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はてなキーワード: 言論の自由とは

2017-05-27

pixivBL引用炎上の件:腐女子に別方向で頑張ってほしい

長くなったから要約

今回の件をうけて、腐女子の側は一方的被害者とか、弱者という立場を維持するのだけでなく、

自分たちの慣習を、腐女子コミュニティの外の人たちにもわかるような形で

運用可能なところまで頑張ってもっていってほしい。

 

また、腐女子だけでなく、コミュニティ独自ローカルルール抱えてるオタコミュニティの人々は

今回の件は、他山の石となるんじゃなかろうか

今回の事件の推移

めんどいから省略)

今回の事件に対する主要な4つの立場


私の立場

・まず、主張自体への支持について述べるなら、私自身の立場はこの中で選ぶのならBが近い。しかしBそのものではない。AとCについても一定妥当性のある主張だと思う。

・Dの主張にはいろいろ誤解がある。著作権の枠組みで主張をするのであれば「無許可転載」は確かに問題だが、著作権上、正当な「引用」は許可を求める必要はないし、求めるべきでもない。また親告罪云々という話も「転載」と「引用」の違いが把握できていないものと思われる。

なぜ炎上してるのかとか

炎上が続いている仕組みは次のようなものだ。

 著作権法基準(A)の人が、ローカルな慣習(C)のありようを把握していなければ、両者の対立はどこまでいっても平行線である。この人達にずっと不満がたまり続けるので、互いの正当性を主張し続けて炎上は終わらない。また、基準Dのような勘違いを含んだことを言うひとも大量発生していて、これを基準Aの世界にいるひとからすれば「バカじゃねーの」という感じになるし、そう発言してしまう。基準Bの世界にいるひとも人によっては「それはちょっと、落ち着いて整理しましょうか」とたしなめる。なので、またしても火がよく燃える。これが今回の炎上基本的メカニズムだと思う。

 炎上は「誰かが決定的に間違っている」から続くのではなく、「ある立場の人からみると、別の立場の人のやっていることが極めて無作法に見える」ということによって起こり、その行為が「別の立場から見たときには実は何の問題もない」場合に、火が消えるタイミングというのは失われてしまう。

基準Bの態度を採用することは、全体的に見通しがよく相対的中庸温度感のある態度だということになるだろうし、この立場を表明している人は、おおむね良識的に火消しをしているという感じだと思う。

基準Bは、基準Aないし基準Cのみで完結して争っている人々の立場より、バランスのとれたものであろうとしているのは確かだろう。しかし、私は別の基準Eが必要だと思う立場である

基準E:慣習を取り扱える形で、双方向に整備を

 基準Eは、明文化されていない慣習を、きちんと取扱可能にすべきだという方法である。明文化するなりプログラム的に制御するという方法だ。以下に、なぜそのような立場採用するべきかを述べる。

 法がどうであれ、運用の水準で、実質的慣習法を作り上げるということはいくらでもできるということはよくある。そして、ローカルな場にいる人たちは、その場の慣習があたか普遍的適用可能な「常識であるかのような主張をはじめることが多い。だが、そうローカルな商慣習や、コミュニティ内の慣習は多くの場合炎上の温床となってしまう。今回の件だけでなく慣習と法の間での齟齬が「炎上」を生んだことは数多くあった。

 「様々な慣習に対して、可能であるのならば配慮すべきである」という主張は正しいと思う。可能であるのならば配慮するに越したことはない。

 しかし「様々な慣習に対して、常に配慮すべきである」という主張は、どうか。わたしは難しいのではないか、と思う。単純にそれは人間にとって不可能なことを要請しているように思うからだ。

 たとえば今回、火の手があがったのは、801界隈だったわけだけれども、オタク界隈どころかゲーマー界隈に限っても「同人ゲーマー界隈」「格闘ゲーマー界隈」「シューター界隈」「MMO界隈」「東方界隈」「レトロゲーマー界隈」など、細かなコミュニティがそれぞれの慣習をもっていて、自分が属していない界隈での慣習がどうなっているかというのは正直なところ把握しきれない。「私はオタク界隈のほぼ全てのコミュニティの慣習について把握しています」と自信をもって言えるという個人はいないだろう。まあ、それでもオタクコミュニティ界隈のことであれば、長くオタクをやってる人なら「ああ、これだったら何とかさんに聞いとけば温度感わかるっしょ」という人脈による解決はできなくはない。

 ただ、それが、もっと遠い界隈のことになってくると、限界が出て来る。芸術コンテンツまわりでも、現代芸術とかならまだしも、古典芸能世界でのセンシティヴな話題とか言われても、細かなことはさっぱりわからない自信がある。手芸とかもわからないし、動物園のこともわからないし、外食産業のこともわからない。わからないことがいっぱいある。

 で、まったく知らない界隈に飛び込んで、そこで見つけたものをよかれと思って引用しようとしたら、当事者からいきなり激怒されるなどしたら、私はビビるめっちゃビビる。超うろたえる。

 そんで、まあ、たぶんゴメンナサイすると思うけど、なぜキレられたのか、理解が追いつかないだろう。正直、ぜんぜんわからんと思う。小心者なので、とりあえず反射的にゴメンナサイをするでしょう。

 こういう事故を起こさないようにするには、何が重要か。

 「よく知らないもの言及しない」というのが重要だという人もいる。まあ、特にやる気がないなら、あんまりセンシティブそうなものには言及しないほうがいいかもしれない。

 ただし「よく知らないものを知る」ということ自体は、世の中に多様な人々がいるということの相互理解をすすめる上では実は非常に重要なことでもある。たとえばLGBT人種問題というのは、言及の仕方についてしょっちゅう諍いが起こっているが、まったく言及されないよりも「善意に基づく無理解」のような言及は、議論をよびながらも、なされていったほうがいいだろう(まあ、場合によっては無視されたほうがマシということは少なからずあるにはあるだろうが)。

 私としては、「同じ文脈を共有しない人にも、慣習上、重要な点を共有できるようにする仕組みづくり」を行っていくしかないと思う。

 その仕組みづくりにはいくつかの段階があるだろう。

どのように慣習を可視化するか?

 とりあえず、次のようないくつかのステップ提示してみたい。

 以上。STEPと書いてあるが、コレ全部やれという話ではない。まあ全部やれたらすごいとは思う。

 もっとも、慣習によっては標準化が難しかったり、明文化しないことによってこそ意味をもっているような慣習などもあるだろう。そういうものを取り扱うのは確かに難しいが、すべての慣習が取扱い不可能ということもないだろう。

 明文化できる慣習は、明文化して、可能な限りで、コミュニティの外部にいる第三者にも把握可能な形にするというのは、決して無意味なことではないと思う。お互いの不幸な行き違いをなくす基本的方法だとも思う。

 もちろん行き違いをなくすという方法自体を、腐女子コミュニティがいままで模索してこなかったとは思わない。

 腐女子コミュニティ内部にいる人達同士ですら、行き違いはあったのだろうし、そのなかでの行き違いをなくすために、R-18タグは付けることで「ひっそりとやってます」ということを暗に伝えるという慣習が成立したのだろうと思う。その慣習の成立はとても重要なことだったと思う。

 少なくとも腐女子コミュニティの内部では、この慣習はかなり機能していたはずだ。

 そして、今回の事件はその慣習が、実は一般的著作権法の枠組みと整合的なわけではないということによって起こってしまった。コミュニティが大きくなれば大きくなるほど、考慮すべき文脈多様性は広がってくるのだから、近年の腐女子コミュニティの拡大とともに、こういった事件が何かしらの形で起こることはありえたことだろうとは思う。

双方向の「配慮」が可能状態いかに作り上げるか

 それにもう一点付け加えておけば、私は「【基準B】:法的問題はない。しかし、当事者たちにとってセンシティブなことへの配慮が足りなかったという点で、研究倫理上の問題はある。」という態度だけを強調することは、一見配慮をうたっているようでいて、そこまで素晴らしい態度というわけでもないと思う。

 基本的には、この論理だけを強調せざるを得ないシーンというのは「対話することが難しいほど弱っている人たち」とか「西洋文化基準でもって踏み込むべきでもない人たち」、「複雑すぎる背景をもっているので相手に明文化とかをそこまで期待すべきでもない人たち」に対する場合ではないだろうか。

 つまり言及をする側から一方的配慮である。鬱でほんとに今にも死にそうな人とかに対しては確かにそういう形でのコミュニケーションしかできないから、そういう場合は仕方がない。

 もちろん、言及をする側は可能な限り配慮すべきだ。しかし、だからといって、言及をする側だけに配慮要求するというのは、言及される側を馬鹿にした話ではないだろうか。配慮相互になされてよいと思うし、腐女子の方々は、一方的配慮されるだけの弱者とかではないと思う。

 多くの腐女子お姉さまがたは、尊敬すべき人々であると思っている。ぜひとも腐女子コミュニティの今後の拡大にあたって、より受け入れられやすコミュニティ形成をしていっていただければ幸いだと思う。

 

 また、今回はたまたま腐女子コミュニティ一般法との間の問題であったが、これは見えにくい慣習と一般法の間にズレがあるケースでは、似たような問題は何度も起こるタイプの話だとも思う。ローカルライセンスのようなものが増えすぎたら、それもそれで面倒だということもあるとは思うが、何もないよりは、だいぶよいだろうとは思う。

付記1:言論の自由引用について

「慣習は、法の前には下位の基準しかない」という話についても簡単に触れておきたい。

 基本的には法のほうが重要だとは私も思う。ただし、それは慣習と、法とのガチンコ対決回避できないという事態が訪れた場合、法が優先するということであって、ガチンコ対決回避可能場合や、慣習が公序良俗に反するというわけでもない場合は、別に回避してやってけばいいのではないか、と思っている。

 今回、腐女子コミュニティで「引用」に関わるルール特殊な形で扱われていたが、もし腐女子コミュニティにおける「引用ルールを、一般社会全体にまで拡大させようという動きにつながることがあるのならば、これは断固ととして反対する。

 「引用」の自由は、研究にとって重要という以上に、自由言論政治社会にとって重要ものだ。たとえば、それを政治的言論(たとえばヘイトスピーチ)をやっている人たちが「引用ルールの除外適用を求めてきたとしたら、それは素人文章だったとしても、まったく受け入れられない。「公開した俺の政治的発言引用しないでくれ」などありえない。それを引用して批判する自由を奪われれば、政治的なことについて公共の場議論することに多大な支障が出るだろう。

 今回の場合は(1)性的プライバシー問題であるということ(2)腐女子コミュニティの内部で、そのコミュニティに属する人々の合意において特殊な「オープンクローズ概念実効力をもった慣習である、という前提があって、はじめて「それは配慮しましょう」という話がありうるのであって、著作権における「引用」そのものを捻じ曲げるような話であってはならない。

 この著作権における「引用」を捻じ曲げていいかどうか、というの話はすべての人にとっての言論の自由の確保という意味で、致命的に重要ポイントである。これを安易に捻じ曲げるような権利主張は極めて危ういとも思う。

付記2:

 STEP3、STEP4とかはアクション担い手が限られるだろうとは思う。ただ、腐女子コミュニティもだいぶ拡大しているわけなので弁護士研究者経営者などの腐女子の方などが行動すれば決して不可能な話でもないのではなかろうか。

付記3:

 腐女子の人たちについて「二次創作やってる人たちはダブスタなんじゃねーの」問題。この件はダブスタとわかってて、恐縮しながらも、言うべきことは言おうという人と、なんもわかってない人が両方いると思う。

 後者の人たちについては、わかってくださいね、というしかないと思う。自分たちけが弱者被害者という立場でないことは理解してほしいとしか

#あと、二次創作でも「作者公認系」とかもあるので、全てがアウトというわけでもないだろうが、今回問題になったものがどっちだったかまでは調べていない。まあ、おそ松さんとかは、公式問題にしないタイプから公式との関係では、まあどうといった問題もないのだろう。

付記4:

http://anond.hatelabo.jp/20170527202448

このエントリ問題性質をよく示していると思う。

流通プラットフォームが変わるごとにちょっとずつ腐界隈の慣習と、

実態との関係性もちょっとずつ変質していっているという話だと思う。

流通プラットフォームはどんどんと変わっていくので、

その変化にあわせてぼんやりした慣習だと、運用に失敗しました、というのが今回の話なんだと思う。

オタ界隈は、かなり基盤技術の変化がはやいので、この変化に対応できるような基準が成立しないと、この手のことは何度も起こるのだろうなと思う。

2017-04-29

http://anond.hatelabo.jp/20170429163218

確かに批判を許さないのはおかしい。

しかし、自分が間違っていないと思ったら批判に屈しないのも言論の自由だろう。

お互い堂々と意見交換すればいいんじゃない

http://anond.hatelabo.jp/20170429162206

日本には差別発言をする自由もあるが、それを批判する自由もある、ってだけだよ

自分言論の自由を駆使して差別発言しまくってるのに

それを批判するのは許さないってのはダブスタ

2017-04-26

http://anond.hatelabo.jp/20170426143244

そりゃそうだろ、言論の自由

そもそも何も悪くなくともただ単に気に食わないってだけで叩くのも許されてる訳だし

2017-04-19

http://anond.hatelabo.jp/20170419134713

これが件のトランペット奏者だと思ってるの?

世界が半径1mで出来てる人?すぐ「お前本人だろw」とか決めつけたがる類?

つーかその人も別に商品イメージを引き下げる為に言ってたんじゃなかろうに

表現規制ガーとか言いたがる癖に、他人言論の自由は認めないんだなあ

2017-04-18

推定無罪って濫用されすぎじゃね?

公的機関容疑者無罪として取り扱うだけであって一般市民民間企業の行動を制限するものではないはずなんだが

マスコミ容疑者報道したら推定無罪がどうのと批判するやつって判決だけ報じて逮捕起訴は一切報じないような世の中が理想なのか?

いつどこで誰がどういう容疑で逮捕起訴されたのか知ることができなければ判決出るまで冤罪かどうかも含め警察検察活動が適正か判断できなくなる

判決出てから公開すればいいとか言ったら冤罪逮捕起訴された人は判決出るまで放置されることになる

そもそも裁判は公開が原則なのにその前段階の報道を非公開にさせる法的根拠あるのか?

私刑けしからんと言いたいのかもしれんが有罪確定でも私刑ダメなんだから私刑批判のために推定無罪根拠に出すのはただの無知

報道するのは良いが批判的なものダメだということかもしれんが犯罪ですらそこまで言論の自由制限されれば森友のような違法かどうかわからんような疑惑合法で非倫理的言動なら一層批判しにくくなる

犯罪以外でも批判されていいのは政治家のような公人だけということな私人ブログツイッターで変なことかいても一切批判してはいけないのか?それって言論の自由なくなってね?

推定無罪って現行犯でも当てはまるわけだが有罪判決の出てない容疑者批判してはならないと思い込んでる人っていきなり殴られても一切批判も反撃もしないのか?

2017-04-15

続・差別区別差別なのか?

http://anond.hatelabo.jp/20170414094139

増田でバズッたことは初めての経験なので、正直なところ驚いている。

まずは、前記事を読み、コメントして頂いた全ての方に感謝を申し上げたい。

しかし、読み返してみるとわかりにくい部分も多かったので、ここでは改めて論を整理したい。

まず、今回の最大の主張は、「妥当」「危害」「驚異」といった「基準」は時代文化によって大きく変わるので、その基準をたまに論じ、硬直せず前に進もうとする姿勢が最も重要である、ということである。ただし、2つの条件がある。


第1に、全てをグレーとする姿勢建設的な議論を阻害するので、あくまでも「たまに」、なぜこれはブラックで、これはホワイトなのかを振り返る姿勢が大切だ、ということだ。

なぜならば、「ブラック」「ホワイト」「妥当」という基準を「多数がそれを支持している」ということに求めてしまうと、それは少数派の迫害に繋がるからだ。

多数派多数派となるにあたり、もちろん多数派には妥当性が存在するはずだが、それは多数派に誤りが、少数派に見習うべき点が一切ない、ということではない。

見習うべき点は見習い、直すべき点は直すということをするには、可能な限りの言論の自由必要だ。

私も今回の一件で私の説明の下手さや、トイレを例として挙げることのまずさを学ぶことができた。

これは私が理解する、ミルの『自由論』の主張でもある。


第2に、議論は積み重なっていくことで進んでいくものであり、これまでの議論を踏まえることで、より先の思想に行き着くことができるという点は重要である

特に専門用語は真面目に説明すれぱ長くなる概念などを一言でまとめるために存在するので、これまでの議論を端的にまとめ、次に進むためには専門用語理解必要不可欠である

しかし、「それはn年前にとっくに議論されている」、あるいは「ググれカス」という姿勢は、ただ自らの優位性を守りたいだけか、あるいはただの知ったかぶりであり、後続が新しい視点でこれまでの議論を乗り越える可能性を阻害するだけである

もちろん、同じ説明を何度も繰り返すのは時間無駄であることは確かなので、先達はこれまでの議論をまとめる参考文献等を示すのが最も建設であると考える。

それができないのであれば、それは議論が足りず整理されていないことを意味するか、ただマウントしたいだけなのか、あるいはただの知ったかぶりである、ということである

そのような人達相手にするだけ無駄なので、後続は議論を続けるべきである


最後に、この話に関心を持って頂いた人のために参考文献を何冊か挙げたい。

まずは、J.S.ミルの『自由論』を挙げる。個人的には、光文社から出ている訳が一番読みやすい。

今回のような思想、あるいは制度に関する書籍は、基本的にそれが書かれた時代背景を踏まえるか、キリスト教を少しでも理解しないと、非常にうわべだけの理解に留まってしまう。従って、読む順序が存在するか、それに加えてキリスト教について学ぶ必要がある。

例えば、カントヘーゲルをいきなり読むのははっきり言って時間無駄であるし、キリスト教の克服という視点無視してニーチェを読むのも、ただのニヒリズムに陥る可能性がある

(余談だが、キリスト教何となく学ぶためには、まず『ふしぎなキリスト教』を読んで、一週間おいてから『ふしぎなふしぎなキリスト教』を読むことを強くお勧めする)。

その点、ミルの『自由論』はキリスト教に対する支持を前提としているが、話は100年以上前に書かれたものとは思えないほど、現代にも通用すると思われる。また、思い付くような反論に対し、本書中で既に再反論しているという点もお勧めだ。

ミルの『自由論』はおそらくいきなり読んでも大丈夫だと思われるが、できればプラトンの『ソクラテスの弁明』を先に一読することをお勧めしたい。

こちらは時代が違いすぎるのでいろいろと理解しがたいこともあるが、「ソクラテスというおじさんが、無知の知というものに目覚め、道行く人に片っ端から議論しかけ、「からの~?」「からの~?」と言っていたら捕まって死刑になった」という大筋さえ押さえておけば大丈夫だ。

無知の知とは知らないということを知っている、つまり、ある物事がなぜそうなっているのか、ということに対し知ったかぶることな謙虚姿勢思考議論をすべきだ、ということである



原発問題しろ民族問題しろ移民問題しろ、より良い方向に向かうということのためにはお互いを尊重した、建設議論必須である

建設的な議論には何が必要か、ということについてはまた論じたいところではあるが、それはまたの機会に。

2017-03-30

平成言論統制キタコレ

単にこの市議が頭おかしいだけで言論の自由がどうのこうのってスケール広げたくて仕方ないんだな

2017-02-03

カダフィアサドアラブの春

巻き込まなかったほうが良かったんじゃないの?

そりゃあさ、秘密警察が暗躍し言論の自由制限される社会は息苦しかったとは思うよ。でも今より豊かだったわけでしょう。西欧諸国が見せた自由という夢物語は死と荒廃しか招かなかった。

それなりに安定した社会を勢いだけで変えられるなんて、そんな夢見るのはやめなよ。

2017-01-31

言論の自由は何言ってもいいんだよ

別の法や規制で潰すのは別によし

言論の自由レイヤーでやるな

あとでリファクタリングするのが超面倒なので設計として切り分けるべきで、全体の処理としては別に特定の(気に食わない)言論潰しをやるなという話ではない

という解釈

2017-01-20

旅館自分の好きな本を部屋の備品にして何が問題なのか

文句がある客はいっぱいある旅館からあえてそこを選ばなければいいし

そこに客を誘導してた旅行屋も気に食わなければ契約解除するのは自由

互いに言論の自由契約自由なのに何で社会問題化するのか分からん

2017-01-18

アパホテル「部屋の本について」

APAホテル社長声明Google翻訳日本語英語日本語英語日本語英語日本語した結果

(原文: https://www.apa.co.jp/newsrelease/8325

毎月の雑誌アップルタウン」は、

本物の日本人歴史を広く知るために、下関亨のグループ代表

ペンホルダー「富士通」とつながっていた社会を指摘しています

1年の解説では、日本語以外の英語翻訳も付いています

 

本書の現代史に関連する部分については、

理論的にはリーダー意見に基づいて書かれており、

多くの資料分析するなど、いわゆる教義は言うまでもありません。

 

歴史歴史意識歴史教育とは異なると認識していますが、

この本は特定の国や市民批判するものではなく、

事実に基づいて真の歴史を知ることを目指しています

したがって、我々は異なる立場の人々によって批判されず、

この本を部屋から取り除くことを考慮していない。

 

日本では言論の自由保証されているが、

一方的圧力によるその請求撤回は認められていない。

 

また、本書の最後掲載された南京大虐殺意見掲載する予定であるので、

事実に基づいて本書の内容の誤りを指摘したいと思います


結論


http://anond.hatelabo.jp/20161223225658

http://anond.hatelabo.jp/20170118033103

全部言論の自由でしょ

全部ってどういうこと?

  

ハンセン病患者宿泊を拒んだら、そのホテル経営者が「旅館業法」で処罰されたという事例がある。

なので、ホテル側が客のハンセン病理由にして宿泊拒否をおこなったり、「宿泊拒否をやります」というメッセージ看板を出すことは違法だよね?

  

あなたの主張は、ホテル側のそういう行為合法になるように現行法改正しろってことかな?

それとも、法的には"看板の掲示"がアウトで、"書籍を置く"はセーフってふうに区別するってこと?

そうだ、ホテルには本を置こう。

アパホテルの件だけど、ブコメを読むかぎりだと「言論の自由」で擁護している人が多いね

  

じゃあさ、どこまでを擁護するべきかって問題にならない? セーフとアウトの境界線を教えてほしい。

例えば「当ホテルではハンセン病患者宿泊お断りしています」っていう看板を掲示したら、そのホテルにはぜったい行政から指導が入ると思うんだけど、それがあくま看板じゃなくて"書籍"だったら指導を免れるのか?

  

在日朝鮮人犯罪者ばかりだ、日本から出ていけ」

福島県民は旅行するな、放射能の毒がうつる

などなど、ホテルオーナーがあからさまに攻撃的なヘイトスピーチを表紙に飾った書籍出版し、それを客室に置いた場合、そういうケースも「言論の自由」で擁護しなくちゃならんのだろうか。

2017-01-09

サヨク言論の自由なぞどうでもいいらしい

これはひどいしか言いようがない

千葉麗子さんの著書『くたばれパヨクサイン会脅迫で中止に 有田芳生議員常識的判断が行われた」

http://getnews.jp/archives/1587346

ろくでなし子氏、イベント直前中止に「納得いかない」 アムネスティ日本は何故キャンセルしたのか

http://www.j-cast.com/2016/09/28279234.html?p=all

なにがひどいってはてな普段いる人権を守れ!人権は至上のものだ!って主張してる人達が見て見ぬふりをしてるってことだ

「敵」の言論の自由なんてクソくらえだと思ってるなら人権派を気取るなんてやめちまえよクズ

2016-12-13

2017年流行語大賞候補

2016年画期的な年であった。

流行語大賞トップ10に「保育園落ちた日本死ね」が入ったのである

その一見ヘイトスピーチしか見えない言葉母親の悲痛の叫びとして肯定され、国会マスコミ新聞雑誌で取り上げられた。

一部では非難の声もあるが、これは我々が言論の自由の一部として勝ち取った権利である

その権利2016年限りで終わらせてはいけない。

よって2017年から「○○死ね」枠を創設すべく、準備をしておくべきである

保育園落ちた日本死ね」の発祥であるこのはてな匿名ダイアリーこそ、その舞台にふさわしい。

皆も「××だった○○死ね」という流行語大賞候補を作っていこうではないか


注意:

1.「死ね」という対象自分の属する組織であること

 あくまで今回の流行語大賞で勝ち取ったのは「日本人」が「日本」に「死ね」と言える権利である

 日本人であるにも関わらず○○国死ねと言うのはヘイトスピーチになる恐れがある。

 きちんと文中に「私は○○国人です」と自称してから「○○国死ね」と書こう。

2.「死ね」という対象個人または団体に属する人にしないこと

 「○○国死ね」は流行語対象候補だが、「○○国人死ね」はヘイトスピーチの恐れがある。

 「○○社死ね」は流行語対象候補だが、「○○社員死ね」はヘイトスピーチの恐れがある。

 流行語大賞候補は認められた権利であるが、ヘイトスピーチ人権侵害である

3.あくまで「悲痛の叫びである内容を主体にすること

 ただ単純に自国が嫌いだとか自分の属している組織が嫌いだから死ね」と言うのでは流行語大賞にはならない。

 「××のせいで会社が潰れた」とか「××のせいで息子が死んだ」等、納得できる理由を書こう。


以上の注意を守り、各々自由流行語大賞候補を作っていこう。

2016-12-05

自分は悪くない。悪いのは社会のほうだ。

自分は悪くない。悪いのは社会のせいだ。

そう考えることが自分もないとは言わないし、

そう考えてる人が集まり行動を起こすことで社会や法を変えるきっかけになるのだろうけど、

オウムは怖かったよね。

自分は悪くない。悪いのは社会のせいだ。から社会を殺す所まで行っちゃったんだから

集団で。

社会を変えるのは、言論の自由保証された民主主義社会においては、

説得力のある言論を通じて、代議士の票を集めることによる方法けが許された方法なんだけど、

彼らがやろうとしたことは、暴力革命だもんな。テロで終わった(というには悲惨)けど。

革命政体の変化だと捉えると、

言論の自由に基づいた選挙無血革命であることがわかっていなかったんだろうな。

2016-11-02

まとめジャーナリストこと石井孝明とは何者か

年中ツイッターネトウヨごっことデマ散布に勤しむのが仕事らしい。ぶっちゃけただのネトウヨニートであることは言ってはいけない

フリーランスってようは仕事を無いのを美句で修正しただけ。お世辞は他人に言って貰えよ。え?言ってくれる他人が居ない?そりゃ残念。

wikipedia自分記事監視するのが日課。バカと書くと自称本人のアカウント差し戻ししてくれるゲームで遊べる。

何故自称本人かと言うと、ツイッターで何も言及してないため。たぶん赤の他人がやりましたとでも逃げ口を作っているのだろう。

退路と良い訳を考えるだけの役割石井脳みそ君って大変だ。

事実を書いても、誹謗中傷として差し戻してくれるので、たぶんバカと言われたと勘違いしてるらしい。

自分が撒いた種を誹謗中傷と常に脳内変換し、重箱の隅を突く陰湿論法使いの割りにはボクちゃん可哀想被害者ぶることから自己性愛人格障害の疑いがある。ネトウヨの基本ステータスなので致し方ない。

言論の自由を謡いながら、過去の汚点を穿り返されただけで顔を真っ赤にして言論統制を行う。ヒストリー二級を取得している。

何処で取得できるのかは本人に尋ねて見よう。涙目ブロックで敗走するけどな!恒久的に謎の闇に閉ざされた。

2016-10-25

NHK

インターネットでの同時配信が見えてきて、インターネット利用者から問答無用聴取徴収もまったなしだと思う。

NHKという組織を生き残らせるにはテレビが減ってきているは致命的だと思うので、インターネット配信して課金するしかない。

でもそれって、日本インターネット税が導入されるのとかわらない。

日本インターネット税を導入して言論の自由を阻害する気なのか。

インターネット課金することは許さない。

インターネット税を導入しないことを確約する政党があればそこにいれる。

核戦争

海外ニュースみてるとトランプイギリスEU脱退に象徴されるようにポピュリズムに流れたり、フィリピンが超法規的に麻薬撲滅を目指しはじめたり、民主主義の欠陥が露呈しはじめたなと思う。同時に中国一党独裁のままで安定的に国を成長させていて意外とうまくいっていたりと、今までの常識が崩れ始めた。

民主主義課題が出ているのは情報流通コストが劇的にさがったことが影響しているのだと思う。今までの、エリートだけによる情報管理ができなくなり誰でも情報発信情報収集ができるようになった。結果としてエリート層が社会方向性を決められなくなった。

これはとても悩ましい。

言論の自由制限することは民主主義根本に影響を与えてしまうのでできない。しかしほっておくと破綻に進んでしまう。

民主主義国家がこの問題対応できるようになるまでしばらく時間がかかると思う。ようするに次のトランプがいろんな民主主義の国ででてきて、いくつかは政権をとってしま破滅的な方向に進む。

そんな世界俯瞰してて、冷戦終了後に続いていた安定した世界が終わったんだなと思う。

また世界が2つの勢力に分かれていく。

この不安定状態を早く終わらせないと次に来るのは戦争だ。数年前までもう第三次世界大戦は起きないのだと思ってた。でもこのまま進むと戦争が始まってもおかしくない。下手をすると全面戦争になりかねないなと思う。核のうちあいは避けたいが、次の大戦では核が使われることになると思う。

2016-10-22

なんで警官精神衛生心配する声がないのさ?

いろいろな動画を見たけどああい現場にいたら精神を病むと思うんだよね。

今回の問題には戦争帰還兵のPTSDとか周囲が向ける人殺しという目線とかに似た

反戦派が着目すべき要素があると思うんだけど誰も心配してないのが怖い。

 

あんな老人が悪意を持って子供じみた嫌がらせ不法行為をしてるのを

目の前で何十日も見せつけられたり罵倒されたり小突かれたりしたらさ、

祖父母を敬う若いいい子ほど基地反対派の老人は自分祖父母とは違う何か別の人種

未開人とか土人だと思わないとやってられないと思うんだよね。

 

反対派が「お前の自宅に街宣カーよこして老婆を倒した奴だと宣伝するぞ!」

とか言うもんだから沖縄関係ない大阪県警の若者派遣される羽目になるしカワイソス

https://youtu.be/7vHDfRcEjM4?t=80

 

そんで何度も小突かれながら「やってみろ!」って挑発されにゃならんのか?

https://www.youtube.com/watch?v=BM9wKqufmAA

 

ドラえもんの声で『人殺しー!』とか『おっぱい触った!ドスケベ!』とか叫ばれたら

動画で見ている俺らは馬鹿な奴らとあざ笑うことが出来るかもしれんけど

現場で警備して付き合わされる人たちにとっては反対派を軽蔑したり惨めな気分になるよね。

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nicovideo.jp/watch/sm29771814

 

そして「土人が…。」発言自分なんか動画開いた瞬間2秒でうめき声上げちまった。

震災の揺れみたいな音がするのでそういうの苦手な人は注意ね。

https://www.youtube.com/watch?v=LslzDeV7kTI

どう見ても沖縄県民じゃなくて基地反対派に向けて「土人が…。」って

言ったんだと思うんだけど報道がなんかおかしい。

 

こういうやり過ぎな活動家逮捕できればいいんだけど

言論の自由への不安もあるから難しいんだろうね。

在特会がなかなか逮捕されないのも多分同じ理由

 

せめて警官の心が病んだり市民軽蔑するようになる前に

人の温かさを感じられるような現場へ異動して優しい警官に戻ってほしい。

例の警官大阪に帰って家族や友人との優しい時間を過ごして再確認してほしい。

 

追記

上の動画で心が荒んだと思ったらら↓の動画でも見て癒されて。

http://www.nicovideo.jp/watch/1397552685

2016-09-25

http://anond.hatelabo.jp/20160925175752

それ以外の言葉で表せないわけでもないし

抗議を受けても使い続けるんなら悪意あるとしか思えないので当然の配慮と思う

言葉狩りやめろ」っていう人は罵詈雑言並べて炎上したら「言論の自由守れ」とか言いだすのと同じタイプなんじゃないかと思う

2016-08-31

ナマモノ同人表現の自由性差別問題を持ち込むんじゃねえ

ナマモノ」とは、実在の人物(3次元)を題材にした二次創作物総称です。

簡単に言うと、タレント俳優アイドルお笑い芸人などを登場人物として使ったフィクション(虚偽)です。

そして、この「ナマモノ」の取扱は慎重に行わなければならない、とされています

代表的ルールマナーを挙げると、

①題材とされている本人、及び関係者の目に触れられるような環境に置かない

②そういった嗜好を持たないファン、また一般の方の交流とは区別する

個人名やグループ名をそのまま名指しで使うことは避ける

などがあります

なぜこのような厳しいルールが生まれたのでしょう?

それは、題材とされた本人やそれを取り巻く環境にいる人の感情尊重し、また、肖像権を守るためです。著名人と言えどもひとりの人間です。自分人格や行動に脚色やフィクションが加えられたものを見て、どういう感情を抱くかは人それぞれです。もちろん「何とも思わない」方もいるかもしれませんが、不快に思う方もいるかもしれません。いわばこれは、グレーゾーンです。そんなグレーゾーンことなら、わざわざ公にしてやる必要は全くないのです。

さて、本題に入らせていただきますが、先日このようなナマモノ界隈のルールに対し、真っ向から異論を唱える性差別反対派、表現規制反対派の方々を幾度かお見かけしました。

その方々の主張することには、

「本人から嫌悪感を持たれるかもしれないという危惧自体性差別不快、よってナマモノルールなど不要

表現の自由保障されている日本で、ナマモノルールを遵守することは表現の自由侵害にあたり、出版妨害と同等」

だそうです。

日本では表現言論の自由保障されているので、今から私が伝える主張も保障されます。もちろん表現規制反対派の方はこの但し書きをすんなり受け入れられますよね?



論 点 が お か し い 。

じゃあ表現の自由掲げてあんたらのフィクション妄想小説書かれても文句言わないのか。あんたらの子供や親や親戚や恋人配偶者親友上司や部下も題材にされて、他人公衆オナニーオカズにされてるの見かけてもなんとも思わないのか。例えそれがあんたらの性的嗜好とは著しくかけ離れていても?これは感情論じゃない、人権問題の提起だ。

それとも著名人には有名税があるから、その対象にされることは当たり前でしょうがないって言うのか?それこそ今度は職業差別じゃないのか?

そんなの強姦致傷で逮捕された某俳優好意持ってたセクシー女優に関して「あの女が一発やらしときゃ」って言い放った某女形コメンテーターと同じだろ。

表現の自由を守るためなら人権無視か?

表現する場所区別することが表現規制渋谷スクランブル交差点のド真ん中で「性差別反対!」ってセックスしてるカップルを見かけてもそれが言えるのか。

性差別偏見撤廃させるためなら公序良俗無視か?

島が違う。論点が違う。こっちにはこっちの意義を持ったルールがあるんだ。自分たちの信念と主張を通すために、よく内情を知りもしない界隈にズケズケと入り込んでくるな。


ナマモノ界隈では常に「最悪の事態」を想定してルールが定められています。こっちにはこっちの複雑な事情があってそういうルールがあるんです。明文化されたものけがルールじゃないことは、もう皆さん大人ですからわかりますよね。

アニメ二次創作や、表現規制反対派の方々が守ろうとしている表現対象と違い、こちらの表現対象は、いち個人として生きています感情を持っています。だからこそ、表現の自由性差別問題以前に、「人権」と「公序良俗を守ろうとする人としての良心」が最優先になってくるのです。本人が気分を害する、あるいは法に基づき対処するという「最悪の事態」を未然に防ぐためにある程度の規制線を張っているのです。

日本国憲法で、確かに表現の自由保障されています

しかしそれは「公共の福祉に害を及ぼさない限り」です。自由からといって、公共の場で何を表現してもいいとは限らないのです。レストランで「うんち」と発言した小学生が叱られるのと同じ道理です。

ナマモノ界隈において、「このジャンル規制されて閉鎖的になってしまってる!新しい表現者がかわいそうだ!私たち開拓させてあげなければ!」という正義心は本当にいらないです。ましてやそこに差別問題違憲問題を絡ませるなどもってのほかです。お門違いも甚だしいです。

表現規制反対派の皆さん、性差別反対派の皆さん。お願いですからナマモノ同人界隈に関しては放っておいてください。何事にも例外はあるものです。私たち私たちで意義があり独自ルールを守っています。今の状態で安定しつつある田畑に、勝手に肥やしを与えないでください。お願いします。

2016-08-04

表現の自由が少数者を抑圧してる」…都内出版関係者シンポジウム

ヘイト本に歯止めをかけることができるのか」「表現の自由が少数者を抑圧してる」…都内出版関係者シンポジウム

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160803-00011003-kana-l14

ヘイト本」巡りシンポ 自由言論とは

ヘイト本」と表現の自由問題を考えるシンポジウム都内で開かれ、出版関係者らが、あるべき自由言論の場やメディアとしての出版責任について話し合った。

外国ヘイト規制も紹介され、第三者機関によるヘイト行為への規制必要性を訴える意見も上がった。

 7月29日に開かれたシンポは出版労連主催で約80人が参加。

ヘイトスピーチ排外主義に加担しない出版関係者の会」の岩下結さんは、「5月にヘイトスピーチ対策法が成立したが、実際に『ヘイト本』に歯止めをかけることができるのかは分からない」と指摘。

出版公共メディアとしてあり続けるためには、ヘイト被害に遭う当事者視点に立った対応必要だ」と強調した。

 「反ヘイト本」の常設コーナーを設けているジュンク堂書店難波店長福嶋聡さんは「意見対立しても、民主主義必要なのは議論だ。書店はそうした意見意見がぶつかる場でもある」と主張。

異なった考えや意見を持つ人が対話を重ねる場所重要性を説いた。

 「ヘイト本」の内容の信用性に触れたのは、小学館川辺一雅さん。

事実関係を確かめていないような、編集機能が果たされていないヘイト本も多い。クオリティーが低く、本として読む気になれない」と話した。

 いわゆる「嫌韓本」を多く出版する青林堂営業職を務めた中村基秀さんは、デザイナーからヘイト本装丁を断られた経験に触れつつ、「言論の自由を言い募り、差別をあおる本を売ることに目をつぶってきた」と自省を込めながら振り返った。

 会場からは、相模原障害者施設殺傷事件への言及もあり、暴力を誘発しかねないヘイト行為に抜本的な対策がないことを不安視する声も上がった。

 諸外国ヘイト規制事例を紹介した弁護士水口洋介さんは「政府から独立した第三者による審問機関をつくるべきだ」とし、ヘイト行為に対して行政的な処置必要性を訴えた。

シンポでは、多数者が享受する「表現の自由」が少数者の声を抑圧しているのでは、との問題提起もなされた=都内

参考

出版労連児童ポルノ禁止法改正法案に「反対」する声明

http://www.syuppan.net/modules/news/article.php?storyid=142

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