はてなキーワード: 母親失格とは
私は子持ち主婦だけれど、全然料理をしない。本当に全然しない。
朝 バナナと季節もののフルーツ、ヨーグルト、パン屋のパンまたはおにぎり
昼 家族各自、私はコンビニでおにぎりとサラダとミニデリ?みたいなのを買う
夜 ご飯を基本に、野菜味噌汁みたいなもの(カット野菜と豚肉か鶏肉)と刺身とか、焼くだけの餃子とか、近所の惣菜屋の野菜のなんかとか。肉はカットされたものしか買わないし、外食も多い。月に3回くらい、気が向いたらきちんとつくる。
よくある500円で3品つくる!とか、時短激安レシピ!みたいなテレビを見るのが好きだけれど、自分には到底真似できないし、毎日3食きちんとした料理つくってる主婦がすごすぎる。それはもう才能だと思う。
500円で3品っていっても、人件費や手間賃や片付け代や準備代などなどいれたら1500円以上になるのでは?と思う。料理って大人になったらみんなしてるのに、すごいことだと思う。
私が3品つくろうと思ったら、500円では到底不可能で、準備から片付けをいれたら2時間はかかる。2時間以上かけて美味しくないものを食べ、疲れる。2時間パートにいく方が向いている。2時間のパート代で惣菜を買った方がいい。ご飯は炊ける。
Tは、東京にある大学から、千葉にある自宅まで毎日1時間30分くらいかけて帰っていた。
時刻は夜10時過ぎで、Tは疲れていた。電車の中で彼はいつものように、ぶつぶつと文句を言いながらスマホゲームに勤しんでいる。
楽しむためのゲームで苛つきを募らせていたTがふと電車の周りを見渡してみると、すっかり乗客も少なくなっていることに気付き、着実に自宅に近づいていることを確認した。
そしてTがまた無益な戦いに舞い戻ろうとした、まさにその時だった。
よりにもよって、こんなすいてる車内で、というか、母親は何しているんだ。
Tはその事態に戸惑い慌てて横を向くと、幼女の母親と思われる女性は手元のスマホを弄っていて、幼女のことは気にもとめてない。
しかし、基本的に内弁慶なところがあるTは、母親に対して注意することができなかった。
何より、その時のTは幼女の熱を感じていた。
正確な時間は定かではないが、幼女を膝枕していた時間は、いつもの煩雑な電車通学の時間ではなくなっていた。
するとTの最寄駅を示すアナウンスが聞こえる。幼女はまだ彼の膝の上で寝ている。母親は何も言ってこない。
そしてTも何も言わなかった。
ただ幼女と一体化していた。
結局、自宅の最寄り駅から大分離れた駅で幼女と母親は降りて行った。
母親は降りる瞬間に幼女を起こし、幼女は眠気眼を擦りながら、母親の手を握って歩いて行く。
Tは一言何か声をかけるでもなく、その姿を目で追っていた。電車のドアが閉まり、幼女が見えなくなるまで、ずっと、ずっと。
もうすっかりTの中の幼女の母親に対する怒りなんて消えている。
Tに残ったのは、自分はロリコンであるという、そんなどうしようもない確信だけだった。
いかがだったであろうか。もしかしたら、あなたもいつの日か、ふいにロリコンに目覚めるかもしれない。そんなメッセージがTの体験談からは読み取れるのではないか。
話はこれでは終わらない。Tはオープンで、社会不適合なタイプのロリコンに進化した。彼の中にはロリコンに対する罪悪感はなく、我はロリコンであると堂々と公言していた。
その姿を見て、ある意味まだ捕まってないだけ、彼は頑張っているのかもしれないと思った。Tという男は、要は犯罪者予備軍であった。
Tは電車に乗ると幼女を探し、学校の近くを歩けば幼女を探し、公園を見たら幼女を探す男だ。
そんな彼が塾講師でバイトをしていたのだ。事件が起きなかっただけ幸運な状態であった。その証拠に、「小学生の女の子は距離が近いから懐かれると擦り寄ってくる」と嬉々として話していた彼の笑顔は、単純に気持ち悪かった。普通はバイト代が出なくてブラックバイトと文句を言う筈の居残り指導も、彼にとってはむしろご褒美のようだった。
そんなTに大事件が起きる。なんと塾の小学生の女の子から告白されたのだ。
Tは大層悩んだ。教育者として。大人として。男として。そして1人の人間として。
悩み抜いた末にTは、その告白を断るという決断を下す。なけなしの常識がTを踏みとどまらせた。1人の幼気な女の子がロリコンの魔の手から守られた瞬間でもあった。
ここで終わったら凄くかっこよかったのだが、Tは告白を断ったのをひどく後悔していた。何ヶ月もその恋を引きずっていた。どうやら告白された女の子は、可愛い子で、付き合いたかったらしい。まあ社会が許さないのだが。
「どうせその子は中学に上がり一旦塾辞めるんだから、俺も辞めてその子と付き合えば良かった」
ある日の部室で机に肘をつきながらTがそう言った。誰も見ていなかったら悔し涙を流し始めるんじゃないかと思うほど、その日のTは打ちのめされていた。ロリコンのガチ失恋なんて、誰も対処の仕方がわからない部室の空気は、異様に重たかった。
その姿を見た私は、Tにとってロリコンというのは、無理矢理背負わされた重荷なんだと思った。
果たしてTが幼女を求めてしまうのは、彼の自由意志か。それとも周りの環境のせいか。それとも親の教育の責任か。
学術的な根拠は分からないが、性癖とはきっと先天的なものだと思う。
最近「親ガチャ」なる言葉が流行ったが、これではまるで「性癖ガチャ」ではないか。
そのガチャの中でもロリコンは外れであることは疑いようがない。ロリコンに世知辛い世の中をTは生き抜いていかねばならない。それは道なき道を行く覚悟が必要で、もし自分の性癖に身を預け、ロリコン道を突き進んだら最後、Tを待ち受けるのは社会的な抹殺だろう。
もし、あの電車に乗らなかったら。隣の車両に乗っていたら。隣の席に座っていたら。
彼は違う道を進んでいたかもしれない。
妊娠、つわり。ホルモンバランスが乱れ、吐き気が止まらず、常に体調が悪い状態。
胎児が奇形になったり先天性の病気にならないよう、食べてはいけないものや飲んではいけない薬があるため、
食事に気を遣い、病気にも感染しないようにしなければならない。
しかし共働き化が進んでおり、病原菌がウヨウヨした環境である通勤や労働はしなくてはならない。
陣痛、出産。何十時間も苦しんだり、脳出血を起こしたり、多量出血で生死の境を彷徨ったり。
会陰をハサミで切断する痛みもよくわからないくらいの陣痛の激痛。
産後、0歳児保育。夫は外で労働するので家事育児は育休取得した妻のワンオペ。
授乳で乳首に裂傷ができ、夜泣きで眠れず、精神状態や思考力はボロボロに。
赤子が泣きわめくのでトイレにも行けず、自分の食事もとれず、寝ていなくて憔悴した状態でいると、
夫から「仕事して疲れて帰ってきたのだから、家では癒されたいのに、部屋が散らかっているし、飯ができていないし、
子供がうるさいし、全く癒されない。俺が稼いできた金で食ってる専業主婦のくせに、一日中家にいるくせに、なんだそのざまは」と文句を言われる。
体質的に母乳が出ない、乳腺炎を起こした、乳首の傷が悪化して痛みが酷すぎて授乳できない、
などの理由でミルクを使うと「完全母乳でないと母親失格」と難癖をつけられる。
復職。運よく保育園に受かることができて復職できても、子供が頻繁に発熱して、
そのたびに迎えにこいと言われて、同僚から白い目で見られながら早退しなければならない。
保育園のお迎え時間のために時短勤務して、早退が多いことで子無し時代よりも大幅に待遇は下がり、
そのせいでフルタイム勤務で稼げている夫からはきつく当たられ、労働・育児・家事・厳しい周囲の目で身体も精神も疲弊しきった状態が数年続く。
そうやってお前は育てられましたよって言われても、母親に感謝しようっていう気持ちが起こらない。
じゃあ、産むなよ。育児が大変なことなんか、事前情報でわかりきってることじゃねえかよ。
つわりも出産も保育も死ぬほどキツくて、しかも近年は夫の賃金ダウンや教育費の高騰により
共働きしなければいけなくなっているから、専業主婦で良かった90年代までと比べて母親のキツさはマシマシになっていて、
そんな情報いくらでも転がっている当たり前のことじゃねえかよ。
「私はお前のために、私の手首を切ってあげました。私は首を吊ってあげました。感謝してください。」って言われても、
頼んでねーよ、有難くねーよ、ただただ怖えよってなるだろ。
産んでくれって頼んでないし、そんな死ぬほどの苦労されるなら産まれたくもねえよ。
いや避妊しとけよ。ふざけんなよ。そうして母親が死ぬほど苦労して育てた子供が育っていっても、高校生になったら死ぬほど勉強しなきゃいけないし、
大学生になったら死ぬほど就活しなきゃいけないし、採用されたらされたで地獄みたいに労働納税し続けないといけない人生が待ってるだけなんだよ。
【無限の加護】香山リカさん「子どもがいないと「女性失格」、子育てが不十分と見なされると「母親失格」...なぜ女性だけ?」
https://femimatsu.com/article/499887482.html
これにおかしいと突っ込んでボロカスに叩けないなら女性は毛虫以下の脳みそです。
まずこれ男性もそうですね。
次に生物学的に女性と男性でどっちが子供を産み育てるのに重要か?圧倒的に女性です。
したがってよほど狂ったバカか公金チューチュースキームの寄生虫か、社会学と称する子熊とか上野千鶴子みたいな寄生虫でしかない無能で世間知らずのバカ以外は主張しないのが当然です。
それ普通だよ。別に母親失格じゃない。増田が特別なわけでもない。
私は息子しかおらんからそういう嫉妬は起きんけど、娘がいて夫にこういう態度取られたらムカッと来ると思う。確実に。
娘のなかの「女」の部分がイラつくというか。それを「私の男」に向けないでくれいうか。
一方で自分もかなり父親が好きだったから、思春期前の娘(だよね?増田の子)がそうなる気持ちもわかるのよね。
夫の方は方で、ただでさえ子供はかわいいし、加えて娘にモテる時期なんて短いからね。そりゃ甘くなるよね。
そんなん見せられたら、妻としては面白くないと思うよ。わかるよ。
でも邪魔。
私だって夫とデートしたりイチャイチャしたいのに、パパかまって、話聞いてってずっと独占して。
久しぶりに新しい服買って夫が「かわいいよ」って褒めてくれたのに何が「パパ私にも可愛いって言って」だよ。うるせえよ。
久しぶりに2人きりになれていい雰囲気になってた夜に限って泣きながら起きてきたり皆で一緒に寝たいって。だまれよ。
お出かけの時だってほんとは夫と手繋ぎたい。別に娘と手繋いでても何も嬉しくないから。
行ってきますのキスだって娘がパパ私にも私にも〜って言うたびにイライラする。私だけにしてよ。
別に以前から娘を疎ましがったり冷遇してた訳じゃないし、態度に出した事もない。母親の仕事は義務だからちゃんとこなしてたよ。だけど実は昨日、GW久しぶりにデートがしたくて雰囲気のいいお店調べてて「お母さんに預けて2人で行かない?」って誘ったら「え、それだったら家族皆で行こうよ」って言われてメンタルぐちゃぐちゃになって、それからずっと負の感情が止まらないんだ。
「久しぶりに2人きりでデートしたいんだ」って言えばいいなんて事、わかってる。でも、私の提案に対して夫から「いいね」じゃなくて「皆で行こう」って言葉が出た事が、無理なんだ。
結婚して家庭持とうが子供できようが夫は私にとってずっと彼氏だし恋人だし恋愛感情でずっとずっと好きなのに、夫は私のこともう好きじゃないのかなって思ったらしんどくなってきた。
小学生の娘がいる
母親失格というのは十分分かるんだけど
娘と夫がおぞましくてたまらない
夫は娘を溺愛している、これは何の問題もない
娘が夫を大好きすぎるのが怖い
娘は私に「なんでお父さんがお母さんみたいなブスと結婚したのか分からない」と言ったり
夫に「私はお母さんの何倍もかわいいでしょ」と言ったり私がいる時でさえ私の悪口を言いまくったりしている
夫の口にキスをしたりする
夫はやめなさいと注意するのだけど、その次の日に娘が「お父さんを洗脳するな」「自分を注意するように仕向けただろ」のようなことを言ってくる
もちろん私が注意しても「私のほうが若いから嫉妬してるの?」と言ったりする この言葉を聞いた時はめまいがした
夫の経済力に不安があるのと(鬱で休職していた時期があり、そのあたりから私が大黒柱になり残業三昧でほぼ家にいなかったのでこういう状況になったのかもしれない)
夫は娘に性的に手を出すことはありえないと言っていいが、あまりにも娘が暴走すると殴るという方法しかなくなってしまうのではないかと(夫は暴力を振るう人では全くないが、娘の行動にイライラというかどうしたらいいんだよと常に思っているので)
かといってこのままの状態でずっといると自分がおかしくなりそうで
本当にどうしたらいいのか分からない
死んでくれたら、おばあちゃんの住んでた部屋が空く。
そしたらそこに私が行ける。きっとおばあちゃんより広く有効に使える。
死んでくれたら良いことしかない。
おばあちゃんが居なくなること。
それはとっても良いことだ。
おばあちゃんはアル中で酔っ払って毎日リビングにやってきて暴言を吐きにくる。
殴られたことは今までないけど、言葉で沢山殴られてきたので、とっても殴り返したい。
アル中とかって、普通それはおじいちゃんとかの役目だとか思うかもしれないけど、うちではおばあちゃんだ。
おばあちゃんの言葉の暴力で毎日お母さんは泣いていて、私が幼稚園児の頃からずっとお母さんを慰めてきた。慰めてきたって、言い方は変かもしれない。
「孫(私)はどうして勉強も何も出来ないの?それは母親のせいじゃない?」
「出来損ないの親と子」
「あんたはまだまだ子供なんだから、子育てなんて出来るわけない」
「情けない」
「親子共々恥ずかしい存在」
「あんたは何も出来ない」
「いっちょ前に化粧とか色気付きやがって」
「調子に乗るな」
と、出来ない子であった私の存在の文句をお母さんに言うことがかなりあったのだ。
おばあちゃんが真に責めるべきなのはお母さんじゃなくて、生まれた私だったのに。
私は勉強も運動も何も出来ず、かなりインドアだったし、普通の子がやれることの大半が出来なかったダメな子だ。小学校から高校までずっと先生や友達に迷惑を掛けていた。
なんか、どれだけ努力しても上手くいかないことが沢山あったのだ。すご〜いダメな子だった。
ダメな子を産んだ責任は親に行くので、全部お母さんが責められていた。
私のせいでお母さんが苦しんでる。
お母さんは働いていて、家事も育児も仕事も全部やらなくちゃいけなかった。
やること全てが終わってヘトヘトな夜の頃におばあちゃんがやってくるのだ。
その時だけおばあちゃんは酒の力で化け物に変身する。言葉も通じない、人を何とも思わない、相手が涙を流したところで止めるつもりもない、とにかく叫びたい化け物になる。ゴジラに一番近い存在となるのだ。
お母さんは長女ですごく真面目で、きっちりとした性格だったから酷い言葉も全部正面から受け止めてしまうのだ。
(ちなみにお母さんの妹のおばさんは家出をしておばあちゃんを住まわせる責任から上手く逃げおおせることに成功していた。)
おばあちゃんが暴れきって部屋に戻った後、私は項垂れているお母さんに対してごめんなさいと謝ることしかできなかった。
お母さんがその都度、泣き腫らした目であんたは悪くないよと言ってくれるのが凄く辛かった。
お母さんは強かった。おばあちゃんみたいな化け物になるのが嫌で、精一杯私に優しくしてくれた。
でも、散々暴れ回ったおばあちゃんが満足して部屋に戻ると
「わたし、どうしたらいいの」と言うのだ。
私は、何も言えず、やっぱり「ごめんなさい」と言うしかなかった。
たまにお母さんは耐えきれなくなって、私を連れて首都高にドライブに行った。2人きりの空間の中で、「一緒に死のうか」と言うのだ。その言葉は、何度言われても慣れる気はしなかった。
夜になると居酒屋から帰ってきたおばあちゃんがいっつも罵詈雑言を飛ばしてくるので、いっつも私は泣きながら頼むからもう部屋に行ってくださいと懇願していた。
気がつくとお母さんは適応障害になっていた。
なんか食後に沢山薬を飲み始めていた。
おばあちゃんが叫ぶ罵声のせいで近所中に私の家はヤバい家っていう思われちゃっているので、近所のおばさんやおじさんによく指をさされていた。
喧嘩があった次の日に登校する時は近所のおじさんが半笑いで大丈夫?と声を掛けてきてくるのが凄い嫌だった。
私はおばあちゃんと言い争った次の日は、いっつも泣き腫らした顔で登校していた。
その度友達に「太った?」とか、「腫れててキモいよ」とか言われるたびに屈辱的な気分になった。
くっそー。全部おばあちゃんのせいだ。
アニメとかドラマとかに出てくる無償の愛を持つおばあちゃんという概念を信じることは出来なかった。
あと、おばあちゃんはとにかく家を汚す。食器も油まみれだし、土が付いたスリッパで平気で風呂場とかリビングを汚すし、掃除はしないし、とにかく最悪だった。
私の容姿や体型に文句は言うし、買ってきた物とかにも小言は挟むし、勝手に財布の中身を見るし、私の動向を四六時中監視するし、部屋も無断で入ってこっそり調べられるし。趣味や見ているものにさえ口出しされるし。
とにかく自分の思い通りにいかないと気が済まなくて、自分が好きなことじゃなくて嫌いなことしか話さないし。私もお母さんもみんな自分の支配下に起きたくて仕方がない性格してるし。
おばあちゃんのささいなダメなところも全部嫌いだった。家で一番広い部屋を使ってるし、私は独房みたいに狭い部屋だから羨ましい。
因みにお父さんは居たけれど、とにかく無口で内気だったから、傷付いたお母さんのことを無視してアニメのキャシャーンsinsを自室で見ていた。塩対応にも程があった。
中学の頃、お母さんが家出して、お父さんと別居し始めたので、私は2つの家を行き来する生活を送っていた。
おばあちゃんはお母さんを責めた。何故私という娘が居るのに捨てるようなことするんだと。
…………………。
おばあちゃんが毎日いっつもお母さんに暴言を吐いてる間、お父さんは自分の部屋に逃げていたし、お父さんがお母さんに嫌なことをする度におばあちゃんはお父さんの肩を持ってお母さんを責めていたじゃん。
それにお母さんの家とも行き来してるから捨ててないよ、私は大丈夫だよ。
実は別居した理由はお母さんの不倫だったんだけど、私は責められずにいた。
私がお母さんの立場だったら多分自殺してると思うから。正直あんな環境逃げたくなる。
私が高校に上がると母さんは新しいお父さんを連れて家に戻ってきて、またおばあちゃんの暴言は復活してしまった。
でも、以前より泣くことは減ったからよかった。いやな成長を感じていた。
罵声を一番シャットアウト出来る方法は、布団の中に潜りその中で必死に頭を振ることだった。そしたら耳元で布団が擦れる音しか聞こえなくなるので、おばあちゃんが罵声を吐くと私の首がめちゃくちゃ疲れるシステムが完成した。
その日は家に私しか居なかった。
ある日おばあちゃんが信じられないくらいボロボロの姿で家に帰ってきた。
何かに襲われたの?っていうぐらい。おばあちゃん曰く居酒屋帰りに泥酔して自転車に乗って転倒したと。
ベッドに寝かせる際におばあちゃんの腕を支えたら、ピキッという感触がした。
どうしよう、、、、
もしかしたらこのまま放置したらおばあちゃんは死んでしまうかも……………
それは、
それは、…………
そしたらお母さんはもう二度とおばあちゃんのせいで悲しまなくて済むし
家で何をしても文句を言われることはないし
次第に近所の人から変な目で見られなくなるはずだし
おばあちゃんが使ってたひろ〜〜い部屋を私が使えることになるし
うわ、うわぁ、、、、、!
このまま私がなんとかしなければ
おばあちゃん、本当に死んじゃうのか、、、、
もう80超えてるし、、、、、
信じられないくらい右腕が折れてるし、、、、、、、
だったら、、、
そんなんだったらさ、、、、、、、、、
それでおばあちゃんを放置して、見殺しにして、おばあちゃん居なくなったー!やったー!となる訳にはいかなかった。
いや、いくわけないでしょう。
したくても、できないよ。
骨折くらいで人は死なないし。
ほんとすぐ近くに病院があったので、緊急外来の方におばあちゃんを支えて連れて行った。
結果は見事に骨折でした。なんか腕に金属の棒入れて、一年くらい安静にしといてくださいと言われた。
そうお医者さん厳しく言われ酒を飲まなくなったおばあちゃんはみるみるうちにしょぼくれていった。
実は骨折するまではおばあちゃんは少しだけだけど親戚のところで働いていたのだ、けれども、今回のことでクビになった。
1日でおばあちゃんが酔っ払ってない時間の方が多いなんて変な気分だなあと思った。
酒は飲めなくなって、言いたいことも気分のままに叫べなくなって、働けなくなって、嫌いで暴言を浴びせた自分の娘からお小遣いを貰って、自分で立場が弱くなったおばあちゃんの姿は滑稽だった。
自業自得で骨を折ったので文句は言えないし、もうお母さんにも強く出ることは出来なくなった。
まあ、そんな立場になってもおばあちゃんの嫌なところは沢山あった。
お母さんにがんが見つかったときも、おばあちゃんはその事を1週間くらいで忘れてたりしてた。闘病中なのを知らなかった。
お母さんが「わたし、がんなのよ」と言ってもおばあちゃんは「あっそ、知らなかった」と一言で終わらせた。
自分の娘にがんが見つかったのに一言で済ませるとか、心配もしないとか、信じられなかった。
料理も作れなくなったおばあちゃんにご飯を作っても「わたしこれ嫌い」とか文句を言うばっかりだし、
一言余計に嫌味を言うし、なんか最悪だった。
リハビリ中だし、おばあちゃんに出来るだけ優しく努めようとした。けれども小言とか、これまでの行動とかのせいで、優しくするのが凄く疲れた。
な〜んか優しくするのだるいなぁ。敬老の気持ちを忘れずにいるのしんどいなぁ。
でも表面では波風立たない穏やかな時間が流れている。
もう罵声も聞こえなくなったし。
次第におばあちゃんの纏う雰囲気が「お前らのせいでわたしは苦しめられている。虐待されている。孤独になっている。私はお前らにひたすらに虐められている。」って変わってしまって。もう、おばあちゃんがどう私達を思ってるのか、肌で感じる。
私はたまに
あの時、見殺しにしたらどんな未来が待っていたんだろう。
と思う。
解放されて、やっと家族ひとりひとりが自分自身のことを考えれる時間が訪れるのかな。
どうなんだろう。
今からでも殺してみる?
例えば、餅を食べさせて喉に詰まらせてみるとか。
寝てる間にこっそり冷房切って脱水症状起こさせるとか。
もう82歳だし、いけるかもよ?
無理
絶対無理。
殺せる訳ない
一応、腐っても、家族ってやつだし
サマーウォーズとか、ドラえもんとかそーゆーキラキラした家族の絆とは全然違うものだし、むしろ呪いに近いけど
むっちゃ家族なんよ。
全部事実だよ。
クソサイテーなババアだよ。
もうお酒飲まないでって泣きながら沢山懇願したこと忘れられないよ。
でも…………….でもさあ、
もう死んで欲しいけど。おかしいよなぁ。嫌いだし死んで欲しいけど大好きだよ。おばあちゃんが居なかったらいま私生きてないよ。
お母さん産んですぐおじいちゃん死んじゃってさぁ、おばあちゃんも娘2人のために必死で働いてたことお母さんから教えられたもん。
お母さん仕事で帰るの遅いし、中学からはおばあちゃんとほぼ二人暮らしだったし、毎日ご飯作ってくれた。肉じゃがも味噌汁も牛肉とごぼう甘く煮たやつとか全部好きだった。
学校で上手く行ってないときとか、お母さんとお父さんが大喧嘩する度におばあちゃんは部屋で私を慰めてくれた。初めて買ってくれた財布は今でも使ってるし、沢山買ってくれたものある。
未だに抱き締めてる毛布はおばあちゃんがプレゼントしてくれたものだし、たまに市民会館に映画連れて行ってくれたし、小学生になりたての頃はいっつも帰りに迎えに来てくれた。
年越し蕎麦も2人で一緒に食べた、おばあちゃんの好きな70年代の曲で一緒に踊ったし、こっそり酒を飲ませてくれたこともあった、健康ランドに連れて行ってくれたし、自分が働いてる仕事もあんまりお給料無いのに私に沢山お小遣いくれたし、お父さんとお母さんが離婚した時にはおばあちゃんがそばに居てくれた。
お母さんが連れてきた新しいお父さんの悪口を一緒に言い合ったし、私が作ってくれた下手くそなご飯を美味しいって食べてくれたこともあったし、しょっちゅうどっかに行ったし、たくさん素敵な思い出もある。写真も沢山ある、日記にはおばあちゃんのこと沢山書いてた。
おばあちゃんは嫌い。
大嫌い。
だったのに、なんで好きなこと忘れてたんだろう。
おばあちゃんは、
酒飲んだ時は最悪だし、お母さんには死ぬほど優しくしないのは事実だし、基本的に性格クソゴミクズだし、老人同士の友達いねぇし、通ってる居酒屋出禁になったこと星の数ほどあるけどし、うちらに吐いた暴言とか罵倒とか、私達にしたことは心底許せないけど、
嫌な思い出も素敵な思い出も沢山あって
そんなおばあちゃんを私が殺せる訳ないよ
腕触った時、折れた感触。忘れられないよ。あの元気なおばあちゃんがもう見れなくなると思ったら怖かったよ。泣いちゃったよ。
病院まで支えて歩いた時、これからどうなるんだろうってすっごくこわかったよ。
嫌いだし、大好きだし、どっちの感情も本物なのが嫌になる。こーゆー時ってさ、きっぱりと自分の思いを言い切ることが重要だと思うんだけどさ、分かんないよ。
本当に嫌いだよ、どうすればいいんだよ、つらいよ、わかんないよ、あんなに好きだったのにすぐに自分の感情を忘れてしまうよ、
ほんとまじでどーすりゃいーんだろうな。
一度お母さんに、
「おばあちゃんのこと、殺してみる?」言ったら、
そのあと、悲しそうに嬉しそうに辛そうに笑って
「出来るわけないでしょ笑」
といった。
だよなぁ。
出来る訳ないよなぁ。
お母さんのあの全部がこもった、笑顔が、答えなんかも。
あれが向き合い方なんかな。
…………。
はぁ。
あんなに好きだったのに、
嫌いっておもいがもう塗りつぶしちゃって
死んだら死んだで喜んじゃうよ。
私、おばあちゃん死んだら泣けんのかな
たぶんざまぁーみろって思うだろーなー。
早く死んで、おばあちゃんの部屋使わせろやーー。
私、性格悪いなあ。
なりたくないなあ。
なるなら優しい時のおばあちゃんになりたいなあ。
…………………。
わかんねぇ。
どう思って接すればいいんだろう。
家族だりー。
既婚子持ち女性が「母になって後悔してる」 と言うとやたらと持ち上げられて
持ち上げられてるの見たことない。
産後のホルモンバランスの乱れで口走ったパターンの人なら追い詰めて母子心中されたら困るし優しくしてもらえるかもしれないけど、平常時に子持ち女がそれ言うとむちゃくちゃ叩かれるよ。
子どもの気持ちを考えろ!って。独身女からは「好きで産んだんだろうが、無責任」って叩かれ、子持ち女からは「母親失格」って叩かれるだけ。誰も持ち上げてくれないよ。
サロンに信者抱えてるインフルエンサーだったら信者から持ち上げられるかもしれないけど、信者なんていない一般人がそれを言うとむちゃくちゃ怒られる。
ここから考えられることだけでいいんだよ。母親失格を自覚しろ、なんてどうでもいいことだ。失格かどうかはあなたの考えで元増田をそう断言してもサンドバッグにしているにすぎない。
自覚して自己肯定したら自殺せず一人で生きられるのか?子供を育てられないことに極度のコンプレックスをもち人間関係を壊しかけている人が?
そうだろうな。でも問題は子供だけじゃない。元増田やその周囲のことだ。子供は現状で何もわからないし将来どうなるかはわからない。なら現状でわかることだけで現状の人々がどうしたほうがいいかだけが問題だ。
元増田は他者から「母親合格」だと思われないと自己肯定できないんだよ。
そして彼女は本質的に母親になれない。母親を続けることそのものが本人と周囲の不幸でしかないんだから彼女は母親からリタイヤすべきだよ。
誰にも話せないのでここで吐かせて欲しい。
32歳既婚女。
子供2人いるのにいつまでも自分が幼稚で自活力のない人間だと感じる。
過去の自分の決断に後から後悔してくよくよするところがあるのだが、今色々なことが重なって「そもそも生まれてきたことが間違いだった」と感じてる。
自分の決断に責任を持ちたくないし、人に決めてもらいたいと思ってる。
自分でも性格悪いし幼稚だなぁと思うけど、後から「あのとき私が決めてしまったから」と自責の念に駆られて消えたくなるからできるだけ避けたい。
あとは考えも甘いなぁと感じてる。
今、過去の自分の甘い考えで決断したことに大きな後悔をしていて、周りの大人と比べて自分に足りないところってなんだろうって考えた。
生い立ちを書くと、
幼少期はDVの祖父と、怒ると周りが見えなくなって家中を徘徊する叔母と、怒りっぽい祖母と、母と同居してた。
小学校ではいじめられてて、ストレスによる腹痛で朝起きることが多かったけど
「仮病使うな!」と祖母にキレられ小学校6年間は皆勤賞だった。何にも嬉しくなかった。
母の気に入らない選択をすると不機嫌な態度を表してきて(言葉には出さないけど不機嫌な顔になりため息をつく)、そうするとその場に立っていられないほど目の前が真っ暗になってめまいがしてた。
でも母は病弱だったので自分が支えてあげないといけないと思ってた。
子どもが産まれた後、何故か「これからはあなた(私の子供)が一番可愛い。お母さん(私)は2番目」と順位付けされたり、
第一子出産後に不思議と幼少期を思い出して、母親に「子どものころもっと一緒にいたかったなぁ」と話したら「そんなこと今更言われても仕方ないからあなたの家庭で頑張ったら」と言われ泣いた。
そのあとも突然「あなたは人に厳しいのに自分に甘い」と言われたり、
出産後に一度同窓会があり、母に子供を預けて22時半ごろ帰宅したら
「子ども置いてこんな時間まで出歩いて母親失格!」と言われたこともあった。
それまでは母に言われるがままに「なんて自分はダメなやつなんだろう」と思っていたけれど、
こういうことが積み重なってようやく「そんなに言われるほどなのかな?」と思うようになった。
いとこも親戚も疎遠で他の家庭を見る機会が無かったので、結婚後に夫の姪っ子を見て「小学生ってこんなに明るいんだ」と驚いたこともあった。
母親と離婚した父はデキ婚だったので、なんか私のせいで人生狂わせちゃってごめんねとも思うし、育てられないなら生むなよって怒りでぐちゃぐちゃになる。
いい歳してまだ親のこと言ってて恥ずかしいけどこんな感じ。
上記のことを何度も自分で昇華しようとしたりカウンセリングも行ったけど、未だに許せない自分は幼稚だなぁと思う。
子どもは責任もって育てるけどこんな母親なのに慕ってくれて申し訳ない気持ちになる。
こんな自分でも自分の人生に責任持てる日は来るのかなと思ったり、周りの人たちはどうやって大人になってるのか気になる。
憂鬱な気持ちになったときに過去を思い出して育ちのせいにしてしまう自分と、育ちは関係なく自分がダメ人間なだけなのか分からなくなる。
世の中には善人も悪人も性別に関わらず両方おり、一部のゴミの性別が男だからって、全部の男がそいつと同じゴミじゃないことは頭で分かっている。
だが先日、柏の通り魔に不運な男性数名が襲われひとりが殺されてしまったとき、被害者を素直に悼む思う一方で、間違いなく自分の心の中に闇があった。
「そんな暗い夜道を歩いていたからいけないんだ。殺されるようなお前に落ち度があったんだ」
女に産まれていれば腐るほど聞かされる、犯罪の被害に遭った女性を嘲笑い落ち度を責める言葉をそっくりそいつらに投げ返してやりたい衝動で胸が一杯だった。
被害に遭った男性がたはそんな酷いことを考えるような人たちではなかったかも知れないのに。
木島香苗の事件やそれに類する保険金殺人が起きたとき、人を騙して殺すなんて最低の女だと犯行を憎む気持ちの一方で、間違いなく自分の心の中に闇があった。
「そんな女に騙されて付き合う方が悪い。犯罪者だと見抜けなかった見る目の無いそいつがいけないんだ」
だってそうじゃないか、女はストーカーに遭って殺されようが勤めていた耳かき屋の頭のおかしい客に殺されようが女が悪いと言われ、場合によってはビッチに気を持たされた男性が可哀想だなどと加害者に同情まで起きるんだ。下心見え見えのアピールに簡単に引っかかって、ホイホイその相手に入れあげて殺される落ち度がもし女にあった場合、間違いなく男のそれの10倍は酷く言われるはずだ。
女が日頃から言われまくっている事に比べたらちょっと連中の言葉を借りて言い返す事なんか屁でもないはずだ。
(被害に遭った男性がたはそんな酷いことを考えるような人たちではなかったかも知れないのに)
あるサイトで、自分が男性不妊である事が分かってEDになってしまったという、とても落ち込んでいる男性の記事を読んだ。
「そこまで思い詰める事は無いのに。夫婦で話し合って子供を持たず暮らす道もあるじゃないか」という慰めの言葉の反対側に、間違いなく闇があった。
「こいつだって妻が不妊だったら掌を返して石女は要らないと捨てたり、マトモな嫁が欲しかったと被害者ぶるくせに」
「これが女だったら産めない欠陥品の上に便器としても役立たずだと言うくせに」
「女が原因ならどんなに苦痛だろうと当然のように治療をさせて金がかかると文句を言うくせに」
「嫁とそのご両親が可哀想だから早く離婚してあげろよ、我が子や孫の顔を見られない人たちの気持ちも考えろ(皮肉)」
「孕ませられない種無しの欠陥品になんて価値ないよね? 結婚してる意味ないよねこの男(皮肉)」
自分と同じことを考えている女が案外世の中にはいるものなんだなと思った。
(悩んでいるその男性は、妻に対してそんな酷いことを考えるような人ではなかったかも知れないのに)
暴力や浮気を受ければ女が至らない(見る目が無い)せい、犯罪に遭えば女の落ち度のせい、子供が出来なきゃ欠陥品、作れば迷惑な邪魔者、子育てに落ち度があれば母親失格、容姿が冴えなければブス、年齢が20歳を超えていればババア、共働きでも家事育児全てこなさなければ亭主を蔑ろにする無能妻、専業やパートは寄生虫、独身女は出来損ない、男の本能に従わない女は愛されないクズ、女はゴミ、家畜、劣等生物、産む機械、便器、
そんな言葉をネットに吐き捨てるのは心の歪んだゴミのやることだ。人生がうまく行っていない不幸な連中が、自分より劣っていると勝手に信じている他人を理不尽に攻撃して、その場限りでも強くなった気分に浸りたいだけの単なる戯れ言だ。
良識をお持ちのご立派な他人に今更言われなくともそんなことはわかっている。だからなんだ。黙っていたって反論したって汚い言葉で倫理の歪んだ言説を撒き散らすあいつらが、そう割り切ったら全員死んでこの世から消えてなくなるとでもいうのか。
何年もそうした奴らを黙って見ない振りして来た。やり返すのも同罪だから大人になろうと諌める理性的な同性に従った。それで何が変わったのかと言えば何ひとつ変わらなかった。増長してより一層汚らしい言葉を撒き散らすばかりだった。
増長し過ぎて幼女のマ○コ舐めたいだの女強姦して孕ませ家畜にしたいだのネットの隅で一般人にバレないよう隠れて言ってりゃよかった性癖を堂々と表で抜かすようになったものだから、とうとうPTAや教育委員会といった冗談の通じない方々の目に触れて表現規制問題なんて物が起きた。言論弾圧だともっともらしいことを言って被害者ヅラする連中に内心笑いが止まらなかった。ざまあみろなにが言論の自由だ。諌める声を片っ端からブスマンコ黙れだの幼女に嫉妬するババア乙だの罵って封殺して来たお前らが言うな。
ネットから離れてPCの電源を落とそうが、周りのまともな男女と話して現実を取り戻そうが、そいつらの言葉は心の中にわだかまっていつまでも闇を作ってきた。
だから男が酷い目に遭ったと聞くと内心胸がスッとする。
被害に遭ったのが何の落ち度も無い男性ならば本当にお気の毒だ。
だが、あるとき心の中にわずかでも「される女にも落ち度があったのだ」と被害者の女を安全なところから責め立てて悦に入った日があったなら。
人生がうまく行かなかった頃のある日にカッとなって「女なんか肉便器だ。全員家畜にしてやればいい」と過ぎた言葉をどこかに書き込んだ事があったなら。
心の底から指さしてそいつらを笑ってやれる。少しの良心の痛みも感じない。
かつて散々罵って来たそいつらの言葉を、堂々と投げ返してやれる瞬間のなんと気持ちがいいことだろう。
お前らに落ち度があったからそういう目に遭うんだ。ざまあみろ。日頃お前らが言ってることだろうが。自分が言われた途端に被害者ヅラなんて論理的な男性のすることじゃないだろ? 女みたいにヒスを起こして感情的になるなよ。冷静な男なら笑って受け流せよ。ははは。はははは。
まっとうな男性とまっとうな男性を身内にお持ちの女性には、読むに耐えない暴言を深くお詫び申し上げます。
どうせこんなもの書いたところで女叩きが大好きなキチガイ君共の脳に届くことは一生ないのだろうが、今日という今日は書かずにいられなかった。
久しぶりに増田を見てみたら、ブコメがすごい数になってて驚いた。
書いたのが2018年、ブコメがたくさん付いたのが2019年末だからもう誰もみてないと思うけど、書いとく。
たくさんの優しい言葉、ありがとうございます。当時を思い出して泣いた。
あの後保健師の訪問があって、心療内科を紹介してもらい受診したところ、産後うつの診断が出て子供を保育園に入れることになり、投薬治療をはじめました。そして先月、ようやく投薬治療が終わりました。(それでここに愚痴ったことを思い出して久しぶりに見てみた次第です)
投薬治療はうまくいっていましたが、死にたい気持ちが無くなったのは産後一年経ったくらいでした。「私は母親失格なので、子供が私を母と認識しないうちに死んだ方が良い」という気持ちと、どんどん愛情が増していく娘と離れたくないという気持ち+子供を自殺遺族にしてはいけないという気持ち、とで、後者が辛うじて勝ったという感じです。
子供はいま3歳で、もうどうしようもなくかわいくて、あのとき死んでしまわないで本当に良かったと思っています。
今さらフォローしてもしょうがないのですが、夫も相当頑張ってくれていました。医者と保健師の勧めで産後2ヶ月足らずで断乳して完ミ(この単語も懐かしい!)となってからは、夜中のミルクは夫がやってくれていたし、週末は夫が子供を見て私を実家で休ませてくれるなど、できることは全てやってくれていたと思っています。母は精神論の人で妊娠中泣いてばかりいる私を見て「今からそんなことでどうするの」みたいなことを言っていて、あれを書いた時点では実家は頼れなかったのですが、産後に毎日何時間も吠えるように泣いている私を見て「これは明らかに普通じゃない」と考えを改めたみたいです。保育園に預けるまでの間、実家で休めるようになりとても助かりました。
最後に、繰り返しになりますがブコメで優しい言葉をかけてくださった皆さま、本当にありがとうございます。私はなんとか乗り越えましたが、今はコロナ禍で、簡単に実家や支援団体などを頼ることできず、苦しんでいる人たちがたくさんいるでしょう。そういう人たちにあの優しい言葉が届き、せめて、批難する人ばかりではないということを知ってくれることを願っています。
1歳になる息子がいる。
息子のことは、すごくかわいい。
旦那はわたしと離婚したいそうで、こないだの口喧嘩のときにも離婚離婚とわめいていた。
そんな旦那も息子のことはかわいいらしく、様子を見てるとわたしより子育ては上手に思える。
わかっているが、産前から患っているうつが最近絶好調に暴れまわっていてわたしもなかなか見た目より大変なのだ。
主治医に相談すると「赤ちゃんがしゃべり始めたらまた変わるから、それまでの辛抱」と言われた。赤ちゃんが育ったら育ったで、また別の大変さが出てくるやん。いつまで辛抱すればええねん。ずっとでしょ。きっと。
ひとりになりたいの。朝はゆっくり寝てたいの。仕事終わったらビール飲みにふらっと出かけたいの。誰になんと言われようと、それが本心なの。ここまで考えて、息子が不憫で泣きたくなる。母親がこんなこと考えてて、なんて不憫な息子だろう。でも自由でマイペースな生活を送りたい。赤ちゃん中心の生活はあまりにしんどすぎる。ちなみに4月から保育園に預けてます。保育園に預ければ自由な時間が増えていいかなと思いきや、そうでもない。昼間はぐったりして何もやる気が起こらないし(自営業なので最低限の仕事はやる)あっというまにお迎えの時間。風呂にいれて晩ごはん食べさせて、あとは寝かしつけ。
夜中は数回起きるのでそのたび寝かしつけ。
眠い。寝たい。なんか保育園に預けても結局夕方~夜中のしんどさがあんまり変わらないんだよね。子どもにとっては刺激がある環境でとてもいいし、保育士さんにも本当に感謝してるんだけど。
追記です。
コメントなんてつかないと思っていたし、ついても期待はしていなかったけど、いただいたコメントがみんな優しくて泣きそうになっている。
記事を書いてから数日後、倒れて病院へ行って抗不安薬とか処方してもらった。
状況は全然改善していないし、毎晩のように目が覚めてひどい動悸と吐き気とたたかっている。
このまま死にたい気持ちに抗って生きていくしかないけど、なるべく死なないように頑張ってみる。
コメントくださった方々、本当にありがとうございます。
追記終わり。
竹内結子さんの自死について、産後うつではという憶測が飛び交っていた。本当の理由を私たちがわかるはずがないのに、みんな好き勝手言っていた。産後うつについて声高々にこんなにつらいんですってSNSで発信される人もたくさんいて、これを機に産後うつについて認知が広まるのはいいことなのでは、とも思っている。彼女の死の真相とは別として。その中に、「子どもを残して死ぬなんて信じられない」という声に対して、ちょっとだけ私の考えを書いてみる。
私には3歳の子どもがいる。夫婦ふたりの生活もいいけど、子どももいたらいいな、私たち二人の子どもを育てたいと思って、産んだ子だ。自分で決めた。子ども好きの夫は結婚当初から子どもが欲しいと言っていた。だけど、正直、自分の生きてきた人生もそこそこしんどかったので、こんな世界に自分のエゴで人間一人生み出していいのか、とも悩んだ。でも、子どもの人生について、こちらで辛いかどうかなんて決めつけることもできない。シンプルに、自分の子どもに会いたいという気持ちが勝った。
そうやってきちんと計画して、順調に生まれた子どもは、どこも悪いところなんてなくて、発達も問題ない、人懐こくて賢くて快活明朗元気なかわいい子だ。私のことをとても好きでいてくれて、「お母さん子」なんて言葉はないけど(おばあちゃんっ子、とかあるのに)、とにかくいつでも「おかあさん」と言ってずっと私にくっついていたがる。こんな素晴らしい子が私の子なんて、私にはもったいないとすら思う。
私は希死念慮が高い。でもそれを必死に隠して生きている。学生時代にものすごく嫌なことがあって、それから日々死にたいと思っていた。死にたい、というか、明日目が覚めずに死んでいたらいいのに、という風に思っていた。なんやかんやあって、毎日そう思う日々からは解放されたのだが、時折無性にこの世から消えてしまいたい気持ちはなくならない。実際に行動は起こしたことがないので、親しい人にも誰にも、夫にすら、実はたまに死にたがっている、ということはばれていないと思う。今までは主に孤独感が引き金でよく死にたいと思っていたが、夫と結婚して気持ちは安定していた。子どもがいたら、そういう気持ちはもっと収まるかと思っていたが、甘かった。
子育ては本当に大変だ。出産前の想定なんて甘すぎた。想像の何倍も何十倍も大変だ。そして、苦労はすべて子どもの笑顔に報われるかと言うとそういうわけではない。
何が大変か。まず、子育て自体が大変。慣れない授乳に睡眠不足、子どもや自分の急な体調不良。すぐ泣くし、すぐ怒る。コロナ禍では衛生面にもより神経質になる。でも、こういうのは、それこそ子どもの笑顔ひとつで報われた気がするんだよね。
大変なのはそれだけでなく、社会も厳しい。育休をとったら、もうお前はしばらく会社に貢献できないから辞めてほしいと言われた。大学の就活はリーマンショック後だったこともありうまくいかなくて、それでもなんとか辿り着いた正社員職だった。結局自己都合退職、ということになった。労基署に相談しても無駄だった。結構冷たい対応をされたので、傷口に塩を塗られたようだった。こんなことがあるのか、と絶望した。そりゃ少子化になる。出産育児金や子育て支援等、行政のサポートはあっても、実際こんなもんだ。正社員じゃなくて、契約社員、派遣、アルバイト、そういう人は産休育休もなく自分から辞めるしかない。そうなると育児休暇の手当ももらえない。
結局、今は子を保育園に預けて別のところでパートとして働いている。給料は二分の一以下になった。その分業務レベルは簡単だし、責任もない。有給はとりやすいので、育児と両立しやすい。職場の方も優しい。それでも、今の収入だと毎日が不安だ。第二子なんてとても考えられない。(夫とは結婚当初から生活費を折半している)
それに、子どもと遊歩道を散歩していたら突然知らないじじいから「うるさい!早く子供を連れてどっか行け!」と怒られたこともある。
地域のイベントに出た時、小さい子どもの隣は嫌だと言って不機嫌そうに席を離れたおっさんもいた。
どちらのパターンも、うちの子は騒いでなかった。子連れってだけで突然怒る人もいるから怖い。
基本的に見知らぬ人でも子どもに優しいコミュニティにいる。特に役所の人はとても親切だ。エレベーター優先させて乗せてくれたり、手続きを丁寧に教えてくれたりして、泣きそうなくらい嬉しかった。あと、その辺で出会う学生の子、おばちゃんやおばあちゃんも優しい。
突然怒ったり、挨拶しても無視するのは大抵いい年の男の人、特にじじい。挨拶もできないなんて、この人たち、職場でどういう風に生きてきたんだ?
一度、子どもが、セカンドバッグをもった強面のおっさんに挨拶したことがあって、よく声かけたなと思ったのだけど、その人はとても優しい声で挨拶を返してくれた。大抵の人はいい人なのに、たった1割の嫌な思い出がトラウマになる。臆病な私は、なるべく周囲に迷惑かけないようにびくびくしながら踏ん張っている。
あと、これからのことを想像すると苦しい。子どもがいじめられたら、逆にいじめる立場になったら、とか
今後事故にあったら、とか、病気になったら、犯罪にあったら、とか
大学卒業まで経済面は大丈夫か、留学費用や塾の費用は賄えるか、とか
そういう不安が波のように襲ってくる。
子どもはかわいい。かわいいけど、たまに自己犠牲や理不尽なこと、不安なことが多すぎてしんどい。
子育てを辛いと思う自分は、母親失格じゃないかといつも頭のどこかで思っている。みんな普通にやっていることなのに、自分にはできない。自分には我慢できない。
子供に手をあげたことはないし、感情的に怒らないよう、何かあったときはきちんと叱るように心がけている。育児本や発達心理学の本も読んで勉強している。
それでも、遊んだおもちゃを片付けない、夜ご飯を食べない、お風呂に入らない、朝起きない、いつまでも泣き喚く、そういう、子どもが自分の言うことをきかないとき、思わずを手をあげたくなる。子どもは自分とは別の人間で、自分の思い通りになるはずがない、ということは百も承知なのだけど、それでもしてはいけないこと、しなくてはいけないことは、何度も何度も伝えているのだから少しはわかってほしい。必死で我慢している。虐待は絶対だめだってわかっているけど、いつも隣り合わせな気がする。
ネットで、「そもそも子どもが泣くのは悪いことではない」という言葉を見たけど、やっぱり泣き声というのは聞いていてとても不快だ。泣いている本人だって、嫌な気持ちがあって泣いているんだから、早くその気持ちを取り除いてあげたいというのはいつも思う。
たまに怒るが、基本は褒めるように心がけている。もともとのんびりした性格で、子どもが生まれる前は声を荒げて怒る、なんてことしたことなかった。なるべく、小さなことは気にしないようにしている。いつだって子どもの幸せを願っている。毎日かわいいね、大好きだよって寝る前に伝えるようにしている。だから私はいないほうがいいんじゃないかと思う。
ママ友もいない。保育園のママたちと全くうまくしゃべることができない。保育園の送迎の時だったり、公園で子どもたちが遊んでいる間だったり、軽く言葉を交わしているママ達を見て憧れる。
自分は母親に向いていないと思う。たまにうまくいかなくて泣いていたり落ち込んでいたりすると、夫に、みんな普通にやっているんだから、と言われる。そういう時、あ、じゃあ私は向いていないからリタイアしようかな、という気持ちがよぎる。私の両親も夫の両親も健在で、関係は良好で、家も近くていつでも頼ることができる。それでもやっぱり苦しい。誰にも頼れない状況で子育てしている人もいるのに、こんなにサポートしてくれる人がいる環境で躓いている自分はなんてダメなんだろう。
自分はこの子の母親じゃないほうがいい、いなくなっちゃったほうがいい、そう思う。自分はこの子の人生に悪影響を与える存在になりそうだから、早いうちにいなくなろうと思う。
子どもが死へのストッパーになるのでない。死んだほうが子どものためなのだ。
夫はしっかりしているから、親や義両親と協力して夫が育てたほうがいいと思う。夫はかなり子育てをしているほうだとは思うけど、趣味や友人づきあいで土日、平日の夜いないことも多く 、やっぱり育児は母親がメインでするもの、という考えが根付いていて、言葉の端々にその考えが窺える。
私がいなくなることで、メインで子育てをする苦しさを夫にわかってほしい、という気持ちも少しある。夫には感謝しているし、嫌いではない。実は夫に復讐したい気持ちもほんの少しあるのも本当だ。
結局自分は不安や嫌なことから逃れたいだけの自分勝手な人間なんだと思う。こんな勝手な人間、やっぱり母親じゃないほうがいい。
それでも、私がこの状況からひとり逃げて、子どもに「お母さんがいない」と言わせること、それで寂しい思いを押し付けてしまうことがどんなに酷か、ということは容易に想像できるので、なんとか踏ん張っている。でもそれにいつまで耐えられるのかはわからない。