2021-08-26

「笑い」と、苦痛暴力について

全体的なストーリーがある映画ドラマの中の一コマとして、登場人物フィクションとして痛い目にあうのは許容されるべきであると私は思う。

例えば、映画メリーに首ったけ』の冒頭で、主人公ズボンのファスナーに性器を挟んで大惨事になるという場面があるが、これはベン・スティラー本人が本当に性器を挟んで負傷しているわけではない。しかし、この場面は笑える。いや、下ネタが苦手な人は笑えないかもしれない。私が挙げた例が不適当だと思う人は、他の適当作品や場面に置き換えてもらいたい。

何を言いたいのかというと「本物の暴力苦痛演者に与えなくても、観客を笑わせることは可能である」ということである。これは、殺人事件を描いた物語を作ることで観客に感動を与えるために、本当の殺人を行なう必要は無いし、難病恋愛ドラマで観客に泣いてもらうために、俳優を本物の病気罹患させる必要は無い。それと同じことである映画マラソンマン』で、ハアハア言うために走ったダスティン・ホフマンは、ベテラン俳優から「何故、君は演技をしないのか?」と批判されたが、お笑い現場でも同じことが起きつつあるだけのことだ。

笑ってはいけない等の、本物の暴力苦痛演者に与えなければ笑いを取れないような、製作者の能力が低いお笑い番組は消えるだろうが、それは望ましいことである

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