画やマンガやサウナや美食にかまけるそれの比じゃない。そこまでの過程を考えれば極めてコスパは悪いが、日々の糧、気晴らし程度の趣味からは得られないものがある。
およそ中級者の壁というものを超えた事がほとんどない。初期衝動に任せてえいやと通り一遍の技術を身に着けて、あとはそれなりに楽しみながら地道に……というのが出来ない。勢いに乗り切れない。最初だけはちょっと上手く行っても、すぐに飽きてしまうダメなタイプの器用貧乏だ。
「本当に好きな人は……」なんて言う人もいるが、他の人がどうだろうがつまらないものはつまらない。でもこのつまらなさを耐えた先にあるものがどうしても欲しい。前回投げた時とは違って片鱗を味わえたのは少し進歩だ。
・「ジャ◯タレはみんなジャ◯ーさんに掘られてる」→被害者数百人、会社が消えるレベルの大騒ぎ
こういうの10年くらい前なら
「真に受けるなよ。ネットの一部の変な奴が騒いでるだけだろ。それが本当ならとっくにメディアが騒いでるはずだ。」
なんて調子で変人扱いだったのにマジなんだもんな。びっくりだよ。
次はなんだ?
PCが壊れたので、父親のPCを使い、メモを取ろうとした。しかし、様子がおかしかった。
見知らぬOSがインストールされている。パスワードがわからないため、ゲストログインというところを操作する。
私はメモ帳を開いて書こうとするが、タイプするときにバグっているのか、文字が思ったように入力されない。
私は「だめだこりゃ」といってPCを閉じた。ふと、部屋の鏡を見たくなったので見たら、驚くことが起きた。
そこに映っているのは私ではなかった。いや、正確にいうと、鏡の中に映っている顔が認識できなかった。
「これは...怖い」と思ったので、部屋に戻って、使えるかどうかわからない自分の2つ目のPCを立ち上げると、なんとか使えたので、作業の続きをしようとした。
私は"keiko"という文字を入力しようとしていたが、一瞬意識が遠のく。気がついたらkeikoreanと入力していた。
夜中、目を覚ますと、なんとなく下の部屋でテレビを見たくなったので階段を降りた。
階段を降りる途中、突然意識がなくなり、転げ落ちそうになったが、意識を取り戻した。
テレビをつけると、奇妙なニュースをやっていた。心臓麻痺の死亡者が沢山出現しているというニュースだった。
そのとき、何者かが部屋に向かって歩いてきた。母親のようにも見えるが、顔が違う。
「ほら、やろうと思えばこういうこともできるのよ」とその人物は言った。
私が「お母さん...?」と聞くと、その人物は部屋を去っていった。
2023/10/04 追記: この日記は週刊少年ジャンプにて連載中の「アスミカケル」の感想文になりますが、以下のような特徴がありますので先に注意点をば。
【注意点】
悪い言い方をすれば、何も考えずに脳死で書いてると言っても過言ではないです。
特に何が良いとか悪いとか考えず、ただ見て感じたものを書いてるだけなので、場合によっては褒めてるように見えたり、逆に貶してるように見えるかもしれませんが、どちらでもないです。
赤い色を赤いと言うようなレベルで稚拙な見たままの直観を出しているものと考えて頂ければ幸いです。この山は大きいなぁとか、そのレベルです。
たまに「あっこの川、深いッ!」みたいな多少の感情は乗るかもですが、基本フラットな自分にとって快不快を問わず感情が乗るのは良い作品だと思っています。よろしくお願いします。
上記の通り脳死で書いてるため、連想ゲーム的に他作品(他の漫画とかアニメとか)の内容やセリフなどを引用したりする事がありますが、比較のためではありません。
つい「この人の髪型ハンバーグみてーだなぁ……」みたいな事を言うかもしれませんが、その人やハンバーグを貶めたり、逆にそれを理由に名作と引っ付けて評価を上げるような意図とかも無いです。皆無にして絶無です。
そのような比較や同一視は両方の作者や作品に対して失礼であり、あくまで自分の中では全く別のものだけど連想してしまったに過ぎないので、あくまで個人の感想である事をご留意して頂けませば幸いです。
③同様に、何かしらキャラや演出などについての評価をする事もありますが、それ自体は特に作品や作者の評価ではないです。
もし仮に私が「このキャラ不快だなぁ」と言ったからといって、それが即ちその作品や作者が不快という事でもないです。不快なキャラを出すことで、相対的に他のキャラの株が上がる事もあります。
世の中にヤベー人間がいるからといって、即ち世の中がヤバい訳ではないように。その作中世界や世界の中の"もの"と作品との評価は全く異なるものであり、なんなら邪悪な人間しか出てこない邪悪な世界の作品でも面白い場合もあるかと思います。
世界最高のコントラバスと世界最高の尺八奏者と世界最高のDJがコラボしたところで、どうひっくり返っても「世界最高のジャズ」が生まれるなんて事はないように。要素同士の相性が良くなければ作品はチグハグになります。
演出とか構成とかストーリーとか諸々の要素が全て満点でも、それらが噛み合ってなければ作品として成り立たないように、あくまで要素と作品全体の評価は別物であると認識して頂ければ助かります。
④また、自分の目線はどちらかと言えば創作者目線気味で「自分が作者だったらこうするかなぁ……」みたいな事を考えがちな傾向がありますが、だからといって作者へのリスペクトが無いわけではないです。
そもそも自分は創作者というより鑑賞者なので、岡目八目で「ああすれば良いのに」「こうすれば良いのに」と言ったところで自分自身が実際にそれを出来るかどうかと言えば答えはNoです。
あくまで読者としての視点でしかないため、実際に締め切り(納期)通りに同等以上のものを仕上げれるわけではないですし、実際その作品と同じテーマを自分が表現するとしたら、それは作者の出す作品とは全く別物になると思います。
素人や読者の視点というのは独り善がりなものであり、あらゆる創作者には個性があるし個々の事情もある。その全てを重んじ、リスペクトしていきたいと自分は考えています。
アスミカケルを電子版ジャンプのバックナンバーにて読む。概ね1p毎に気付いた事などを書いていく。
とりあえずざっくりカラーの1p目(ジャンプ本誌3p目)。最初の「痛いのは嫌いだ」「苦しいのも嫌いだ」「強いから何だってんだ何の意味がある」「怖い…なのにどうして…」「戦わずにはいられない…!!」
この部分で恐らく作品テーマを開示している。要するに、不快さやデメリットを抱えると分かっていても「人が戦う理由は何か」が主題であると思われる。そのため、最初の掴みとして「殴られたり極められる人」を描き、「それでもなお血の滴る道を進む」という事を示唆している。
どうも火ノ丸相撲の人が描いてる漫画であるらしい。火ノ丸相撲もそうだが、格闘漫画それ自体が自分にとっては基本的に相性が良くない。ただし、これはリアルに起因するものなので無視しても良い。表紙については前述のページと同じく、一部を除いた全員が前方向を向く事で戦いにポジティブな要素を示唆しているものと思われる。
次。ジャンプ本誌26pより本編開始。ここで何気なくだが、やや不自然に明日見家の全員をネームプレートに示している。これは古くは沼駿先生の「左門くんはサモナー」に於いても使われた手法だが、「左門くんはサモナー」の場合は特定の意図を持って何度も示されている事に注意したい。ここでは現状、明日見家の全員を紹介する以上の意図は汲み取れない。
家長である祖父の獏は覇気がなく、物忘れ気味な事が示唆されている。また、リフォームをした事および、その前に配偶者(祖母)を亡くしている事も先のネームプレートから汲み取れることが分かる。ただし現状、そこまで読む必要はない。次のページでは息子たる和虎をリフォーム後に亡くしている事が分かる。恐らく獏はリフォーム後に忘れ癖が出ているものとも考えられる。
ここで出ている長女と次女らしき人物は羚と三羽か?最初は二兎だと思ったが、二兎が主人公であると思しき少年であった。兄は一狼。二狼でなくてよかった(良くない)。名前の由来は原則として動物に由来するものと考えられるが、祖父が夢を食べると言われる獏なのは意図してのことか。であるとするなら、他の名前にも意図があると考えて良いだろう。次。
二兎が一般的より冴えない、やや怖がりの高校生として描かれている。ここで最初のページに示されている恐いという部分が示されているため、キャラ付けとしては重要だが、演出として主人公への広い共感を呼ぶという感じはしない。次。
そこで友人が守ってくれたり、格闘技の道について示される。友人が最初は強い(主人公を護る勇気を示す)という点では鵺の陰陽師と同じくしているが、鵺の陰陽師よりは凡庸とした見せ方ではある。逆に言えば奇を衒っていないという事でもあるので、まあ王道と言えるが、王道なりの見せ方として絵力による演出がもう少し欲しいというのは読者として欲張りだろうか。次。
そこで主人公が機転を利かせて窮地を脱するという形でキャラを示す。これも基本的には読者に共感というよりは離れていく方向の形だが、前述の「怖くても戦う」という部分を見せるためにはギャップを作る必要が出てくる。しかし昨今の読者は言うなればせっかちなので、私も例に漏れず「ここで主人公が魅せる部分だろう」という感覚がある。
引き続き、格闘技への道を示すシーンが続く。ここでも主人公はひたすらに怖さを出す。しかしキャラ付けとして一貫しているといえば一貫しているが、ややくどさも出てくる。怖さばかりをピックアップするので、恐らく意図しての事だろうと思われるが、やや強すぎるのではないかとも思う。次。
まだ主人公の弱音は続くが、ここで漸く主人公の資質を見せるシーンが出る。ただしあくまで受け身である。これもスマートに避けるとかでなく受け身なのは、やはり痛みなどを受けるという部分が思想としてあるのだろう。その上でダメージ・コントロール技術としての受け身を出すのは理には適っているが、インパクトとしては地味だ。次。
主人公が最初に示した好みのヒロインを出すページ。ここでも格闘技。これで格闘漫画じゃなかったら何なのかとなる格闘押し。もう少し展開が早くても良い。体幹の概念を出すが、ここで問題は「体幹とは何か?」というのを主人公が知っている事。逆にいうと、ここで体幹について知らない読者に「体幹とは?」と疑問を持たせる効果はあるだろうが、やや濃ゆい。
そしてヒロインの置かれている立ち位置も出しつつ、先程に書いたMMAを出す。しかし主人公が覚えていない。作中時間が経っているのは分かるが、読者としては一瞬なので「…「MMA」って何だっけ…?」は、ややくどい気もする。が、このくどさは恐らく想定する読者層によるのだろう。要は、流れで適当に読んでる読者に向けて思い出させる効果を狙うものと考えられる。そして再びの一狼。次。
物忘れ気味な「じいちゃん」によるMMAの解説と、かつ祖父のギャップ提示。これにより確実なまでに明日見家が武術一家である事を示している。わざわざ道場を別個に建ててるのだから当然そうなる。しかし、そう汲み取れない、つまり格闘系の文脈に疎い読者には「急に謎の道場が!?」となりかねないコンテクストありきの部分なので、やや不親切か?次。
再び「じいちゃん」(獏)の物忘れと、残りの家族や更に家庭環境を明示。(羚以外)。手帳が重要なものだとも示す。次。
ようやく羚の名前が出る。個々の負い目を提示するシーン。回想に入る。次。
過去回想。まあ家庭環境という感じだ。再びの不穏さを提示しながら次。
イジりからイジメに。まあ主人公の情けなさを散々に提示しているのだが、それと対象的に友人とヒロインの格が上がる。次。
ヒロインの戦闘能力に対し、再び主人公の能力を示すシーン。基本的に技を受ける事が前提で話が進んでいく。ひたすらテーマに沿わせようとする意地は分かるが、ここまでくどいと自分としては結構と気になる。
ここで舞台装置だった不良についてはスルーされ、ヒロインの家がMMAなり格闘技関係の事務である事を示唆しながら次に。
MMAジムとヒロインの目的・目標開示。一応、不良にも逃げたというフォローが入る。ヒロインが主人公を見定めている事も暗に示唆しつつ、友人が前進。次。
兎にも角にも主人公の人柄を示しまくる。リアルでなら良いが、漫画なのでくどく感じる。説明は少なすぎても多すぎても良くないが、サラッと流して欲しいのが個人的な感覚。
戦うヒロインなので眼鏡を取るのは当たり前だが主人公が割りと欲求に素直である事も同時に示される。格闘技の説明が入ったため、とりあえず一旦ここから暫くは感想を書きながらでなく流し読みで良いと判断。
どうでもよいが、遠目にヒロインを見るとシルエットだけならワールドトリガーの宇佐美栞に似ている事に気付く。閑話休題。これらの説明類は、大なり小なり格闘技に対して事前知識があるか、興味が無いと頭に入らないのではないかと思う。
主人公の体験パート。「当て勘」など格闘技のワードが続く。この場合は「距離感や位置関係の把握など、空間把握と自身の身体把握ないし操作とがズレている」と考えれば良いが、兎にも角にも主人公の魅力が地味かつ描かれないのが続く。1話も中盤に差し掛かるが、これで大丈夫なのだろうか。次。
フォローとばかり「明日見」の武術について示唆しつつ、また回想と次ページで不穏な事が起きますよというコマを使う。濫用では?次。
不良の顔も三度まで。次。
ここで漸く主人公が「強さ」を示す。
まあ一線を超えるまで強さを示さないというのも良いのだが、良くも悪くもリアルの人間という感じで創作物としては何とも。
ワンピースの1話で言うならシャンクスが酒をぶっかけられるくらいのラフさと、銃を抜いてからの豹変という所に、ここまでページをかけるのか……という感想が強い。
良く言えば丁寧ではある。そして主人公が武術を活躍するのを示唆して次に。逆にいうと、こういう「丁寧だけど驚きが無い」というのが強い特徴に感じる。火ノ丸相撲は本誌かつ序盤しか読んでいないので記憶が薄いのだが、こういう作風なのだろうか?次。
戦闘シーン。組んで、回転させて壁に衝突させ、足を抜いて相手の力を利用して投げ飛ばす。簡単に言えばこれだけなのだが、こういう限られた空間でのストリートファイトは少しコマ割りと構図に工夫をして分かりやすくしていくと有り難いか。
あと「殺れ」はガチの古武術としての教えなら分からなくもないが、MMAメインなのと主人公のキャラには合わない。ここは「躊躇うな」とか「そのための備えをしろ」だけで止めても良いとは思う。次。
ここも戦闘シーンだが、やはり武闘経験がある前提での描写が目立つ。別に理として間違った事は書いてないし描いていないのだろうが……
こういう部分が多いのは、アスミカケル自体が格闘技経験者に向けた漫画なのだとして割り切った方が良いだろう。次。
組技系の格闘家としての主人公披露。当て勘のなさや受け身など攻撃を受ける前提の描写に納得はいくが、絵的に不良のほうが目立ってしまう演出。
ここは思い切って主人公を目立つよう分かりやすく上に描いても問題は無かったと思うが、何かしらの意図があるのだろうか。よく分からない。編集者が気付かない訳がないので、まあ何かしらの演出なのだろう。次。
ヒロインによる制止と事態の収束、および疑義の投げかけと解説。ここも最後のコマは示唆。……「丁寧といえば丁寧」。次。
最終的に格闘技について前向きにはなるという所で終了。
総評……非常に申し訳ないのだが、主人公が言うなれば「極力リスクを負わずに良い所だけ取っていく」という印象が強い。50点のために、解ける問題を解かないというのが事態を悪化させているまである。そこまで考えていないといえばそこまでだが、どちらにせよお調子者という感じで自分には理解し難い。
また、話運びや演出等については丁寧で王道チックだが、それ故に意外性が低く、かつ格闘技関連の説明や描写などが読者の格闘技についての知識や想像力に依存しているため、一話で読者をもぎとるには少し弱いところがあるのではと思わなくもない。それをスルーさせるだけの演出力がもう少し欲しいように思わなくもない。
どちからといえば(古い)マガジンとかチャンピオン向けの話を、あえてジャンプでやってる……という感覚が強く、火ノ丸相撲のように「相撲について分からない人でも付いていける」力があるかと言われると、少し怪しいところがあるのではないかと感じた……個人的な感覚だが、まあ格闘技経験者なら考えずに読めば気にならないのかもしれない。
主人公以外のキャラクターについては、良くも悪くも魅力的かというと何とも言い難い。ヒロイン自体は良い感じに読者を引っ張ってこれそうなキャラをしているが、同時に少しキワモノさも併せ持つ。こういったニッチだったり少々リアルな性格的要素を持ったキャラを扱う場合、週刊少年誌というより青年誌や月刊誌向きなのかもしれない感じはある。
概ねそんなところか。次話以降については、また時間のある時に読んで感想を書くかもしれないし、書かないかもしれない。ひとまず終了。