はてなキーワード: 替え玉とは
居抜き物件と言えば、
何を思い出すかしら?
そうね、
私ならラーメン屋さんとか饂飩・蕎麦屋さんとかインネパカレー屋さんとかを思い浮かべるわ。
だいたいはそれらのお店がぐるぐる回って入れ替わってるって感じじゃない?
入れ替わり激しいところは。
でね、
今度新しくラーメン屋さんが出来るみたい。
それが何と!
そんなラーメン屋さんなら行ってみたくない?
いや別に、
床が油でベタベタしている年季の入っているラーメン屋さんとかも嫌いじゃないわよ。
葱入れ放題のラーメン屋さんも嫌いじゃないわよ。
でも大盛りがあるなら、
替え玉もできるようにして欲しいのよね。
なんで大盛り出来るのに替え玉出来ないの?って
ラーメン哲学の最初から大盛りか後から追加できる替え玉かって話し、
いつも何処かで誰かと誰かがバトルしてるイメージよ。
自らハードル上げちゃってるタイプのお店かーって今からそわそわしているんだけど。
でも
ラーメン屋さんに限らず
自分で「美味い!」って店頭にノボリとかたててるお店とかを見ると、
本当にスゴい自信ね!ってその自信だけでラーメン食べれそうになっちゃうぐらいよ。
精肉店のトラックに描かれている豚ちゃんも吹き出しで「美味しいよ!」って描いてあって、
涙が出るドナドナな展開な話しなんだけどね。
でもさ、
ホテルの鉄板焼きのレストラン的なところのあの腰の低さは何って思うの。
あれはあれで腰の低さを食べに行くと思ったら、
納得合点が100点でなるほどなーって思うの。
私何の話ししてるんだっけ?
途中で見失っちゃうわ。
不謹慎だけど逆にそのラーメン屋さんの後にどんなお店が入るんだろう?って
そうも思うんだけど、
例えばラーメン屋さんならラーメン屋さんと同じようなお店がぐるぐる回る方が都合よくなるのかしらね?
よく分からないけど。
そうならないようにもずっと長続きもしてほしいわね。
レモンサワーが置いていて餃子の美味しいラーメン屋さんだったら嬉しいな!
でもさ、
ラーメン屋さんに行っといて、
メインのラーメン注文してよと内心思われてるのかな?って
それならお客さん!餃子専門店に行って下さいよ!ってちょっとムッとした感じで、
うちは食券制だから!って初見殺しのラーメン屋さんで店主に怒られるパターンもさもあり、
逆にラーメンが食べたくなるのよね。
お店の中で餃子アンドラーメンなんかを同時に食べれちゃったりして、
大人って言うのは出前という岡持を心に持ってるんだなーって
私もそんな岡持を持つような心になりたいわ。
だからいつも思うのよ、
ウーバーイーツの人は、
リュック背負ってその中に直接饂飩の類いをダイレクトに入れるんじゃなくて、
バイクの後ろのに台に出前岡持水平を絶対にキープする機構の搭載された絶対に横にならないやつで配達すれば良いのよ!って
やっぱり出前はああいうので出前しないと、
出前の味がしないってモノよね。
絶対あのバイクの後ろの水平を保つ機械の名前はあるはずだと思うし、
そんなラーメン界、
そして忘れてはいけない、
いつも心に岡持を。
そう、そのぐらいの気の持ち方で行きたいわね。
うふふ。
ハムで肉感出すなら最初から肉挟めばいいって安直に思うでしょ?
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
今、私は二年目で大学院を中退して、既卒生として就活をしている。学部も大学院も(2chでどういわれているかはともかく)比較的知名度の高い大学だ。受験勉強をしたことがない人でも知っているような大学に所属していた。
大学院を中退した理由は大量にあるが、誤解を恐れずに言うのであれば、同意なく、しかもコロナに関係なく親に学費を使いこまれたことに起因する。中退に至るまでの経緯でまた記事が2本は書けるぐらいには内容が濃いので、ここでは取り合えず割愛することとする。ただ、私の中退が親に学費を使いこまれていたことに起因することは、断言できる。
さて、既卒生として就活している私だが、まるでエントリーシートが通らない。コロナ禍の影響もあるのだろう。ただ、それを抜きにしても所謂大企業なんていうところには見向きもされない。中小企業でさえほぼ通らない(ただ、一定選り好みはしているが)。
企業にも勿論嗜好があるのだろう。それは当然のことであるし、理解も共感もできる。
が、私の今の就活を顧みると、面接で落とされるのはともかくとして、書類で切られまくっていると疑問しか浮かんでこない。一部上場企業の中にも、面接まではこぎつけてくれる企業もあるにはあったが、1つだけであった。
当記事は、私のこの疑問を延々と書き綴るものである。良く言えば「私の考え」ではあるが、実態は「恨みつらみ」でしかない。ただ、やはりこれを不特定の人間には知ってもらいたい。このように強い思いとそれなりに過酷な経験をしている人間でさえ、既卒となると就活で苦労するというのを知ってもらう必要もあると考えている。
私は、偏差値50少しの高校から、「有名大学」と世間で言われる大学に現役で入学することができた。そして、これまた現役で卒業をし、そのまま大学院へと進んだ。大学院では、英米(のどちらか)の大学院へ一か月留学し、研究もした。
中退という部分を隠して読めば、比較的キレイな学歴をしていると思う。
ただ、先述の通り親に奨学金を使いこまれ、中退をすることとなった。奨学金で生活をしていたし、親の支援ももう期待できないことから、取り合えず就職しようという段取りとなった。
就活経験について、実は全くないという訳ではなかった。学部時代に友達のウェブテストを替え玉しまくり(10社弱分は受けたと思う)、ESや面接の準備・添削を手伝うこともあった。時にはESを全くのゼロから作ることもあった(!)。当然、私はその企業に応募もしていないし、興味もなかった。
そして、当時は大学院に進学する予定であったので、私個人が自発的に就活をすることはなかった。
さて、私は無事に大学院の合格通知を得ることができた。確か9月か10月であったと思う。経緯は割愛するが、大学院進学ではなく就職する方がより良い選択ではないか、と思わざるを得ない状況となった。
そういう訳で、秋採用も終わりかけている10月頃になって、就職活動を始めた。
ウェブテストについては、替え玉した人の分が全て通っていたので、無対策でも問題ないだろうと思い特に勉強はしなかった。
結局、私がした就職活動は、企業分析・業界分析、自己分析、ESの推敲であった。その結果、どうやら私は金融に向いていそうだということとなり、マザーズに上場している中規模投資銀行と三井住友銀行に応募してみることとした。
三井住友銀行は、私がウェブテストの期限を勘違いし、人事に無理をいって期限を特別に延ばしてもらった上で完了させた。このような経緯で許してもらったウェブテストであったことから、結果に関してはもういうまでもない。
投資銀行については、説明会兼選考会をやるからリクナビだかマイナビだかから予約してね、という具合だったので、早速応募をしてみることとした。
さて、投資銀行については、私の履歴書が余程面白く映ったのだろう(「債権の回収」や「担保」という単語、飛び級入試での大学院合岳経験があることを多いに盛り込んだ)、人事部との一次面接は私の履歴書に打ち出された単語が面白いだの、ペットは何を飼っているのか、という悪く言えばくだらない話で終わった。二次面接は、確か営業部長と執行役員だかとの面接だったが、面接というよりは議論に近かった。コンサルでよく聞かれるケースに基づく議論のような雰囲気だ。「君の理解は間違っている」とドストレートに言われるも、「いえ、私の理解はこのようなもので、そのようにお考えになったのは貴方の誤解です」というようなことを言い返していた気がする。よくあんなこと言えたな、と今では思う。議論だったとしても、こんなこっ恥ずかしいことをプロに対して言うべきではなかったと強く反省している。
そんなこんなで一週間しないぐらいの内に、「どうぞ最終面接へお越しください」と言われた。就活をほんの1か月したぐらいであったが、会社勤めは性に合わない、資格を取ってプロになろう(特定のため、ぼかした表現にはしている。この資格を取り、こういうキャリアパスを経よう、という設計は既にしていた)、と決心していたので、選考を辞退することとした。少し申し訳ない気持ちがした。
と、学部時代は比較的わかりやすい就活をできていたので、既卒就活も既卒というハンディキャップを除けばそこまで大きな負担にはならないだろうとかなり楽観的になっていた。
既卒就活の結果は、冒頭に書いた通りである。そもそもエントリーシート自体が通らない。コロナ禍の影響もあるであろうが、それでも何かおかしいと直感的に感じる。
学部時代より、より入念にESを作成するようにしていた。就活のハウツー本を5から6冊程は読みまわしながらESを作っていたと思う。それでも通らないのだ。ウェブテストは学部時代の経験からすると、落ちる要素がない。替え玉当時、私が受けたメガバンクや野〇證券などが通っていたので、決して正答率も低いはずではなかった。
他に落ちる原因は何か。ESとウェブテストで抜かりなくしていたのであるなら、何か。年齢か。新卒切符は24歳まで有効と聞いていたので、年齢も問題はない(はず)。そうすると、やはり既卒という略歴ではないか。
さて、既卒という略歴が問題ではないか、ということで早速情報収集を始めた。結論から述べるが、やはり既卒という略歴が多大であるように私は思う。
というのも、まず、既卒生の就活記事やハウツーといったものが極めて少ない。結局、「この就職エージェントに投げてね☆」というものに落ち着くものか。「情報収集を徹底的にやれ、新卒の倍は動け」という根性論に終始するものばかりである。既卒生の就活成功談を見ない。
そして、「所謂大企業であっても、既卒は受け入れている」という記事を見かけるが(私に言わせればそんなこと就活を始めた当日に知ったことである)、「既卒で大企業に就職できた」という記事は見ない。クラシックなオタクなので、「ググる能力」に関しては絶対的な自信があるが、やはり記事は見なかった。「既卒で就職できたよ!」という記事もほぼ見ない。
勿論、私もバカではない。猫の手を借りるぐらいのことはする。就職エージェント4社程を利用して、求人を紹介してもらったが、明らかにおかしいものばかりであった。例を挙げだすとキリがないが、ブラック企業といって差し支えないようなものばかりであった。中にはそうでないものもあったが、私の志望する業界・職種でないことから断っていた。
話が右往左往して恐縮であるが、私は学部時代はかなり頑張っていた。
学業においては、学部上位5%以上の英語のクラスを、90点以上で合格した。優や、A+、A、Sという風に評価されるものだ。英語に関してはスピーキングはからっきしだが、リーディングリスニングについては比較的自信はある。今でもタイムズ紙ぐらいなら読める。
二年生の頃にフィールドワークを経て執筆した論文は、担当教授に奨学金論文として推薦された。奨学金論文として推薦されるのは、優秀卒論を除けば、各学年2名までだ。極端な表現だが、私は学年で少なくとも2位の成績を得たということもできる。
ゼミについては、正課としてのゼミと、潜りとしてのゼミの2つを取っていた(勿論、両教授からの了承は得ている)。卒論では、その2つの領域にまたがる論文を執筆した。担当教授からメタクソに批判され、時には(マジで)泣かされたが、結局、80点以上の評価で単位を授与してもらえた。
学業に関してはこのような感じだ。基本的には単位だけ取れていれば良いというスタンスであったが、力を入れるべき部分ではきちんと力を入れて評価は取っていた。
課外については、私は文化系のサークルに所属して活動をしていた。大会では代表を二度務め、一つは四位、一つは二位へと入選している。可もなく不可もないとは思う。
役職には2つ就いており、1つは、企画系の役職の長に就き、もう1つは、サークル内研究会の会長を務めていた。
サークル内研究会会長については、基本的に後輩の勉強の指導をしたり、同期と議論をしたりがメインであったので、かなり楽しかった。正直、会長とは名ばかりのものであった。責任のある業務もほぼなかったと思う。
ただ、企画系については、一筋縄ではいかなかった。まず、50名規模で開催する合宿を全て私一人で仕切った(相方はいたが、とんでもないポンコツだったので、仕事を一切振らなかった)。具体的には、合宿の企画発案や、旅行会社・ホテルとの交渉、参加者を集めるための広報や、経理との予算調整などだ。経理が通帳を握ったまま飛びやがったので、家まで通帳を取り立て行ったりもした。夏休みに行う合宿であったが、冗談抜きで7月から9月半ばまでは、土日以外は永遠に合宿の準備をしていたと思う。テスト前日に宿の内見に行ったりもした(この時だけではあったが、役職に関係なく同行してくれたK君には頭も上がらない。ありがとう)。
大変であったが、企画の発案や参加者の誘因等の難しさ・楽しさを得ることができ、なんだかんだとは言いながら充実感は感じていた。ようやく院試勉強に集中できる、と一息ついたものだ。
…というのも束の間、OBOG会の会長から10数年ぶりにサークルのパーティーを行いたいとの申し入れが顧問を経てやってきた。何故会長じゃなくて俺にそのことを伝えたんだ、と同期に愚痴ったりもしたが、顧問曰く、「貴方と連絡をしていたからそのまま伝えた」とのことだった。当時は「俺に信用力があるからだ」と前向きに考えもしたが、2か月半程動き続けた身にひょいと投げていい申入れではないだろう、と大きく溜息をつきもした。
さて、このパーティーが非常に厄介であった。まず、OBOGに招待状を送らなければならないが、こともあろうに会員名簿の更新が15年程されていなかったのだ。直近の先輩方の住所や電話番号なんかも分からないまま、どうやって招待状を送るんだと頭を抱えた。開催が2か月後ということだったので、もう当たって砕けろの精神で「3年生の〇〇ですが、こういう下りでパーティーをすることになりました。先輩からまた直近の先輩へとご連絡してもらえると助かります。参加を希望される方がいらっしゃったら、私にまでご連絡をするように併せてお伝えください」というメッセージを飛ばしまくっていた。完全にマルチ商法のそれと同じだが、時間がない以上仕方が無かった。名簿に残っている方でも、中には既に老齢で亡くなられていた方もいらっしゃったようで、カジュアルに連絡をすることもままならなくなってしまっていた。体力的にはそこまで大変ではなかったが、精神的にはかなりきつかった。
精神的にきつかったところに更に肉体的にきつい仕事が増える。名簿の更新をしながら、OBOG会にあったパーティー運営組織をOBOG会から当サークルへと移譲したいと言われたのだ。何が分からないのが分からない状態から始まっており、そもそも相手はOBOGだ。「じゃあ昼飯食った後部室でね」が通用しない。逐一メールをしながら、何月何日、どこそこの店で打ち合わせをしましょう、という風にするしかなかった。苦学生でバイトしまくっていた身としては、この打ち合わせ日時に合わせることがかなりしんどかったし、運営組織の移譲に伴ってするべき後輩への引継資料の作成が本当に苦痛だった。当然、在学生の参加者を募るための広報もしなければならない。
このように働きまくっていた結果、十数年ぶりの開催であるにも関わらず、どうやら歴代最多数の参加者を得ることができたようだ。しかも、参加者の半数近くが在学生だったということで、企画をした私の誘因力を大いに褒められもした。結果は出せたと思う。数字だけでなく、これだけ頑張ってくれたのだから、ということで部室に設置してあるパソコンやプリンターといった周辺機器も一新してもらえた。大変有難かった。
さて、「どうだ、俺は凄いだろう」というエピソードをこんなにも書き連ねた訳だが、やはり当時は大学生なりにはかなり頑張ったと私は思う。このような経験や思いがあるからこそ、もっと挑戦をしたい。内定が難しいと言われている企業へ応募して挑戦もしてみたい。しかしながら、そもそもエントリーシートが既卒だからという理由で(私はこれが原因と考えている)切られるようであれば、どうしようもない。私は満足に挑戦すらできていない状況で諦めたくないのだ。そのような状況で不満のある待遇に甘んじたくはないのだ。
勿論、就活では上記のエピソードをいわゆるガクチカなんていうものに盛り込んでアピールをする。就活構文と私は密かに呼んでいるが、「結論→理由」「動機→行動→結果」といった構文も遵守した。多少は盛りはしているが、「やらされていたこと」を「やるべきだと考えた」と変換する程度のものだったし、面接でもこの点についてボロを出さなかったので問題はないと考えている。
成績も特別に良いというわけではないが、学内平均よりかはずっと高い。
ウェブテストやESについても、学部時代に手伝っていた(というより最早やっていた/書いていた)経験から、突飛なことはやっていない。
でも、シンプルに留年したとしても新卒でさえるならば、トンチンカンな奴でも内定を得てしまうのが非常に納得がいかない。彼彼女らなりに留年した理由付けはしているとは思うが、人事は恐らく見抜けないのであろう。
形式面では既卒より優れているというのが極めて不服である。留学やインターンであるならば経歴や職歴に書けるが、そのようなものが書けないシンプルな留年であっても、新卒は新卒である。既卒には劣らない。
私は、大学を四年間で卒業し、大学院で一年半勉学を修めた。学部在学中は勉学にも課外活動にも励んだ。
但、冒頭で述べた通り、私は親に学費を使いこまれて大学院を退学をせざるを得なかった。
それでも、私は形式的には新卒より劣っているのだ。同等ですらない。
新卒至上主義と私は読んでいるが、この点についても非常に疑問がある。また記事に起こしたいと思う。
この記事は、あくまで私の一個人の考えを知ってもらうことだけに価値がある。従って、読者がどのように思うかは勝手であるし、読者に思考さえしてもらえれば、私の願いは成就したと考えている。
特に就職をする予定でいる大学在学中の学生諸君は、是非一度自分のキャリアルートについて考えてみて欲しい。貴方が思う以上に、新卒既卒という区別は残酷なものとなっている。
男は目を泳がせながら、たどたどしく説明を始めた。
「自分は、ここで働く、その、一人で」
俺たちの猛攻がよほど応えていたのか、紡ぐ言葉は途切れ途切れだ。
住まいが遠くにあるため、帰るのが億劫な日は仕事場で泊まっていたらしい。
「それに、ここの扉を塞いでいたのも、あなたでしょう。何でそんなことを」
「そ、そりゃあ職員とはいえ、こんな所で寝泊りするのは、その、ね? あまり誉められたことではない、だろ?」
要領を得ないけれど、何となく言いたいことだけは伝わる。
腑に落ちないところはあったけれど、俺はそんなことを気にも留めなかった。
ドラキュラがいなかったという事実の方に打ちのめされていたからである。
ずっと感じていた寒気も、単に冷房が効いてただけ。
安堵と落胆が同時にやってきて、体全体を疲労感が包んだ。
正直、俺はドラキュラがいることを100%信じていたわけじゃない。
せいぜい五分五分の半信半疑、いや実際には信じていない割合の方が高かったかも。
それでも思い出の中にあるシガラミが頭をもたげることはあった。
保育園のドラキュラについて話した時、兄貴が哀れな目を向けたのはきっかけに過ぎない。
俺たちは物置部屋を後にし、鍵を返すため事務室にとぼとぼ向かった。
結果が拍子抜けでも、帰り道のことを考えないといけないのがツラいところだ。
「あっ」
そんな油断に付け入るかのようだった。
「えっ、えっ」
保育士は混乱していた。
無理もない。
自分が案内している子供とソックリの人間が二人いて、見覚えのない者達までいるのだから。
「というわけで、先生が話していたドラキュラが本当にいるのか確かめようと……」
保育士は終始、怒ることもなく、落ち着いた様子で話を聞いていた。
当時の記憶ではもう少し怖い人だと思っていたので、その反応が少しだけ意外だった。
「わざわざ替え玉まで用意するなんて……回りくどいことするねえ」
感心するような、呆れるような口ぶりで感想を洩らす。
その穏やかな対応に、なんだか俺たちは気恥ずかしくなった。
ちょっとした罰のつもりなのか、保育士はいじわるそうに尋ねてきた。
「え? 屋根裏?」
けれど俺たちの返答は、保育士が思っていたよりも予想外なものだったらしい。
「マスダ、それ内緒にしてくれって言ってたろ」
ここまできたら全部話そう。
「……そんな人ウチでは働いてないよ」
しかし保育士から返ってきた言葉は、俺たちにとっても予想外なものだった。
「な、なに? どういうこと?」
その場にいなかったドッペルは、状況を把握できずオロオロしている。
当時の私は、なんつう素晴らしい歌を歌っているお兄さんたちだと思っていた。
ひとりひとり違う、みんな違ってみんないい。
自己肯定感と己の価値を爆上げしてくれる歌詞は、この国の思想や、教育といったところにも食い込んだのではなかろうか。
成長していくにつれ、ところがどっこい、な状況となってくる。
具体的にいうと、世界に一つだけなんて、そんなことないのでは……?と思い出したのだ。
だって私が出来ることは誰かが出来る。何かで一番になることはきっとない。米津玄師じゃねーし。
一番ではないということは代わりが存在するということだ。なにも私でなくていい。
今、地球には70億なんてとっくに超した数の人間がいるらしい。
褒めて!褒めて!と叫んでいる世の人々は、おそらく自分が1/70億の尊い存在だと思える強い人なんだと思う。
が、言い換えちゃうと、自分の代わりになれる人が70億以上いる 「可能性のある」 世界なのだ。
そんなの、生きる意味なくない……?
ここまで読むと、染まりやすい素直な心の方々は、きっとそう思うに違いない。
因みに、そこで我が魂は存在価値爆アリですって胸を張れる人は、嫌みとかでもなんでもなくそれは本当に良い才能なので、そのまま生きてほしい。
ただ周囲が褒めてくれない!!ってムーヴしないでね。
先ほどもいった通り、世界には70億がワチャワチャしてる。
あなたは恐らく唯一の才能じゃあない。
もしくは、才能でなく努力を認められたいなら、世の中の本当にトップ層の人間が、どのくらいの時間を努力と称しているのか見てほしい。
いや時間かけりゃいいってモンでもないんですけどね、自分に合ったやり方をどれだけ早く見つけられるか、それを体にすり込めるのか、って話でして。
ただ、たかが数十時間かけて出来たもの全てが世の賞賛を掻っ攫えるほど、この世は綺麗にできてないよ。
あとは死んで著名になった人がうんと沢山いるみたいに、この世の流行り廃りは激しいし、才能が世の中で光るにはぶっちゃけ、運が要る。
多分インターネットがもっと昔からあったら、スゴイマン、もっともっと発掘されてたんじゃなかろうか。
っていうので、死んでからあなたが各所から褒められる世界になる可能性は、ある。残念ながら、世界は結構理不尽だ。
ファンレターを浴びるほどもらったら、死を思いとどまった文豪とかいるのかしら。
話がメチャクチャ逸れてしまったが、唯一無二じゃない自分に生きる価値なんてないのでは、とお考えのあなた。
なんなら人間いない方が自然はきっと元気。いないと絶滅する存在もいるけど、それもまた世の理。
じゃあなんの為に生きてるのって話ですが、そもそも生きる為に目的を作るのってなんでですか?生きる為ですか?
卵が先か鶏が先かみたいですね。
頭が回ってしまうからきっと考えてしまうのが、きっと人間特有の損な箇所なんだと思います。
先の先まで思い描けるように、物事の深いふかいところまで想像できるようになってしまった。
そりゃ鬱にもなっちゃうわね。
何のために生きる、みたいなのを、もっとたくさんの人がやめたら、楽になるのかなぁと私は思ってます。
私がやりたいから、やりたいことをする。
生きる意味なんぞ知らんが、地球の80年フリーパス持ってんだから、人様に迷惑かけない程度に、欲のまま遊びつくせばいいと。
人様にのくだりは結構大事です。地球はちょっと広いだけの共同スペースなので。ほぼほぼ寮だよこんなん。地球寮。
さて、少しまた話は逸れまして、最近見返りがどうとか、もらったから返すべきだとかありましたよね。
人間行動もコスト換算してしまうから、釣り合わないと不条理を感じてしまうそうです。
ごもっともな話ですが、一方で、巻き込まれてる方はたまったもんじゃねぇよなとも感じます。
そこでシンプルに、見返りありきの行動、やめたらどうかなと。
これしんどいんだよマジで、人間期待が叶わなかった時のストレス具合はマッハ中のマッハ。
排出対象ではあるんだから出るかもって思いながら引くガチャがドブの時、人生三度くらい死んでるからね。
だから何かしたら誰かがしてくれる、と思うのをやめたらいいと。
そもそも自分の代わり、タイミングが合えばいるかもしれない世界なので。70億の替え玉ワールド。
そもそもしてあげる、の、あげる、って、結構恩着せがましいんだよな。
使わないように気を付けてるけど、うっかり書いてたらどうしよう。その時はコメントでキレ散らかしてください。
そして、ここでやっと話はもどって。
人様になにかアクションを行うのも 「自分がやりたいから」 一本に絞ったらいいんじゃないかなと。
これ、世で騒がれる募金が偽善でどうたらも一気に解決するからいいですよ。
うるせ~~~~俺が金使って笑顔が増えることの何が悪いんじゃ~~~一石二鳥じゃね~~~~か~~~~~!!ってなったら、普通の人間であれば、まぁお前がしたいなら……ってなるはずだし。
それでなお他人の欲を制御しようとするのであれば、人への干渉の仕方として大いに間違っているので。
仮にやりたいという欲が強いんだけど、コストが合わねえな~と思ったら、素直に相手に対する行為をやめたらいいと思います。
所持金3円しかない状態でレストランに入るのは無理だなって気持ちで。引き際がわからなくなると自分が削れます。
どうしてもギブ&ギブをやりたければ、貯金をして出直しましょう。
ここでの貯金はもちろん例えです。人に何かするには、というか対人であってもなくても、なにがしかの思考を行動に移すには、常に、気力が必要です。
自分がやりたいとはいえ、医者の不養生となってはいけないので、準備運動してからプールに入るように、まずこちらの準備を万端にしましょう。
そうして突っ込みましょう。愛を。やはりご迷惑にならない程度に。
因みに人によって迷惑になるならないのラインは違うので、下調べと相手の気持ちになるですよ~は大事。叶姉妹のコミケと一緒。
あと、見返りっていう訳ではないんですが。
優しくされたらやっぱり人って優しくしたくなるものなんですよ。
本来その心からの感謝が形を変えて元に戻ってきて、Win-Winの関係だったのではないかなと思うのです。
だから、優しくされたいからする、じゃなくて、優しくしたいからめっちゃ優しくしてたらなんかこっちにも突然帰って来たワオ!運つよつよ!HAPPY&LUCKY!!くらいの、本来は無いもの、って考えるのがちょうどいいのかなと。
はい。
めっちゃ長い。
すごい調子乗ってお恥ずかしい感ある。
自分が楽しいことと常識の範囲で他人に迷惑かけないことをうまい具合に考えて生きると!!!!!!!!
爆発的に!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
この二つは基本両立できるしね。深夜の住宅街を奇声を上げながら走らないと精神保てないとかそういう感じじゃない限り。
いとこは、母親に手取り足取り宿題や予習復習などの家庭学習をやらされてて、できない宿題にヒステリー起こしてオンオン泣いたり母親が替え玉で宿題やったりしてたけど、over30の今はろくな職歴のないアルバイトのオッサンだよ
子供の頃は成績上位でそれなりに自慢できる大学に入ったけど、ゼミが始まったあたりでドロップアウトして中退&ヒッキー人生だよ…。ゼミの課題発表で恥をかかされたって怒ってたよ…準備してない自分が悪いのにさ。指導教官に謝ってもう一度チャンスをもらいなよって言ったけど先生が悪いの一点張りだったよ…。今は放射脳とミソジニーを罹患して、親戚が集まる酒席でだらしなく酔っぱらってミソジニーを垂れ流して親戚からも鼻つまみになってるよ…。30過ぎても顔が赤ん坊みたいなんだよ、責任感とかが感じられない表情で頬はいつも少し下の方がふくっと膨らんで、泣き出す前の幼稚園児みたいな顔で、ひげのそり残しがあって…。見てらんないよ…。
私ちゃんは良い大学でて良い仕事についていいわねって叔母に言われるけどさ、アンタがあんだけ甘やかしてりゃスポイルされるよ!って話だよ。全部母親におぜん立てされて生きてきちゃったから自発性とか責任感とかゼロだよ…。バイトに行っちゃ1か月もたたずに首になってるよ…バイトの時間に起きられなくて母親にキレたりするらしいよ…。泣かれてもさ、知らんやん自業自得やん、って思うよ…。
https://www.j-cast.com/2007/10/04011960.html?p=all
容疑者は9月29日午前1時35分ごろ、川越市南台の市道上で無職の男性(51)を足で蹴る暴行を加え、同日の8時半頃に腰椎骨折などによる後腹膜出血で死亡させた疑い。
07年9月には、船橋市本町のスーパーで万引きした男性に暴行を加えて死亡させたとして、スーパーの店長(40)が傷害致死罪で逮捕・起訴された。
店長は9月4日夜に缶ビールを万引きした男性(56)を店の資材置き場に連れて行き、殴る蹴るなどの暴行を加え店近くの路上に放置し死なせた。
万引きした男性は過去にも2回このスーパーで万引きしており、店長は「懲らしめてやろうと思った」などと供述していたという。
ということわ
本作含め『ダークナイト』とかもネタバレしてるんで嫌な人は読まないでね。
オッスおらメンタル壊した歴ありの発達障害&ナルコレプシー持ち!
どうにかこうにか大学出て何だかんだ正社員で10年ぐらい働き続けているよ!
壊したメンタルの治療のために飲んでた薬が身体的依存性がある(切らすと離脱症状でゾンビみたいになる)おかげで
あとナルコ用の目覚まし薬も社会人に擬態するためには欠かせないね!!
最近の悩みはこの状況下でメタボ肥満で肝臓がイカレ始めていること!トシだね!
慌てて有酸素運動してるけど、走ると膝を壊すから室内バイク買って漕ぎ始めたら
ケツに蒙古斑も真っ青なアザができたよ!!
アメコミは全然詳しくないよ!バットマンもダークナイト信者だったって程度のニワカだよ!スーサイド・スクワットは観てないよ!
「『ダークナイト』の主役はバットマンやぞ」とかそういう細かい話はおいておく。
アーサーは結局作中ではジョーカーにはなってないし結局今後もなれないんじゃないかとしか思えない。
だってアーサーは(自分に都合のいい)妄想が現実レベルの彩度で日常生活に融合してくるような病気と、
自分の意のままにはならない、投薬があんまり効いてないっぽい発作を持ってて、
それを差っ引いても"普通に振る舞う練習"(サントラの曲名のひとつ "Learning How To Act Normal")をやっちゃうタイプじゃないか。
作中の走ってるシーンは冒頭の1回を除けば全部「何かから必死こいて逃げ出す」場面ばっかりの人間じゃないか。
人の考えの裏をかくことができて当たり前、必要なら自分で自分の死体に化けてのおとり役もこなし、
メイクオフすればあの傷もちの顔でありながら市民に溶け込める、溶け込む方法を考えて実行できる。
ジャック・ニコルソンのジョーカーでもいい。
元が泣く子も黙るギャングの一員だ。人の顔に酸をかけて焼くくらいのことは簡単にするし、
毒入り化粧品だのを自力開発できる程度には気が狂っていても頭が回る。
アーサーには無理だ。
通りで仕事してるだけで殴る蹴るの暴行に会ったことのある人間、
人混みに溶け込むどころか人から注目(しかも白い目の)を集めてしまう人間には無理だ。
嘘つきランディや地下鉄の酔っぱらいや「母親」はブチ殺しても、
小人症の同僚ゲイリーはわざわざ鍵開けて逃がしちゃう人間には無理だ。
おいおい公式サイト様ともあろうもんが安い飛ばし記事みたいなこと言ってんじゃねえよ。
「いやこれ『ダークナイト』演れそうなガチ本命のジョーカーに利用されてる替え玉やろ説」とか
「ガチジョーカーがアーカムで暇つぶしにぶっこいたホラ話やろ説」とか
「『ジョーカー誕生』っていうのはアーサーがジョーカーになったってことじゃなくて
ミームあるいは概念としてのジョーカー的ななにかの発生のこと説」とか、
しかし「単純にアーサー=ジョーカーだろ、覚醒できてヨカッタネ説」、テメーはだめだ。病気なめんな。
もうね、「やめてください死んでしまいます」って感じ。いや茶化さんとやってられんわ。
あの笑い者感、笑いのツボずれてる感、シリアスをシリアルに変えるドジっ子☆属性の笑えない感がリアルすぎて笑えない。
看板ドロボーのクソガキおっかけてて途中で滑ってこけそうになるシーン、
「看板弁償しろや」言われて路地裏でダストボックス蹴っ飛ばしてて滑ってこけるシーン、
「そこ出口専用やで」シーン、
「僕たちは『ジョーカーのような人間はこうして現れるのかも』という物語で、
コミックスで言う"スーパー・ヴィラン"の男をリアルで愛すべき人間として描きました。
だから皆さんには、彼の味方でいてもらえればと思います。これ以上は無理だ、というところまで。
映画が始まる時点では、彼は有名な犯罪者ではなく、アスファルトに咲いた小さな花。
その花に、あなたは水をあげるのか、光を当ててあげるのか、それとも無視するのか。
どれくらいの間、その花を好きでいられるのか。」
とのことだが、「味方」というのが単に肯定者って意味じゃないのなら、
こんなん延々「ダメだアーサーよせそっちはダメだ行くなやめておけあああああ」ってなりつづけてまうやないですか。
そして「わたしたちは、なぜ『ジョーカー』のようなダークヒーローに共感を抱くのか」みたいなタイトルの記事に逆に引いてしまう。
いや、ワタクシが発達で(おおむね寛解したとは言え)メンがヘルってるから過剰に感情移入してしまってるのはわかってるが、
それはそれとして人が殴る蹴るされたり笑い者にされてたら
ああ痛いやろうなつらいやろうな嫌やろうな仕返ししたいとか思うやろうなって思わんか?健常者ってサイコパスでは???
まあともかく映画としては傑作なんじゃないでしょうか。2回も観たので3回目はもういいです。過剰摂取です。
ぶっちゃけ巨悪でもエネルギッシュな『ダークナイト』ジョーカーに癒しを感じるくらいには消耗したわ。
あとなに?ニューヨークって素であんな治安悪いの??コドモ笑わせるくらいよくない??
『ジョーカー』にここまで同情的な見方してしまってると身近な人間にバレたくないけど
(ジョーカーに同情的でない人間から「ジョーカーに同情的な人間だ」と思われること自体に、
この映画のこと考えてると上記みたいなことが延々頭から離れなくて家事とか勉強とかがはかどらないから。
自分とアーサーの相違点を頑張って挙げてけば100コくらいは何とか挙がると思うが、
自分が今この瞬間アーサーでない理由は「運」以外なんも無いなというこの感覚がしんどくて、いったん頭から追い出したいから。
「アーサーがジョーカーしないif」ルートを一生懸命想起しては破綻させてる自分の脳ミソをちょっと休ませてやりたいから。
>最後の方のテレビカメラの前で演説ぶってるシーンとか、車の上に立って観衆に応えるシーンとかも、どっかで失敗したりしないかハラハラしながら見てた。
わっかるー!!
物語的に超大事なクライマックスシーンだからまさかそういうやらかしは発生しないだろうと思いつつ、ここで発生したらマジで目も当てられないぞあばばばばばってなりながら観てました。
>舞台はゴッサムであってニューヨークじゃないしマジモンのニューヨークよりは治安悪く設定している
ちょっと検索すれば掃いて捨てるほど「ゴッサムとはニューヨークのあだ名の一つ」的記事がヒットしたのと、
ニューヨークの映画館では上映開始日に警官出てくるレベルの厳戒態勢取られたってニュースと、
あと自分が観たときには白人の大学生だか若い社会人だかって感じのグループも来てたんだけど、終わって帰るときにテリブルテリブル言ってたってのが妙に印象に残ってて、
「え、そんなリアリティあんのこの荒れっぷり…ヤバない?」と思って書きました。
良かったー現実にはあそこまでじゃないんだね!
いきなり看板パクられる気の毒すぎるピエロとかは居ないんだ!!
って思っとく!
アーサーがこれからどのようにジョーカー活動ができるというの??
社会に対して戦争を仕掛けるのは簡単なことじゃない。いっぺんやらかした後ならなおさらだ。
バッツの誕生までもたないだろ。
例えば「最後の精神病院のシーンこそが時系列的には一番最初で、カウンセラーを半殺しにして拘禁まで食らったが福祉削減もあって退院、のち本編の流れ」とか考えてみることはできる(アーサーの本質は両手に手錠状態で血の足跡を作って踊ることができるタイプの人間説)が、
血の足跡をつけて踊る人間を、定期的にカウンセリングに通って投薬を受けて仕事行って母の介助して暮らす人間に変えるための何らかの処置が病院によって行われたと考える必要が出てくるので整合性を欠く(そんな都合のいい処置あるかオイ?)。
ただ、もしそうならジョーカーは見事アーカムから合法的に脱獄を果たし晴れて野放しになったというオチで背筋が薄ら寒くなれるのでステキではある。
そう、アーサーにダークナイトの主演が演れないとしても、ダークナイトではない別のやつでもいいからジョーカーの物語を演れるポテンシャルが欲しいし、