はてなキーワード: プレッシャーとは
家族とか友達とか、身近な人が亡くなると、鬱っぽくなる人がよくある。
じゃあ、お葬式に関わることの多いお坊さんって、鬱っぽくなったりしないのだろうか?
もちろん、都会の商業的というか、お葬式の時にしか接点が無いような場合にはショックもなにも無いだろうけど、田舎とか、檀家が支えてるようなお寺はどうだろう?
月に一回は檀家の家に行って、月命日のお経を上げ、月に何回か、法話日とか法要日とかでお寺に地域の人を集めたり、場合によっては、書道教室や子供会なんかを開いてる、ある意味理想的なお寺のお坊さんの場合を考えると、実は結構しんどいんじゃないかと思う。
地域に根差した活動をしてるお寺は、その地域の人達のことは知り尽くしてるだろうし、年の近い人達には、きっと仲間感を持ってるお坊さんが多いはず。
でも、地方は間違いなく衰退している訳で、高齢化とかの現実を考えると、ひょっとしたら、立て続けに同年代の檀家を亡くすお坊さんも多いんじゃ無いだろうか?
そうした場合、身近な人が亡くなるショック、自分がお経を上げないといけないプレッシャー、そして収入源も絶たれるという三重苦に悩むことになるわけで、鬱っぽくならずに過ごす方が難しいくらいの感覚になると思うんだけど、どうなんだろう?
坊主丸儲けとか、お坊さんを揶揄する言葉があるけど、現実問題として、人口減少時代には、お坊さんのメンタルケアが必要かも知れない。
いや、褒めてんじゃねーかよww
誤字脱字一切なし、祖母の介護で留守がちな母と受験のプレッシャーの中で自己と父の関係を冷静に見つめ、病的な父に毎日の如く数時間正座させられ難詰されつつも――、
ろくに
多大な非
叱責に関してはすごく不当
烈火のごとく
抗議の声を上げれば大きな吼え声で遮られる
過剰な反応
干渉が過剰
頻繁に様子を見に部屋に立ち入る
もどかしさや焦り
情景がおぼろげに
叱責の頻度
感情はねちっこく反芻
この程度のことで手をわずらわせて
等の形容を使いこなし、1541文字25行にも渡って窮状を訴える18歳の女子高生。文章的な破綻は一切ない。
デビュー前の綿谷や金原の文章読んだ事あるか? あれ以上だぞ?
この思考力、そして客観視とアンビバレンツなまでに感情から遊離した語彙。
考えられるのは離人症だが、そうした人間の文章にしては余りに理路整然とし過ぎている。
興味深いのはそうした中に垣間見えるふつうの(少し幼めではあるが)表現だ。
ただいまの声が暗かった
目がヤバくなっていて
父がヤバい
これまではウワーと怒鳴られても
なかったかのようにケロッとしている
怒られすぎてどうにかなっているのだろう
家に帰るのがツラい
ツラいことにはツラいけれど死ぬほどツラいわけではない
上記の形容は父が絡む関連で内的に権威化されていることから生じており、下記は主観寄りである為に年齢相応な可能性もある。
それにしても最終的に、この程度 としながらも拠り所がスクールカウンセラーであり、それにすら及ばないという発想はなんなのか?
よーするに俺としちゃ理解に苦しむワケよ。もう歳なんだろうねw 最近の若い子の自己表現についていけてないんだよ。
部屋によく来るからうっとーしい顔をしちゃっててそれでパパは私に見下されてると思ってる、なんてのは娘の切ない父への慕情すら拾えるが、その父へ叙述が前掲上記ってのがまたスゲェ。
思わねーか……? どういう子なんだ? この子、ってさ。
語尾やかな漢字もおかしいが、一番不思議なのはセクシャルな表記が全くない点なんだよな。
よく読むと愛と理性、としながらも、この子の父は怪我が残らないような暴力は日常的に行っている可能性があるんだよな。数時間の正座込みでさ。
手を上げられる前に泣くけどそれがイラつかせてるかもしれない、ってんだからこれまた泣ける話だが、その辺をヤバイ形相で振り上げた新聞に母が叫んでるってのに重ねるとこう思うんだよ。
「アンタに毎日振り上げられてんのって、本当にただの新聞紙なの?」
ってな。
介護で毎日いない母、そして二人きりの家で自分をゴキブリのように何度も叩く父。
こうやって書くと「男はすぐそういう話にする、そういうのがさぞかしお好きなんでしょう」みたいのが沸いてくるが、率直に言って本当に理解できないんだ。
何がムカつくってこうやって細かく読み込んだだけで「若い子が気になるのね」とかって意見がすぐに出てくる事だが、こうして書くまではババァの創作四苦八苦か暇なSEの文章修練だろうと思ってた。
でも、これだけ破綻のない文章を書いているのに思春期の父親に対する反発が一切拾えないのは逆に不気味ですらねぇか? と。
そういった魅力が全くないタイプであれば、杞憂に過ぎないかもしれない。
一貫校で自室持ちなら両親にそこそこの収入も期待できそうだし、教育方針で激論するんだから所謂底辺家庭ではないんだろう。
世間にゃ殆ど反抗期がなかったって大人も割といるし、イマドキ4,50代で新聞紙説教オヤジってのもナンだが田舎ならWifiすらない地域もざらだ。
しかしどーもなぁ……、って思ってるんだが――、
ゴミみてーな増田のアフィステマアンケート群の一つ一つをこんな風に読んでたら幾らあっても時間が足りゃしねぇし、常連どもは勝ち逃げか派閥作りって風にしか見えねーしな。(読みも浅ぇしw)
そもそも商用のアクセス集め文章と本来の書き捨て名無し日記である内情吐露は全く読み方が違うんだよ。マジメに読むほうが馬鹿を見るだろ? 真偽なんか分からねぇんだから。
っつーワケでこんだけ書いといてナンだが、途中で放り出して俺は自分のやるべき事をする。後はもうこのエントリには書かねぇ。文章書きってのは読み辛くてループを仕込んだスパゲッティソースを他人に叩きつけて時間を奪い、その間に自分は別のコードを書くって最低な人種なんだよ。目的も分からねぇソースコードの解読なんぞにいつまでも付き合ってられるか。(笑)
悪いとは思うが謝りもしねーぜ? じゃーな。
今まで、見ないふりしてきたけどやっぱり今の自分の状態はおかしいよね。
新卒で入ってから7年、いまの会社でエンジニアとして働いてきたけど、仕事をしていて幸せだと思ったことがないです。ただずっと辛いだけでした。初めての会社だったので頑張って続けてきたけど、もう限界みたいです。
次の会社を見つけないといけないけど、どうやって探せば良いのか、まだよくわかっていません。転勤がなくて、残業の少ないところが良いなあ。給料は安くて良いや。
今みたいに常に何かに追われながらプレッシャーを背負い続ける仕事はもうしたくないです。人間らしい生き方がしたい。そんな仕事あるのかな、ゆっくり生きたいな。できれば誰かを助けることが出来る仕事がいいなあ。
これから考えなきゃいけない事が沢山あるけど、今日のところは早く寝ます。トラバ、ブコメくださった方々、ありがとうございました。
意外にブクマされていて驚いた。
引きこもって一人ぼっちで居た。そしていまもそうだ。
実家に帰ると、田舎すぎて辛いので便利な都市部で一人暮らししている。
最初のうちはすごく辛かった。
入院中は頭のネジが飛んだ人たちに常に警戒していたし、
常に誰かが周りに居たから、本当にひとりぼっちになって初めて、
二週間くらいして、ようやく一人で起きて、
一応、病院には通院しているし、カウンセリングも週に一回あるとはいえ、
それだけだ。
なんだかいろいろ涙もろくなって、ツタヤで借りてきた映画でボロ泣きしたり、
アベマTVで放送されていた昔のアニメを見てガン泣きしたりしていた。
ひぐらしのなく頃にで泣くとは思わなかった。
そしたら、そんな僕を見かねてか、
久々に飲もうよという話になった。
ふだん行かないちょっとオシャレな街へ行った。
家とスーパーと駅前くらいしか行かない僕からしたら、すごく新鮮だった。
同じ分野の仕事をしているのでAdobeのソフトの話で盛り上がったりした。
医師や親や周りの人は、
「焦らずゆっくり治していきましょうね」
と口をそろえていうけれど、
僕は自分が嫌いで嫌いで仕方がなく、なんにも生産性がなくてテレビや動画を見てるだけのクソ野郎だから死んだほうがマシだという思いは、入院する前から変わらなかった。薬を飲んでもその想念は取り払われない。せいぜいよく眠れるようになったくらいだ。
話を戻して、僕はその部活仲間と飲んだ後、
「またね」と別れた。
たったそれだけのことなんだけど、
「僕はここに居ていいんだ」
と思えた。
そういうちゃんとした人とコミュニケーションをすると、うつが治る。
「〜〜だと辛いでしょう」「〜〜は闇だからなあ」とか、
ネガティブな話題を引き出すことにかけては天才的な人もいるが、
逆に、その人の前にいるだけで、明るい考えになる、そんな人もいる。
幸せだからこそ余裕があって、そのおすそ分けをうけているんだと思う。
仕事の現場で常に感じていた「出来ないやつは切る」という緊張感。
利害関係のある人としかコミュニケーションを取っていなかったからだと思った。
僕のことを気にしてくれていたという事実が、本当に救いになっている。
あれからも僕は一人暮らしで、基本的にスーパーと自宅の往復だけど、
少しずつ前を向けている気がする。
今は一人ぼっちでもへいきだ。
ふだん行かないところに少し足を伸ばしたら、自分が少し誇らしくなる。
その人に笑顔を引き出せるような人になりたいなあと思った。
なぜか古いエントリが流れてきた.
放置系ブラック研究室で楽しく生きるにあたって - 糞ネット弁慶
今までこの研究室では,これが研究だという指針があったものの,いかに井の中の蛙だったことを思い知った.
どれだけ頑張っても指導できる先生がいないので,論文を書いてもリジェクトされるのである.
放置系ブラック研究室の特徴は,先生が口先だけで何もやらないのである.
酷いところでは,院生や学生に自身の学務に関する仕事を代わりにやらせるケースもある.
先生が何ら自発的にアクションを起こさないため,院生が必死にアクションを起こさないと卒業できない.
これには院生にも原因があり,卒研生は誰ひとりとして院生の研究を把握していない.
院生も研究の仕方がわからないので,卒研生にプレッシャーをかけることができないのである.
挙げるだけできりがなく,私が受けたハラスメントになってしまうので一旦止める.
甘い蜜で誘い出すが如く,
言っている先生はかなり怪しい.
水素水には2倍の水素が含まれているのと同じで,言い方は間違っていないが真実ではない.
まず院生が育たない.
学部生の延長線上で教育を受けた院生が,果たして院生になれるのだろうか?
学部生に対する世間の期待はそこまで高くないが,院生はそうも行かない.
ましてや,先生が先頭立って「これが研究である」と言ったら悲劇である.
学生は簡単に騙されてしまうので,先生が言ったことは掛け値なしに信じてしまう.
先生は「院生になると学部よりも成長する」とか言って院進を誘い,その結果がこれである.
騙された私が悪いと言えばそれまでで,正直なところ生活が苦しくてもJAISTかNAISTに行きたかった.
なまじ成績が優秀だったので慢心したか,同じ研究室に院進してしまった.
先輩よりも良い研究にしたい気持ちで研究したが,副査の先生に壮大にディスられた.
既に博士課程進学は決まっている時期で,研究室の間違いに気がついても遅かった.
結果的に私は博士課程に卒業し,とあるツテで某大学の助教になれた.
しかし,卒業には6年かかったし,助教が決まったのは4年の時で学費を払いながら仕事をした.
外部の先生に論文の添削や指導をお願いして,共同研究という体で何人か先生の名前が論文に載っている.
他の一般的なレベルの院生のコンテクストを持ち合わせないので,だいたい話が通じない.
学会発表つれーとか,実験が忙しくてやべーとか,言われてもわからない.
年に1回温泉入るだけの学会は楽ちんで楽しいし,アンケート取るだけの実験は忙しいとも思えない.
そのギャップに不安がる気持ちは放置系ブラックあるあるの話だ.
もちろん,修士研究のお作法もわからないので,修論発表会でボコボコにされる.
意味不明な発表で凄く高度に見せかけるテクニックを使った院生は無事卒業できた.
卒研の内容をそのまま修論で出した院生もいたが,受け答えが物凄くしっかりしていて卒業できた.
果たして,このような研究をやって社会に放り出されるのは良いのだろうか?
学生にとっても良くないし,大学にとっても良くないし,社会にとっても良くない.
もちろん,研究もわかってないので,ハチャメチャな論文を書かざるを得ない.
博論審査に必要な論文数を達成できなくなるので,自動的に卒業が決まらないのである.
私は学会発表で知り合った外部の先生に頼ったが,そうしないと論文を書くための初歩的なテクすら身につかない.
Google検索は最良の教師にはならず,論文を書くためのノウハウは誰も公開していない.
よそに移るのが望ましいが,転学は学会発表をたくさんやって先生と知り合いになるしかない.
冒頭で提示したエントリは,そもそも放置されてるので自由にやることを提案している.
優秀な学生は自由にやらせるほど技術的なスキルの向上は見られるが,研究者として致命的である.
私も修論を自由にやったが,副査の先生にボコボコにされるまで何が悪いのか気づかなかった.
技術の必要な分野であれば,修論なんて提出するだけなので就職にはほぼ影響ない.
博士進学を考慮しているならば,自由にやることはおすすめできない.
よく2ちゃんねるで寿司屋の蛇口が手を洗う場所と言って憚らない人がいる.
指導教員が昔からそこで手を洗う人で,学生にもそこで手を洗うと教える.
みんなで寿司屋へ行くと「熱い! 熱い!」とか言いながら大真面目に手を洗っているのである.
大学の研究室は寿司屋の蛇口で手を洗う事態になりやすいところで,よその様子を見るまで気が付かないのである.
冒頭のエントリでは,何を目的として何をするか,自分が恥知らずだったことを気付いた学生の視点で展開している.
しかし,自分でやるということは,1年間で論文20本読んだ偉い! という気持ちになりやすく,「論文は週5本読むのが普通」とか言われてしまうとアイデンティティが非常に揺らぐ.
経験者として言えるのは,寿司屋の蛇口で手を洗ってないか,それとなく確認すること.
自分は優秀だからって一人で研究ごっこやってたらうつ病になる.
(人間って面白くて,週に1回しか人間と面会しない状態が続くとうつ病になるらしい)
(お前が悪いと非難されたこともあるが,大学に週1しか来なくて年収1500万超えてて毎日遊んだ報告をFBに上げるお前には言われたくない)
ちなみにディズニーランドに閉園までいると彼女の住んでいる地域は田舎のため終電を逃すのでその日は俺の自宅に泊まる事になった。
親父は仕事でいないが母親と弟は家にいるからちょっと恥ずかしかった。
家に着いた時刻は0時を超えていた(ディズニーランドを22時に出たため)
とりあえず疲れてるのでお互い布団でゴロゴロした。
彼女は携帯でブログを更新するため1日の記事を書き込んでいたり俺の中学の頃の卒業アルバムや浦安鉄筋家族というマンガを見てゲラゲラ笑ってた。
お互い真夏だし汗をかいていたのでサッパリした。そして疲労から睡魔も襲ってきた。
お菓子を食べながらしばらくは話してたが結局寝る事になった。人生で初めて女性と寝る事に俺は興奮していた。
彼女は「寝顔見られたくないから見ないでよー!」と言ってきた。
俺はわざと寝顔を見ようとし彼女は照れながら抵抗した。
結局しばらく寝ないでじゃれあってた。
しばらくして彼女が手を握ってきた。
童貞である俺は「キスしていい?」とさりげなく聞いた。 次の瞬間彼女は俺にキスをしてきた。
ちなみに初デートの時にキスをしてるからこれはファーストキスではない。でもやはりドキドキはした。
しばらくして俺は異変に気づいた。なんと彼女は舌をいれてきたのだ!
「舌入ってるよ(笑)」俺は頭が真っ白になりこう言った。
彼女は「やだ?」と聞いてきた。とんでもない!!!と思い今度は俺から再びキスをした。勿論自ら舌を入れた。俺は17歳にして人生初のディープキスをした。
お互い夢中で抱き合いながら舌を絡ませてた。
キスだけで30分以上してた。勿論だが所々で無言の休憩を挟みつつね。
もうこの際言ってやった。「胸が当たってるよ(笑)つうか大きいし(笑)」と。
俺は彼女の背後に周りブラジャーの上からオッパイを揉んだ。 この時はフルボッキでチンコが爆発しそうだった、そうシコらなくても射精しそうなくらい。
途中で勝手にブラジャーを取り生でオッパイを触った。乳首もつまみまくった。
俺は背後から前に移動してついに彼女のオッパイを初めて生で見た。
乳首が薄ピンクではない事にやや萎えたが彼女の喘ぎ声に完全にやられて俺は半分壊れていた。
もうどうにでもなれと吹っ切れて乳首を吸ったり噛んだりもした。彼女の喘ぎ声はさらに大きくなった。
パンツの上から股間を触るとあり得ないくらいビショビショに濡れていて驚いた。
この時まであまり信じてはいなかったが女は興奮するとマンコが濡れるのだと改めて知った。
しばらくずっとディープキスをしながらオッパイを揉んだり乳首をつまんだりパンツの上からマンコを触ってた。
もういいだろうと思いパンツを脱がした。彼女も抵抗は全くなかった。
初めて同い年の女のマンコを見て驚いた。幼い顔をしてるがAVで見るのと変わらず普通にマン毛がボーボーに生えてるという事実に。
俺はついにマンコに指を入れる決意をして人差し指をいれてみた。
「温かい・・・・むしろ熱い」真っ先にこう思ったわ。グチャグチャしてて指にキュッと吸い付いてくる、そして温かい。
その後は指マンをしばらく続けた。
エロ知識を生かして傷つけないようにとなるべく優しく長時間やった。
マンコを舐めてみたくなり初のクンニもやってみたたが口にマン毛が入ったり、しょっぱかったり、
夏だけあって匂いがキツく(尿と汗が混じり発酵したような匂い)萎えたのでほとんど指マンをメインに切り替えた。
俺も相当股間が熱くなった。
彼女に再び密着して熱くなった股間を彼女の尻の割れ目にグリグリ擦り付け
彼女に「俺のも舐めてよ」と思わずこう言った。ぶっちゃけかなり恥ずかしい。
彼女に笑顔で「いいよ?」と言われ俺はズボンとパンツを脱がされた。初めて女性に勃起してるチンコを見られたため正直死ぬほど恥ずかしかった。
彼女は最初舌を使いチンコの先端を舐めてた。次第にチンコ全体を口にくわえ始めた。
思った以上に口の中も温かく唾液がローションのように気持ち良くフェラに感動した。
想像より何倍も気持ち良い。フェラの「にゅるっ!」て感覚に気持ち良すぎて鳥肌がたった(笑)
もう今夜童貞を捨てるしかないと思い俺は彼女を押し倒して生のままチンコをマンコにいれた。
俺は念願の初セックスを楽しもうと正常位とバックを何度も吟味した。
ちなみにバックだとケツが覆い被さり穴が見えにくくマンコとアナルの位置を間違えそうになってしまい彼女から熱い指摘を受けた。
バックだと途中でチンコが抜けたり童貞の俺には難しいため正常位で彼女と抱き着きあいがらキスをしてずっと腰を振ってた。
彼女の喘ぎ声とマンコのグチャグチャ感と温かさ、チンコに吸い付く感覚がとにかく気持ちよくついにムズムズ感が我慢出来なくなり彼女の腹に射精した。
俺が「生だといつ出るか分からないからなんかプレッシャーがかかる、ゴムがあればな?」と言った。
それから話し合い俺達は二回戦に向けて近所のコンビニにコンドームを買いに行く事になった。
そのまま部屋に戻り二回戦を始めた。二回戦が終わった頃には4時を過ぎていたwwwww
母親も弟もまだ寝てるためこっそりと一階へ行き二人で風呂に入ってイチャイチャした。
一晩にして女の身体を物凄くしった一日だった。
社会人になって6年位が経過したのだろうか?定期的にやってくる仕事に対するモチベーションの低下現象
詰まる所、全くやる気がでないのです。
客先を回らないといけない、見積を作らないといけない、社内的な文書を作らないといけない、数字の管理、
いずれも分かる。どれも大事なことで、やらないといけないという意味合いは、頭では十分に理解できる。
だけど気持的な所が追いつかない事が最近多すぎる気がする。なぜだろう、なぜだろうと…
こりゃ鬱なのかって思うときもあるけれど、そうやって病気のせいにするのもまた違うと思うからしない。
数字的なプレッシャーから、客先を回らないと当然数字は上がらない、やろうと思っても上手くコントロール
出来ない。社内の人間に相談したことはないけれど、相談した所で当方の気持は理解できないと思うことや、
皆様もこれに似た事は働いていたらあるかもしれない。同じ環境では無いから、どうやってモチベーションを
保っているの?という事を聞いても当方に当てはまらないケースが多いと思われるので、あまり意味が無いかも
しれないが、少し皆様の意見を聞いてみたい。当方本当に仕事への意欲・やる気が出ない状況。
だったら仕事辞めれば、といった短絡的な回答は無しでお願いしたいと思う。
基本的に無視、何かのきっかけがあると暴言(ごみ、ブス、疫病神、役立たず、生きる価値がない、お前のせいで
みんなが不幸、性格の醜さが顔に表れている、なんだその目つきは、自分が特別な人間だとでも思っているのか、等)
と、体中痣だらけになるような暴力。
好き、可愛い、とは一度も言われたことが無く、抱きしめられた記憶も無い。何かを祝ってもらったことも無い。
経済的には、典型的な中流家庭で、少なくとも生活に困ることはなかった。
「この人たちは敵だ。何で機嫌を損ねて暴力が始まるか予測できない。いつ不慮の事故等を装って殺されるか分からない。」
という緊張感のもと、常に他人の顔色を伺い、状況を観察し、慎重に行動するような子供だった。
そのうち、他人の発した何気ない言葉を全て正確に覚えているようになった。
私が育ったのは子供の教育に熱心な地域で、先生は熱血タイプが多く、同級生も育ちの良い大人びた子が多かった。
まともに級友と関わることのできない私を、クラスの委員長タイプの子が常に気にかけてくれた。
感情の表現もコントロールも苦手だった私を、担任の先生が本気で叱り、時間をかけて教え諭してくれた。
友達はほぼゼロだったが、人の言葉をICレコダーのように覚えているので、テストの成績だけは良かった。
その噂が級友のお母様方に広がり、クラスの半分はお受験するような地域だったので、
「塾に行かせないの?受験は考えないの?」といぶかしがるようになった。
今思うと、皆、私の家庭の状況を薄々感付いていたのかもしれない。
同級生のお母様方と近所の方々のプレッシャーのお陰で、「お前に金をかけるなんで、どぶにすてるようなもの」と
いう親も、私の大学進学は認めざるを得なかった。奨学金は「世間体が悪いから」と申請させてもらえなかった。
幸いなことに、人生を通じて友人と先生には恵まれて、少しずつ人との関わり方を覚えることができた。
表面上は、まったく普通の、むしろ平均よりはちょっと良い人生を送っているのではないかと思う。
それでも、自分には生きる価値がない、誰にも愛されないし理解もされない、という呪いのような確信と、
誰かに本当に愛されたい、自分の存在が意義のあるものだという証拠が欲しい、という欲望に、いつも苛まれていた。
必要以上に他人に媚び、他人の評価を気にし、認めてもらうために過剰な、時に見当違いな努力をする。
優しい、親切、仕事熱心と評価されることも多い一方で、相手を警戒させたり、変な期待をさせたり、
利用されてしまうこともあった。
また、極度の人間不信で、他人を敵か味方かで考えているところがあり、相手が自分の敵である証拠を常に探している。
そして、一度でも、どんな些細なことでも、一度敵だと判定することがあったら、二度と心を開かない。
見当違いな努力については、環境や周囲の人に合わせて、努力の方向性や熱量を調整すればいいのだと分かってきた。
敵判定については、普通、人は他人にそんな興味が無く、ちょっとしたことで誤解したり軽い気持ちで非難したりするし、
よほど親密な関係でなければ、そういったことはお互いに気にしないのだ、と理解できるようになってきた。
好きな人には幸せになってほしい、この関係が未来に続くかは別として、
私の存在が、相手の人生にとってプラスになってほしい、と願っているはずなのに、
私のことが本当に好きなら、その感情に苦しんで自滅していくはずだ、そうでなければ本当の好きじゃない。
私が親の愛情を求めて、顔色を伺い、何をすれば喜ぶのか必死で考え、気を引くためには自分を傷つけることもして、
拒絶され罵られ殴られて、それでも愛情を求め続けているように。
そんなものは執着であって愛情ではないと、頭では分かっているのに、いつも気を付けていないと、
若くして死んだことを悼まれてニュースになるためには、20代や30代のうちに十分な結果を出している必要がある。
そのためには10代や20代のうちに既に芽を出しているから、20代の頃に急激に結果を出し始めているかしなければならない。
恐ろしいね。
自分は10代の頃何者でもなかった。
社会に出て10年経った頃ですら、ようやく仕事を覚えてきたけど人並みが精一杯だった。
入社して1年目の人間には負けなくても、優秀な人間は3年もすればこちらに比肩し始める。
恐ろしい。
優秀な人間はこちらがモタモタしている間に結果を出して追い抜いていく。
そういった人間が存在しているおかげで今のレベルまで人類は進歩してきたのだろうし、社会も回っているのだろう。
それでも恐ろしい。
天才や秀才が結果を出すたびに自分の存在価値が問われているようなプレッシャーに襲われる。
まだ実家にいた頃、親が同年代のスポーツ選手として自分を比べてくるのがたまらなく嫌だった。
なんであのレベルに達していることを安易に求めてくるのかに苛ついた。
そうさ、本当に恐ろしいのは、優秀な人間じゃなくて、優秀な人間と凡人を安易に比べて平気な顔して人の存在意義を否定しようと煽りにかかる大多数のその他大勢共の浅はかな人間性だよ。
畜生が。
いつか人類みんな殺してやる。
死んでしまえじゃなくて殺してやるだ。
でも無理だな。
そんな事が出来るようなのは有能な奴だけだ。
人類をみな殺しにしようなんて思っても、通り魔になって10人轢くのが限界だろう。
あほらし。
運悪く天才には生まれつかなかった自分の惨めさを、運の悪い10人の人間にぶつけた所で虚しいだけの同族殺しだ。
俺が殺したいのは、運良く優秀だった奴も、運悪く無能だった奴も、まるっきり含めて人類全員なんだからな。
畜生。
いつか殺してやる。
無理だけど。
苺ましまろで誰がすき?
あえて言うなら美羽かなあ・・・
ほか二人はかぶらないけど
美羽は、天然でボケ倒すのが生きがいみたいだけど、実は天然じゃなくて全部狙ってやってる賢い子で、ほんとはさびしいしかまってもらいたい、かわいがってもらいたいと思ってるところがたまらなくかわいい
あとアニメの声な
とてもドルアー^ガのカーヤ、スイプリの奏と同じとは思えない
ちーちゃんもあってる
まつりちゃんもあってる
ただアナコッポラの声だけが受け付けない・・・単純にのとまみこが好きじゃないからってのもあるけど・・・
あと歌はやっぱり1期のOPだな
マジ最高
歌めっちゃかわいいし、動きとあっててめっちゃ見てて楽しくなる
EDは美羽が歌ってるとはとても思えないよなあ
なんとなく夕日のさびしいイメージ、別れが名残惜しいイメージが、おジャ魔女どれみ1期のEDとかぶるんだよな
両方のEDとも、子供がわかれを惜しむ感じをEDで出してるのがほんとすごいと思う
苺ましまろの薄い本は何冊か読んでみたが、どうも抜けないんだよな
絵がいくらうまくても、なんか違う感がある
なんでだろう・・・
4年半ぶりだそうです!
買って、「こんだけ売れてるんだからさっさと書けや」というプレッシャーを与えましょうね!
あっでも売れすぎるとそれで印税入ってまた書かなくていいや、となるのかな?
うーん難しい
でも少なくとも売れる見込みがないと本はでない!だから買うのは正しい!
楽しみ!
要はブラック企業で働いている。
残業で毎日のように日付越える頃に退勤、土日出勤はしないと仕事がおわらないし、しなかったら上司から「お前土日出てなかったけど余裕あるな〜」みたいな小言をいわれる。残業代は元々1円も支払われていない。もちろん代休はとれない。有給なんてものは元々無いと言われている。昇給も入社から一度も無い。ボーナスも無い。先月の残業は100時間は軽く超えてるとおもう。1回正確に計算したことがあって悲しくなるだけなのでそれ以降計算しないことにした。上司からのプレッシャーもかなりかけられており、精神的に参ってきている。心療内科?精神科?の受診を検討中。
Googleの検索窓に毎日「死にたい」と打ち込んだり、何もしていない時も自然と涙が出てくるような日々が続いて、そろそろヤバいと気付いた。今の会社辞めて転職したい。
会社は辞めたいが、親に言う勇気が無い。20代半ばで大人と言われる年齢になって何を言っているんだと思うかもしれない。親に対して会社のことは、「時間外勤務も多くブラック企業だが、職場の人とも仕事内容的にも楽しくやっている」ということにしてきていた。
過去に1回転職をして今の会社に居る状況で、親の考え方自体が古風な「新卒で入社した会社は寿退社もしくは定年までいる」という考え方なので、前回の転職のときもかなり心配をかけた。ちなみにその転職の時は契約社員で、会社の経営難で社内の契約社員全員が来年の更新が無いと言われるっていう退職の仕方だった。
親もだけど、会社も辞めるって言ったら結構責められるんだろうな〜っていつもの上司の様子から容易に想像できる。ついこの間辞めていった後輩の時も、結構責め立てられ、辞める日迄の数日間はかなり冷たい扱いを受けていて本当にかわいそうだった。
明日は期日前投票日になる。急な解散総選挙が行われることになって、誰もが戸惑い思い悩んでいることだと思う。次の選挙ではどこに投票すべきだろうか。現状維持の自民か?それとも希望か?結果的にリベラル結集となった立憲民主か?それとも共産か?
しかし我々が投票するべきはそのどれでもない。我々は支持政党なしに投票し、現状の民主主義を次の段階に進めるべきだ。
今まで我々が行ってきた投票行動はどんなものだろう。選ぶべき政党や政治家がいないだとか、他よりましだとか、各論は反対だけれど総論としては支持せざるを得ないだとか言って、そうして選んできた候補は自らの政治意志とは似ても似つかないようなものばかりだ。リベラルを名乗る某が自民憎しで希望への投票を呼びかける様などその極みだろう。
そうしたずれから逃げ込むように、人々はアメリカのトランプやかつての小泉のような独裁的なポピュリストに自らを同一化させるようになるが、それもすぐに理想と現実のギャップを見せつけられて失望し騙されたと騒ぎ立てる。しかしまた別のポピュリストがやってくれば、同じように信者となって騒ぎ立てる。
そうした独裁的なポピュリズムに対抗するには、よりラディカルなポピュリズムである直接民主制に向かうべきだ。
直接民主制が浸透すれば大衆に迎合するような政治家は存在意義を失っていく。自分達で政策選択をすればいいのだからわざわざそういう人間と付き合う必要がないのだ。
支持政党なしのような部分的な直接民主制のシステムがあれば、政治家は政治家である必要すらない。自動的に国民の選択手続きを代行する公務員のような存在であればいい。
本当の政治家が生き残ろうとするならば、より専門的な知識を身に着け、大衆の政治選択に対して間違いを指摘することが出来るような存在になるしかない。自分よりもこういう専門家に任せたほうがいいと思えるような、そうした政治家だけが生き残るだろう。
現行の政治体制で直接民主制を部分的にだが稼働させる支持政党なしの試みは、今までの選挙でそこそこの得票を得たけれども、評価は未だ低いものだ。
しかし今後百年を考えれば、この仕組が部分的に導入し代議制民主主義を次の段階へと進めるべきだと思う。代議制民主制が本当の意味での民主主義でないことはわざわざルソーを持ってこずとも、現状の政治状況を見ればわかることだ。
我々は投票用紙に書き込む時だけ政治参加しているような顔をして、それが終われば呑気に座って、自分の買った馬券の行方を野次を飛ばしながらただ眺めているだけだ。馬が転べば馬肉にして次の馬を用意して、何故転んだかもどうすれば転ばないかの判断も競馬新聞に任せてしまう。
どれだけ失政を重ねてもそれは政治家の責任で自らの判断の問題ではないという。この時我々は政策を決定する権利だけでなく、政治判断した後の責任までも政治家に奪われているのだ。かつての戦争を軍部や政治家や知識人達のせいにしたように、我々はどれだけ大きな失政を犯しても責任を感じることが出来ない。責任を感じなければ、どんなに失敗をしたとしても学ぶことはなく、また同じことを繰り返すだろう。
本来政治は、例え間違った、国益に反するような選択だったとしても、あくまで自分の意志によって選び取り、その失敗を自分の失敗として受け入れなければならないのだ。
人々はこの失敗を恐れる。自らの経験不足によって取り返しのつかない失政を犯すのではないかと考えるのだ。しかしその経験の蓄積という意味で今の支持政党なしの状況は悪くないものだと思う。
票数を徐々に伸ばしているとはいえ支持政党なしは精々一議席取れるか取れないだろうなという状況で、この状況はまだ暫くかかるだろう。
一議席でも取ったとすれば、国民の直接的な政策選択が国会上に現れるということで、議員に対するプレッシャーは強くなるだろうが、それも間接的なもので、国会への影響力はそれほど大きくはない。
結果として部分的な直接民主制の浸透は漸進的に進行するだろう。
だが逆に言えば国民は、まだ影響力の少ないうちからこのシステム上で自らの選択を試行する機会を持つということだ。
自分の選択が即座に取り返しのつかない失敗に終わることはない。
しかし自分の政策選択が確実に国会上に現れる状況が続けば、自分の選択の意味を考え、自らの責任の重さを知り、間違いがないか積極的に学んでいくだろう。
やがてその動きは大きなものとなっていき、結果としてこの国を変えていくことになる。その時がこの国に本当の民主主義の訪れる日だ。
ただ唯一欠点があるとすればこの支持政党なしがすごくうさんくさい団体で、そのイメージは前回の選挙から全く変わっていないということだ。変えようとした努力も見えない。
支持政党なしはこれから国民の信頼を得るためにあらゆる努力をするべきなのだ。出来る限り情報を透明化して、例えば交付金とかどう運用されるのかとか。なんでもいいから少しはイメージよくしてほしい。
まあ最終的にこいつらはどうしようもないということで彼らが降ろされたとしても、とにかく政治家たちに「直接民主制には票田がある」ということを示さなければならない。そうすれば他にも手をあげるところは出てくるだろう。
大事なのは一議席だけでもわりこませて、国会上に直接民主主義のシステムを立ち上げることなのだ。そうすれば今後百年の政治風景は大きく変わってくる。その日がやってくるまで、我々の投票先は直接民主主義を志向する党だけだ。