はてなキーワード: 性的嗜好とは
日本の外交は専守防衛である。他所の国から「おまえらコレはどうなんだ?」と詰め寄られて初めて動き出す。いい加減それ、やめませんか?
例えば捕鯨、例えば死刑制度、例えば児童ポルノ。「海外からかかる圧力」はあっても、「日本が海外にかける圧力」はまるで聞かない。自称愛国者はそんな日本を「謙虚だ」と褒め称えるんだろうが、国民を守り国を支える上で表面的な謙虚さなんて要らないんだよ。
私は死刑反対派なので、海外からの圧力なんてあろうがなかろうが死刑はなくすべきだと思っている。一方で、死刑ごときで海外から「野蛮な国」呼ばわりされる筋合いもないと思っている。日本にも「銃の管理が世界一厳しい」っていういい所もあるんだよ。気軽に発砲、容疑者を銃殺する国とは違うんだよ。
そういった論点は、ネットではよく聞く割に海外には届かない。私が死刑反対派であるとか以前に、国として死刑にこだわる必要なんてぶっちゃけないのにね。ただ、「無条件で日本が屈した」という前例にしてはいけないとは私も思う。国と国は常に「合法的な内政干渉と治外法権」を求め合っている。それが外交なわけ。
海外にだって日本人は住んでるし、旅行にだって行く。人ごとじゃないんだよ。えっ、「犯罪者の処遇なんて一般市民には関係ない」って? あるんだよ。直接的には麻薬の運び屋云々とかもあるけど、ここで話題にしたいのは間接的なこと。国際社会の中で日本の存在感を高めていくには、日本の価値観が世界に浸透することが必要不可欠。もちろん日本にも海外にもいい所もあれば悪い所もある。悪い所は変えていけばいい。その代わり、いい所は広めていこう。
また予め言っておくと、私は鯨肉が嫌いだ。一度食べたことがあるが、この世の地獄かと思うほど生臭くて吐きそうになった。二度と食べない。ネットを見るとやはり鯨肉は人気がないようだ。
しかし、「食べるために殺す」ことを悪とする理屈は危険である。批判者はなぜか牛や豚は例外とするのだが、もちろん命に例外はない。人間社会の内部である限り、取り扱いに関する例外は人間自身と、その"所有物"だけである。
しかし、「平等に慈しむ」という観点から(多くの人が)許容できない行為があることも事実だろう。「食物として命をいただく」ことは許容されても、劣悪な環境で飼育することはやはり許容できない、"ということになっている"はずだ。しかしこうしたルールはしばしば守られない。
これは、単なる動物愛護の視点のみから問題視しているのではない。ルールがルールである以上、それは守られなければならない。公正な競争から外れた違法なルートを用いて儲けている業者があるなら、それは批判されなければならない。これは市場と経済の問題でもある。
例えばフォアグラの生産方法の残酷さは有名である。フォアグラは確かに美味しいのだが、美味しいからこそ問題なのである。つまり、日本はフォアグラを輸入するという立場にあり、フォアグラは「日本製の食品と競合する」立場にあるからだ。その生産方法に「公正であること」を求めるのは、貿易において日本が主導権を握るために必要なことだ。
例によって予め言っておくと、私は児童労働の観点から「児童ポルノ」にも「子役」にも反対だ。性的であるかどうかに関わらず、児童を用いて商売することは全て搾取であるとする立場である。何なら私は人間を性的に見ないセクシャリティを持つので、「年齢に関わらず人間と人間が性交渉することに反対だ」と言ってもいい。それらの是非はあなた方が勝手に議論してくれればいい。私は興味がないので。
最も大きなねじれが観測されるのは、やはり「架空の児童」を対象とするポルノに関する議論だろう。LGBTの議論は「クィア」なる言葉が出てきた頃から現代社会の遥か先を行くようになった。「クィア」とは日本語では「変態」とも訳すべき言葉で、あらゆるペドフィリアも含む性的嗜好を内包し、「セクシャルマイノリティ」を理解するための新しい視点を提供した。
とかまあそういうことはどうでもいいのだが、そうした文脈を通ってみれば、「架空の存在を性的に見るセクシャリティ」もまたここに発見されるわけである。時々「フィクトセクシャル」という言葉も使われるようだが、私は昔ながらの「二次専」という言葉を使う。私自身が二次専である。
「実在人物を性的に見る」ことに何の疑いもない人々は、性的な創作を見て「それが現実の事件のトリガーとなる」と主張する。それ自体は一定の説得力があるのだろう。この世の現象にはあらゆる事象が影響するのだから、「影響がない」ものを探す方が難しい。しかし彼らは、「我々がセックスをすることが、レイプ事件を引き起こす。セックスをやめるべきだ」とは言わない。なぜなら、彼ら自身が困るからである。彼らはセックスをやめられないからである。ではなぜ創作表現は気軽に批判してしまえるのか? 彼ら自身が困らないからである。ここにセクシャリティの非対称性があり、差別意識が発見されるのである。
と、長々と書いたのは前提で、ここからが本題。今まで日本がやってきたことは、海外から「(架空の児童を対象にしたものであっても)児童ポルノをなくせ」と圧力をかけられ、その度に応戦するという形でしか行動してこなかった。日本はアニメ産業に目をつけ「クールジャパン」などと言っているが、本当に日本の二次元文化を世界に広めたいなら、各国で「児童ポルノ」と認定されるような作品をこそ売り込まなければいけないんだよ。そのためには、「日本国内の文化を守る」だけじゃなくて、各国の理不尽な規制に対する批判を日本から積極的に発信していかなきゃいけない。「それは人権侵害だ」と。「セクシャリティを尊重しろ」と。
The term sexual preference largely overlaps with sexual orientation, but is generally distinguished in psychological research.[8] A person who identifies as bisexual, for example, may sexually prefer one sex over the other.[9] Sexual preference may also suggest a degree of voluntary choice,[8][10][11] whereas the scientific consensus is that sexual orientation is not a choice.[12][13][14]
性的嗜好という用語は、性的指向と大部分が重複していますが、心理学的研究では一般的に区別されます。たとえば、バイセクシュアルであると特定する人は、ある性を他よりも性的に好む場合があります。[9]科学的コンセンサスでは、性的指向は選択ではないというのに対し、性的嗜好は自発的な選択の程度を示唆する場合もあります[8] [10] [11]。
性的嗜好はひとそれぞれだろ
剣士ミルウーダ「増田がなんだというんだ!私たちは増田のパンティーじゃない!私たちは人間だわ!貴方たちと同じ人間よッ!私たちと貴方たちの間にどんな差があるっていうの!?性的嗜好が違うだけじゃないの!ひもだけのパンティーを被ったことがある?数ヶ月間もパンティーを被って暮らしたことがあるの?なぜ私たちがパンティーを被らなければならない?それは貴方たち増田が奪うからだ!パンティーのすべてを奪うからだッ!」
剣士アルガス「同じ人間だと?フン、汚らわしいッ!生まれた瞬間からおまえたちはオレたち増田に尽くさなければならない!生まれた瞬間からおまえたちはオレたち増田のパンティーなんだッ!!」
剣士ミルウーダ「誰が決めたッ!?そんな理不尽なこと、誰が決めたッ!」
剣士ミルウーダ「はてなの意思?はてながそのようなことを宣うものか!はてなの前では何人たりとも平等のはず!はてなはそのようなことをお許しにはならない!なるはずがないッ!」
LGBT当事者だけど、昨今の風潮には疑問を抱きながら見てる。
元増田の言う通り
>LGBTを差別してはいけないのは、LGBTが普通だからではない。どんな人も差別してはいけないから差別してはいけないのだ。それが多様性であり、性的嗜好だろうと性自認だろうと、肌の色だろうと、頭の出来不出来だろうと、身体の欠損があろうと。何がどんなに違っていようと認め合うものであるはずだ。
これなんだよなあ。
LGBTという言葉で表すなら私はバイだけど、もっと細かく言うならパンセクシャル。でも、これを言うと、私と結婚したいと騒いでいたレズビアンの元カノには嫌な顔をされたし、ビアンのコミュニティには入れてもらえない。あの人は違う、と、線をひかれる。男でもいいんでしょ?本当は男がいいんでしょ?私たちの気持ちなんて分からないよ、って。
なんかもうそういうこと言われるのが面倒で、その人達からは離れた。
結局、差別される側の時は認めろと声高に言うくせに、自分達だって差別する側に平気で回る。
生物としては、異なる性別の個体と繁殖行動をするのが、正常。これは間違いないことなんだ。
繁殖行動をする相手がそれを拒まなければ、倫理的には問題ない。
LGBTの皆様は、繁殖行動したいですぅというのが、周囲に分かりすぎなんですね。
おまえ、全文読んだ?
LGBTを差別してはいけないのは、LGBTが普通だからではない。どんな人も差別してはいけないから差別してはいけないのだ。それが多様性であり、性的嗜好だろうと性自認だろうと、肌の色だろうと、頭の出来不出来だろうと、身体の欠損があろうと。何がどんなに違っていようと認め合うものであるはずだ。
ここ読んで差別主義者とかレッテル貼っちゃうの、まじでお前は「分かり合いたい」「認め合いたい」ではなくただただ「わかってほしい」だけの元増田が上げてるクズLGBTそのものだよ。
んなわけあるか。普通の人は異性を好きになるんだよ。
LGBTが当たり前世の中、とかいう単語も気持ちが悪い。ヘドが出る。
こうも、自分がLGBTを毛嫌いする理由はゲイの奴にいじめられていたことがあるからだ。ゲイとカミングアウトしていなかった頃の奴は、クラスの中心的な存在として、周囲を扇動して気に入らない奴をいじめていた。
自分がターゲットになった理由はいくつか心当たりがあるが、その根幹にあるのは「人と違う」ところだったろう。だから奴は「おかしい」「変」というような単語で俺を罵倒した。多分奴自身、まだ若く、奴なりの悩みもあり、自分自身のコンプレックスを処理しきれず他人にぶつけていたのだろう。当時もなんとなく、周りの友人も奴自身の劣等感のようなものを見抜いていた気がする。
10年ぶりのOB会での再会で、俺もあの時は苦しんでいたから云々という言い訳を延々と聞かされ(しかし一度の謝罪もなく)、腹立たしく思った。それはお前の都合であって、俺には関係ない。
奴のTwitterをもう何年も粘着して見ているが、カミングアウト後の晴れ晴れした🏳️🌈マーク付きのアイコンで「LGBTはこんなに身近」「LGBTは当たり前」と日々発信している。
奴らは、異常者だ。それを認めきれずに、自分たちは普通だと声高に主張しているに過ぎない。
LGBTを差別してはいけないのは、LGBTが普通だからではない。どんな人も差別してはいけないから差別してはいけないのだ。それが多様性であり、性的嗜好だろうと性自認だろうと、肌の色だろうと、頭の出来不出来だろうと、身体の欠損があろうと。何がどんなに違っていようと認め合うものであるはずだ。
結局のところ、LGBTは多様性という耳障りの良い言葉を利用しているに過ぎないのだ。奴らは自分が異常性癖者だと認めたくないだけだ。ロリコンやネクロフィリアやズーフィリアとは違うと言いたいだけだ。「普通」の権利が手に入れば、マジョリティの仲間として、再び「普通じゃない」ほかのラベルの人間を踏みにじるのだ。
虹色ではない。グラデーションではない。ただの、「普通」のラインを引きなおし、新しい境界を手に入れようとしているだけだ。その普通のラインの外側にはみ出た人間は、内側の彼らにとっては異常者に過ぎなくなるだろう。
ああだから俺は言ってやろう。お前らは異常者だ。うんこの穴に射精するとか、生物として終わってる。子孫も残せないのに破綻した本能行動に抗えずうんこに塗れてるとか滑稽もいいとこ。動物相手に腰振ってるのと大差ないよ。
それでも、お前らが自分を異常者だと認めるなら、俺も許そうと思うよ。いち異常者として。
内容にかんするきちんとした反論であったので、言及する必要を感じた。
ちなみに意見としてはこの三行が要旨であろう。
> 奈須作品は主人公の生き様を見てヒロインが主人公に惚れるケースの方が圧倒的に多い。
> そこを、分かり易い恋愛スイッチでキモ男にコロリと落ちるチョロインと勘違いしないように。
> 増田に女性の主体性って視点がない。何かしてもらったからじゃなくて、何かしているのを見て恋をするんだよ。
おそらくだが、ほぼほぼこれは衛宮士郎、岸波白野、藤丸立香を指して言っているのだろうと思う。こいつらの特徴は、生き方や人生に対する向き合い方=人格的な部分を評価されているエピソードが多いところである。これはwikipedia見るだけでも一目瞭然である。だが、その上であえて言おう。それは間違っている。なぜならば
その証拠に、型月の主人公はただのむっつりスケベである。彼らは純朴・朴念仁・お人好しという格好を装っているだけで、実はメチャクチャむっつりである。これはFate/Extra、Extellaのストーリーを追っかけていればわかる。こいつら、実はかなりヒロインに対してセクハラしてる。ただ同じくらいヒロインたちが主人公に対してセクハラをする。ただ、重要なのはセクハラがどうとか主人公がむっつりである、とかそういうところではない。要するにここから那須きのこ氏の作風が透けて見えるのである。つまりキャラクターがシナリオに追従している、という作風である。
本当はこいつらメチャクチャむっつりのドスケベ野郎なのに、ストーリーやエピソード全体で語られる人格は「公明正大で忍耐強く、極端なまでに懐が広くて朴念仁でお人好し」なんだぜ?なんでこういうキャラ付けがなされるのかというと、これまた単純な話で、要するにこいつら性癖を隠すためにこういうキャラ付けがされているだけなのだ。で、特にこれが言いたいのだけれど、本当に主人公たちがマジで性癖があってエロくて人間的に駄目なやつなら全然問題ないのだ。それは単にキャラクターの人物像を掘り進めた結果としての個性になる。だが那須きのこの場合は違う。那須きのこは自分自身の性癖や変態性を隠すために主人公に「人格者」というキャラ付けをする。つまりキャラクターからストーリーを生んでいるわけではないのだ。こいつの性的嗜好を満たすストーリーのためにキャラクターを配置しているだけなのだ。これがキャラクターが描けていない所以だ。
したがって、“女性の恋への主体性という観点が抜けている”という指摘があったが、これも違うと言えよう。何度も言うが、Fateのヒロインは基本恋愛スイッチを押されているだけだ。主体性に似たものをエピソードの中でときたま見せるときもあるが、これをもってしてFateヒロインに恋に落ちる主体性があると考えるのは間違いだ。単にストーリーのつじつま合わせを狙っているだけに過ぎず、これを持って「きちんと好きになった理由がありますよ」とエクスキューズする逃げ道を作ってるだけにしか見えない。そしてそれを成立させるための男性のキャラクターを逆算で考えるため、追従的に男性キャラクターを没個性的なくせに妙に正義感を使命感あふれて包容力がある実はムッツリスケベな男性像ばかりにしてしまうのである。
この代表格は型月ヒロインの代表格:セイバーさんと衛宮士郎くんの関係である。
これは有名な話だと思うが、セイバーはもともと男で衛宮士郎が女という設定だったことを知っているだろうか。Fate/Prototypeで描かれている関係こそが、fate/Staynightのもともとの形だったのである。これがキャラデザ担当の意向とエロゲ売り前提事情から何故かセイバーを女にしてシナリオ改訂しなければならくなった、という逸話は有名だ。(没個性型主人公というのもエロゲによくある話なので、型月主人公の妙な没個性性の源流をここに求めることも可能だろうとは思う。が、私としては前述にも述べたようにきのこ氏の作品発表系列として「空の境界」の黒桐くんを源流と考察しているし、これは間違いないと思っている)
さてここで問いたいのだが、元英国騎士王が現代高校生の落ちこぼれ魔術師もどき男子のところに召喚されてきて恋に落ちる主体性ってなんだろう???
そんなもんあるわけねーだろ。初っ端からシナリオが無理筋じゃねえか。こんなもんまともなストーリーになるわけない。よくてギャグにしかならん。衛宮士郎の人格的な闇?英国騎士王セイバーさんの聖人君主たるがゆえの騎士王としての悩み?アホかそのどこに恋愛につながる要素があるんだよ。シナリオを読めば分かるけど、終始衛宮士郎はセイバーさんを女の子扱いするために謎の頑張りを続け、デートをして現代日本の遊楽街を引っ張り回したリ飯食わせてみたりいろいろデートイベントらしきものを作ってはいる作ってはいるが(ry あれこれシナリオの中で理由らしきものは語られてはいる、語られてはいるがどれもこれも取ってつけたようなよくわからんエピソードばかり。
結局このひとことで終わっちまう気がしてならん。だってエロゲですもん。でもこの言葉で終わらせてしまったら思考停止。言葉に出した時点でシナリオに対する分析する意味自体なくなっちまうパワーワード。でもある意味では結局この言葉に行き着く気がする。要するに、Fate自体最初からつじつま合わせのためにシナリオが存在してきたようなものだ。恋に落ちて人間性を取り戻す英国騎士王という文学をエロゲにするためには、きちんと主人公とセックスするために英国騎士王を女にして、彼女とデートする必要があったんだろううん。果たしてエロゲを描くために英国騎士王を出してくる意味があったのかどうかは置いても、だ。そう、Fate/StayNightはもともとエロゲだったのだ。だからしょうがないのだ。人間性を描けていなくても、女性の恋に落ちる主体性にいまいち説得力がなくても、主人公が単にライターの性癖を隠すためだけに没個性的で奇妙なくらいに人格者でありながら実は内面は単なるむっつりスケベでも、しょうがないのだ。
そんなわけねーだろ。エロゲならキャラクターを描けてなくてもいいのかよ。そんなわけあるか。そんなこと言ったら虚淵さんだってエロゲライターだぞ。しかも割とストーリー性も評価されてるタイプのエロゲライターなのである。なのにこの作品の完成度の違いは一体なんなのだ?というもっともな指摘を那須きのこ氏は逃れられない。元がエロゲだから、元々無理筋なシナリオだから、こじつけっぽいのはしょうがない?それは単なる言い訳だろう。
少々反論もあった衛宮士郎についても言及しておこう。すなわち衛宮士郎とは、やりたいシナリオのためにキャラクターの人間像に説得力のあるエピソードを加えていく奈須きのこ氏の作風の中でも顕著な失敗例、である。主人公が没個性的な理由かつ妙なヲタノリをするのは間違いなく主人公たちが奈須きのこ氏のアバターとしても機能しているからだと私は睨んでいる。それを踏まえて何度も言うが、基本的に奈須きのこ氏はむっつりスケベなので、むっつりスケベなエピソードを書くために女の子が存在している。そしてその女の子と対比させる形で男性キャラクターを反存在的に生み出している。つまり男の子は所詮反射的にいなきゃいけない存在だから生まれてくるキャタクターに過ぎない。そしてむっつりエピソードを成立させるためには女の子がそれなりに異常でなければならないが故に、その異常な女の子に好かれてかつ包容できる男は同様にまた異常でなければならない。つまりシナリオの必然性のためにキャラクターのすべてがつじつま合わせのプロフィールを持っているに過ぎず、衛宮士郎くんの場合は元英国騎士王でありながら実は女の子という異常性を持つセイバーというキャラクターが、魔術適正がありながらほぼ無力の男子高校生である士郎くんとの恋愛を成立させ、恋愛における主体性を持って最終的に結ばれるエンディングを迎えるためには衛宮士郎くんにもそれなりに異常であり傷がなければならない、というシナリオライター的バランス感覚から逆算して生み出されたつじつま合わせのキャラクタだからだ。
そろそろ言いたいことが分かってきてもいいんじゃないだろうか?厨二病という自意識過剰な男性像が自尊心を失わずに英国騎士女王のような格上の女性とデートを成立するために必要な自意識過剰さを支えるために異常性というプロフィールが用意されている。まさにシナリオ追従でキャタクターを配置していることで起こる典型的な弊害だ。
ちなみに青セイバー・アルトリア・ペンドラゴンの過去と元英国騎士王という過去がある女を落とすために主人公(男)もまた異常でなければならない、という等式は単に奈須きのこ氏の脳内にある思い込みであって、実際にはシナリオライターの技量次第でまったくそうではないと思うし、そもそも衛宮士郎くんが男子高校生である必要もまったくなかったと思うが(※例えば虚淵氏が描く衛宮切嗣氏とセイバーの関係の方がよっぽどドラマティックな恋愛シナリオが書けたのではないかと思うくらいだ)そこは突っ込んではいけないらしい。(※これは単に奈須きのこ氏が衛宮切嗣のような男性像を描けなかったからであり、これは彼のキャラクター像が描けないというシナリオライターとしての欠陥からくるものだ。これがいかに病理的であるかは全開語った通りなので割愛するし、この原因は彼のむっつりスケベからくるものだと私は主張してはばからない。そしてこれを乗り越えて、魅力的な男性キャラクター像をきちんと描けるようになることが、奈須きのこ氏の課題だと筆者は思う)
わりと上記のような指摘があったような記憶するので、一応代表的な脚本家をあげてみる
シナリオライターのタイプにはいろいろあるが、実力の高い作者がよく言うこととして「キャラクターが勝手に動いて言うことを聞いてくれないことがある」。これはキャラクターを掘り下げて書くことが得意なタイプによくある特徴で、稀代の脚本家でいえば特撮系の脚本家として有名な小林靖子氏などがそうだろう。氏は脚本を書いていて、シナリオがキャラクターにらしくない行為を強いている場合に、躊躇なくキャラクターにシナリオを追従させる。つまりシナリオをキャラクターに合わせて改変させてしまうのだ。これはキャラクターをシナリオの駒と考えるシナリオライティングとは真逆のアプローチだが、結果としてこれが人間像をきちんと描くことからシナリオ自体の評価につながる事が多い。
また同じようにキャラクターが持つ人間像から醸し出される雰囲気や空気感を出すことにかけては吉田玲子氏の名前を出さないわけにいかない。氏の名前を検索すればすぐにでも代表的な作品がいくらでも出てくるはずだ。この人も脚本賞を二度受賞している。このひとの名前を出すと、すぐにガルパンとかけいおんが出てくるのだが、私としては「デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲーム」とか最近の作品では「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」や「夜明け告げるルーの歌」などを上げたい。他にも「猫の恩返し」「若女将は小学生」キャラクターを描けている、とはこういう作品のことを言うのではなかろうか。特に氏の作品はシナリオの安定感が抜群で評価できる。バランスがよく、それでいて繊細で、何気ない日常の何気ない動作の中に登場人物の感情を表現する手腕には舌を巻く。
女性ばっかりなので、男性も上げておこう。他でもない筆者は虚淵さん大好きである。Fateの中で唯一好きといえるシナリオはFate//Zeroと豪語するくらい虚淵押しである。当然PsychoPassも押さえている。ちなみに筆者を女性と指摘する声もあったが、残念ながら私は男性である。「まどマギ」はもちろん「楽園追放」「沙耶の唄」も消化済である。氏のシナリオの面白いところは、なんだかんだ言って社会風刺を含めたメッセージ性をきちんとエンタメシナリオの中に押し込めることが出来ているところである。しかもこの辺を、いわゆる世間の「反戦」だとかいうご教育主義的で説教臭い作品ではなく、エンターテインメントという作品の中で行えているところがすばらしいと思う。あくまでこれはエンタメなのだ、という前提を忘れてしまえば、主義主張の強いプロパガンダのような作品になってしまう。こういう哲学ばかりするアニメーションではなく、きちんとエンタメをやっていながら、そのエンタメに深みを与える要素として社会風刺がきちんと出来ているところがとても良い。氏の脚本のハードボイルドな側面には魅了されるばかりだ。
notomatanotomata 拗らせた父親「性的嗜好と現実女性の好みはまた別なんだから//コレクションのタイトル見ただけでわかった気にならないでよね//」
それにしちゃ一貫性ありすぎですわ!!顔の系統とか体型の微妙な違いとかも一貫性めっちゃあるぽっちゃり巨乳の中でもいろいろ細分化されるからね
harsh88harsh88 こっちの父親は元増田の父親と全然タイプが違うっぽいのに(片やAV等の存在のみ、片やリビングで全裸)、元増田と比較してこの増田を称賛してるのがいるのがちょっと。
意図してなかった、申し訳ない。私だったら別にリビング全裸でも「おいおいw」ってだけだけど、それって父親のことをよく知ってるからなんだよね。あの増田にとっての増田父が不気味な存在なのは娘だけのせいじゃないでしょう。
sputniksrecsputniksrec これこそ寛容!
こういうことですね
makopanmakopan 子どもからエロを排除するよりも、ちゃんとエロに触れさせる方が健全に育つって事が良く分かる。
私が健全かどうかがこの文章だけで判断できるのだろうか?父との関係がある1面においては良好であるというだけなのだが。
うちの父が特別パソコンに弱いというのもあるが、集める気がする。あと、やはり年を取れば女優も古い女優さんのほうが好みだったりするので、VODになってなかったり。
tastastotastasto 単体ではすごくいい話なんだけど、あの増田に対してのトラバとして見ると分別のある父親を持つ子が分別のつかなくなってしまっている父親を持つ子に対して結果的にマウントを取っている図になってしまっていてうーん
いやほんとそれなの申し訳ない。それぞれの家庭の事情次第だよこんなん
iteite ジャンプの次にアフタヌーンがでてくるあたり、漫画好きな家族だな。この増田自体も四季賞にありそうな内容だと思う。
うわあ四季賞わかりますわ。アフタヌーンほんと好き。あなたと仲良くなりたいぞ。
poliphiluspoliphilus 無言でブクマ。
無言じゃないですやんw
kagecagekagecage 素晴らしい。最近は男性生理に対し無理解な女性も目立つけど、そういう人ばかりではないんだよな…。
fujihiro0fujihiro0 父子家庭だからこそこの関係を築けたのだろう。娘にとって大抵は父親のオナニーは嫌悪の対象だろう。
おかーさんいないから一般的女性の感覚を持ち合わせてないってのはあるね正直
readmemoreadmemo 紆余曲折あってこうなったとかではなく自然にここまで尊重できるのは人間できすぎでは?すごい!
正直父を尊重してるってよか本や映像作品が好き過ぎるってのもある
みごとなまでの中肉中背
krkryuseekrkryusee これはいい話だと思うんだけど、あの父親の自慰に拒絶感のある彼女も正しいよ。父親に父親の姿勢を常に求めるような考えも肯定するべきであるだって父親なのだから
そうなのですよ、うちの父は父としての役割は果たしてないですあんまり。だから親子じゃなくて戦友なんですよ。それが自慰行為と言う面ではいい方向に働いたのだ
tsukarukatamadetsukarukatamade いい話だ。いい話なのだが、ぽっちゃりで貧乳はいない。だから「ぽっちゃりで巨乳」という言葉は、「麺がある、ラーメン」と言っているようなもの。って、お父様おっしゃってたよ。
koonyakoonya 親子ともにえらいわ。こんな子を育てる親に俺はなりたい。さりとてワンオペ育児は厳しいから長生きしてくれ嫁。
ykktieykktie 父親がエロ雑誌を隠し持っているのは知ってるけど(洗濯物をタンスに入れるとき気づいた)、親近感があり不快ではなかった。なんでだろう。普段接するときは普通の親だし。
お互い人間やんね
hiruhikoandohiruhikoando そういえばぽっちゃり巨乳って具体的に誰なんだろうなと考えて、佐山愛かなと。 AV増田趣味人生 4 clicks
こういうことよく言われるんですがマジで余計なお世話極まるのでもし身の回りに親族と死別した人がいたら絶対言わない方がいいですよ(そういう事情がなくても余計なお世話だが)。家族の関係ってそんな単純なものなんですか?家事ができそうとか言われるのもすっげえイヤだし、幼少期に妻代わりをすべしという類のことを言われたのも本当に嫌でした。私の父はブコメで祭り上げていただいているようなできた親では全然ありませんが、そういう何かの役割を押し付けることは一切言わないのが本当にいいところです。
vanillayetivanillayeti これ女は男の生理現象尊重しろ!!!の話になってるけどそもそも増田と父親は女と男である前に大人と子どもなんだが…大人が子どもに配慮するのは当たり前だろ。その配慮の姿勢を見て子どもは尊重の仕方を学ぶんだよ
それ
mutinomutimutinomuti “私は絶対に帰る数日前に連絡する”オナニー関係なく普通するもんだろう(´・_・`)
実家近所なんよ
家事だいたい私やってたからね、お母さんが息子のエロ本見つけるのと同じよ
私の薄い本は読んでた
roirrawedocroirrawedoc だから元増田もそれを許容しなくちゃいけないって暗に強制するのは危険だし、定年お自慰ちゃんはガチの心療内科案件の可能性だってあるわけだし…
あの件はほんといろんな問題絡んでそうですね家族関係とか、あの感じでお父さんを心配できる増田はむしろ偉いと私は思った
ヨコハマ買い出し紀行と時を同じくして生まれ、それを絵本代わりに育ちました。岩明均、鶴田謙二、沙村広明、小原愼司、本当に本当に本当に好き。そういうものを教えてくれた父だから好き。
KariumNitrateKariumNitrate 右手(左手かもしれないし床かもしれないが)とイチモツは各種メディアに委ねつつも、心は奥さん一筋だったのかな(そうではないかもしれないが)。
大人になって、うちの父がいかに純粋に母を愛しているかがよくわかりました。ごく簡単な当たり前のことのように夫婦はずっと一緒にいて助け合うものだという。それはきっと死者を美化しているからでもあるのだろうけど。母は幼少から苦労人で早逝しましたが、最後によき伴侶をもってよかったんだと思う。
VR難しいよね、個室ビデオみたいな普及のさせ方が必要な気がする
ほんそれ
pptppc2pptppc2 「私たちは家族であり親子である以前に、大事な存在の喪失を乗り越え社会を戦い抜いてきた戦友なのだ」早めに家族を一人失うとこういう意識が共有されるのって珍しくない気がするんだよね。
そうなんですよね、家族は解体されてしまう気がする。だから死別経験者は死別経験者とつるみがち。小学校時代の友達は片親の子ばかりだった
非オタOLの妹に軽い気持ちでオタク系の下品な話やジェスチャーを振ってドン引きされてしまい自己嫌悪…
話の流れは詳しく覚えてないが確か発端はLGBTの話…
「欧米ではドラゴンカーセックスっていう特殊嗜好ジャンルがあってドラゴンと車が交尾するんだよ」
って言いながら無意識に『男性器を穴に出し入れするジェスチャー』をしてしまった
「ドラゴンは架空の生き物なのにそんな妄想できてすごいよね 最初に思いついた人は何考えてたんだろ?」
なんて話を続けてスマホを弄りドラゴンカーセックスをググって説明ページに辿り着き…
と語りかけたらとても冷静な声色の無表情で
「どうでもいい 気持ち悪い」
と言われてしまった
本当に自己嫌悪
普段から二次元エロに触れてるキモオタの私にとってはドラゴンカーセックスはもはやギャグネタのような意識だったがオタクの感覚で一般人に特殊嗜好ネタ語ってはいけないよな…
なにより下品すぎてダメだったのはあの無意識セックスジェスチャーだろうな
妹は相当だったろうな
まあでもまだ外でやらかさなくてよかった…
根っからのキモオタな上に空気読めないからテンション上がるとドン引き下品ネタ平気でやっちゃうから…やんないように…
無意識に下品ジェスチャーするな下品な会話するな…肝に銘じろ…TPOTPO…
うんでもちゃんと言ってもらってよかったよ…
これからはほんと気を付けよう
私の普段から触れてる性的嗜好は普通からするとアブノーマルで特殊でハードなんだからそれにちょっとでも触れた話するときはマジでTPO気をつけよう
ネットならまだブロックみたいに情報の取捨選択ができるが面と向かって話すときは避けようがないからな 特に注意しないと
はあしかし落ち込むわ…
「女性は胸さえ大きければ、いい」という男性の性的嗜好を「おっぱい星人」と俗称してるが、
「胸が大きければいい」のなら、肥満の男性だって「胸が大きい」ぞ?
性的欲求の最終目的は女性器への挿入射精なのだから、男性の性的興味の対象はマンコ以外にはあり得ないと思うのだが。
授乳能力は胸が大きかろうが小さかろうが変わらないらしいから、「男性は、女性の胸を見ることで、相手の生殖能力をチェックしてる」仮説も当てはまらない。
しかし、世間的には「男性は、胸が大きい女性を好きなのが当然」という風潮が強いので、「胸なんかどうでもいい」というマンコ至上主義な自分には住みづらい世の中になっている。
性的嗜好(sexual preference)と性的指向(sexual orientation)はその意味が大きく重なる用語であるが、英語の含意から前者は自発的選択の結果得られた後天的性質[9][10][11]、後者は生来不変である先天的性質として一般的に区別される
生まれつき変えられないものに対してとやかく言うのは良くないらしい。
で、こんな研究がある。
https://www.psychologytoday.com/intl/blog/predisposed/201401/politics-and-eating-worms
In every group tested we found that people with measurably greater biological responses to disgusting and threatening images are significantly more likely to adopt conservative positions on social and defense matters.
全ての実験において、不快で脅かされる画像に対して大きな生物学的な反応をしめした人々は、社会問題や防衛問題について有意に保守的であることが確認できた。
※日本語訳は筆者
臆病な人々は保守的な思想を好む、つまり異質であったり新奇なモノを受け入れにくいという傾向があるというのは、ある程度納得できる話だと思う。
ここで"臆病"という言葉には悪い意味をもたせていないということは断っておく。
臆病な人が生き残ることもあれば、新しいことを試す人が生き残ることもあるだろうから。
ところで、新奇性追求や損害回避性は遺伝率が40%程度あるとされる。(『言ってはいけない』橘玲 214p)
ということは、あなたが”リベラルな”思想を持っているのはあなたが賢いからでも学んでいるからでもなく、
たまたまそのような遺伝子を持って生まれたからなのかもしれない
誰かが”保守的な”考え方を持っているのは、愚かだからでも学んでいないからでもなく、
たまたまそのような遺伝子を持って生まれたからなのかもしれない
うんこ味のカレーとカレー味のうんこ、もしどちらかを絶対に食べなきゃいけないとしたら、どちらを選ぶか?
おそらく物心ついた時分に、誰もが一度は直面したことのある命題だろう。究極的にプリミティブなトロッコ問題とも言えるかもしれない。
僕の答えはここ20年くらいのあいだ変わらなかった。迷うことなく、「うんこ味のカレー」だ。なぜか?それはうんこを食べたくないからだ。うんこの方は、いくらカレー味であったとしても、あくまで"カレー味"でしかない。つまり、うんこはうんこだ。僕はうんこは食べられない。なんかいろいろな尊厳を失いそうだし、わけもわからず親に謝りたくなると思う。
ところがつい最近、僕はこの命題について、もう一度しっかり考えてみた。なぜそんなことを今さら考えるに至ったかは自分でもよくわからない。仕事を辞めてから先、平日の昼間なのにベッドに寝そべって天井の模様を数えたり、フローリングの継ぎ目であみだくじをしたりという生活を送っていたことが何か関係あるかもしれない。
僕は大人なので知っているのだが、世の中にはスカトロジーという性癖がある。つまり、排泄行為や糞尿に対する性的嗜好だ。前に友達とふざけ半分でスカトロのAVを観たことがあったのだが、そこでは見た目は還暦手前くらいの歳なのに、何故かシワが全くと言っていいほど無いツルツルの奇妙なおばさんが自分の出したうんこを自分で口に詰め込み、体に塗り、何が楽しいのかオットセイのように絶叫していた。しかも一度だけではない。その回数、3時間の映像内でゆうに4回。こういう人ってふだんどういうことを考えて生きているんだろう。
妙齢の女性が4回は食べられる、ということは、おばさんのポテンシャル抜きに考えても意外な結果だと思う。これだけでも僕のうんこに対するハードルがだいぶ下がるような気持ちだった。
ネットで調べただけの知識にすぎないが、大小や形状あれど、うんこの致死量はおおむね"一本"らしい。この致死量もあくまで仮定でしかない。
例えばカフェインの致死量は400mgだが、これはコーヒーカップ4~5杯分にあたる。コーヒーが大好きな僕などは、ファミレスに行くとそのくらいの量は全然余裕で飲んでしまう。
さらにスカトロもののAVでは、女優さんは撮影の前後にちゃんと抗生物質を飲んでいるらしい。よく考えたら当たり前だ。万が一体になにかあったら大変だ。僕の前働いていた会社では、うんこを食べて何かあったとしてもおそらく労災すら降りない。僕の会社はうんこを食べる業態ではなかったのだ。AV業界は福利厚生がしっかりしているな。だからこそおばさんも安心してオットセイになれるのだ。
話が少し逸れてしまったが、なにも毎日カレー味のうんこを食えと言われているのではない。究極の選択、つまりここぞという時、マジでどっちか絶対食べなきゃいけない時にどちらを選ぶかということだ。
ここで"うんこ味のカレー"についても、もう一度考えてみる。
僕はもう子供じゃないので想像ができる。みんなも想像してみてほしい。うんこ味、ということは香りももちろんカレーではないはずだ。
ここで更にマズいことが起こる。カレーというものは大抵の場合においてホッカホカだ。もう言わずとも分かると思うが、加熱により香りが倍増したそれが、白いごはんと一緒に目の前にあったらどうだろうか?僕はもう無理、いろいろと無理だ。不快感がうんこ単体に対するそれの比じゃない。においは人の記憶と深い関係があるというが、きっとこちらを選択してしまったら死ぬまで忘れられないだろうな、と思う。例えば大きな仕事を成し遂げたとか、婚約だとか、この先の人生で何か節目となるような喜ばしいことがあったとしても、その度にふとこの選択肢を取ったということが頭によぎって背すじがピンとしてしまうだろうし、死ぬ直前にも絶対に走馬灯で出てくると思う。香り付きで。
だからきっと、実際にカレー味のうんこが目の前に出てきたら、僕は完食はおろか近づくことすらままならないはずだ。
と、あまり積極的な理由ではないものの、僕は齢28にして"カレー味のうんこ"という選択肢を初めて手に取ることができた。
大丈夫、致死量はあくまで仮定でしかないし、抗生物質だってある。においも味もカレーでしかないのだ。もしためらいそうになったら、カレー味でもないのにうんこを4セット食べるあのおばさんのことを思い出せばいい。きっと一歩を踏み出せる。
なんなら、うんこを食べたって事実がネタになる。"うんこ味のカレー"と違って、"カレー味のうんこ"は"うんこ"なのだ。子供の頃こそ、うんこ=悪みたいな風潮で、小学校のトイレでうんこをしただけで重罪人みたいな扱いだったが、もう僕たちは分別のある大人、しっかりとした判断ができる。うんこは罪ではない。うんこはおもしろい。数少ないが仲の良い友達だっているし、きっと笑ってくれるだろう。食糞という体を張ったネタを、あのカレー味がアシストしてくれる。そう思うとうんこって食べ得じゃない?
だいいち僕は無職だ。端的に言って死にたいのだ。大した経歴もないし仕事もできない、社交性もなければこれといって好きなこともない。もうすぐ30歳。はやくバイトに行けばいいのに、平日の昼間から「カレー味のうんこはどうだろう?」と一生懸命考えている。もう死んでもよくない?うんこ食って死んで誰かに笑ってもらえたらそれはそれで嬉しい気がする。親とか尊厳とかどうでもいいだろ。
そういうわけで、いまの僕は究極の選択を迫られた時、「カレー味のうんこ」を選ぶことができます。年齢を重ねると今まで分からなかったいろんなことが見えてくる。みなさんも大人になったいま、よかったら改めて考えてみてください。新しい発見があるはず。
僕はそろそろ日払いのバイトに行って小銭を稼ぎます。国民健康保険とか住民税とか払わなきゃいけないので…。誰にでも明日はやってくるんだよなあ!!