最近のオタクは明るくてオタクらしくないという、そのオタクらしさって精神・発達障害なのでは。
精神・発達障害の人がオタクコミュニティの何割を占めているかという点が90年代・00年代・10年代の空気感を分けたと思う。
健康な定型発達の人にとっては、学校でもバイト先でも職場でも町内会でもスポーツサークルでもそれなりにやっていけるので、
オタクコミュニティは「追い詰められて辿り着いた最後の砦」ではなく、数ある趣味の一つでしかない。
その執着の薄さと健康さが、最近のオタクは明るくてオタクらしくない、を生んでいるんじゃないかと思う。
ただ私はいわゆるオタクらしいオタクの「弱者の自己憐憫」みたいなものが不快だ。
彼らは攻撃された経験を自分の中で大げさに解釈し、攻撃した経験を自分の中で過小評価する。
学生時代にいじめっ子で、大人になって落ち着いた奴が「昔ワルかった自慢」をするのと同じ。
精神障害が酷かった若いころに散々「三次元の女」「在日」などを信じられないほど口汚く攻撃していて、
大人になって落ち着いてからも後悔は無く、たいてい「昔ワルかった自慢」系のヤンキーと同じ自己認識をしている。
俺は悪くない。昔攻撃的だったのは、その頃俺が弱者だったからで、仕方がない。
鈴木大介氏の『最貧困女子』でも、精神障害・発達障害・知的障害の女性は面倒臭いから、
女性に貧困層が多いのは性格が悪いからだったのか・・・。