はてなキーワード: 事務方とは
当初は鳴り物入りで立ち上げられたデジタル庁が、今や「干したる庁」などと嘲られ、国民や同庁の原動力となるはずだったITエンジニアからの期待を惨めにも失墜させるきっかけとなった平井大臣によるNECへの恫喝発言問題だが、それを受けて「疑惑を晴らす」として始められたオリパラアプリの発注プロセスに対する調査結果が公表された。
内容については東京新聞の記事に問題点の概要がまとまっているし、7月初旬の時点で日経クロステックが報告書の内容に繋がる記事を書いている。ではなぜ、平井大臣にとってこの調査が「疑惑を晴らす」ことになるかと言えば、「和泉首相補佐官らが、デジタル行政を仕切る自分に断り無く進めた不透明なプロジェクトを俺が止めてやった」という意識があるからだろう。先月末に、その辺りの詳細を新潮が報じている。
確かに、この辺りの事情を勘案すると、平井大臣の言っていることに決して理がないわけではない。では、平井大臣の恫喝は不公正な調達に対する適切な苦言だったのか?そうはならないだろう。オリパラアプリの受注金額は NTT が圧倒的だった(73億円中の45億円)のに、自分は自分で NTT から繰り返し接待を受けているからって、そこを問題にせずに NEC を槍玉に挙げて排除したり、挙げ句に自分と親しい会社をねじ込もうとするのは道理に合わない。そもそも、公正であるべき行政の責任者が、民間に対して「見せしめを作る」などと言いながら権力を振りかざすような態度を取ること自体がありえない。結局、これは政府内での「デジタル利権」を巡る醜い争いに過ぎない。
ところで、この新潮の記事を今から見返すと面白い点があって、それはデジタル監(デジタル庁の事務方トップ)の任命問題に言及していることなんだよね。どうも、7月くらいまではこの件で槍玉に上がった神成淳司氏が有力候補だったらしい。つまり、平井大臣としては「政敵」が推している人物ということになる。それが、オリパラアプリの問題を受けて辞退した。これが7月20日頃の出来事。
「確かに最高幹部のひとりとして神成さんの名前は挙がっていました。和泉首相補佐官と官僚トップの杉田和博官房副長官が推薦していたんです。ただ、日本のインターネットの父と言われ、内閣官房参与でIT分野のアドバイスをする慶應大学の村井純教授は反対していました。そうこうするうち、7月20日前後のことですが、神成さん本人から辞退の申し出がありました。週刊新潮でNECと共同研究を行っていることなどが報じられたので、幹部に就任すれば辞任に追い込まれる可能性もあります。自ら傷つく前に辞退したのでしょう。それにしても、“疑惑”の渦中にある人を幹部に据えようとするとは、和泉さんや杉田さんは何を考えているのやら」
その3週間後の8月5日にデジタル監に伊藤穰一氏を据えるという話が出てきた。
結局、ご存知の通りこの話は撤回されることになった。その原因である、いわゆる「エプスタイン問題」については文春の記事が詳しいので繰り返さないが、一方で、同様の内容を報じた新潮の記事に以下のように書かれている。
「今回の人選については、デジタル改革担当大臣の平井卓也氏が進めてきました。菅首相の肝いりの政策ですから力が入っており、平井氏も意中の人がいたようですが、何人かにフラれて伊藤さんにお鉢が回ってきたといいます」
結局、政敵の送り込んだ人物を排除して、自分の肝いりの人物を重要ポストに据えようと企んだものの、行政の責任者としての基本的な適正すら見抜けずに失敗した(そもそも、もっぱら投資家からの資金調達を得意としている人物にデジタル庁の何をやらせようとしていたんだろう)。この人たちは、本当に何をやっているんだろうか。ため息しか出ない。
ジャンプなんか公式スピンオフを原作のBL描いてた同人誌作家に描かせてるし
加えてその漫画のアニメ担当したアニメーターもBL同人誌を描いてたし
最近では腐女子除霊師オサムみたいなのも恥ずかしげもなくやってるし
不快になるだけだから読んでないがルックバックみたいなのもやってる
もう完全に論外なのですわ
ワイがアニメ・ゲーム業界にいた時からこの人らの倫理観とか社会性ってヤバいなって思ってたけど
アニメ・ゲームは役員と本社の事務方以外は平民かつ高学歴じゃないんだよね
一方、出版大手は問答無用で高学歴。そして倫理観がめちゃくちゃ終わってる
電通みたいに自浄作用もないし二次創作の規約を作るくらいのモラルは見せて欲しいところ
コロナ禍で強行された五輪の開会式のなんともいえないショボさを紐解いていると、電通が五輪を食い物にしてる実情がいろいろと浮かび上がってくる。
そもそも電通がやりたい放題やって、当初手掛けることになっていた有能なクリエイターが次々と去ったのだから、出てくるものがショボくなってしまうのは当然といえば当然なのだろう。
一方、五輪が開幕して以降、NHKにチャンネルをあわせると、嵐の歌うテーマソングとともにやたらと“ナビゲーター”の櫻井翔がでてくる。
元々民放でニュース番組の客寄せパンダキャスターしながらNHKでこの仕事ぶり。
そして、この人の父親は電波行政を司る総務省の事務方の元トップにして、現在は電通副社長。
妹は、兄がキャスターやってる放送局に勤務し、弟は電通に勤務しているとも聞く。
なんかこれ、ものすごい“闇”じゃないのか?
緊急事態宣言下でコロナの感染者数はまだまだ増え続け、医療関係者や飲食関係者をはじめ、今後まだまだ苦闘が続くであろう中で、この一族はコロナでホクホクっぽい。
まあ櫻井翔なんて芸能界のど真ん中でもっとも光り輝いてる人の一人なのだろうが、光が強ければこそ闇も濃いのが、世の常ではある。
https://dot.asahi.com/dot/2021071300051.html?page=1
打ち合わせは7日夕に開かれた。出席したのは、西村氏のほか、菅首相、加藤勝信官房長官、田村憲久厚生労働相、赤羽一嘉国土交通相、和泉洋人首相補佐官や内閣官房などの事務方たち。感染状況についての説明が行われた後、「飲食店対策のための関係機関として金融機関」が明記された資料が配られ、説明がなされたという。この打ち合わせの後、西村氏の発言は炎上し、加藤官房長官は9日に慌てて「金融機関に対する協力はお願いしない」「西村大臣に気をつけていただきたい」と方針の撤回を表明。西村氏の発言を問われた菅首相も「承知していない」「そうした趣旨での発言は絶対にしないと思う」と火消しに走った。
しかし、12日には内閣官房が8日付で各府省庁に、所管する金融機関に政府方針への協力を求めるよう依頼する文書を出していたことも発覚。内閣官房は銀行などを監督する金融庁や、政府系金融機関を所管する財務、経産両省と事前に調整していた。
梶山弘志経産相は13日、「内閣官房から発出される予定との報告を、事務方から受けたわけですが、私自身強い違和感を覚えた」「了承した事実はない」と発言。麻生太郎財務相兼金融担当相も同日に会見し、外遊先で8日夕(日本時間9日)、同行していた金融庁の秘書官から報告を受けたが、「言っている意味がよく分からなかったので、そんなの放っておけと言っておいた」などと西村発言から距離をとった。
その場に居合わせた以上、責任は免れません。麻生氏や梶山氏も今さら言いわけを始めたり、メチャクチャですが、この問題は西村氏個人ではなく、菅政権全体として進めた話です
正確には覚えてないけど、1か月くらい前から近所のコインパークに2~3台の五輪ラッピングされたトヨタ車が夜間に駐車されているのを見かけます。ハイラックス?みたいなSUVとかプリウスみたいな普通車とか。
それらの車両はいつも同じコインパークでは無くて、付近の別のコインパークに止まってることもあるんですけど、それらに共通して付近にはホテルというか宿泊施設があるんですわ。
で、マスクをしてない複数の外国人がホテル前で写真撮ってたり、ホテル付近を歩いてたりという現場を複数見かけてまして、ちょっと不安を感じなくはない訳です。差別とかそういうんでは無くて、普通にマスクして欲しいだけなんですけど。
最初に見かけてからたぶん半月程度は経っているので、海外からウイルスを持ち込んだり、ということは幸い無かったのだと思うんですけど、昨日もたぶん同じ外国人を見かけたんです。
見かけたのは、近所のスーパー前に路駐された例の五輪ラッピングのトヨタ車が発進するところで、やっぱりマスクしてないんですよ。
彼らがアスリートなのか競技運営関係者や事務方なのか判りませんけど、こんな感じの振る舞いをされていると国内で感染してしまうリスクは低くないと思うんです。
彼ら自身はワクチン接種済みで大丈夫と思ってたりするのかもしれませんけど、彼らを介して感染が広がるようなことが起きやしないかと、結構不安に感じています。
平井大臣の「干す」「脅しておいたほうがいい」発言から、文春によるベンチャーへの発注を指示しているのではないかという疑惑を受けて、6月18日の記者会見で説明と記者による質疑の内容を書き起こす。
なお、関連として6月11日の記者会見の書き起こし(anond:20210611202929)、文春で記事にされた音声データの書き起こし(anond:20210617120138)なども参考にしていただければと思う。
今回の書き起こしの元データは政府インターネットテレビ(https://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg22838.html)である。YouTubeの「平井卓也(デジタル改革担当大臣)」チャンネルで公開されている記者会見動画(https://www.youtube.com/watch?v=1NH4PkfgIP0)では、質疑応答が大幅にカットされて(ダイジェスト版)いたため、書き起こしに使えなかった。
なお、動画が長いこともあり、記者会見の中の質疑応答の部分のみの書き起こしとしている。
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記者:さっそくですけれども、いま言った企業名の話なんですけれども、まあ名前を出していないとおっしゃるんですけれども、あの一方でその会話の中ではですね、東大の先生のお名前を挙げて、一緒にやっちゃっていいよ、とかですね、彼の抱えているベンチャー、ベンチャーでもないな(平井大臣:まあそれは、学生さんもいるからね、あそこは)、はい、ああ、そういう意味なんですね、で、そこの顔認証ははっきり言って、NECよりは全然いい、という風におっしゃっていますから、具体的な企業を念頭に置かれて話をして
平井大臣:アルゴリズムです。要するに、松尾研究所で、アルゴリズムを研究している若い研究者がやっている、最新のアルゴリズムは、もう相当進化しているよと。だから、今ある技術だけを見るなという意味で言っています。
記者:あの、じゃあ具体的な企業を指して、あのベンチャーっていう風に言っているんですけれども、
平井大臣:ベンチャーも、ベンチャー、あの、ベンチャーも育っているし、ベンチャーの卵もいるし、そして、大手企業にも、どんどん協力しているんですね。松尾研究所は、NECさんにもずいぶん協力していると思います。
記者:わざわざNECをここで、対象に比較に出しておっしゃっているのはなぜなんですか。
大臣:これはさー、オリンピックの話の減額の話なんですよ。前の段階は。その2つの調達を、無理矢理くっつけて、お話になるのもいかがなものかと思います。
記者:えっと、オリンピックの減額の話の中で、デジタル庁の入退室管理の話が出て
平井大臣:まずねー、デジタル庁の入退室管理っていう調達は、まだないんですよ。だから、正直申し上げて、入退室管理は顔認識じゃないんです。現状では。なんで、いずれそういうのを検討するのであればと、いうことです。
記者:で、そこについて、システムを実験的に入れてくれてもいいよと、それで東大の先生の名前を出して、一緒にやっちゃっていいよと、言っているわけですから。これからそういうのを発注しなさいよと、いう風に聞こえます。
平井大臣:それね、本当にそういう風に聞こえるっていうのは、よっぽどそういう風に、なんかバイアスをかけて思わないと、思えないと思いますよ。要するに、みんなその、既存技術にこだわるから松尾先生に聞いて、最新の技術をみんな勉強して、それから、要するに、調達を一気にできないんだったら、いろんなところでいろんなものを実験したらいいんじゃないの、ということです。
記者:それと、オリンピックの減額の話というのは、どうつながっているんですか。
平井大臣:だからつながっていないんですよ基本的には。だからNECの技術だけじゃないよっていう意味で言っているんです。
平井大臣:まずね、ちょっと一つだけ、あの、企業の名誉のこともあるので。企業名は、言っていないし念頭にないし、私そういう企業の名前を憶えていないんですよ。もともと。ですから発言したことは絶対ないと思って、オリジナルの音源を、ありますから。言っていないっていうことをこれ立証できるんです。それを何度も何度も調べているのに。なんで特定の企業の話をですね、どっから、誰かが、無理矢理くっつけているのかがわからない、と、そういう風に申し上げているので。
記者:あのー私が言っているのは、特定の企業名のことを言っているわけではなくて、そこの顔認証という言い方をしていますから、大臣の頭の中には
記者:確認したいこと2点ありまして、まず1点が、音声、元のオリジナルの音声なんですけども、そちらで立証できると大臣おっしゃっているんですが、そちらのオリジナルの音声を、一般公開などすることは考えていらっしゃいますでしょうか。
平井大臣:これは一般的に内部の会議の音声データですから、要するに、公開を前提にしていませんが、今回こういう事態で、今後どのようにこの事態が発展するかわかりませんけれども、また関心を集めるかわかりませんけれど、異例中の異例ですけど、事務方に、法律に触れないんであれば、公開するということも検討するということに、まあ検討をお願いしようと、は思います。ただ現時点では、公開するという気があるわけでは、ないんですね。ただし、こちらで何度も何度も確認をすることができたと。これが、私はデジタル時代だと思います。
記者:ありがとうございます。あともう1点が、先ほど、第3者のコンプライアンス委員会を立ち上げるとおっしゃっていましたが、こちらあの、確認なんですが、この週刊誌に報道された件も、まずあの調査するとともに、いずれはその一般的に、デジタル庁が発足後は、コンプライアンスのこともやるって感じで
平井大臣:違います違います、コンプライアンス委員会っていうのは、まず、9月1日に発足するので、で、デジタル庁がその後引き続いて、責任を持つシステムもいくつかあるんですね。そんなに全部足したって、そんな数はありません。ないとは思います、直接やるものに関しては。ただ、今後やっぱりデジタル庁が関わっていくシステムであるんだとしたら、徹底的に、現時点でチェックできるものはチェックしてほしいなと、思いますが、これはあの、なんていいますか、コンプライアンス委員会はできるだけ早く、私はもう、気持ちの中では来週にでもスタートさしてほしいなと、まあ事務方が悲鳴を上げていると思いますけれども、スタートさしていただいて、スケジュール的に言うと、もうできるだけ早くやってもらいたい。そして、私の発言を対象にするかどうか等も含めて、コンプライアンス委員会に考えていただいたらいいと思います。ですから、はっきり言って、私の気持ちですよ、私の気持ちとしては、コンプライアンス委員会には、徹底的に私自身を調べてもらいたいと、いう風にも思っています。
記者:別件なんですけれども、デジタル庁のオフィスについてお伺いします。今週末にも荷物搬入とも聞きますけども、現状どのようになっているのかまずお聞かせください。
平井大臣:これあんまり詳しくないんですいません、ちょっと待ってください。えーとですね、デジタル庁のオフィスの場所は、東京ガーデンテラス紀尾井町になって、来週21日からIT総合戦略室および番号制度推進室の職員が勤務するということでございます。
平井大臣:あの、詳しいこと知らないんで、これIT室に聞いてください。私自身が引っ越すわけではまったくないんで、細かいスケジュール聞いてません。
記者:改めてその、なぜこの築年数の浅い、2016年にできたところですけれども、都心の一等地のビルに、デジタル庁が入る必要性があるのか、その辺をお聞かせください。
平井大臣:今の入っているIT室の場所も都心の一等地ですよね。虎ノ門もそうですよね。で、これはね、国会や霞が関から近くて、そして官民の人材500人以上が一体的に共働できると、共に働くということで、今もそうですけど、ワンフロアの面積が非常に大きいところを探したという風に聞いています。であの、調達の件に関してはもう事務方に聞いてください。
記者:今回のこの週刊誌報道から始まって、コンプラ委員で検討する話とか、一連の流れと、あと今、策定しようとしている調達ルール、が、今後調達ルールの策定に今回の一連の報道とそれに伴うコンプラ委員の検証結果というのがどういう風な影響を与える
平井大臣:というより、もうずいぶん前のコンプラ委員会とその調達ルールの検討というのはもう、本件起きる前からみなさんには記者会見でお話ししていたと思うんですけど、今回の事案がいろいろと世間を騒がせているので、前倒ししようということです。で、今動いている委員会も最終的には一つに全部統一をされて、デジタル庁としてのコンプライアンスの指針ということでまとまっていくんだろうと、思っています。
記者:これまでの日程のスケジュールを前倒しになると考えていいですか。
平井大臣:ですからデジタル庁を発足してからというよりは、ちょっと早くなるということですね。
記者:今の質問に関連するんですけれども、先ほど大臣できるだけ早く来週にも、っていうその前倒しの時期について思いを語られていましたけれども、現実的には多分外部の有識者をいれるのであればその調整とか、時間がある程度かかると思うんですけれども、その大臣の思いとは別としてですね、現実的にはどれ位の目途になりそうかっていうところ、
平井大臣:もうできるだけ早くです。できるだけ早くやってもらいたいし、世間が初めて調達というものに、一般の方々も含めて関心を持つことになったと思います。これは私は非常にチャンスだと思っていて、このときに調達とはいったいどういうものなのかと、調達に必要な透明性とはなにかみたいなものを、国民の皆さん全体で関心を持って議論していただきたいという思いもあって、このように申し上げたと、いうことでございます。
記者:あらためて確認なんですが、この前倒しして設置されるコンプラ委員会は、民間から来られている職員の方の服務規律の順守っていうところをデジ庁発足前からきちんと研修していこうっていうのが一つ大きくあると思うんですが、個別のそのオリパラアプリですとか、そういったシステム、まああと先ほど大臣がご自身の発言についても、という、そういう個別の事象についても、調査、調べる、チェックするというか、そういった機能も有するという理解でいいですか。
平井大臣:例えばオリパラアプリであるとか、ワクチン接種管理システムであるとか、今後作らなきゃいけないであろうワクチンパスポート、これ報道されているベースですとか、こういうもの、それもうベースにあるシステムがあるわけですから、当然対象になるという風に考えていて、要するに、発注のプロセスを、表に国民の皆さんに説明して説明責任が果たせるかどうかということ、疑念の目を持たれないように、今回私は減額交渉の途中から本件にかかわったということでございまして、私自身も本件が減額されていなければですね、要するに、全然関与していないといいますか、組織は私の関与のもとにありますが、IT担当大臣というのは、調達の決済というのに直接関わるものではございませんので、そういう意味で、初めて今回、いろいろ調達というものに、参加したうえで、いろいろな発言もしてしまったと、いうことでございます。ですから、私の発言が、やっぱりその、言葉遣いということは当然反省すべき点はあると思いますが、なぜその発言をしたかということに関しても、できればコンプライアンス委員会に、調べていただきたいと、いう風に思います。
記者:過去の話になるかもしれないですけれども、オリパラアプリの発注過程についても一応検証するという
記者:まあ今年ですね。
記者:ここに来る前にですね、野党のヒアリングが9時半からあったんですけれども、その場でですね、さっき大臣が、松尾研究室の(平井大臣:ん?)、松尾研究室に聞いてくれっていうか、もう少し時間かかってあれですけれども、そこの顔認証のそこのっていうのは、松尾研究室だっておっしゃったんですけれども、その、野党のヒアリングの席では、答えた方がですね、特定の企業を念頭に置いていると思うって発言をされているんですね。それは違うんですか。
平井大臣:もしね、まず当事者に聞いてください。念頭にあるかどうかは。だから念頭にないって。私に聞いてくれたらいいんですよ、それは。事務方が私の頭の中までわかるわけないじゃないですか。
記者:ということですね。
平井大臣:うん。
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結局DXをやらないといけないのって事務方なんだけど
DXを進めるっていうことは
って言ってしまうことになる
これに「はいそうですね」って言えるような人はそもそも事務方の仕事なんてしてないわけで
彼らには彼らなりの哲学なり信念があって
ハンコ一つにしても法令とか偽造可能性とかとにかく(貧弱な)理論武装がすごい
彼らも馬鹿ではないので常日頃からハンコ不要のニュースにさらされていて
それでも自分たちの仕事に意味を持たせるために彼らなりのロジックを組み立て
貧弱ながらも理論武装して自分たちに言い聞かせて仕事をしている
なので「ハンコなくしましょう」「はいわかりました」にはならず
一つ一つ丁寧に彼らの理論武装を解除してあげないといけない
こんな感じで書類一つ一つに対して武装解除していく必要があって
とてもじゃないけれどやってる側が疲弊する
おまけにある種彼ら事務方の自尊心を傷つけている作業になるわけで大変に骨が折れる
DX化なんて夢のまた夢で
「じゃあ全部デジタル化してDX化したら何が起きるの?」
って言われるとまさか「お前らの人件費を削れる」と言うわけにもいかず
的な感じになって全然納得してくれない
事務方とか技術系とかで役員がバラバラとかだと政治的な話にもなるし
もうアホらしくてやってられない
「大学どこにしよう」とか「院はどうしよう」とかいう人間よ、(もう時期的に手遅れだが)研究分野が合致してるかは二の次で“いい人”を選べ。
“いい人”についたら「大体近いね~」くらいの分野なら修論は何とかなる。
私も友人も、同じ大学の学部→院と進学した所謂生え抜きだが、そうなった経過は全然違う。
私は高校生の時から興味のある学部や分野をリサーチして、学びたい先生を見つけて…みたいなことは一切していない。
地元の国立大学進学が名誉な地域において地元の国立大学を受験し、合格し、一番興味に近く、自由度が高そうでいい人そうな先生のゼミに入った。
進学は「働くくらいなら勉強したほうがマシ」だから選んだし、院で他大学を受験するような七面倒なことは嫌だから内部進学しただけだ。
学部時代から愚痴をこぼしながらも私の関心どころを勉強してくれ、今では私を追い越してしまった。
一方で有能な友人は高校生の時から興味のある学部や分野をリサーチして、学びたい有能な学者を見つけ、その学者めがけて進学した。
学部時代から「あの先生なんかやっぱちょっと変だよ」と感づかれるようなイカニモな先生だったんだが、友人はあこがれのままに院でもその学者に付いた。
そして現在、人格的には優れていなかった学者あらため指導教官にこき使われて潰れそうになっている。
友人をこき使うのは指導教官だけではなく、無能な同期(私含む)や事務方までも友人の有能さを搾取している。
私と同じくらい指導してもらえてたり、苦労を分かち合える同じ研究室の友人に出会っていたりということはない。
有能な学者は有能な指導教官ではないかもしれず、友人の指導教官はドンピシャだった。
この友人にも問題がないわけではないんだ。
無能だと思われることを過度に恐れて仕事を断れないし、全部10割以上の出来にしないと満足できないので倒れるまで仕事をする。
しかもなぜか絶対に同期に助けを求めないし、仕事を割り振らない。
友人を研究に専念させたら主要雑誌に年に三本通るだろうと素人目ながら思う。
でも友人には三本も論文を書く暇がない。
新入生のお世話、自分には関係ない実験準備、会議出席の依頼メール、はては色恋沙汰や喧嘩の仲介まですべて友人に降りかかっているからだ。
私は友人がこれらに追われていた一年で一本の論文投稿と二回の発表を終えた。
「やっぱりどの先生に学びたいかだよ」っていう人は、多分研究にも人格的にも優れた教員に当ったんだろう。いいことだ。
誰かに直接問われたわけでもないが、会社に居続ける理由を自分なりに考えてみる。
結論から言えば、会社の下駄を履いている方が大きい仕事が出来るし、面倒な事務仕事をやらずに済むから。
ある程度まともな会社には信頼があり、事務方がいて、細かい雑多な作業を任せられる他のチームメンバーがいる。
契約を取ってくる営業がいて、市場の情勢を見つつ大まかな方向性を決め、ときには大鉈を振るえる経営層がいる。
起業するということは、これらすべてを少人数で、あるいは1人で担うのと同じであり、プロダクトの開発に使える時間は大きく減ることだろう。
多少の勉強で付け焼き刃的に対応もできるかもしれないが、専門家で無い以上は限界がある。
ソフトウェア開発の専門家として、専門外の人間と接していれば嫌ほど分かるものであろう。
したがって、個人プロダクトが大きくヒットして人を雇えるであろう公算が立つまでは、会社でそれなりに有能と認められて相応の地位と給与を得つつ、せっせと技を磨くのが良いと考える次第である。
小森龍邦氏死去、88歳 元衆院議員、部落解放同盟広島県連顧問
解放運動の巨星がまたひとつ墜ちた。私もあと十年生きるか怪しい身である。自分の政治運動に対する考えを少しばかり綴ってみてもいいだろう。
上のニュースの人は、かつて解放同盟の事務方のトップだった方だ。昭和7年に広島県東部の被差別部落に生まれ、中高生の時分から老年に至るまで部落解放運動に携わってこられた。
私が活動していた地域とは遠く離れているが、それでも半年に一度は彼の実家の傍にある、ちんまりとした選挙事務所へ行き、地元産のワインを飲みながら語り合ったものだ。
私などが知己と呼ぶのがおこがましいほど尊敬できる人格の持ち主だった。家族や地域や仲間のためであれば、危険を顧みずに行動する力を持っている。それでいて、思慮深いうえに頭の回転が速く、無謀な策を講じたりはしない。講じるとしたら、背後に確かな計算を持っている。そういう方だった。
それが、こんなに早くにお亡くなりになってしまった。悔しい限りだ。
私の番はいつ来るのだろう。運が良ければ二十年は生きられるかもしれない。運が悪ければ数年後か。その前に、自分の想いを吐き出す機会が欲しい。
さて、表題の意味について。あなた達の政治運動には『迫力』が足りないとは、どういう意味か。
言葉どおりの意味だ。特に、伝統的な分野、例えば労働組合などが挙げられる。昔に比べて弱体化が著しい。
企業ごとの組織率は低下し、労働者の組合加入率も低下し、賃金は下げられ放題、追い出し部屋や希望(半強制)退職の蔓延も放っておかざるを得ない。数十年後には、労働組合というものが事実上消滅していてもおかしくはない。
また、高校や大学など、学校内の自治を求める活動もそうだ。私は元高校教師だが、昔に比べれば、学生たちが自ら声を上げて学校のルールを変革するために動くことは減っている。感覚としてはそうであり、数字においてもそうなっている。悪い意味で、子どもが大人のいいなりになっている。
近年話題になったものだと、#MeToo運動だ。女性がこれまでに男性から受けた、性を主とする嫌がらせを公共の場で告発することをいうようだ。
日本ではそこまで定着しなかったが、本場のアメリカでは著名な人物の一部が職や名誉を失っている。最悪の場合は、裁判により実刑判決を受けることになる。
LGBTの社会運動も、社会の価値観を変革しつつある分野のひとつだ。
大衆消費社会が訪れてそうまで時間も経たない頃から、同性愛者としてのカミングアウトや文学活動、デモ行進や芸能界での活躍、自分たちを侮辱する者に対する訴訟提起(府中青年の家裁判)、ゲイであることを周囲に言いふらした者及びその所属校への糾弾(一橋大学アウティング事件)など、仲間の権利を守るための諸活動を行ってきた。
以前は、映像作品において、同性愛者が精神異常者として描かれるのは当たり前のことだった。子ども向けのアニメなどでもそういった描写があったが、昔に比べればなりを潜めているように思える。批判を恐れて、ゲイやレズビアンの人達を描けなくなっているだけかもしれないが。
これらの成功している政治(社会)運動には、共通する点がある。
相手の痛いところを突いていることだ。
この方針なくして勝利はない。しかし、近年の伝統的な政治運動の類を見る限り、相手の痛いところを見抜くことができる知性、または攻撃する度胸を欠いているように思う。
特に、組合関係の団体がそうである。昔の労働組合は、使用者と刺し違える覚悟があった。
意図的に給与の支払いを遅らされても、当局側が雇った暴力団に夜道で襲われても、工場を社員寮ごとロックアウトされても、それでも不屈の覚悟で戦い抜いてきた。
それが今では、使用者の言いなりとなり、組織から仲間を追い出すための行為に協力している。情けない限りだ。
話が逸れた。
相手の痛いところを突くことの具体例として、昭和40年頃の話をする。私の高校時代の級友の話である。K君とする。
高校二年の時だった。夏の午後の授業中に、ある教師が教室の窓の向こうにある山を指さして言った。「お前らみてみい、あの山にはよっつが住んどる」(※手の指が四本であるという意味)
その教師は、部落に住んでいる人間を馬鹿にしたのだ。当時はまだ、被差別部落で生活する人々と、それ以外との間に貧富の差があった。馬鹿にされやすかった。
どれだけ悲惨な生活だったか、今の生活と対比しながら述べると、家にトイレはなく(集落で共同のトイレだった)、上水道は通っておらず、生活汚水は外に垂れ流しであり、雨樋や排水溝がないので大雨が降ったら屋内は水びたしになっていた。
家族で食卓を囲んだ光景にいい思い出はない。口に出して述べたくないし、思い出したくもない。
さて、その男の言葉に頭にきたK君は、翌日に地域の仲間(私を含む)を連れて職員室に入っていった。K君が連れてきた解放委員会の男が怒鳴ったのを覚えている。「教頭、どういう教育をしとる!」という大声に、周囲に緊張が張り詰めた。校長までやってきた。
その教師に向けて、「そんなことは言ったらいけんど」と説得しようとしたものの、それ以前の問題だった。その教師は、私達の質疑に対して、最後までしらを切り通したのだ。「そんなことはしていない」と言い張った。
このままではK君の立場が危ういわけだが、私にはどうすればいいかわからない。しかし、協力をしたかった。
また翌日、K君は教室の中で証言者を探すために、級友の前で声を上げた。「このままでは俺は嘘つきになってしまう。証言をしてくれ」と皆に伝えた。が、私ともう一人か二人以外に協力者は出なかった。
次の日だった。今度は、級友一人一人と話をする作戦に切り替えた。校庭に級友を呼び出し、どうして協力してくれないのか、と訴えたのだ。それでも駄目だった。みな、「それは勘弁してくれ」と言うばかりだったという。
さらに次の日、K君は50枚ほどのA6程度の大きさの小紙を持ってきた。それを級友の一人一人に渡して、「これに証言を書いてくれ。後で預かる」とお願いして回ったのだ。
翌週、K君は再び、地域の仲間と、同じ地区の解放委員会の役員を連れて校長室に入っていった。私は外で待っていたが、勝利を確信していた。K君は、20枚以上はあろうかという紙の束を持っていたからである。
その年度の末をもって、その教師は異動になった。県内の一番端にあるエリアに転勤していった。彼はまだ赴任して2年目だったことから、今回の作戦が功を奏したとみていいだろう。
この、K君の動きを間近で見たことが、私が政治運動を志したきっかけだった。
今度は、少し規模の大きい話をしよう。
それから三十年以上が経って、平成の初期だったと記憶している。被差別部落の生活・文化的な環境を改善するという一連の政策が国会での議決を受けてから、長い時が経っていた。
K君の事件をきっかけにして、私は解放委員会に正式に加入し、高校で社会科を教えながら政治運動に身を投じていた。40になる頃に教師を辞めて、今度は別の公職に就いた。
ある年の冬だった。私が活動していた県の幹部職員が、「同和関係の補助金はすべて凍結する」と、あろうことか県議会で答弁した。
寝耳に水だった。まさか、そんなことはあるまいと考えたが、確かな事実だった。議会答弁はテレビ中継もされていた。
当時、私が所属していた団体の幹部が全員呼び出され、偉い方々から対策を指示された。それぞれの支部からも、来年度の予算について雨後の筍のように質問が寄せられていた。
発砲ふさがりかと思われたが、ふと、K君のことを思い出した。彼はもう立派な社会人であり、解放委員会からも抜けていた。それでも藁にすがる思いで相談に行こうとしたものの、気が乗らない。
彼に迷惑をかけるのでないかという想いもあったが、何よりも私個人の意地だった。同和教育、人権思想を啓もうする活動を担う一員である以上は、自分達の力で解決せねばならないという気概があった。
とはいえ、K君と話をしたかった。結局、正式な相談ではなく、共に食事をしながら今回の件について話し合うという形式を取った。K君は、「ここで折れたら前例になろうが」という話から始まり、諸々の助言をいただいた。今でも感謝している。
後日、県の横暴に対する対抗策がまとまった。開始時期は、一週間後とした。
数万人規模の組織で、ここまでの速度で動くのは無理がある。組織全体の足並みが揃わなくなる恐れがあったが、予算全凍結は目の前だった。
あの時のK君のように、各市町の教育委員会の庁舎に数人で飛び込んだなら、「どうしてこんな卑劣なことをするのか。子どもらが人権意識をもつための活動ができなくなっていいのか」というメッセージを何時間にも渡って、毎日伝え続ける。
庁舎の外には最大100人程度を待機させていた。みなそれぞれ、横断幕と拡声器を使って、スローガンを堂々たる態度で表し、相手方にこちらが本気であることを知らせた。朝方から始まって、日中は休憩を挟みながら、日が沈む頃まで毎日続けた。
場所は関係なかった。公共機関であれば、どこででも実施した。教育委員会だろうと、市役所の入り口だろうと、学校の門前だろうと、警察署の前だろうと、県会議員の自宅の玄関だろうと、場所は関係なかった。
かつて、私たちは基本的人権の享有を受けられなかった。その歴史を繰り返してはならない。私たちは本気だった。
議会での答弁から半年後、私達の本気は伝わった。予算の凍結が撤回されたのだ。
これまでと同じように、これまでと同じだけの金額を子ども達への教育活動、個別学習会や勉強会に使うことができるようになった。
私たちは、相手の痛いところを突いた。突き上げを受けた教育委員会は、通常の業務を行うにあたって支障が出る。日中は、私たちが絶えず抗議をするので、それに対応せざるを得ないからだ。
それが数日であれば持ちこたえるだろうが、何か月にも及ぶとさすがに根を上げる。
「予算の凍結はやめてくれ。現場がもたない」と各市町とその教育委員会は、県の決定に抗議する流れができる。
さらに長い期間に渡って続けば、県としても、予算の凍結の続行と、各市町の疲弊とを天秤にかけざるを得なくなる。
相手の痛いところを突けばいいというものではない。こちらも痛い目を見る覚悟が必要だ。というのも、現実的には、まずはこちらが痛い目を見る可能性が高いからだ。
上記の場合、県による予算凍結の撤回を求めて戦うにあたり、相手方に攻勢をかける必要があったわけだが――初期の段階が一番苦労した。まず、動員をかけても会員は集まりにくかった(当事者意識の欠如)。これがただの動員ではなく、緊急事態を打破するための闘いであることをわかってもらうために熱弁を振るう必要があった。この説得のための活動、すなわち県内の支部巡りに最も時間を要した。
人が集まり、相手方に攻勢をかけることができるようになったとして、最大のリスクがある。警察に通報されることだ。特に、要職にある者が動けなくなるのはまずい。敵にとっての追い風になる。
今回は、そうした事態が起こることはなかった。絶対に暴力行為や脅迫行為をしてはならないと、組織内で固く申し合わせをしていたからだ。
私が若い頃の解放運動だと、警察など介入する余地はなかった。デモ活動やオルグの最中に通報があって警察官が駆け付けたとしても、我々を見て尻込みをするのは当たり前で、あちらの方が逃げ出すこともあった。
それほどまでに、当時の私たちは気迫に満ちた政治(社会)運動をしていた。物事に対する「本気」というものが、警察すら怯えさせるほどに昇華されていた。
時が経ち、平成時代になると、部落に住む人々も豊かになったこともあり、ハングリー精神が見えなくなっていた。集団の気迫はすっかりと消えてしまい、周りから見ると――デモ活動の全てが滑稽なものに映るようになっていた。満たされた人間に政治運動はできない。それだけのことだった。
ところで、予算凍結に対する対抗策の実施にあたり、最大の懸念事項があった。
県と市町との連携だ。もし、予算凍結の議会答弁を打つよりも前に、県議会が各市町に根回しを行い、さらに我々を抑えるための手を考えていたとしたら、負けていた可能性が高い。
逆に言えば、同和対策事業に関する予算の凍結という重大事項について、事前に各市町と連絡調整をしないというミスを県が犯したからこそ、我々は勝利することができたと言っていい。
最後になる。
相手の痛いところを突くこと、その直近の事例としてミャンマーのデモを挙げたい。
アウンサン・スー・チーを頭に据える民主派が勝つにはどうすればいいだろうか?
武力では国軍に勝てない。ならば、「国軍は間違っている」というメッセージを、自国内と国際社会に訴えかけるしかない。
経済面ではゼネラル・ストライキを行い、社会面では民主的な思想や制度について啓もう活動を行い、政治面では大規模デモによって世界に窮状をアピールする。
アメリカがすでにミャンマーへの経済制裁を行っているし、世界的な空気として、国軍より民主派を推す声が大きいのは間違いない。
民主派のやり方というのは、それでいい。とことん大きなデモを打って、自分達の正義をアピールする。
が、その代償として、民主派は多くの命を失っている。つい先ほど、未成年のデモ参加者が銃で撃たれて亡くなったというニュースが飛び込んできた。先日のデモでは50人以上が亡くなったという。
民主派グループの中でも、指導者に近ければ近い者ほど、身体に危険が迫る。国軍にしてみれば、今が正念場である。世界各国からの評価が低下することを気にかけず、民主派の指導者層を徹底的に弾圧し、デモ活動を先導する者を少なくし、事態を膠着状態に陥らせ、軍事政権を持続させるとともに――軟禁しているアウンサンの自然死を狙うメリットの方が大きい。
もし日本が、ミャンマーのように危険な状態だったとして、あなたが立ち上がって戦わねばならなくなった時、どういう心構えで、どういう行動を取るべきだろうか? 相手の痛いところを突くために、どこまでのリスクを背負えるだろうか?
その問題に直面していたのが、私が生まれた時代よりもさらに昔、明治以降の被差別部落に暮らす人々だった。あまりに苦しい生活環境であるがゆえ、生存権を得るために戦わねばならなかった。しかし、どうやって戦えばいいのか?
多くの者が基本的人権を得るために戦い、痛い目に遭いながらも戦いを続け、そして今の、(経済的な意味に限っては)被差別部落問題が解決した現在に至る。
あなたの人生にとって、重大な戦いをせねばならない時がくるはずだ。その時に、どういった行動を取ればいいのか、当日記がその際の助けになれば幸いだ。
40代以下の若い人に向けて、このトピックを書いたつもりだ。あちらへ、こちらへとぶれた文章になって申し訳ない。読み返してみると、まとまりのなさに驚いている。ご容赦いただきたい。