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はてなキーワード: 愚行権とは

2022-07-02

anond:20220702070421

好き好んで食べるのは愚行権として認めてやるが、それで食中毒になっても絶対健康保険使うなよ

2022-06-23

dreamzico 地域とか新鮮とか衛生基準とか技量とかほぼ関係ない。生体や屠畜の時点で菌が付着してるのだからカンピロバクター重篤後遺症もありうるので、死なないか大丈夫かい問題ではない。今すぐ法で禁止せよ。 「ちゃんとした店」 なんて不可能だよ。 誰が扱っても細菌は 付着してるのだから禁止しないと無知飲食店調理器具を 介して他の食材にも 広げてしまうからダメ 愚行権を主張するなら 中毒しても受診するな

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すごい(すごい)

2022-05-26

21世紀もっと自由になってると思ってた

インターネットに初めて触れた25年くらい前、日本独自規制はできなくなって、ポルノ大麻タトゥーオランダ並みに自由になると思ってた。ところが実際は欧米ポリコレ日本独自規制悪魔合体だった。

リベラル愚行権を守ろうとしないどころか積極的規制しようとしてる。こんなのどこがリベラルだよ。

2022-05-08

山で美しい人写真を撮るか 建築物美しい人写真を撮るか

https://twitter.com/Ljor_O/status/1522908777552687104

結婚衣装を着て登山として吊り(吊られ)ながら崖の途中で写真を撮った人。

https://togetter.com/li/1883657

建物の外に吊られアートとして写真も撮っただろう人。

素人だが考えてみると安全性を問うなら問題ダメ・ヨシの01ではなくいつもどおりのグラデーションだと思う。

こういうアートうんざりするぐらい出てくる安全性を問う人たちはたぶん見かけ上すごく安全を図られていてもわずかな隙を見つけて安全性が~と指摘すると思う。わら人形だけどね。

そして山の写真を見るとこれも登山としてはできうる限りの安全な装備をしてないよね。どうみても衣装普通登山家の服装と比べても安全ではなさそう。でもそういっちゃうそもそもウェディングフォトを山で、が成立しない。

じゃあ(法律的問題はあるかもしれないけれど)ぱっと見の詳しい背景を知らない我らはてブ民は一方をよしとすると他方もまあ受容するっつーのがなーなーな態度な気がするな?

高所での自己表現(アートのほうは表現者とリスクを負う人が別なのがままだが…同意は取ってるとする)のリスク普段より高まるが、閾値が違うのかブコメを見て違和感を覚える人たちもいた。

俺としてはどっちもリスク犯してやってんなー。これらに別々の態度とったらまずそーだなーとしか考えてない。

kurotsuraherasagi

足元に覗くゴツい靴が合成とかじゃないリアル写真である実感をもたせてて、すごくいい!真似は絶対できない… 

たまにみかける「ネガティブな反応含めてアート」みたいなの、気持ち悪く感じるけどうまく言語化できないんだよな…アートって言えば何でも許されるわけじゃないというか…私に現代アートは難しい… 


lenore

写真がとても素敵だし、工程聞いてすごいと思う。こんな大プロジェクトを共同で遂行したなら、もうこの夫婦に怖いものは何も無いんじゃない。 

ちゃん安全モデルの心身の健康名誉が保たれないなら、アートでも何でもなく傷害罪だ。アーティスト本人が障害を負うなら愚行権範囲内だが人を巻き込むな。批判だけで済まない場合を想定しないのはただの無謀 


mutinomuti

情熱がすごい

所作業の講習を女性含め全員受けているんだろうか(´・_・`)2m以上での作業から必須だよね


nandenandechan

ステキ!2人の趣味満載でいい! 

緊縛は体への負担が大きく、数時間程度と言われています。なので、緊縛後に何点かで吊る方法だと思われます建設業には「1mは一命取る」という標語があり、今回の場合ヘルメットハーネス必須です。怖いです。 

totoronoki

結婚関連のイベントを「趣味や夢の実現イベント」と切り替えるとお金をかける価値のあるものに変わっていくんだな。そもそも結婚式って旧式のクラファンみたいな部分あるしな。 

指が絡まったまま体が落下したら指が飛ぶからな。首なら窒息。車の危険運転等と同じで、アートでも危険行為やったら罰金、となるようにしたほうがいいのでは?(ただ表現の自由との兼ね合いが難しいか?)

2022-04-17

僕の妻は感情がない(34話)の感想備忘録

https://www.pixiv.net/artworks/97652638

基本的には色んな作品ネタバレと、ただの連想の垂れ流し

ともかく、今回の話は凄かった

杉浦氏が「34話、うまく描けた気がする」「自分は34話みたいなお話が描きたいんだな」と言うのも良く分かる

ロボットの考えてた事を吐き出せてスッキリしたけど、もう自分の中に何にもないな…そろそろインプットしないとな〜」となるのも良く分かる

これを描いてしまうと、この先に何を表現すればいいのかが見えなくなってくるだろうな、と

とりあえず、私は私が感じたことを書いていくことにする

ネタバレ要素】

ちょびっツブルーピリオド物語シリーズライ麦畑で捕まえて、異世界迷宮の最深部を目指そう、風の谷のナウシカ、余は弁明ス


4コマ目】

「大切な友達自分を壊してくれって言ってるのよ」

真剣に聞かないでどうするの」

これ、本当にたまらないセリフですよね

最後コマセリフを聞いてから読むと、この時の気持ちが、もう伝わってくるようで

【5コマ目】

個人的に好きな所

ロボット」というのをある種の比喩である解釈した時

これは親による教育比喩でもあるなあ、と

【6コマ目】

「何か問題があるとしても家族で乗り越えてきたかったそうです」

ここは難しいところ

家族でやるのが正しいのか、アップデートという名の支援を受けるべきであったのか

答えはない

【7コマ目】

今回のメイン

表情も含めて、本当に苦しい

「ただ ロボットがすごく気持ち悪いの」

「不自然で何も生み出さないくせに 人間みたいな顔をしてる」

ひとつ残らずいなくなればいいのにって思う」

自分が何も生み出せないことを“気持ち悪い”と思い、自分自身の事を“不自然であると感じる

誰しも、同じような気持ちになったことがあるからこそ、このセリフは響く

ある種の特性・特徴を持ち、自分がその特性ネガティブに感じている時、“いなくなればいいのに”と感じるよなあ、と思った

「早く人間になりたい」と何度でも思うのだ

ひとにすがたを 見せられぬ

もののような このから

「早く人間になりたい!!」

――作詞第一動画文芸部 作曲田中正史「妖怪人間ベム



【8コマ目】

「私はずっとロボットを 町から追い出したいと 思っていました」

「追い出すということは その先で壊されることも あります

友達からって特別扱いするわけにはいきません」

後のコマを見てもわかるんですが、これもこれで本心なんですよね

久永先輩の誠実さ(フェアさ)はこういう形なんですよ

自分を偽らない、自分規律に従う

厳しく辛い道である

決して状のない人間ではないから故に

もう一つ言うなら、今回は一人の人間が持ち得る色々な思想・考え・立場をそれぞれの登場人物に振り分けているところが読み応えのある所だな、と

タチコマ会議を思い出す

【9コマ目】

「みんなのことが好きで ホイホイ入っちゃったところがあって…」

ロボットを追い出すって どういうことか 考えてなかったんです」

「あの子たち みんないい子で やさしくて 頑張り屋なんです」

人間と同じくらい… ううん! 人間よりずっと…」

自分(自分たち)と違う相手排除することについて、深く考えてこなかった”という自覚

これを吐露することがどれだけ難しいことなのか

杉浦先生の、本当にフェアな所はこういう台詞に出てきますよね

ロボット“をある種の比喩であるとも捉えている立場としては

この種の「良い子で優しくて頑張り屋で、純粋なんです」というセリフが刺さる

10コマ目】

「そのような社会で うまくいかないことだらけの 人間と深くかかわろうと するでしょうか」

ロボット人間から パートナーを 奪ってしまうんです」

ここが、この話の本質

自分にとって都合の良い存在”を希求する

頑張っていない人より、頑張っている人の方が好きだ

意地悪な人より、優しい人が好きだ

醜い人より、美しい人が好きだ

自分の事を理解してくれない人より、理解してくれる人の方が好きだ

自分を憎む人より、愛してくれる人の方が好きだ

至極当たり前の人だ

自分に害をなす人を、自分にとって“良いこと”がない相手をどうして大切にできるのだろうか

好き嫌いや損得は非常に大事観点

それをなしに、我々は我々を規定できない

その町には 誰もいなかったの

お家もあるし

から明かりも見える

でも 道には誰もいない

から中をのぞいてみた

ヒトがいた でもアレといっしょだった

ほかの家もみた

やっぱりアレといっしょだった

この町も ほかの町とおんなじだった

アレといっしょは楽しいから

ヒトといっしょより楽しいから

みんなはもう外には出てこない

この町には誰もいない

――CLAMPちょびっツ 第1巻」

最初は 好き好き言っててもさ」

パソコンみたく 自分に都合のいい相手が現れたら ぜーんぶ ひっくり返して なかったことにするんじゃないかって」

――CLAMPちょびっツ 第3巻」

これとか、これとか、これとか、これとか、これとかで考えていたことと近いな、と感じる

12コマ目】

自然だとどうして良いんですか

個人繁殖して 種を保存するために いるわけじゃありません

これは根本的な質問

「不自然で何も生み出さないくせに」への反論にもなっている

「裸も」

「裸を飾ろうとする 人間自由さも醜さも 全て愛しいじゃない?」

――山口つばさブルーピリオド 第5巻」

別に幸せになることが、人間の生きる目的じゃあないからな」

幸せになれなくとも、なりたいもんになれりゃいいんだし」

――西尾維新恋物語 第恋話 ひたぎエンド



【14~15コマ目】

いくら努力しても 振り向いて もらえない人は?」

死ぬほど頑張って 恋人友達も 出来ない人は どうするんですか?」

「一生孤独に 生きて行かないと いけないんですか」

「… 振り向いて もらえなくても 努力無駄に ならないはずです」

「久永さん 美人からそんな事 言えるんですよ!」

「頑張って 頑張って 頑張っても 誰ひとり 振り向いて 貰えない人に」

「それでも『成長できてよかったね』って言うんですか?」

「言います…」

「人でなし!」

ここはコミカルに描いているように見えて、凄く鋭い

物語主人公理想を語ることがあるが

皆がその理想に殉じられるわけではないということに通ずるものがある

そうはいっても腹は減るし、金は欲しい。人を憎むことも上昇を望むこともある。すべて人の業である

もとより、私は、こはれる。私は、たゞ、探してゐるだけ。汝、なぜ、探すか。探さずにゐられるほど、偉くないからだよ。面倒くさいと云つて飯も食はずに永眠するほど偉くないです。

私は探す。そして、ともかく、つくるのだ。自分の精いつぱいの物を。然し、必ず、こはれるものを。然し、私だけは、私の力ではこはし得ないギリ/\の物を。それより外に仕方がない。

それが世のジュンプウ良俗に反するカドによつて裁かれるなら、私はジュンプウ良俗に裁かれることを意としない。私が、私自身に裁かれさへしなければ。たぶん、「人間」も私を裁くことはないだらう。

――坂口安吾「余は弁明ス」


【16コマ目】

文明が発達して それをしなくても済む人が 沢山増えました」

お腹を満たす事以外に リソースを割く事が できるようになった代わりに その過程で 無くなった仕事や大切な物が 沢山あったと思います

ロボットが居る事で 私たち必死に苦労しなくても 心を満たせるようになる」

「満たせない事で 苦しまなくて 済むようになる」

「代わりに失うものも たくさんあるでしょう」

「でも私は そうするべきだと 思います

「心が満たされた あとの社会

「その向こう側に 行けると 信じているからです」

ロボットと 一緒ならね」

ここがどうしてもこのエントリを書きたくなった所だ

以前に語ったように、人間は「自分でできることの増加」ではなく、「自分の周り(環境)」を変えることを志向して進化してきた

科学とは再現性学問から

究極的には、全てが自動で行われる「システム」となるかもしれない

その時、我々は、我々の意識は何を希求するのだろうか

その向こう側に行けるのだろうか

「信じているからです」と言いきる、その横顔が眩しい

機械も含めて、全ての存在(生命も含めて)に対する信頼が見える

「…………どの真実をだね?」

「あの時代 どれほどの憎悪絶望世界を満たしていたか想像したことあるかな?」

「数百億の人間が生き残るためにどんなことでもする世界だ」

「有毒の大気 凶暴な太陽光 枯渇した大地 次々と生まれる新しい病気 おびただしい死」

「ありとあらゆる宗教 ありとあらゆる正義 ありとあらゆる利害」

調停のために神まで造ってしまった」

「とるべき道はいくつもなかったのだよ」

――宮崎駿風の谷のナウシカ 第7巻」

自分の罪深さにおののきます

私たちのように凶暴ではなく おだやかで賢い人間となるはずの卵です」

――宮崎駿風の谷のナウシカ 第7巻」

私は私のために生きる。あなたあなたのために生きる。

私はあなたの期待に応えるためにこの世に生きているわけじゃない。

そしてあなたも、私の期待に応えるためにこの世にいるわけじゃない。

私は私。あなたあなた

でも、偶然が私たち出会わせるなら、それは素敵なことだ。

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

――フレデリック・S・パールズ「ゲシュタルトの祈り

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

旧約聖書「コヘレト言葉




17コマ目】

ロボットが 初めて 二足歩行した時 感動したと 思うんだよね」

「? そうですね」

「で 次は段差を どう乗り越えるか 観たくなるでしょ?」

「歩行コースブロックを 置くでしょ?」

「私 ブロックになりたいの」

全然文脈が違うが、「ライ麦畑で捕まえて」を思い出す言い回し

「ともかく僕は子供たちがみんなこの大きなライ麦畑の中で何かゲームをしているところを思い浮かべるんだ」

「何千という子供たちがいてね、辺りには誰もいないんだ」

大人は誰一人いないんだよ。その僕以外はね」

「そして僕はすごく急な崖の端に立っているんだ」

「僕がしなきゃならないことは、子供たちが崖から落ちそうになると捕まえてやることなんだ」

子供ってのは走っている時には前を見たりしないから、僕がどこからか出て行って捕まえてやらなきゃならないんだ」

「一日中僕はそれだけをしてる」

「僕はライ麦畑の捕らえ人になりたいんだ」

バカみたいだってことは分かってるけど」

――J・D・サリンジャーライ麦畑でつかまえて」



【18コマ目】

「私の意見は 変わりませんが 皆さんの意見も 変えられませんでした」

「今回の件は保留ということにします」

地味に好きポイント

やはりフェア


20コマ目】

「そうだ 『勇さんを壊すべき』と 結論が出たら当然 壊さなければいけない」

「『壊すべきでない』と 結論が出たら 勇さんの内面否定することになる」

「どちらにしても 勇さんは救われない」

「どうすれば…」

やはり誠実だ

そして、ここのテーゼアンチテーゼが次のコマからアウフヘーベン布石となる

24-25コマ目】

あなたが誰かを 傷つけても」

「人やロボットを 殺しちゃっても」

自分を 殺しちゃっても」

「私は そのとき 一緒にいたいの」

あなたの代わりは 世界のどこにもいないから」

「殺していいって言ってます?」

「久永先輩 いいんですか? こんなの」

いいわけ ないでしょ」

「でも その 良くないことで 勇さんは救われたの」

これがジンテーゼとなる

否定肯定も、自分が認めがたいことも含めて、それ自体を受け止めてくれる他者

これが正に尊厳であり愚行権であり、ハーム・リダクション的でもあり、アクセタンである

ただあるがままを受け止めて貰い、その衝動も含めて「(肯定でも否定でもなく)存在承認」してもらうこと

「正しくあれ正しくあれと教えられっ、教えられた通りに正しく生きて正しく生きてっ、最期には正しいまま死んでしまってっ! やっとそれに気づきました! 正しくあれなんてそんな言葉、教えた人の都合でしかありません! ええっ、薄々とわかっていました! 正しい人ほど不幸になるってことくらい!!」

「だから、わたくしは思うのです。ええ、いまこそ、正直に申します。

 ずっとずっとわたくしは――間違いを犯したかった」

――割内タリサ異世界迷宮の最深部を目指そう 5章.庭師名無しの物語 207.光の理を盗むものとの遭遇」

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。

変えるべきものを変える勇気を、

そして、変えられないものと変えるべきもの区別する賢さを与えてください。

一日一日を生き、

この時をつねに喜びをもって受け入れ、

困難は平穏への道として受け入れさせてください。

これまでの私の考え方を捨て、

イエス・キリストがされたように、

この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください。

あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされることを信じています

そして、この人生が小さくとも幸福ものとなり、天国あなたのもとで永遠幸福を得ると知っています

アーメン

――ラインホルド・ニーバー「ニーバー祈り

あなたの其の瞳が頷く瞬間に初めて生命の音を聴くのです

天鵞絨の海にも 仕方のないことしか無かったら

あたしはどう致しましょう

――椎名林檎依存症




【27-27コマ目】

「みんなが」

「勇さんが 要らないって 言うまで 無くしたりしない」

大丈夫ですか?」

大丈夫じゃないわ」

「もう少しで友達を 壊さなきゃ いけなかったの」

もう、なんというか

ズルいと思う、このセリフ

これをやられたらもう何も言えない

2022-04-02

「点ブロスマホ」も怖いけど「他人善意に頼り切って出歩く視覚障害者」も普通に怖いわ

ぶっちゃけ歩きスマホは声や光を飛ばせば顔を上げてくれるし、なんかあったときに訴えたらこっちにも勝てる見込みがあるじゃん

でも視覚障害者ヤバイよ。

音と触覚以外の情報を縛ってきてる。

しかにまあ声をかければ反応するんだろうけど、近くで選挙演説とかしてたらかき消されそうだよね。

何より怖いのはぶつかったらこっちが100%悪いってこと。

もう無敵だよね。

無敵すぎる。

その無敵にかこつけて平気で街を出歩いてくる。

これが江戸時代按摩やらないと飢えて死ぬってなら分かるけど、今はインターネットも発達して死ぬまで引き込もれるわけじゃん。

病院に行きたいならタクシーでも呼べばいいわけじゃん。

なんでわざわざ視覚障害の体のままで出歩くのか。

そして平然と人混みを突き進むのか。

歩きスマホ倫理観がぶっ壊れている悪党だってことで理解できる。

でも善人面被害者面を重ねておいて、平然と街を出歩くという危険行為を繰り返す愚行権行使障がい者マジで意味不明

あいつら何なの?

2022-01-30

anond:20220130121549

ユートピアはうらがえせばディストピア

大多数の羊は幸福。1人っこ政策が3人っこ政策に転換したので3人の子持ちとしていきていける。男女もそこそこ平等

でもひとたび政府の気に入らないことをしでかすとばかすか死刑にされてるヒトがいる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%AD%BB%E5%88%91

中華人民共和国における死刑ウィキペディア

たとえば日本ウィニー事件があって、研究開発に便利なツールだがネット犯罪にも使えるツールを公開した技術者有罪にされ懲役刑になったが、これが中国だと有罪のあと高確率死刑がまってる。いくら有能でも秩序を乱したら容赦がない。

最近では女性テニス選手世界ランキング上位)が政府要人愛人にされていて、それが国民にバレてなぜか男が怒られるのではなく、女がどのテニス試合にも出場できないようにされた。おそらく監禁されているから二度とトッププレイヤーに返り咲くことがない。

ユーチューバー政府に不合理なことをしたやつは監禁死刑になったという噂がでたら監視のもとで「生きています」というビデオメッセージだけ公開させる。

 

チベットなどで不合理でもいいから不合理な生き方をしたい人を合理化しようとしてできなくて結局現地自治体警察暴走して監禁拷問してしまった。

台湾香港中国でありながらほぼ日本とおなじ自由な状況だったが、しめつけを強化している。

独立運動とかしたら監禁。このままいけば死刑になる人もでるだろう。

 

あの国は、「国民自由は与えるが愚行権まではあたえない国」なんだよ。愚行かどうかは国が決めます

国がモンペ。いまだに独裁国っぽさある。

2021-10-29

anond:20211028201918

アツギはともかく、こっちは一体誰を傷付けてんのか?誰の人権侵害してるのか?とは聞きたいけどな。

俺はこんなことやらないけどな。単純に、ある一人の人間Aがこういうことをやっていたら、Aという個人に対する信用はガタガタだろう。「よくやるなぁ」とは思うわ。

しか愚行権こそが人権の要だろうよ。勝手やらせておけば良くないか?本人以外に誰が困るんだ?

2021-10-25

愚行権

人間には愚行権というのがあるから真冬北海道を徒歩で縦断するのも自由だ。

俺は若者自由尊重するぜ。

2021-10-14

愚行権があるので止めはしない

人間自分判断で間違う権利を持っている

好きにいきろ、保証なんて誰にもできないのだから

2021-10-06

薬物を使ってみて思ったこ

つい先ごろ、薬物の利用をした。以下で具体的にどの薬物をどう利用したかを書くことはない。また、その瞬間における体験がどのようなものであったかについても書くつもりはない。私が書くのは、翌日以降に残った薬物の影響と、そこから感じた「政治」についてだ。

「それ」からしばらく経ってからPCチェアうたた寝した。それ自体はしばしばあることなのだが、ある夢の最中で「これは夢ではないか?」と思い、そこに居合わせた人に自分の頬をつねってもらうように頼んだ。痛みを感じたので無事夢ではないことがわかったのだが、それは結局夢であることをPCディスプレイを目の前にして知ることになる。

それ以降はいわゆる「金縛り状態を2~3回ほど繰り返した。自分PCデスクの前に座っていることは分かっていて、半分夢の中にいるせいで体が動かないことも分かっているのだが、何もなすすべが無いのである。何度起きようと試みても無駄だった。金縛り最中に、おそらくは夢由来の幻聴も知覚した。ひた、ひた、と自分の後ろ側を何者かが歩いている音がするのである幻聴であること自体比較的すぐ看破したが、それで音が消えてくれる訳ではないし、「万が一もし本当だったら?」という恐怖や不快感も続く。

その時はたしか「これが金縛りという医学現象とそれに付随する意識低下に基づく幻聴だと分かっていても怖いのだがら、そりゃ枕元に誰かが立つという話が山ほど作られるわけだ」と金縛りと幻聴に苦しみながら考えていたように思います。結局その後何かの拍子に金縛りが解除されベッドに飛び込み、ぐっすり眠りました。

翌日。昼過ぎですかね、PCチェアに座っていると唐突な眠気が襲ってきました。そしてまた金縛りに。今度は周りが明るいのもなんだったらディスプレイに何が表示されてるのかも分かるぐらい意識がはっきりしているのにもかかわらず(まぶたを開けたまま寝てたのか、記憶がまぶたの裏に焼き付いていたのかは判然としません)、腕をアームレストから引き剥がすことが出来ないのです。この頃になると結構世界ルールが分かってきていて、ある程度は現実世界らしく振る舞うが、度が過ぎると初期配置にリスポーンする。

目覚めようと色々試してみました。体が動かないので叫んでみたり(今でも実際に声が出ていたのかどうかは分かりません。一応壁厚いし昼間だからあいいかと思って叫びました)。どのようにしてか体重バランスを変化させ椅子ごとすぐ後ろのベッドに飛び込むことは出来ましたが、いつの間にかまた普通に座らされていました。右手けがある程度自由になったので手元のガラスのコップを放り投げました。ガシャンという音と女性悲鳴が聞こえてきました。奇妙に思い都合良くもう一つあったコップをまた投げてみました。また同じくガシャン、キャー。効果音の使い回しだな、と思いました。このあたりからどうでもよくなってきて、右手ロジクール無線マウスを開けて電池を取り出し、口に入れてみました。その電池ソフトキャンディのように柔らかく噛み切れ、口の中には電気の味が広がりました。金縛りが解ける気配もないし、せっかくだから現実じゃ出来ないハチャメチャなドエロいことをしようと思ったが勃たない。

飽きに飽きたところでようやく両腕が本当に自由になったので(この時点ではまた両手だけ動かせても意味ねーよと思っている)、なんとなしに首の裏で組んでみた。そしてまたゆるめの金縛りに戻るのだが、今度は指先を動かそうと念じると実際動き、首の裏の神経が反応するのである(あたりまえ)

その辺りから徐々に体の操作権を取り戻し、ついには金縛りから脱するに至った。どうやら1時間ほど金縛りの中にいたようです。その後も軽微な「自分の手が自分の手に思えない」現象などはありましたが、今は元気です。

挙げた種々の現象はおそらく離脱症状のあらわれであったと思われる。現状のニートのままであれば、まあ用法用量を守って数日おきに刹那的に楽しみ離脱症状は当然の報いとして受け入れる、という選択肢が有望に思われる。

しか仕事に就こうと思えばこうした薬物から距離を取らなければならない。なぜなら、楽しい休日の次が必ず丸1日潰れ増田に長文を投げるぐらいの仕事しか出来ませんでは困るでしょう。

こう考えていると、薬物緩和肯定派がよく言う「政府国民幸せなど全く考えず、いかによく働かせ税金を搾り取るかという観点から薬物を禁止している!」といった主張へも、多分緩和派とは別の意味同意できるように思うのです。この程度の薬物(=歴史悪名を刻んでいない薬物)ですらこうなのだから、より作用が強い物はより翌日以降の影響もより強かろう。それを規制しようとするのは政府としては極めてまっとうなことであるように思われる。俺が総理大臣でもそうする。

薬物論争においては常にやり玉に挙げられる酒タバコも、翌日への引きずりかたが比較的軽微であるというところで、許可されてきたのではないでしょうか。二日酔いはたいていの場合本人の無茶な飲み方が問題と考えられているし、タバコ離脱症状はより些細であるあくまで外から見る分には。タバコが切れてナイフを振り回した人を俺は知らない)

例えばアルコールタバコ年齢制限だってそうだ。われわれは未成年の酒タバコは成長に良くないと思っているが、一度でも根拠となる研究タイトルとか要約を聞いたことがあっただろうか?(同じ理屈で同じく根拠が示されずコーヒー炭酸マッサージ器を禁止された人は多そうだが)結局の所われわれは未成年の酒タバコを、将来健康青年として税金年金を納めてもらえるように禁止しているようなものだ。

政府国民幸せなど全く考えず、いかによく働かせ税金を搾り取るかという観点から薬物を禁止している!」と俺も思うが、俺は政府は正しいことをしていると思う。これは愚行権問題で、もはや俺の手に負える問題ではない。『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください――井上達夫法哲学入門』というクソにも程があるタイトルの本が実は、日本代表する法学者による一般向けの本の中では相当高いレベルにあるのでおすすめです。

愚行権の話はおいておくにしても、ひとつ問題がある。われわれは、「政治」が嘘をついているとき、その嘘を暴くことが「政治批判」になると思ってきた。先に挙げた「政府国民幸せなど全く考えず、いかによく働かせ税金を搾り取るかという観点から薬物を禁止している!」というのも、一聴すると「市民自由を!」とシュプレヒコールで答えたくなるが、では月曜日離脱症状でうっかり自殺したり「サーセン副作用で動けないんで有給…はもうないんでしたっけ、まあとにかく休みます。…ツーツー」といった事象が多発するような社会に住みたい人間などいないのである

こんにち、嘘を嘘と見抜くだけでは批判にならないのです。では…

続きは気が向いたら書きます

2021-10-02

責任能力がないか無罪」がよく分からない?

俺は裁判ってのは

見せしめとして犯罪者人生破壊する

・人に危害を加えうる猛獣調教を施す期間や殺処分の可否を設定する

国民に信じさせたい正常世界の濃度を調整する

って機能を持った精度だと思ってる。

そして、このどれに当てはめても責任能力がないことが無罪になる理由がわからない。

見せしめとして犯罪者人生破壊するという観点で考えるなら

起こしてしまった犯罪という行為に対して「狂ってたから仕方ないんです」では犯罪者予備軍たちに「狂ってるふりすればいいだけじゃん!!!」という動機づけをしてしまう。

犯罪予備軍度が低い人に対して「でも狂っちゃったら裁かれるならもう頑張って生きても結局裁かれるかも知れないしバレない程度に犯罪してこ」と感じさせる部分はあるかも知れない。

だがそれだって「もしも狂っても犯罪をしない内に病院に行ったり、犯罪をしないように普段から距離を置いていこう」と考えさせる効果もあるはずだ。

危険予知運転の基本として教習所で「速度を低めにする。かも知れない運転はしない」と誰もが教わっただろうが、それらを道交法以外の部分にも応用していく。

狂ってしまった瞬間の自分の瞬発力を予測し、日頃から犯罪との距離をとり、そして近づいていると感じたら早めに病院に行く。

キチガイ無罪否定はそういったことへの動機づけになるはずだ。

人に危害を加えうる猛獣調教を施す期間や殺処分の可否を設定するという観点で考えるなら

有罪判決によって懲役死刑を課する目的本質は、犯罪者無辜なる者達が暮らす社会から遠ざけることだ。

そして、戻ってきても再び犯罪をさせないように調教を施すことである

調教に失敗した場合リスクを考えると生かしておくこと自体不適切判断した場合はもはや殺処分しかない。

犯罪者に対する処置保健所による害獣指定と大枠は変わらない。

実刑判決を受けた人間人権の何割かを奪われ、そのへんのペットよりも悲惨階級生物となる。

さて、それでは気が狂っていたか責任能力がないとされた人間はこの調教を逃れる権利を与えられるべきなのだろうか?

与えられるべきではないだろう。

狂ってしまたからといって犯罪を犯しておきながらキチンと処罰を受けなければ、犯罪に対しての価値観が歪んでしまう。

さながら某アーチスト過去障碍者イジメをイキりながら自慢したように、歪んだ価値観からは歪んだ行動が生まれるばかりなのだ

歪み始めた価値観矯正するためにも治療と並行して刑務所での調教も施すのが本人のためではないだろうか?

もちろん、一時的狂気によって外れたと思われるタガが殺人と行った禁忌にまで及ぶのならば殺処分検討していくべきだ。

国民に信じさせたい正常世界の濃度を調整する

ここだけは少し悩ましい。

裁判とは人類による人類のための人類によるシステムだ。

まり裁判とは需要に対して齎された供給なのだ

その需要とはなにかといえば、究極的に「悪いやつは裁かれる。正しいやつは裁かれない」というシンプル勧善懲悪論の肯定だろう。

人類全体の教養レベルが向上したことで、現代人の道徳観は昔ほどは短絡的でなくなったにしろ、未だに基本的な部分はこのシンプル理論に基づいている。

そして、裁判というシステム需要はこれによって支えられている。

裁判においてキチガイ無罪が成立すべきか否かとは「キチガイ故に犯罪をしたものは悪いやつなのか?」という命題に置き換えられる。

悪いやつという曖昧定義の中身に「実際に犯罪をしたら悪いやつ」「望まずに犯罪をしたのならギリ正しいやつ」といったものが含まれている。

これらの衝突によって生まれた歪の間でキチガイ無罪は宙に浮いている。

時代によって変わっていく価値観によって、最近社会では多少人間として欠落していても許していくべきという方向で世界はまとまっている。

が、それでもなお「人に大きく危害を加えないなら」という注釈がつきがちだ。

そしてキチガイ無罪に対して考えるべき点は、「現代精神医療を持ってすれば多くのキチガイが治るキチガイである」ということだ。

強い薬の服用によって元の人格が歪むリスクや様々なホルモンバランスが崩れる可能性もあるが、それでも治せるキチガイの数は非常に多い。

そうなると現代価値基準では「人に危害を加える前に病院に行く選択肢もあったのに、チンケなプライドや我が身可愛さにそれを忌避した時点で悪いやつ」となるのではないだろうか?

道徳観が進歩たからこそ多様なあり方が肯定されたが、同時に医学進歩したことキチガイで有り続けるという愚行権行使が許されにくくもなってきている。

ロボトミー手術を受けろと行っているわけでもなく、単に1日3錠のカプセルを服用しろというだけのことを嫌がって、人に迷惑をかけることが、現代道徳では許されるのだろうか?

許されないことのほうが多いだろう。

やはり、キチガイ無罪は通らないな。

少なくとも現代社会においては。

2021-09-30

我々愚か者にだけ許された特権がある

愚行権だ。

与えられた特権行使しないでなんとする。

さあ、愚行権行使するのだ。

2021-09-01

anond:20210901060044

あんたの言い分が通るなら私的団体がおこなう営業イベントは好きにやっていいということになると思うよ。

常滑イベントダメなのは、参加した連中が愚行権行使して勝手死ぬことが問題じゃなくて、感染を拡大させることで医療リソースを奪うことが問題なんだよ。

病院が病床を恣意的に使うなら、医療従事者などを含む医療リソースは公正に使われるのではなくて特権者に優先して使ってもいいと言ってるようなもの

私立病院であっても医療リソースには公的資源が大量に投入されてるのに、金持ちからという理由で独占できるわけないだろ。

2021-08-05

書け書けと言われたので

これはid:muchonovによる、id:rag_enさんのエントリ muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから」論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理があるよという話と、あとリテラシー - Click Game. への返信です。

引用されている増田テクスト位置づけについて

まず、rag_enさんがご引用くださっている、自分増田で書いた文章子供の権利は制限されているし、性行為に伴うリスクを判断できない」の位置づけなんですが、これはmuchonovが何か新しい提案をしたぞとか、今からそういう社会を作るぞ、という内容ではありません。このスレッドの親増田の「なぜ、子供が性を売ってはいけないのか」という疑問への応答として、今の社会がそういう風になっている理由として、法律的社会的にこのような背景がありますよ、と説明するものです。言い換えると、これは〈べき論〉ではなく〈である論〉のつもりで書いたものです。このことは、ここから先の話とも繋がってますので、ひとまずスタート地点としてご認識ください。

パターナリズムについて

rag_enさんは以下のように、「『社会コンセンサスがあるから』という理由でのパターナリズム肯定」や(判断力が未熟な当事者保護する)「手段としてのパターナリズム自体を強く批判されています

未成年に対しては愚行権を含む自由権一定の制約を課すべきだという社会コンセンサスがあるからです。未成年に対しては人権を制約するレベルパターナリズム保護者的統制主義当事者能力リソースの不足を社会保護者として補い、庇護する)をとってもよいし、分野・状況によっては積極的にそうしなければいけない

いやもうこれ、『社会コンセンサスがあるから』なんていう、ふにゃふにゃな理由での“パターナリズム”を肯定してしまっているの、控えめに言っても完全に思考が狂ってますよね。

そもそも『「判断力」によって峻別すべき』だと仰るならば、「ペーパーテストして免許制にでもすれば?」でほぼほぼ終了する話なわけです。『「判断力」によって峻別すべき』ならば、その「判断力」をテストする、というのはどう見ても最も正道な手段なのですから。“パターナリズム”などという手段を用いる必要は全くありません。


ここを読んでいて、最初「ん?」と混乱してしまったのですが、もしかしてrag_enさんには、「パターナリズム」という概念について重大な誤認がありませんか。rag_enさんが「“パターナリズム”などという手段を用いる必要は全くありません」という主張とともに、代案として展開されている判断力によって(ある問題についての当事者能力責任能力の有無を)峻別する」、そして、判断力がないとみなした対象自由権を(当人保護のために)何らかの形で制限する…という考え方は、まさに『パターナリズム』そのものではないですか? 

現行の日本法律が、年齢によってその人物判断能力推認し、それが十分でないとされた年齢に属する児童保護するために彼らの自由権を一部制約するのも、別の方法判断能力吟味裁定し(たとえば精神的な障害を持つ人や依存症に苦しむ人や認知症患者などを、家裁判断によって成年被後見人とすることなど)、彼らを保護するために彼らの自由権を一部制約するのも、どちらも法学の分野でいう「弱いパターナリズム」だと思います

憲法学世界で「パターナリズム」といえば、まず未成年者の人権制約の場面が思い浮かぶ。すなわち、十分な判断能力のない未成年者については、親が子に干渉するようなやり方で、国が未成年者の人権を制約することが認められると考えるアプローチである(1)。たとえば佐藤幸治は、未成年者の人権制約について、未成年者が「成熟した判断を欠く行動の結果、長期的にみて未成年自身目的達成諸能力を重大かつ永続的に弱化せしめる見込みのある場合に限って正当化される」とし、これを限定されたパターナリスティックな制約としている(2)。このようなパターナリズムは、個人判断能力の不十分さを補うために後見措置を行うことから、弱いパターナリズムと呼ばれる(3)。

https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:0RwE-rfojV4J:https://core.ac.uk/download/97063334.pdf+&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

そして、未成年や年齢が低い児童判断能力が不十分とみなされる理由は、法学世界では、彼らの判断が、それ以上の年齢層による判断に比べ、①知識情報を得た上での判断・②適切な理解に基づく判断・③強要なき自律的判断・④実質上も自発的判断ではない可能性が高く、それによって、当事者自身が想定しない結果や不利益をもたらすリスク懸念されているからです。[^1]

[^1]性的自己決定に関しては、古い調査ですが、10代の人工妊娠中絶についてのアンケート結果(https://www.jaog.or.jp/sep2012/JAPANESE/MEMBERS/TANPA/H15/030217.htm)を読む限り、確かにそのリスク存在しているといえます10代の妊娠中絶経験者の68.1%妊娠して「困った」と回答しており、その多くが①②膣外射精安全日など誤った避妊方法を選んだり(情報理解力の不足した判断)、③相手避妊をしなかったり(強要された判断)、④経済的事情などを踏まえれば出産育児不可能なのに妊娠する可能性のある行為をしてしまう(実質的には非自発的判断)など、当人判断能力の不足によって、望まない妊娠人工妊娠中絶に到っています

この前提において、当事者自由権を法と社会が一部制約することが正当化されています。これはmuchonovが勝手に言ってることじゃなくて、法学におけるパターナリズム議論の中で整理されている話です。

ソフト(弱い)パターナリズム」が自由への介入を正当化できるのは、人の行為が以下の何れかに因って判断された場合です。

1. 実際に情報を知らされないで判断した場合(not factually informed)、

2. 適切に理解していないで判断した場合(not adequately understood)、

3. 強要されて判断した場合(coerced)、または

4. その他、実質的自主的にではなく判断した場合(oterwise not substantially voluntary)。

http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~cyberian/personal_responsibility.html

そして、未成年者や特定年齢に満たない児童に対する「弱いパターナリズム」に基づく人権制約は、日本を含め、大半の近代国家法制度に含まれています性交同意年齢という概念もそうですし、制限行為能力者という概念もそうですし、ある面では責任無能力者という概念もそれに関わっています。そのような、未成年者や児童人権を明らかに制約する仕組みが各国の法制度に組み込まれているのは、当然、その国家議会立法などの民主主義手続きを経てその法律を定めた結果であり、『社会コンセンサス』の賜物でしょう。

から先ほどのrag_enさんの、「『社会コンセンサスがあるから』なんていう、ふにゃふにゃな理由での“パターナリズム”を肯定してしまっているの、控えめに言っても完全に思考が狂ってますよね」とか、「muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理がある」という指摘は、日本だけでなく、性交同意年齢や制限行為能力などの概念法制度に組み込んでいる全ての国家社会に対して「完全に思考が狂ってますよね」「論法に無理がある」と非難していることになりませんか

現在日本では、性交同意年齢(13歳)未満の男女と「性交等」をすることは法律で禁じられており、もしそうした場合、それが13歳未満の側の当事者主体的判断によるものであっても、相手強制性交等罪(非親告罪)で処罰されます。13歳未満の側の当事者には、必ずしも性交に関して正しく判断する能力が備わっておらず、その能力の不足による誤った判断不利益から彼らを保護しなければならない、とみなされているからです。これも「完全に思考が狂っている」「無理がある」論法でしょうか。

私はrag_enさんがそういうチャレンジングな主張を展開されるのは別に構わないと思っていますし、繰り返しそう申し上げてもいますが、だったらその主張はmuchonovという個人に向けて言うべきことじゃなくて、そうした法制度を運用している国家やそれを是認している国民に対して言うべきことなんじゃないかな、と思います。だから自分は、再三「rag_enさんのお考えを、広く世間に問えばいいと思います」と申し上げているんですけども。

あと、これはこちらの邪推ですけど、おそらくここでrag_enさんが問うべきだったのは、「性的自己決定権をめぐるパターナリズム的な人権制約の適用対象を決める上で、年齢という指標を用いて一律に決める(現在法制度に組み込まれている)方法と、ペーパーテストを行って免許付与するという(rag_enさんが提唱する)方法の、どちらが制度設計として筋がよいか」ということだったのではないでしょうか。そうではなく「パターナリズムという手段ではなくペーパーテスト免許制という手段を使えばいい」と主張されている姿勢から、rag_enさんのパターナリズムについての認識は、一般的用法とズレがあるように感じました。もし「そうではない」ということなら、そうおっしゃってください。

※ここでもし自分がrag_enさんを先回りして擁護するとしたら、「rag_enさんの言うペーパーテスト免許制という提案は、パターナリズム的な観点判断力が未熟な当事者保護するため)に基づくものではなく、その行為による他者危害リスクなどを鑑みて、本来無許可では行ってはいけない諸行為に対し、当事者能力知識技術総合的に認証したうえで特別アクセス権を付与するもの、つまり自動車免許医師免許に相当するものであるからパターナリズムにはあたらない」という立場は、かろうじて取りうると思います未成年児童が関わる性行為について、当事者不利益よりも他者危害リスクを先に考慮しなければいけない状況というのは自分には俄には思いつきませんが、まあそこはよしとしましょう。

しかし、そのような制度---国家国民の性行為に関わる知識判断能力ペーパーテスト弁別し、それが当局の定めた水準を満たしているかどうかによって、セックス権利を与えたり奪ったりする制度---というのは、自分国家による生-権力的介入・管理アプローチとしていささか度が過ぎていると思います。というか、「規律化による〈従順身体〉の構築」というフーコーテーゼをそのまま戯画的に具現化したような感じすらします。

また、自動車免許社会実装コストについてのrag_enさんの記述を踏まえると、rag_enさんは、その「セックス免許」の仕組みを社会実装するコストも、免許取得費用として「受験者」から徴収して賄えばいい、とお考えのように見えますセックスへのアクセス権を求める市民自身から試験料を徴収して、セックス免許センター受験者にテストを行って、合格者に免許を発行する。もしそういう制度運用イメージされて仰っているのなら、この構想が現行の法制度にある「年齢によるパターナリズム保護」の仕組みよりもメリットが多くデメリットが少ない現実的提案だと感じる方は、あんまりいないんじゃないでしょうか。もちろん、rag_enさんのような考え方の人たちが社会運動などを通してそのアイディアを人々に受け入れさせて、社会コンセンサスを変えていくことができれば、その状況も変化する可能性はあると思いますが。

https://anond.hatelabo.jp/20210805095853 に続きます

anond:20210805022256

そら誰も死なない(且つその状況を作るための社会に対する負担も低い)が理想だけど、1%確率死ぬかもしれない奴を5人入れたことで50%確率死ぬ奴が入院できなくなるなら50%の方を優先するのは合理的だろう。『そもそもキャパを増やせ!』って主張なら分かるが、トロッコの針路を変えたこ自体批判してるのはおかしいだろ。違うか?工作認定して精神の安定図るのはネトウヨと同じでっせ。愚行権はあるのでそれでもいいけど

2021-07-15

anond:20210715143237

じゃあ3K職場ブラック企業で働くのも愚行権行使にはあたらないとそういうわけですね

anond:20210714185723

臓器売買や覚せい剤使用比喩は、

そもそも性を売ること自体が人の健康尊厳を脅かしうる人権侵害である

ゆえに愚行権自己決定権があったとしても認められるべきではない」という意味だろうに。

追記後もまだその意図理解できてねーし。無知は救いがたし。

2021-07-14

セックスワーク差別無知からやってくる [追記あり]

https://togetter.com/li/1744776#c9350058

七海@路上喫煙さなウーマン @nanamiutena

女性が性産業で働く自由って、要は内臓を売るとか覚醒剤漬けになる自由を認めるようなものでしょ?そりゃ反対するよ。明らかに身体に害を与える事に対して、自分意思でやってさえいれば何でも肯定するなんておかしい。

https://togetter.com/li/1744776#c9350081

七海@路上喫煙さなウーマン @nanamiutena

そもそもセックスワーカー」なんて言い方がおかしいんだよ。そんなものが「仕事」になっていい訳があるか。「肝臓バイヤー」とか「膵臓バイヤー」と同様におかしい。人権侵害を「仕事」として認めるべきではない。

最初アニメーター低賃金労働心配するようなものと同じでセックスワーカー心配してるのかなと思ったけど「仕事として認めるべきではない」って断言しちゃってるし、職業自体への差別発言と受け止めて良いでしょう。

で、なぜこのような発言が出てきてしまうのか。

全ては無知が原因だと思うんだよね。そしてこの場合無知とは

セックスワークのものへの無知

・その他「ワーク」全体への無知

の2つに分けられる。

セックスワークのものへの無知

この場合セックスワーク一般的想像されるAV女(男)優・風俗嬢とする。

まず日本における彼ら彼女らは「覚醒剤漬け」になんてなってないし、

経済状況が非常に悪い途上国セックスワーカーを指しているとしたらそれは

そもそもセックスワーカー関係なくあらゆる人々・日常覚醒剤がはびこってる」状態の国でしょう。

内臓を売る」ってのは性器を使うという意味では上記の例ほど荒唐無稽じゃないけど、それは本当に「使ってるだけ」であって臓器の売買と違って永久に戻ってこないものではないし。

そんな言い方するならオフィスワーカーだって眼球を使って仕事してますけど、「眼球を売る」のとは根本から違うよね。

その他「ワーク」全体への無知

セックスワークリスクとして有名な「妊娠性病リスク

あるいは「犯罪に巻き込まれリスク」つまり暴力によって怪我や命を落とす」がすぐに想像できる。

後者殺人まで至るようなケースであればほぼ100%報道されるので、皆さんも何年かに一回くらいペースでTVで見かけるでしょう。

うそう実際に発生してるよね、痛ましいよね。

かにこれらはリスク

だけどね、それだけで「仕事として認めるべきではない」ってほどではないのよ。

それは何故か?

だって他の仕事でもガンガン怪我するし、病気になるし、死んでるから。「ワーク」ってそういうもんだから

有名なのは建築現場で働く人たち。

あなたが知ってるような著名な建築物なら必ず関わった1人2人は命を落としてる。

例えば東京タワーって奇跡建築だったって言われてて、あれ建てたとき1人しか死ななかったんだよ。

「1人しか死ななくて良かった〜!!」って美談として語られてるんだよ?人が死んでるのにだよ!

https://wawawork.work/workerstrend/skills/635/

800度もの高温リベット20メートル上にいる職人に放り投げることもザラにあり、このやりとりは「死のキャッチボール」として有名になりました。想像するだけで冷や汗が出そうですね。

1件の死亡事故を出したものの、1958年当時の建設業における年間死亡者数は1846人であったことと照らし合わせると、東京タワー工事難易度や当時の安全設備の不備などを考慮しても、驚異的な数字といえるでしょう。

1958年と比べれば近年では相当マシになってるけど、それでも年間で1万3813人が死傷者だそうです(2019年)。

知ってました?

https://www.decn.co.jp/?p=112101

他にも建築に近いところで土木林業とか、医療従事者は感染症危険が高いとか、

パイロットは0.1%くらい死ぬとか、職業軍人なんて怪我せずに帰れる方が珍しいとか、

工場では指や腕が切断されたりひしゃげるなんてしょっちゅうで、

他にも動物飼育員とか、騎手とか、警察官とか、消防士とか、漁師とか、トラック運転手とか、とにかく危ない仕事なんてこの世の中にいっぱいいっぱいいっぱいいっぱーーーーーーーーーいあるの!!

そしてそういう危険仕事従事してるのは大半が男性ばかりなのも知っての通りですね。

nanaminoさんは女性から、この社会男性ばかりがこういうリスクを負った仕事を担ってることには一切興味ないですかね。

そんなのはどうでも良くて、結果としての平均賃金の差の方が気になりますか?ごめん、これは本当に話が逸れた。

ただね、こういうのって無知もそうだけど「想像力」だと思うのよ。

自分以外の他人への興味というか、「もしかして危ない仕事ってたくさんあるんじゃないか?」って想像することができればさ、

手元のデバイスちょっとポチポチやればすぐに数字が出てくる良い時代じゃないですか。

でね、「俺は頭は良くないけど身体を動かすのは得意だし手先も器用だ」って思って建築現場で働いてる人だっているじゃないですか。

(もちろん腕っぷしに自信なくても他はそれ以上にもっとできなくて消極的に選んでる人もいるよ)

外野から「明らかに身体に害を与える事に対して、自分意思でやってさえいれば何でも肯定するなんておかしい」って言われなきゃいけないですか?

仕事として認めるべきではない」ですか???

風俗嬢だって、少なくとも時間単価では明らかに「高給取り」ですよね。

他に得意なことはなくても対人サービスが得意とか、生まれつき人に好かれやすいとか、そういう自覚を持ってリスクがあっても高給な仕事を選ぶことだってありますよね。

もう何が言いたいか分かりましたか

はい!!!!!!

次にお前は

「ならそういう仕事ももっと安全性を高める努力をしたらいいんじゃないですか?男性女性ももっと自分を大切にしよう!」

「国が悪い、政治が悪い、社会が悪い、とにかく私は知らんから誰か偉い人がなんとかしろ!」

と言う!!!!!!

うるせーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!

それができりゃ最初からやってるわ!!!!!!!!!ボケ!!!!!!!!!

安全から石だけ投げてんじゃねえ!!!!!!!!!!!

ハァハァ……。

とにかく世界もっと興味を持って、たくさんのことを知ってください。よろしくねがいします。現場からは以上です。

2021/07/15追記

誤読について

女性が性産業で働く自由って、要は内臓を売るとか覚醒剤漬けになる自由を認めるようなものでしょ?」は愚行権の例えであって性産業で働くことで内蔵を売る羽目になったり元締めに薬漬けにされることを指しているわけではなく、あくまで例えであるというツッコミを受けました。

すいません、これは純粋に気が付きませんでした。

だって内蔵を売るのは金を得るためだか共通点あるけど(それでも金なくてメルカリ身の回りのものを売るようなもので「職業」と比較するか?と思いますが)覚醒剤にハマるのはそもそも仕事でもなんでもねーじゃん。まさか産業で働く人は自分快楽のためにやってる人ばかりだと思ってんのかな。

オフィスワーカーだったとしても趣味毎日出社して机に向かってる人はそんなにいないんじゃないですか?無給だったらやらんでしょ。

ちょっと面倒だったり嫌なことでも相応の対価がもらえるから続けてる」って仕事はこの世の中にたくさんあると思いますよ。その自由否定してくるのは無理筋

ということで最初から例えが意味不明すぎると思います

つーか自由意志に基づくヤク中と同列に並べるって、差別意識が強烈すぎんか。分かりたくもないわそんなの。

産業法律で認められていないことについて

前提として、個人的には合法化に賛成する立場です。

性嫌悪に基づく)「職業として認めるな!」って声とか「薄汚い仕事」って偏見があるから社会政治コンセンサスとしていつまでも認められない実情があるわけで、

他の3K仕事と同じくちょっとリスクがあろうが(他のサービスに比べて大金が払われるくらいには)需要があるのに何故か苦しい状況に置かれてる。

合法化したほうが業界団体ができたり、まともな資本が入ってきたりして安全面含めたセックスワーカー労働環境がどんどん良くなっていくと思う派です。

2021-07-05

ワクチン任意且つタダだけど、未接種でコロナ感染したら保険適用なしでの治療ねってすれば公平でいいんじゃない

愚行権は認められるべきだけど、それなりにコストは払わないと

2021-06-10

トロフィーキッズ」こそ禁止されるべきだろ

普通教において普通人間と認められるための手段と化した出産は命に対する侮蔑罪だろ

お前ら2人の愚行権で終わっていい問題じゃねえんだよ

2021-03-27

夫婦別姓についても、同性婚についても、芸能人不倫についても、その他なんかようわからんそういう事柄についても思うことなんだけどさ、なんで特定の人たちはそんなに他人生き方干渉したがるのかがそもそも一切全く分からないでいます

他人人生じゃないか

権利とか自由という概念以前に、そもそもなんで干渉したがるのかそのモチベーションからからない。分かりたくない。自分以外の人間がどう生きようが自分人生にはなんの関係もねえのに、なんでそんなどうでもいいことに当事者意識が持てるんだろう。自他の壁が消失しているのだろうか。僕の知らない間に地球人の幼年期は終わったのだろうか。そんな形の補完は嫌だ。倫理観とか宗教観とか社会規範とかなんかそういうまぁ要するに信仰心リブンな事柄について、他人強要することはあんまり良いことではないと思うし、そう憲法に書いてあるし、たぶん小学校とかで習っていると思う。知らんけど。

そもそも他人幸せを決める権利なんて我々は持ち合わせてはいないのだから、どんなに自身信仰心に照らして愚行と思える行いでもそれを止める権利なんてないし、愚行でないのならなおのこと。愚行権自由権の本質です。例えば、夫婦が別姓になって何か問題が起きるとしてもそれは当事者が最大限の自助努力のもとで理不尽に相対しながら血反吐を吐いて解決すればいいだけの話です。事前に法が介入するべきではなくて、問題が起きた後に法が介入できる余地を残しておけばいい。それが法にできるギリギリのことです。

例えばそれで不幸になる人がいるにしても、その人から事前に権利を奪ってはならない。自らの自由意志による選択の結果として不幸になる権利をその人から事前に奪うことは悪行に他ならなりません。人は不幸になる権利があるんです。見方を変えて、社会規範の維持や社会制度の維持を願う権利は個々の市民にあるとしてもその権利範囲は強く束縛を与えなきゃいけないはず。個々の姓に関しての束縛はその権利範囲を明らかに逸脱しているし、個々の性事情に関しても踏み込んでいい範囲じゃない。それらは誰がどう考えても個人自由範疇です。

そもそも自由主義社会においては当事者同士が限りない自由の中でより良い道を模索するべきで、法律が束縛を与えるのはあまり良いことではない。法律利益調整のために仕方なくあるものなので、必ずしも必要ではない束縛はそもそも全て破棄すべきなので、夫婦同姓規定夫婦別性規定もどちらも要らない。というか本質的には私有財産接続制度以外の何者でもない法律制度の形が現行のものだと違和感が凄いとは思っているけど、これは未婚の私が言うことじゃないから言わない。市民は自らの選択で限りなく不幸になる権利すら手中に収めた。それはきっと素晴らしいことなんです。隷従のもとで肥え太ることより遥かに素晴らしいし、それを守りたいと私は思います。私は私が正しいとは思っていません。自由主義なんて最悪だと思っています、もちろん自由主義以外のすべての形態を除けばの話ですが。

2021-03-16

anond:20210315160051

長くなったのでトラバ来た。

この増田は「皆がワクチンを打たず社会が壊滅する」という見えてるヤバいリスクを忘れているか無視している。

経済的被害でも人は死ぬから健康被害と比べて軽視していいわけがないのは明らかだが、

それ以上に大小問わず影響人数が感染者より多いのでリスクの規模が大きくなる。

科学的、論理的というなら、これも人文科学範疇だろう。

それも加味してはじめの等式を見直し場合に、明らかにワクチンを皆が打った方が社会的に利益になるよね。という話は科学的に出来るだろう。

増田は暗に「個人利益」というところに話を限定している。論理的に正しいかどうかは前提条件を変えればいくらでも変わるので、増田の論が論理的に正しくみえるのは、その前提条件、「個人利益に話を限定しているから」の影響にすぎない。

一方で個人利益に話を限定したとしても「みんながワクチンを打たないリスク」は個人リスクとしても計算にいれるべきで、

これを無視できるのは「他の人がリスクをとってワクチンを打つだろう」という暗黙の前提がある。

増田は「論理的科学的に」と言っていたけど、他人リスクとってくれるだろうからそのリスク無視するというならこれは"倫理的"にまちがっている。

増田は「ワクチンを打つか打たないか個人価値観問題だ」と相対化を試みているが、価値観倫理的にまちがっているという批判普通に成り立つ。

あとは愚行権をどれだけ認めるかという話になるかと思う。

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