はてなキーワード: 物言いとは
わざわざこちらがカチンとくるような物言いをして絡んでくるおじさんが、数人いる。
特徴について真剣に考えてみた。
「その仕事について、自分ができることがない怒りを、わたしにぶつけてきている」のだ。
「手伝おうか」「あ、大丈夫ですよ。ありがとうございます」というやり取りだけで何故そんなにキレ散らかす。
なにが「ふーん、じゃあ、オレが何もしなかったことで何か起こっても君の責任ね」だ、いい加減にしろ。
こういう輩を黙らせるのには、とりあえずなんでもいいから仕事や役職を振るのが大事で、「この書類のコピーをお願いします」「じゃあ、〇〇さんはこの件の打ち上げの手配をお願いしますね!」といえば、その仕事に注力して、黙ってくれる。
なんなんだ、お母さんのお手伝いができなくて地団太踏む子供か!
こういうストレスは、本当にやり場がなくて困る。
いつも多少、増田が吸収してくれている。
電車の運行情報とそれに関連するツイートをみれるようになってるのがあるけど本当に必要な情報が集まってありがたいと思っている
そのツイートの中にある鉄道会社とか当事者へ誹謗中傷を安易な気持ちでいうやつ本当に頭大丈夫かと心配になる
そんな気持ちをインターネットに垂れ流して、自分のことしか考えられない残念な人間なんだなと心底虚しくなる
もちろん自分も電車遅延の影響に巻き込まれイライラしてしまうし腹立たしさもある
だけど、このあとの行動に影響あるなら対策を考えなけりゃとか思うし、
事故とか状況を打開しようと努力されている関係者の方のほうが大変だろうなとか考えて恐れ多くて死んでしまえとか言えない
ましてや運賃払ってるとはいえ、毎日自身の生活を豊かにしてくれているインフラを整備してくださってありがたいとも思う
そんな今までの努力しておられる人間も含めてすべて否定しているかのような誹謗中傷を1行そこらの文章で否定してるのはすごい破壊力を感じる
じゃあそのツイート見なきゃいいじゃんと思うのだけど、先の電車に乗ってる方が正確な情報投げてくれているのもあるのでなかなかやめれない
そんなツイートはフィルタリングできるようにとかそもそものアカウントを凍結してほしい
本当に糞とか死ねとかやめたほうがいいと思うし、やるならやるでも外部に公開されないようもう少し知恵をつけてほしい
若い世代のアカウントが多く感じるが、例えば就活してそんなの見られたらこの人、人として大丈夫か?と見られてしまうんじゃとか無駄に心配にもなる
本当に糞とか死ねとか言うやつは自身が電車運行の運用する仕事に就いて改善してみてくれ
かんたんに言うクレームつけるぐらいならほんとお前らに事故を起こさない状況を構築できるんだろうな
やってみろよ
いわゆる援助交際というか要するに素人のする売春で、条件の合いそうな女の子に声をかけて交渉しセックスまで持ち込むというもの。
さすがに知人に話せる内容でもないのでここで愚痴らせてほしい。
風俗にはこれまで数回行ったことがある。ただ、このとき俺は普通の風俗ではなく「出会い系の割り切りというのを試してみたい」と思っていた。
単純に刺激に飢えていたし、風俗店に行くのとはまた違った、出会い系の交渉の楽しさのようなもの、漂うアングラ感などに多少のあこがれを覚えていたのだ。
適当にネットで事前情報を調べて登録し、近場ですぐ会えそうな女の子にメールを送る。
その子のプロフィール写真はかわいく、年齢も若かった。他の男からの返信も多く、競争率は高そうだった。
ところがあっさりと返信が来て、トントン拍子に会う約束を取り付けることができた。
さて、こちらはとにかく初めてのことなので、試してみないとはじまらない、という心構えだ。
この手の出会い系サイトは一般人女性のふりをした業者、所謂「援デリ」の温床であることも知識としては知っていた。
ただ、素人がいきなり業者を見破るなどというのは高望みに思えたし、援デリに当たるのも止むを得まいと思っていた。
それにたとえ相手が業者の派遣した女の子だったとしても、それはそれで相手はセミプロのようなものだし後腐れなく割り切ったセックスができるだろう。
待ち合わせ場所にあらわれた女の子はまあ、不細工ではないが決して美人でもないという顔立ちの女の子だった。年齢は20とのことだがそれにしては肌荒れが目立ち、5歳ほどサバを読んでいそうだと思った。
最初こそ愛想は良かったものの、会うなり会話もそこそこに、慣れた様子で近場のホテルに連れ込まれる。
この手慣れた様子、イソジンやら何やらグッズの入ったハンドバッグ。
どう見てもセミプロだな、という感じだった。
案内されたラブホは待ち合わせ場所からすぐ近くのボロいホテルだった。
思い返せばこの待ち合わせ場所も彼女の要望によるもので、お決まりのコースなのだろう。
まあ、援デリのセミプロならそれで別に構わない。多少楽しんで気持ちよくなれればそれで十分だ。
彼女に料金の先払いを求められ、事前にサイトで彼女が提示した金額を渡す。
実は彼女が事前に提示していた金額じたいも、相場より高めだった。(まあこれは俺の経験じゃなくネット調べだけど)。
こっちは多少の稼ぎはあるし、その程度でケチるのも何だなと思いその金額でOKしていたが。まさか、土壇場になって更にふっかけられるとは。
楽しい時間過ごせたらチップくらい出すよ、とはぐらかしたが、既にこの時点で「事前に自分で提示した金額を反故にして上乗せを狙ってくる」という卑しさに嫌悪感を覚えていた。
その後も「もっとくれる人もいるよ」だのと言ってとにかくゴネまくる。最初は冗談めかしてあしらっていたが、いいかげんしつこく、そりゃあ約束が違うでしょと突っぱねる。
どうも、なにかよほど金に困ってでもいるのか、と思うような必死さだった。
で、脱いでシャワー浴びてヤろうとするわけだけど。
あらわになった彼女の肌は率直に言って汚かった。
下腹が異様に膨らんでいて、まさかとは思うが妊娠初期では、と思うほどだった。
膨らんだ下腹の上には安っぽい仕上げのへそピアスが光っていた。
こう言っちゃなんだがとてもふっかけられるような容姿ではない。
普通の風俗に行けばもっと可愛くてサービスのいい嬢は山ほどいるだろう。
さて。上乗せ金額を貰えないとわかった途端に彼女の態度は豹変する。
こっちから話を振ってもろくに答えもしなくなり、会話を弾ませようとする素振りさえ見せなくなった。
寝っ転がされプレイに入るも、早く抜いて終わらせてしまおう、という態度ありありの雑なプレイ内容で全っ然気持ちよくもなんともない。
まず気分が盛り上がらないと勃ちもしねえ、と思って起き上がり相手の身体に触れようとするも「やりづらいから寝てて」と押し返される。
で、数分チンコを任せていたが、この娘、テクニック的にも非常に低レベルで単調で、思いやりも何もない乱雑な扱いをされ、どんどんチンコから血の気が失せていくのを感じた。
単純に性的興奮が引き起こされないということ以上に、この時点で、俺はこの娘さんに嫌悪感を覚えてしまっていた。
容姿も、愛想も、知性も、技術も乏しい。そのくせ過大な要求を突きつけてゴネ得を狙って、それが叶わないと知るや否や態度を豹変させる。
卑しい奴だなと思った。
傲慢で見下した物言いだと自分でも思う。でも本音を言うと卑しくて汚くて気持ち悪くてたまらなく嫌になった。
俺にとってこの娘に女としての価値も、言葉を交わす相手としての価値もないと思った。
もういいとそっけなく告げてやめてもらった。
こんな風に途中退出するのは彼女の自尊心を傷つけたかもしれないな、とか思ったりもしたのだけれど。
でも、まあ、そんな風に思うような相手でさえないだろうな、とも思う。
その娘はたぶん援デリ業者が裏にいるセミプロだったと思うが、プロ根性のようなものは無かった。
過去行ったことのあるふつうの風俗でも、嬢たちには金額分のサービスをしようというプロ意識があったと思うが、彼女にはそんなプライドさえも無さそうだった。
金もらえてラクに早く終わったラッキー、くらいにしか思っていないんじゃないか。
去り際に振り返ると、彼女はもうスマホをいじって、サイトで次の男を募集していた。
こんな生々しい卑しさを間近で見たのは初めてのことで、なんだか悲しくなってしまった。
普段仕事や私生活で接する相手にこんな卑しい人間はいなかったから、自分がそれなりに文化資本に恵まれた環境で育ち、暮らしていることを思い知らされた。
んで、彼女を卑しい、気持ち悪い、と思う以上に、そんな相手を金で買おうとして勝手に幻滅している自分も相当なクソだなと気づいて更に落ち込んだ。
最低の経験だった。
大学の同期が成人式をむかえる前に書こうと思っていたが、結局こんな時間になってしまった。
この時間になって成人式ねーうん・・・みたいに思ってネット見てる人間が見ればそれでいいや。
「成人式に行かない人って、いったいどんな理由があるんでしょうかね」というのは、改めて考えてみるとこれがいまいちよく分からない。
あるいは自分がなんだかんだ言って結局行った方の人だからなのかもしれないが、行くのを結局決めたのは前日の夜になって「ああやっぱ行こうかな、一応準備だけしておいて寝坊したらあきらめるか」といった具合でいたら当日きっちり目が覚めたので、ええホントに行くの俺?みたいな思いを抱きながら行ったという有様だったので、その辺のところ行くまではかなり割れていたのだが、実際行った後になってああやっぱ行ってよかったなとなるような強い価値観の変化があったので、そのあたりのことがいまいちよく思い出せないし、結局行かない側の人ではなくなったので、行かない側の人としての物言いをしなくなったからだと思う。
というのも、その成人式人生三回目のセンター試験の一週間前だったし。
その頃の自分に何があったかというと、まあなんだかよくわからないことになっていた。少し本題とずれるので、結論だけ見たい人は読み飛ばして構わない。
単にシンプルな物言いで表したり表されたりしたくないだけなのかもしれないが、一年目も二年目も、センター利用で受かった大学にそれぞれ親に入学金と半期の学費、それから半期の休学費用をハタかせておきながら大学受験をおかわりしていたからである。
結局一度目はもっと高いランクの大学に行きてえと抜かす自己肯定感の欠如と、それでいて自分の有様をよくわかっていないが生きる上では大切な若者特有の貴重な熱意を、18,9年生きててそれだけしか身に付けなかったんかとばかりの崇高な偏差値という単線的指標に振り向けて、それさえ達成できればこれまでも中高大と一度たりと第一志望というものに受かったことのない過去の自分の救済になると信じて突っ走ったものの、大元の問題が何一つ解決されてないがゆえに何一つ解決するはずもなく、終盤完全に行動の伴わない支離滅裂なメンヘラという訳の分からない人になりながら本試は全て落とし、所属するが故の苦い部分から解放されもはや生きてるだけで自己肯定感を補填できる依存先と化していた元の大学と、唯一受かった1ランク上の、しかも受験が終わった後になってどうやら自分が本来大学でやりたいと思っていたものと違うらしいということが分かった大学のどちらにすればいいか迷っていると口にし親父を激怒させて終わった。
二度目のほうはもはや凄惨と言う他はなく、元の問題、つまりは自己肯定感の欠如であるとか偏差値以外の指標を実のところ持ち合わせておらず、大学受験というそういうことの最後の振り分けが終わった後でじゃあ自分が何をすればいいのかがわからない、自分に好きなことややりたいことがあるんだかないんだかわからない、ましてそいつを新しく見つけ出すこともできちゃいないし、前の大学の専門や多分野性は楽しかったし、自分のやりたいことのような気もしていたがそいつは自分でかなぐり捨ててしまった。そうこうしているうちに時間は過ぎ、周囲にいる一つ年下の人間はめいめいにそれを見出したり、あるいはそうでなくても仲間を見出していく。新しい人間を迎えるムードやチャネルは閉じていき、ただ一人、コミュニケーションに長けているわけでもなく、まして19になって未だ携帯電話さえ持ったことのない現代人にあるまじき自分は人間関係からも完全に弾かれたまま過ぎゆくただ時間に溺れ流されていた。前期の単位は夏前に再受験が決まって期末を受ける必要もなくなっていた前の大学のさえ下回り、初めてのバイトもクビになり、夏が終わるころには高校のころ深刻であった鬱状態が完全に再発状態となり、対人恐怖に加えて社会恐怖に陥り、狭いキャンパスの狭い学科で知っている人間と会うのも、知らない人間がそれぞれ彼らなりの為すべきことや適応を見出しているさまを目にするのも耐えられず、大学は来てもまともに講義に出ることもなく普段人の来ない大学の非常階段で横になりながら、人の話し声や足音におびえ、ただ一日中耐えぬ眠気と抗うつ薬の副作用からくる体調不良でくたばっていた。
そのような状況を見かねてか、というより、自身も家族も学生相談室もお手上げ状態と化しており、少時に発達障害でかかっていた大学病院の心理士やら全落ちした中学受験時代の予備校の先生にまで話に乗ってもらい、しまいに温情で元の大学に戻るなり、また別のところに入りなおすなり、リセットの機会を与えてもらったというのが11月、という有様であった。
というような具合だったので、高校を出てから二年間の間で、自分の人生は高校を出るまでは同期で同い年の(自分の周囲にいた)人間が辿っていたそれからは大いに逸脱していた。
二度目の大学の同い年の同期とも、ましてや歳の違う同期からも逸れていた。少なくとも、当時の自身にとってはそうだった。
もとは転勤族で住んでいる地元にそれほど愛着があるわけでもなく、昔から付き合いのある人間もいない。親類ですら、精神・物理的に最も長い付き合いがあり、肉親としての付き合いらしさを覚えはじめていた爺さんは最初の大学受験の途中で突然死した。ましてや住んでいるところの人間など、地理的なり関係性的になり分断が続いたので、初めて親しいらしき人間関係が三年を超えたのは、電車で一時間の高校を出てからのことである。
↑以上読み飛ばし
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↓読み飛ばし了
そんなわけで当時の自分は、血縁・地縁または精神的な人間関係という側面において、また学年や同期など社会的地位としての側面において、そして以前より自分が持っていたイメージ(と現状との乖離)という三つの面において、一般的な「20歳」という存在群から離れていた。(すくなくとも、当時はそう自覚していた)
とはいえ成人式のハガキというものは、本人のそうした事情や自意識とは全く関係なく、ただいつ生まれてどこに住んでいたかということ以外何一つ問わず、だれの元にも届くものである。
ハガキが届いた時点で、すでに自分の人生が同年代の多くの人間が歩んでいるのと同じような人生など望むべくもないと思ってはいても(事実そうだとしても)、である。
これは生まれて20年の1月を迎えるまでの経緯がどんなに平凡であろうが特殊であろうがおそらく同じことだが、成人式というものは、義務教育を終えた人間に来る、「ただ同じ年(度)に生まれたというだけで世間から全く同じ扱いを受ける」最後の機会だろう。ひょっとしたら最後ではないかもしれないが、少なくとも当分同い年というくくりではこれほどの等しさと無差別性を持った体験をする機会はないだろう。たとえ義務教育をどっかでドロップアウトしようが、義務教育後に社会に出ようが、小中高のどっから私立なり特殊な学び舎に通っていようが、あるいはそういうことのなかろうがである。
分かりやすいので義務教育を例にとってはいるが、それ以外であっても人間この国で20年も生きていれば意識しようがしまいがなんがしか本人なりの本人しか持たない(あるいは似たような人しか持たない)部分というものが出てくるものだし、そんなことはないと思っていてもそう思えること自体がそうである。
これは多分行く前はあんまり分かりにくいことだと思うが、ともかく成人式というのはそういうものを可視化してくれるこの上ない機会だと思うんすよね。
自分が変わっていようが、あるいは変わっていなかろうが、それがどう変わっていて、どう変わっていないのか。会場に集まった普段どこに住んでたんだみたいな70年代の珍走団の生き残りみたいな連中やら、無数にいるスーツにトレンチコート羽織った黒い大群やら、量産型みたいな晴れ着の女やら、(ときにキンキラキンの)紋付袴決めた男達やら、そこにいる連中すべてがまぎれもなく自分と同い年という光景は、少なくとも成人式以外にあるまいと。自分が前日にやっぱ行ってみようかなってなったのは、そういう風な光景って実際どんななんでしょってのを見てみたかったのが一つある。これ考えても実際に見てみないと絶対分からないぞと。少なくとも、行ったことは何かの話のタネになるが、行かなかったら何にもならない。あとでやっぱ行けばよかった、がシミのように残ると思った。
成人式のハガキをなくしたのならなくしたと言えば現地で何とかなるし、着ていくものがないならまぁ少しでもちゃんとしてそうな格好をしていけばよいだろうし、そういう成人式だってあってもよいだろう。別に地元に友達がいなかろうが、それはそれで自分にとっての成人式はそういうもので、そっから見える光景というものがあるだろう。ひょっとしたら、意外な出会いというものがあるかもしれない。俺の場合は誰一人知り合いとすれ違うこともなかったが、それはそれで面白かった。久しぶりにでも会いたくないやつがいたとしても、そいつと会うのはその日が最後だ。遅刻したって別に会場に入れてくれないということはないし、まあ既に終わってても贈答品くらいは貰えるだろう。
いずれにしても、成人式に行くことによっぽどの、それこそ生命の危機が伴いでもしない限り、積極的に行かない理由をひりだすことはないんじゃないか?
仮に生命の危機があっても相手は少年法の適用外だ。別に贈答品目当てだってよかろう。地方によっては金券まであるらしいし。ぶっちゃけ、ほかの自治体のでも潜ってる人はいるし、そういう手もあるだろう。
成人式という上に述べたような場で何が起こるか、あるいは自分にとっての成人式がどういう場で、どういう体験をしたかってのは、これまでの自分を同じ年齢の違う人間という物差しで照らし合わせて改めて見直すことができるいい機会になりうると思うし、あるいはこれからの自分がどうするかを決める上で一つの観点を得られる機会となることもあるだろう。
俺の成人式の話をすると、その日の朝は普段より早く起きて、普段予備校に行く格好のまま家を出て、最寄り駅のトイレでカバンに忍ばせたスーツと革靴(最初の大学の入学祝い)に着替えて行った。
贈答品は会場に一番近いマクドナルドのクーポン券なのは事前情報で知っていたので、特に期待はない(要らねえけどなんかムカついたから二枚使った)。
日本で最も規模のでかい成人式のひとつなので、夥しい人間がいた。その中で明らかに事前の期待を裏切ってよかったこと・面白かったことが3つと、クソだったことについて書いて終わろう。
まず前座で良かった点、開式の国歌と市歌の斉唱。これは完全に盲点だった。いや、人生であれだけの人数で国歌と市歌を斉唱するという機会は以前もなく、おそらく今後もそうないだろう。規模は地元によって変わるところなので一般化はできないが、大勢で国歌だとか市歌だとかをまともに歌ってみるというのは、歌というもの(または斉唱)が持つ効果について体感することができたし、本人の政治的スタンスによって様々に見方があるものだと思う。
クソだったのは、少しは面白い話するかとほんのちょっぴり期待していた林文子(市長)が死ぬほどつまらない話しかしなかったこと。マジで役に立たねえ話しねえ。1行で要約すると
「携帯電話が普及して直接コミュニケーションをとれる機会が私たちの世代より減ったと思うので密接な人間関係を築けるよう頑張りしょう。」
いやもっと役に立つ話しろとは期待が高すぎたかもしれんがせめてなんかそれについて掘り下げた話はできないのかよなんだそのお手本みたいなお年寄りのお手本トークは・・・というもの。これはこれで、ある種の貴重な機会かもしれない。毎年使いまわしてる可能性があるから横浜市民は要チェックだ。
輪をかけてクソだったのがその次の新成人のスピーチ。まあ新成人代表なんぞに選ばれてスピーチを打つやつはまず間違いなく模範的成人みたいなやつかそれに類するものだと思っていたのだが(それ以前のスポーツ選手みたいなのの紹介とかもそうで)、そいつの語り口が聞いていて気に食わなかった。正直後のインパクトで話してた内容をあまり詳しく覚えてないのだが、まあ今はボランティアとかいろいろやってます系の大学生が自分の人生を語るというものだったんだが、その途中で(当人の人生が実態としてどうであれ)妙に「こいつスピーチの話術として落としをやっているな?」というところがなんか聞いていてイラついてくるのである。「いじめられもしました」の言い方が湿っぽいんだよなんか。でもお前いい人に囲まれててよかったねいい人生だねと市長のスピーチに続いて半ば来たことを後悔し始めたのだが、ここからがとてもよかった。
これは行く前と行った後で最も価値観が変わったことである。かねてから成人式の乱入というものはまぁおよそまともなものではないと思っていたが、しかしその場ばかり、その場の自分にとっては違った。
むかし怪獣特撮で怪獣が町を破壊するシーンで喝采があがったとかいう話が少し分かった気がした。
成人式というのは、その主役は新成人である。そこにいる、会場に座っている全ての人間が主役である。彼らの社会的日向日陰此方彼方近郊遠方、全てを問わず、しかし彼らのものであり、選ばれた新成人と、一世一代の晴れ舞台乱入を試み壇上へ駆け上がった名も知らぬ煌びやかな和装姿の彼と、私と、あるいはすれ違うこともないがしかしそこにいるはずの知人どもとの間に、いったい何の違いがあるというのか。誰が彼と彼らと分かちうる権利を持ちうるのかと。成人式とは、生きてきたこと、為してきたことの如何を問わず万人がそこにいる場ではないのかと。
ひとり私は拍手し、心の中で喝采をした。壱萬の大群と自ら選んだわけでもない代表者という構図の中に包まれていた会場を破戒し、否、そうではない、と示した彼の姿に。
そのように見出した彼の姿に心打たれ、ある種の感謝と、自らの肯定を覚えたからだ。彼の行動によって、万人の場としての当市成人式は成立をなしえたのだから。
最後に。これは来ていちばんよかったと思えた光景なのだが、式が終わって駅に行くまでが死ぬほど混んでいたので見物感覚で大回りして駅の空いてるほうに向かっている途中、まあいかにもあまり中学の休み時間窓際で話してそうな感じのイケていなさそうな感じの風貌のダウンジャケットの男二人が、しかし久しぶりに会ったと思わしき感じで、いかにも久しぶりにやるその頃の二人のやり取りという感じで楽しげに歩いている、その光景を後ろから見ているときだった。
こういう成人式も、あるのだと思った。
嫌がりながら蹴られてたというか、むしろ蹴られることでウケを得て、ひいては富と名声を得ているわけで
「産まれてきて幸せだったか否か」を、なぜ本人以外の赤の他人が判断してくれているのだろう。
「幸せか否か」などという抽象的と言うか主観的な物言いは、ひょっとすると当の本人からしても正確な判断が期待できないかも知れないのに、まったくの赤の他人が「あなたは不幸せである」と断定でき得る根拠は何だろう。
合理がすべてか。そういう人もいるし、そうではない人もいる。
まったくの赤の他人が生まれる前の人間に対して「お前の生存は非合理である、よってお前の生存を望まない」と告げるのは、まぁ好悪はさておいて勝手にやって貰うとして、それに対する当人の回答はどうやれば得られるのか。
当人の意思も何もなく、人間の前段階として意思すらも存在しないものとして取り扱わないというのであれば、産まれる前の子供を道具として扱っているのは当の主張をしている人物の方だろうと思われる。
我ながら随分と感情的だとは思うけれども、そう思えた。
お前はなんのつもりでV6岡田准一のファンの増田にいちいちジョンヒョンの自殺に関するブコメをしてんの?
https://anond.hatelabo.jp/20171226024709
この増田は「誰か他にいいアイドルグループいたらオススメしてください」とか書いてるか?
書いてねえだろ。
https://anond.hatelabo.jp/20171224013534
何ふざけたことを言ってんだてめーは!? 好きなアイドルが自殺しようが人の悲しんでるところを覗きに行ってうらやましい悩みだとか思うわけねえだろ!!!
お前は妊娠中に電車で優先席に座っていて変質者に絡まれたり暴言を吐かれた人に対して「不妊で悩んでる人や車内で強姦され殺されたインドの少女からしたらうらやましい悩みだろう」とか一々言うのか!?
お前がそういう卑しい考えをするのは勝手だがそれを他のアイドルおよびそのファンになすりつけるのはやめろ!!
だいたいそんなこと言ったら毎日必ず人は死んでいて、アイドルオタクのほとんどの感情は非オタクから「アイドルなんかのことで一々騒いでいられて羨ましい〜」と馬鹿にされるのを許すことになるのがわからないのか!?
トリアージが求められてるわけでもないのに勝手に可哀想ランキングつけて悦に入ってんじゃねえよ。
100歩譲って岡田准一のファンがそう考えて自分を慰めることはあったとしても、どちらのグループのファンでもないお前が何故上から目線でそんなことを言えるの?
SHINeeのファンだとしてもメンバーの死を無関係なアイドルのファンへのマウンティングに利用するなんてことは恥知らずな振る舞いだろう。
※いわゆるベテランの方々についてはここでは取り扱いません。あくまで若手声優大好きな声豚の目線です。
さらに+で容姿が整っている が人気になるようになってきてたわけだけど
そりゃまあ可愛い娘がキャッキャしてるのを見るのは楽しいんだけど、さすがに供給過多っていうか、追いきれないっていうか。
彗星のごとく現れて1作品くらいメインやって主題歌のPVで踊って、そして彗星のごとく消え
あとはソシャゲのCV当ててリアルのイベントで接近戦したりライブしたりしてるだけの娘を応援してても、
応援しがいがあるのかないのか。というか声優なのかアイドルなのかよくわからなくなってくるっていうか。
あと、昔は「あの人は声優なのに可愛い!」が売りだったのに(相当に失礼な物言いだが)
最近だともう「この娘可愛いから声優にしよう」みたいなビジネス戦略が見え透いてきているというか・・・
というかもう可愛くない娘のほうが珍しいってレベルでみんな可愛いんですよね。恐ろしい業界になったもんだ。
そしてふと気づくわけです。「演技力のある若手声優って貴重じゃね?」という矛盾しているかのような事実に。
というわけで種崎敦美さんと大地葉さんが最近のマイブームです。
魔法使いの嫁は二クールだから来期もやります。観てない方もまだ間に合います。
大地葉さんはラジオのカレーチャーハンがクソオタクラジオだけど演技コーナーは全力なのでオススメです。
あ、ノラととアニメよかったよね。
ノラとと2?あれは別人。シア姉√よかったです
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53594
まずこいつは3年に渡ってなんJでヘイト・煽り書き込みを繰り返していた八神太一(通称チンフェ)というコテハンが自分でアップした卒業証書から学校と個人情報が割れ、それに始まる炎上を沈下させるためにチンフェが雇った弁護士なんだけど、
なぜ炎上に失敗したかというと悉くが唐澤貴洋自身による無能行為の連発なんだよ。
そういうのは絶対に言わないよね。なんで自分の非を一切表に出さないの?
最近は自分の炎上をダシにテレビやメディアにも出ているけど炎上の経緯をきちんと説明したら誰もお前なんかに仕事を頼まないと思うよ。
何が「ネットに強い弁護士」だよ。お前がやっていたのは30万をもらってIPを開いてネットの悪いものたちをビビらせるだけのお仕事だったじゃねえか。IPを開示するだけなら弁護士に頼まなくてもできるんだよ。炎上が深刻化するまでお前はプロバイダに対して情報開示なんて決してしなかったよな。本来はそこまでがお前の仕事だったろうにさあ。
2012年3月に「2ちゃんねる」に違法性のある書き込みの削除請求をしたところ、当時の掲示板の仕組みにより、私の名前が知られるところとなった。それをきっかけに私の行動がネット加害者に知られ、今度は私自身が誹謗中傷されるようになったのだ。
まずこの違法性のある書き込みというのはチンフェの住所なんだけど、
どうしてチンフェの住所が書き込まれるような事態になったのかを説明しないとフェアじゃないだろ。お前は掲示板の荒らしの火消しをしていたという大きな事実を隠している。
ひょっとしたら一連のチンフェの話がぶり返されないように配慮をしているのかもしれないが、お前がこうやってメディア露出している時点で全く意味が無いことを認識して欲しい。
当時、私の事務所は誹謗中傷・名誉毀損問題をメインの分野として仕事をしていたので、名誉毀損と関わりがある政治家、芸能人、著名人などをTwitterでフォローしていた。
別にそれはいいよ。その件がネタにされた原因はなんJでそれを指摘された5分後にtwitterに鍵をかけたことだよ。
アイドルオタクだと何がいけないのだろうか。
なんて言ってるけど本当にそう思ってるなら鍵をかけてるんじゃねえよ。それじゃまるで自分の趣味をバラされて逃げているように見られてもしょうがないじゃねえか。
仕事の宣伝のためにフォローしているならなおさら問題がないだろうが。揶揄されるのが嫌ならそういうツイートを出せばいいだろう。
私の趣味は映画鑑賞と本を読むことで、アイドルは専門外の話だった。にもかかわらず、ネット加害者は私が「ドルオタ」であるとのレッテルを貼り付けることで、ある種の高揚感を味わっているようだった。
この期に及んで取り繕ってるんじゃねえよ!「確かに私はアイドルが好きないわゆるドルオタだが、それで馬鹿にされる謂れはない」とかせめて「彼女たちをフォローしていたのは業務の宣伝のためで個人的な興味とは全く関係がない」くらい言えよ!鍵をかけてる時点で説得力は全くないけどな!
みんなもわかってきたかもしれないけど、こいつはこういう場当たり的な対応や物言いでその場を切り抜けられると思っている極めて浅はかな人間なんだよ。2chの●が漏れたときも集団訴訟をするなんてことをFacebookで言っていたのにいつの間にかその投稿まで消しやがって。こんな無責任な奴に弁護士としての資質はない。そんなだから炎上するんだが本人は5年たってもまだわからないらしい。
私がターゲットにされたのは、当時一人で弱小事務所を運営していたことも関係があろう。立場の弱い人は、どんなに叩いても大丈夫なのだという考えが、ネット加害者にあったのだと思う。
違うだろ!そもそもお前は親父の会計事務所を間借りしてただろ!なんでそういう基本的な事実誤認をするのかな?わざとやってんのかな?
お前がターゲットにされたのは
遊戯王カードジェネレーターの管理人には「弁護士の唐澤です」なんてぶしつけなメールを送り不興を買った結果
管理人がなんJ民にサジェスト汚染のテクニックを伝授する始末だ。
もう良心()であるはてブですらお前を無条件に擁護する奴は少なくなってるけど、どうすんの?
親父のコネで仕事をしてテレビや雑誌で小銭稼ぎして、それで満足なのか?お前が外に露出すればするほどチンフェの炎上の完全沈下は遠のくわけだが、チンフェはそれで納得しているのか?
殺害予告や爆破予告のような犯罪路線なんてもう流行らないだろうし多分もうほとんどないだろうが、
お前が外で何かアクションを起こすだけで喜ぶ奴らがいて、お前のアクションを引き出すためにそいつらがまたお前に嫌がらせをするかもしれないってことくらいわからないかな?
効いてないアピールをしても効果が無かったから実利もかねてお涙頂戴路線を始めたんだろうが、お前が出てくる度に蒸し返されるチンフェのことも考えてやれよ、マジで…
自サバとは少し違うかもしれないが、最近すごく面倒な人と知り合った。
アラフィフの後半くらいの年齢だと思う。
昔はそれなりにモテたという経験があるのだろうが、いちいち人に対して上から目線で話しかけてくる。
今の職場は水商売とまではいかないけど接客をある程度必要とする飲食店で、訪れる人に対して親しく接するというのが運営方針だ。
私は前からそのお店にかよっていた常連で、先日色々あってその職場でアルバイトさせてもらうことになった。
そのBBAの特徴は色々あるんだけど、一番迷惑なのは「人の言わないことをズバズバ言うあたしってかっこいい」という勘違いをしているということだ。
具体的には、お客さんの1人が「いや~僕、もてないんです。なかなか好きな人に話しかけられなくて」という話題をしていたとき、割り込んできて
「それって単に努力が足りないんじゃない?今着てる服とか安物でしょ。それでモテないとか、なんか違うなあ~」
とか言い出す。
そのお客さんは別に深刻に恋愛相談してたんじゃなくて、周りに「恋人作らないの?」みたいなことを言われて謙遜して言っただけな流れだ。
そのBBAがいない時なら「じゃ、どういう人が好きなの?」とか「でも、(芸能人の名前)にちょっと似てるから絶対大丈夫だよ」みたいな軽い会話で愉快に流すところ。
一瞬会話が止まって、それでもそのお客さんが気を使って「僕、前にフラれたことがあるんで、今はあまり積極的に恋人欲しいってわけじゃ」と言うと今度はそのBBA
「ダメダメ!そうやって逃げてるから結果がついてこないの。努力もしないで言い訳してるからモテないんじゃない」
とか、さらに筋肉がだらしないとか、髪型がダサいとか次々にダメ出しを頼まれてもいないのしていく。
途中からそのお客さんも「はあ、そうっすね」みたいに引きつった笑いをしていた。
で、空気がちょっとしらけたんでお客さんが帰ろうとすると、一緒に席を立って肩を叩いたら
「頑張ってモテなさい!じゃ、またね」
とか、いかにも「ズケズケした物言いをしているけど、それはあたしがサバサバした性格をしてるから」とでも言いたそうな馴れ馴れしい態度で出口までついていこうとした。
そんなことが何度もあるので、私や他のスタッフがあとからメールなどで「ごめんね。また今度来てね」といったフォローをすることもよくある。
個人的な付き合いならそういう自サバ勘違いBBAとは距離をとればいいんだけど、同僚だからそういうわけにもいかない。
もちろん同僚にも自サバ勘違いアドバイスを発揮して、その服はセンスが悪い、最近太ってだらしないとかズケズケ言ってはそのあとでやたら馴れ馴れしい態度を取る。
一応昔からいる人なので店長もやめさせるとかは考えていないようなんだけど、本当に迷惑だしその人がいると会話の流れがすごく気まずくなる。
なんとかBBAを追い出すか、そういうクソババアな態度はみっともないということを教えてやりたいところなんだが。
あの年じゃあ無理かなあ。
確かに「役と同じ服装」と取り繕ってもあの忌まわしき戦争を連想させるので「人殺しの服着ている」とか「軍国主義者」という誹りを受ける可能性はある以上、迂闊だったかもしれない。
……のであるが批判者側も主語が大きくなりすぎていてお話にならない、幼稚なレベルで正直失笑ものである。
(全くの余談であるが、この憲兵役の声優さんは年季の入った軍装趣味者のようで、ワンフェスでも憲兵コスプレで参加されているのを拝見した。)
憲兵という兵科自体「軍の警察」という役割を担う以上必須ということは少しでも軍隊を知っているならば分かる基礎知識であるし、自衛隊でも警務科という“ミリタリー・ポリス”を有している。
フランスでは国家憲兵隊を編成して一部の一般の警察業務を担っているし、日本軍のソレもフランスに倣った組織である。
……という点が批判者側からスッポリ抜けているので意味不明な不気味さを放っている。
逆に「いくらなんでも公式的なイベントで(忌まわしき戦争を思い出される)日本軍の兵士の恰好はどうなのか?」というところで主張を押し留めておけばある程度の賛同は得られた筈だ。
「弾圧」「横暴」というワードからナチス親衛隊(SS)と日本軍憲兵隊を結びつけるもの甚だしく不適切である。
日本軍憲兵隊の場合国軍の中の一つの組織でしかないが、SSはあくまで「ヒトラー個人に忠誠を誓う組織」だ。
そして歴史を追うごとにナチスの武装組織「突撃隊(SA)」に取って代わり、ドイツの警察機構を吸収し、国軍(国防軍)と並立する形で強力な軍隊(武装SS)が出来上がる……という具合に
際限なく国家を吸収していったのだ。
ナチス・ドイツのこうした歪さは戦後にも深く影響していて、元国防軍の将兵と元武装親衛隊の将兵の差別問題とそれに関連する武装SS将兵による復権運動
―パウル・ハウサー、クルト・マイヤー等の著名武装SS隊員らによる「我々は犯罪組織の構成員ではなく国防軍と同じ兵士だった」といった主張―に繋がるのである。
こういう歴史の顛末を知れば日本軍憲兵隊とナチス親衛隊は=で結べない筈である。
そもそも論として「欧米ではナチスのコスプレはタブー」という認識が誤りである。
日本の有名な軍装品店(エ○&グ○フなど)に行けばドイツや海外製の「ナチス時代の軍帽、軍服、勲章……etc.」が沢山売っているし、欧米で戦車や飛行機も動員して開催するほどの気合の入った
(更に全くの余談だがZ級戦争映画と名高い「パンツァー鋼鉄師団」はこうした戦争再現イベントを利用して撮影したと言われている)
日本においてもコミケでは特段規制されておらず、せいぜいイスラエル大使館を名乗る怪電話による自粛程度である→https://togetter.com/li/1047396
毎回、軍装コスプレイヤーの溜まり場に行けば必ずナチス親衛隊のコスプレ、稀にヒトラーのコスプレが居るので「ダメなコスプレ」ではない。
(どちらかといえば現行制服の自衛官や警察官の方が法律に反するので「悪」として認識されている)
当然、コスプレイベントで明白に規制されているにも関わらず、無理矢理強行する行為や何もない普通の街中でそうした軍服を着るという行為は軍装趣味者として戒められるべきであるが
特定の組織や兵科を指して「ダメなコスプレ」のレッテルを貼られる謂れはない。
……よって批判者側のヒステリックな物言いには一切賛同できない。
当然ながら日本軍憲兵隊の行い、ましてやナチスの悪行を一切肯定するつもりもないが、だからと言って「○○の行為はダメだ悪い」と声高に激高し監督や作品自体を誹謗中傷する行為を取ること自体思考停止の産物であり
社会的に「正しい」大人として振る舞う上で大変重要なことは、物事へこだわるという感覚自体を無くすことだ。
「正しい」大人は何事にも一定以上の大きな情熱を持たないし、ましてそれが自身の「社会的機能」に優先することはない。「家族」は例外とも見ることができるが、これはどちらかというと社会的機能の一種と考える方が正しいだろう。「趣味のようなもの」をやっている「正しい大人」はいるが、それは拘りや情熱から来るのではなく、社会的機能を補強するものとして位置づけている人がほとんどである。
全てを社会的機能から発想する人間は、他人もそのように振る舞うべきであると考える。それが社会的機能だからである。そしてこれらは大抵の場合無自覚に行われる。それを自覚するということ自体が社会的機能にやや反するためだ。従って件の増田のように「年相応の趣味をやるべき」などという曖昧な物言いが出てくる。その真の意味は「大人が情熱や拘りから来る趣味などを持つな」という意味である。