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2018-10-05

市民的公共性存在する(が千田氏の思うようなものではない)

辞書的に言えば「市民的公共性とは、ハーバーマスが『公共性構造転換』(1962)の中で提唱した概念ホルクハイマーらの『人間の理性が頑張っても幸せにならないんじゃないの? だってナチスとか出てきたし』という悲観に対するカウンターとして提出された。ハーバーマスにとっての公共性人間自由平等連帯幸せになっていくためのベースとして存在している」といった感じ。

~性というのはいかにベースとして弱そうだが、ドイツ語のÖffentlichkeitは「Public sphere=公共圏」と訳すこともできるというかこっちのほうが適切だと最近は言われている。なので以下では基本的公共圏統一する。

で、市民公共圏って一体何よ?

それはハーバーマス自身もよくわかっていないようである。その証拠大学図書館には「公共圏ってたぶんこういうのだと思います(こういうものだったらいいな)」という本が溢れている。たぶん最大公約数的には「まあみんなで議論する場は必要だよね」というあたりで理解されている。

しかし、この「みんなで議論する場」というもの曲者である人類の大半の歴史上、「みんなで議論する場=公共圏」には男性だったり社会的強者だったりという入場パス必要だった(今でもそうかもしれない)。しかしそれは今日価値観から見れば明らかに間違っていたわけで、その間違い(入場パス)と長い間仲良しだった概念自由幸せ社会ベースに据えていいのかという問題がある。

ハーバーマスは彼が理想とする市民公共圏がどういうものであるかは、少なくとも『公共性構造転換』の中では(たぶんそして今日に至るまで)ふわっとしたことしか言っていないのだが、どういうものでないかはこれ以上ないほどに詳しく論じている。一見いかにも学者らしい無駄っぽく思えるが、「こっちに行ってはいけない」というガイドブックでもなにもないよりはましである。たぶん。

本稿では、「昔の(入場パスつきの)公共圏にはこのような批判がありました」とハーバーマスが論じている部分を検討し、その批判千田氏の立場にブッ刺さっていることを確認する。その結論として、千田氏の「市民的公共性」という用語用法いかに不適当ないしド適当であるかを示す。

ヘーゲルによる公共圏批判

以下ではハーバーマス細谷貞雄山田正行訳)『公共性構造転換』の第四章 第一四節「公共性弁証法によせて――ヘーゲルマルクス」に基づいて議論を行う。

ヘーゲルは入場パス公共圏関係を真っ先に疑った人であった。とはいえヘーゲル最初からブチ切れたりはしない。「公論公共圏における論議、もしくは公共圏のもの)っていいよね、合理的だし」というところから話を始める。でもその合理性って自由主義がベースになきゃ成立しないよね?(みんなが自由意見を言えることが前提なので)、でもその自由主義って本当に公共圏とそこまで相性いいだろうか?とヘーゲルは問う。考えてみればこの矛盾は明らかである。司会のいない多人数の会議を考えてみればよい。地獄である。間違いなくそこに自由はある。なのに(だから?)地獄である

このことの地獄性は会議室を超えて社会とか国家とかのスケールになるとより増す。例えば少数者差別を考えてみればよい。これはみんなに「自由に」議論させてるだけではそもそも議題にすら上がらないだろう。そうして公論きらきらした合理性の賜物から「多数者の主観的私念」という水準へと転落する。公論は「自然に生じた不平等止揚するどころか、むしろこれらを技能財産さらには知的倫理的教養の不平等まで深めていく」。入場パスを持っていない人はより不利な位置に、持っていても少数派の人もまたより不利な位置に、公論によって追いやられる。

まあとはいえ人間も頑張るもので、法治国家とか市民社会とかを作って頑張って公論して私念から理性に支配権を移そうとするのだが、ヘーゲルいわく土台が腐っているのに頑張っても泥縄だそうである。そうした頑張りはむしろ国家主観的私念を入り込ませる結果になるとヘーゲルは言う。じゃあどうすりゃええのよって言えばヘーゲル最初から開き直って身分制国家を作れとか言ってそれに対しマルクスがいや社会主義でしょとか言って最後ハーバーマスがいや公共圏を作んなきゃダメだよとか言うのだが、そのあたりは略する。

ともかくにもハーバーマスが描く市民公共圏というものは、こうした批判スルーしては論じることができない。ここで重要なのはハーバーマス公共圏をどのようなもの「ではない」と考えていたかということである。以上見てきたようなヘーゲル理論は最終的に乗り越えられる(ということになっているが詳しいことはやはり不明)のだが、であるからこそ少なくともヘーゲル批判したそのままのことをやるのがまずいというのはわかっている。

千田氏は何をしたか

まさにヘーゲル批判した地獄公論インターネット上に出現させようとしているのである

私自身は「表現の自由」は国家から規制されるべきものではない、とは思う。でもそう思うからこそ、国家から規制されるまえに、「市民的公共性」を発達させないといけないと思うんですよ。

あと表現って、さまざまな他者への配慮のなかでこそ磨かれていくものだと思う。フリーハンド表現なんてない。https://twitter.com/chitaponta/status/1047451777220501504

市民的公共性の話って、ハーバーマスのつもりだったんですが…。https://twitter.com/chitaponta/status/1047789073471946752

市民的公共性対話によるものですから、そのことを話し合うことが大切だと思います

いままさに起きていることが、市民的公共性なのではないでしょうか?https://twitter.com/chitaponta/status/1047810256976269312

まず第一に、専門用語を「」で括って注釈なしに使うのはおよそハーバーマスの「市民的公共性」的態度ではないといえる。なぜならこれこそヘーゲル批判した「自然に生じた不平等を(略)知的倫理的教養の不平等まで深め」る態度にほかならないかである

そして第二に、ハーバーマス議論は上のような「話し合えばそれが公共性」というような安易理解を拒絶するものであるということを千田氏はまったく理解していない(か理解していても無視している)。上で見たヘーゲルによる公共圏批判からもわかるように、ハーバーマス議論は「公共圏にはあれやこれやそれや…の批判があるけど、でも、それでも公共圏がなければ人間幸せにはなれないんだ」というひねくれたものであり、単に「話し合いが重要だよね」と言っているのとは違う。仮に結論は一緒だとしてもやはりそれは違う。その違うものを一緒くたにして、専門外の人に「話し合い=市民的公共性」という理解(そんな人のいい理解をしている人はほとんどいないようだが仮に字面だけ虚心に読んだとして)を植え付けることが、ほんとうにハーバーマスであるといえるだろうか?

第三に、「思う」根拠が示されてない。少なくともハーバーマスは「国家規制を前もって回避するために市民公共圏を発達させるべきである」というような具体的な議論はしていないはずであるであるとすればこれは千田氏のオリジナルアイディアが含まれているはずであるのだが、それがまったく説明されていないのと、先に述べたようにそもそも専門家間ですら扱い方に差がある「市民的公共性」という単語のせいで、最初ツイートの二文目は全く意味不明ものと化している。原理的に誰にも意味が伝わらないはずのもの炎上しているのはお気の毒というほかないが、であるからこそ千田氏は「市民的公共性」の意味と「思う」理由をしっかりと説明してほしいと思う。

2010-02-18

人気若手女性声優61人のラジオを最小効率で回ろう

風呂場で組み合わせ考えてたら面白かったので、せっかくだから記事も書いてみました。

ルールは、二つ。

[1]出来るだけ若手女性声優2人であること(3人以上だと誰か分かりにくい)

[2]出来るだけ面白いとされるペア、番組内容であること

こっちのペアの方がいいよ!(阿澄、松来。柚木姉といえば…とか)という意見は重々承知ですが、それも最小効率のためです。

レギュラーでペアの場合、出来るだけ初見でも入りやすい番組序盤を選んでいます。ただし、インパクトのある回は別。


これで、いっぱしの声優通を気取ったらお兄さん達に叩かれますが、何かのきっかけになれればと思います。

個人的には、お兄さんたちがどれだけ聞いてるかも気になります。

一応、リンクを貼るか貼らないかは色々面倒を引き起こしそうなので、ここでは行いません。逆に言えば(ry

番組CDを買うきっかけになれば。ただし、まとめ動画がある場合はリンクを貼ります(ニコニコの運営的に問題がなさそうなので)。


浅野真澄植田佳奈・・・シゴフミ マル秘日報[第4回]

阿澄佳奈後藤邑子・・・ひだまりラジオ[第4回]

新井里美大原さやか・・・コードギアスはんぎゃく日記[第40回]

井口裕香佐藤利奈・・・とあるラジオ禁書目録[第1回]

井上麻里奈中尾衣里・・・中尾プロ名言集 その1(キャラヲタ編)(http://www.nicovideo.jp/watch/sm1778124)

伊藤静生天目仁美・・・開運☆野望神社[第38回]

伊藤かな恵豊崎愛生・・・とある“ラジオ”の超電磁砲[第15回]

今井麻美たかはし智秋中村繪里子・・・アイマスレディオ[第57回]

遠藤綾早見沙織・・・セキレイらじお[第5回]

加藤英美里柚木涼香・・・☆ラジオCandyboyのエロ萌えトークだけを集めてみたpart1☆(http://www.nicovideo.jp/watch/sm4762885:title

鹿野優衣・平野綾宮崎羽衣・・・すももらじお[第1回]※あまり組合せはよくない。鹿野は小野坂、他は単体

川澄綾子能登麻美子斎賀みつき・・・PONY CANYON STYLE まるなび!?[第53回]

神田朱未堀江由衣・・・ 神田朱未のBitterSweetSaturday[第1回]

喜多村英梨新谷良子・・・ラジオ腐りかけ![第53回]

釘宮理恵・(日野聡・・・釘宮理恵 暴言集~勝手編集ver~(http://www.nicovideo.jp/watch/sm1265635)

桑谷夏子斎藤桃子浅野真澄・・・Solty Reidio[第11回]

小清水亜美三瓶由布子浅野真澄・(鷲崎健・・・A&G 超RADIO SHOW~アニスパ![第146回]のアニスパ企画室

寿美菜子高垣彩陽・(鷲崎健・・・鷲崎健超ラジ![第111回]※途中からsphere

小林ゆう森永理科・・・森永理科アウトロラジオ[第56回]

斎藤千和沢城みゆき・・・ぱにらじだっしゅ![第19回]

清水愛中原麻衣・・・麻衣&愛の電撃G'sラジオ ストロベリー・パニック! 〜お姉様いちご・そうどう〜[第1回]

白石稔)・金田朋子今野宏美・・・金田朋子日本語でおk 12月号(動画。その後、↓へ)

白石稔)・茅原実里水原薫・・・「喰霊-零-超自然災害ラジオ対策室[第10回]

白石涼子野中藍・・・野中藍 ラリルれ、にちようび。[第56回]

高橋美佳子日笠陽子・・・美佳子@ぱよぱよ[第417回]※但し、第446回(2010/2/18)にも登場予定

田村ゆかり水樹奈々・・・水樹奈々 スマイルギャング[第332回]

戸松遥花澤香菜矢作紗友里・・・花澤香菜のひとりでできるかな?[第52回]

豊口めぐみ松来未祐・・・めぐみゅうの神楽坂ハッピーチューナー[第52回]

原田ひとみ水橋かおり・・・ラジオ Dream C Club[第3回]


これを1巡(約15時間)すれば、君も今日から声優好き!

漏れの代表格は、相沢舞(うますぎwave)、真田アサミ(まりほり)、佐藤聡美(しゅがぽ)、清水香織らぶエモ)、竹達彩奈(初ラジ)、田中理恵(ぱよの企画)、福圓美里(すまぎゃん)、福原香織らきすた放課後

2009-02-26

チラ裏, on the Japanese language

One characteristic of the Japanese language is that it can express social identities by the mode of speech adopted: it can sound polite, aggressive, old, young, manly, girly, etc. just by changing how you call yourself. The content of the utterance itself does not have to change. Of course, this can be seen in many languages, even English. What is unique to Japanese, however, is that the degree of this embeddedness of the social identity in the utterance is very high. Many other language can express this through the body-language or non-verbal operation of the body. Japanese, on the other hand, make use of the verbal very strongly.

On the web, this may cause an interesting phenomena which cannot be observed in the English sphere: strong schismogenesis. Take the culture of 2ch, for example: language used there strongly differs from the 'normal' Japanese language, yet comprehensible. This creates a certain type of discourse that is differentiated from the 'real' world. Moreover, people may accuse each other for adopting a certain mode of talking.

Again, this is not to argue that other languages do not have this characteristic. In Britain, for example, the vocabulary used by the higher class and the lower class is very different. Youths may use a certain form of abbreviation (e.g. "r u ok?"). However the Japanese language can encompass something much more than that. It can express the class, gender, feelings, level of politeness, etc just by changing the verbal expression, which may result in debasement of the value of non-verbal expression.

 
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