社会的に「正しい」大人として振る舞う上で大変重要なことは、物事へこだわるという感覚自体を無くすことだ。
「正しい」大人は何事にも一定以上の大きな情熱を持たないし、ましてそれが自身の「社会的機能」に優先することはない。「家族」は例外とも見ることができるが、これはどちらかというと社会的機能の一種と考える方が正しいだろう。「趣味のようなもの」をやっている「正しい大人」はいるが、それは拘りや情熱から来るのではなく、社会的機能を補強するものとして位置づけている人がほとんどである。
全てを社会的機能から発想する人間は、他人もそのように振る舞うべきであると考える。それが社会的機能だからである。そしてこれらは大抵の場合無自覚に行われる。それを自覚するということ自体が社会的機能にやや反するためだ。従って件の増田のように「年相応の趣味をやるべき」などという曖昧な物言いが出てくる。その真の意味は「大人が情熱や拘りから来る趣味などを持つな」という意味である。