はてなキーワード: 自己憐憫とは
「○○が好きなんじゃなくて、"○○を好きな自分"が好きなだけでしょ?」
誰にでもどのシチュエーションにでも当てはまる汎用性の高さ・便利さゆえなのか最近よく使われてる場面を見かける。
しかしこれ諸刃の剣。そもそも雑な反論だし、おまえが相手のメンツ潰すためにメタ視点でマウント取りに行ってるわけじゃん。
ちゃぶ台ひっくり返してるだけ。誰も得しない、不毛な論法なので使用は自粛したほうがいいかと。誰も「好き」を言えなくなる。
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追記1
○○が好き・嫌い、と自己愛の有無はそれぞれ独立したパラメータと考えたほうがいいのでは。どの趣味にも人間性がヤバい人は混じる。
何かを好きになったり嫌った時に、自己嫌悪することもある。「お酒は好き。でも酒ばっかり飲んでる自分が嫌い」とか。依存症っぽいけど。
自己肯定感が低い人なら「自分自身が嫌い、でも自己憐憫に酔ってる自分はもっと嫌い」とか。4パターンのどれもありうる。
自分に酔ってる感じがするから、エゴが含まれてるから本当の好きではない、って前提はない。「本当に好きならなぁ〜」ってマウント合戦を始めるんかい?
あんまり掘り下げるとコミュニケーション・処世術とか、愛とはなんぞや、みたいな増田で書くにはメンドくさいテーマになっていきそうだが。
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追記2
この増田記事を書こうと思った背景というか文脈を明かすと、別に自分がどこかで誰かにそう言われて悔しかったからって話じゃ全然なくて。
まず、ちょっと前にたしかTwitterだったかで「映画好きのサブカルくそ野郎がマウントとってきて、言い返してスッキリ」みたいなストーリーの漫画が上がってて
その中でこういうセリフが使われてた。(ソース見つからない。タイトル忘れた…)その時もなんだかなぁ、とモヤモヤした気持ちがあったけど、まぁスルーした。
で、最近のコーヒー好きが言いにくいって増田の記事がヒットしてて、そのブクマコメントの中にそういうこと言いだしてるやつがまさにいたわけ。(わざわざ晒さないけど)
うわぁー実際に言ってるやついるよ、ちょっとひとこと言っておかないと伝家の宝刀みたいに使いまくるやつこれから増えそうだな、と思ってカァーっとなってこれを書きました。
他人の「好き」の定義に振り回されて萎縮というか、「自分はこれを本当に好きなのだろうか?」って疑心暗鬼になることないよなーっと。
ただ注意が必要なのは、よく主語警察がよく指摘してる"主語の大きさ"ってやつが問題になるように、ジャンルというか大きい括りでの○○好きを気軽に公言しない方がいい場面もあるだろうってところで。
例えばコーヒー好きと最初から大きく名乗るのではなく、「こういう状況で飲むどこそこの缶コーヒーが好きなんですよー」って小さく限定しておいてから、話を徐々に広げるとか。
必要以上に崇拝していたりするわけではない。
なにが辛いって、どの女もほとんど同じで
まったく汲もうとしてないところ。
愛の楽しさ・うれしさ・ありがたさと苦しさは表裏一体だ。
受け取るにしても与えるにしても、
相手とかみ合わなければならず、
残念なことに往々にしてそこには不整合が多い。
だからこそ人は苦しんでそれを乗り越えようとする。
相手が幸せであることを願うがゆえに自己を省みてあるいは否定し、
その不整合を減らしていこうとする。
そのようにして作り上げていかれる。
しかし彼女らの文章にそれらの愛の態度はシミひとつも滲まない。
世にこういう人間は決して珍しくはないのだ、
俺のすぐ近くにいるかもしれないのだと思うと、
本当に哀しくなる。
人というものが信じられなくなる。
何かをすることはある。
ファイナルファンタジーやって時間をつぶしたり、
本を読んだり、旅行してもいい。
旧友と飲みに行ってもいいだろう。
だがそれもすべてこの寂しさを忘れるためと分かっている。
今日音楽のクリスマスコンサートに行った。
楽しみだった。始まって半分は楽しめた。
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ですがこの希望のない毎日を私はどのように過ごせばよいでしょう。
あなたのことを思い、あなたがいつも側にいてくださることはわかっています。
ですがあなたは私に声を掛けてはくれません。
いつも私がお声がけする一方です。
とても寂しいです。
この寂しさから私は何を学べばよいでしょう。
我が子の可愛い寝顔を見るだけでも楽しかったし、そこに生きる希望がありました。
ところが今は何もありません。
ああ、本当は分かっているんです。
私が悪いのだと。
あなたがそれに気付かせようとしていることは分かっていますが、
私のATフィールドが全力でそれを拒むのです。
辛い、でもあるべきところはもっと辛い。
そうですね、私は逃げてるだけなんですね。
3年前からやっていたスマホゲームをやめました。退会というシステムがないようなので、知人にデータを丸ごと移譲するかたちをとりました。
やめてしまったけど、わたしはあれはとても良いゲームだと思います。要はギャンブルみたいな趣味だったけど、少なくともこの3年間、わたしはすごく楽しかったし、何度か腹立って投げ出したこともあったけど、それ以上に何度救われたかわかりません。10年後くらいにまだゲーム残ってたらやってみたいな。
以下欝々とした補足。
あまりに家計が火の車なので知り合いのファイナンシャルプランナーさんに相談することになり、紆余曲折の末に奨学金の返還猶予をしたりとかいろいろすることになり、でまあそれだとさすがにスマホゲームなんてやってられねえだろうと。そういう感じに。
そんなに膨大な課金はしてないんですけど(月平均1000円くらいです)、お金以上に時間リソースの浪費が問題ということでした。まあ確かに、貧乏人ほど無為な時間の使い方をしがちですしね。
自己憐憫にまみれた感じで申し訳ない。でも貧乏なのは事実なので。
これまで、貧乏だけど心は錦をモットーに、文化的支出(スマホゲーだけじゃなくて本読んだりとか映画見たりとかそういう)に対してはできるだけケチらずすむようがんばってきたつもりだったけど、このままじゃお金が貯まらないどころか数年後にはあなた無一文ですよな状況なので。まあ自己憐憫に浸ることで支出が抑えられるならそれもまたいいんじゃないかなあと。そういうことを考えています。
同人活動も止め、水槽もやめ、ゲームもやめていったら、最近はわりと生きるうえでの愉しみがどんどんすくなくなり、週末が来るたびに憂鬱でとんでもなくみじめなので、もう少しローコストで愉しめる文化的趣味を模索してるところです。図書館通いとか?
見栄を張るのもやめることにしたいので、今後は今まで以上に飲み会や遊びの誘いを断ることが増えるのかな。
周りとどんどん話が合わなくなっていく。
楽しく生きるには、やっぱりある程度無駄遣いできるお金が必要なんだとわたしは思います。
甘えだと言われたら、でもきっとその通りなんだろうけど。
よぉいい感じじゃねーか。ww 俺だよ、オレオレ。
クソうぜぇ厨二が幼稚な自己憐憫に酔いながらこうやって増田で生息し、注目で上がってコメントが盛り上がる。お綺麗な文章作法云々しながら平気で他人の物を盗んで売り捌くお文士様達と、その下衆にすら届かずに劣等感に苛まれるはてな界隈にはおあつらえ向きだよな!
だがな、朝っぱらか酔っぱらってんじゃねーぞ?
オマエのやってんのは「ちっくしょー、遅刻して先公に怒られたぜ、なんで俺だけ?!」とか悪ぶってるクソガキを、もうちょっと貧乏なバカガキが「俺なんか給食費が払えずに学校これなかったんだからな? ナマ言ってんじゃねーよ」って殴りつけてるようなもんなんだよ。不幸自慢か貧乏自慢か知らねーが、こういう勝負に勝つ為にはテメーがいかに恵まれてないかがポイントなんだ。
女も同じ事やってるだろ? 「アタシ10万も貢いだのにフられちゃったー」「フン、アタイなんざ恋愛は無縁よ。ガキの頃からババァに店の男の相手させられたもんさ」みてーなな。
書くのは自由だ。でもウゼーんだよ、ウゼーの。だったら俺がそれを言うのも自由だろ?
幸せじゃいけないのか? オマエより恵まれた連中はみんなオマエより忌むべき存在か?
くだらねぇ。テメーはただ羨ましがってるだけなんだよ。金があるからなんだ? 容姿がよけりゃ幸せか? テメーの価値基準の基はどこだよ。知性か? 文章力か? 地位か? それともコネか? 馬鹿じゃねーのか?
世界が狭いんだよ厨二野郎。他人と比べなきゃ立ち位置が分からねーんだろうがよ。
オマエが使ってるパソコンだかスマホだかはな? 大儲けしてるメーカーが廃棄物をリサイクルして作ったもんだ。貨幣価値も環境意識も低い国で危ねぇかどうかすら分からないガキが有害物質まみれの煙と水に塗れた中で野焼きして取り出したレアメタルや金属を安く買い叩かれてな。
オマエは今朝何を食った? 食ってないにしてもどんなところで雨風を凌いでる? 服は何を着てる? 風呂にはいつ入った? 医者に掛かった事はあるか? 図書館にはいつ行った? 電気はどうだよ?
地下鉄で囲まれて命と財布を交換したことはあるか? 重油が足りなくて貨物列車を押した事は? 知り合いにドブ浚いした女は何人いる? 薬物キメなきゃ日雇い現場にすら辛くて行けない気持ちがわかるか?
キリがねぇだろうがよ。テメーはクソ狭いテメーの周りで自分よりちょっといい生活してる相手だけを見てグチグチグチグチ妬んでるだけなんだよ!!
こうやって恨み言だけ書くなら勝つ為にはどんどん不幸にならなきゃならねぇ。俺はテメーみたいのと付き合うはゴメンだ。
たくさんコメント貰えてよかったな! 朝っぱらから気分悪くてしょーがねぇよ。テメーのご立派な文章がどれだけみんなを勇気づけてるかよーく考えてみりゃぁいい。
何が罪びとだ。少しはモノ考えやがれ。
じゃぁなクソ野郎。
何故人はメンヘラになってしまうor引っかかってしまうのか・・・
10の快楽がその先に待っていたとしても人は目の前の1の快楽がチラつくと揺れ動いてしまう
脳天を突きぬくような衝撃
次に何が起こるのか分からない少しの恐怖感
這い上がって見てみればあれは肥溜めだったって分かる
他人に奉仕しつくして振り回され、無碍にされ、自尊心をめちゃくちゃにされ、
汚い部屋で、自傷を繰り返し、セックスを繰り返し、暴力と、暴言を浴びせ、浴びせられ
ほんと、何が楽しかったんだろう?
自己憐憫ってその時はめっちゃくちゃ気持ちがいいし絶頂が味わえるけれども
自分を大切にしてると自分が一番の自分の事を見ていてくれて、自分の生き方を決めることが出来て、暴力だって振るってこない事に気付く。
毎食ご飯を食べて、掃除して、仕事して、貯金して、運動して、読書して、
本当・・・なんであんな事してたんだろう?
むかつく。あれ絶対あの糞女だ。嬉しげに書き込んで、見る人見たらバレバレなんだよ
ぶひぶひばりばりジャンクフード食って豚みたいに肥え太って\(^o^)/ とか何気楽にやってるの?
親がいるから死ねない…とか、はあ?親だって死んでほしいと思ってるよ
何度も私ぼやかれたもん。産まなきゃよかったって
あんたにできる唯一の親孝行は死ぬことなんだよ。親は対外的に泣くかもしれないが心底ほっとするよ
へー頑張れば?勝手にすれば?
食費が死ぬほどかかる糞女なんてペット飼ってるのは自己責任でしょ
私たちじゃあの子はもうどうしようもないの…とか、何自己憐憫浸っちゃってるの?
何度も言ったよね、あの女捨てるんだったらいくらでも協力するって
私はあんたたちとはもう親でも子でもない
大学へは奨学金でいったし、○万円×12ヶ月×△年。十分に借りは返したと思ってる。
あの糞女がちょっとでも働いたらそれくらい家に入れられるだろ。
ごめんね、お父さんお母さんもう親孝行娘はやめたの
あの糞女、あんたらが死んでも引き取るつもりは当然これっぽっちもないから
そうじゃないと、糞女悲しいことになるよー
これ読んで思ったんですけどね。
この人の同僚が「俺だって鬱病言って家でぬくぬくしたいわっ」と言った時、俺がその場にいたら拍手してただろうな。
この人に突撃してアカウント凍結に追い込んだ「自称心の優しい病人(笑)」の奴らはマジで糞だわ。
あれって身動き取れないぐらいガチの病人と、ただ甘えて怠けてるだけの自己憐憫野郎が混在しているから、平行線のままだと思うんだよね。
まぁ論争なんて大体そんなもんだけどさ。
そして、「何も悪いことはしてないのに鬱になってしまった人」には配慮してあげるべきだし、じっくり休んで治療してほしいと思う。
きちんと歩道を歩いていたのに交通事故に遭って半身不随になったようなもんだ。
気の毒だわ。
ただ、単なる怠けとか不摂生がこじれて鬱になった奴には同情しない。
というか、かなり見下している。
こいつらは馬鹿以下だろ。
俺が勤めている職場にも鬱病の奴がいるんだよ(同じ職場といっても別会社だし、職種も違うが)。
一緒に仕事をしていると、こいつがクビになってきた理由がよくわかる。
まず、ロクに返事をしない。
こちらが用件を伝えているのにちっちゃい声で「ふぁん」って言うんだぜ?
なんだよ「ふぁん」って。
それ返事なの?何語?それともオリジナル擬音?もしかして「はい」のつもり?
施設警備の仕事なんて、こういっちゃ悪いけど「受付と巡回と点検と報告」ぐらいのもんなんだよ。
誰でもできる。
木下の仕事ぶりは、ま~びっくりするぐらいミスが多いし、ミスした後も言い訳してごまかすんだよ。
と言ってる小学生と変わらんわ。
救いようがないことに、木下は自分じゃ何にもできないくせに、他人に対して態度が横柄なんだよ。
「アイツら仕事おせーっすよねwww使えねーなぁwww」
と言って俺に同意を求めてきたり。
お偉いさんが来た時は、さりげなく後ろに回ってカンチョーポーズしたり。
落し物を受け取りに来た人に
「アンタ、ぼーっとしてるから物落とすんだよ。気をつけなよ」
と偉そうに注意したり。
と誰も意見求めていないのに地域差別しはじめたり(ちなみにその場には名古屋出身の人がいた、木下は気がついてなかったようだが)。
年上と喋ってるとき基本的にタメ語混じりだし、どうしようもねぇわ。
木下のミスを俺達がフォロー(別会社なのに・・・)した時なんか、特に最悪だったな。
普通は「私のせいで仕事を増やしてしまい、申し訳ありません」とか言うじゃん?
「みなさん、働き者ですねぇ(しみじみ)」
だとよ。
こちとらお前の尻拭いしてやってんだよ、このボケが!
で、そんな出来事が積もり積もって、木下の上司である警備隊長がとうとうブチ切れた。
隊長のほうが三才も年下だから、普段はある程度加減した説教してるんだけど、その時ばかりはマジで殺す勢いで怒ってたな。
勤務態度も人格もそれまでの生き方も将来も何もかも否定していた。
まぁそりゃそうだ、糞の役にも立たないどころか、他会社の俺たちにまで迷惑かけてんだから、徹底的に怒らないと示しがつかない。
さすがのアホ木下もこたえたらしく、下を向き、両拳を握り、真っ赤な顔をして、小刻みにプルプル震えていた。
そして一言こう漏らしたんだ。
「俺、うつ病なんですよ」
衝撃の告白の後、木下は隊長に反論した。奴の言い分はこんな感じ。(⇒は俺の心の中の反論)
『木下の主張1』
自分は基本的な業務と言葉遣いはできているからそこまで怒られる筋合いは無い。
⇒実際はできていない。
『木下の主張2』
某警備会社は残業月100時間超えが当たり前のブラック企業だから、こきつかわれて寝不足でフラフラしている。だからミスするのは仕方ない。
⇒たしかに某社は糞ブラックだが、お前は残業時間が無い研修中の時からミスしてただろ。態度が横柄なのは残業関係ないし。他の社員はこなせているんだから木下だけできないのはおかしい。そもそも防犯の仕事でミスは許されない。能力的に無理なら辞めるしかない。誰もこいつに続けてほしいと思ってないし、辞表を出せば代わりの人間が派遣されるからすぐにやめられる。
『木下の主張3』
鬱病になったのは違法レベルの残業と、隊長のパワハラのせいだ。あと高血圧も会社のせいだ。
⇒その会社を選んだのはお前自身だし、注意されてるのもお前が無能だからだろ。そもそも周りの人間がどれだけお前に耐えているのかわかってんのか?なんで被害者面してんだ?残業が嫌ならとっととやめろ。そもそも警備の仕事は精神病の人間がやっちゃいけないという法律あるだろ。そして木下の血管よ、破裂しろ!
少しでも注意すると、自殺をほのめかしたり、これ見よがしに精神安定剤を飲むからだ。
ミスをカバーし続ける隊長は、それこそ鬱になるぐらい疲れを溜め込んでいった。
それからしばらく日々は過ぎ、奴のそんな態度を見るに見かねた俺は
「木下さん、お仕事辛いんでしたら、うちの会社に転職されたらどうですか?うちの会社は残業もありませんし、いくつか資格を取れば入社は容易ですよ」
と木下に言った。
隊長も「よくぞ言ってくれた」という顔で俺を見た。
俺はマッドマックス怒りのデスロードのあのシーンのように、隊長に親指を立てた。
ところが木下は
「いや、俺は鬱だし、資格勉強とかできないんすよ。今、欝で記憶力が低下してるから学習障害だし。そもそも鬱だから何かやろうという気にならないんすよ。転職どころか会社やめるのも無理。ホントにしんどいんすよ、まぁ健常者にはわからないでしょうけど、ふぁん」
と言ったのだ。
は?
「鬱だから何もできないけど、ゲームやったりアニメ見たりすることはできる」、こんなこと言ってる自称鬱の甘ったれはネットにも掃いて捨てるほどいるよな。
奴が言うには、鬱で飯を作るのも面倒だからチキンラーメンとかジャンクフードしか食べる気がしないのだという。
おいおい、インスタント食品はどう考えても体と脳に悪いだろ。
インスタント食品みたいに手軽に食える健康食品だってあるだろ。
なんでそういうの食わないでチキンラーメンなの?
例え俺が日清の社員だったとしても、お前にチキンラーメン食われたら腹立つわ、ボケ!
というわけでもうお気づきでしょうが、木下は「鬱」を免罪符にしているだけなんですよ。
無能な自分を正当化するために「鬱」を振りかざしているんです。
奴にとって鬱とは水戸黄門の印籠なのです。
木下の頭の中の木下像は、「心が優しくて繊細、限界ギリギリまでがんばる真面目で責任感が強い人間」なのでしょう。
実際はただの「せんとくん」だけどな。
まぁ奴から見た他の人間は「鬱を甘えだと思ってる偏見厨」といった感じですか。
「うつは甘えではなく、病気なんだ。感受性豊かな心の優しい人間がかかる病気なんだ!」
とか言って元気にレスバトルしてるわけだ。
ちゃんとした人間だったら、もし自分が窮地に立たされた場合、最低限の努力をすると思うんです。
仕事でミスをしたら素直に謝って次から同じミスをしないようにするし、他人から信頼されてなければ態度を改めて誠意を見せるし、仕事がきつすぎたり向いてないと思ったら病気になる前に辞めるようにするし、転職したいと思ったら資格勉強したり職業訓練受けたりするし、血圧とか尿に異常が出たら食事に気をつけたりする。
俺だって糞みたいな能力しかもってないが、そういう最低限の努力ぐらいはするよ。
そういった努力をなんもせず、人のせいにして甘ったれて生きてきた奴が鬱病になり、今度は鬱を理由に甘え始めるわけです。
そんなにかわいそうだと思われたいのか?
馬鹿丸出しだな!
えーと、長々と書いてしまいましたが、冒頭に戻りまして。
おそらく、会社を休んだ人は木下みたいな奴だったんじゃないかな。
あーそうそう、木下の近況ですが、あいつ最近ますます鬱が悪化したようで、青ざめた顔でいつもうつむいてますよ。
もう言い訳する気力もないみたい。
まぁそろそろアレするんでしょうね。ハハハ。
http://anond.hatelabo.jp/20150907193602
これの続きなんだけど、解消しない。
しんどい。
我慢をしてはいけないのだと思う。我慢と思わないことだ。そのまま受け入れて、自然に気持ちがどこかに雲散霧消してしまうのを待つのが一番いい。
我慢をしてしまうと、おそらく糸が切れたときに本当に取り返しのつかないことをする。
それまでだ。
それまで、もう持つ自信がない。
行くと、好きになるんだよ。どんどん好きになってるのが自分でわかるんだよ。
でも、いろいろあるんだよ。明日からハイ行きません、とはできないの。いろいろあるの。
どうしてあの人は、あんなにつらいことばかりなのにいつも笑顔でいられるのだろう。
どうしても放っておけない。あの張りつめた笑顔を緩めてあげたい。何も難しいことを考えずに穏やかに過ごせる時間を少しでも作ってあげたい。
最初はこんなんじゃなかった。単純な善意で手伝っていたはずなのだ。
いつからだ。
あほか。
もうほんと出たくない。いや出たい。出たいんだよ。でも出たくない。
しんどい。
こうして自己嫌悪という名の甘い自己憐憫の渦の中に拘泥することをわたしは好んでやる傾向があって、だからいけないと思いつつも止められないのだろう。
頭が痛い。ぐるぐると考えても仕方のないことばかりが頭の中で渦巻いていて止まらない。
泣きたいけれど涙が出ない。
第一みっともないし、いやみっともなくても相談すればいいんだ。うん。
でもきっとわたしの友達は怒ってくれないのだ。
やんわりと注意はするだろうけれど、きっと、感情自体は受け入れてくれてしまうのだ。
それじゃだめなんだ。
違う違う。そもそも友達に何を期待しているんだろう、わたしは。
そうじゃないだろ。お前の問題だろ。お前がもっとしっかりすればいい話なんだよ。
泣きたいよ。泣けばたぶん割とすっきりするんだよ。
小学6年生のときに毎朝一緒に通学してたサッカー部の男の子が居た。色黒で背が小さくて目が大きくてクラスの中心人物だった。俺は当時からゲイやらBLやらの世界に興味津々だったのだが、彼と毎朝話すうちに、もしかしたら俺もそっちのケがあるのかも、と思い始めた。しばらくしてのち、俺は彼のことを考えながらオナニーをするようになった。正直、自分がそっちの人間であると受け入れるのは抵抗があった。まずは母親に相談した。すると、お前は女の子からもてないから、男の子で気を紛らわそうとしてるんだろう、と言われた。12歳の俺でも、流石にこの言葉にはがっかりした。これはダメだと思い、クラスの担任に相談したら、相手が誰であろうと思いやりを持つことだよ、と言われた。これにはなるほど、と感心し、しかし彼には何も言うことがないまま、小学校での生活が終わった。
中学生のときは女の子が普通に好きになった。2回恋をしたが、2回失敗した。2回失敗して、女はクソだな、と思った。本当は自分が一番クソなのだが。
高校は男子校に入った。勿論周りは男だらけで、クラスメイトや部活の友人は文化祭で彼女作りてーな、とか、この間TwitterのDMであの娘のLINE聞いちゃった、みたいな話で盛り上がるのはまあ当然、でやっぱり俺はこの男に囲まれる状況に満足してしまった。バドミントン部の同級生、口を利いたこともない他クラスのサッカー部、自涜の材料を挙げれば枚挙に暇がない。特にバドミントン部の同級生は身体は比較的大きく、しかし童顔で声が高く、今ではあまり使わない言葉を使えば「紅顔の美少年」という言葉が相応しい見た目だった。彼と一緒に帰ることが出来た日なんかは気が狂いそうなぐらい嬉しかった。しかし、林間学校の宿泊先で彼と同じ部屋になりすっかり有頂天だった俺は散々彼に絡んでいたのだが、当時俺は「それ」のケがあるんだよねとネタ半分に吹聴していたのもあってか旅行の前日に「キスとかしないでね、本当に」とわざわざ個人LINEが来た。キスはおろか、過度なスキンシップは避けていたつもりだったが、やはり疚しい気持ちというのはそれとなく出ているのかもしれない。俺は深く反省すると共に、俺はネタでああいうことを言っているのであって真面目ではないよ、と、彼を安心させようと思う故の姑息な嘘をついた。12歳のときに両親に言われたことを殆ど同じように自分に言ってるじゃないか、という気分にもなった。また、同性から寄せられる性的好意の目はこんなに嫌悪されるのか、ということも学んだ。
そのうち部活で後輩が出来た。後輩は素直だし、何より見た目がドンピシャだった。とはいえ少し幼過ぎたので、最初はなんとも思っていなかったのだが、諸事情で1対1で面倒を見たりしていると単に後輩をかわいがるとかそういう感じでもなくなってくる。俺を信頼し慕ってくれている。根がどうにもアホなので人の態度をすぐ信じてしまうのだが、割とあっさり彼のことを本当に好きになってしまった。同級生はついぞそういうリスペクトの交換みたいなものはないし、そうなると承認欲求オバケである俺は後輩に自分のプライドとかアイデンティティを思い切り仮託して、それを受け止めてくれていると錯覚することによって好きになっている気がする。あと、女子に2回無碍にされたり母親に心ないことを言われたりしたせいなのかそうでないのか、ともかく俺は女が嫌いになっていた。全ての女はアホだと思うようになっていた。事実関係として女がアホかどうかは別として、というかそんなことは俺からすればどうでもよいのだが、ともかく俺の目からはそういう風に世界が映るようになってしまったということだ。しかしそのように自分のことを輪切りにしてみたつもりになってもどうにも授業中や部活をやっている最中も彼のことは頭を離れてくれなかった。なんとしてでも彼をどうにかしたい、だがどうにもならない。挙げ句の果てに俺は彼女の一人も居たことがなく告白のコの字とも縁がなかった、要するに全くもてない男だし、女に好かれようともしない男をどうして女が好きで当たり前の男がまかり間違って好きになることが出来るだろうか?ふと、林間学校前日に同級生から届いたLINEが頭を過る。男が男に好かれるのは、そんなに身の毛のよだつことなのか。そういえば俺の好きな後輩も「最近、○○先輩(俺)が僕を見るときの目と他の後輩を見るときの目が違う気がする」と同期に漏らしていたらしい(林間学校の件で学んだ俺はセクハラじみたことをできるだけしないように気をつけているつもりだった)。でも、それでも俺は君のことを心から愛しているんだ。例え気持ち悪がられたって構わないじゃないか、とヒロイズムに浸ってみれば、見た目へのコンプレックスが俺のヒロイズムをバカじゃねえの、身の程をわきまえろこのクソが、と蔑み、そしてそのように卑屈になって自己憐憫に陶酔している自分をバカにする視点があって、さらにその視点は…と、俺の劣等感と後輩への歪み切った愛情は無限後退を繰り返す。でも俺は本当に彼のことが好きだ。好きで好きでたまらない。どうにかして彼とどうにかなりたい。
俺は来年の4月で大学生になる。青すぎると笑いたければ笑って欲しい。でも俺はこの増田という場で恥部を文章にすることでしか自分を慰めることができない。好きな男の子のことを考えながらチンポを握るのってめちゃくちゃ虚しくて悲しくなってくるからな。この文章は俺が最高に気持ちよくなれるオナニーだ。皆、俺のオナニーを見てくれ。
自分の情報は一切明かすことなく、他人の不幸を楽しみたいという人に自慢できない趣味。
なにがいーたいかっつーと私怨大杉。ネトゲの私怨とか、他人が公開した反社会的行動とかどーでもいいわ。
SNSとか出てくる前のウォッチャーって、もっとひっそりとしててあんま拡散とかってしてなかったと思うんだ。
それ見てるほうも嘲笑半分、なにやってんだろー自分の自虐半分的な。
今みたいにリアルにかかわるのって少なかった印象。
自分が見たいのはあれなんよ。痛いやつが醸すあの独特の文章、またそれに群がる取り巻きの擁護の嵐、
それにより僕はここにいてもいいんだ!的に勘違いしてしまった対象者が繰り返す自己憐憫にあふれる行動の数々。
一般人がまずやらないであろう行動を起こし、それに対する反発をうけても自分は正しいと信じて貫き通す続ける対象者。
そーゆーのがみたいんよ。
なんか総ウォッチャー時代みたいな感じでみんなが個人情報公開するようになって、ウォッチ対象が増えるのはいんだけど、
その割には昔みたいにすっごい濃いのって見なくなった気がする。
でも正直、古式は少し引いた。
ヤリスギ的な。
こういったことを書いたのが2年前。
で、yahooなんかだと最近一部ニュース記事に対するオーサーズコメントなんて物が見られるようになった。
その中にはやはり最近yahooの個人ニュースに進出した昔よく見ていたサイトの管理人さんの名前があったりする。
昔はマイナーネタを興味深い視点で面白おかしく伝えてくれた人のコメントが、どうにもある種の「大衆」に媚びたようなやたらと厭世的かつシニカルで、しかしごくありふれた陳腐な物に見えてしまうのだ。
しかも時事的に衆目を集めそうな記事ばかりにそれがあるのだからたまらない。
もちろん個人ニュースに出て来たってことはより知名度を上げたいのだろうし、
となれば、やはりみなが期待するようなあるいは強烈に肯定されそうな、そういったコメントになるのも仕方ないだろうとも思う。
ちなみにこれはyahooだけでなくtwitterやfacebookコメントを受け付けているニュースサイトではよくある「事件」だ。もちろん以前書いたようにはてブも。
そもそもこれは私自身に起因する問題で彼らは全く変わってなく、私自身の変質、一種の中二病とか高二・大二病みたいなものなのかもしれない。
それでも彼らのコメントの中にある、なんというか何かに対する漠然とした攻撃的なニュアンスに、私はなんとも言えないいやな気分になってしまうのだ。
あるいはただの自己憐憫なのかも知れないけど。
うっすらとしたフラグだと、これはフラグだという自信が持てなくてスルーしてしまい、
あからさまに口説かれる、ゴリゴリ来られる場合しかフラグを育てられなくて交際に繋がらないのだけど、
これまで付き合った人全員、ボダっ気があるというか、年齢不相応な構ってちゃんというか、精神が不安定な人だった。
彼女が絶え間なく居る。浮気はしないが、関係がダメになりそうになると次の好きな女を作る。女友達もたくさん。
コミュ力が高いというより顔色を伺う。自尊心が低い。過去の暗い話を良くする。営業職で、飲み会でははしゃぐが、根は暗い。
精神が健康な人(承認欲求過剰でない人)と付き合おうと思ったら、うっすらとしたフラグを嗅ぎ取って、
ある程度は自分も積極性を持たなきゃいけないのかもしれないな。
健康な人はそこまで恋愛に餓えてないもんな。渇望がないから積極性にも欠ける。
ChieOsanai よほど変なコミュニティにいるのか、よほど増田が鈍いのか、よほど増田がブs………あ、ごめん。なんでもない。今の忘れて。
学校や、仕事で知り合う営業職の人で、変なコミュニティで知り合ってはいないと思うんだけど…。趣味では男と知り合わない。
あと私自身も学生時代はカフェ店員などの接客バイト中心で、今は営業職、とんでもないブスだったら回されない仕事だと思う…。
ボダって言っても、大量服薬するとか、手首切るレベルの本物ではないと思う。
自己憐憫っぽい物言いがすごく多くて、演劇くさい喋り方をするというか。デートは演出してくれるけど、私はそういうのあまり必要としてない。
愚痴っぽい。女々しい。最初はわかりやすい好意の表現に引っ張られて付き合うけど、根暗さに辟易して突き放すように別れるパターン。
好意の「表現」はオーバーだけど、実際は自分に酔ってるだけで、自分にしか関心が無いのが見え見え。別に自分に酔うのはいいけど。
あと清潔さや、容姿に気を遣うのは長所だと思う。でも性格が……根が本当に暗くて……愚痴聞くのがしんどくて付き合ってられない。
すぐ泣くのも鬱陶しい。女々しい以外に形容しようがない。うざい。重い。それがボダっぽいと感じる。
それそれ。追えない。そもそも、追いたくなるほど好きになる人も居ない。
結局振られたらしい。僕の気持ちを一切彼女はかえりみてくれなかった、ぼくつらい、ぼくかわいそう、でループしてる。ストーカー化だけが心配だったから、彼女は色々悩んだ末お前を振ったんだ、彼女を恨むんじゃねえぞと釘はさしといたが、女に関しては本当にひどい思い出ばかり、とか言ってもう延々と彼女を責めて責めて自己憐憫モード。
なんかなあ、気を持たせた彼女にも問題はあったし、友人としてすこしは可哀想がってやったほうがいいのかもしれんが。
正直、30近い大男が成人式迎えて間もないような女に告って振られて「ぼくの気持ちをなぜわかってくれないんだ!」って、ガキかよ、としか思えん。
結局、自分がどうしようもない状況に陥っている全ての原因は
自分自身の駄目さ・みっともなさと本来の意味で向き合えていない事じゃないかと思えてきた。
例えば、やるべき事を先延ばししてしまうだらしなさ、他人に怒られたくないがためにその場しのぎで嘘をついてしまう癖、
疑問点を適当に放置してしまう事、他人にいろいろ言われたくないから報連相ができない事、
努力が一切できず成功だけ夢見てしまう事みたいな「駄目でみっともない人間」的な欠点が自分には大量にある。
それに対して、自分自身の根底には「俺は何だかんだ言っても根本は誠実で真面目な人間だ」という考えと
それに基づくプライドがあるから、欠点を自覚しているものの直視してプライドに傷を付けるのは避けたいと思ってしまう。
そこで、欠点を2ちゃんやツイッターでネタっぽく語ったり、他人への自己憐憫まみれの人生相談として喋る事で
「駄目な自分」というある種キャラ的なものを自分の中に作って無理矢理プライドを維持させようとしたり、
「俺は駄目な奴だ…」という自覚をしまくる事に全部収束させて封じ込めたりしてしまう。
そういった行動で自分の欠点と向き合えているつもりにだけなり、結局いつまで経っても根本的な解決に至らないのかもしれない。
要は他人に指摘されて恥ずかしい思いをする前に自虐する事で防御してしまおうという事なのかもしれないとも思えてきた。
単純に他人に怒られたくないというか、プライドが無意味に高いだけなのかも。
5時にラジオが入り、NHKの特別番組が流れはじめて目を覚ました。うつらうつらしながら、いくつかの投稿を聞く。家で息子とホームステイのオーストラリア人の青年を亡くした人。二階に寝ていた2人は三階の梁の下敷きになったらしい。建材とベッドの間に挟まれて、ベッドをパタパタと叩く音がしていたという。投稿したお父さんにはどうにもできず、仕方がないので、その息子をそこにおいたまま、近所の家の救出を手伝っていたとのこと。これで、一人分だ。ホームステイの青年の話は出なかった。娘さんは無事で今2人の子供をなしている、という報告も添えられていた。ホームステイの青年はどういう人生を送ってきていたのか、娘さんは震災の後どう生きられたのか。この投稿をされているご本人は。想像を絶する。のんきに生きている自分のような人間とは別の「壮絶な」人生を送られたのだろうな、と心を閉じそうになる。
そこで思い直した。あぁしかし、この手紙はわたしの帳面と同じようなものではないか。布団の中でうつぶせになって寝る前に置いたモレスキンの場所を確かめる。父が亡くなって少し経つが、葬儀を終えたとき、様々な情報や感情がバラバラにわいてきて、これはどこかに拾っておかなければいけない、と思って、新しい帳面を出して、書き始めたのだった。2日前の葬儀のこと、今日の市役所への届け出のこと、父が死ぬ直前のこと、3つ上なのに容色いまだ衰えぬ従姉妹に久しぶりに会って俺脳内掲示板に「従姉妹が美人すぎる件」スレが久しぶりに上がったこと…思いついたものから採集するつもりで、白紙のページに、文やタイムラインや絵で書いた。
「充分に書く」「気が済むまで書く」ことなど最初から放棄していたから、どれも簡単なものだが、そのとき感じたいくつかの微妙な感情を拾うことができた。起きたことのなかに「ここは泣くポイントなのではないか?」という箇所を見つけて、そこをつつくようにエモく書きながら涙ぐむ(複数の時間をまたぐような表現をすると人間は簡単に泣く)こともあった。
わたしは、「はてな匿名ダイアリー」で改行たっぷりに書かれるような自己憐憫の文章が大嫌い(掲示板みたいに対話してる奴はもっと嫌い)なので、書きながら感情に埋没してしまわないように、帳面の構成自体も、書き始めは右のページから書いて左を空けておき、左は後から書き入れることにした。いくつかの声のパッチワークのような使い方をするのが自然に思えた。思春期の若者みたいに、自分が書いたエモいことで盛り上がってさらに書いて、それで方向性が絞られてそこに内面のことしか書けなくなって、じき熱がひいたら内面ほじくるのに飽きて、あとには5ページくらい書いた帳面が残る…みたいなのは、さすがに嫌だ。
極度に飽きっぽい自分の性格もある。深く突っ込まなくていいから、続けることを優先しなくてはならない。日常の時間と並行させながら、父の死やその周辺の時間を記録再生しなくてはいけない。そう思った。だから、いろいろ書いた、とは言っても、それぞれは、思い出しメモに毛が生えた程度のものを、日常の思いつきや飯のおかずメモに交えて、頁のあちこちに、ちょこちょこと書いていったにすぎない。
それでも、自分がウジウジしたことを文字にしたこと、そしてそこを読み返してメソメソできるということが、驚きであった。げぇ、そんなことするんだ、俺が。(あと、仏壇に手を合わせたとき、父に向かって何か言ったりすることがあるのも、われながら驚きだ。)
しかしそれは、やらずにはいられなかったことだ。ラジオで読まれる便りを聞きながら、これはわたしの帳面と同じだ、と思ったのはそういうことだった。死んだ人の人生がどうだったのか、残された人の人生がどれほど壮絶だったのか、知ることは難しい。壮絶ったって20年ずっと1秒も絶え間なく死者を背負ってきたわけではないだろうし、投稿されている文章だって20年かけて整理された心が書いたものなのだ。取捨選択も誇張も忘却もあるだろう。簡単に言えば、死者のことを思い続けるのは難しいことだ。わたしの帳面につまらない落書きや関係ないことが書き入れられ、ページが進むごとに書き物の性質も変わっていってしまうように。しかし、ページをめくって過去をたどると、今でもちょっとは、感情が動かされる。それはわたしに起きたことで、そのことが私を少し変えてしまった、それは確かなことだ。このエモいメモは、ことの一部しか見ていないし誇張ではあるだろうが、ともかくも、わたしはこれを書かずにはいられなかった。
最近のオタクは明るくてオタクらしくないという、そのオタクらしさって精神・発達障害なのでは。
精神・発達障害の人がオタクコミュニティの何割を占めているかという点が90年代・00年代・10年代の空気感を分けたと思う。
健康な定型発達の人にとっては、学校でもバイト先でも職場でも町内会でもスポーツサークルでもそれなりにやっていけるので、
オタクコミュニティは「追い詰められて辿り着いた最後の砦」ではなく、数ある趣味の一つでしかない。
その執着の薄さと健康さが、最近のオタクは明るくてオタクらしくない、を生んでいるんじゃないかと思う。
ただ私はいわゆるオタクらしいオタクの「弱者の自己憐憫」みたいなものが不快だ。
彼らは攻撃された経験を自分の中で大げさに解釈し、攻撃した経験を自分の中で過小評価する。
学生時代にいじめっ子で、大人になって落ち着いた奴が「昔ワルかった自慢」をするのと同じ。
精神障害が酷かった若いころに散々「三次元の女」「在日」などを信じられないほど口汚く攻撃していて、
大人になって落ち着いてからも後悔は無く、たいてい「昔ワルかった自慢」系のヤンキーと同じ自己認識をしている。
俺は悪くない。昔攻撃的だったのは、その頃俺が弱者だったからで、仕方がない。
鈴木大介氏の『最貧困女子』でも、精神障害・発達障害・知的障害の女性は面倒臭いから、