はてなキーワード: ラブライブとは
というか嫌気がさした。
もうオタクで政治にコミットするのは心底いやになった。クソみたいな論客しかここには残ってない。自分はリベラル派の人間だったのだが、もう無理だ。付き合いきれない。
昔は善悪が分かりやすかった。石原慎太郎とか自民党とかそういうわかりやすい敵がいた。しかし、いまはリベラル派が敵になってしまった。一緒に石原慎太郎と戦った仲間たちが次々と、「オタクは女性差別」とか「オタクはネトウヨ」とか発狂しだした。
もう嫌だ。
かつては一緒に戦った仲間たちが、次々に、「オタクは差別漫画が好きだけれど、君はリベラル派だから一緒にラブライブ叩いてくれるよね? 宇崎ちゃん叩いてくれるよね?」と界隈全てに圧力掛けてくる。そういうクソのような同調圧力にはもううんざりなんだよ。へらへら笑って「そうだねー。オタクも気を付けないとねー」とかいつまでも一緒に笑って同意してると思うなよ。
お前らみたいな、安倍晋三に何回も手玉にとられてる猿山の猿と、いつまで一緒に愛想笑いを浮かべてりゃいいんだ。
俺は猿じゃねえ。もう飽き飽きだ。
ちょっとでも異論を唱えたら「ネトウヨ化」だの「冷笑化」だのうぜえんだよ。お前らのほうがよっぽど同調圧力じゃねえか。俺だっていつまでも大学出たての若造じゃねえ。いっつまでも大学で勉強した薄っぺらな学問知識だけで世の中を切って喜んでる生き方をしてられないんだよ。
お前らはいつまで学生運動やってるんだよ。そんなものは70年代で卒業してろ。
俺はただのオタクなんだよ。
自分の周囲にはリベラルな人が多く、自分もまたそうである。周囲からもリベラル側の価値観を持った人間と認識されている(恐らく)
当然、フェミニズムには共感的であり、現在の日本にある数々の女性差別に憤りを覚えている。
ただ、時々、きつくなる事が有る。
ツイッターでフェミニストの女性をフォローしている。知り合いも居るし、有名なフェミニストだからと言う理由でフォローしている人も居る。
TLには「時々」くらいの頻度で女性差別に関する話題や、発言が現れる。
それを見て自分は憤り、早く世の中から女性差別が無くなって欲しいと思う。本心からそう思う。
ただ、時々、きつくなる。
そこではいずれも男性が責められている。特定の個人に絞られている事もあれば、性差別的な男性や犯罪者に絞られている事、特定の性癖の持ち主や愛好者に絞られている事、または男性全体が責められている事が有る。
段々と、参ってくる。「参ってくる」と表現すれば良いのか、良く分からない、嫌な気分になる、脳が重く茶色くなる、だろうか?分からない。
理由もはっきりとは分からない。男性全体なら兎も角、ロリコンや(自分はロリコンではない)、痴漢が糾弾されているのに、そうでない自分がストレスを感じる理由は無い筈だ、
そう頭で分かっていても、その発言に男性嫌悪を感じ取ってしまう、被害妄想だ、(いや、しかし男性嫌悪を抱える女性は実際に存在するだろうし(それが正当な事もあろう)そこで男性嫌悪の感情を表に出すために痴漢を使う事も絶対に有り得ないとは言えないのでは無いか?)などと勘繰ってしまう、それ自体救い様の無い妄想なのか、1%くらいは合っているのかも、良く分からない。
そんな懊悩は全く見せない様にして、さも「私こそ完璧なリベラルでござい」って顔で、リベラルな男性を演じている。
オタクでありながらリベラルである、というのがどういうモノであるか、イメージを出来る人がどの位の割合なのか、いまいち実感は無いが、兎も角居る。
表では、フェミニズムによる表現への批判を分かったような顔で読み、同意を示したりする。そこには本心の同意もある。
女性を蔑視する様な表現は勿論公に出す事は許されない、ゾーニングするべきだ。女性を性的に消費するコンテンツは・・・・・
考えれば考えるほど、いや、そうじゃない、考えない様にすればするほど、分からなくなる。
私は考えない様にする、ゾーニング、しかし「公」とはどこまで?ネットも?民間の組織である赤十字も?コンビニも?どこまでがアウトなのか基準は?私刑では?BLは免罪されるのか、男性を消費する場合は、3次元は?ジャニーズは?objectificationをモノ化と訳すのは誤解を生まないか?元の論文ではobjectificationが全て悪いという話では無かったはずだが、では悪さの基準は?本当に巨乳の女性を叩いていないのか、実際に居ると本人がスクショを上げていたが、ルッキズムはアニメだけじゃなくジャニーズやBLやドラマや俳優やほぼ全てのテレビ番組や女性の好きなかなり色んなモノが該当するのでは?
・・・・そういう事は考えない様にする。
どうせ表には出せない、出せたとしても、何かしら上手く回避した説明や言い訳が返って来るだけだろう、そこで公正で偏りの無い答えが返って来るという信頼を自分は持てない。しかし、何故そんなにも自分はいつの間に色んな者に対する信頼を失くしてしまったのだろう・・・・。
宇崎ちゃん、キズナアイ、ラブライブ、彼方のアストラ・・・・他に何が有ったっけ?思い出せない、随分忘れっぽくなってしまった。
それらが次々に叩かれて、それに納得したり、納得できないのを考えない様にしたり、そうして納得したふりで遣り過ごして、を繰り返して。
疲れてしまった。
時々、TLにフォローしてる人がいいねしたツイートが流れて来る。
フェミニズムへの疑義や、控えめに矛盾を指摘したツイートを、あの人がいいねしている。あんなに普段リベラルっぽい人が、男性が、
とても苛烈な男性フェミニストをフォローしている。彼には私の様な迷いは全く見えない。妙ないいねも見たことは無い。
そんな彼が、最近、シスヘテロ女性やフェミニストによるトランス女性差別を厳しく批判している。
彼の態度は一貫している。私等及びもつかないほどリベラルな価値観をきちんと内面化している彼が何であろうと差別に厳しい態度を取るのは当然だろう、でも、
ふと、考えてしまう。彼もまた、フェミニズムによる男性批判に納得がいっていなくて、トランス女性差別はそんな彼の鬱憤を晴らすのに格好の機会だったんじゃないか?
多分、そんな事は無いのだろう、でも、そんな想像をしてしまう。
女性と話す事もあまり無い、仕事で話す機会もあるが、兎に角下心と思われない様に細心の注意を払う。リスクだからではない、私の様な男が女性に好意を持っている等と誤解されて、「キモい」と思われるのが怖いからだ。
私は女性が怖い。
「キモい」と思われる事が怖い、しかし、顔も、行動も、客観的に見れば「キモい」と思われても仕方が無い。
リベラルである事で得をする事は無い。当たり前だ、得をするためじゃなく、正しいと思うから、そうしている。
フェミニストっぽい発言をする時も、もちろんそうだ、それで得をする事は無い、ただ差別は有ってはならないという当たり前の信念の下に、発言をしている。
ただ、時々、分からなくなる、彼女らは俺より不幸なんだろうか?
地獄の様だった学生時代の苦しみが何も清算されぬまま、今自分は成人ヘテロ男性であり、つまり強者で、加害者で、抑圧者で、悪である。
学生時代の苦しみは、一体何だったんだろうか?あの時の加害者の中には女性もいる。彼女は弱者で、自分は強者である。
キラキラした人、美しい女性、充実した人生を送ってそうな人がフェミニストとして、男性を糾弾する。
俺は一体何なんだろうか?
ずっと罪悪感が有る。
石の様に残っているのではなく、スライムの様に、日々追加され、合体していく、TLを流れるツイートを見る度。
そう言う罪悪感を男性に持っていて欲しい女性と、そうでない女性が居る。両方居る。
片方の女性は「そんな罪悪感を持つ必要は無い」と言うだろう、でも、もう片方の罪悪感を望む女性には言及しない。ずっと、女性は見ている。
こんな事はツイッターには書けない。こんな考えを持っている事は周囲の人は知らない。迂闊ないいねは絶対にしない様にしているし、懊悩もおくびにも出さない様にしている。完璧にリベラルだと思われているだろう。
私はこれからも、リベラルを続ける、フェミニストを続ける。疑いも懊悩も表に出さない様にして、
既に若干病んでいる気もするが、離れるつもりは無い、そもそも正しいと思っているから続けている、正しいと思う物から離れる事は出来ない。
疑いを表に出して、例えば周囲の人に解決を委託する、という事もしない。
正直に言って、それが出来る程頭の良い人は居ないか、頭が良い故にそれが出来ない人しか居ないと思っている。
こんな長い駄文を読んでくれる人が居るかは分からないが、居たとして、
出来れば、この駄文を単純化したり、カリカチュアライズしないで欲しい。そういう風に書いた。できるだけ取り留めも無く、よって、感想もうまく考えられ無いような。
美白製品の一部を販売中止に。ジョンソン・エンド・ジョンソン、「Black Lives Matter」運動を受けた製品批判で
https://www.huffingtonpost.jp/entry/johnson-and-johnson_jp_5eedae7bc5b6c6ede74b575c
どう考えても「美白」は間接的な黒人差別だとずっと言ってきたのにお前ら見向きもしなかったよな
やっぱ俺は時代の先端を生きてたわけだ
アニメキャラもゲームキャラも漫画も白い肌ばっかだからキャラの半数くらい黒い肌にしないと差別だと言われても仕方ないよ
ジャンプキャラもホワイトウォッシュされすぎだしVtuberも白い肌多すぎの逆バナナ状態になってる
アズールレーンとかFGOみたいな特定の国が舞台じゃないゲームのキャラの大半が白い肌っていうのもダメだよ
しかしこうして見ると誰も彼も自身の権利や自由は主張する癖に他者については時には詭弁を用いてでも抑圧したいと考える様な人達ばかりだね。
過去には児童ポルノ禁止法で子供の権利を盾にして、単純所持規制やブロッキングと言ったネット規制を推進し、漫画等の創作物規制を推し進めようとしていた。
現在でも事ある毎に女性の権利や子供の権利を盾にし、性的搾取と称し、表現規制やゾーニングと称したものを行おうとしてくる。
当時は自民と一緒に昨今では野党支持者と一緒に表現規制を声高に叫ぶ傾向がある。
現在においても赤十字のポスターの一件やJAのラブライブコラボ等の騒動を度々起こす等の問題行動が多く、その行動が世間的にも問題視され始め、昨今においては事実上の反社認定を世間からされつつある。
主に当時の児童ポルノ禁止法において、表現規制やネット規制を熱心に行っていた人達。
上記のフェミニストとも関連性が強く、エクパット等の団体との関連性もある。
子供の権利委員会が勝手に行い、日本や米国からパブコメの意見にて問題視された国連のガイドライン変更の強行もそのエクパットの意向が強くあったのも事実。
思想的には右寄りも左寄りも中道の人間もいるし、その立場も様々。
当時はそれこそ烏合の衆と呼ばれ、たかがオタク如きと呼ばれ、政治家や政党からも票にならないと軽んじられていた。
また当時の児童ポルノ禁止法においてはそれこそ嵐が過ぎ去るまで頭を下げている人間も多かったのも事実であり、左側の思想の人間は現在でもその傾向が強い。
本格的に表現規制が問題視され始め、表舞台に立ち始めたのは都条例以降。
コンテンツ文化研究会やうぐいすリボン等のNPOが活動を始めてからまともに反対活動を出来るようになったのも事実であり、それまでは一般人を主とした反対活動であり、手探りであった為、間違った手法や逆効果の手法を行っていた事もあった。
ただ参院選の選挙以降、秋に漫画家が音頭取りをし始めた20年の著作権改正におけるダウンロード違法化拡大においては自民案が出て以降、急速にダンマリしだし、可決以降に関しては山田太郎議員を擁護し、規制の推進に賛同しだすダブスタをする人間も多く見受けられる。
また当時から自身の表現や言論の自由の為ならば、他の権利については切り売りし、ネット規制に賛同する傾向が見受けられるのは事実。
児童ポルノ禁止法の当時はそれこそ嵐が過ぎ去るまで頭を下げている様なスタンスであった。
また自民と言う権力と結びついて以降、著作権における海賊版対策と称したネット規制には熱心であるものの本来ならばそれこそ表現規制問題であり、漫画家とも関連性の深い国連子供の権利委員会の行った児童ポルノガイドライン改正には無関心であった。(国連の件に動いたのは一部団体と漫画学会である)
また上記にも書いた様に自民と言う権力と結びついて以降は著作権において海賊版対策と称したネット規制に熱心であり、海賊版対策に有効ではなく、ネットユーザーに対する問題点が指摘され、パブコメにおいても4000件以上、8割以上が反対しているダウンロード違法化拡大についても自身が音頭取りを行い、コロナ禍が起こって以降も緊急事態宣言の最中、藤末議員に要望書を提出する等を行い、更に6月において与野党共に全会一致で可決する事になる。
更に言えば、現在では凍結しているがブロッキングも行おうとしている節が見受けられるのはカドカワを見ていれば判る事である。
当時から著作権におけるリッピング規制やダウンロード違法化等の規制に熱心。
当時からパブコメにおいて大多数の反対があったとしてもその意見を無視して、一度規制が座礁しても同じ規制を何度も通そうとするほどである。
また昨今においてもパブコメの賛成意見を水増しをした疑惑やパブコメの意見誘導をしようとする等怪しい動きをする事も多い。
当時はフェミニスト団体等と一緒に児童ポルノ禁止法や都条例において単純所持規制やブロッキングと言ったネット規制を行い、漫画家と結びついて以降は特に著作権において海賊版対策と称し、ネット規制を推し進めたりしている。
また前回の参院選も一度は著作権のダウンロード違法化を凍結し、その時は賛成していた漫画家も急に慎重等と言い始めたものの参院選で山田太郎議員が当選して以降、漫画家が音頭取りを始め、山田太郎議員が座長になり、文化庁案を元にして、自民案が提出されたのは事実。
当時の児童ポルノ禁止法において、ネット規制や表現規制に対して熱心であった。
傾向的に自民の規制傾向に近く、その手の規制には賛同し、推進する傾向がある。
橋下氏がいた当時においても青少年条例における規制に熱心でネットカフェ規制も率先して行ったりもしていた。
児童ポルノ禁止法や都条例の当時は反対していたもののしばき隊騒動以降は一転、フェミニストと同調し、規制を推進する勢力となった。
特に共産党は赤旗にPAPSを掲載する等し、現行においては規制推進政党とみなされる程。
また立憲においても現在でも反対派はいるにはいるが、映画の件においてLGBTを持ち出し表現規制論を展開する議員等も存在。
そしてれいわや立憲の支持者には上記のフェミニストの声高に叫ぶ規制論に同調する人間も比較的多く見受けられる。
こちらはあいトリに関しては表現の自由を叫ぶものの漫画等と言った創作物表現については昨今フェミニストが起こした問題行動である赤十字のポスターの一件やJAのラブライブの一件を見ても規制を推進するスタンスが見られ、ダブスタの傾向が見受けられる。
当時から人権擁護法案と言った言論規制は熱心に進めようとしていた節は見受けられ、現在においてもヘイトスピーチ規制と称し、その手の言論規制を行う事には熱心である。
また基本的に表現規制やネット規制には与党と同調し、全会一致で通す傾向が強い上、今回においても当時は著作権問題に懸念していた川田議員や川内議員もノーリアクションであった。
基本的に他者を自身の思惑や得票に利用する事を考える人間が多く、その上政党のスタンスが転換した途端、平然と掌を返し、今まで協力し、一緒に反対していた人間であっても平気で裏切る行為をも行う。
しかし表現規制や言論規制、ネット規制に関してだけでもこの手のダブスタが存在し、野党もこの手の話題には全会一致で可決と機能していないも同然で、そりゃ年々投票率も低下するのも当たり前だと頷けるよね。
表現規制問題とかであってもこうなのだから、他問題においても同じ様な事になっているのは想像に難くないし、そりゃ政治に期待しなくなり、選挙にもいかなくなる人間が増えるのも当たり前だよ。
https://togetter.com/li/1533160
小泉しゅうすけ氏に質問を投げかけているアカウント(@shinri59565505)の他のツイートを見ると
https://twitter.com/shinri59565505/status/1259096933777338369?s=20
など明らかにフェミニストが言うとは思えないツイートが見られる。
その上で「おかしなことを言うフェミニスト」的なリプライも同時に行い、フェミニストの印象を下げようとしているのが伺える。
https://togetter.com/li/1526884
このtogetterに全部まとまっているが、元々アンチフェミニストアカウントのなりすまし。(というかネタツイのつもり?)
■胸を小さく手術しない女性は性を売り物にしていると言った人
https://twitter.com/amedas888/status/1219397253481271296?s=20
既にアカウントは消えているが反フェニズム的なリプライを送っていた痕跡あり
■ラブライブのフェンシングコラボを叩いたり嘘松っぽいツイートをしてた人
https://togetter.com/li/1487479
大きく話題になったのはこの辺りだと記憶しているがツイッターで「フェミニスト なりすまし」等で検索すると他にも色々と居る模様。
上記のような話題ははてブでも時々ホットエントリに上がるが、なりすましを指摘するブコメには殆どスターが付けられず鵜呑みにする人が多いのが現状。
完全に見分けるのは難しいが、「ん?」と思う発言を見た時にはこのような悪意あるなりすまし行為の可能性もあることを頭の片隅に入れておいて欲しい。
個人的には、現状は男性向け>>BL>夢>CPなし年齢制限なし>女性向け男女CPという認識。BL>CPなし年齢制限なし>男女CP≫夢のところもある場所もあるだろうとも思う。育ってきたジャンルで認識は大きく違うという感覚。男性向けと女性向け男女は違う印象。BL夢(男主)は観測範囲外のためよくわからないが、女主夢やBL、男女よりは下になる認識。感覚としてはCPなし年齢制限なし以外どこも殴り合っているため、きれいなヒエラルキーとは言い難いと思う。GL(百合)はよくわからない。属性としては女性向け作品によく入り浸っていて、男女が基本的に好きな夢やBLやGLもものによってはいけるタイプ。BLとGLだったらGLの方がよく見る、夢はCPなしのようなものの方が好き。乙女ゲームだと自分としてプレイするのではなく、ヒロインと攻略対象をヒロインの体からのぞき見する感覚でプレイする。プレイヤーがコントロールできる少女漫画として楽しんでいるともいえる。2010年くらいから同人を見るようになって、途中でpixiv一本になったROM専。認識にはpixivやツイッターの存在が大きい。
1、BLについて。乙女ゲームがきっかけで二次創作を知り、同じサイトで扱っていた少年漫画ジャンルも割と見るようになったりと同人サイトに入りびたりになった。乙女ゲームなのに攻略対象者同士のBLを見つけてしまったり、女性向けゲームの雑誌でBLゲームコーナーが多いのを知るなど個人サイト時代からBLの存在は知っていた。乙女ゲームがきっかけでpixivを知り、入り浸るようになった後に某少年漫画が流行し、ハマった。女性ファンばかりなのもあって、二次創作を見るとBLが圧倒的だった。主人公とヒロインにも萌えていたが、BL作品や作者に比べると圧倒的に少ないと感じた。それからというもの女性ファンが多めのジャンルだと、元がなんでもBLばかりで検索除外しようにもCP名しかつけてないのもあったり、女キャラをBLのために雑なキャラ崩壊させるのが多かったりするというのが閲覧者として多く感じた。原作での女キャラとの恋愛描写に文句を言ったり、想定以上の女キャラへのヘイト感情が高かったり、BL以外のCPにマウントしたり、単語の意味を乗っ取ったり、ネット上で暴れたりする人などマナーが悪いなと感じることや、それへの全体的な対処の雰囲気がないように感じた。おそらく人数が多いからマナーが悪いままの人もいるとは思うが、人数が多いからこそBLのヒエラルキーはかなり高いという認識。
2、夢について。個人サイト入りびたり時代に面白いと感じる夢にも出会えたが、ヒロインの存在乗っ取り系夢、年齢制限物でキャラ崩壊が過ぎるという夢もあった。利用していたサーチでは非ヒロインものが感覚としては多く、実質のところは夢の方が男女よりも多いと感じた。pixivを利用してからは夢に出会うことはなかったが、2015年の刀剣乱舞リリース以降よく見るようになった。夢とBLとのすみわけ論争が刀剣乱舞では起こり、それを見てBLは夢よりもヒエラルキーが上なのだなという感覚に陥った。現状では原作での恋愛描写やヒロインに文句を言ったり、ヒロインをうがった目で見たり、原作でのヒロインを無視したり、マウントとったりするなどマナーの悪い人が多く感じた。しかし、BLよりは性質上作者・読者が結びついているという感覚はない。BL夢(男主夢)に関しては非恋愛夢・友情夢を好んでいたために存在は知っているし見たこともあるが、男のオリキャラと原作キャラ(男)との恋愛夢に関しては存在だけは知っている状態。百合夢も最近知ったため、夢の同性間恋愛ものについては女夢主と男キャラとの恋愛よりはヒエラルキーが下という感覚。
3、男女について。ネットで悪名高い少年漫画の男女CPにはまることは少なく、感覚として苛烈ではない性質だと思う人に出会うことが多かった。基本的には公式で描写のある男女にはまることが多かったせいもあると思う。公式で描写のない男女にもはまることは多かったが、①人気があればそのルートが作られるジャンル、②キャラの恋愛描写には決して描かれないジャンル、③公式でフラグは立つものの作者のスタンスが公式化を狙ってないものが多い、と感じることが多かった。pixiv以降ネットで悪名高い男女CPをはじめとする男女CPの人のやらかし(原作メインヒロインアンチ、多方面でのマウントなど)や作品を聞いたり見たりするうちに、男女も性格が悪い人が結構いるのを知り男女CPは完全なるヒエラルキーの底辺とは言えないのだなと感じている。ただ現状のpixivでは夢やBLの人気がすさまじく、観測範囲の男女CPが夢と区別しづらいもの(主人公の個性が必要以上に出せないゲームでの女主人公ものなど)もあり、男女を名乗ってはいるが夢(女キャラの人間性を無視して、男キャラにしか萌えてないように感じるものなど)というものも感覚としてあるため、BLよりは下、夢よりも下という認識。
4、男性向けとCPなし年齢制限ありについて。男性向けは感覚として、オタクのイメージ=男性向け創作となっていると思う。商業的にも同人的にも女性向け作品よりも多大なシェアであるという認識。年齢制限分野の話になるが、性癖が男性向け方面というのを抜きにしても女性向け創作が生緩いものが多く使えないものが多いため、男性向け年齢制限>>>>女性向け年齢制限という感覚がある。女性向けがBL、夢、男女とシェアを複雑にしている中で、男性向けは一つのパイに集中しているという認識。CPなし年齢制限ありは、それ専門でやっている人をあまり見たことがなく、BL、夢、男女の人たちが書いているのを見ることが多かった。BLの人にマウントをとられたり、夢ではオリキャラ無双、男女ではヒロイン総受けの体のいい道具として、使われているのを見た経験はある。寵愛されるのがオリキャラか自分の好きな原作のある一人のキャラかであるという点が違うだけで、スタンスとしては同じだと思う。ただ二次創作が好きな原作を創造して書くものであるため、嫌ったり厭う人は少ない認識。BLが作品・作者・読者ともに多い分、人数差でヒエラルキーは負けるものの、夢や男女よりはヒエラルキー的に上だと思う。
5、GLについて。女性向けジャンル・女性ファンが多いジャンル(男キャラが多いジャンル)によくいるため女性向け百合は全然見ないか、BLのついでの処理の感覚がある。BLの処理とは原作で男←女だったり、まだフラグは立ってない良いなかの男女で、男キャラをほかの男キャラとくっつけるため別の女キャラとくっつけること。女キャラ同士に萌えたわけではないなという作品を見たことがある。BLっぽいということが、人気の要因となったGLCPもあるとは聞いたことがある。百合の意味をBL的な意味(受け×受け)に乗っ取られかけたりするなど、BLよりはヒエラルキーが下の感覚はある。男性向け界隈では、自分以外の同性(男)を見ずに済むためか重宝されているものの、本質としては男性向け男女(自分×キャラ)の代替の場合も結構ある印象。ただ同人作品としてみることは経験上少なく、一次創作のほうが多い。
BL、夢、男女どれかしか食べられない人、萌えるメインが存在する人、全部同じくらいに好きな人と様々だろうし、あるジャンルでBL書いている人が女夢主との恋愛を書いていること、男女を書いている人が女夢主を書いていることを見た経験もあるし、ジャンルによっては違うと思う。男性ファンが多く、女性キャラが多いジャンル(艦これやラブライブなど)だと、BLのヒエラルキーは男女(男性向け女性向け関係なく)よりは下に感じることもあるだろうし、女性ファンが多く、男性キャラが多いジャンルだとこっちみたいに男女のヒエラルキーをかなり下に感じるだろう。グラブルやfgoなどの両性をターゲットにしてどの層にもサービスを行うジャンルでは、ヒエラルキー差は強く感じないこともあるだろう。自分が被害を受けたことは忘れなくても、自分が攻撃をしたことは忘れているため、こっちがメインの男女のやらかしを過小評価、BLや夢のやらかしを過大評価している節も否定できない。
『テラスハウス』って恋愛リアリティー番組で自殺者が出たそうだ。
『テラスハウス』(やバチェラーとかオオカミくんのような類似の恋愛リアリティー番組)は番組構造がそもそも負の感情を前提とした事実上のモキュメンタリーである。
恋愛リアリティー番組という場ではこういう自殺沙汰がおこりやすいし、事実洋の西洋を問わずして起こっている。
で、ツイッターとかで反応を見ていると「番組は悪くない!○○(=SNS・誹謗中傷)が悪い!」という評判ばかり。
なぜ自分が好きなコンテンツのせいで被害者が出たことに関し、視聴者は他責的なのか。
番組制作者側も一定の責任を負うべきだが、そういう番組をのさばらせてきたのはほかならず我々視聴者ではないのか。
「自分が好きなコンテンツは社会的害悪が大きかった。だから今後は見るのはやめよう。」となぜ言わないのか。
なぜ好きなコンテンツそのものやそういうものが好きだった自分を批判せずに、それ以外の要素に責任を擦り付けて何事もなかったかのようにふるまうのか。
結局この騒ぎで可視化されたのは、残酷な仕掛けのバラエティと、それを支持し反省できない愚劣な視聴者の群れだった。
アニメや漫画の世界も問題だらけだが(今あげたのは一例に過ぎない)、このような作品に対する批判への返しも『テラスハウス』愛好者のロジックと何ら変わりはない。
Twitterでアジア人風のセーラームーンを描いた人が炎上させられている。
https://togetter.com/li/1519818
コメントをした白人にうんざりと言う人が多いが、絵の顔が醜いと直接クソリプを送りつけている日本人も居る様子なので冷静になって書いた人のツイートを見てほしい。
見ていたら結構本格的に日本のゲームアニメ文化やセーラームーンが好きな海外のイラスト書きさんみたいだし、なんの悪意もなく美人なうさぎちゃんを描いた様子なのに気の毒で仕方がない。
ちなみにこの海外のイラストレーターを晒し上げにしたこつよせは、以前もこのように海外のラブライブファンを晒し炎上させている。
ラブライブで晒された方は、自己紹介欄には可愛い女の子を書くのが好きとあったし、ケモナーR18アカウントも持つ日本のアニメが好きな海外オタクのようだったが、何で何年も前に楽しみのために書いたイラストが晒されたのか、アニメ風に書いたイラストは晒さずにこの画風のイラストばかり晒されたのかとても困惑している様子だった。
何度も悪意なくファンアートを描いただけの海外ファンを晒して炎上させているのはどうかと思う。
以下翻訳
↓
まず第一に私はセーラームーンを「日本人」のように見せるとは決して主張しませんでした。
また、すべてのアジア人がそのように見えるべきである/すべきであるとも言いませんでした。
少なくともこれはフェミニストの人たちも認めろよ。それが問題であるか問題でないかの解釈はその後だ。
この事実を認めたくないのかどうか知らんけど、話題そらしみたいなブコメばっかり並んでるじゃねえか。
フェミニストじゃなくて君たちが反論すればいい。フェミニストに頼るなみたいなのが反論になると思ってる人もいるみたいだけれどそれは文章読めませんって言ってるようなもんだろ。
元増田が言いたいのは
箕輪の件に反応しないというだけでフェミニスト全体が批判されるのはおかしいが、岡村の件で暴れまわってたのに今回ダンマリな連中はクソダサスネ夫だってことだ。
こういうやつらは岡村のように反論できない弱い立場の人間をいじめるのを楽しんでるだけで、箕輪に対しては手を出したら反撃が怖いから黙ってるっていうクソダサスネ夫だ。
あれだけ岡村の件で騒いでたのに現時点でまだ箕輪に対して文句言ってないやつはどれだけ言いつくろおうが信用はできんよ。
周りの顔色をうかがいながら発言してるだけのキョロ獣にすぎないのだから人間のフリして人間の人権の話とかすんじゃねえ。まず人間になってから出直してこい。
ラブライブポスターの時もそうだったが、この手の人の「広告」とか「公共」に対する批判の時だけやたらとノリノリでしかも声がでかくなる理由ってなんやねん。
現実の被害より失言や問題のある広告ばかり叩く理由が全く納得いく説明がない。
解釈問題だからって、事実関係が間違ってても言い逃れできるから?
・実際の被害者がいる場合は抽象的な被害者と違って梯子外される可能性があるから?
こういう情けない理由で箕輪を忌避してるくせにしょうもない言い訳してんじゃないよ。
行為の程度問題として、強く批判されるべきなのは箕輪さんの方であることはだれも否定できないだろ。
少なくとも岡村さんに対して番組降板の署名運動までした藤田孝典・勝部元気およびその周辺の人はちゃんと署名活動しろよ。なあ?
お前ら行動に一貫性がなさすぎんだよ。 なんでも雰囲気とノリだけでやってるからそういう意味不明なことになるんだよ。
ラブライブポスターで傷つくときは明確に被害者がいて、加害者はオタクやら男社会がーということにしたいみたいだけど。実際の事件では自分たちは加害者でも被害者でもないという顔をしだすのは何なの?なんでそこだけ急に理性取り戻してんの?お前らラブライブポスターで傷ついたっていう具体的な被害者を提示できず自分たちが気持ち悪いしか行ってなかったしその逆に批判で傷ついたって言ってた人の声全く無視してたじゃん。実際の事件でもそのあーあー聞こえないぶりを発揮すればいいのになんで急にまともになってんの? オタクなめてるからだろ? そういうところがオタク差別だって言われることに気づけよ。 なんでも雰囲気とノリだけでやってるからそういうことに気づかないんだよ。
こういう「全然わからない。俺たちは雰囲気でフェミニズムごっこをやっている」なバイブスで盛り上がってるだけの連中はいい加減そのことくらいを認めたら?
「ラブライブ!」の新シリーズのビジュアルが発表されて、ラブライブのファンたちが熱く盛り上がっている。
アイカツ!ファンの私はそれを横目に見ていたが、その中で「ラブライブというよりアイカツっぽい」という意見がある程度シェアされていることが気になった。
私のようなアイカツシリーズをずっと見続けている人間からすると、その意見は全く予想外の方向から飛んできた不意打ちのような言葉であった。
私はそのビジュアルを見てアイカツっぽいとは微塵も感じていなかったからである。
私の身近なアイカツファンもその新シリーズがアイカツっぽいと言われることについて違和感を覚えている人が多いようであった。
「似てると思ったらキャラデザの斎藤敦史さんはアイカツオンパレード!で原画描いてた人だ、そりゃ似てるわけだ」という意見も見たが、原画マンというのは基本的に自分の絵柄を出さずに設定に従って描く仕事で、何なら自分の絵柄を出したら作画監督に修正されてしまう仕事である。そもそも一つの話数に参加する原画マンは10人以上いたりするわけで、この論理は少々厳しいというほかない。残念ながら。
「スタートゥインクルプリキュア」が発表された時もアイカツっぽいとは言われたが、「スタートゥインクルプリキュア」のキャラデザは高橋晃さんで、アイカツシリーズの多くの話数で作画監督を務めていた人物である。絵柄や作画の質の統一を担う「作画監督」であれば、絵柄が似ているとの指摘はある程度筋が通っているものである。(そもそも高橋晃さんはプリキュアシリーズの方が長いので、アイカツの高橋晃作監回がプリキュアっぽい、と言ったほうがよい)
とまあ、ぐだぐだ書いているが、結局は主観の問題であり、他人の感性を否定しようとすることはナンセンス極まりないものなので、ことさらに主張しても意味がない。
そして、プリキュアにまで思考が広がったあたりで「アイカツよりもプリキュアのほうがよっぽど“プリキュアっぽい”って言われてんだろな」と思い至った。
カラフルでかわいい絵柄の女の子に対して「プリキュアっぽい」と言われるたびに、プリキュアファンはなんともいえぬ思いを抱きつづけてきたのだろう、と。
人間、自分の好きなものに関することにはとことん敏感でこだわりが強いが、専門外のことについてはテキトーな認識になりがちなものなのだ。
この件については「全然アイカツっぽくねーよ!」と反発するよりも、「“アイカツっぽい”というあやふやな認識がある程度通じるほどにはアイカツ!は世間に浸透している」と考えてうんうん頷いているほうがよい。
ツイフェミはもちろん苦手だけど、Twitterでいちいちツイフェミの言うことを取り上げて叩いてるアンチフェミも苦手だしフェミと同じく病気に見える。
というかあの人たちは、自分たちはツイフェミと戦ってるという認識らしいけど、何か成果出してるの?
2つ悩みがある。
1つは、最近エロ絵を描いている度にフッと冷めて絵の仕上がりが悪くなった。仕事でやっていたりするので冷めるとヤバい。
一度冷めると3日位仕事にならんくらいにウンザリ状態が続く。その間に仲間の作家はどんどん絵を仕上げているというのに。俺は進まない。
2つ目は、特定タグの絵は評価が多いのに他の絵になると途端に興味を惹かれなくなりやる気が消え失せる。
主にデレステ関係の一般絵を描くんだが一度描けば半日で1万いく位の評価がもらえるのに、全然関係ない作品(でもメジャータイトル)を描いても千すら越えない評価で終わることがある。
例えば鬼滅の刃なんかは話題のタイトルだからと描くが、まったく興味を持たれない。エロ絵にすると速攻で1万近くいく。一般絵で興味をもたれたい。
正直な所、エロなんかはラフを描くだけで5~6000の評価はもらえる。ラフなのにだ。どんだけエロに飢えているんだよと思うことはある。
評価してくれるし嬉しいのは間違いないのだが、一般絵は興味を持たれない。デレステだけは一般絵を描くと高評価になる。一度ラブライブと艦これも描いたがあのへんも一般絵の評価は高い。
それ以外はエロじゃないと興味を持たれない。あー、俺はエロ以外じゃ評価されないんだなーと落ち込む。
もちろんこれだけ評価もらっているんだからありがたい。絵を描き始めた人や描いているがなかなか評価をもらえない人と比べればぜんぜん違うし、今頑張っている人も増えるよう頑張ってほしいと思う。
こんなふうに落ち込んでいる。
まあ…たぶん自分の中で一般絵で勝負したいという自分と、評価はもらえて当然という感じのグルメになった自分が戦ってるんだなあ。
エロってちょろいジャンルなんだよ。その反面で一般絵を描くなら身体の動きや質感を覚えるのに大事なものではあるんだが、これを仕事にすると前述したような悩みが生まれる。
フッと冷めるのは仕方ないと思ってる。倦怠期みたいなもんだから。
ただ…一般絵の評価は堪える。全然興味を持たれないのは辛い。ある意味で初心者の頃を思い出す。誰にも見てもらえない時のあの辛さを思い出すのは痛い。
(普段『岡村』と呼び捨てでTwitter等で書いているのでこの増田でも『岡村』で行かせていただきます。)
俺は宇崎ちゃん献血コラボ問題のときに気持ち的には(別にこのくらいよくね?)と思いながらも何もせず傍観するだけだった。
えきのみちかの時もそう。
俺はナインティナインのオールナイトニッポンからのリスナーでずーっとラジオを楽しみに聞いてきた。
当日もリアルタイムで聞いていて当該発言もなんの違和感もなく笑っていた。
Twitterも見ていたが問題視するツイートはみかけなかった。
とにかく言いたいのはリスナー内ではなんの問題もない発言だったのだ。
放送から3日たった日曜日、藤田孝典という(昔ZOZOの前澤とケンカしてたなー)くらいの印象の人が岡村をポリコレ棍棒で叩く記事を書いた。
後々書き起こされた文章を見て怒る人に俺は腹が立った。
普段聞きもしないくせに書き起こされた文章だけ見て叩いてんじゃねーよと。
俺も反論をしたがフォロワー少ない人間の意見などあまり響かない。
もちろんフォローしているラジオリスナーたちも岡村はそんな人ではない、ラジオを聞いてから判断してくれ等々反論をしていたがやはりポリコレ棍棒の大きな波には勝てなかった。
俺の中に悔しさと怒りの感情がこみ上げてきた。
「またフェミニストが暴れてる。アニメの次はラジオ。もう止まらんな。時代は鬼に金棒ならぬフェミニストにポリコレ棍棒。」
俺はアニメにはあまり興味がなかったけどポリコレ棍棒には反論しておけばよかったと後悔している。
アニオタの中には「今反論しないと今度はお前が好きな物までポリコレ棍棒で叩かれるぞ!」と警告してくれる人まで居たのに。
今ポリコレ棍棒に対して(別にこのくらいよくね?)と思いながら何も行動していない人に言いたい。
元々増田の言及が(元々くすぶっていた不満ではあったが)端緒だった某界隈の某炎上案件。
自分はなんで当該人物があそこまでやたらアクティブでむやみやたらに目立つのか(しかしなぜか既視感がある)がどうにも疑問だったが
なんとなーく見た「はてな村奇譚」と、発掘された当該人物のFBやらインスタやらはては2013年ごろからのはてダを見てようやく何か理解した気がした。
はてなでよく見る文章は飄々としたもの(イメージはなんとなくレンタルのひとと旧職?が給食提供会社のひと)、理詰め論理説明がちがちなもの(イメージはアルファでインフルエンサーなひとたち)、意識高い系なものがあるなと考えていたが当該人物のはてダは最後の分類だった。妙な空白とか古のテキスト系サイトのようでありながらちょっとオサレ感(死語)がある文章だなと思っていたら自分の中での「はてな系」の文章ではあった。ので、理解した(共感は全然しない)。
797記事もあった。
記事には思い出したようにコメントがあったりするがブクマはほぼない。
はてなで書いてて全く反応が見えないのは承認欲求がどんどん肥大するばっかりであったのではないか?
ただなんとなく当該人物のパーソナリティからくる文章はひきつける何かがあって、好んでいる読者もいたようだ。
美大出の空間デザイナーで趣味はロードバイクで遠出したり写真撮ること、みたいな人間は承認欲求とは無縁だったような(リア充のイメージ)感じもするがこの反応の枯れたはてダを見る限り誰かの承認がずっと欲しかったのであろうと思われた。
60000円のドローイング集を見る限り、空間デザインとして働いていたのは事実で素人目からも描きなれているように見える。
当該人物はもとから「物体ばっかり」描いてきてあんまり人物画には興味がなかったのだろう。
はてダは2017、2018と記事が減っていて、その減った分炎上案件に時間をつぎ込んでいたと思われる。
「そこ」では投稿するたびにいいねがつき褒め称えられリアルであえば誰もがほめそやし持ち上げてくれる。
きっと天国みたいな感じがしたのでは。
いや、そんなの誰だってわかるよという話ではあるのだが、承認欲求にも種類があって、「空間デザイナーでリア充っぽい趣味の人間が【簡単に】承認欲求が満たされるから『それ』に手を出した」というわかってしまえばすごくイージーであまりに対象を軽く見ている(そして別にそれはなんだってよかった。ラブライブとかでも)という事実から浮かび上がってくる承認欲求から来るものだったのだ、ということが理解できたということだ。
作品やキャラクタにどう向き合おうと個人の自由ではあるが、当該人物のこういう態度は自分の好むスタンスではない。
なんで『それ』をし続けたのか。
"「簡単にちやほやされるチョロい界隈だ」と認識していたから"
疑問に対する回答が得られた。
それだけの話ですっきりした。
…良く考えたら地獄にいるみたいな話だな。
増田での最大の楽しみはポリコレバトルウォッチである。そう考えているのは私だけではないはずだ。過激派フェミニスト・子供部屋アニオタ童貞おじさん・キモくて汚くて金の無いおっさん等々の玉石混交な人々が自己の価値観をぶつけ合うバトルは、現実社会で行われる会話や議論に比べたら非生産的で意味の無いことだ。しかし、当のバトラー達が綴る文章は世界の破滅を示す黙示録であるかの如き筆致であり、「日本死ね」等の言霊の扱いに数多のウォッチャーが打ちひしがれてきたことだろう。
私はそうしたバトルを眺めるだけには飽き足らず、脆弱な理論で書かれた愚痴を正論ストレートの反論でぶち砕き、堅牢な理論に対しては間違った反論をわざと書いてその身を炎上の燃料にしたこともある。その際には憂国ネット右翼から革命的左翼まで様々な人格を演じて増田を盛り上げてきた。こうしたことができるのも増田のメリットだ。Twitterでは過去の発言と比較して矛盾を突かれてしまうし、匿名掲示板であっても5ちゃんねるのようにIDがあると自演乙と一蹴されてしまう。
しかし最近の増田は一体どうしてしまったのか。このご時世私は外出を控えているので、必然的に増田に入り浸る時間ばかりになるが、新型コロナに対する日常生活の不安や政府批判ばかりでつまらない。そんなことは真っ当なメディアで扱えばいいことであり、匿名による怨嗟の声が蔓延するバトルフィールドである増田に好ましくない。ほんの一二か月前は宇崎ちゃんやラブライブのイラストでフェミVSオタの熱いバトルが繰り広げられていたのだ。一枚の絵画で激論バトルをするなど教科書に載るレベルの歴史的美術品でもできないことを彼ら彼女らは増田を舞台に繰り広げていたというのに、今はすっかりいなくなってしまったのだ。