はてなキーワード: 結果的とは
子供はいないけど季節の変わり目に難聴になったりするのでよくわかる
素人じゃわからないから病院行くのに病院行ってこんなことでどうしてとか怒られるのは結果的にはそうなんだけどなんか変だなと思う
異常ないと言われたりすぐステロイド処方されたり色々だけど自覚症状としては「なんか耳が詰まった感じがする」「耳鳴り」「微妙に聞こえが変?」みたいな曖昧な違和感しかない
これが自分の身体だからまだどこが痛い何が変って思えるけど自分じゃなく子供が苦しんでたらどの辺がどう、どのくらい痛いのかすらわからないのだから猶更判断できないだろうと
そして電話口の人も結局わからないことがほとんどなんだと思う。電話することで冷静になれるとかすごくよくあってわかりやすい例には大丈夫ですよとか言うのだろうから意味がないとまでは言わないけど
コロナで人生が変わってしまった人は多いと思う。私も仕事の雰囲気が変わり始めている。
私は運がいいことに、やりたいこと興味のあることを比較的できる研究者を某旧帝大でやれる機会に恵まれている。専門は化学。だが、それも音をたてて変わり始めている。
もともと将来の仕事を何にしようと明確に描いたことはなかった。幼少期に育った地域は比較的英才教育とは程遠い地域であり、貧困家庭も多かった。友人の家に行くと昼間からおじさんがゲームをしていたり、パチンコや酒に明け暮れている、そんな地域である。小学校でありながらも学級崩壊に近いことが起きており、義務教育の内容をきっちりと終えることができなかったと記憶している。そんな状況を深く考えることはなく、私は周りの事象に対して疑問を持ち、調べるのが好きだった。なぜ水は雨として降ってきて、山を流れて、コンクリートの隙間から流れていくか。そんなことが気づいたときには不思議だったと思う。幸いにして先生にも恵まれた。疑問をもち、それを自分のペースで解決するのが好きであり、校庭のはじっこで疑問点などを書き出していたときに理科の若い先生が理科室に誘ってくれた。そこには違う世界があり、好きなだけ実験していいと言われてのめり込んだ。ガスバーナーをつけてよくわからない化合物を熱して色が変わる、気体がでる。一つ一つが楽しくてしょうがなかった。だが先生がある日突然学校に来なくなってしまい、程なくして全校集会が開かれた。持病の喘息でなくなったらしい。どうしたらいいのかよくわからないくらい、悲しかった。狭い実験室の僅かな道具から世界の広さをあれ程教えてくれた先生がこの世からいなくなってしまったのが悲しかった。学問は世界を広げてくれるというのを肌で教えてもらえたと実感している。
当時はショックだったが、中学校から親の転職の関係で引っ越し、比較的普通の地域に引っ越してしまった。小学校のときにはサワガニを追ったり、カエルを捕まえて、ビーダマンからでてくるビー玉の平均距離などをひたすら数える子供であったが、引っ越した地域では勉強熱心な地域であり、誰も放課後には遊んでいる子供はいなかった。塾に行くとのはなしだったが、恥ずかしながら塾という単語を知らなかった。動物を捕まえた数よりも試験の点数を重視する地域であり、ひどく狼狽したのを覚えている。小学校での経験があってか理科と数学が楽しくて仕方がなかったが、何故か閉塞感があった。あくまで中学高校でのお勉強というのは与えられた範囲でやる学びであり、そこに自由度は少なかった。結果的に勉強はできたのでとにかく自由を求めていた。高校には入ったが、倫理の先生と哲学の議論ばかりしていた。こう考えると私は先生に恵まれているのだが、先生に学びの自由を求められる場所はと聞いたときに日本には殆どないと言われてしまった。あ、そういえばといって、それがきっかけとなり京都にある大学に行くことになった。
大学は自由であった。毎年謎に作られる像やコスプレ卒業式で有名な大学であるが、学生の多様性がまったくもって違っていた。そこでも縛られるのが苦手な私は大学で授業に行けなかった。ただ、大学の図書館にはホコリを被っていながらもたまらなく刺激的な書籍が非常に多くあり、図書館に毎日通った。楽しくて楽しくて仕方がなかった。たぶんそれは小学生の時に一人で課題を設定して、問題解決をする。そういうプロセスであっただろう。数式、活字が踊っているようにすら感じた。一般教養の授業でもムラ社会を議論する授業や、紙飛行機を飛ばす授業など色々あり、不思議な授業であったと思う。ただ相変わらず大学の専門の授業は指定の教科書から逸脱していなく、面白くなかった。ある意味授業に関しては圧倒的に劣等生であったが、たまたま行った授業のときに言われた印象的な言葉がある。「結婚は何回でもできるが、研究室選びは一度しかできない。」人生のパートナーは何度でも選べるが、人生の専門となる研究室は一度しか選べないとのことだった。へそ曲がりな私は研究室で変わったことがやりたいと思い、研究室を巡ったが、どれもこれも古臭いホコリを被った図書館で聞いたことがあるような内容だった。日本の最高学府が学問として理解できてしまうということが非常に悲しかった。ただ、たまたま非常に尖った研究室があり、そこで私を拾ってもらえた。やはり私は先生に恵まれていた。研究室は今思えば世界的に有名で先駆的な研究室であり、そこで自由に研究を行う機会に恵まれた。朝から晩まで先輩後輩教員とディスカッションしながら、自由自在に研究をすることができる。研究費も潤沢であり、装置も多くあるために闇実験で自分の考えるすべての実験ができてしまった。卒論のテーマも自分でかってにテーマ設定をして卒論発表までさせてもらえた。今思えばあんなことに、というテーマであったが、当時は楽しくて仕方がなかった。卒論が終わった当日、テーマの変更を推奨された。初めて方向性を提示されたが、一言であった。ここには恩師の力があったと思う。結果的に与えられたテーマとは関係なく、M1で勝手に実験をして修士で論文を3本書いた。楽しくて仕方がなく、博士課程に進学した。博士では論文を12本書いた。ちょっとした自慢である。
博士の資格は名刺の角に書くことができる運転免許のようなものであるというのはよく言ったもので、単なる認定試験である。友人が大学のポジションの公募に出す中、私は自分の学問を切り開くのだと思い、博士研究員をすることに決めた。なんとなく海外は日本より風通しが良いだろうと思い、日本の研究費から支援をうけて、海外に2年間いけることになり、それまでに一切したことがない分野に飛び込んだ。将来学問を切り開くためには甘んじて先達のいる学問をすすめるよりも、開拓者であるべきという精神である。ただ現実は厳しかった。言った先の研究室では私は初めての外国人であり、装置の使い方、実験の仕方、単語すらわかっていなかった。学部生に単語の意味から教えてもらいながら、教科書を端から端まで読んで、理解した。論文は2年間で3000報くらい読んだ。めちゃくちゃ勉強し、1日の睡眠時間は3時間程度だった。結果的に分野での最高峰の論文誌に数報報告することができて、ライフワークが見つかったと思った。ただこの辺りから研究に対する見え方が変わってきたと思う。日本人会でいつも飲んだくれている友人がいた。大学では見たことがないが日本人の友人を探しているようだった。何が楽しくて研究をしに海外に来ているのかというふうに聞くと彼は出身研究室に戻るので1年間遊びに来ていると話していた。悪い冗談かと思っていたが、実際に彼は日本の出身研究室で職を得て戻っていった。不思議なものである。
当時の海外での受け入れ研究室の教員にぜひともこの国で残って研究をすすめるべきだと言われた。日本は講座制の影響もあり若い研究者が活躍しにくいということを聞きつけていてくれていたらしい。ただそのときに今まで私を支えてくれた恩師たちの姿が頭をよぎり、日本に恩返しをするべきではないかと思った。施されたら施し返すという精神である。日本に戻るためには公募の書類を出さないと行けないのだが、不思議と通らない。面接にすら呼ばれない。それまでに分析していなかった私が悪かったのだが、どうやら日本ではコネというのが幅を効かせているらしく、面接にすら呼ばれない。それとずっと付き合っていた婚約者との結婚もあり、フットワークの軽い私はならば日本に帰ろうと、日本に帰り、講演ツアーを行った。幸いにしてその一つが目に止まり、研究プロジェクトの一環で雇ってもらえた。そこでも好きに研究をしていいと言われ、論文を好きに書いた。楽しかった。研究だけしてたまに論文を書けばいいというのは至極楽しかった。ただ、学生と研究ができないのがとてつもなく寂しく、コネはなかったが、海外の訳のわからない研究室で研究をしているよりも経験をつんで日本で研究している私は魅力的に見えたのか、公募に通った。めぐり合わせというのは不思議なものである。
こうしてやっとただの研究者から大学教員になることができた。恒久的に研究ができるというのは非常に幸せであり、研究以外も楽しんだ。毎週の授業というのはライブである。そのへんのストリートミュージシャンよりも自分の一つ一つの発言を学生に聞いてもらえることができ、研究に対するスタンスなど伝えることもできる。学問というのは積み重ねの学問である。積み重ねがあるから新しさがわかる。ひとつひとつ丁寧に教えていき、学問の楽しさを伝えたが、やたらと聞かれるのは単位がとれるかかどうかであった。研究室でも熱意をもって新しい実験の仕方や、研究分野の掘り下げのための論文読み込みを学生と一緒に行った。ただ、学生から文句が出てそんなに頑張りたくないとも言われてしまった。悲しい。私はそんなに魅力がないのだろうか。大学教員というのは研究以外の思った以上の雑用があり、それに追われていた。ただ、そのたびに今まで知的教育を享受してき立場からそれを授与できる立場にならねばと思い、一所懸命に振る舞った。その結果ここでの学問結果をなんとかして論文にすることができた。これからすべてが軌道に乗る、そう思っていた。
そんな先のコロナである。実験を専門としている私は当然大学に来なければ研究をすすめることができない。だが、緊急事態宣言のあおりをくらい、研究室での研究活動はオンライン中心になり、さらに愛妻は妊娠中であったために下手な行動はできない。研究が中心であった私の生活は転換を余儀なくされた。学生と最新の実験成果を共有できない、授業はオンラインとなりzoomの先では、全く授業を聞いていない学生がいるかも知れないという状況で苦しかった。価値観も変わらざるを得ない矢先に子供が生まれた。福音であった。
学問というのは先んじてその場で役に立つものではないが積み重ねだと思っている。子供も同じで、毎日毎日状況が日進月歩である。首を動かすことがしんどそうだった子供が、今では自分の力で首を動かし、光の導く先を必死に見ようとしている。大学で学びをしている学生で一時的にやる気を失っている子もかつては私の子供と同様日々ひとつひとつできていくということが楽しかったのだろう。相変わらず大学での研究活動は制限されている。以前ほどの自由は担保されておらず、どうしても何かしらを管理する必要がある。その一つ一つの行為が私には苦しい。ニュートンはスペイン風邪のタイミングで新たな学問をみつけた。私にはそれほど頑張ることはできるかわからないが、研究を行い、学生に希望や考え方を論理的に教えるというのが現在の職での義務であろう。間違いなく私の研究生産性は下がったが、価値を下げず上げることが義務であると思い、日々努力している。
本当に?
一連の大坂なおみさんの言動について何か全面的に支持賛同、批判は全面的に叩くみたいなコメントに100も200もスターが付いていて混乱している。
そんな違和感があってこれを書いている。文章がとっちらかっているけど、なんとか私の意図を読み取ってくれると嬉しいな。
大坂なおみさんが棄権、選手も賛同、運営も賛同、運営に乗っかる形で大坂なおみさんも棄権を取り下げ…… みたいな流れ。だよね。
棄権の取り下げについては一旦置いておくとして(プレーした方が抗議になると言うのはよく分からないけど)、あまりにも最初の棄権が早すぎる。周りの人に相談してないよね明らかに。
文化を知らない俺からは、短絡的な自己アピールとしか思えない。何をそんなに急いでいるの?
男性が撃たれたニュースを見て「またなの!?」 ってどうして思った? めちゃくちゃに撃たれたとはいえ裁判もしてないのにその人は絶対的な正義か?
なあ……あの時銃撃した警官が逆に殺されてたら、最悪相討ちになってたら、、、 お前らどっちの味方になる?
本当なら名前を出して書きたいけどSNSのアカウントだろうと個人と紐付けされるわけで。
そんなわけでこんな事をTwitterに書いたらもしかすると友達には見られるだろうし上司にも見られるかもしれない。
正直に言うと大坂なおみさんを批判するのはヘイト扱いされそうで怖い。
お前らも、はてなやその他SNSで、本心言えてないよね? だからそんなコメントしてるんだよね?
そもそも黒人・白人という区分けが嫌いなんでこの増田にも極力こういう単語は使っていない。俺たちは黒人からも差別される低レイヤーのモンゴロイドらしい。とりあえずそれは置いておいて。
一連のBLMの流れは、俺の目には黒人を名乗る人たちの権力闘争にしか見えない。だからALMを言う白人は殺されても大したニュースにならないんだよね。
お前らはどう思ってるの? 単に流行に乗ろうとか思ってるわけじゃなく、無批判にBLMに賛同とか、国内のデモに参加とかしてるの? それはなぜ?
この状況がどう捉えられているか、票がどこにいくかという意味で米大統領選が割と楽しみだったりする。
それはともかく、無批判に大坂なおみさんやポリコレに賛同することが是とされたり批判的な人間を排除したりとかするやり方ってどうなんだ?
大坂なおみさんも色々な批判やヘイトを浴びてる(から大会中はせめてSNSやめた方がいいと思う)のはすごくかわいそうで、そんな中頑張ってるのはよく分かるけど、
この一連の裏で泣いてる人もいるんじゃないかな? 具体的には対戦相手とかスポンサーとかなんだけど。
対戦相手なんてその試合の一日のためにコンディションのピークを持ってきてたんだよね?
スポンサーも本当は自社の宣伝のため、大坂なおみさんに試合に出てほしいのに(結果的に撤回したけど)いきなり棄権とかおいおい… って絶対言いたいけど言ったらヘイトだから何も言わないんだよね?
それに対して大坂なおみさんが何も言わないのは卑怯だと思うんだよね。周りの勝手な解釈に任せようとしている。
せめて「『 対戦相手には悪いけど』棄権を取り下げるわ。分かってくれるよね?」くらい言ったらいいのに。こういうことこれまで言ったことある?
批判を許さない環境ってその場その時点ではいいけど、言えないことによる色んな人の色んなネガティブな思いが水面下に積み重なっていって、
そのきっかけになったのは大阪の6月のBLMデモをTwitterで「お願いしいます(ママ)」と宣伝したことだ。いやあるいは宣伝する意図はなかったかもしれない。個人の感想かもしれない。
が、あれは宣伝だった。スポーツで得た知名度は、Twitterでの発信力にそのまま反映されているんだよ。本人はそう思ってるか思ってて利用しているか知れないけど。
いや分かる。あのデモは日本にもBLMに賛同する人間がいるというアピールには確かになっただろうよ。だったらなおさら宣伝すべきじゃないと言うこともできるよな?
『大坂なおみさんファンが1000人集まった事じゃなくて』自発的にBLMに賛同する人間が日本にも確かにいた事をアピールしたいのなら、宣伝すべきじゃないよな?
あれをアメリカに住んでいる日本人の大坂なおみさんが、コロナで大変な時期の日本で、デモを扇動したこと。それはこれからも忘れない。
それまでTwitterで(たとえヘイトであったとしても)他人の批判的なツイートを引用で晒し上げて過激な発言を浴びせたこともあったが、それはまだ彼女らしいなと思っていた。が、これは看過できなかった。
大坂なおみさん、あなたの立場は何だ? ハイチ系アメリカ人と日本人のハーフで、アメリカに住む日本人で、黒人差別に反対してるんだよな?
白人が黒人に撃たれたら何て言ってくれるんだ? 日本人が差別されたら抗議してくれるのか?
で、お前らはどう思ってる?
「地球儀を俯瞰する外交」と称して、中国包囲網のようなことを志向していたが、いつの間にか言わなくなった。
むしろ、最大の功績は、2012年に尖閣国有化で悪化した日中関係の改善だったかもしれない。その集大成が習近平の国賓来日となるはずだった(が、コロナで中止。米中関係の悪化を見ると、結果的には良かったかも知れない)。
米国との関係は、うまいことトランプの懐に入り込んだ。ただ、裏でどんな密約があったかわからない現時点では、評価は難しい。
野党でも、ガチの護憲派は共産党と社民党ぐらい。旧民主党系には一定数の改憲派がいる。立憲民主の枝野氏だって一部の改憲の必要性は認めている。
安倍総理の失敗は、安保法制のときの「解釈改憲」。あれで、「安倍政権下での改憲には反対」という野党共闘の「落とし所」を作ってしまった。
それさえなければ、うまく野党を切り崩し、9条以外での改憲を実現して、「初めて改憲した総理」の名誉を手にした上で、将来の9条改憲への道筋づくりもできただろう。
株価は上がったけどさ。
「新三本の矢」ってどこにいったんでしょうね。
言うまでもない。
卒後数年経った。ようやく仕事に慣れて外来もこなしている。最初の数年に比べて最近2年ほど、患者への姿勢が変化してきたと自覚している。
ここ2年程での変化は、親身さ・親切さがすり減ってきたといえる。
正直言って、患者さんたちとの接し方を変えないと自分がもたないなと思う気持ちがあり、結果親身さが減ったのだと思う。
親身になって接しても、心ない言葉をかけられることも少なくない。それは必ずしも患者さんが悪いわけではなく、「親身」の表現が結果的に患者さんの満足度を下げる方に働いてしまったりするなど、まぁ技術的な未熟さによるものもそれなりにあると思う。それも勉強である。
でもやっぱり、客観的にみてひどいことを言われたりすることはあるし、砂に水をやるようなコミュニケーションに疲れた、すり減ったところもある。医師は患者を選べないとはそういうことだ。
ある部分では医師-患者の適切な距離を学んでいるともいえる。医師と患者は他人なのである。どんなに親身になっても同一人物になることはできない。それを弁えることはプロフェッショナルとして必要なことだと思う。
だからといってニヒリズムに陥るところまでいくのは行き過ぎだと思う。そういった方向性がもしかしたら、嘱託殺人みたいなことに遠くつながるのかもしれない。
これが特定の人たちだけだと、大臣様も差別するなの注意喚起が見るからにやる気ない感じだったと思うし
医学部の教授とかが「隔離して焼却できたらなあ」と、関係者が集まる場で冗談ぽく言うんだろうな笑いながら
医療者には悪いけど真っ先に医療関係者が一定数観戦してくれたおかげで多くの国民の安全が守られている
陽性患者が運ばれてきたとき医療関係者の家族かもと思うから医療者がそこそこ真面目に対応しているのだろう
特定の職業の人しか感染しない病気だったら汚物扱いされ放置されているはずだ
医療者には悪いけど真っ先に医療関係者が一定数観戦してくれたおかげで差別が悪いこととなって結果的に多くの国民の安全が守られている
では経血カップについて。
カップサイズはでかいのから小さいのまで色々あるけど、最初は小さいのから始めるといいと思う。ブランド後述。
もともとタンポンユーザーで、それも日本で主流のアプリケーター付きじゃなく小さい弾丸みたいな欧米で主流のアプリケーターなしのを愛用していると違和感なく使える。これは自分の指でグッと押し込むので痛くないし場所も調整しやすいし、自分の膣の形がよくわかって良い。
なので、初潮が始まったばかりの女子で、うまく使えるか心配なら、
て移行するといいかなと思う。
さてカップを入れるときのコツとしては、チューリップ型になってるカップのベル部分を半分内側に折り込むようにして、なるべく筒になるようにする。そうするとアプリケーターなしタンポンとほぼ同じ大きさで、しかもシリコンなのでタンポンより柔らかくて痛くない。ただ指で押さえてないと筒型を維持できないので、素材が硬いカップとか、大きいやつはやりづらい。
思ったよりも膣の入り口は下側にあるなとか、真ん中だなとか、その辺は自分で確認していくうちにわかるようになるので、闇雲に股をぐいぐい押さずに穴を確認して進めるとよいとおもう。
畳んで奥に突っ込んだ後は、ステム(根本)を持って半回転くらいするといい位置に収まる。おさまりが悪いと思ったらもう少し突っ込んだり軽く引いたりするといいと思う。かなりぐちゃぐちゃの形で突っ込んでも、押したり引いたりしてると自然にベルが開いて収まる。
さて、経血カップが難しいのは抜く時で、というのもベル部分に血が溜まると密閉されて、引いただけじゃ抜けなくなるから。なので、タンポンみたいに闇雲に引っ張ってはいけない。無理やり引っ張って抜いたら子宮が引っこぬけるかとおもった。
まずステムを親指と中指で摘んで、人差し指でベル部分をグッと押す。そうするとベルが凹んで、経血が溢れて圧が抜けるので、そうするとステムを引けばするっと抜ける。
初めはうまくいかないかもしれないので、ステムに紐を結んで、手前に引きつつ(無理に引っこ抜かないこと)同じくベルを押してカップを歪めることが大事。抜いて血を捨てた後カップはまた畳んで戻して、手は個室を出る前にペーパーで拭けばよい。
カップの選び方。
ステム部分もいろんな形があるが、なんか取れなくなるのが不安なら根元が輪っかになってる奴を選べばよい。結果的には外し方のコツは引っ張るわけではないので輪っかである必要はないけど。入れた後は輪っかでも違和感ない。専門の結ぶ用の紐も売ってるけど人体に入れるグレードならいいだろと思って自分はジョンソンアンドジョンソンのデンタルフロスを結んでいた。今は紐は使ってない。
ブランドはメルーナ、ディーバカップ、あとUKだとメジャーなHey girlsってブランドを使ってるけど、一番小さくて柔らかいメルーナが一番出番が多い。Hey girlsは固すぎた。ディーバカップは可もなく不可もなくなんだけど容量と入れやすさのトレードオフで小さいメルーナでいいかなという感じ。
手入れ
自分は期間中は手洗いだけで、終わった後に熱湯と発泡タブレットで洗浄してしまっている。
なんか質問あればどうぞ。
にじさんじの花畑チャイカが一度の配信の中だけで、スパチャの金額によって反応を変えるというお遊びをした(切り抜きで見た)。
あれは金額が表示されるスパチャ機能の問題点を浮き彫りにしていたと思う。
投げる側はVtuberの態度は変わらなくても額が大きいほうが喜ばれると思いがちだろうし、
(もちろん大抵のVtuber本人はその手の想像を否定するが)
他のリスナーに対する見栄もあって、懐具合の余裕よりも大きな金額を投げてしまいがちになるのではないか?
「あっちのお客さんすご~い!たくさん高いお酒頼んでる~!」(本当にこんなことを言うのかは知らない)
おひねりの場合は誰が投げたか分からないし、金額も分からない。
そういう点でスパチャとの違いは大きい。
第一条
この法律で、学校とは、幼稚園、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校とする。
第二条
1 学校は、国(国立大学法人法(平成十五年法律第百十二号)第二条第一項に規定する国立大学法人及び独立行政法人国立高等専門学校機構を含む。以下同じ。)、地方公共団体(地方独立行政法人法(平成十五年法律第百十八号)第六十八条第一項に規定する公立大学法人(以下「公立大学法人」という。)を含む。次項及び第百二十七条において同じ。)及び私立学校法(昭和二十四年法律第二百七十号)第三条に規定する学校法人(以下「学校法人」という。)のみが、これを設置することができる。
2 この法律で、国立学校とは、国の設置する学校を、公立学校とは、地方公共団体の設置する学校を、私立学校とは、学校法人の設置する学校をいう。
第二条第1項では「国」「地方公共団体」「学校法人」という3つの用語が新たに定義されている。
同第2項では「国立学校」「公立学校」「私立学校」が定義されているが、この時点で既に前の定義が使われている。単体ではこの条文は読めず、ここまでの4つの定義を持ってこなければならない。
VBで言うところのDim a = ~。JSで言うところのvar a = ~。
法律によっては第二条あたりに、以降で使う全ての用語を定義しまくるものすごく長い定義セクションがあったりする(例:所得税法)。初っ端にDimが何十行も続くコードのよう。
第二条
一 生活保護法(昭和二十五年法律第百四十四号)に規定する救護施設、更生施設その他生計困難者を無料又は低額な料金で入所させて生活の扶助を行うことを目的とする施設を経営する事業及び生計困難者に対して助葬を行う事業
二 児童福祉法(昭和二十二年法律第百六十四号)に規定する乳児院、母子生活支援施設、児童養護施設、障害児入所施設、児童心理治療施設又は児童自立支援施設を経営する事業
三 老人福祉法(昭和三十八年法律第百三十三号)に規定する養護老人ホーム、特別養護老人ホーム又は軽費老人ホームを経営する事業
四 障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律(平成十七年法律第百二十三号)に規定する障害者支援施設を経営する事業
五 削除
ほとんど既に制定されている法律を引用しただけで、第一種社会福祉事業の定義を構成している。
Cで言うところの#include。Pythonで言うところのimport。require派でもusing派でもなんでもどうぞ。
第四条
1 次の各号のいずれかに該当する者は、所持しようとする銃砲又は刀剣類ごとに、その所持について、住所地を管轄する都道府県公安委員会の許可を受けなければならない。
四 国際的な規模で開催される政令で定める運動競技会のけん銃射撃競技又は空気けん銃射撃競技に参加する選手又はその候補者として適当であるとして政令で定める者から推薦された者で、当該けん銃射撃競技又は空気けん銃射撃競技の用途に供するため、けん銃又は空気けん銃を所持しようとするもの
1 法第四条第一項第四号の政令で定める運動競技会は、次の各号のいずれかに掲げるものとする。
二 アジア競技大会
2 法第四条第一項第四号の政令で定める者は、公益財団法人日本スポーツ協会(昭和二年八月八日に財団法人大日本体育協会という名称で設立された法人をいう。以下「日本スポーツ協会」という。)とする。
銃刀法では、銃砲刀剣を持つ許可をする相手を「政令で定める」とぼかしておいて、許可を与える仕組みだけを制定している。
つまり、枠を作ってあとからそれに当てはめるコードを書いているわけだ。
法律に定めるべき具体的な内容は、時代や情勢によっていくらでも変わっていくものだが、法律の改正は国会でいちいち可決しなければならないから手間がかかる。
それに対して政令であれば内閣が制定できるし、さらに下位の省令となれば省庁だけで完結できる。より偉い法律の立場からより小回りの利く政省令に委任することによってコードの柔軟性を保っている。
これは大規模開発にて分担してコーディングすることにずいぶんと似ている。
第八十九条
第九十四条
先に定義された条を、後に書かれた条が覆すことができるし、なんなら後から制定された全く別の法律が、急に他の法律を覆しにくることもよくある。
これはプログラミングにおいて、変数の値や状態を後から書き換えられることに似ている。あるいは、クラスのオーバーライド。
法令解釈では、ある条文を読むとき、その条文に書かれている全ての定義を参照先まで確認しに行き、他の条文に委任されている事項も全て調べ、その上、他の条文で覆されていないかも調べる。
プログラマーがデバッグしている時の動きに一致しているといっても過言ではないだろう。
酒税法(昭和二十八年法律第六号)の一部を次のように改正する。
第十条第一号中「若しくは第二号の」を「から第三号までの」に改め、同条第二号中「若しくは第二号」を「から第三号まで」に、「ついては、」を「ついては」に改める。
第十四条の見出し中「取消」を「取消し」に改め、同条中「左の各号の一」を「次の各号のいずれか」に改め、同条第三号を同条第四号とし、同条第二号の次に次の一号を加える。
法律は基本的に「~を改正する法律」を施行することで、このように改正を繰り返している。
単体の「新法」が新たに発生するのではなく、元の法律と差分を組み合わせて結果的に新法になるという仕組みだ。
落ち込んでることについてあれこれ考えて眠れないって人も多いだろうけど、自分はちょっとつらいことがあるとすぐ過呼吸になったりお腹痛くなったりして身体に色々出てきてかなり苦しくなるタイプで、生きるのがつらくなって頭の回転も鈍くなって身体を動かすのも嫌になって結果的にめちゃくちゃよく寝れる。
最近そのことを利用して、寝る前に自分の超苦手なとある1on1の対戦ゲームを数試合やって、ボッコボコに何連敗もして吐くほどつらい気持ちになって半泣きの状態でベッドに入ることによって睡眠の質を高めることに成功している。
ちなみにチームで戦うゲームは負けても味方のせいにしてしまいがちで、落ち込むというよりはイライラするので睡眠には逆効果だった。加えると、寝る前にはできれば非アクションゲームの方が良いかもしれない。
今回朝倉未来はゲーム実況のサワヤンゲームズとコラボし、ボコボコにされた後、瓦割りでも挑戦的な態度を取られ、YouTubeとはいえ忖度なしでムカついてる様子だった。
結果的に彼が取った選択はサワヤン兄弟を呼び出して総合格闘技ルールで「ボコにする」というもの。これがまた陰惨な内容。サワヤンは演出的にイキってるとはいえ、たかがキックの初心者に過ぎない。そこにスパーと称した朝倉の左ロングフックがガンガン決まって、得意のカウンターまで決まり始める。兄弟の兄貴は鼻血を出して倒れ込み、弟もフルスイングの餌食になった。
朝倉選手はコラボ動画でスパーこそ毎回するとは言え、全く力を入れないマススパーが多かった。K-1王者の安保瑠輝也選手とコラボした時もかなり肩の力が抜けていた。ところが今回は、目つきが門下の練習生に向けるマジ目線だ。体格差もあるとは言え、本気10割として6割以上のパンチを放っているように見えた。流石にパウンドはかなり力を抜いたものだったが、立技はほぼ試合のノリでやっていたように見えた。左フックのカウンターが芯に決まった際の"ゴッ"という当たり方はかなりエグいものだった。
要するにこれは何かといえば、ヤンキーが調子に乗ったYouTuberを"シメた"動画でしかない。だから朝倉の目線も試合か喧嘩のノリで眼の奥が笑っていなかったし、フックもまるで容赦がなかった。結果的に普通の試合よりリンチ感が出てしまい、動画から嫌な空気が漂うことになってしまった。
増田的にはだいぶ大人げないという所感を持たざるを得なかった。無冠とは言え王者に近い男だ。運営側のスターを守る気風があるとは言え、一般選手以上には強い。それが素人キック練習生を6~7割のガチカウンター込みのパンチでボコボコだ。もはや体重差があるから、などという理屈は通用しない。スタンド状態でKOがあってもおかしくなかったし、半分試合でスパーとは言えない状態だった。
この人は結局王者でいることより街の喧嘩師でいることを選ぶのだろうか? 確かにスパーという名目でお互い口約束で同意した場合、事故があっても大きな責任には問えない。
AKBによって業界グチャグチャにされたけど、結果的にはそれも創造のための破壊だったと言えるのかもしれん
米津玄師、あいみょん、Official髭男dismあたり名前がキャッチー過ぎて嫌だったけど聞いてみたらちゃんと良かったわ
元増田は以下の3点を論理的に主張したい立場のように思えますが、その3つが論理的につながっていないのが問題だと思います。藁人形論法に陥っていると思います。だから一旦「フェミニストの主張」という前提を切り離して考えて公正な目で考えたほうがよいと思いました。
1. フェミニストは過去の被害による復讐心をもとに、不快と思う表現を画一的に批判している
1.の主張には論拠があげられていません。このままではただの主観になってしまいます。
1→2を言うには、復讐心が原動力の主張は不当だという説明が必要です。また逆に「復讐心がきっかけであっても、結果的に主張が論理的に妥当であれば、その主張は不当ではないのでは?」という意見に反論できる論理を持っていないといけないと思います。
1.2が成り立てば3.を主張してもよいかもしれないですが、その場合、表現の擁護派にも同じ批判を受けることになります。
ご指摘のように、主観や論理や立場をごちゃまぜにするフェミニストはいますが、フェミニストを批判する人もごちゃまぜ状態だったりします。元増田も自分にはごちゃまぜに見えます。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/shiraku666/status/1296678138752020487
細い路地で譲り合うのは古今東西ふつうのことでしょ、みたいなコメントが多いけどそうは思わない。
基本、並んでおしゃべりしてる女は道を譲らないよ。
理由はだいたい見当がつく。
おしゃべりに夢中で対向者に気づかないからではないよね。
おしゃべりを中断するのが気まずいからでしょ。
ちょっとあの人に道を譲る間会話を止めよう、ってのができないんでしょ。相手の話をさえぎったり、話の流れを止めるのが気まずくて。優先順位おかしいよね。
おしゃべりの相手が特に親しくもない人だと特にそうなるでしょ。ただの知り合いとか、会社の同僚とか先輩とかだと気を遣って。
数年前のある日のことだけど。
狭い歩道で並んでおしゃべりしてるOL2人組とすれ違おうとして、OL側がギリギリまで道を譲らなかったのでしかたなく俺が車道に降りたのよね。
そしたら後ろから来てたクルマに轢かれそうになった。俺は背後からクルマが来てることに気づいてなかった。しかしOL側は当然気づいていたはずだ。なのに道を譲らなかった。
俺にしてみれば「車道に降りるしかないこの状況で彼らが道を譲らないということは、このタイミングで車道に危険はないのだろう」ととっさに判断できる状況だったんだよね。
結果的に俺のその判断は間違ってて、振り向いて安全確認すべきだったんだけど。
だってまさか車道に降りたらクルマに轢かれる状況を知ってて逃げ道をふさぐなんて人殺し同然のことすると思わないじゃないですか。
ていうか、クルマが来てるとわかったら俺どうすればよかったんですか。来た道を戻ればよかったですか?
俺を殺してでも継続したかったおしゃべりって何だったんだろうとだいぶ考えたよ。
男同士ならあんなことまずしないもん。いったん会話を切って道を譲って会話に戻るでしょふつう。中断するっつっても2、3秒ですよ?
それをしないんだなあ、女は。
これに限らず同様の経験は何度もある。上のような命に関わる極端な例だけじゃなくて、女がとっさにとる意味不明な状況判断には常に首をかしげさせられている。
ふつうに先に行ってくれたほうが早いのにわざわざ立ち止まって「お先にどうぞ」みたいなことしたり。余計なことすんなよ。そっちのほうが時間がかかってんだよ、とっとと行けよ。
悪いけど、これは本当に偏見とかでなく経験則なんだけど、男同士の行き違いは女よりずっとスムーズだよ。
「おっ、あいつとコースが交わってるけど、どうする。俺の側が歩調を速めたほうが互いのロスが小さそうだ。俺が速める・あっちが緩めるがベスト。あっちもそう判断するはず」
雑踏を歩く時は絶え間なくこの判断をしながら歩くわけだけど、男同士の場合この判断はだいたい誤らない。お互いの選択が暗黙のうちに一致する。
間が悪くお見合いになっちゃうのは右に避けても左に避けても結果が同じで確率に任せるしかない時くらいだ。
ところがこの瞬時の判断を女はことごとく裏切ってくる。そっちじゃねえよ、そうじゃねえよ、という「男には読めない行動」をとってくる。
無意味に互いが損をするだけの譲歩(というか譲歩したというポーズ)だったり、絶対に自分の進路は変えないという強い意志だったりする。どっちにしても困惑であり迷惑である。
自動車でも同じ。「謎の道譲り」をするのはだいたい女。どーぞどーぞじゃねーよ。お前がさっさと行かねえから後ろの何台も無駄なブレーキ踏まされてんだよ。一時停止はこっちで優先道路はそっちでしょうが! 交通の優先関係を混乱させたら危ないでしょうが!
ことほどさように、女は譲るべきシーンで譲らなかったり、譲るべきでないシーンで譲ったりする生き物である。
これを啓発活動とか増田とかで変えられるとは思ってない。これからも永劫、このままだろうと思う。行動は変えられても、生き物の性質は変えられない。
ただ、迷惑している、そのことだけは伝えておきたい。