「産まれてきて幸せだったか否か」を、なぜ本人以外の赤の他人が判断してくれているのだろう。
「幸せか否か」などという抽象的と言うか主観的な物言いは、ひょっとすると当の本人からしても正確な判断が期待できないかも知れないのに、まったくの赤の他人が「あなたは不幸せである」と断定でき得る根拠は何だろう。
合理がすべてか。そういう人もいるし、そうではない人もいる。
まったくの赤の他人が生まれる前の人間に対して「お前の生存は非合理である、よってお前の生存を望まない」と告げるのは、まぁ好悪はさておいて勝手にやって貰うとして、それに対する当人の回答はどうやれば得られるのか。
当人の意思も何もなく、人間の前段階として意思すらも存在しないものとして取り扱わないというのであれば、産まれる前の子供を道具として扱っているのは当の主張をしている人物の方だろうと思われる。
我ながら随分と感情的だとは思うけれども、そう思えた。
生まれてからでは遅いと思ってるのだよ どうせ答えが不幸以外ないと思ってるのだから
ここで言及しても、お門違いであることは理解していますが、それでも一応お返事など。 「生まれてからでは遅い」のは彼らの都合であって、これから生殺与奪を判断されてしまう本人...