はてなキーワード: 苦痛とは
全体的なストーリーがある映画やドラマの中の一コマとして、登場人物がフィクションとして痛い目にあうのは許容されるべきであると私は思う。
例えば、映画『メリーに首ったけ』の冒頭で、主人公がズボンのファスナーに性器を挟んで大惨事になるという場面があるが、これはベン・スティラー本人が本当に性器を挟んで負傷しているわけではない。しかし、この場面は笑える。いや、下ネタが苦手な人は笑えないかもしれない。私が挙げた例が不適当だと思う人は、他の適当な作品や場面に置き換えてもらいたい。
何を言いたいのかというと「本物の暴力や苦痛を演者に与えなくても、観客を笑わせることは可能である」ということである。これは、殺人事件を描いた物語を作ることで観客に感動を与えるために、本当の殺人を行なう必要は無いし、難病系恋愛ドラマで観客に泣いてもらうために、俳優を本物の病気に罹患させる必要は無い。それと同じことである。映画『マラソンマン』で、ハアハア言うために走ったダスティン・ホフマンは、ベテラン俳優から「何故、君は演技をしないのか?」と批判されたが、お笑いの現場でも同じことが起きつつあるだけのことだ。
笑ってはいけない等の、本物の暴力や苦痛を演者に与えなければ笑いを取れないような、製作者の能力が低いお笑い番組は消えるだろうが、それは望ましいことである。
EUの文書がフェミサイドの定義を書いていると言っている人がいるので、そのメモを書いておく。
まず話に上げられていたフェミサイドの定義が書いてあるとされる文書はこちらのこの箇所。
Official Journal of the European Union/ISSN 1725-2423/C 227 E/Volume 51 4 September 2008/149page/E.
URL:https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/PDF/?uri=OJ:C:2008:227E:FULL&from=EN
“E. whereas the term feminicide emanates from the definition of violence against women which is laid down in Article 1 of the Convention of Belém do Pará as follows: any act or conduct, based on gender, which causes death or physical, sexual or psychological harm or suffering to women, whether in the public or the private sphere; whereas the punishment and eradication of feminicide is an obligation and must be a priority for any state based on the rule of law,”
“E. フェミニサイドという用語は、ベレン・ド・パラ条約第1条に規定されている「女性に対する暴力」の定義に由来するものであるが、その定義は次のとおりである。すなわち、性別に基づき、公的領域であるか私的領域であるかを問わず、女性に死または身体的、性的、心理的な危害や苦痛を与えるあらゆる行為または行動である。”
URL:https://www.wikigender.org/wiki/convention-of-belem-do-para/
預託先 米州機構事務局(General Secretariat of Organisation of American States
女性に対する暴力の防止、処罰及び根絶に関する米州条約(通称:ベレン・ド・パラ条約)[1]は、米州機構(OAS)内で締結された国際人権文書であり、米州において女性の権利を保護・擁護するためのメカニズムを確立し、公私を問わず、女性の身体的、性的、心理的な完全性に対する暴力と闘うことを求めている。
この条約は、1994年6月9日にブラジル・パラー州の州都ベレンで開催されたOAS第24回総会で採択され、1995年3月5日に発効しました。2012年8月現在、OAS加盟国35カ国のうち32カ国が批准しています(カナダ、キューバ、アメリカ合衆国の男女共同参画は未加盟)。90年代半ばにベレン・ド・パラの条約が採択され、広く批准されたことは、女性の権利を守るための闘いにおける画期的な出来事です。特に、この条約は半球の人権に関する他のどの条約よりも多くの批准を得ており[2]、女性に対する暴力の問題を具体的に取り上げた歴史上初めての条約です。[3)条約の遵守を監督する機関は、OASの機関である米州人権委員会(IACHR)と米州人権裁判所である。
目次を見る
1 背景
2.2 各国の義務
3 米州における保護の仕組み
3.2 条約の実施をフォローアップするメカニズム(MESECVI
4 参考資料
5 参照
6 外部リンク
7 フィードバック
背景
ベレン・ド・パラ条約は、米州女性委員会(Comisión Interamericana de Mujeres:CIM)によって起草されました。1928年に設立されたCIMは、女性の人権認識を保証するために設立された最初の政府間機関であり、OAS内の各加盟国に代表者を置き、アメリカ大陸における女性の権利とジェンダー平等について議論し、政策を策定する主要なフォーラムとなっている[4][5]。
条約はその前文で、女性に対する暴力は「女性と男性の間の歴史的に不平等な力関係の表れである」と述べ、すべての女性が暴力から自由である権利には、あらゆる形態の差別から自由である権利も含まれると認識しています。これは、女性に対する暴力の問題の深刻さ、女性が歴史的に受けてきた差別との関連性、そして暴力を防止し、罰し、撤廃するための包括的な戦略を採用する必要性について、アメリカ大陸全体で感じられている一様な関心を反映しています[6]。 この条約のもうひとつの注目すべき質は、米州人権システムの他の文書に含まれる規範と創造的に組み合わせることで条約の強度を高めることができるという意味で、国連宣言が提供する領域を超える広範な戦略と執行メカニズムを提供していることです[7]。
実際、2011年に欧州評議会(CoE)で「女性に対する暴力及び家庭内暴力の防止及び対策に関する条約」が採択されるまで[8]、ベレン・ド・パラの条約は、女性に対する暴力の問題を具体的に取り上げた世界で唯一の国際条約でした。
しかし、2004年にアムネスティ・インターナショナルが指摘したように、この条約は女性に対する暴力の根絶に向けた国際的なコミットメントであり、アメリカ大陸で広く批准されているにもかかわらず、条約採択から10年経っても、この地域の女性に対する暴力行為は根絶されたとは言い難い状況にあります[2]。
ベレン・ド・パラ条約の第1章は「定義および適用範囲」と題され、女性に対する暴力を「性別に基づいて、公的領域であるか私的領域であるかを問わず、女性に死または身体的、性的、心理的な危害や苦痛を与える行為または行動」と定義し(第1条)、身体的、性的、心理的な暴力を含むと理解されています(第2条)。保護される権利」と題された第2章では、「すべての女性は、暴力から自由である権利を有する」(第3条)--あらゆる形態の差別から自由であり、女性が劣等感または従属感の概念に基づく固定的な行動様式および社会的・文化的慣行から解放されて評価され、教育を受ける権利を含む(第6条)--、および「地域的および国際的な人権文書に具現化されているすべての人権および自由を承認し、享受し、行使し、および保護する権利」(第4条)を定めています。締約国は、女性に対する暴力が、女性の市民的、政治的、経済的、社会的および文化的権利の自由かつ完全な行使を妨げ、無効にすることを認識する(第5条)。
第3章では、この章のタイトルに沿って、「国家の義務」を概説し、必要な国内法や行政機構の導入に特に重点を置いて、「あらゆる適切な手段により、遅滞なく、このような暴力を防止し、処罰し、根絶するための政策を追求する」ことを締約国の義務としています(第7条)。しかし、それだけではありません。続いて、プログラムを含む「漸進的に具体的な措置を講じる」という締約国の義務の概要と定義が述べられています。
b. 教育プログラムを通じて、男女の社会的・文化的な行動パターンや偏見、男女の劣等感や優越感の考え方に基づく慣習や固定観念を修正すること。
c. 司法行政に携わるすべての人々、特に警察官やその他の法執行官の教育・訓練を促進する。
d. 暴力を受けた女性に対し、シェルター、カウンセリングサービス、被害を受けた子どものケアと保護を含む適切な特別サービスを、公的機関および民間機関を通じて提供すること。
e. 教育を通じて、女性に対する暴力の問題とその救済策に関する認識を促進すること。
f. 暴力を受けた女性が、公的、私的、社会的な生活に完全に参加できるように、効果的な再適応プログラムや訓練プログラムへのアクセスを提供すること。
g. あらゆる形態の女性に対する暴力の根絶に貢献し、女性の尊厳の尊重を強化するために、メディアが適切なガイドラインを作成することを奨励すること。
h. 女性に対する暴力を防止し、処罰し、根絶するための措置の有効性を評価し、必要な変更を策定し、実施するために、女性に対する暴力の原因、結果、頻度に関連する調査および統計その他の関連情報の収集を確保すること。
i. アイデアや経験の交換、および暴力にさらされている女性の保護を目的としたプログラムの実行のための国際協力を促進すること(第8条)。
これらの措置を採用するにあたり、締約国は、特に人種や民族的背景、または移民、難民、避難民としての地位を理由とする女性の暴力に対する脆弱性、および妊娠中に暴力を受けた女性、障害者、未成年者、高齢者、社会経済的に不利な立場にある女性、武力紛争の影響を受けた女性、自由を奪われた女性の脆弱性を特別に考慮することが求められている(第9条)。
米州における保護の仕組み
締約国が条約に基づく義務を確実に果たすために、特定の保護メカニズムが設けられている。すなわち、(1)ベレン・ド・パラの条約自体に見られるメカニズム、(2)2004年に別個の法律によって創設された「条約の実施をフォローアップするメカニズム」(MESECVI)と呼ばれる追加メカニズムです。
ベレン・ド・パラ条約の第4章「米州保護メカニズム」に基づき、各国が条約を採択または批准すると、OASはこの引き受けた義務を、人権の促進と保護に関する2つの活動分野で監督します。1)米州女性委員会(CIM)、2)米州人権委員会(IACHR)と米州人権裁判所で構成される米州システム。
CIMの監督的役割は、2年ごとに発行される定期報告書[9]を通じて、「女性に対する暴力を防止及び禁止するために採用された措置、並びに暴力の影響を受けた女性を支援するために採用された措置、並びにこれらの措置を適用する際に観察されるあらゆる困難、及び女性に対する暴力の要因」(第10条)をCIMに更新する締約国の条約上の義務の結果である。このような報告書に基づいて、CIMは、そのマンデートと目的に沿って、女性の権利とジェンダー平等の分野で政策を策定し、締約国に勧告を行うことができます[10]。
米州システムの監督機能には2つの側面がある。第一に、このような機能は、締約国およびCIMが条約の解釈に関して米州裁判所に勧告的意見を求めることができる限り、米州裁判所の能力の下にある(第11条)。第二に、このような機能は、締約国が条約第7条で定められた義務に違反しているという苦情を受け取り、送信する権限を有する限りにおいて、米州機構の能力に該当する。このような苦情は、OASの1つまたは複数の国で法的に認められた個人、グループ、または非政府組織が提出することができます。「米州人権委員会は、米州人権条約および米州人権委員会の請願書の提出および検討に関する規約および規則によって定められた規範および手続きに従って、かかる主張を検討するものとする」(第12条)。
司法国際法センター(CEJIL)が2006年に発表したポジション・ペーパー[3]によると、条約の発効以来、CIMは条約に基づく締約国の報告書を受け取っていたが、限られた資源、報告書に関する十分な議論の欠如、報告書の独立した検証と詳細な評価の不実施などの理由により、条約から生じる国家の義務に対するフォローアップの影響は制限されていたという。この論文では、ベレン・ド・パラ条約の採択は、IACHRの機能に属する苦情処理手続きに関しても、最初の10年間でIACHRに提出された事例の数が限られていたこと、IACHR事務局長のリソース不足、米州システム機関の構成などの理由から、期待されたほどの影響を与えなかったと述べている。以上のことから、CIMとIACHRは、その任務を遂行し、ベレン・ド・パラの条約を批准した多数のOAS諸国が引き受けた公約の実現に貢献する上で、大きな困難を抱えていました。
このことは、条約発効後5年以内にCIMが調査を行い、条約の目的が達成されていないことが明らかになったことから[11]、ベレン・ド・パラ条約のフォローアップ・メカニズムの設立に必要な措置を講じることが委任された。
条約の実施をフォローアップするためのメカニズム(MESECVI
2004年10月26日、OAS事務総長が締約国会議を招集した際に、ベレン・ド・パラ条約実施フォローアップ機構(MESECVI)の規約が承認されました[12]。 MESECVIは、条約の目的達成に向けた進捗状況を検証するための、独立したコンセンサスベースのシステムです。MESECVIは、条約の地域への影響、女性に対する暴力の防止・処罰・根絶における締約国の成果、関連する公共政策の実施における既存の課題を検証するために、条約の締約国と専門家委員会(CEVI)との間で経験や技術協力を交換する場を通じて、体系的かつ継続的な評価を行うための方法論を提供しています[13]。”
↑のベレン・ド・パラ条約は”女性に対する暴力”の定義であって、フェミサイドの定義ではない。
また、”Official Journal of the European Union/ISSN 1725-2423/C 227 E/Volume 51 4 September 2008/149page/E.”はフェミサイドの定義を説明しているのではなく、ベレン・ド・パラ条約第1条を引用して”女性に対する暴力”にフェミサイドも含まれるということを書いている。
さらに、”Official Journal of the European Union/ISSN 1725-2423/C 227 E/Volume 51 4 September 2008”の中でもフェミニサイドとされているのは女性の殺人事件のみである
合わないことを相手の責任のように責める相手は、そもそも結婚に向いてない、結婚するレベルじゃない
恋愛も結婚もお互い半分半分だ、どちらかの気持ちがなければそもそも成立しない
気持ちのない相手に対して、自分と同じように好きでいろというのもおかしい
気持ちがないなら別れればいいだけなのに、気持ちがなくなったことに補償を求めるとか、そもそもコミュニケーションとしておかしい
そういう人たちは結局、自立していないのだと思う
自立しておらず、結婚を金銭契約や性消費サービスとして契約しているから、一緒にいて苦痛な相手と契約を続けようとする、あるいは別れるにあたって補償しろなんて言い出す
自分の生活を自分で稼いでおり、恋愛市場でもまともに恋愛できる人間は気持ちが合わないなら別れる事ができる
https://anond.hatelabo.jp/20210820185218
返事すると言ったので
・ある人が別の人に比べて良い思いをすることで苦痛を感じる必要は双方ない(嫉妬一般が有害無益と広く捉えていいのか?)
この二つだと思う。
これは数年前に読んだアドラー心理学に近いと感じた。違うんだったら言ってほしい。
(ちなみにこの本には女特有の感情とは書いてなかったから狩猟生活のくだりは噛み合わない。関係ないが藤子Fのそこそこ有名な平等の話のコマにも男しか描かれてない)
アドラー心理学は一定の支持のある考え方で、個人的にも全肯定はできないまでも多少の納得感がある。だからもうこの本題部分に反論はしない。アドラー心理学はそこそこ有名で他の人が大勢反論してるだろうからもういいだろうというのもある。
ただしーーこれは元増田から引き継いだ間違いという面もあるので増田ばかり責められないけどーー本題はそこそこ理があるのに具体案が間違っていてわかりにくくなっている。
元増田は
私が参加できない楽しみ
と言っていて、増田も
と言っている。これは普段だったら両方正しいけどコロナ禍では両方おかしい。元増田は「私も夫も参加できない楽しみ」というべきだし、その夫の楽しみはやめさせないといけないものだから増田もおかしい。
それでも元増田はその部分以外はコロナ禍に適応した言動をしているのに増田は
仕方ない理由で自分が参加できない楽しみについて、他の奴らも参加すんなって
それ誰が得すんの?
男なら参加できるやつが参加する。
そんで気が利いたやつ(大人)なら参加できなかったやつになんか奢ってあげるとかおすそわけしてあげるとかそういう風にする。
この通り夫をフジロックに行かせることが正しいと言ってるとしか思えない主張をしている。
だから、仮に増田が全体的な精神性としては元増田よりWIN-WINを狙える優秀な人なんだとしても、このコロナ禍での具体的行動としては増田が無益な足引っ張りとした元増田の行動のほうがWIN-WINなんだよ。なんか奢ってもらったりおすそわけされたりするより夫の楽しみをやめさせるほうがよっぽど全体の利益が増す。
そもそも妊娠出産に関わるマイナスを補えるほどの「プラスの何か」なんてほとんど無いんだよ。
大前提として夫は妻に危険や苦痛を背負ってもらってるのは認識してる?
突然降って湧いたちょっとした不幸なんかではなく、夫と妻2人の決断によって、妻1人に負担を背負わせてる。
横並びの友人の中で一人だけすごい美人と棚ぼたで付き合うやつが出たとする。
これ的外れなんですわ。
美人と出会ったのが合コンだとして、性格も顔も年収も男性陣は横並びなのに、たまたま近くに座ったってだけで(棚からぼたもち的に)すごい美人と付き合えた。
これに対する反応は男も女も変わらないと思う。(聞いてまわったわけじゃないから知らんけど)
こんなことしてる女なんて普通の世界では見たことも聞いたこともない。
同じような状況、声優やアイドルが処女じゃなければ男は推しに対して怒り狂う傾向があるよな。
女の怒りは同性に対して、男の怒りは異性に対して向かうってのはよくわからないけどあるのかもしれない。
脱線したけど今回の状況は、
合コン直前に友人の顔に酸かけて更に根も歯もないことで職場クビにさせてその上で合コンに参加させてるような状態。
そんで美人と付き合えたぜやったー!ってなってたらそりゃ何友人不幸に追い込んで自分だけ幸せになろうとしてるんだよってなるだろ。
最近話題のお笑い芸人コンビ解散の件だって、コンビ活動休止せざるを得ないような原因作ったやつが何で相方の納得もなく好き勝手やってんだよってなってるから批判されてんだろ。
仕方ない理由で自分が参加できない楽しみについて、他の奴らも参加すんなって
それ誰が得すんの?
仕方ない理由ってのが、そもそも2人で行く予定だったけど突然風邪ひいてしまって、とか突然外せない仕事が入ってしまって、なら妻だって、夫だけでも楽しんで!と見送るだろうよ。
だけど、夫婦2人で仕事していて夫がやらかしたポカをフォローするのに妻だけがフジロックに行けないような状況なら、何お前だけ楽しもうとしてんだよってなるだろ。
男だって同僚がやらかしたポカフォローするのに死ぬほど残業してフジロック行けなくなったのに当の本人はフジロック楽しんできたぜイェーイってやってたら飯奢られたくらいで簡単には許せないだろうし頭おかしいだろこいつ。と思う人が多数いると思うけど。
今回だって、妻に妊娠してもらうことを夫婦で決めて、妻だけに負担をかけてるのに「貴女は妊娠しちゃったからお酒飲めないのもタバコ吸えないのも薬飲めないのも大好きなフジロック行けないのも仕方ないよねー。貴女の分もめいいっぱい楽しんでくるね!お土産何がいい?ちょっとした宝飾品?」ってなんだそのサイコパス。
妻も妊娠してなくてコロナもなければフジロック参加するくらい好きなイベントだったわけだよね。
それって何か代わりになるものあるの?
どう見ても増田はそんな話を書いてないので読解0点ですね残念でした。
これについてですが、
犬を飼って美味しいものを買って帰ったら
もう純真な喜びを満面に表現して「当然自分の取り分がある」っていう確信と嬉しさを一杯にして周りではしゃぎますよ。
妬んだり恨んだりくっだらないことするぐらいなら犬を見習えばいいと思いますよ。
これや、4つ目に引用した文を見て、そう書いていると判断しました。
宝飾品についてはこの人なのか知らんけど。
夫からされているサイコパスなことを考えたら、美味しいものやちょっとした宝飾品では純真な喜びを満面に表現できるほどの賠償にはならないんじゃないかって話よ。
一緒に決めたとはいえ、夫のせいでもある「仕方ない理由」で苦しみ痛み不安参加できない悲しさが生じてるのに、なぜ簡単な何かで代替できると思ってるんだ?
妻本人が楽しんでおいでー、代わりに300万のダイヤモンドな!と言える人ならその通りすれば良いと思いますが。
温厚だと言われているゴールデンレトリーバーでも、自分に向けられるはずの愛情を奪った赤子に嫉妬して噛み殺したりする。
複数飼いだと飼い主が他の犬ばかり撫でてるとめちゃくちゃ怒るし。
そうか、この人は妊娠出産の危険、苦痛を本当に偶然意思なくパートナーに降って湧いたちょっとだけ不幸な出来事ぐらいにしか思ってないんだろうな。
実際には、偶然でもなんでもなく夫婦2人で決めたことで、危険や苦しみってのは女だけが負担して、女が苦しんだことによりうまれる喜びは夫婦2人で共有するんだけど。
どれだけの痛みをパートナーに負ってもらってるかっていうのは、一切考えないんだなぁ。
それってちょっとした宝飾品なんかじゃペイされないんですわ。
でも夫が楽しみを放棄するとペイされんの?
それはなんで?
「出産のリスクや恐怖なんて大したことないのにわぁわぁ騒いで人が損するように動いて女なんてバカばっかり。はー呆れるわーちょっとした宝石でももらってきゃー嬉しいとでも言ってたら可愛いのに」ってのが言いたいんだろうけど、
どう見ても増田はそんな話を書いてないので読解0点ですね残念でした。
書いたというなら俺や増田みたいに具体的に引用してみなよそれ書いてる部分を。
こっちは「何もかも人に背負わせて損させるような行動とっておいて、自分だけが楽しく遊びまわって更に子供が産まれるという幸せにありつけると思ってるなんて頭おかしいんじゃないか?数百万もしないような宝飾品(笑)がどれだけの賠償金になるってんだ。そもそもちょっとした宝飾品で妊娠出産請け負うほど安くねーんだわ。なんでちょっとした宝飾品ごときで命かけなきゃならんのや」っていう意見だもんなぁ。
妊娠出産にまつわるなんやかやをちょっとした宝飾品で賠償できるなら、それは相手との関係性があったからだ。
仲のいい姉妹や、自分が産んだ子供が妊娠出産できないなら、感謝の言葉や飯奢ってもらうくらいで代理出産してもいいけど、仲の悪い姉妹や恩を仇で返すような子供のために代理出産はしない。
妊産婦が行って欲しくない、やって欲しくないと思っていることをやるのはまさしく恩を仇で返す行為。
だからなんで夫に楽しみを放棄させたいの?それあんたに何の得があんの?
が増田の言ってることでちゅよね。
妊娠前から女が酒嫌いで人混みも大嫌いでフジロックなんて一生行く気はなくて家に引きこもってどこにも行かずに毎日数十分だけゲームができたらそれだけで死ぬほど幸せって人で嫁が許すなら、(コロナ禍じゃなければ)フジロック行ったっていいじゃんとなるかもしれないけど、自分が種まいて妻の楽しみをめいいっぱい制限させておいて、嫁は行きたくとも行けないフジロック行って自分だけは楽しみたいってのが…クズですわ。
夫がフジロック行こうが行くまいが自分は行けないんだから夫がどうしようと関係ねーじゃん。
増田も言ってるように「体調わりーからそばにいて」ならわかる。俺もわかる。そばにいるべきだ。
「自分が楽しめないことを楽しんでるのが腹立たしい」はわからん。何こいつ気持ち悪!って思う。増田流に言うなら馬鹿で性格暗い奴だなってなる。
まあ、恩を恩とも感じないんだろうけどな。
お前はまず人が言ってることをきちんと読めるようになるべきだし
相手が言ってないことに反論しても「あ、馬鹿なんだなーおつかれー」ってスルーされるだけやん。
で、なんでプラスの何かをしてもらうのじゃ満足できないのに相手に損させると気が済むの?
おせーて?
そこをきちんと説明できないんなら、やっぱり頭が悪くて暗い人格に引きずられて荒れ狂ってるだけの馬鹿なんだなーってなるけど。
そうか、この人は妊娠出産の危険、苦痛を本当に偶然意思なくパートナーに降って湧いたちょっとだけ不幸な出来事ぐらいにしか思ってないんだろうな。
実際には、偶然でもなんでもなく夫婦2人で決めたことで、危険や苦しみってのは女だけが負担して、女が苦しんだことによりうまれる喜びは夫婦2人で共有するんだけど。
どれだけの痛みをパートナーに負ってもらってるかっていうのは、一切考えないんだなぁ。
それってちょっとした宝飾品なんかじゃペイされないんですわ。
「出産のリスクや恐怖なんて大したことないのにわぁわぁ騒いで人が損するように動いて女なんてバカばっかり。はー呆れるわーちょっとした宝石でももらってきゃー嬉しいとでも言ってたら可愛いのに」ってのが言いたいんだろうけど、
こっちは「何もかも人に背負わせて損させるような行動とっておいて、自分だけが楽しく遊びまわって更に子供が産まれるという幸せにありつけると思ってるなんて頭おかしいんじゃないか?数百万もしないような宝飾品(笑)がどれだけの賠償金になるってんだ。そもそもちょっとした宝飾品で妊娠出産請け負うほど安くねーんだわ。なんでちょっとした宝飾品ごときで命かけなきゃならんのや」っていう意見だもんなぁ。
妊娠出産にまつわるなんやかやをちょっとした宝飾品で賠償できるなら、それは相手との関係性があったからだ。
仲のいい姉妹や、自分が産んだ子供が妊娠出産できないなら、感謝の言葉や飯奢ってもらうくらいで代理出産してもいいけど、仲の悪い姉妹や恩を仇で返すような子供のために代理出産はしない。
妊産婦が行って欲しくない、やって欲しくないと思っていることをやるのはまさしく恩を仇で返す行為。
妊娠前から女が酒嫌いで人混みも大嫌いでフジロックなんて一生行く気はなくて家に引きこもってどこにも行かずに毎日数十分だけゲームができたらそれだけで死ぬほど幸せって人で嫁が許すなら、(コロナ禍じゃなければ)フジロック行ったっていいじゃんとなるかもしれないけど、自分が種まいて妻の楽しみをめいいっぱい制限させておいて、嫁は行きたくとも行けないフジロック行って自分だけは楽しみたいってのが…クズですわ。
まあ、恩を恩とも感じないんだろうけどな。
このところ常に死にたいとうっすら考えているような感覚で生きている
楽しいことがあってもふと「そういや死にてえな」と思い返して楽しさが冷めていく感覚。
そしてそれは大体みんな同じような感覚を抱いているんだろう、死にたいと思っていない奴はむしろ相当の楽天家か馬鹿の少数だけと思っていたが、どうやらむしろ死にたいと思っている人の方が少数派らしい。
別にいじめられているとかブラック労働がとかじゃない。それなら別にそうじゃない人は死にたいと思わないだろう。理由はSNSを始めとする社会に蔓延する憎悪があまりに重苦しく苦痛だからだ。
最初に断っておくとこれから出てくる加害者たちを擁護する気は無い。
もちろん悪い事をした人が悪いのだが、ことある事に槍玉にあげてその都度完膚なきまでに叩く多数をみて「ああ嫌だな」と何となく感じた。
スキャンダルに対してその当事者がネットで槍玉に上がったことはそれまでにもいくらでもあった。
思い返せば小保方氏や野々村議員もその例だろう。ただ彼らは音MADにされたりクソコラを作られたりと、もちろん本人してはたまったもんじゃないだろうが、スキャンダルをコメディとして消化しようとするものだった。
もちろん、ひき逃げの加害者を音MADにしろという訳では無い。こちらは明確に被害者がいる以上そんなことが許されるわけが無い。
それでも、一人の人間が憎悪の対象として消費されるのを見て擁護はなくても同情はしてしまう。
あまつさえ、上級国民とかいうこれまでなかった言葉まで使って高齢者富裕層まで主語を広げて叩く日には、「フランス革命でラボアジェを処刑した国民はこういう人達だったのかな」と思った。
オリンピックの諸問題の方々、金メダルを噛んだ市長それがし、不倫した芸人なにがしや声優なにがし等々。取っかえ引っかえの回転寿司状態だ。そしてその度に地獄のようなコメントが溢れる。これを書いてる途中に声優それがしが死にかけているらしい。書いている途中に知ってめちゃくちゃ偶然だが、遅かれ早かれそういうことが起きるのは明白だっただろう。
なぜそんなことになったかといえば、これらの人達は「わかりやすい自分と関係ない悪」だからだ。
家族や上司などといといった簡単には解決できない問題、更にはウイルスなどといった実体のない敵によるストレスは人類全体に重くのしかかってくる。「正義をもって悪を誅す」というのはそのはけ口としてとてもよく働く。自分のストレスや不安から目をそらすことに精一杯な人達はますます想像力が欠如して盲目になり、ましてや、加害者の心情なんて想像しない。
要はストレス解消のために叩いてもいい大義名分を持った人が求められているのだ。
こういう人達が活動を自粛したり降板したり表舞台から退いたり、ましてや自殺したら「責任を果たせ」だとか「逃げるな」だとか言われる。
そして決まって「被害者を思うと…裏切られたファンを思うと…」とかがくっついている。その綺麗事、大義名分になんの意味があるのか。
「次の悪者が現れるまで後腐れなく叩かせ続けろ」って言え
大体そういう人たちは何を以て責任を果たしたと認めるのだろうか。謝罪しても当事者でもないのに「誠意が足りない」だの「被害者には許さない権利もある」とかいうくせに。じゃあ目に見えればいいかといえば「金で解決しようとしてる」とか「上級国民が」とか言い出すくせに。
そして死んだら「責任から逃げるな」とかいう。むしろ自分が死の遠因になったという責任から逃げているのはそっちだろう。
開会式のいじめがどうとかいうミュージシャンそれがしを集団で叩くといういじめの構図をもって成敗した気になっているのは、悪趣味すぎるコメディかと思った。
もちろん自分が知らないずっと前からこういうことはネット、リアル問わずあっただろう。でもそれはメインストリームではない。
しかし、一億総発信社会/コロナ禍となってユーザーが生成するメインコンテンツが憎悪になってしまった。
そこに需要が存在すれば当然供給も発生する。メディアも問題があった人たちが如何に極悪人であったかを強調するために過去を漁って露悪的な記事を量産する。
もう現代においてピカソやワーグナーのような人はもう出てこないんだろうな。そして悪事はバレたら社会的に抹殺されるのだからますます陰湿になるか一撃必殺になるかのどちらかだろう。
膨れ上がった憎悪は関係ない人をも蝕むようになる。こんな社会に耐えるくらいなら消えた方がいい。いわんや当事者にしては想像を絶するものだろう。
こういうことを言うと起こりそうな意見に先に返しておく
・「悪いことをしたのは向こうなのだから当然だろう」「報いは受けるべき」
別に自分は「誹謗中傷はやめよう」とか「加害者にも人権はある」とか道徳の先生みたいなことを言うつもりは無い。これは絶望の言語化であって啓蒙ではない。
そもそもそんなことずっと言われ続けているのに悪くなる一方なのだから無理なのだろう
個人的にその原因は、歴史的に人類は「罰する」と「赦す」を神に丸投げしてきたからじゃないかと思う。
シャリーアを引き合いに出すまでもなく、法とは神が定めた道徳を人間にわかりやすくしたものだ。神の代弁者・執行者として悪人は裁かれ断罪された。逆に言えば、刑期を終えるとは「神が赦したのだから私達も赦そう」という理屈だろう。私刑が許されないのは、同じ理性の範疇内の人間が人間を捌くこと自体傲慢で歯止めが聞かないからだろう。
それが現代になって神が死に、ネットによって「罰する」と「赦す」が急に個人個人の人間の与えられたら上手く使いこなせるはずがない。何を以て許せば良いのかも分からない。だからこそ憎悪はどこまでも増幅し、終わりがないのだろう。
・「確かにクソなことはあるがネットにもリアルにも善意や楽しいことだってあるだろう」
それは確かにそう。実際自分もある程度いわゆるオタクなので「次のイベントが生きる糧」だの「2期を見るまで死ねない」だの思っていた。
でも最近ふと、なぜそれらが好きか理由を考えたら、自分は死にたいという感情を麻痺させる麻薬に過ぎないと思っていたことを悟った。一回そう思ってしまったらもうその麻薬は直ぐに効き目が切れるようになった。
これも確かにそう。ジャコモ・レオパルディという人も「世間とは立派な人間たちに対抗する悪人どもの同盟、あるいは寛容な人たちに対立する卑怯者どもの集まりだということである。」とか言っている。その通りだと思う。でもネットをやめたとてこの社会に逃げ場なんてあるのか。分断と対立・不寛容が加速するこの世界でネットのような憎悪が現実にも染み出していることはキャンセルカルチャーなんかを見るまでもなく明らかだろう。情報自体から隔絶された世界で仙人のように生きればいいのか。そうしたら確かに死ななくても良いかもしれないが、憎悪を撒き散らす人達が野放図に暮らして、そうでない人が隠れていきなければいけない世界ならますますこの社会はクソだろう。
・「この恨みにまみれた投稿だって憎悪を増やしているだろうブーメランじゃないのか」
その通り。だけど今更ネットにデブリがひとつ増えたとて誤差だろう。
繰り返すがこれは現実への諦念であって啓蒙ではない。だからこそ聞きたいのは、どうやってこの憎悪の中死にたいとも思わずに生きていられるのだろう?
根底には社会的強者への反発や恐怖から来る団結があるという前提で見れば、その強者から自分達も混ぜろと言われる苦痛は明らかだ。なにせいくら心はマイノリティと言っても身体は強者そのものなのだから。
シス男性よりもシス女性よりも学校でいじめられやすく大学進学率が低く働き口が少なく家族から縁を切られやすく自死しやすいトランス女性を、身体的な強さ(ホルモンで弱まるが)だけで社会的強者とすることはできない。
嫌悪でなく恐怖に基づいていれば異人種や外国人や障碍者やホームレスを排除しても差別にならない、などということはない。
もっともTERFを批判してる人も含めて多くのトランス当事者は一定の排除を受け入れてるようだが。風呂は竿を取ってからとか、トイレはパス度や生活実態に応じてとか。それが全く差別でないと言い切るかはともかくとして。
そもそも男性障碍者の利用を認めている女性専用車両は多いのだが。
それもゼロリスクじゃないから駄目だと言うなら、一般車両を利用する男性だって性被害はゼロリスクではない。
ここで女性と限定するのは、トランス男性と男性の場合トランス男性は男性用トイレに入りたがると思えないからだ。ある程度生きれば、性自認に関わらず女性の身体で男性用トイレに入るリスクを考える。
とある人物が、「バイク乗りのイメージが悪くなるから、水上バイクという呼称をやめてほしい」という主張している。
・業界代表して叫びます「水上バイク」って呼称やめてほしい「あれはプレジャーボートです」-https://www.youtube.com/watch?v=hyiaJNDQP-o&t=1s
彼は都内でバイク屋を営んでおり、入庫した中古バイクの状態や車両にまつわるうんちく、バイク業界の裏話などをYoutubeにて発信。チャンネル登録者数は40万人に迫り、バイク業界ではちょっとした有名人となっている。
で、つい数時間前に投稿されたのが上の動画。動画の趣旨は、「水上バイクの迷惑行為がマスコミによって報道されている。水上バイクと呼ばれるとバイク(オートバイ)業界も一緒くたに思われて、バイク(オートバイ)業界のイメージが悪くなる。プレジャーボート等の呼び方に変えてほしい。」というもの。ローリング族や暴走族の存在により、ただでさえ悪いオートバイの印象が、水上バイクの報道によってさらに悪化することを彼は危惧している。私は、水上バイク乗りのマナーとバイク(オートバイ)乗りのイメージに関係があるとは到底思えないので、被害妄想も甚だしい主張だと思うけど、それは詳しく書きたいことではないので、この辺にしておく。
私が拙い文章をチマチマ書いている理由は、この後の彼の発言にある。
あろうことか、彼は「水上バイク業界はガラの悪い人が多い。そんな人たちと紳士的なバイク(オートバイ)乗り集団を近づけないで欲しい。」と、一方的な決めつけに基づくバッシングを展開した。一応言っておくが、彼は水上バイクに「乗ったことがある」程度で、業界について精通しているわけではない。
水上バイク乗り全員が悪人であるわけではない。クローズドな環境で競技に打ち込むようなクリーンな水上バイク乗りも必ず存在し、報道されているパッパラパーな連中に怒りをあらわにする水上バイク乗りもいることだろう。そして、オートバイ業界と水上バイク業界のどちらの方がガラが悪いのかなど、互いの業界に精通するような人物でなければ分からないはずだ。
それを理解せずに、強力な発信力のもと、身勝手な決めつけをして水上バイク業界を叩くことは、クリーンに楽しむ水上バイク乗りの尊厳を傷つけるようなひどい行為である。
それに加え、彼の発言は「水上バイク乗りVSオートバイ乗り」といった不毛な対立の火種となりうる。また、多くのバイク乗りが彼の主張に賛同したならば、「バイク乗りは、他の業界に対してリスペクトのない身勝手な連中である」という印象を、水上バイク界隈や一般世間に与えてしまいかねない。(少なくとも私は、彼は他業界に対して敬意を払わない不躾な人物であると感じた)。彼のこの発言は、水上バイク業界だけではなく、自らが愛するオートバイ業界にもダメージを負わせる危険なものである。
ルールやマナーを守りながら楽しんできたオートバイ乗りが、ローリング族や暴走族の存在によって一緒くたに悪と決めつけられてしまった苦い経験を、彼は嫌なほど知っているはずである。そして、水上バイクの問題とかつてのオートバイ問題は、同じような状況下にあると想像がつきそうなものである。(似たような経験をしたならなおさら)
なのに、なぜ彼は自分たちが受けてきた苦痛を、他の業界に対して何のためらいもなく与えてしまうのだろうか。
水上オートバイの業界に対してどんな印象を持つかなんて人それぞれだから、それについてとやかく言うつもりはない。だけど、強い発信力をもってしてそれを主張し、余計な荒波を立てていらぬ対立やイメージの悪化を生み出すことはやめてほしいし、それ相応の良識を持った振る舞いをしてほしいと思う。
LGBTQの中でトランスジェンダーだけが女性に受け入れられにくいのは何故か?という記事への感想が長くなったので
ここから紐付ける方法も分からないから元記事と重なる部分が多いのだが、たった今はてな匿名ダイアリーの書き方が分かったくらいなので許されたい
まずそもそも何故男性より女性の方が差別へ理解があるのか。これは女性の共感力や愛の価値観云々の問題もあろうが、単に世の中が男性社会だというだけだと思う。仮に日本が女性社会の国なら差別に理解を示すのは男性になっていただろう。女性は被差別側として仲間意識があるから相対的に親身になれるにすぎない
根底には社会的強者への反発や恐怖から来る団結があるという前提で見れば、その強者から自分達も混ぜろと言われる苦痛は明らかだ。なにせいくら心はマイノリティと言っても身体は強者そのものなのだから。差別の中身は嫌悪だが、拒絶の中身は恐怖だ。恐怖はどうにもならない。トランスジェンダーを第三の性とせず既存の性に割り振る強引な平等が義務付けられたトイレばかりになれば、次はシス女性が安心して過ごせる専用トイレが作られるのが目に見えている。女性専用車両もシス女性専用車両に名前を変えるかもしれない
愛の名のもとには色々なことが許されるが、トランスジェンダーは他のLGBTに比べて愛に直結しない。そして社会に要求する融通が図抜けている。愛し合う二人を祝福するだけでは済まない。
某演説で性的マイノリティの権利を認めたところであなた達(性的マジョリティ)の権利が侵害されたりはしないという趣旨の訴えがなされた。だがこれは上記のようにトランス女性と女性の場合当てはまらない。
ここで女性と限定するのは、トランス男性と男性の場合トランス男性は男性用トイレに入りたがると思えないからだ。ある程度生きれば、性自認に関わらず女性の身体で男性用トイレに入るリスクを考える。加えて男性トイレは個室が少ない
長々と書いたがこうして見るとトランスジェンダー問題を根本から解決できるのはシス男性・ヘテロ男性の行動のみということになる。だがトイレひとつ取っても盗撮盗聴性暴力と、女性が男性に恐怖を抱かなくなる日は遠い
風俗で働くことは苦痛だから風俗に行くことは罪であるみたいな話を読んで思った
話は変わるけど、男は死んだ方がいいみたいなことを書いた次の段落で男性にもフェミニズムを勉強して欲しいみたいなことが書かれていて、この人は男性に対して男性は死んだ方がいいという暴言を吐いてそれを読ませることで興奮するタイプの人なのか?と思ってしまう
個人差が大きいというモデルナワクチンの副作用。一例として参考になれば幸い。
増田は40代前半、中肉中背の男です。平熱は36度5分ぐらい。
ワクチンは一回目も二回目も10時45分頃に左肩に打たれています。どちらも注射そのものは痛くありませんでした。
一回目は打たれて数時間したら左肩から左腕にかけて筋肉痛のように痛みました。夜寝る前に検温すると37度でした。翌日起きると平熱に戻っていましたが、左肩から左腕の筋肉痛のような痛みは依然としてありました。この痛みは数日するとなくなりました。
二回目は打ってから5時間ほどでかなり左肩が痛くなり左腕が動かしにくくなりました。8時間ほどで自分で左腕を動かすのはかなり根性がいるようになり、かつ、少し熱があるように感じました。
9時間後に検温すると37度9分で、冷房を入れずに過ごしたが全く暑くなかった。
さらに9時間半後で38度1分。この頃から左腕がとにかく痛くてTシャツを脱ぐの着るのも辛く、甚兵衛で過ごすように。
13時間後に38度8分を記録(最高温度)。全然汗をかかないので焦る。インフルなどだと高熱とともに筋肉痛や関節痛が起きるが、そういう痛みはあまりなかった。強いて言えば多少膝関節が痛いような気もするぐらい。熱さまシートを額と首の後に貼って寝る。
4時間寝て目を覚ます。接種後17時間後の時点で検温すると38度7分。多少汗をかいていた。脚がだるい。寝直す。
20時間後。二度寝から目覚める。食欲はあって朝食を普通に摂る。体温は38度。左腕はたれ下げているだけで痛い。相変わらず空調を入れていないが全然暑くない。
ここから数時間ごとに検温したが、だいたい38度1分を記録。変化があったのは1日と7時間後で、暑く感じるようになり汗をかくようになった。その他は変化なし。
1日と9時間後、37度8分。左腕の痛みは多少マシになったような気がしなくもない程度。ちなみに左腕の見た目は普段と変わなかった。モデルナアームとかにはなっていなかった。
1日と11時間後から17時間後の間は、だいたい37度7分。熱が引いてきている気がする。腕は相変わらず痛くて寝返りをうつのも苦痛。
1日と21時間後。眠って起きると37度1分。熱は下がってきたが腕の痛みは変わらず。腕を上げると痛いので頭も上手く洗えないし何かと不便。食欲は相変わらずある。
連休なのでよく休むことにする。普段の寝不足もあってか眠いので寝たり起きたりを繰り返す。起きるたびに体温を測るがだいたい37度1分。夜になると体温が下がって、2日と13時間後に36度9分とついに37度を下回る。
2日と20時間後。目覚めて直ぐの検温は36度4分。寝起きだから多少低いだろうが、まあまあ熱はなくなったと考えてよい。左腕は相変わらず痛くて左腕だけでは痛くて動かせなくて、気合を入れて右手で介助をすれば動かせる程度。時間がかかるがTシャツを着ることもできた。職場の階段を上り下りしたら腿が痛くなった。これまでたかだか2日間家に閉じこもったからといって階段で腿が痛くなることはなかったので、何かしらワクチンの副反応ではないかと疑っている。
そして1週間経ったが、左腕は相変わらず痛い。さすがに右手の介助は無くてもある程度動かせるけど、未だに左腕だけだで前に腕を上げるのはかなり厳しい状態。そしてお腹が緩くなった。
記録としては以上です。周りでは同じモデルなワクチンなのに全然平気な人や、私以上に高熱が出て吐き気に悩まされた人もいて、本当に個体差が大きいのだなぁという印象です。