最近、「表現規制」のせいで、物語に集中できなくなってしまった。
読んでる途中で、ささいな表現の端々に「この表現、規制嗜好者に弾圧されるんじゃ?」と考え出して、物語の世界から度々覚めてしまうようになってしまったのだ。
そうやって、物語から得られる快適な陶酔感が失われたことに、個人的には不快感を禁じ得ないが、でも、それは逆に考えると、「物語」という名の宗教に耽溺してしまって、
物語の人工的に創られた世界観から帰ってこられず、その世界観のまま発言や行動する人々を救うための素晴らしいアプローチなんだと思う。
つまり、「表現規制という愛は物語患者を救う」とでも言えるだろう。その点では、「表現規制」は合理的な理由よりも、社会的圧力の大きさの方が「患者」には有効に働く。
そういえば、物語の代表的な形態として、妄想的な出来事や企てを具体的に描き切った後、結末でその失敗を描いて、読者を物語から社会に差し戻す
「行きて帰りし物語」というのがあるが、現在は、豊富な物語を人々に消費させ利益を挙げたいという商業的な意味合いから、流行らなくなってしまった。
現在の物語は、物語という名の宗教から信者が逃げ出さないよう、物語の追及が何らかの失敗に繋がる「行きて帰りし物語」、分かりやすく言えば、
後味が悪く、物語の存在に嫌気の差すようなバッドエンドを描いていない。あまりにも不快で、もうこれで社会に戻ろうと思える「最後の物語」を、商業的な理由で描けていない。
だから社会は、流行らなくなった「行きて帰りし物語」の替わりに、「表現規制」を送り込んできたのだ。
個々の物語に停滞している人々を、社会という大きな場に引き出すために。それが権力側の要求なのか、社会運動側の要求なのは知らないが。
だから、「表現規制」の中身など、それが本当に社会のためになるかなど、とりあえず社会にとってどうでもいい。社会にとっての人手を、物語から奪って来れればそれでいいのだ。
つまり、まとめると、「表現規制」が本当に実現したいのは、人種差別や性表現など個別具体的な事項の改善ではない。
「物語から目を覚まして、社会のために○○しろ!」、端的に言えばそれだけのこと。分かりやすく言えば、マンガを読む子供を叱って勉強させる母親と変わりが無い発言なのだ。
その理由として、「表現規制」の多くは社会学者から発言される。「表現規制」は、その妄想めいた物語を捨てて、社会にある現実をもっと考えろという要請なのだ。
メタなフィールドから表現にヒビを入れることで、その衝撃で物語に覚めた人々を社会に引き戻す、そういう意味の「行きて帰りし物語」を実現したいと思っているのだ。
だから、件の社会学者の発言のように、「表現規制」に関する反対発言の不適切さに対しても、社会は寛容である。
それがある程度不適切であったとしても、その発言で、社会のことを考え、働く人間が増える可能性の方を良しとするからだ。
社会は、物語に呆けてるんじゃねぇよ、そんなの捨てて我ら社会のために働けよとでも思っているわけだから、発言が少々不適切でも目を瞑るのだ。
誰かを傷つけるんじゃ?じゃなく、悪いやつらに正義の民が弾圧されるー!みたいなあくまでも被害者視点なのが認知の歪みの極みという感じで大変趣深い。
誰かを傷つけるんじゃ?じゃなく、悪いやつらに正義の民が弾圧されるー!みたいなあくまでも被害者視点なのが認知の歪みの極みという感じで大変趣深い。 そのようなことは書かれ...
わたしはこのようにオタクコンテンツの自発的な滅亡を認めることができず外的要因であると改変する層の出現をかねており危惧していた。
なんで危惧するの?
現実に引き戻す社会的機能が、創作者から社会学者らに移ってきた、って仮説か。 たしかに筋は通っている。面白いね。 だとすると当初の時点で「行きて帰りし物語」が流行ったのは...
昔は、宗教だとかのファンタジーが社会的位置を占めてたわけで、そういう時代には「物語」も、それこそ今の社会運動的にリアルなものだったんだと思うよ。
下記の増田で書いたけど、「表現規制」は、フェミニズムだとか個々の思想のリクエストというよりは、社会そのものが求めてるんだと思うよ。 物語にうつつを抜かす奴らを、何でもい...
なるほど。 物語が独自の社会的意義を持てば、社会的圧力としての「表現規制」は無くなるってわけか。 まあ、「表現規制」が社会的圧力だというのなら、表現者側が圧力団体を作って...
オッ 行きて帰りし物語論増田じゃん。 総論には賛成だけど、フェミニズムは社会そのものとは無関係ってのはどうかな。 「物語ばっかり読んでいてはいけない」って要するにモラルだ...
オッ 覚えててもらえて嬉しいよ。 うーん。私の書き方が悪かったのかも。 「女性を雑に扱うキャラクターが悪役として書かれる、そういう表現はフェミニズム的価値観による要請が...
>分かりやすく言えば、マンガを読む子供を叱って勉強させる母親と変わりが無い発言なのだ。 表現規制には、こういう視点もあるわけね。
オタクは子供じゃなくてスーパーとか電車で傍若無人に振る舞ってる汚いおっさんだろ。そんでオバハンにギャーギャー言われてるわけ。足閉じろとかな。自分を可愛く見積もるんじゃ...
まあ、オタクが子供として表現されるべきどうかはともかくとして、大のオトナがマンガばっかり読んで!っていうアホみたいな叱り方をする代わりに、表現規制を搦め手にして諌める...
横やけどおまえが勝手にスーパーとか電車で傍若無人に振る舞ってるだけやろ他人を巻き込むなよ。