はてなキーワード: 自体とは
夫が、娘を、腐女子と言い出した
私と家族の詳しいスペック(例えば身長体重、美人不美人、友達の数や成績)は書かない。それは本題ではない。(先に書くと、むしろそういう関連付けを拒むべきというのが私の意見、結論だ。)
お盆に先立ち、中学生の娘は先に、比較的近所の私の実家に帰っている。
娘が出かけた夜、私の夫が、こんなことをいってきた。
「娘は腐女子なのではないか?どうにか腐女子にならない人生を歩ませることはできないのか?」と。
私は耳を疑ったし、そういうことをいう夫に悲しくなった。
実の娘に対してそういう感情を抱くのか、とか、本人のいない前で悪口のようなネットミームを擦り付けるのか、とか、色々な感情がよぎった。
腐女子という言葉、ネットミームは、私も一応知っている。知っているといっても、BL(ボーイズラブ)を好んでいる女性、という、何か表面的なことだけだが。
私は夫に、「ネットミームで人を呼称するようなことはしないでほしい」ということを伝えたうえで、なぜ娘を「腐女子」だと思うのか、夫の考える「腐女子」とはそもそもどんな存在なのか、など尋ねてみた。
夫曰く、(いくつかの会話を私がまとめたものだが)
・まず「腐女子」とは、社会生活を営む上でリーダーシップや創造性などが見受けられず頼りなく、特に異性関係においても劣位ないし全く展望が望めず、またそれによって勝手に逆恨みや卑屈さを増幅させ悪循環に陥るであろう女性の総称。
・この「腐女子」という言葉は、夫の友人たちのLINEグループなどでまず概念を知り、そのあと個人的に調べて、腑に落ちたので使うことにした。六月ごろからこの言葉をもとにした娘への疑念が生じた。
・娘を「腐女子」と思った理由は、娘の(公表しない個人的なスペック)や交友関係や部活動での立ち位置などを広く見たうえで、前述の素質が多くみられるから。
私は、仮に娘が「腐女子」だとして、一体何の問題があるのか、いくつか思いつく例を挙げて聞いてみた。ただ、私もショックというか悲しい気持ちがあり、うまくまとまった受け答えができていたかは分からない。
(私)出自とか社会的階層による差別が許されない社会において、どうして「腐女子」という概念を娘に当てはめようとするのか? 我々も例えば「ゆとり」とか「新人類」とか「さとり世代」とかただ生まれた年代でレッテルを張られる辛さを経験しているはずであり、それをネットミームで何故繰り返すのか?
(夫)そう感じてしまったものは仕方がない。父親であっても異性としての視点があり、娘がこのままでは対人関係面で悪化するのを予想できる。腐女子という分かりやすい言葉がある以上それを使うのは当然だと思う。
(私)私も夫も娘の人間関係をすべて知っているわけではないし、まずそもそも、仮にその「腐女子」で何が悪いのかわからない。娘は何の非行もしていないし、いや、逆にしていたら「腐女子」じゃなくなるのか?(何だか屁理屈っぽいが私も混乱していた)
(夫)娘にスクールカースト上位になってほしいとかそういうのではなくて、ただ普通の人間、社会生活を営む上で常識的な身のこなしとか、総体的なことを重視できる人間になるべき。
(私)娘は、まだと言おうが、もうと言おうが、中学生であり、親に関与できる部分もあれば、娘個人の未来もある。私も夫も、自分のやってきたことを娘に強制できる人間ではないし、まずそういう人生観を伝える上で「腐女子」ということばを使うのが間違っているのではないか。
(夫)だから、今までそれを言い表しづらかったのが、新しい言葉ができた以上、「腐女子」という言葉を使うのは当然だという話。話さなければよかった。
(私)娘には、まさか、面と向かって「腐女子」などと言う言葉を使ったのか?
(夫)使っていない。(これは本当だと思う。娘が何かショックを受けたり夫を避けてる様子はないので。そう信じたい)
夫が、私にこのことを話さなければ(相談しなければ)よかった、と言っている通り、この数日間、私と夫は少し(というか私の側からはかなり)ぎくしゃくしてしまっている。
個人的なスペックについて話さないとは書いたが、少なくとも夫がこれまで、このようなネットミームを使ったり、なんというか、「生理的に無理」「キモイ」みたいな即物的なことばを頻繁に使う人間ではなく、娘に対してもちゃんと親としての見守りを並んでしてきてくれたと思っていた。故にショックが大きかった。
しかし夫にとっては、娘が「腐女子かもしれない。腐女子だ」ということが、「親としての責任、見守り」という認識なのだということにも思い至っている。何か、本当に根本から食い違っていることだけはわかる。
ただ、私は腐女子という言葉や概念自体を否定したい立場だ。特に、まとめサイトでやいのやいのいう次元ではなく、親が子供を指して使う言葉ではないというまず常識のレベルで。
だが、なんというか、これ以上どうしたらいいのかわからない。一度腐女子という言葉を知り、娘に当てはめてしまった以上、夫は娘に対し、何をするのか。さっきも書いたが、「腐女子」という概念自体が良く分からないので、どうなるのか分からない。
単に「シャキッとせえ」「ええかっこしい」みたいな次元ではなさそうだ。私に「娘が腐女子だ」という以上、子育てとしての問題意識があるのだろう。母としての自分は、では「腐女子」に対する何かを打ち出せたのか。
そしてコロナ自体は軽症化してると思うんだけど、高齢者にとっては話は別で、日数経過して隔離解除できてもそのあと退院できずに亡くなる人多い
予備力がないってこのことだなーって改めて思う
これさあ、出生前診断をして子供がダウン症だったので中絶しましたって記事なんだけど
こういうのを見れば分かるように、この国の世論は障害者は事前に殺せが大正義だし、反対する人間なんていやしない。
なのにあたかも反対派が多数存在するかのような前提で語る人達は卑怯だと思う。
「どっちを選んでも母親は責められる」とか言ってる人がいたけれど、そんなの大嘘である事がよく分かる。
障害児を中絶した母親は全く責められていないよ。寧ろ社会のお荷物をよくぞ始末してくれました!という賞賛一色。
今はまだ事前に分からない発達障害もそのうち診断出来るようになったら堕ろせの大合唱になる事だろう。
亡き子は23センチ・393グラム「壊れてしまいそうで抱けなかった」検査陽性なら中絶率が約9割 出生前診断で決断した母の声「選択自体に後悔はない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/7351dd48d8ffa6f34b9749266b344b2358194a55?page=2
増田は基本的に誰にも伝わらない感情供養だと思ってるから恐ろしいほど反響あって驚いてます。
返信してる人も感情供養だと思うしそれにいちいち返信されてもウザいんじゃないかと思うからトラバしとくけど、別に読まんでええぞ。これも感情供養やからな
今回はガーディアンライネルの倒し方調べてプレイして最強防具ゲットして補正付き獣神武器やガーディアン武器も手に入れた。だから結構楽しんでるとは言える。
ただまだ全然終わりが見えなくて辛くなってきたのと後何匹リザルフォス倒すねんと思ったらまた辛くなったから感情の整理のために書いた。
意図: ブレワイの駄目な点を知らん人相手に論って説得しようと言う気や楽しんでる人にケチ付ける気は更々ないからね。
良い部分はちゃんと評価したいのでそう書いてるけど煽りや上げて落とすに見えたら申し訳ない。
リセット: 間空けてからプレイすると基本操作も忘れてるのと、倦怠感マシマシの過去データより楽しかった最初の方やって快適操作覚えたいと思ってやるのだが、まあ良い癖ではないし、ブレワイはそういうゲームではないのもそう。
武器破壊: 破壊されること自体より破壊速度が武器の印象と一致しないのが意識のノイズになってる。
雨: 雨で冒険中断されるのはリアリティあるし、ステルス度合い増すし、雨の中狙撃狙いしてると冒険感あって楽しい。から自分的にはアリ。
評価: クソゲーとも神ゲーとも思ってない。自分的には概ね80点のゲーム。ただ加点要素が自分に刺さらないのと、ボリュームがデカすぎた。
他ゲー: プリンスオブペルシャやホライゾンゼロドーンは楽しめた。駄目な部分はもっと駄目だけど架空歴史やSF要素が自分に刺さる。ファンタジーはあんまり。
脳破壊: どうせ誰も読まんと思って書いたからすまんな。自分はどっちかと言うと嵌まり込むタイプだがこれは疲労がとことん溜まるのと、プレイ覚えても疲労が軽減しないからきっと老化してる。
以上。
リベラル側のSNSでの「ずっと怒っている感じ」には正直疲れている
怒りが大切なのはわかるけどとにかくありとあらゆるものに一日中キレていて
キレる話題も多岐に渡るので情報精査が甘くほとんどデマと言っていい話に飛びついて批判材料にしているのもよく見かける
具体的にいうと能登地震の復興関係の話題などは私自身が能登地震の被災者だからか
アップデートされていない情報や切り取りでとりあえずパレスチナ問題やクルド差別批判、
トランスジェンダー差別批判の合間合間に流れてきた批判ポストを鵜呑みにしてその時だけ乗っかって政府非難するだけだったり
「能登みたいになるぞ!」と脅しの材料に使われているだけと感じることも多くなってきた
強い言葉でキレるならもう少し情報を精査してリポストするくらいはできないだろうか
直接差別に加担しているぶん右寄りの方がより最低なのは事実だろう
リベラル側もずっと怒っている状態にならずに済むと頭ではわかっている
世の中がどんどん悪くなっていく実感に焦っている気持ちもわかる
わかっているんだけど
ずっと怒っている人の怒りの渦の中にいること自体に疲れている
正しさのために冷静に怒るということの難しさも感じる
発達障害者が、自称健常者らに勝手にレッテルを貼られてそれによって「救済」されたことにされたり、その独自に育んできたコミュニケーションを「矯正」されたりしてきたことに対して怒りを感じている。
だが、発達障害者に行われてきたことは、自称健常者・日本国民の下層の人々にも降りかかるだろうということも常々言ってきた。
過去これまでの氷河期叩きもそうだし、子ども部屋おじさんおばさんもそうだし、「ケーキの切れない~」もそうだ。何か曖昧な社会不安が起きるたびに、この社会は生贄を生み出してきた。
間違ってはいけないのは、「明確な原因→解決しよう」ではなく「曖昧な不安→あいつらがキモイ!あいつらが原因」ということだ。
俺は発達障害者やアスペルガーと指さされた人々に対して、「キモくて何が悪い。怒れ」と度々言い続けてきた。
https://anond.hatelabo.jp/20230318052208
「加齢の現実を理解していない」とか「おじさんおばさんは自分の年齢の責任を理解して」とか、そんなことばに従う必要はない。
ネット上では薄っぺらいルッキズムやエイジズムの批判が行われ、そして同じ口でおっさんやおばさんという言葉が悪口として使われる。
俺は堂々とエイジズムを批判する。55歳のおっさんが22歳のように振舞って何が悪いんだ?47歳のおばさんが16歳のように振舞って何が悪いんだ?
だが、それを具体的にどう擁護すればいいだろうか。発達障害者のそれと同様に身近にやっていくしかない。
俺も、飲み会で、まるで大学生みたいにはしゃぐおっさん(物書き)と、それに対する周囲の視線を見た事がある。そして俺はおっさんが孤立しない様に、同様にはしゃいだ。気持ちが良かった。
そもそも「成長」だとか「(曖昧な・出自や年齢にしか紐づけられない)責任」という概念自体を徹底的に疑え。少なくとも障害者の運動はそれをやってきた。
もしかしたら「キモい」おっさん・おばさんと、発達障害者の権利はいつかぶつかるかもしれないが、そんなことは関係ない。それはその時だ。
(黒人奴隷を解放するときに「いつか黒人が白人と衝突するかもしれない」なんて考えるバカは大勢いただろうが、解放は進んだだろ)
キモイキモイと意識し続けて、それで最後に誰が生き残るんだ?キモイキモイと言い続けてきた結果が今の閉塞感だろ?じゃあどうすればいい?
キモくて何が悪い。みんなキモいんだよ。上の記事の繰り返しになるけど、キモくていいんだよ。むしろ、「自分のコミュニケーションや生活はキモくありません」と思い込んでる方がキモいんだって言ったれよ。俺もお前もキモいんだって。
空気読んで人をいじめる本末転倒な社会を構成してる空気読みのお前らも病気だって。
そう言い切って、はじめて、エイジズムやルッキズムはぶち壊せる。
みんなも、「年齢にふさわしくない、キモいおっさん、おばさん」を見た時、自由を感じろ。これでいいんだって。それが過去と将来のお前を救う。それを広げていく。頑張ろうぜ。
しっかり稼いでいる、そしてそれに自負もある責任感の強いおじさんなんだろうな、ということは割と容易に想像ができる。それなりに家族サービスもしている。
そういうタイプのおじさんの中には、「社会的な地位に基づく自負」を、サラリーマン人格以外の全方位において適用できるかのようにこじらせている人が一定数いて、恨みおじは、そのタイプなのかもしれない。
産後の恨みは一生おじは、「育て上げたって感じがするなぁ」の一言で、恨みおじ家の家庭のパンドラの箱を開けてしまった状態なのかと思う。
少なくともこの件より前は、恨みおじ自身も妻に対して『妻はあまり自己主張をしないタイプで、だけれども器用に誤魔化すタイプでもない』という古い専業主婦型の性格類型ではあるものの比較的フラット~ポジティブな印象を妻に対して持っていたわけで、それまでは、恨みおじが抱いていた「分業だが協力した家庭運営」を夫婦お互いの努力により大きな破綻なく作り上げていたのだろうと思う。恨みおじが問いただしたりしなければ、妻はこれまで通り、努力と諦めと愛情をもって家事や子育てをし、夫である恨みおじも色々なことを我慢したりして、お互い協力して家庭を円満に運営し続けていたんじゃないだろうか。分からんけど。
そうはいっても、現代の夫婦、家族は言葉によるコミュニケーションにより円滑な関係を続ける方が良いわけで、恨みおじが問いただしたこと自体は責められるべきことじゃない。ただ、聞き出した結果がおじの思ってたのと違っていたとしても、それを否認してしまったらせっかくのコミュニケーションが何の意味もなさなくなり、むしろ恨みおじの家父長的ハラスメントポイントがアップする。そして妻も「愚かなる専業主婦ポイント」がアップする。これは家庭にとっては小さい不幸の種ではある。まぁ多少の不幸なんてどんな家庭にもあるけれど、放置してこの小さい不幸の種から芽が出て葉が茂ってしまうと、よくあるタイプの「冷え切った熟年夫婦」になる種ではある。
恨みおじの一番の傷ついたポイントは、「自分の考えていた温かみのある分業家族」が、自分だけじゃなく妻の我慢や諦めもあって成り立っていたことを突きつけられたからではないか。
恨みおじも我慢や諦めがたくさんあって、妻も同様にあった。それは聞きださなければ表出しなかったのだから、相殺して許しあう方が適切だろうと思う。
おじは
文字にすると端的だが、もっと長々と具体的に話された。その割に、振り返ってみると上記の3~4行でまとまるような内容しかなかったな
と余談のように書いているが、愚痴が冗長になってしまう程度には「やらかし」の回数が多かった可能性も推測できる。それに関して、まるで妻を「話を要約する能力がない奴」みたいな印象操作をするような余談はあまり上品な言葉ではないと思うし、そういう話ぶりからは、こいつ普段からこんなイヤミったらしい当てこすりしてんじゃねという印象も生まれる。
産後1年弱のたった数回のやらかしのことを何十分も話していたのだとしたら、①相当ひどい(死ぬ可能性のあるレベル)やらかしだった、②問い詰めておいていざ話し出したら批判だったのでろくに話を聞いてらんないなって態度をしていた、とか、そんな可能性もある。③単に妻が話が長くて恨みがましい、という可能性ももちろん十分あるが、だとするとそれまで20年以上の夫婦関係の中で妻の、家庭の何を見てたんだ?お前の目は節穴ですか?という話だ。自己主張は少ないがごまかせないタイプなんだろ?妻は。
恨みおじが、根本的に勘違いしているところは、会社員として結果を出すという仕事と、子育てを同じ尺度で査定評価しようとしているところだ。
総量では圧倒的に貢献してきたプラスの方が大きいと思っていた(し、冷静になって考えてもここは揺らがないと思う)
総量って何だろう。
家庭の運営に必要なリソースは、①金、②割いた時間・労務、③精神的なコミット、④緊急時対応力、ぐらいがぱっと並ぶところだと思うが、特に①とそれ以外は比較するための尺度が全く異なるので「圧倒的に貢献してきた」と簡単に言うこと自体が愚かである。要するに、恨みおじはちょっと自分に対する査定が甘くないだろうかと思うのだ。
お金がないと家族は路頭に迷うのは当然で優先順位は高いが、そもそも家族内分業で夫が金を稼ぐことにリソースの多くを集中できる環境は妻が作っているということを忘れている。冒頭に述べた「稼いでいる自負があるおじさん」が一般的に忘れやすいところで、まぁ色々異論はあっても妻の扶養控除を適用しているのなら少なくとも扶養控除以外の部分については「妻が夫が稼ぐためにしている労働」として堂々と数えられる部分ではある。外に出て稼いでいるんだぞ!というなら「生んだんだぞ」になるので水掛け論にすらならない。今二十歳になる長女がいる年齢の女性だったら、3人産んで育て上げられる社会環境は実質無かったのだから妻に給与所得などがないことを妻の責任できるものでもないし、もっと言えば2024年だって金を稼ぎながら子供を3人育てられる女はごく少数の恵まれた環境にいるものだけだ。そういう現実をまるっと無視して「冷静になっても揺らがねえ俺のジャスティス」と思ってるのだとしたら、割と滑稽である。
会社では、営業、生産、企画、人事総務、管理など様々なセクションがあるが、恨みおじは「営業が、新商品の成功を自分の手柄のように喜んでいる」みたいな構図にも見える。営業は当然顧客開拓などに血道をあげて努力をしただろうしマーケティングの手伝いなども責任感を持って従事しただろう。だが、それを生み出した生産、企画やマーケティングの力も大きいし、支える人事総務や管理などのセクションがなければ会社という機構自体が動かない。出来る営業担当者なら「各部門のみなさんおかげで最大売上になりました」と言うところだろうと思う。それが「育て上げたって感じだよなぁ!」と肩を組まれても、工場の生産管理担当者も「あっ、はぁ」となるだろう。恨みおじの言いぐさはこの間抜けな営業マンみたいな感じなのだ。
家族の満足度や子供の成長ぶりが、家庭運営の成功を図る尺度の一つだと思うが(もちろんone ofでしかない)、恨みおじは、実はこの「家族の満足度」において「バツ1つ」付いた、そしてそれに傷ついた、というのが今回の件の別の角度からの見方として筆者が提示したいことである。
少なくとも家族の1人はそれほど(自分ほど)は高い満足度がなかったという「結果」に落ち込んでいるのではないだろうか。頑張ってきたという自負がある人ほどショックだろうと思うので気の毒だとは思う。
もしも、妻からの査定について、自分は我慢強くて家庭に責任感があるから言わなかっただけで自分が稼いだ金で生きているくせに妻は我慢強くない愚かな女で満足してないのは不遜である、と思うなら、仕方がないが、その場合は熟年離婚コースの方に3コマ進む、である。
一方で、もし恨みおじが、本当にもう少し冷静なら、他の家族構成員であり主に家庭の受益者となってきた子供たちに(受益者と言うとなんか変だが子供なので当然だな)話してみたらいいと思うのだ。妻一人の感想ではなく子供たちにもリサーチをすればいい。「娘が成人してパパも肩の荷が下りた、ここまで無事に育て上げられたなぁと思うよ」と聞いてみたらいいと思う。娘はにっこり笑って、そうだね!社会人になるまであと数年お願いします!とか言ってくれるかもしれないし、はぁ?何言ってんの?という顔になるかもしれない。
子供は馬鹿ではないので親の背中を見ている。恨みおじが本当に「俺だって仕事も頑張ってきた、自分なりに家庭も大事にしてきた」のなら、子供は父親を尊敬し尊重するだろう。
そうじゃないなら育て方が悪かったので、母親はもちろん、自分が「育て上げた領有権」を主張する程度には父親にも当然責任がある。「育て上げた」のだから、育ちあがった状態に一部分の責任があるのは当然。
まぁそもそも、子供は3人いるらしいし娘さんも大学生ということはまだまだ社会には出てない。成人の年齢は18なわけで何で今「育て上げた」って突然?と思われそうな気はしないでもない。妻もそんな風に感じたのかもしれない。
かなり特殊な例だろうけど書いとくな
ワイはいわゆるコミュ障ではないができれば人とは関わりたくないタイプ
仕事ではバリバリにコミュニケーションをとって飲み会とかもほぼ参加するタイプだが
本質は家で一人で過ごしたいタイプなんで家に誰かがいる事自体がストレスになる
幸い家事全般はDIY感覚で大好きなので日々の生活が苦痛になることはない
あと最大の要因は人を好きになることがないことらしい
Wikipediaによると「チーズ牛丼を注文する若い男性のイラスト」が2018年頃に拡散されて流行ったとのこと(該当イラスト自体は実は2008年頃に描かれたものらしい)
イメージとしては「ダメなオタク男子」を指すスラングであって悪口としても使われるし自虐的にも使われてきた。
ネットミームというのは偶発的に流行るものであって、最初こそなんか面白い言い方って事で流行ったんだと思うが、
今はネットではそれなりに定着していて自分もなんとなくこういうタイプの男性を指し示してるんだろうなって想像はつく。
しかし俺自身はチーズ牛丼なるものを食べたことがないし今後も食べないと思うのでいまいちピンとこないままでもあったりする。
そもそもこのチーズ牛丼ってそんなにメジャーな食べ物なんだろうか?吉野家、松屋、すき家どの店にも確かにメニューとして存在してるけど、
自分で頼んだことないし、頼んでる人もあんま見たことない気がする。
あたりがありそうではある。そしてチー牛についての考察調べてて一番腑に落ちたのが
「チーズ牛丼は主題ではなく、同じ店で同じものを食べる行動の狭さが揶揄された単語だと思うよ。そういう意味で、チャーハンでも肉うどんでもいい。わかるかミラノ風ドリア」と言われた。かなり嫌だった
というXでの投稿だった。まあそれだけじゃないとは思うけど
「手軽に食事済ませたいが欲張ろうとはする」精神的な幼さは少し感じないでもない。
いや牛丼ひとつでそこまで感じられてもという話ではあるんだが、食に対して偏った傾向を持ちやすいのもオタクの特徴のひとつではあるとは思うのだ。
今現在の「チー牛」というスラングの使われ方はやや歪な形になりつつあるようで、
自虐的な使われ方で浸透してさほど悪い意味にも感じなくなってきた一方で、あくまで辛辣な言葉として使いたいが故に、改めてその意味を問うみたいな流れも多少あるようだ。
あと最初がチー牛を頼む男性イラストだったことから、チー牛原理主義者みたいなのがいた場合はその使われ方がルッキズム的にどうなのかという問題もあるかもしれない。
いずれにせよ自分はこの言葉は全然しっくりこないままだしそもそも牛丼にチーズは合わないと思っている。
みんなそんなほんとに食べてるの?チー牛。
今回のニンダイでリメイク、リマスター、移植(そもそもこの3つの違いもあんまり分かってない)が多すぎる問題に関する愚痴
発表されたもの自体は嬉しいよ。カプエスとか幻想水滸伝懐かしい、って思うんだけど、スト6や百英雄伝やってるしな、だとわざわざもう一回最初からやる気もしないし。
インディーも新作やってる風に見せかけてドット絵とか静止画でオシャレな会話するアドベンチャーばっかりだし、ドット絵に回帰して『ゲーム好きなお客さんってこんな感じでっしゃろ』が透けて見える(都市伝説のやつとか特に)と冷めるというか。
うまく言えないんだけど
『はあ昔はスゴかったんですね、じゃあ今はどうなんですか?』の返答が
1.昔スゴかったゲームをもう一回遊んでね!
か
2.昔スゴかったゲームのリスペクトを込めたコピー品で昔のスゴさをもう一回味わってね!
今回のニンダイは1の多さが気になったんだけど、2の方が深刻な気がする(FF16やバイオヴィレッジよりFF7やバイオ4リメイクの方が反響大きいように見える、みたいな)
これの投稿主です。
投稿自体は初めてで、だからこそこんなにもリアクションを貰えたのが嬉しいような、悪意に塗れた議論の踏み台にされているようでちょっと不快なような、そんな気分になった。
一夜明けて、ここのコメントも読んでみて、なんとなく自分の中での原因のようなものは整理できたので吐き出したいなと思う。
○原因としては、
というところに帰着すると思う。
妻が育児の現場を担当する実働部隊で、私は資金調達部隊のようなイメージだった。
仕事のプロジェクトと同じだが、育児も当然に資金的裏付けなしには進まないと考えており、それ故に自分も育児というプロジェクトの中で欠かせない役割を果たしていると思っていた。
しかしながら、妻の中では実働部隊だけが育児の範囲であり、その裏のファイナンスの部分はプロジェクトとは独立した業務だと捉えていたんだと思う。だから、手も動かしていないのに一緒にやり切ったような顔をするなよと感じたんだろうな。
その上で、そもそも家庭における役割とは必ずしも完全に分割できるものではないとは考えている。故に、妻と私の投下したリソースが同じだったとまでは思わないが、それでも双方合意の上で家庭内の役割を分担し、双方に(一定程度は)それを果たしたのだから、やはり育児の成果を妻だけのものだと捉えるのは違うよなと思った。
敵意の滲み出ているコメントも多くあったけど、その中でもそれなりに受け入れ可能なコメントを残してくれている人もいて、少しだけ心が温まった。
と同時に、(たぶん普段閲覧している時は無意識に頭の悪いコメントを読み飛ばしているからだと思うが)、ここがこんなカオスなサイトだったんだなと初めて気づいた。
具体的に言うと、「定年時に妻に『勤め上げた感じがするなあ』と言われたらどう思うのか」というコメントがあり、それなりに同意を得ているようだった。しかし、そもそも当該コメントにおける"妻"の発言は支離滅裂であり意味を成していないにもおらず、それでも多くの同意が集まるようなサイトだったんだと目の当たりにし、素直に驚いた。
("妻"が言うとしたら「一緒に定年まで頑張ってこられてよかった」という感じだと思う。もしそう言われたとして、俺は素直にその通りだと思うし、そこで出てくるのは一緒に頑張ってくれた妻への感謝でしかないと思う)
2024年6月1日から、X(Twitter)で「山奥SEO」というキーワードが話題になっています。今回は今話題の山奥SEOについてどこよりも詳しく解説しています。ぜひ参考にしてみてください。
山奥SEOとは検索ボリュームが0〜100以下のキーワードを対策することです。サジェストに表示されないようなニッチなロングテールキーワードを狙う戦略です。
対象者は多くないが、特定の情報や商品を必要としている人に対して、ニーズを満たす丁寧な記事を書くことがポイントです。
初心者向けの山奥SEOのキーワード選びのヒントは後述の「山奥SEOのキーワード選びのポイント」でご紹介します。
チラさんというアフィリエイターが2022年11月28日にTwitterにて発言したことで生まれた言葉だと言われています。
山奥SEOのメリットについて、考案者のチラさんは以下のように発信しています。
・ニッチで情報が存在していなかったクエリーで記事を書くため読者に超絶感謝される
・SNSシェアによる拡散が生じることで自然なアクセスや被リンクを獲得する
・自演スパムなどでは得られない強固なドメインが自動的に形成される
・一次情報が多くなるので尖らせた特化サイトであればEEAT対策になる
また、上記以外では、検索ボリュームの小さなロングテールキーワードは、ニーズが狭まっており、基本情報の収集は済んだユーザーが検索していることが多いため、CVRは高くなりやすいという点もメリットと言えるでしょう。
また、制作時のことを考えると、ニーズが狭く限定的なので、コンテンツの軸が取りやすく制作しやすいというメリットもあります。
山奥SEOの基本情報について解説してきました。この記事を読んでおり、SEOに取り組んでいる方は、アクセス数や収益化など集客を必要とする目的があるはずです。
「山奥SEOは、検索ボリュームの小さいキーワードを対策するということはわかったけど、アクセスを得たり、稼ぐことにつながるの?」
と疑問に思っている方も多いのではないでしょうか?
検索ボリューム0のキーワードを対策した事例として、面白いデータがあります。
和訳:「検索ボリュームゼロのキーワードを扱う方法:ボリュームの少ないSEOキーワードを見つけて活用するプロセス」
こちらは、検索ボリューム0のキーワードにはチャンスがあるという内容です。
検索ボリュームが0のキーワードでも、一定のアクセスが見込まれ、さらにロングテールキーワードになるため、CVRも高くなる傾向があるというもの。
また、検索ボリューム0のキーワードは、競合が対策していない可能性が高いため、CVRが高いのにも関わらず個人が戦えるキーワードが見つかりやすいのです。
私も経験としてとくに商標系のロングテールや3語以上のロングテールはツールの検索ボリュームが一致しないことがあります。
また、類似キーワードや掛け合わせキーワードによって、対象のキーワードとは異なるキーワードでのヒットも発生するため、ツールでの数値と実数値は異なってくることが多いです。
山奥SEOも、このツールの数値と実数値の差による穴場を利用しています。
実際にGoogleのキーワードプランナーやAhrefs、ラッコキーワードなど利用するツールによっても、表示される検索数は異なります。そのため、ツールの数値が0だからといって対策有無を精査してしまうのはもったいないのです。
ツールでの検索ボリュームが0でも、アクセスは一定確保できることがわかりました。
山奥SEOは稼げないと、Twitter上での発言を目にします。考案者のチラさんも「稼げないからやめた方がいい」と言っています。
しかし、月数万円くらいなら山奥SEOと類似した手法で制作したサイトの事例があります。そのため、お小遣いくらいなら稼げるというのが私の見解です。
2023年1月に私がツイートした内容で、検索ボリューム0〜20のロングテールキーワード+3記事の少数記事で26,920円の収益が確定したというもの。
私は山奥SEOではなく、超ロングテール×少数記事と呼んでいましたが、同様の手法で検索ボリュームは0、10、20、3記事のみの超ミニミニのテストサイトを運営しています。
厳密には山奥SEOとは、異なりますが、検索ボリュームが少ないキーワードでもお小遣いレベルであれば収益が上がることがわかります。
以下も同様のサイトについてです。
上記のツイート時点で25,000円ほど収益があり、現在でも5,000円から20,000円ほどの確定がある状態です。
直近の2024年1月〜4月の収益とアクセスデータは以下の通りです。
1つ4,000〜5,000円程度の成果報酬の案件が1つ〜4つ程度売れている状態です。
合計の検索ボリュームは30なので、通常なら月に30回しか検索されておらず、検索順位1位のCTRの平均は約40%と言われているため、
30回×40%=12回
月に12人ほどしか訪問されないのではと仮説を立てることでしょう。
参考:Google Click-Through Rates (CTRs) by Ranking Position in 2024
しかし、実際には295〜486PVと、想定値の25倍〜30倍のアクセスがあることがわかります。
2万円程度ですが、3記事で検索ボリュームが0〜20のキーワードで、と考えると山奥SEOはキーワード選定次第では稼げるといっても良いのではないでしょうか?
山奥SEOや検索ボリュームの小さいキーワードを対策するときに重要となるのがキーワード選びです。
しかし、ただ検索ボリュームがないor少ないキーワードを選べばいいというわけではありません。
ルールの1つ目は、市場自体は大きいキーワードを選ぶことです。
市場が大きく、ニーズもあるジャンルは、軸となる単ワードのボリュームが大きく、テールワードのバリエーションや数も多いです。
そのため、ある程度ニーズのある市場の大きなジャンルから試してみるのが良いでしょう。
次に単ワードや2語ではなく3語以上のロングテールキーワードを選ぶことです。
単ワードで検索ボリュームがないキーワードの場合は、ニーズがほぼないに等しいため造語のような領域になってしまいます。
さすがに検索されないことには始まらないので、3語以上のロングテールから探してみるのが良いでしょう。
そして、3つ目は検索のフロー(特に直前)のキーワードが存在していることです。
ある程度ボリュームのあるキーワードの、サジェストのサジェストのような、軸となるジャンルキーワードの2から3階層下のキーワードが狙い目だと考えています。
具体的には、LSIキーワードやPAAなどを参考にテールキーワードを探していくのが良いでしょう。
サジェストキーワードやLSIキーワード、PAAには、検索ユーザーが意図的に検索しないが、目についたら検索してみようという潜在的なキーワードが含まれているからです。
今回の「山奥SEO」というキーワードのような、誰も知らない、検索されることも、対応するコンテンツもないキーワードを対策し、将来的に当てるというのは難易度が高いです。
そのため、業界や現場に精通しており、リアルなユーザーニーズを獲得できる人以外は推奨できないでしょう。
ただし、トレンド性のあるキーワードをトレンドブログに近い形で将来的にボリュームが大きくなることを見据えて、低いうちに先行者として対策しておくというのは山奥SEOに通づるものを感じます。
よく考えてみると、X(Twitter)で起きたこの一連の流れ自体が、山奥SEOなのかもしれません。
世の中にない造語がSNSを通じて拡散され、話題になり、そのキーワードで記事を書き始める。
私達は今、世の中から新しい言葉が生まれて世の中に浸透していく、まさにその瞬間に立ち会っているのかもしれません。
言い換えると、検索ボリュームが0の造語に、検索数が生まれるその瞬間に立ち会ったということです。
タイトルの通りで、自分は病院に勤務している いちコメディカル。
新型コロナウイルス感染症(以下コロナ)のクラスターも何度か経験し、その感染力であるとか、自身もコロナ感染症にかかってしんどかったので、コロナの怖さ自体を否定するつもりはない。
ただ、「一体いつまで今の対応が続くのだろう」「もう良い加減よくないですか?」と思うところが正直なところある。
病棟にコロナ陽性者のいない日々の業務もN95という息苦しいマスクを装備して行うのだが、もうこれは一旦置いといて、自分が不満に感じていることのひとつとして「面会の制限」について書きたい。
・小学生以下は面会不可。
自分のところが特に厳しいのかと思ったが、友人の職場や、行く機会のあったいくつかの病院も時間が少し長めであったりはしたけれど、大きくは変わらない条件だった。
とくに「小学生以下は面会不可」というところが非常に引っかかる。「以下」だ。ようは12歳までは面会ができない。
これは60〜70代くらいの入院患者の孫であるとか、若い患者であれば我が子との面会が叶わない可能性があるということだ。
このくらいの歳の子は、じいじばあばが好きだという子は少なくないと思うし、親であれば尚更その存在は大きいだろう。患者サイドから見てもそうではないだろうか。
自分の病院では主治医の許可がおりた場合に、もろもろの制限が解除されて面会が可能になるのだが、これはもう本人が危篤で意識も曖昧な状態になっていることがほとんどだ。情けの面会みたいなもの。
このタイミングでやっと会えることにどれだけの意味があるのか?
大人ならまだその最期の時間に意味を見出せるかもしれないが…。
なぜ患者とその家族は制限されまくっているのか、わからずにいる。
自分たち職員は感染に対して意識が高く、常に予防策をとって生活しているかというとそんなことはない。
病棟での飲み会は未だにやっていないが、こんなのポーズだけで、外食だっていくし、県内外問わず遊びにだって行っている。
患者は入院時に検査をされ、そのあとは全くといっていいほど外部との接触がなくなる。
院内でコロナ陽性者が出るとしたら、はじまりは職員であることが多いであろうし、実際ここ最近は職員の陽性ばかりだ。
この面会の制限はなんなんだろう。
一体いつまで続くのだろう。
もちろん誰かが感染してしまった場合にその人のことはどうなるんだという側面もあるけれど、自分の家族で想像した時に、現状は本当につらいなと。
ある日突然入院になり、そのまま会って話をすることもできないままお別れになる可能性もあるのだから。
正直なところ、自分がその立場になるまでは「決まりだから」くらいの気持ちで対応していた。
しかし妻が体調不良で入院となり、その間2歳の息子はママとスマホの画面越しで会うことしかできなかった。
加えて自分の母親が入院し、医師から「いつ急変してもおかしくない」と言われたが、入院中は孫と会わせてあげることができなかった。(今回は無事退院できた)
匿名投稿サイトの書き込みをChatGPTにコピーアンドペーストし、その返答を当該書き込みに対するレスポンスとしてコピーアンドペーストするユーザーがいます。
これについてどのように考えますか?
匿名投稿サイトにおいて、他人の書き込みをAIに解析させ、その返答をそのままサイトに投稿する行為にはいくつかの側面があります。
意見の正当性と独自性: AIを使って生成された意見は、元の書き込み者の考えや感情が反映されていないことが多いため、議論において独自性や個人的な意見の正当性を欠く可能性があります。これにより、掲示板の本来の目的である意見交換や討論の質が損なわれることがあります。
匿名性と責任の問題: 匿名投稿サイトでは、書き込みの内容に対する責任を負うことが難しいため、AIによる書き込みも同様に無責任な発言と見なされる可能性があります。これが過度に否定的な意見を助長し、コミュニティの健全性を損なうことも考えられます。
AIの誤解や偏見: AIが生成する意見は、そのトレーニングデータやアルゴリズムに依存しており、時には誤解や偏見を含むことがあります。これが原因で、投稿内容が不適切または誤った情報を伝えるリスクもあります。
コミュニケーションの希薄化: AIを介したやり取りは、人間同士のコミュニケーションの深さやニュアンスが失われる可能性があり、結果として議論が表面的なものになることがあります。
総じて、AIを利用した書き込みは、その場の文脈や意図を十分に理解しないまま行われることがあり、その結果、議論の質が低下する可能性があります。そのため、掲示板での意見交換では、できるだけ個人の考えを自らの言葉で表現することが重要だと思います。
そのような行為を行う人間は言語化能力と主体性、社交性が低いと考えられますか?
そのような行為を行う人に対して、言語化能力や主体性、社交性が低いと感じるのは理解できる意見です。AIに頼って意見を述べることで、自分の考えをしっかりと表現する力や他者との直接的なコミュニケーションを避けているように見えるかもしれません。その結果、賢明さや成熟度に欠ける印象を与えることもあるでしょう。
ただし、その人がなぜAIに頼るのかについての背景や理由を理解することも重要です。もしかしたら、自己表現に自信がない、あるいは議論に参加する際にサポートが必要だと感じているのかもしれません。したがって、一概にその行為を否定的に評価するのではなく、背景を考慮する余地もあるかと思います。
このやり取りを匿名投稿サイトに書き込むとしたら、それについてあなたはどのように考えますか。
このやり取りを匿名投稿サイトに書き込むことについては、いくつかの観点から考えることができます。
1. 議論の質に対する影響
このやり取りがサイトに書き込まれることで、他のユーザーが議論に参加するきっかけになるかもしれません。AIを使ったやり取りについてのメタ的な議論が生まれる可能性もあります。
しかし、書き込みの文脈によっては、こうしたAIとの対話をそのまま投稿することが、他のユーザーにとって不自然に感じられる場合もあり、議論の流れやトーンに影響を与える可能性があります。
2. 透明性とオープン性
AIの意見を取り入れていることを明示せずに投稿すると、他のユーザーがその意見を純粋に人間の意見として受け取るかもしれません。この場合、透明性が欠けることになります。
逆に、AIとのやり取りであることを明示して投稿するなら、他のユーザーがそれをどう受け取るか、オープンな議論が生まれる可能性もあります。
3. 倫理的な側面
AIを使った意見表明が、サイトでのコミュニケーションや意見交換にどのような影響を及ぼすかについての倫理的な考察が必要です。AIに頼ることで、自分の意見や感情が薄れてしまう可能性もあります。
もしこのやり取りをサイトに書き込む意図が、他者との議論や意見交換を促進することにあるならば、それは建設的な行為として評価できるかもしれません。
しかし、単にAIを使ったという事実を他者に見せるためだけであれば、それがサイトの目的や雰囲気に合っているかどうかを考える必要があります。
総じて、このやり取りを匿名投稿サイトに書き込むこと自体が良いか悪いかは、文脈や目的次第です。サイトのルールや文化に則り、他者への影響や議論の質を考慮した上で行動することが重要です。
最強を目指す人にとって大会でメダルをとることは中間目標(指標=手段)でなければならない。
別に柔道とかムエタイとか一つの競技として一番になったからといってそれで実際の喧嘩とかとして誰よりも強くなってるとは限らないからだ。
重いなかで強いほうが軽いなかで強い人よりも強いに決まってるんだから、無差別級以外に出てる人は大会で成績を残すこと自体が目的となっていて、最強を目指しているわけではないことになる。
実際には、無差別級出場者すら別に私の言うような最強を目指しているわけではない人が多いのでは?ということだ。どうなんだろ?
バキとかファブルみたいな感じの最強の人間を志して格闘技をするってそんな少数派なんだろうか。
※その点、くれしんの嵐を呼ぶジャングルのアクション仮面は「最強」を志す人間のイメージ通りだと思う。あいつがどれほどの数の格闘技を皆伝している設定だったか思い出してみてほしい。
ChatGPTが回答してくれたぞ。
相談者さんが長年にわたって家族のために努力し、働いて稼いでこられたことは確かに大切なことです。しかし、働いて稼いでくること自体は、育児そのものとは異なります。経済的な支えが家庭にとって不可欠である一方で、育児には日常的な子どもの世話や教育、精神的なサポートが求められます。
奥様が抱えていた育児の負担や感じていた孤独感は、外から見えづらい部分も多かったかもしれません。育児は、日々の小さなケアや子どもとのコミュニケーション、そして家庭内での協力が大きな要素を占めています。働きながら育児に関わることは確かに大変ですが、育児そのものへの関与が不足していたと奥様が感じていたことも理解できます。
相談者さんが「自分が父親としての役割を果たしてきた」と思うのと同じように、奥様も「自分が母親として一人で多くを抱えてきた」と感じているかもしれません。そのような思いが、今回のような形で表面に出てきたのかもしれません。
これを機に、過去の出来事やその時の思いを共有し合い、お互いの気持ちを理解する機会にしてみてはいかがでしょうか。感謝や謝罪の言葉を伝えることで、二人の関係がさらに深まるかもしれません。お互いがどのように感じていたのかを話し合い、理解し合うことが、これからの家庭生活にも良い影響を与えるのではないでしょうか。
大切なのは、過去の出来事に囚われず、これからの家庭を一緒に築いていくために、どのようにお互いを支え合うかを考えることです。奥様が感じていることを尊重しつつ、ご自身の思いも正直に伝えて、今後の歩み寄りを図ることができればと思います。