はてなキーワード: 研究とは
「キモいオジサン」は東大の東京大学ハラスメント関連規則に抵触する可能性があるような、無いような。しらんけど。
https://har.u-tokyo.ac.jp/reference_data/
「またアカデミックハラスメントの加害-被害は、狭い形式的意味での教員-学生という身分関係にのみ発生するわけではない。」
「本学における教育・研究活動および職務の遂行に関係して本学の構成員が接する学外者(以下「本学の関係者」)と本学の構成員との間に発生したハラスメント」
自己愛性パーソナリティ障害の人の手助けは、プロにしかできないで終わり
元増田と元増田を擁護して働けないとか嘘吐いてるはそれに該当する可能性クソ高そう
年がら年中、恋愛がどうこう、謎のITや研究職への憧れがあったりするし
患者は大きな業績という空想(圧倒的な知能または美しさについて賞賛されること、名声や影響力をもつこと、または素晴らしい恋愛を経験すること)にとらわれています。自分が、普通の人とではなく、自分と同様に特別で才能のある人とのみ関わるべきであると考えています。患者はこのような並はずれた人々との付き合いを、自尊心を支え、高めるために利用します。
自己愛性パーソナリティ障害の患者は過度の賞賛を受ける必要があるため、患者の自尊心は他者からよく思われることに依存しています。このため、患者の自尊心は通常は非常に壊れやすいものです。患者はしばしば他者が自分のことをどのように考えているかを注視しており、自分がどれだけうまくやっているかを吟味しています。
自己愛性パーソナリティ障害の患者は、他者による批判、また恥辱感や敗北感を味わう失敗に敏感であり、これらを気にしています。怒りや軽蔑をもって反応したり、荒々しく反撃したりすることがあります。または、自尊心を守るために、引きこもったり、表向きはその状況を受け入れたりすることもあります。患者は失敗する可能性のある状況を避けることがあります。
診断
自己愛性パーソナリティ障害の診断を下すには、以下の5つ以上に示されるように、自分の価値についての過大評価、賞賛への欲求、共感性のなさが持続的に認められる必要があります。
- 自分の重要性や才能について、誇大な、根拠のない感覚を抱いている(誇大性)。
- 途方もない業績、影響力、権力、知能、美しさ、または素晴らしい恋という空想にとらわれている。
- 自分が特別かつ独特であり、最も優れた人々とのみ付き合うべきであると信じている。
- 無条件に賞賛されたいという欲求をもっている。
- 特権意識をもっている。
- 目標を達成するために他者を利用する。
- 共感性に欠けている。
- 他者を嫉妬しており、また他者が自分を嫉妬していると信じている。
- 傲慢かつ横柄である。
そして『自己愛性』のパーソナリティ傾向です。「私は特別、私はすごい」という思いが前面に出るパーソナリティ傾向のことですが、
こうした万能的な自己像が損なわれることを恐れて、対人関係を回避する、試される場を回避するといった受身的な形で表れる
自己愛性の高さもあります。ひきこもりの背景要因となる自己愛性とはこの傷つきやすく受身的・回避的な自己資性パーソナリティ傾向だと思われます。
これは、甘やかして育てら れた人、傷つくことなく育てられた人のパーソナリティ傾向と誤解されがちですが、
実際 には健全な自己愛の展開を阻まれたり踏みにじられたりした経験を通じて、
特に思春期青 年期のある局面で均衡を欠くほど高い自己愛性を顕わにするという形成過程を持つのが普通です。
だから自己愛性パーソナリティ障害の人は、自分が特別であるということにこだわりながら、傷つくことを非常に恐れているのです。
なお、ひきこもる中でこうした自己愛性が二次的に高まっていく心理過程もありうると思われます。
そう思いますね。嘘が常態化している自己愛性パーソナリティ障害の人の手助けは、プロにしかできない
そもそも直球で『テロリスト』とか『引きこもり』とかの背景要因になり得るとかそういう視点の研究がバンバン出てくるので
https://www.elemy.com/studio/mood-disorders/autism-and-narcissism/
http://usir.salford.ac.uk/id/eprint/40449/1/Faccini%20%26%20Allely%20%282016%29.%20.pdf
正直者は損をするとかいうけれど、やはり嘘を付かない誠実さは美徳というか、集団生活を送る上での最低限の条件に思う
年がら年中セックスのこと考えている界隈ならありふれた罵倒やで
性を売る人は例外なくエイジズム患者になるし、なんでもセックス中心に考える
なお、増田は雑創作のお仕事増田が多い(2024年に本当にオフィスワークしてる?)が、
増田の夜職の解像度は非常に高い (ホストの動画見ただけでテキトーなこと書いてるアホもゼロじゃないが)
その稼ぐ手段が、キャバ・風俗などの夜職なのか、曲がりなりとも研究職分類されるなにかなのか、
看護師などの医療従事者なのか、IT屋さんなのかは知らないけどね
とりあえず増田で『社内SE』や『SIネタ』や『自称コンサルネタ』(たぶん本人がそう思ってるだけでIT部隊の子) 書いてる子、
たぶん女だと思う
なんとなくだけどこの子も女っぽい → IT業界に巣食う性差別について https://anond.hatelabo.jp/20240309213726#
なお、悲しい気持ちになるような職業噓松増田が多い中、やたら増田のキャバ・風俗などの夜職の解像度が高いのもオタク女が多いから
異常検知して実行・起動失敗したら失敗ってログには記録されますよね?されないならかなり特殊な書式ですね
JAXA こういった事象が時々ロケットにはあるのですが、その時に自分たちは失敗と言ったことがありませんので。やはり、われわれが非常識かもしれませんが。
共同 それを失敗と呼ばれたからと言って、何か著しく不具合があるわけではないですよね。みなさんの中では失敗と捉えてないけれども、失敗と呼ばれてしまうことも甘受せざるを得ないという状況ではないですか。どうですか?
JAXA どのような解釈をされるのかは、受け止めた方、受け止められ方はもちろんあると思いますので、そうではないですとは言い難いですけれども、ロケットというものは基本安全に止まる状態でいつも設計しているので、その設計の範囲の中で止まっている、つまり意図しないというのはその設計の範囲を超えて、そうじゃない状態になることは大変なことになると思いますが、ある種想定している中の話なので、そこに照らし合わせますと失敗とは言い難いと思います。
共同 わかりました。確認ですが、つまりシステムで対応できる範囲の異常だったけれども、考えていなかった異常が起きて打ち上げが止まった。こういうことですね。
JAXA ある種の異常を検知したら止まるようなシステムの中で、安全、健全に止まっているのが今の状況です。
共同 わかりました、それは一般に失敗といいます。ありがとうございます。
↓ 失敗じゃないもん😡
2023年3月7日:H3ロケット用に新たに開発された「LE-5B-3」が点火せず司令破壊。ちなみに失敗の原因は部品確認やその対策の不足
報告書では、失敗の原因になった可能性がある第2段の一部の部品に関してH2Aやその姉妹機の「H2B」の打ち上げを通じて200個近くの実績があり、不具合が起きる可能性について確認が不十分だったなどと分析した。今後は、実績のある機器でも不具合の有無やH3への適合性を改めて確認する対策を取るとした。
JAXAのロケットを巡っては、22年10月にも小型の「イプシロン」6号機で打ち上げの失敗が発生している。専門家会議はこの失敗が起きた背景にも、実績が多い部品の確認不足があったとしていた。
H3ロケット失敗「部品の確認不足」 文科省調査報告書|日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC2582Q0V21C23A0000000/
国家の研究機関ともなれば、スパイが組織の職員として勤務、そこから徐々に信用を得て情報を盗み出すということも起きるので、そういう話かなぁと思いきや、
どうもそうじゃなさそう。だって外部からVPN機器を起点に、オンプレAD侵入って書いてあるしな。しかも、警察に突っ込まれるまで気づかない
JAXAは、『懸念は無い』って言ってるから懸念は無いんでしょうね、何をやっても失敗じゃないし(白目)
年 | 攻撃の手口 | 被害内容・備考 |
2016 | - | 大規模なサイバー攻撃、防衛関連企業も被害 中国人民解放軍が関与したと見られる攻撃。2021年に逮捕状、国際指名手配 |
2017 | - | 大規模なサイバー攻撃、防衛関連企業も被害 中国人民解放軍が関与したと見られる攻撃。2021年に逮捕状、国際指名手配 |
2023 | VPN機器が起点 3回 | オンプレADサーバー侵入、M365アカウントへの不正アクセス・情報の漏洩 |
2024 | VPN機器が起点 3回 | オンプレADサーバー侵入、M365 アカウントへの不正アクセス・情報の漏洩 |
当然データは暗号化していたのか、当然2要素認証や端末制御やアカウント監視やトラフィックの監視は行なっていたのか、
それらの製品の導入と適切な運用は行っていたのか、無限に疑問は尽きないが、
まぁ、JAXAは、『懸念は無い』って言ってるから懸念は無いんでしょうね、何をやっても失敗じゃないし(白目)
24/365で若者のことを考えてるつもり・なんなら若者のつもりのやつの亜種だよな
そう言ったものに謎の憧れがありながら、日本のアカデミアの関連ニュースどころか三行以上読めないアピールって、目的がわからなすぎる
かなり控えめに言っても闇深い なお、ITネタでなんかやりたいならこっちどうぞ→(https://anond.hatelabo.jp/20240727200759#)
もっとアカデミアの報酬を高めれば…等と、くどい言い回しで、何度も中途半端な文章で主張するの、読みにくくて、むしろ好き。拗らせが重い文学青年の、大学二年生のレポートって感じ
昨今の研究力の衰退の話かと思ったらよくわからない話だった。アサシンクリードに対するお気持ちを学者が代弁してくれないって愚痴?
機関誌とか査読付き学術誌(と書いてある)見た上での感想ですけどね
イラッとする・気分が沈むから、可能な限り(ネガティブ)ニュースを見ないようにしている人たちは確かにいるが、キミほど徹底してニュースをシャットアウトしてるのは少数派だと思う
弥助問題で「だから人文系はダメ」といきなり主語を大きくする人達はたまに見かけるが、今度は「日本のアカデミア」とはね。お前、日本のアカデミアの0.01%も知らないだろ?
昨今の研究力の衰退の話かと思ったらよくわからない話だった。アサシンクリードに対するお気持ちを学者が代弁してくれないって愚痴?
いや、JAXAの『H3初号期の一連の対応』と『サイバー被害に遭いまくり&反省しない』は、
子どもたちに対する科学教育への影響と社会的責任の観点から見てフツーに問題があるでしょ😥
まず、H3初号期の一連のアレ。異常検知して実行・起動失敗したら失敗ってログには記録されますよね?されないならかなり特殊な書式ですね
JAXA こういった事象が時々ロケットにはあるのですが、その時に自分たちは失敗と言ったことがありませんので。やはり、われわれが非常識かもしれませんが。
共同 それを失敗と呼ばれたからと言って、何か著しく不具合があるわけではないですよね。みなさんの中では失敗と捉えてないけれども、失敗と呼ばれてしまうことも甘受せざるを得ないという状況ではないですか。どうですか?
JAXA どのような解釈をされるのかは、受け止めた方、受け止められ方はもちろんあると思いますので、そうではないですとは言い難いですけれども、ロケットというものは基本安全に止まる状態でいつも設計しているので、その設計の範囲の中で止まっている、つまり意図しないというのはその設計の範囲を超えて、そうじゃない状態になることは大変なことになると思いますが、ある種想定している中の話なので、そこに照らし合わせますと失敗とは言い難いと思います。
共同 わかりました。確認ですが、つまりシステムで対応できる範囲の異常だったけれども、考えていなかった異常が起きて打ち上げが止まった。こういうことですね。
JAXA ある種の異常を検知したら止まるようなシステムの中で、安全、健全に止まっているのが今の状況です。
共同 わかりました、それは一般に失敗といいます。ありがとうございます。
↓ 失敗じゃないもん😡
2023年3月7日:H3ロケット用に新たに開発された「LE-5B-3」が点火せず司令破壊。ちなみに失敗の原因は部品確認やその対策の不足
報告書では、失敗の原因になった可能性がある第2段の一部の部品に関してH2Aやその姉妹機の「H2B」の打ち上げを通じて200個近くの実績があり、不具合が起きる可能性について確認が不十分だったなどと分析した。今後は、実績のある機器でも不具合の有無やH3への適合性を改めて確認する対策を取るとした。
JAXAのロケットを巡っては、22年10月にも小型の「イプシロン」6号機で打ち上げの失敗が発生している。専門家会議はこの失敗が起きた背景にも、実績が多い部品の確認不足があったとしていた。
H3ロケット失敗「部品の確認不足」 文科省調査報告書|日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC2582Q0V21C23A0000000/
失敗を認めないあの姿勢・あの報道、あまりにも醜悪で見苦しかった。東京オリンピックのあれこれの次くらいに酷い
確かに、世界一を目指し、世界的な成果を上げることがJAXAの最重要ミッションだ
(もちろん、『挑戦したことに意義がある(キリッ』で済ませず、可能ならマジで世界を獲って欲しいが・・・)
しかも、結局、翌月に司令破壊して、その原因は、部品の確認不足だっつーからもうね
国家の研究機関ともなれば、スパイが組織の職員として勤務、そこから徐々に信用を得て情報を盗み出すということも起きるので、そういう話かなぁと思いきや、
どうもそうじゃなさそう。だって外部からVPN機器を起点に、オンプレAD侵入って書いてあるしな。しかも、警察に突っ込まれるまで気づかない
JAXAは、『懸念は無い』って言ってるから懸念は無いんでしょうね、何をやっても失敗じゃないし(白目)
年 | 攻撃の手口 | 被害内容・備考 |
2016 | - | 大規模なサイバー攻撃、防衛関連企業も被害 中国人民解放軍が関与したと見られる攻撃。2021年に逮捕状、国際指名手配 |
2017 | - | 大規模なサイバー攻撃、防衛関連企業も被害 中国人民解放軍が関与したと見られる攻撃。2021年に逮捕状、国際指名手配 |
2023 | VPN機器が起点 3回 | オンプレADサーバー侵入、M365アカウントへの不正アクセス・情報の漏洩 |
2024 | VPN機器が起点 3回 | オンプレADサーバー侵入、M365 アカウントへの不正アクセス・情報の漏洩 |
当然データは暗号化していたのか、当然2要素認証や端末制御やアカウント監視やトラフィックの監視は行なっていたのか、
それらの製品の導入と適切な運用は行っていたのか、無限に疑問は尽きないが、
まぁ、JAXAは、『懸念は無い』って言ってるから懸念は無いんでしょうね、何をやっても失敗じゃないし(白目)
あと、MSと組んでなんかやってるってプレスリリースで言ってるので、
彼らがベンダーのベストプラクティスを遵守する、MSが溜め込んだ研究機関用の知見が活かされることを期待しましょう
白目とか、良く分かってない文系オタがなんか書いてそう、キモイ(anond:20240729182300)
もしかしたら、最初の人は、この研究とは違う研究を引用してるのかもしれないし、この研究を雑に引用した人に騙されてる可能性もあるけど、
「女性の加齢は関係なく、男性の加齢の責任」にも誤読させるような紹介の仕方は良くないよね。
またよろしくね。
なんでそんな偉そうなの笑
でも、私はそういう態度の人嫌いじゃないから調べちゃった。
147万人のデンマークの出生児を追跡した研究だから、多分これだと思う。日本語にしてね。後、差別に使うのは駄目よ〜。
https://jamanetwork.com/journals/jamanetworkopen/fullarticle/2764401
マリーアントワネットの首が歌うシーンが興味深かったから、意図をしりたくて、いろいろ読んだ。
具体的に言及はされていなかったから、はっきりとはわからなかったが、インタビューはどれも面白かった。
id:hazlittさんが教えてくれた、ラジオ番組からいろいろ読み始めた。
増田はフランス語は多少わかるが、わからないところは、DeepL先生に頼っているため、正確性は保証できない。
ホスト:昨日私たちは、コンシェルジュリーにおいて、革命の中、斬首されたマリーアントワネットがゴジラ(というパンクバンド)とマリナ・ヴィオッティと歌うというシーンを見ました。このシークエンスは、いったいどのような意図で書かれたのですか、ダミアン。
ダミアン・ガブリアック(監督):まず私は一人で書いたのではありません。すべてみんな(4人の中心人物)で書きました。そして理由は極めてシンプルです。私たちは、選手が進むルートに沿ってシークエンスを進めていくことにしていました。そして、ここではコンシェルジュリーです。マリー・アントワネットが斬首の前に幽閉されていた場所です。我々は自分たちに、これについては言及せざるを得ない、と言い聞かせました。ここで起きた歴史的なイベントは世界中が知っています。私たちはそこにエネルギッシュであることを求めました。だからゴジラです。そして、斬首されたマリーアントワネット、その両方。私たちは顔を突き合わせ、私たちが価値を見出していた(後述する)ロンドンのエリザベス女王とジェームスボンドを改めて思い起こしました。これだ、これだ、と。
パトリック・ブシュロン:そうですね、まず私たちがやった、みたものは、完全に、楽しく、集合的であったと考えています。そしてそれは全く同じく、議論するつもりがないことです、正確に。議論するつもりはないのです。私たちが見たものはまさに、さきほど述べられた通り、似ているのです。この多様性の物語、これが私たちのあり方だと、私たちが、大胆に主張している、複雑さと。それらは、あの歴史的なモニュメント(コンシェルジェリー)と、その美しさ、威圧的であることを望まない美しさ、私たちを勇気づける過去と一緒に示されました。私たちは誇りを回復しました、国家はアイデンティティではなく、あくまで政治的プロジェクトなのだ、という誇りを回復しました。私はそれらを若者に見せることができてとてもうれしいです。私の娘もコースでそれを見ました。あの悲痛なものを見たのです。それこそが全てです。シンプルです。私たちは、わずか数分の間にバスティーユを奪還したのです。
(中略)
ホスト:ダミアン、実際にこのセレモニーは、世代間的でもありましたね、だれにとっても自分事であるような感覚、ミュージカルレベルでもそうですし、サウンドトラックはすばらしかった。ダリダもあったし、クラシックもあった。とてもエモーショナルでした。とても美しかった。そして、話を変えるが、橋の上でのクィアたちとの最後の晩餐。かれらと一緒に生きているというシーンでしたね?ダミアン。
ダミアン:その通り。クィアはいた。でも付け加えるなら、フランスのすべてがあった。背が高い、低い、太っている、痩せている、黒人、白人、アラブ人、みんな違う衣装で、同じプレイリストを踊ったんだ。グアドループ(カリブ海)の音楽、オーヴェルニュの音楽、ヨーロッパの音楽を、同じ時にね。
トーマス・ジョリー監督に選ばれたパトリック・ブシュロンは、このセレモニーに寄せられる期待や懸念さえも承知の上で、「私たちに似た」物語を望むと改めて表明した。 「私たちはバカバカしいことや傲慢にならないように努めます。それをやったら、とんでもなく長い道のりになってしまうよ」と冗談を言う。
(中略)
「最初のシーンには、『エミリーパリへ行く』シリーズを観たアメリカ人などが期待する、パリで見られるものをすべて詰め込みました。きっと反応は「ありきたりなだな」だろうけど、それは違う。少し忍耐が必要です。所要時間は 3 時間 45 分です。紆余曲折があるでしょう。次に、これらのイメージは正反対の方向に進み、スノードームが転がるように、私たちはエッフェル塔(私たちが期待しているもの)を目にするでしょう 。私たちはすべてを揺るがすでしょう。違うものが出てきますよ。 」
(中略)
共同執筆者たちは、過去の開会セレモニーを研究しました。そして、アテネの謙虚さと、ロンドンの自虐性を継承することとし、北京の誇張されたナショナリズムを拒否することにしたのです。
「ディベートの仕方を知っている国に生きることはとても大きなアドバンテージです。おそらく、(この国に暮らす)外国人たちが我々にもたらしている、楽しい面のカオス、それには多くの憤りと尊敬が同居していますが、私たちはそれを見せなければならないのです。」
開会セレモニーの原点は、セーヌ川の流れとともに進む、という点である。
「私たちが見せる、このゆっくりとした流れるイメージ、この空想上のパレードは、パリが示すべき力の中にあります。このステージは軍隊のデモンストレーションパレードではないのです。フランスはもはやー私は全く望んでいませんがー世界に対して、我々の歴史について講釈を垂れるような立場ではないのです。私たちは、持っているもの、信じているものでやるしかないのです。我々が込めたメッセージはシンプルです。言葉で、あるいは映像で、伝わればうれしいですが、そうです、それは、”すべてがある、それでも私たちは一緒に生きていける”ということです。」
パリの歴史から離れて、歴史家は、パリジャンの通勤のあり方についても、言葉を用いずに示すつもりだといいます。
「英雄的物語の反対にあるもの」を語る、というこの歴史家が大量のインクを費やしてきたフレーズにおいて、彼は、その立場を明らかにした。「私たちはしゃべりすぎです』と彼は笑う。宣言も挑発もない。オリンピックゲームは、包括性、平等性、多様性という価値観に基づいています。セレモニーはそうでなければならない。私は歴史家だから、ナポレオンの話をしなければならないなら、どうすればいいか知っているし、そうするつもりです!しかし、それだけではありません。絵画(Tableau)ではより完全なものになります。私たちは何も削除していないのです。追加しているんです。セレモニーは軍事パレードではないが、謙虚でないのに謙虚なふりをするつもりはない。その一方で、私たちは互いの違いに連帯感を示すことができる。誰もが楽しめるものになるでしょう。」
少し考えた後、彼はこう付け加えた。
「私に、世界(の見たくないもの)に対して目をつむることを期待しないでください。パリに世界を迎えるのであれば、ありのままの世界、ドラマなども含めて歓迎します。オリンピックは原義的に政治的なものですから、政治的なものを排除するということはありえません。しかし世界の最も公正な感覚の中にあってほしいとのぞみます。」
彼は微笑みながら、「こんなに複雑なものに参加することになるとは思ってもみなかった」と話した。
(増田はルモンドやリベラシオンに課金はしていないので、まとめ記事が助かった)
(略)
ジョリーと4人の作家が2022年末に共同の冒険を始めたとき、ルートはすでに決められていました。
東のアウステルリッツ駅から始まり、ノートルダム大聖堂、マリー・アントワネットが投獄されたコンシェルジュリー、ルーブル美術館、 ガラスのドームが特徴のグラン・パレなど中世の遺跡を通り過ぎ、エッフェル塔のふもとで終わります。
「私たちはダウンジャケットを着て、アウステルリッツ橋からエッフェル塔 までボートで川を上下しました」とジョリーはル・モンドに語った。
「私たちはパリの歴史の一部であるあらゆるものを見ました。通り、記念碑、広場、彫像。文学的な書簡、映画、ミュージカルも調べました。」
彼らは何度もブレインストーミングした後、約9か月間秘密裏に執筆を続けた。
フランスのカルト映画「アメリ」やアメリカのネットフリックスシリーズ「エミリーパリへ行く」の夢のようなパリに引き込まれることを警戒し、 彼らは「常套句やアメリカ流のフランス解釈についても、茶化さずに扱わなければならない」とわかっていたとジョリーは語った。
彼らはショーを12の絵画(セーヌ川沿い、セーヌ川の上、さらにはセーヌ川から出る)に分割し、約90隻の船に乗ったアスリートのパレードと掛け合わせた。
3,000人を超えるダンサーや俳優が岸壁や橋の上でパフォーマンスを披露し、それぞれの絵画は、パリのシンボルと、過去と現在の両方について呼び起こすものを描いており、世界をパリの歴史と建築の旅へと誘う。
例えば、ノートルダム大聖堂は、ゴシック様式の記念碑であり、19世紀の作家ヴィクトル・ユゴーとのつながりであると同時に、猛烈な地獄でもあるなど、人によってさまざまな意味を持っています。
「世界が最後にテレビでノートルダム大聖堂を見たのは、火災のときでした」とブシュロン氏は言う。「誇りと壮大さの物語だけではなく、感動の、再建の物語でもあるのです。私たちが演じたかったのは、どんな困難にも負けずに共に生きていこうとする粘り強く創造的な意志の物語です。」
自らを「現代を愛する歴史家」と称するブシュロン氏は、式典はできるだけ多くの人々に語りかけるものでなければならなかったと語る。
「パーティーを開いてお気に入りのプレイリストをかけるのとは違います。世界からフランスへ、そしてフランスから世界へ語りかけるものでなければなりません。私たちはただ、人々が共感できるように、当時の状況を描写しようとしただけです。」
(略)
エマニュエル・マクロン大統領は、セレモニーでは1789年のフランス革命から1948年の世界人権宣言まで、「解放と自由の偉大な物語」を提供すると述べた。
セレモニーの詳細は秘密のベールに包まれているが、フランスの価値観が何らかの形で讃えられると推測されている。フランス系モロッコ人の小説家であるレイラ・スリマニは、パリが集合的であろうとする努力に価値を置いていることーそして力を合わせることで考えられないようなものを生み出せるーを高く評価している、とル・モンド紙に語っている。
4人の作家は、自分たちの物語に寛大な精神を持たせたかったという。
「喜び、模倣、動き、興奮、輝きがなければならない。フランスが時に自信過剰に見せたがる伝統的、哲学的、価値観だけでなくね。」
(略)
一方、昨年9月にパリで開催されたラグビーワールドカップの開会式は、「反例となった」とブシュロンは言う。
『アーティスト』のオスカー俳優ジャン・デュジャルダンが、ベレー帽にバゲットという出立ちで、1950年代のフランスの村々を再現した模型を自転車で巡り、ミルク絞りの女性やダンサーに手を振るというこのショーは、多くの批評家から、時代遅れの陳腐なフランス表現だと非難された。そして、非常に内向きなフランスだった。
「ただの古臭い過去のイメージや、現在の単純な賞賛ではないものでなければならない。歴史は揺らいでいるもので、国家はアイデンティティではなく、政治的プロジェクトであることを忘れてはならない。だから未来を語るのです。だから、私たちはセーヌ川を大旅行し、みんなを巻き込もうとしています。」
ブシュロンは、最も感動的なショーとして、ジャン=ポール・グードによる壮大な舞台美術を伴った、1989年のフランス革命200周年記念式典を挙げている。
当時20歳だったブシュロンは、それを見て歴史家になろうと決意した。
「それは歴史を痛感した瞬間でした。1989年、ソ連、中国(天安門広場の抗議活動)など、世界では多くの出来事が起こっていました。当時、私たちは多文化フランスと呼ばれていたものの価値を声高に明確に宣言することができました。それはより困難になり、ある種の幻滅感もありますが、私たちは怯んではなりません。」
数週間前、フランスでは議会選挙後に極右政党「国民連合」が政権を握るかもしれないという懸念が真剣にあった。その場合、ショーは「ある種の抵抗のセレモニーに変貌していただろう」とジョリー氏は語った。
結局、マリーヌ・ル・ペン氏の党は好成績を収めたが、セレモニーの書き直しを必要とするほどではなかった。
「私たちは、切実に、いたるところで起こっている暴力から離れて、平和の瞬間、止められた瞬間を共有することを必要としています」とスリマニは言った。
「私は本当に、7月26日にみんなが流れに身を任せてくれることを願っています。私たちの中の子供の部分、発見する楽しみを思い出してほしいです。今では本当に珍しいものになってしまいました」
と思っていたけど、セーヌ川、コンシェルジュリーが先にあることがわかった。ルイ16世でない理由もそこにある。またマリーがサン・キュロット版のア・サ・イラをうたい上げた後に上がった数多くの血しぶきは、その後のコンシェルジュリーで数多く処刑された人々のものであろうとも思う。なぜなら、マリーはすでに断頭済みだから。そして、ガブリアック氏、ブシュロン氏のコメントから、別に完全に誇っているわけでもないこともわかりました。やるしかねぇな、と言っているのですから。またブシェロン氏はdéchirer(悲痛な、引き裂かれる痛み)という言葉を使って、あそこで起きたことを示しており、歴史家である彼は当然革命期のその後の悲劇を知っているわけですから。それでもなお、彼は「バスティーユを奪還した」といい、国家は終わるもので、政治的プロジェクトに過ぎないのだ、ということを「誇って」いるという点が印象的でした。右派が怒ることなども承知の上でしょう、なにしろ、「ディベートの仕方を知っている国に生きている」のですからね。
開会式全体に込められたメッセージから判断すると、別にキリスト教を揶揄はしていないんでしょうね。挑発はしているかもしれませんが。クィアは存在する(キリスト教がないものとみなしている)ということを目ぇ開いてしっかり見ろ、ということが言いたいのでしょうから。真正面からね。
要は、暴力やクィアなど、みたくない、特にオリンピックにおいて、というものも当然パリは包摂してるぜ、外国人問題とかもカオスだけど、でもちゃんと一緒に生きてるんだぜっていうメッセージと受け取ったね。論争が起きるのとか、まさに狙い通りでしかないんじゃないですかね。
海外では学部生の授業に組み込まれてる常識的な内容を、日本では一部の教授だけがやっと原書輸入して研究してるなんて分野もある。
建築学部のいわゆる「断熱気密」の話だけど。
欧米には建築物理とか建築科学っていう基礎研究の分野があって、断熱による熱の移動とか湿度の移動とかを物理学者が解析して体系化してるけど、日本にはまずそのポジションがない。
あくまで建築学科で「建築工学(温熱も構造もいっしょくた)」の一部で細々と欧米の成果を勉強してる人がいるだけ。
世間はどうも、「大学がレベル低い」ってことを学生の学力低下くらいにしか思ってないみたいだけど、最先端の分野に専門的に取り組むポジションがない、その育成コースがない、教科書すら翻訳されてない。そんな分野が普通にある。まるで明治とか幕末時代にでも戻ったかのよう。
大学って「これを研究してリードするポジションが必要だ」って上の判断がなければ、こんな空洞化が普通に起こっちゃうってことを日本人の大半は知らない。
大学って同じ研究分野の人以外と話す機会がむちゃくちゃあるもんなんですよ普通
高校生じゃないんだから、毎日気の合うお友だちとだけつるむとでも思ってるの?
今のバカガキだとありそうだな
なんのための大学なんだか
ある程度の大学なら普通に聞く程度の研究裏話で「聞いたことない話するな」「そんなことあり得ない」ってパニックになるのほんとすごいよな。
研究熱心な医者ものんびりしてる医者もよぼよぼの医者も全く同質
とある高名な環境建築家(YouTubeに動画も上げている)が省エネ建築の経済的・社会福祉的合理性を説明するときに、「ちゃんと計算すれば小学生でもわかる(のに、相応の地位にいる人がいい加減なことを言うのはけしからん)」という言い回しを多用する。
いや、実際のところ、自分にとってそれは余りにも耳慣れたフレーズのため、特に気に留めるほどのものとも思っていなかったのだが、ある動画に「小学生だとか人を馬鹿にするような言い方はやめろ」とクレームがついていて驚いたのだ。
それなりに整った環境で理系教育を受けたものにならわかると思うが、「研究発表は『頭のいい小学生にならわかる』ようにせよ」というのは誰がいつ言い出したかもわからないくらいあまりにもそこら中で聞く言葉で、これを特に何かを見下したとか馬鹿にした言い方だと思う奴はいない。
何故ならば、ここで言う『頭のいい小学生』は『特に専門知識はないが理解力は深い人』を意味するのであり、具体的には『専門分野の違う他ゼミの教授陣』のことを指すからだ。
これが「人を馬鹿にした言い方」だと思う時点で驚き、非アカデミックなキャリアを詰んだ人々との文化の壁をまずは思わざるを得なかったが、よく考えるとこれこそがつまり『理系』という知性の特殊性と汎用性を表す側面なのだと思うに至った。
『小学生』と比較されると、普通の人は怒るらしい。何故か。小学生を劣った存在だと思っているからだ。
この人たちにとって『小学生』と呼ばれることは『頭が悪い』とか『未熟』とかを意味するのだろう。
しかし、理系の認識においてはそんな意味合いはほとんどないと言って良い。
理系は思考力の学問なので、「知識がなくてもわかる奴には説明すればわかる」「わからない奴、考えようとしない奴はどれだけ本を読んでもわからない」という認識が当たり前だからだ。
これらの競技が若いうちに才能を発揮できなければ辛いと言われるように、数学や物理の仕事も若いうちにできなければその後もあまり希望はない。
若さは可能性ではあってもなんら見下す要素ではないのが理系の世界だ。
さらに考えを深めてみよう。
将棋や囲碁は、ルールはシンプルだが組み合わせが複雑で、知識より思考力がいるものだというのは誰にでもわかる。
しかし数学や物理は難しい数式や抽象的な概念を覚えなければいけないから、小学生に難しい問題は理解できないはずだ。と、考える人も多いかも知れない。
だが実のところそれ自体、そんなことはないと証明されているのだ。
チューリングマシンという概念がある。イギリスの数学者アラン・チューリングの考えた計算モデルで、現在のコンピュータの元になっている。
さて、ではなぜチューリングマシンは「コンピュータの元」たりうるのか? 言い換えれば、「チューリングマシンには何ができることが保証されているのか」?
この答えが、まさに「理系の議論に『小学生にもわかる』説明を義務づけることができる理由」である。
チューリングマシンは、本来ただの計算機のアイデアではない。それは『数学自体の定義』である。
『計算とは何か』『計算できるとはどういうことか』この答えを探した結果チューリングが得たのが、『計算とはチューリングマシンで解ける問題のことである(意訳)』という、現代ではもはや計算の定義、数学の定義として認められている回答である。
計算とはチューリングマシンで解けるもののことなので、どのような数学的問題もコンピュータのプログラムとして書き、計算することができる。
コンピュータのプログラムとは、ifとgotoを伴った算数レベルの計算の連続のことなのだから、これはつまりどのような数学的問題も、深い思考力さえあれば『算数』レベルの説明に落としこんで理解できることを意味する。(方程式がなくても鶴亀算が解けるように。)
ここで必要なのは、純粋に算数程度の知識と、それを深く複雑に組み合わせる思考力だけである。
従って、理系の説明、数学的に表される定量的な議論というものは、説明者にきちんとした理解があれば必ず算数レベルの話に落とし込める。
最近は、ネットの声の大きいマナー講師たちによって「専門的なことを誰にでもわかるように説明することなんてできない」という言い訳を聞くことが多いが、少なくとも理系の問題において、定量的な議論をする限りは、『数学』は『算数』の複雑化、抽象化に過ぎないのであり、必ず噛み砕いて説明することは可能だ。
ただし、ここで聞き手に求められるのは、何をおいても『算数レベルでならしっかり理解できる知能』ということになる。
つまり『頭のいい小学生』には必ず理解させられても、算数すら苦手な『馬鹿な大人』に希望はないということである。
『小学生でもわかる』は、小学生を劣ったものと考えている言葉では決してない。しかし、それ故にこそ、小学生レベルの算数も覚束ない大多数の大人が、劣ってるどころではない論外の存在であることを突きつけてしまう厳しい言葉なのだ。使い方には気をつけなければいけない。と思った。
政治家はあげなくていいです
お金貰えないとやらないならやらないで貰った方がいいです
学者様も嫌なら辞めろでしたけど(そもそもそんな給与低く無いし)、流石にこのレベルはなぁ・・・
しかし、学歴コンプで権威や理系っぽいものを批判するとバチクソキレるけど
文系死すべしってかなり控えめに言っても闇深い
関連増田: ブクマカの学歴コンプに刺さっちゃったんですかねぇ
https://anond.hatelabo.jp/20240727200759#
どっちであっても学者様になにかいうのはめーなの!が闇深くないか?っていったらこれもまぁまぁ闇深い
昨今の研究力の衰退の話かと思ったらよくわからない話だった。アサシンクリードに対するお気持ちを学者が代弁してくれないって愚痴?
機関誌とか査読付き学術誌(と書いてある)見た上での感想ですけどね
って国だったわ
https://kotaku.com/this-was-never-about-anything-other-than-hate-1851602820
再び醜い頭を育てたゲームの反動的な右翼運動も変わらず、それは理由があって今起こっています。社会文化的問題は選挙の年に熱のピッチに達しており、ちょうど10年前のように、政治的な怒りは大衆文化に血を流しており、公共の場で敬遠されているが、オンラインで賞賛されている(そして愛されている)素朴で印象的な若い男性を利用しようとしている人々によって捕らえられています。男性の若者の過激化がインターネットによって支えられ、永続していることを証明する無数の研究や物語があります。彼らは私よりもはるかに効果的にあなたを納得させるので、それらを読んでください。しかし、私が言えることは、特に何ヶ月も絶え間なくこの怒りに直面して、この種の運動は憎しみだけによって支えられているということです。
人種差別は論理的な立場ではないので、論理でそれを倒すことはできません。事実は人種差別主義者、特にビデオゲーム文化に家を作る退屈な種類の人種差別主義者にとって重要ではありません。常に分割する新しい髪があるだろう - ギタ・ジャクソン、余波
それは憎しみの特別なブランドであり、進歩から戻る途中で空中をケアする一種の後方論理ブーメランです。創業以来、文化空間としてのゲームは、主に白人の少年と男性によって支配されていました。あなたはそれに参加するためにある程度の富と自由な時間を持たなければならず、それらは80年代と90年代には疎外されたグループに容易に利用できませんでした。男の子を対象としたマーケティングとゲームのデザインは、この趣味が彼らだけのものであるという広範な認識をますます煽り、それに興味を持つ多くの女の子が親の抵抗と文化的回避に遭遇しました。私自身は、夏の仕事のお金でXbox 360を買う余裕があったので、両親が「男の子の趣味」に餌を与え続けることを拒否した後、ゲームで前進しただけで、私の話はユニークではありません。