はてなキーワード: 文脈とは
正直、このトラバで改めて『能力の問題』とアニメ・マンガ・ゲーム界隈で起こりがちな地獄みを感じている
まぁワイは、元増田の作文含めて配慮なく思うがままに書き綴ってるのでお互い様ではあるのだけれど、無礼な投げかけには遠慮のない無礼な返事が返ってくるよと
覚えておくといいかもしれない
ねぇねぇ、アニメとかマンガ、ゲームって超すごくない?誰でも楽しめるのが最高の魅力なんだよね!例えばクラシック音楽とか美術館の絵とかって、ちょっと知識がないと難しいじゃん?でもアニメとかは、そんな予備知識なくても「わぁ、おもしろい!」って思えるんだよね。
これってマジやばくない?例えば『スパイダーバース』。子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで、世界中の人が「すげぇ...」ってなれる作品でしょ?マイルスの成長物語に、誰もが自分を重ねられるし、あのぶち上がった映像美と音楽!「誰でもヒーローになれる」っていうメッセージが心に響くよね。
あ、そういえばスラムダンクの話!これ読んでバスケ始める人めっちゃ多いんだよ。「俺も湘北高校の選手みたいになりてぇ!」みたいな(笑)マジで人生変わった人多いよね。
実はドラゴンボールも面白いよね。アメリカのラッパーとかが「ドラゴンボールは俺たち黒人の生き様そのものだ」って言ってたりするの知ってる?悟空みたいに諦めずに強くなっていく姿に勇気をもらったって。スパイダーバースのマイルスも同じように、いろんな人に希望を与えてるんだよね!
スーパーマリオとかもそう。最初は「ジャンプでコイン取るだけ」の簡単なゲームなのに、やればやるほど「おっ、ここにこんな裏技あったの!?」みたいな発見があるでしょ?
要するに、アニメ・マンガ・ゲームってさ、「誰でも入れる」のに「めっちゃ深い」んだよね。「にわかはダメ!」みたいな意見もあるけど、それって違くない?だって、みんなが楽しめるってことが一番大事じゃん!
体調悪い時でも、言葉わかんなくても、年齢関係なく楽しめるって、むしろすごいことじゃない?そこからどんどん深掘りしていける。それってまさに現代のエンタメの理想形かもしれないね!
だからさ、アニメとかマンガ、ゲームが「わかりやすい」っていうのは、全然マイナスじゃないんだ。むしろ、それこそが最高の芸術なのかもね。スパイダーバースみたいに、最先端の表現方法使いながらも、誰もが心から楽しめる作品こそ、これからのエンタメの理想だと思わない?
近年、これらのメディアの「わかりやすさ」を否定的に捉える言説が一部で散見されます。しかし、このような主張には認知科学的、メディア論的な観点から、いくつかの本質的な誤認が含まれていると考えられます。
優れたビジュアルナラティブは、複雑な情報や感情を直感的に伝達する高度な表現技術を要します。例えば、宮崎駿作品における視覚的メタファーや空間表現は、言語的説明を超えた普遍的なコミュニケーションを実現しています。これは決して「単純」な表現ではなく、むしろ高度に洗練された情報設計の成果と評価できます。
アニメ・マンガ・ゲームは、マルチモーダルな情報伝達システムとして機能します。視覚・聴覚・インタラクティブ性を統合した表現は、受容者の認知負荷を最適化しながら、複層的な意味伝達を可能にします。これは現代メディア論における「効果的なコミュニケーション」の典型例といえます。
情報工学の視点からみると、高度な内容を広く伝達可能にすることは、むしろ最も困難な技術的課題の一つです。『スーパーマリオ』シリーズにおけるUI/UXデザインや、『鬼滅の刃』のビジュアル・ストーリーテリングは、この課題に対する革新的なソリューションを提示しているといえます。
芸術社会学の文脈において、文化的価値を「理解の困難さ」と結びつける思考は、しばしば批判的に検討されてきました。現代のメディア環境において重要なのは、むしろ「複雑性の中の明晰さ」を実現する表現技術です。
心理学的観点からみると、メディアの価値を「理解の困難さ」に求める傾向は、しばしば確証バイアスや認知的不協和の現れとして解釈できます。これは作品の本質的価値の客観的評価を妨げる要因となりかねません。
アニメ・マンガ・ゲームにおける「わかりやすさ」は、決して表現の未熟さや単純さを意味するものではありません。それは以下の要素を高度に統合した結果として実現される特質です:
これらのメディアの真の理解者であれば、その「わかりやすさ」の背後にある技術的・芸術的達成を適切に評価できるはずです。それはまた、現代のメディア環境における重要な価値創造の一つとして位置づけられるべきものでしょう。
したがって、「わかりやすさ」を否定する言説は、メディアの本質的特性や現代的価値への理解を欠いた、表層的な判断であると言わざるを得ません。
https://scicom.c.u-tokyo.ac.jp/activity/415
科学コミュニケーション論は、欠如モデルへの批判とともに発展してきました。欠如モデルというのは、
次のような考え方のことです:人々が科学を信頼しないのは科学的知識が欠如しているからだ。だから、人々に科学的知識を与えれば、科学への信頼が回復する。
これは、科学に限らず例えば好きなアニメについて人に紹介するときなど、普段のコミュニケーションでも陥りがちな考え方です。
しかし、例えばバイオテクノロジーに関する調査によって(Bucchi & Neresini 2004)「市民に科学的知識を注ぎ込めば、知識の欠如が解消する」ことと、
「市民に科学的知識を注ぎ込めば、信頼が得られる」という仮説は共に否定されています。
そこで、欠如モデルとは異なるさまざまな新しい科学コミュニケーションのモデルが提案されてきました。例えば、文脈モデル(受け手のニーズや状況に注意を払って科学的知識を与える)や、
市民参加モデル(科学者と市民が共に社会的課題解決や政策決定などに意見や知識を反映させる)などです。
しかし、正解のモデルが提示されているわけではなく、それぞれのモデルを状況に合わせて使い分けるのがよい、という議論にとどまっているのが現状です。
福島での原発や放射線関係のデマやHPVワクチン関係のデマに対する科学者の態度として
欠如モデルという言葉が何度も用いられてネットリベラル、はてサ界隈で批判が行われてきたけどさ…
むしろそのネットリベラル達がまさに人文学や社会学関係で欠如モデルな態度を取ってきたよね
まるで人間や社会などについて語る時は欠如モデルには何の問題も無いとばかりに
今になって人文学や社会学関係の専門家や知識ある人達が信頼されていないのは
この文章の問題点は、焦点がぼやけていて、読み手に具体的な状況や考えが十分に伝わらないことです。読み進めるのが苦しくなるほど、あいまいで整理されていない箇所が多く、これではどこが問題の本質なのかを理解するのが難しいです。
まず、最初の部分で「注意かも」や「増田20代後半」といった箇条書き的な表現は、読者に対して雑で印象が悪いです。また、冒頭から「死にたかったから生きていこうと少しでも思えるならなんでもよかった」といった自己弁護に近い表現が目立ち、読み手を突き放してしまいます。最初から「私はこういう苦しい環境にいる」ということを強調するのではなく、問題がどこにあるのかを率直に示すべきです。
次に、テーマが一貫しておらず、あちこちに枝分かれしています。「夫の嘘」、「借金」、「夫の精神的な問題」、「浮気」、そして「妊娠」と、問題が多岐にわたっているにもかかわらず、それらが整理されていないため、読者はどれが主要な悩みで、どれが二次的なものかを把握できません。たとえば、「夫の病的な嘘」と「浮気」がどれだけあなたの精神に影響を与えているかを、もっと深く掘り下げると説得力が増します。現在の文脈だと、それらがただ「羅列」されているように感じられ、重みが伝わりにくいです。
さらに、夫が抱える精神的な問題についても、エッセイの流れが混乱しています。「統合失調症の可能性」と「双極性障害の可能性」が述べられていますが、医師の見解や診断結果があいまいなままになっており、読者は混乱します。これらの病名を列挙すること自体に説得力はなく、読者があなたの状況を深く理解する助けにはなりません。ここは、「夫の嘘を無意識にしてしまうことで生じた不信」といった視点に絞り、何が具体的な問題で、どうして苦しいのかを明確に伝えるべきです。
また、「何度も自殺未遂を繰り返すようになった」「精神が崩壊した」といった表現もありますが、これらは非常に感情的な言葉であり、共感を生みづらいです。感情の表現は必要ですが、読み手が理解しやすいように冷静に整理することが重要です。具体的にどんな心の変化があったのか、どうして自分を追い詰めるような状況になってしまったのかを、もう少し丁寧に説明する必要があります。
最後に、まとめがない点も大きな問題です。「離婚するしかないかもしれない」と書きながら、最後には「離婚したくない」とも述べており、結論が不明確です。結局何が言いたいのか、何を求めているのかが見えません。「これを通して、読者に何を伝えたいのか」を意識し、もっと簡潔に締めくくりましょう。
文脈として、君は遊戯王の良さを語っているのに主語をTCGに変えたら論理破綻するだろう?
だって比較しているのは遊戯王とTCGだよね?君の中で遊戯王とTCGを全然区別できていないし、勝手に推測させようとするなよ
一言も言ってないんじゃなくて、余計な言葉を足して必要なことを言ってないだけだよ
あと、手札誘発増やせばどうにかなるっていうけど、本当にどうにかなってるの?
カードプール増やして単に複雑性が増して面倒になっただけじゃないかと推測できるけど?
というか、カードが増えるっていうのはTCG全般において当たり前すぎて何を誇らしげにしているのか全く分からないんだが
それをいったら、他のタイトルも全く同じ条件なのにね
オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか、みたいな話の調べもののメモを書きましょうね。
1862年(文久2年)に堀達之助が編集した辞書であり、日本における最初の英和辞書といわれている『英和対訳袖珍辞書』で「Orange」をひいてみる。
Orange, adj. 橙ノ
Orange-peel, s. 橙ノ皮
Orangery, s. 橙ヲ育テル園
Citrine, adj. 佛手柑又橙色ノ
Citron, s. 佛手柑ノ類
Lemon, s. 橙ノ類
Slacked lime. 消サレタル石灰.柑ノ類.菩提樹石灰ニテ肥シタル
Pomeron, s. 香リ良キ橙ノ類
Shaddock, s. 橙ノ類
なお余談だが、
という見出し語もあったが誤訳だろうか?ベルガモットは梨ではなく柑橘という認識だけれど……。wikipediaによるとBergamotの語源は「トルコ語で「梨の王」を意味するBeg armudiが語源とする説が有る」らしいからそれが原因かもしれない。
さて、これを見ると「橙」と「柑」がはっきり区別して書かれているように感じる。
時代は後になるが1900年に書かれた『果樹と蔬菜』には著者の私見ではあるが当時の柑橘類の分類が書かれていて興味深い。
皮が分厚く酸っぱい橙と、皮を手で向けて甘い柑は区別されていたのだろう。
オレンジ色に注目していく。この辞書ではOrangeではなくCitrineが「橙色の」と訳されている。
現代人の感覚だとCitrineはほとんど黄色に感じる。江戸末期~明治の人々の感覚でも同じだったのだろうか?
少なくとも『英和対訳袖珍辞書』が書かれた1862年前後では、ほとんど黄のような色も橙色と表現していたかもしれない。
一つ目の根拠がCitrineのもう一つの意味、佛手柑(ブッシュカン)の色が黄色~濃い黄色ということ。
二つ目の根拠が1860年に書かれた『Familiar method for those who begin to learn the English language』という資料だ。
これは英蘭対訳のための参考書で、OrangeはGreenやyellowなどの他の色と並べられて書かれている。
この参考書の単語の部を抜粋して対応する和訳を付記したのが1870年に書かれた『英吉利単語篇』になるのだが、そこでorangeという項は「orange」と「orange-yellow」という二つの項に分けて書かれている。
単なるorangeはpeachなどと並べて書かれ、色名の側にはorange-yellowが列挙されている。
このことから、当時のorange colour、橙色はかなり黄色味が強かった可能性がある。
では、橙色が#f39800のようないわゆるオレンジ色になったのはいつなのだろうか?
いったんここまで。
・しかし「orange-yellow」の訳を橙色として、ふりがなに「カバイロ」(樺色、だいたい#C5591Aみたいな色)と書いてある資料(1887年『通俗英吉利単語篇』)もある。前述の論の反証だよね。
・明治とかの輸入オレンジはしわしわになっていて、皮の色はほとんど赤茶色だったらしいという未確認情報もある。これも反証になる。
・橙色概念が生まれた最初期は黄色っぽくて、概念が普及するにつれて茶色みが強まったんじゃない?知らんけど。
・↑ありえなくはない。学術の文脈以外で細かな色名が必要になるシーンは着物の色と絵画の色くらいしかない。当時の着物は茶色灰色ばっかりだし
・明治時代の理科教育で分光を取り扱う際にorangeを橙色と訳したのが定着したようだ。
・↑「橙色が#f39800のようないわゆるオレンジ色になったのはいつなのだろうか?」のアンサーはほぼこれでしょ、推測でしかないけど
・明治後期には小学校の図工の時間でカラーサークルの概念を学んでいたらしい。その際に教科書には「だいだいいろ」と書かれている。
・明治初期に数年だけ色彩教育を行っていたらしいのだが、そこではカラーサークルの赤と黄色の間の色は「柑色」「樺色」と記載された教科書もある(1875年『色図解 : 改正掛図』) 柑色には「だいだいいろ」とルビがあるようにもみえる 崩し字よめない……調べる事
・英和辞書の見出し語のorangeは橙色と訳されるが、和英辞書の見出し語に橙色が登場するのはかなり後の時代
・「樺茶色」「鳶色」「柿色」「柑子色」「蜜柑色」「山吹色」「銅色」「飴色」「海老色」「渋色」などの見出し語はあるのだが…… 現代の感覚だと茶色味が強いものが多い
・染色業界では「orange」を「樺色」と訳しているところもあったようだ(1895『染料乃栞』)(cf. 四十八茶百鼠)
・大正4年(1915)と大正13年(1924)にオレンジ色が流行色となった。おそらく化学染料の発展が影響 樺色、樺茶色はおそらくこれが決定打となり使用されなくなる
・冒頭に書いた「オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか」について言及してなくない?
・↑「オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか」のアンサーは江戸末期~明治の人はちゃんと「橙」と「柑(みかん)」を区別していて、orange……いわゆるsweet orangeは皮が分厚く手で向けないから柑でなく橙の訳語をあてたからでファイナルアンサーじゃない?
・↑日本における果物類、柑橘類の歴史をちゃんと調べていないから、一応それを見てからじゃないとファイナルアンサーしたくない
・↑「オレンジ色はなぜ古い時代から存在する柑子色という訳語があてられなかったのか」のほうが問としてはいいかもしれん
・児童向けクレヨンとかだと「オレンジ」でなく「だいだい」と表記されている率が高い
・図書館に行って『日本の色彩百科 明治・大正・昭和・平成』と『色の名前はどこからきたか―その意味と文化』を読むこと。
・この調べものは「現代においてだいだい色は外来語由来のオレンジ色と呼ぶことの方が多いのは何故?歴史をつぶさに追っていくぞ」の一環なのでまだ先は長い
・未調査:お坊さんの袈裟の色、あれは鮮やかなオレンジ色のイメージがあるが色名、和名はついていたんだったか
・未調査:サフランイエロー(インド国旗のオレンジ色)は江戸末期~明治ごろの日本にないのかしら
・未調査:当時のにんじん、かぼちゃの色をなんと表現していたか(京野菜のにんじんは赤色でかぼちゃは黄色な気がするけれど)
Twitterとかでイラストを描く人はWIPと称して描きかけイラストをアップロードするが、調べもの日記においてもWIPと称して書きかけ日記をアップロードしてよい。自由だ。
ライムが柑扱いされているのが腑に落ちなくなってきた、ライムって手で皮をむけないし酸っぱいよな……
実のサイズで呼び分けていた?うーん、当時の橙柑橘の呼び分けがどのようになっていたかを調べないといけない
「橙 柑 区别」でgoogle検索すると中国語圏のサイトが沢山引っ掛かる 何かヒントがありそうな気配を感じる
『近現代英和対訳辞書における訳語変遷に関する研究─ ‘Giraffe’ 訳語の問題を中心に ─』という論文を見つけた
狭義のorangeはスイートオレンジ、アマダイダイ(←未調査:この和名はいつ出来たんだ?)を指す
広義のorangeは橙柑橘類を指す(citrusよりも狭い範囲←この認識は正確?ちょっと怪しい)
その一方で日本語で「オレンジ」というと狭義のスイートオレンジ(甘橙)のみを指すことが多い
色名のorangeの訳語で「橙の色」となるか「橙柑橘類の色」「(橙以外の例えば)蜜柑色、柑子色」となるかどっちに転んでもよさそうな時期が江戸末期~明治期にあったような気配を感じている
今、アメリカのメディアがカマラ・ハリスの敗北を受けて敗因分析を行っていて、その中にLGBTQ+の話題が含まれている。
「民主党は誰も傷つけないことばかりに一生懸命で、アメリカ人が直面している困難に正直に向き合っていない」といった手厳しいコメントもある。
また、Xではトランプの当選直後からジェンダーアイデンティティや人種に基づいた差別的な投稿が増えており、(民主党指示で多様性を尊重している)テイラー・スウィフトのファンなんかはBlueskyへの移住なんかもしているらしい。
本稿ではアメリカにおけるLGBTQ+の事例を中心に取り上げ、本来であれば公共の利益に寄与できたはずの包摂に向けた政治的取組がなぜ躓いたのかを検証したい。
これは共和党支持者から非常によく聞かれる言説だ。(念のためだが、筆者個人は共和党員ではないし、LGBTQ+の人々に対して現行社会の不利益が無いと言っているわけではない。)
戦争やそれに関連した物価高騰による生活苦といった社会全体の課題が迫っている中で、少数の人々の課題を優先的に取り上げ、大多数の生活が苦しい人々の方を向いていない、もしくは向いていないという風に見られてしまったことが敗因とするものである。
後述の内容とも関連するが、性自認は黒人差別などと異なり、本人の自覚といった内心に限りなく近い部分の課題であり、またプライベートな課題でもあるがゆえ感覚的にどれくらいの人がどのように困っているのか、という点が具体的に見えにくいというハードルがある。
他方戦争や物価高は日々数字(商品の値札や、戦争に投入される税金の額)で明示される問題であり、これに対してLGBTQ+の包摂を優先するべき具体的な根拠の準備が不足していた。
日本でも話題になったが、アメリカではLGBTQ+対応の一環として、性自認が女性のトランス男性を女性のスポーツ競技に出場させ、当該トランス男性が競技会で優勝するという事態が発生した。
日本ではポリコレはバカだなぁという程度の反応だったが、現地ではこの件はかなり明確にスポーツマンシップやフェアプレー精神への攻撃だと受け止められた。
女子アスリートの世界を目指す子の親からすれば、自分たちが努力した先で肉体的には男性のアスリートと争わされる未来が提示されたのである。
これは競技運営側の想像力の欠如がもたらしたLGBTQ+コミュニティに対する痛恨の一撃であったと考えている。
こうした見切り発車的で安直な対応により、LGBTQ+の包摂という社会福祉上の理想と、公正な条件での競争というスポーツの理想が真正面からぶつかることになった。
同時に、本来であれば社会福祉における障害の除去という観点から進められるべきであった包摂が、正義vs正義の争いに姿を変えてしまった。
この事と①で挙げた具体的な推進根拠の準備不足により、本来は社会の他の課題と並行して粛々と進められるべきLGBTQ+の包摂に対し、「毀損される共同体の公益とのコスパ比較」という本来不要なはずの視点が生まれてしまった。
これはひとえにLGBTQ+の包摂における政策的・実務的なロードマップの不足によるものであり、ロードマップの不足は、議論が不十分な状態で包摂を無条件の善行として推し進め、既存の社会との利害衝突を検討することもなく善行に乗っかってしまったことに問題があると言える。
アメリカ大統領選は、人類が2020年代に入って直面している包摂の限界を如実に表している。それはネットの発達によって可視化している「みんな」という文脈の崩壊である。リベラルが「みんなで平等に」と主張する時、その「みんな」の中に含まれない層があることに人々が薄々気づき始めている。「自分はレイシストではない」と主張する人であっても、平等になった結果としてその人自身の機会や利益が分配されることを喜ばないということを私たちは知っている。
人間社会における権利を保証することと、社会における機会や利益の分配は独立した議論であり、SNSはじめネット上においても各々の意見はまったく独立したものとして交わることはない。あらゆる全ての包摂は、1つの課題に対して1つの対応を取ることしかできない今の人類の認知能力では恐らく実現不可能であろうと筆者は考えている。
それでも、包摂は人間社会にとっては必要である。今回何よりも残念なのは、包摂が単なる流行り物のような扱いに終始し、社会の中できちんとソフトランディングさせることをリベラル側が最後まで考えていなかったことにあると思うところである。
なんか教育雇用格差を「女性差別」の文脈で語ってそうなので横やり。
教育で言えば女性の方が男性より圧倒的自由な進路先を親に選ばせてもらえるし、賃金とて今は同一業務での男女の賃金格差は無い。
いや雇用の話だろってことだけど、女性よりも男性を選ぶ圧は、例えば医学部の時に明らかになったみたいに、女性がそもそもちゃんと働かないからというね。
時系列順なので下にいくにつれてより重要そうなこと言ってるかも
ぶっちゃけ上半分は文脈と背景理解用だから、前提知識あるなら下半分だけでいいかも
▼元動画
https://www.twitch.tv/videos/2296478119
秒数
「」はコメント
02:37:30
チームの編成上の都合
02:40:35
その5人でやってくことが不可能になった
02:40:44
不仲...?(頭をかかえる)ビジュなんてさ、ミリオンはしらねぇけどさ
ビジュなんて皆とクソ仲いいじゃん、そんなね、ぬるい理由じゃないんですよ
本当に、チームのことを考えた時にモチベーションの違いっていうか
02:42:00
「ハッキリ言わないと憶測で面倒になるぞ」
これ以上はっきり言えない、モチベーションの違いがあってこの5人で活動していくことが不可能だ!ってそれ以上のことってないから
02:43:20
「「モチベーションの違いがあって難しい」←最初からこれでいい、編成上の理由とかが意味不明だったってだけ。」
編成上の理由なんだよそれが。編成的に無理があるでしょそれは
02:53:19
だったらはやめにメスいれて可及的速やかに動いたほうが良い
02:53:48
やる気ないのにさぁ、やっててもしょうがなくない。もったいないじゃん時間が
次選手やるんだったら早いほうが良いよね
02:57:10
俺が独断と偏見で決めたわけじゃないよ。最終決定は俺がしたけどね。オーナーとして
03:00:16
「いや突然クビって言ったんなら理由はお前が言えよ」
モチベーションが低い人とは一緒にできない(うなづき)それだけ。
03:00:57
レッドブルとかは、、いやその態度とかはどうでもいいよ俺(恐らくミリオンのレッドブルへの対応のこと)
03:01:04
「色々ではなく、モチベだけが原因ってこと?他になにかあるわけではない?」
いやモチベーション低かったらさ、できないよ。それは。テキトーにちゃぷちゃぷやってる分にはいいんだけどさ
編成上の理由でそういう人達とはできないなと思ったから。俺が決断した
03:01:43
そういうやつはクビ。別環境ってみんな変わんないから。あのー誰でもクビアブソルでもう言ったらクビ。うちは
03:02:20
まあ、低いっていうか(モチベ)
別ミリオンが悪いわけじゃないよ。俺の意向にあってない。チームの意向にあってない人とはやらないほうがお互いのためでしょ。方向性が若干違うんだったら、できないな
03:02:46
「お前から見てモチベが低いってだけ?じゃあお前に努力をアピールしてるやつが残るの?」
いや、俺に伝わってたらヤバいだろ。俺は第三者とか色々ところからの情報だよ、もちろん
俺別につきっきりで見てるわけじゃないからさ。でもプロってそういうもんじゃん。プロって。
03:04:42
やる気がないとかじゃないんだよ。向いてる方向が違う。かな、が一番かな
俺達と向いてる方向が違うなってことですかね。
03:06:25
「ミリオンは競技環境改善してほしかったんだろ、お前がうごがねぇから」
いやそれとはまったく全然違うところ。素行なんてどうでもよかった。
あいつ別に全然変なやつじゃないし。なんか変なことしてないから。
それを黙らせるだけの実力がなかった。実力?かな
本当にそれ以上ない。たぶんミリオンも概ね同じようなこと言うんじゃないかな
03:07:00
いやモチベが低くても実力があったらオッケーよ。(うなづき)
モチベーションが低い、俺的には
03:07:26
「モチベ関連でクビなのに話し合いとか無かったのか?」
いや話し合いしたよ。昨日何時間話したよ。俺等
03:08:57
「編成の問題→モチベがない→モチベがないわけじゃない→実力がない」
みんなが言うところのモチベーションがないってさ。まったく触らないとかでしょ?
100%向き合えてない人は、その、
日本トップのレベルで争ってるときに100向き合ってるやつと80むきあってるやつって20の差があるわけじゃん
ちっちゃい差で絶対に出てくる。てことは選手としてはできない。うちではね
03:09:47
いや他のゲームの配信してるとかはどうでもいいよ。別にさ、休みの時間とかにさー
他のゲームやっててもさ。別によくない?それは全然、むしろあり。自由。
03:10:30
「お気に入りのビジュとレオが違った形でムラゲに残してるのに反発してくるmillionとかはクビ切ってるのは何で?」
ぶっちゃるとミリオンはチーム決まんなかったらMRGでストリーマーとして雇います。
でもあいつプロはやりたいだろうから、もちろんね功労者だからさ
「本人は急にクビにされたって言ってるぞ」
でもまったく心当たりがないのかってことはないと思うよ。本人が喋るんじゃない?
だってまったく心当たりがないのにクビ切る理由がなくない?俺に
03:13:39
「オレは今まであいつがいろんな人の思いを踏みにじってきたわがままを許す気はない」
いやそれは全然お前がお門違い。別に自分の気持ちを発信する場はあっていいし
そんなの別うちスポンサーいるわけじゃないしさ
そんなの全然。なんならオレも言ってるし。どうでもいいっちゃどうでもいい。
そんなさ自由でしょ。そんなさ
あくまでもチームの話ね
03:15:53
「ファン目線でmillionがモチベーション低いようには見えないんだけど、どの辺で低いと判断したの?」
んなさ表質されてる部分でさ低かったらさとっくにクビになってるでしょ
練習中とかさチームの人との向き合い方とか
03:21:23
「クビは話し合いの中で決めたのか、事前にもう決めてたのか、どっち?
話し合いの中で決めた。本人に今の自分の状況を言わせて、それじゃウチではできませんって言った
03:21:53
いやミリオンの口から出た証言。で他のメンバーにも聞いてミリオンの口からも聞いてその条件で
だってそれ以外になくない?あいつ仲悪いからきれよとかできるわけなくない?
03:31:40
もちろん。オレがノリで決めたことじゃなくて、チームの方針として決めたことだからさ
チームでの話し合いはもちろん。あったに決まってんじゃん
03:36:37
もちろん。チームの全員の総意だから。オレがノリでクビにしたわけじゃないよ
03:44:06
「チームメンバーからミリオンのモチベに対して不満が出てたから話し合ってクビにしたのか、出てないけどお前が見ていてモチベ不足と感じたからクビ切ったのかどっちなんだ?」
03:56:40
「昨日の今日で決めたって言ってるけどそれは嘘!メンバーに俺の事を嫌う奴がいて、天秤にかけた結果俺を切る決断をしたんだと思う。らしいぞ」
そんなんで切るわけねえだろお前馬鹿野郎子供じゃねえんだからよ。切るわけねえだろ
あいつとあいつがミリオン嫌いだからクビなって言ったってこと?そうとしか思えない?
でもそれをなんていったかを自分の口から説明しなさい。昨日もずっと喋ったんだから。
03:57:53
「あいつ的にはランクのモチベがないとは言ったけど、大会のモチベがないわけじゃない」
(数秒考え込み)って言った?ミリオンって言ったの?って俺に言ったって言ってんの?
ヴァロラントに対するだろ。俺がそんな理由でクビきるわけねえだろ
なんで俺がお前のこと嫌いだから切るよってなるんだろ
03:58;58
「チーム内で誰か一緒にやりたくないやつがいるんだろうって言ってたぞ」
そりゃいるでしょ。モチベ低いやつとはやりたくねえだろ
それを一切表質せずに、ねえ。じゃあランクがんばってるやつの足引っ張ってるようなやつとは俺一緒にできない
できないんだよそれ含め。できねえんだよ。ミリオン
みんなはできるかもしんないけど、俺はできない
03:59:43
「モチベ低いは誤解だろ」
いやあいつ本人から聞いたから俺は。ヴァロラントのこと考えるだけで嫌になるって言ってたから。できません。
できない。できねえんだよ。
そういうのって態度に出ちゃうんだよ。人とチームで8時間一緒にしてて、出ちゃうんだよ。
本当に出してなかったのか一片も?
4:01:00
だとしたら余計いらないかもしんない。モチベがあってそのぐらい、そういう判断を下されるってことは。
おいお前ら表題の件につきまして、ご覧になりまして?
https://shonenjumpplus.com/episode/17106567256672633938#
・このマンガは鳩っちという陰の者、なれどストイックな求道者がそのストイックさで衆生に影響を与えることがメインのプロット
・たまきn先輩がらみのバンドには銀杏BOYZを取り入れてるが、流石にキラキラカワイイ系のたまきn先輩に銀杏BOYZはエグみが強いだろ、と思ったら、たまきn先輩の人生そのものがエグみが強くて銀杏BOYZを当てることがニンニクしょうが並の、カロリーを臭みで消す二郎レシピになってる
・出内先生の、クワハリ先生が表現したいことへの理解力と、キャラ作画だけではなくモブや背景、物品オブジェクトに至る全てがクワハリストーリーの文脈にドンピシャにハマっている
・そしてこの回で不敵に嗤う鶴先輩(と怪僧厘ちゃんさん)
「ふつうの軽音部」の「ふつう」とは何か、ふつうの高校生衆生が触れるのは、般若心経ならぬどんな「軽音」なのか、はたまた「恵音(Amazing grace)」なのか。
「ふつうの」青春群像劇から、宗教的説話に跳ね上がるターニングポイント回だったと思う。
ところで宗教用語っぽいものを散りばめているが、「スヤスヤ教」ぐらいの娯楽と思ってね。たかがRock'n'Roll(Acid Black Cherry)だもの。
言葉の差別性について考えるときには、字義的にどういう意味かではなく、その語が使われてきた歴史と文脈が重要なんだよ。Japaneseを略しただけのJapなんて、字義的には問題なさそうだけど、それが使わらてきた文脈の故に差別表現と認識されてるでしょ?
元ネタの番組見てないし見れないんだけど、字面だけ見て勝手に文脈想像すると
「はじめは親を殺すためにボクサーを目指していたが、プロとして輝かしい戦績を上げるようになった人に対して、むしろ称える意図すらも込めて当時も考慮した今の心境を尋ねている」という感じがする。
実際どうなの?
「タコさんのお庭」という言葉の意味は、文脈によって異なる可能性があります。一般的に、具体的な定義はありませんが、いくつかの解釈が考えられます。
子供向けの絵本や歌などで、タコがカラフルな海藻や貝殻で飾られた自分の隠れ家を「お庭」と表現している場合があります。この場合、「タコさんのお庭」は、タコが自由に過ごせる、カラフルで楽しい空間を指します。
作家や芸術家が、独特の世界観を表現するために用いる比喩的な表現として使われることがあります。この場合、「お庭」は、タコが住む不思議な空間、あるいは、作者の想像力によって作り出された世界を表している可能性があります。
「タコさんのお庭」という言葉の意味をより正確に理解するためには、どのような文脈で使われているのかが重要です。
子供向けの物語であれば、上記のように、タコが住むカラフルな空間を指している可能性が高いです。
詩的な表現として使われている場合は、より抽象的な意味合いを持つことがあります。
日常会話や文章の中で使われている場合は、話者の意図や、その時の状況によって意味が異なります。
その文章の全体的な内容は何ですか?
これらの情報があれば、より具体的に「タコさんのお庭」の意味を説明することができます。
もし、上記のような情報が得られない場合は、自由に想像力を働かせてみてください。「タコさんのお庭」は、あなたにとってどのような場所でしょうか?
あなた自身の解釈によって、この言葉は全く違った意味を持つことができます。
「タコさんのお庭」という言葉は、文脈によって様々な意味を持つことができます。具体的な定義はありませんが、子供向けの比喩、創造的な表現、あるいは個人的な解釈など、様々な角度から捉えることができます。
正確に言えば(米国版)ド・ゴール主義者であり、ド・ゴール主義者(ゴーリスト)が「フランスの存続のためにフランスは外国に依存すべきではなく、フランスはいかなる外国の圧力に対しても従属すべきではない」と言う文脈と同じくして「米国の存続のために米国は外国に依存すべきではなく、米国はいかなる外国の圧力に対しても従属すべきではない」とトランプ次期米大統領は言っている。
WW2後の欧州は米ソ超大国に挟まれ経済的にも軍事的にも外交的にも主導権を失った。
欧州主義の中でも更に、ロシアを含む大欧州か含まない広域欧州かという区分もあった。
そのために対米自立が必要であり、手段としての独自核武装と独自外交だった。
というわけでド・ゴールと現代のアメリカは全くというほど関係がない。
アメリカ大陸には欧州のように国家がひしめき合っていない。そもそもアメリカは合衆国だ、欧州の国が州になったような存在だ。
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ワイドナショーでの松本人志の「不良品」発言で芸能生命脅かされなかったのは結構驚いた。
それ以上にその場で堀潤が批判を一切しなかったのが衝撃だった。クラスの一軍つえええええええ!!!!!ジャーナリストの正義心まで裏返せるのか!!!!って思った。
「松本さんが言ったことって超クリティカルなポイントで、アメリカでもテロを未然に防ぐことっていうのは捜査当局も自信をもっているんですよ。前後の文脈が分かるから。
でも、なにかしら突発的に起こる、しかも心に負担が強いられている状況で起きるものに関しては事前にリストアップして踏み込んで、でもなにもやっていない状況で未然に逮捕するのかっていうと、それは極めて人権を損害する行いだと。
ただ一方でそれを放置していたときに多数の犠牲者が出る。じゃあ、この天秤どうなっているんだというのは、まだねしっかりと本音で議論してないと思うんですよ。
でも、じゃあどうすればいいんだっていうのは恐れずに議論していくべき。やっぱり沈黙している社会は犠牲者を生むし、だから、勇気ある議論を(するべき)」
前回、フォルクスワーゲンで考える社会保障の持続性というエントリを書いたのだけれど、今回は再選するに至ったトランプ次期米大統領について書こうと思う。
取り敢えず言っておくが、自分自身は特にトランプ次期米大統領支持派ではない。カマラ・ハリス支持派でも無い。前回のエントリの傾向から察して貰えるとありがたいが、敢えて支持を表明するなら日本経済支持派。外国よりも自分自身が生きる日本、日本全体よりも自分自身が該当する氷河期世代の味方をする。
まず1つ目としてトランプ次期米大統領はケインズ経済学主義者であるということを認識しておかなければならない。
先日、在米増田、トランプが勝った理由がよく分かるやシリコンバレーでキラキラした生活をしてる俺が雑感を書いてやろうというエントリが人気ブクマ入りしていたが、良くも悪くも反トランプ派が持ちがちな考え方が詰まっていて、トランプ次期米大統領の経済政策をしっかりと吟味した形跡がない典型的な反トランプ派の主張だ。
敵は愚かなのだと、トランプ側へ票を投じたやつは愚かでなければならないという考えが滲み出ていて、自分たちが当然そうであるように相手側だって少なくとも義務教育を修了しており、相手側にも大卒や大企業勤めは居るし、何なら高度な学問を修めて専門研究に励んている方々も居る。
そしてトランプ次期米大統領は成功したビジネスマンであり、これまでの人生でアダム・スミスやマルクス、ケインズ、フリードマンなど膨大な経済論を見聞きし、最終的に選んだと思われるのがケインズ経済学で、それを支持するケインズ経済学主義者(ケインジアン)になったのだと思われる。
そう、トランプ次期米大統領は各種経済論の理解が深い可能性が著しく高いのだ。
ケインズは言う、流通する国内資本を増大するためには公共事業を積極的に行って国民の雇用を創出することが大事であり、公共事業から得た金銭で国民は生活をするので流通する国内資本は自ずと増大していき、結果的に景気は回復すると。
ケインズ経済学のわかりやすい理解として「穴を掘って埋める仕事でも良い」などと説明されるが、この様な意味のない仕事でも国内資本の流通を刺激するには良いとされ、例えば意味のない「メキシコとの国境に壁を建設する」公共事業でも良いわけだ。
まず前提として、ケインズの重要な論文『雇用・利子および貨幣の一般理論』は世界恐慌からの経済回復にあえぐ中で発表された論文であり、その趣旨は不景気から脱却するにはどうしたら良いのか?である。
ケインズ経済学の発端趣旨としてそもそも不景気対策であり、トランプ次期米大統領は不景気対策と言えばケインズ経済学だと判断して(悪く言えば思い込んで)いるのだ。
トランプ次期米大統領の目的はケインズ経済学を元にした国内資本の流通増大であり、例えば「不法移民が違法労働により表へ出にくい国内資本を得ている」のであれば目的達成を阻害するので不法移民へ対して強く出ようとするし、不法移民は総じて貧困労働層と労働市場で競合するし、メキシコの壁と合わせて国内資本の増大という面から見てシナジーがある。
これを偶然のシナジーだと断ずるのは無理があるし、それが無理だとするのであればトランプ次期米大統領やその支持者たちは"意外と"愚かではないということになる。
「たとえトランプが勝って自分がさらに貧しくなろうが関係ないのである。一緒に堕ちてほしい」わけがなく、ケインズ経済学の機序を理解しているのかは別として、トランプ支持者の多くは「仕事にありつける」「勤めてる会社の需要が増える」「貯蓄として投資している会社の株価が上がる」「収入が増える」と思っている(判断が正しいかは不明だが)のだ。
更に言えば、ケインズ経済学は格差是正についてそこまで効果的な理論を打ち立てたものではないという点も理解しておかなければならない。
公共事業によって失業者という経済的に最底辺の人たちは1段階程度は格差是正されるだろうが、ケインズ経済学は最富裕層から最貧困層に至るまでみんなで一緒に豊かになろうという趣旨の理論だ。不景気対策なのだから格差は維持されたまま国内全体の資本を増やす理論なのは当たり前の話なのである。
反トランプ派たちはトランプ次期米大統領がケインジアンであることに(トランプは愚かだかとレッテル貼りしてるので)気付いていないし理解を示そうともしないので、それが故に自分の生活のためトランプへ投票した人たちの気持ちを理解できていないのだ。
正確に言えば(米国版)ド・ゴール主義者であり、ド・ゴール主義者(ゴーリスト)が「フランスの存続のためにフランスは外国に依存すべきではなく、フランスはいかなる外国の圧力に対しても従属すべきではない」と言う文脈と同じくして「米国の存続のために米国は外国に依存すべきではなく、米国はいかなる外国の圧力に対しても従属すべきではない」とトランプ次期米大統領は言っている。
この指摘は大学生のときに政治イデオロギーの代表的なものとしてド・ゴール主義を履修した者ならば目を丸くするだろう。何故なら当時のド・ゴールは「NATOや欧州経済共同体を評価していなかった」人物であり、それはそのまま「同盟国に依存する米国の安全保障やTPPを評価していない」と言うトランプ次期大統領と重なるからだ。
ド・ゴールは知られているとおり(その経歴も加味する必要はあるものの)圧倒されるほどのフランス第一主義者であり、そういった面でもトランプ次期米大統領と重なり、トランプ次期米大統領自身のキャリアの性質もあるだろうが言動の端々にド・ゴールの影響が見え隠れするし、一見意味不明なトランプ次期米大統領の言葉の数々や手のひら返し、側近との軋轢などもド・ゴールの経歴を見ると察してあまりある。
ド・ゴールは現在でもフランスでは20世紀を代表する政治家であり英雄の1人として数えられ、フランスの政治イデオロギーの根幹の1つとされているが、ド・ゴールをロールモデルの1つとしているであろうドナルド・トランプはアメリカのためならば何でもするのであろう。
ドナルド・トランプは決して愚かではなく米国と同盟関係を結ぶ日本、そしてそこに住まう我々日本人は決して油断してはならない。
ドナルド・トランプがケインズ経済学とド・ゴール主義で米国内経済と内政へ注力すると言うのであれば、その思惑へ流されすぎないよう与野党問わずの日本の政治家を監視せねばならないし、国際経済への比重を軽くしていくのであれば、日本はその空いた穴を欧州や中露に取られないよう日本経済界を監視する必要がある。
繰り返すが、自民党や経団連だけではなく立憲民主党や国民民主党、日本維新の会、日本共産党、公明党、参政党、れいわ新選組も監視しなければならないし、労働組合の動向も、今後大きく揺れ動いていくであろう世界経済や安全保障の観点から非常に重要だ。