はてなキーワード: 金属バットとは
アケメネス朝ペルシャの王のなかで、キュロスとダレイオスは大王と呼ばれ他の王と区別されている。
彼らは、アケメネス朝ペルシャだけじゃなくて、人類史上別格の王だった。
キュロス大王はバビロン捕囚の解放者として有名だけど、ただユダヤ人を開放しただけではない。
あらゆる民に、服従と引き換えに身の安全と財産の保全と信教の自由を保障すると宣言した人だ。
ほとんど気まぐれに開放することもある程度だった。
大っぴらに、王の宣言として、そんなことをした人はそれまでいない。
許すことを覚えた最初の王だった。
服従という新しい選択を与えられたからこそ、近隣国は戦争ではなく服従を選ぶようになり、空前絶後の大帝国をつくることになった。
戦争にあけくれたキュロス大王では、ぼんやりとしたただのポリシーの宣言だったけれど、ダレイオス大王の時代に制度として固定された。
ダレイオス大王はたぶん人類史上もっとも有能な王で、また別の機会に書くかもしれないが、ここでは省略する。
とかく、信教の自由というのは、日本においてはあんまりピンとこないけど、徹底してる。
アレキサンドロスが敵であるダレイオス3世(大王と呼ばれたダレイオス1世とは別人)とその遺族に礼を尽くした。
ローマ皇帝ウァレリアヌスがシャープール1世に敗北し捕虜となった後も、捕虜にも関わらず宮殿が与えられたという。(近年まですぐ処刑されたとされていたが、実際は厚遇されていたらしい)
サダムフセインから民衆を開放した一方で、サダムフセインに対しての敬意が不足しているように思う。
私はリア充が嫌いだ。
爆発しろとはいわないが、半額弁当を漁る寂しい老後を一人で暮らせばいいのにと思う。
ゴミみたいな記事をまき散らすゴミは、AmazonとGoogleからハブられてしまえばいいのにと思う。
爆発すら生ぬるい。
しかし、私は彼らを受け入れられるようになりたい。
幼児ポルノを見たことがある人間は、金属バットでフルスイングされても文句は言えないのはわかってる。
しかし、殴られることで罪を償った人間を、さらに叩くのは正義ではない。
追記
リア充の仲間入りかもしれない。
そのせいで少し、リア充のことも許せるようになった。
別れたい…
いま、ファミリーマートが万引き犯の顔が鮮明に映っている防犯カメラの画像を、店に貼っていたと炎上している。
こういう店はけっこうある。
「この者は今後入店禁止です」という張り紙と共に、どういう被害を受けたか詳細に記した文章、そして同様に万引き犯の顔が鮮明に映っている防犯カメラの画像を10枚ほど貼っている。
説明によると、深夜3時頃中学生らしきグループが店員が店の中にいない隙にレジカウンターの中に入りレジをいじくったり備品で遊び回した挙げ句、大量に万引きしていったという。
それはそれだけ大暴れしていったのに全く気がつかなかった店員が無能すぎるのではないかと思うが…
あとはパチンコ店。おれはパチンコはしないのだが、上司が酔っぱらうと「まぁ付き合えや」と、無理矢理連れていかれる。
その店には、ゴト行為をしたグループの顔が鮮明に映っている防犯カメラの画像が貼り出されている。
あとは俺のよく通うエロビデオ屋も万引き犯の顔が貼ってあるし、
万引きではないが、深夜店内で客をっ金属バットで殴って逃げていったという男の一部始終を捉えた防犯カメラの画像を貼っているコンビニもある。
自業自得なので、やりすぎだとは思わない。
ワイドショーのコメンテーターなんかで、これを「やりすぎ」だと批判する奴は「万引きはやってはいけないですが、誰だって一度は魔が差してやってしまうもの…」などとゴニョゴニョしだすのがいる。
割りと「誰だって一度は万引きしていて当たり前」と主張するやつが多くて驚く。
おれが今まで生きてきた30年間で、万引きをしたことがないとはっきり言い切るやつはたった2人だった。
学生時代は勉強一筋で東大に行ったガリ勉ですら子供の頃万引きしたと言うし、
学校の教師も「おれは若い頃散々万引きしたが、お前らは絶対するな」と支離滅裂なことを言っていた。
おれは無論万引きなど一度もしたことがないので、俺のほうが変なのか?と思ってしまうほどだ。
「誰だって一度は万引きして当たり前」と思っているやつは、おれが万引きしたことが無いと言うと
昔、あるバラエティ番組であるタレントが「万引きしたことが無い」と言うと同じように「絶対ウソだろ~」と他のタレントがからかっていた様子が放送され、炎上した。
「万引きして当たり前」という発想がどこから出てくるのか理解できない。
万引き犯の写真を貼り出したことに批判するやつは、決まって「これでこの犯人の将来が台無しになったらどうするんだ」とか言うが、
そんなの知ったこっちゃない。
「犯人が学生だった場合、それが知れて就職できなかったらどうするんだ」とか言うが、
自分で人生を台無しにしたのに、なぜそれを無かったことにしてやらなければならないのか。
万引きくらいでそこまでの罰は不釣り合いだ、とでも言いたいのだろうが
万引きはそれほどの罰を受けて当然の犯罪であると認識せねばならない。
それを思い知らせるための貼り出しだ。
「自分も昔やったけど奇跡的に免れた」というのを、「誰だって一度は万引きしている」という滅茶苦茶な言い訳で理論武装したつのりになって、店側より犯人側の立場で見てしまうのだろう。
Gyaoでひっそりと配信されているM-1グランプリの準々決勝の動画で、準決勝に上がれなかったけど面白かった10組を紹介。リンクから探してね。
ウエストランド…あまり好きなコンビじゃなかったけど、このネタはよかった。
晴天サンティ…準々決勝唯一の素人、2人とも声が良い。まあ3回戦の動画のネタのが面白かったかな。
バッドナイス…最近テレビでたまに見る人。ワードセンスが高かった
たぬきごはん…髭男爵のフォロワー?かわいい。ずっと見てたい。
マッハスピード豪速球…最後の方ビンタで流血してて笑った。叫び声が面白くて何度も見てしまう。
馬鹿よ貴方は…会場も盛り上がっていたのに、なんで今年は上がれなかったんだろう?
夏休みは最悪だった。
行動すれば何か変わると思ってた。人生が好転する出来事に出会えるんじゃないかと思った。漫画的なドラマチックな幸運が訪れるんじゃないかと思っていた。
ベリーハードの人生を生きているキモイ顔と肌の恋愛負け組灰色の青春無気力アトピーゾンビに転機が訪れることはなかった。
海に行った。
半袖半ズボンで行った。水着はアトピーゾンビウイルスの汚さがさらされるのでやめた。
恵まれた健常者たちが楽しそうに人生を楽しんでいた。容姿に優れた女のほうが露出が多いのが面白かった。
アトピーゾンビウイルスの汚い肌に潮風が染みて痛かった。同い年くらいの健常者男女が楽しそうに砂浜を歩いていた。
ギャル男みたいな人たちから嘲笑を受けた。二十代女たちの笑いの対象にされた。
アトピーゾンビは友達も恋人もいたことがない。海で対称的な人生を見せられた。行かなきゃよかった。
プールに行った。
友達や家族や恋人と一緒の人が多かった。アトピーゾンビは汚い容姿と肌なので服を着て徘徊した。
アトピーゾンビの人生がいかに悲惨で不幸でつまらないでごみなのか再認識できた。よかったよかtった。
一人でプールに行っても何もいいことない。ナンパできるほど容姿に優れていれば違ったのだろうが。結局容姿がすべてなんだなと思った。
あーいやなこと思い出した。アトピーゾンビウイルス治療の影響で眉毛がなくなったんだけど、それを恵まれた他人の健常者中学生が馬鹿にしてきたのだ。まゆげねーwwwwうけるwwwwゲラゲラって感じだ。まあいいや。行かなきゃよかった。いやな思いでが増えただけだった。
夏祭りに行った。
浴衣姿の女の子が沢山いた。一生こういう女の子たちと関われることはないんだろうなだってキモイアトピーゾンビだから。と思った。
カップルも多かった。一緒にたこ焼き食べてたり祭りの外で雑談してた。楽しそうだった。アトピーゾンビの人生には一生ないイベントなんだろうなと思った。
同い年くらいの男女六人組が楽しそうにしてた。見下されそうでびくびくして下を見て早足で横を通り過ぎてすぐ祭り会場の隅っこに隠れた。
アトピーゾンビの人生には起きないイベントを当たり前のようにこなしてていいなーと思った。
あのなかで片思いや両想いの人がいるんだろうな。ドキドキして楽しいんだろうな。
青春を謳歌しているな。あのグループは容姿に優れたひとばかりだから人生楽しくて仕方ないんだろうな。
アトピーゾンビも容姿に優れていたらあの輪の中に入れたんだろうな。
その思い出が生きる活力になるんだろうな。アトピーゾンビの人生つまんないな。
生まれてきたのが間違いだったな。虐待もいじめもアトピーゾンビウイルスもなければ楽しい人生だったんだろうな。
健常者のサンドバックとして生まれてきたんだろうな。日本で一番不幸なアトピーゾンビにはいつになったら楽しいイベントが起きるんだろうな。と思った。
花火を見た
糞田舎の花火を見た。糞田舎らしく、何の感動もないつまらない花火だった。
ぼーっと何も考えずに眺めていた。周りの健常者は楽しそうにしていた。
どんな花火でもまともな家族や容姿の優れた友達や恋人とみれば美しい思い出になるのだろう。
ただつまらない思い出が増えただけだった。みなきゃよかった。
ギターを買ってみた
ギター教室に行くという選択肢も脳内にあったが、キモイ肌とでかい頭と一重と腫れぼったい唇とでかい鼻と、がさついてる顔のアトピーゾンビがギター教室に行っても、「その顔でギターwww鏡見ろよ不細工wwなんか肌キモイしwww近づくなよばい菌ww」と講師や生徒に笑われるだけだろうから辞めた。
教則本についてきたDVDをみた。顔は隠れていたが、容姿が優れてそうな人がギターを弾いていた。
二週間くらい毎日練習していたが、何が楽しいのが全く分からなかったからギターを投げ捨てた。
そもそも音楽の素養がゼロで音楽に全く興味がないことに気付いた。バンドの仕組みのことも何も知らない。有名なバンドもギタリストも知らない。
容姿が優れていて虐待もいじめもなければ友達とバンドを組んで楽しい時間を過ごせていたのだろう。
友達ができたことがないから音楽の知識がない。友達と好きな音楽の話をするような時間を持ったことがないから、人生が貧困である。
ギターなんて買わなきゃよかった。金と時間をどぶに捨てた。最悪である。
ボカロ曲を作る
初音ミクでボーカロイド曲を作って愚民どもにちやほやされようと思った。適当に既存の曲を歌わせてみた。パラメーターをいじってみた。飽きた。
そもそもオリジナル曲を作れるだけの能力がなかった。曲を作る熱意もなかった。
音楽の素養がはぐくまれる恵まれた家庭環境に生まれてきたかった。
アトピーゾンビの家にはCDが一枚もない。あるのはテレビだけ。漫画も本も雑誌もない。
そんな家のアトピーゾンビであり、人生経験に乏しい灰色の青春持ち恋愛負け組不細工愛着障害のゾンビがいい曲を作れるわけないのであった。
いい曲を作るには豊富な人生経験が必要だ。アトピーゾンビにはそれがない。
ペンタブを買って絵を描いた
ペンタブと一緒に入門書を買って数週間練習した。けど、絵を描くことの何が楽しいのかわからなかった。
今まで生きてきてまともに絵を描いたことなどなかった。一緒に画力を高めあう友達がいたこともないし、イラストレーターの名前も全く知らない。絵に興味を持ったことがない。賞をもらったこともなかった。
そして、アトピーゾンビは絵を描きたいのではなく、他人からちやほやされて承認欲求を満たしたいだけだと気付いた。
ペンタブがごみになった。買わなきゃよかった。金と時間を無駄にした。最悪である。
小説を書いた
漫画を描きたかったが、絵が描けないから漫画かけないし、しかたないから文字だけで自己表現できる小説を書くことにした。
ラノベのようなご都合主義ハーレムストーリーを書いたり、鬱屈した性格がねじ曲がった少年の孤独なニヒルストーリを書いたり、異世界物を書いたりした。全部短編だ。
しかし、どんな小説を書いても現実は何も変わらないことに気付いた。文章力がないし、ストーリ構成も稚拙でつまらない。やはり才能がないのだろう。
売れれば億万長者になれるようだが、本を一冊書くだけの能力も熱量も持ち合わせていないから無理だ。
梅原のような格ゲーのプロになれば億万長者だし、人から尊敬もされるしで最高の職業だと思った。
遊びが仕事になるとか最高だなと思った。ネットで格ゲーがうまい人が集まっているゲーセンに行った。
後ろからこっそりうまい人のプレイを見ていた。アトピーゾンビでも出来るんじゃね?と思った。
所詮ゲームだし、こいつらよりアトピーゾンビのほうが若いから技術の習得も早いだろうと思った。
なんで、対人プレイはまだ早いと思いCPUと戦った。操作方法がよくわからなかったから、適当にガチャガチャやったら負けた。次に操作を覚えながら戦ったら負けた。まったく歯が立たなかった。後ろから笑い声や嘲笑が聞こえた。
まるでアトピーゾンビの人生みたいだなと思った。負けに負けて何も得られない。嫌な思い出が脳に積み込まれていくだけ。
思えば、小学生の時、友達のふりをしたいじめ加害者の家で対戦ゲームをやらされたとき、いつも負けていたのを思い出した。
お前w何にもできないんだなw笑えるwと言われたのを思い出した。
ゲームの才能が皆無だということを思い出した。そもそもゲーム自体ほとんどやってこなかったからおそらく好きじゃないのだろう。好きではないものを仕事にするのは人生の浪費だ。やーめた。時間と金の無駄だった。
ライブを見に行った
CDで聞くよりもドラムやベースが目立ってて音がでかくてかっこよかった。
ライブに出る人は容姿に優れている人が多かった。とくにボーカルは。汚い顔と肌のアトピーゾンビがライブに出たら歓声ではなく悲鳴が聞こえるだろうなと思った。
観客は健常者がほとんどだった。健常者同士で楽しそうにライブに参加していた。カップルも多かった。
グルグル回るやつとかモッシュとかやってみたいと思ったが、きもいアトピーゾンビが健常者の近くにいると気持ち悪がられるので後ろのほうで一人で遠くから見ていた。
アトピーゾンビが健常者だったらなーと思いながら指をくわえながら観客を見ていた。
タイに行った
日本より閉塞感が無くて良かった。容姿に優れた人が少なかったので気が楽だった。町の人も緩い感じというかいい意味での適当さがあって居心地がよかった。でも、一人で行っても楽しくなかった。
容姿に優れた友達や恋人と一緒に行かないと海外旅行はつまらないなと思った。
あと、タイにも美醜格差があって、容姿の優れたもののほうが楽しそうに生きていた。
健常者ランドという名の惑星地球では美醜によって幸福度が変わるということを確信した旅行だった。
秋葉原に行った
もっと萌え萌えしてる場所だと思っていたけど、思ったより電気街っぽかった。
容姿に優れた女が容姿に優れた健常者が店員の店のチラシを配っていた。容姿に優れた男がナンパをしていた。ナンパは容姿に優れたものしかできない。キモイ顔でキモイ肌の非健常者で虐待といじめを十数年受け続けた精神疾患障害アトピーゾンビにはできないことだ。死ぬまで一生。
アキバには友達や恋人と一緒の人がたくさんいていやな気持ちになった。電車男のようなイベントはなかった。
メイド喫茶に行こうとしたが、
行かなきゃよかった。
田舎に行った
田舎の夏にあこがれがあった。沢山の緑と青い空。美しい蝉の声。白いワンピースに麦わら帽をかぶった少女。
古びた駅。川遊び。虫取り。そんな美しいものを沢山思い描いて田舎に行った。
現実では、じじばばばっかりで若い人が全然いないし、白ワンピの少女はいないし、蝉の声はうるせーし、川ねーし、駅は薄汚れてて汚いし、日陰がぜんぜんないから暑いし、なんにも娯楽施設がないからつまんねーし、自販機すらまともに無いから喉が渇くし、最悪であった。
虫取りしてみれば、蚊が沢山飛んでるし、蜘蛛の巣には引っかかるし、カブトムシはいないしで最悪であった。
カラオケに行った
ヒトカラをした。友達や恋人とワイワイやったら楽しいんだろうなと思った。もう行かない。
瞑想をした
アトピーゾンビウイルスの痒みでまともに瞑想ができた気がしないが一応手順どおりにやった。
瞑想中は虐待や虐めの記憶や、一生完治することがないアトピーゾンビの醜く赤黒い顔やカサカサの気持ち悪い肌が映像として出てきたり、灰色の青春持ちであるキモイごみアトピーゾンビとは対照的な明るく楽しい学生生活の映像が出てきた。
友達がいていじめも虐待もなくて容姿が優れていて彼女がいて勉強や運動するときにアトピーゾンビウイルスに邪魔されないで楽しく取り組める人生が映像として流れてきた。
一週間ほど続けたが、ただ苦痛なだけで何がいいのかわからなかった。やらなきゃよかった。
筋トレをした
これは今でも続けている。なぜなら自殺して死体になったときに体が軽いほうが運ぶ人の負担が少なくて済むからだ。筋肉がついてなんか変わったかというと特に変わらん。まぁそんなもんだろうな。
結局どこに行っても容姿に優れた美男美女が人生を楽しんでいる姿を見せられただけだった。
結局、容姿に優れている健常者のための世界なんだなここはと思った。
やらずに後悔よりやって後悔という言葉は恵まれた健常者なんだなと思った。
非健常者であるアトピーゾンビは行動なんてしなければよかった。苦しい記憶が増えただけだった。身の程をわきまえるべきだった。分相応の生活というのをすべきだった。
恵まれた健常者学生は夏休みには二度と戻ってこない青春時間を目いっぱい楽しんでいるのだろう。
それが生きる活力になるのだろう。そして成人しても仕事もうまくいって老人になっても穏やかでいられるのだろう。
一方、非健常者であるアトピーゾンビは両親からの虐待と同級生からのいじめを数十年受け続け、何もいいことがないから人生に。だから無気力になる。灰色の青春持ちで、仕事もやる気が出ず、首になる。
そして、人生に恵まれてきた健常者が言葉の金属バットでアトピーゾンビをぼこぼこにたたく。
健常者恵まれた人は甘えだの努力が足りないだの言ってくる。健常者より努力してるっつーの。やってらんね。くだらない人生が確定してる。健常者に負ける人生が確定してる。アトピーゾンビウイルス治療の努力は報われない。評価もされない。スキルもたまらない。生きてるのがばかばかしい。
推敲しないで書きなぐったからおかしいところたくさんあると思う。まぁいいや。
何も得られるものがなかったいろいろ行動したけど。無駄な時間と金を使った。
とにかく最悪な夏休みだった。
終わり!!!
よし、じゃあ基本的人権を廃止した上で、年金と生活保護を廃止しよう。安心しろ。日本国民は基本的人権のありがたさをわかる知能は持ち合わせていない。
それが廃止されたからといって公務員が殺人権を取得するわけではないからな。
こいつ引きこもりか?
お前が年取った時年金ももらえず生活保護も貰えずどうやって生きるんだよ
じゃあ例えば、仮定としてテロリストがお前の足を金属バットでめった打ちしにして修復不能な複雑骨折を負いました。
82年〜83年 アメリカ・ペンシルバニア州クエーカー タウンフリープレス紙に職場留学
89年8月 毎日新聞社退社
2002年10月〜テレビ朝日系列「ザ・スクープスペシャル」キャスター
2002年10月〜2011年3月 「スーパーモーニング」(テレビ朝日系)月~木曜日コメンテーター
2003年4月〜2005年3月 関西大学社会学部教授(マスコミ専攻)
2004年4月〜2005年3月 「僕らの音楽」(フジテレビ系列)
2005年4月〜 TBS ラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」(月曜日スーパートーク)
【賞罰】
2001年4月 「日本記者クラブ賞」(桶川女子大生ストーカー殺人事件報道に対し)
(ザ・スクープスペシャル『警察の裏金追及第一弾、第二弾』に対して。
『うちのお父さんは優しい 検証・金属バット殺人事件』(共著明窓出版)
『ニュースの職人 「真実」をどう伝えるか』 (PHP研究所)
『歳には勝てる』(マガジンハウス)
連休初日という事で、一つ映画でも見ようかという事で「心が叫びたがってるんだ」を観てきた。
長文なので、ブログにでも書けばいいんだろうが、私のブログは極めてテーマを限定したもので、書くところがないので、増田に書くことにする。
あらすじを超ザックリ言うと、幼い頃のトラウマで上手く喋る事が出来なくなったオカッパと、空気マン、空気ガール、怪我で夢破れた金属バットが、地域交流会の出し物でミュージカルをやる事になって、その過程でそれぞれの問題と向き合っていく、みたいな話である。
意外とよかったので、皆さんの連休の過ごし方の一つのヒントになればと思い、見所と気になった所を列挙していこうと思う。
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見所1
「描写のエゲツなさ」
基本的には上記あらすじから想像できるような、爽やかな青春群像劇である。
まず、4人の主役の1人であるオカッパ、順のエピソードが物語冒頭で語られるのだが、それが画に登場した瞬間に、「こんなのイヤな予感しかし無いじゃん」という不穏さから、「うわー、これ見たくない見たくない」と見事に展開していくのだ。
序盤でいきなり物語に引いてしまうか、「ん、これは創った人、凄いぞ」となるか決まると思う。
次に、キャラ描写も「うわあ、妙にリアルでやだなあ」と思わされる。
ここでは、重要人物、順の母、泉を挙げよう。
泉は序盤とそれ以降で人の弱さを見せつけるように、結構キャラが変わる。
それが、「まあ、そうなっちゃうのもわかるよ・・・」という感じで、さらに妙な厚みを持たせるのが、彼女の職業だ。
一応、割愛するが、見た瞬間「うわ、有りがち!」膝を叩き、その職業であるだけで、なにか彼女の抱えている事情を説明するオーラのようなものが見える気がするのだ。
これは若い頃、その職業の方とイマイチうまくいかかった私自身の偏見かもしれ無いが。
もう一つあげると、作中で出てくる「怪我をする描写」だ。
ここは画の力が凄い。
見た瞬間に「うわあ、イタタタ」となるし、絵面が容赦なく汚く、怪我一つでその後の憂鬱さまで伝わってくる。
他のレビューで、「変に生々しい」というのを見かけて、その点は同意見なのだか、その方の、「アニメなのに現実に引き戻されて乗れ無い」というのと、私の評価は逆で、ここら辺でグイグイ掴まれてしまった。
見所2
「構成の上手さ」
順と、主役の1人、空気マンである所の坂上が劇中劇のストーリーについて話し合うシーンがあるのだが、終わってから振り返れば、これがまあまあ重要な伏線になっている。
また、後半でこの劇中劇と本筋が同時進行するシーンは、私調べでは最大の見所と言ってもいい。
クライマックスは「それは読めるよ〜」というベタな演出なのだが、「でもそれしか無いよね、待ってた!」という形になるのだ。
それというのもフリが効いているからで、「おっ」と感心させて、その上でクライマックスに期待を持っていかせる構成がうまい。
見所3
「秩父の美しさ」
管理はされてるがちょっと古びた神社や夜中にポツンと浮かび上がるコンビニは妙な実在感がある。
北関東の豊かな自然と貧しい娯楽、少ない溜まり場が、閉じて煮詰まりがちな人間関係をうまく演出していると思う。
見所4
「主人公格の2人の歳なりの幼稚さ」
主人公格4人の中で、オカッパ順と、金属バット田崎は、わりとナイーブに描かれる。
感情的になったり、恥ずかしいシーンが多い田崎は、「まー無理もないかなー」と思わされるくらいには置かれてる状況がちょっと気の毒な感じなのだが、順の方は「おいお前さ」と言いたくなる幼稚さで大問題を引き起こす。
しかし、それがいい。
映画に登場する高校生は「そんなまとまった思考するか?」となりがちで、「大人が考えた高校生」である事が多いように思う。でも、本来、高校生なんて劇中の順くらい自分が整理できて無いもののはずだ。
だから、一瞬「それ無くねえ?」と思わされる順の行動も、「いや、高校生はこれでいい」という風に感じられる。
物語に協力する為に大人な台詞回しや行動を強制されがちな「劇中のティーン」だが、これくらい幼稚な方がリアルだと思う。
見所5
「キャラの小物」
順の小物に注目したい。
そのショートメール機能でコミニュケーションをとるのだが、小さい彼女が一生懸命ポチポチやるので、さらに小ささが強調される。
また、彼女はリュックを背負っているんのだが、これがいい感じのダサさで、彼女の「他人とコミニュケーション出来ない」事をビジュアルでうまく説明しているように思う。
他にも空気マン坂上の高校生にしては小慣れたファッションや、田崎の中途半端なワイルドファッションも、こだわって創ったキャラを感じさせる。
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というわけで、本筋も良いんだが、その周辺も結構楽しめる。
では気になるところを。
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気になる所1
「バケモノの子」ほどでは無い。
この話のテーマの一つは「言葉」なので、勢いセリフが重要なのはわかるのだが、それでも心情に関わる所では、「ここは絵でほのめかして、あとで言葉にしてもいいんじゃ無いかなー」という点は感じられた。
気になる所2
「仁藤のキャラが薄い」
ここまで言及されなかった最後の主人公、空気ガール仁藤だが、彼女のキャラが薄すぎる。
ナイーブな順、田崎と、空気を読む坂上、仁藤が対称をなす中、坂上の空気っぷりに関しては、劇中で説明がなされ、そのことでキャラが立ってくる。
劇中で言及される「彼女特有のいやらしさ」や、仄めかされる「弱さ」について、もう少しエピソードがあれば、俄然魅力的なキャラとして立ち上がってきたと思う。
気になる所3
「クラスメートがみんないいヤツすぎ」
いい意味で幼稚な順や田崎が、物語を混乱させて見せ場を作る中、じゃあクラスメートはどうかというと、これがちょっとブーブー言うだけで、物語の進行に非常に協力的だ。
特に順に対する寛容さ、というか子供の世話でも焼くような態度は、「いや、高校生なんてもっと聞きわけ無いでしょう」と思ってしまう。
気になる所4
「主題歌」
主題歌の内容は映画の話と似ていて、両方とも「言葉によるコミニュケーション」を主題としている。
そこらへんは放送作家出身の、作詞家・秋元康らしいところで、企画ありきで行ったのだろう。
問題は曲のスピードで、テンポが急に早くなるように感じられるのだ。
直前までスタンダードの名曲でミュージカルをやって、それでこの早い四つ打ちの主題歌にはいるので、「え、そんなスピード感ではやってなかったでしょ」と戸惑う。
ユニゾンも綺麗で、まあまあハマってるんだが、そのスピード感だけ、入った時にちょっと違和感があった。
ただ、観客で立つ人はかなり少なかったし、大枠では大多数を不快にするような違和感ではなかったんだろう。人によってはどハマりという評価を下せるくらいの微妙なラインだと思う。
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さて、鑑賞後の気持ちが冷めないうちに見所と気になる所を挙げた。
この作品の売り文句が、「あの花のスタッフが送る青春群像劇」なのだが、私はあの花という作品を「存在している」こと以外知らない。
で、アニメは好きだが、最近のアニメにありがちな萌え声演技が苦手で、俺物語からも脱落してしまったくらいの、アニメライトファンである。
そんな自分からしたら、「思ったより全然いいじゃん」と感じられる作品だった。
果たして、先輩レビュアーが挙げた、「コアなアニメファンには覚めちゃうが、一般のライトファンには受けそう」という評の、肩翼を担う形になった。
さて皆様はどう評価するだろうか。
キレる17歳(キレるじゅうななさい)とは、2000年およびその前後に相次いで発生した凶行を起こした、17歳前後(1981年から1985年生まれ)の少年を指した語。
山口母親殺害事件(7月29日) - 年齢は16歳。犯人は後に大阪姉妹強姦殺害事件(2005年11月17日)を起こす。
神戸連続児童殺傷事件 (1997年発生)(2月10日 3月16日 5月24日)
黒磯教師刺殺事件 (1998年発生) - 当時13歳の少年による犯行。(1月28日)
豊川市主婦殺人事件 (2000年発生) -当時17歳の少年による犯行。(5月1日)
大阪姉妹強姦殺害事件 (2005年発生) - 犯人は山口母親殺害事件の犯人。(11月17日)
宇治学習塾小6女児殺害事件 (2005年発生)(12月10日)
NHK記者連続放火事件 (2005年発生)(4月23日〜5月15日)
京都・神奈川親族連続殺人事件 (2007年発生)(1月16日、1月23日)
土浦連続殺傷事件 (2008年発生)(3月19日、3月23日)
心中しようと思った。彼女と一緒に崖から飛び降りるつもりだった。
それは最後なのだからと思って有給休暇を貰った日のことだった。
心中するのは夜中と決めていたから、朝起きてやることなんて何もない。
おれはふと野球の試合を観たくなった。これと言って観たい理由なんて
なかったのだけれど、強いて言えば小中高と野球部に入って色々
練習を積んで来ていたからかもしれなかった。
それでおれたちは、どうせ死ぬまでの暇潰しと決め込んで近所の球場に
出掛けることにした。野球をやっていたと言ってもおれの役割は大体
レギュラーになることはどうしても出来なかった。
春が近づいて来る外野席は結構温かいのでおれたちは上着を脱いだ。
彼女の胸元に光っているペンダントが眩しかった。おれが買った安物だった。
彼女は野球のことなんて何も分からないので退屈そうだった。まあ、それを
抜きにしてもダラダラした退屈な試合だったと思う。おれも最初のうちは
「あの監督のサインは二塁打を打てという意味だ」とか出鱈目なことを
喋っていたのだけれど、それにも飽きて外野席のベンチの上で
野球部時代にはあまりいい思い出がない。ベンチウォーマーだったのは
さっき書いた通りだ。部活が厳しかったわけではない。むしろ緩い方だった。
何せ煙草の吸い方も酒の飲み方も高校時代に教わったようなものだったからだ。
二日酔いに悩まされながらグラウンドをひたすら走ったことを思い出す。
噴き出る汗が酒臭かった。この汗で一杯やれそうだと思ったくらい。
そう言えばそんな頃に彼女と知り合ったんだっけ。いい思い出のひとつだ。
突然、バッターの鳴らす金属バットの音が聞こえてきた。音の鋭さからして
ホームランだろう。打球は狙ったようにこちらに飛んで来る。
おれはそれを素手でキャッチした。掌に痛みが伝わって来る。
その時に思ったんだ。これが生きてるってことなのかと。この痛みが
生の実感なのだろう、と。そう考えたらもう少し生きていようという気になった。
だからというわけでもないのだろうけれど、おれたちは今でも死にたくなると
デーゲームを観に行くんだ。選手たちの試合の中に、おれが失ってしまった
ものが存在するような気がして。そしてそれを取り戻せそうな気がして。
彼女が作ったサンドウィッチを食べながら、相変わらずビールを呑みながら。
ちなみに、キャッチしたホームランボールはこっそり今でも玄関に飾ってある。