はてなキーワード: 性的嗜好とは
女性の人権という言い方をするから格差が広がる、個々人の尊厳を尊重しろと言えばここまで男性vs女性の対立構造にはならなかったんじゃないかなって考えることがある
男性だから一概にこうだということはないし、女性だから一概にこうというものもない。誰もが平等に生きる社会に必要なのはそういったジェンダーロールの軽減じゃないかなとも思う。
まあそうなってくると少子化が進むだろうけど
LGBTについては社会的理解を進めて性別適合手術を保険適用にするなどの取り組みに力をいれてほしいし、社会的にゲイもレズもバイも受け入れられるようになるといいね。ジェンダーロールが軽減されて、相手の事を"人間として好き"である点が尊重されるようになれば良いね。
性的嗜好がわからないので、普通はどういう風に普通は考えるのかわからないから俺には難しい。
性別に対する責任感を持っていないから、男らしいも女らしいもわからない。だからこういう意見を持ってるんだけど、皆さんはどうお考えなのだろうか…
自分の中で音楽を聞いたりアニメを見たりするのはセーフだと思ってる。
なんでこんなことを言ってるかというとめちゃくちゃ同人誌が欲しくなってきたからだ。
ただ女性向けはなぁ…。
でも今は通販があるから女性だらけのところに行く必要はないから世間体的には問題ないのだ。
でも女性向け同人誌を買うと…性的嗜好に変化が生じるんじゃないかととても不安になっている。
どうしたらいいんだろう…。
性的嗜好のことはなんていうの
最近漫画を読んでいると裏に居る作者が透けて見えるときがあって、すごく萎える。
もちろん、作者の見えない漫画のほうが多い。
ふとした瞬間に、「あ、今このキャラクター作者の思想を喋らされてるんだな…」とか
「あ、こいつとこいつ多分作者の分身だな…」とか
この女キャラたち、女の皮を被っているだけで所作も考え方も行動も男のそれだなー…とか(趣味が男っぽいとかじゃなくね!しまりん可愛い)
このエピソード作者の別の漫画でも出てきたけどよっぽど好きなんだなー…とか
優等生、才色兼備なキャラなのに怒りの沸点が低い上びみょーにズレてるんだよな…作者怒りっぽい人なのかな…とか
なんなんだろう。
ダンジョン飯、ゆるキャン△、サトコとナダ、ビースターズ、終末旅行、メイドインアビス、ボクらは魔法少年、北北西に雲と行け、その着せ替え人形は恋をする、あせとせっけん、異世界おじさん、異世界居酒屋のぶ、ゴールデンゴールド
■作者の透けた漫画
単純に好みの問題かもしれんな
自分が2種類の例をまぜこぜにしたせいで混乱させて申し訳ない。ブコメとかトラバでいい感じに言語化してくれてありがとう
キャラの後ろに作者が透けて見えてしまった時に萎えるってだけで、それ以外の部分で作者が見えてくるのは全然ありありのあり。
自分と相容れない考えが出てきた時だけ透けてるように見えてるのは確かにあるかもしれん
作者の性的嗜好やこだわりや価値観が作品に表れるのは当然だし、それを楽しみにしてるよー
作家買いもするぞ、道満晴明は新刊出たら必ず買ってる、市川春子好き
同じ作者の別作品で何度も同じモチーフやエピソードが繰り返されるのも結構好き
金田一蓮十郎とか、コナリミサトとか、大久保篤とか、福島鉄平とかとか。
んで、
「このエピソード作者の別の漫画でも出てきたけどよっぽど好きなんだなー…」って上で書いちまったけど、努力してない奴はカス!努力家(主人公)のアドバイスを素直に聞いたらハッピーエンド!みたいな話を別の漫画で二度やってたから、あー作者そういう考えの人なのかーって思ってしまったっちゅー話でした
モフモフ社長( id:shields-pikes )です。
shields-pikes『批判対象の理解が甘すぎて、批判の根拠が主観でしかないのが、非常に残念。そもそもあの表情がは煽り顔で、アヘ顔(性的絶頂の表情)でないことは明白なので、漫画文脈の読解力も低く、無駄に議論を混乱させてる。』
と、このようにブコメにも書きましたが、この人は意見があまりにも拙くて、反論どころかフェミニストの味方を背後から誤射しているレベルです。
https://anond.hatelabo.jp/20191016150214
しかし、作品としての表現が許容されるかどうかと、公共の場に掲示されるべきかどうかは全く別の問題である、という論点はしっかり議論されるべきだと思うので、このまま有耶無耶にしてしまうのはもったいないです。
ということで、論点を整理しつつ、検証してみます。結論から言うと、論点は6と8のみです。
1.漫画作品としての表現と出版の適切さについて → 法令を遵守しているし、全年齢向けとして露骨な性的描写もなく、雑誌や単行本としてもゾーニングされているので全く問題ない。女性を性的に消費している表現は実際のところ存在するので、作品に対する意見や批評の余地はあると思うが。
2.この作品がコラボ企画としてポスターに起用されることについて → 人気漫画なので、グッズがもらえるコラボキャンペーンでそのファン層を献血のターゲットにしたいのだろう。関係各所が問題視していなければ問題ない。ちなみに、セリフ以外のイラストは3巻の表紙の流用である。
3.このキャラクターが起用されることについて → ウザ絡みしてくる後輩の巨乳女性である。胸が非常に大きい点が目立つが、それだけで不適切なわけではない。キャラクター自体が犯罪者や変態性欲者などの公的に不適切な存在というわけではない。
4.このキャラクターがこのセリフで起用されることについて → 原作の世界観とキャラ設定に則ってネタ消費されている。ポスターとしては若干攻めている表現。献血未経験者に対して、上から目線の煽りで多少の毒があるが、ファン向けの話題作りとしては問題ないレベル(そもそも今回はそこが論点ではない)。
5.このキャラクターがこの服装で起用されることについて → 黒のシャツワンピ?もしくはワイシャツ&スカートにエプロン姿。カフェ店員の制服として、特に扇情的な服装ではない。
6.このキャラクターの服装や身体の描き方について → 大きな論点。シワの描き方は一般的で、性的な要素はない。しかし、かなりタイトでピッタリしたサイズ感の着こなしで、胸が大きすぎるのでその部分が強調されているのが気になる。リアリティ描写としては、胸のボタンの間に隙間が出来るはずだが、それをあえて書いていないのはもしかして性的な要素を減らすためかもしれない。そのため、いわゆる風船のように膨らんだ乳袋っぽくなっているが、形状はそこまで不自然ではない。もし胸部をリアルにシワを書いていたら、より性的に見えていたはずだ。また、乳首などを表す陰影もない。手や顔などの部位も総じて、性的に描かれているわけではない。ただ、性的魅力をアピールするようなイラストもしばしば描く作者が描いているものなので、色っぽさの残り香のようなものはあると思う。そこが批判の対象になっていると思われる。
7.このキャラクターがこの表情とポーズで起用されることについて → あれはアヘ顔ではなく、ウザ絡みしてる時のニマニマ煽り顔。少し頬を染めているのは煽りで興奮気味なのと、話しかけてる相手の先輩が好きだから。これ自体には特に問題はない。ポーズも相手を馬鹿にしてる時の芝居がかった一般的な表現だが、公共ポスターとしては若干攻めているかもしれない。
8.総合的に、このキャラクターが公共の場に掲載されることについて → ここが最大の論点。秋葉原の献血所のみに掲示するのであれば、文脈を含めて特に性的なものではないと理解されやすいが、いわゆる萌え絵(死語)的なイラスト表現に慣れていない人も多い他の地域に掲示されるのは意見が分かれると思う。15年ほど前までは、そもそもマンガ表現を広告クリエイティブとして公共の場に出すこと自体の是非もあったが、今はアニメや漫画がひとつの文化としての市民権を得ているとされている。しかし、ここの前提は「市民権を得た」「慣れた」で済まさずに、もっと議論すべきだと思う。
まとめると、
8.= このような画風のイラストを公共の場に掲載するべきか?
の2点が重要です。そして、この2つは密接に絡み合っています。その他の議論はノイズなので捨ててください。
6は、漫画に慣れている人にとっては、これなら特に性的というほどでもない、という意見が大半ですが、このような画風や記号的表現や文脈に慣れてない人にとっては誤解を生みやすい。逆に、漫画ばかり読んでいる人は性的な表現文脈に慣れすぎて麻痺してしまっているのだ、という反論もそれなりに説得力があります(後述します)。
8は、6と直結するのですが、慣れてない人にとっては若干不適切で性的な表現と誤解されやすい表現を公共掲示物で使うべきか、ということになります。万人受けする無難なものだけを狙うなら、コボちゃんやアンパンマンなどのイラストを使えばいいでしょう。しかし、それでは若年層のオタク向けの広告としての効果は低い。2.や4.で指摘した通り、ここはターゲット層を獲得する目的とのトレードオフです。
一方で、仮にあのイラストが性的な視点を含むものだったとして、それを掲載することが生む具体的な問題とは何か、という点も議論が必要です。
困惑する、不快感を覚える、性的消費を連想させてトラウマが蘇る、性的消費を助長する、子供に見せたくない、教育上不適切である、などの意見があるでしょうか。
これ、難しい問題なんですよね。人によって判断基準が違う。無修正画像でも平気な人もいれば、サザエさんのワカメちゃんパンツでも困惑する人もいるわけです。
出版物であれば、この線引きはR15、R18などの年齢指定のゾーニング基準に任せるのが一般的ですが、公共掲示物のゾーニング基準は、それよりも少し厳しい基準で別途で設けた方がいいかもしれません。
この「公共掲示物専用のゾーニング基準を作ること」こそが、この文中での最大のソリューション提案です。
最後に、漫画ばかり読んでいる人は性的な表現文脈に慣れすぎて麻痺してしまっているのだ、という反論について。
ここは、本来は原作の作品や編集姿勢、漫画業界の歴史と今のトレンドをフェミニストとして真っ向から批判するべきなんですよ。
ただし、公共掲示物で使うべきか云々という論点といっしょくたに批判すると論点がズレます。判断基準がより厳しくなってしまうので。
なぜか、ポスターの批判をする人は、ゾーニングされた作品や原作を趣味で読む分にはいいんですよ、という人が多い。
柔軟な姿勢を見せて理解を示してるつもりかもしれませんが、まずそこが不可解です。フェミニストなら、まずそこを批判すべきなのではないですか?
男女同権を推進するスタンスなら男性の性的消費もさらに促進すべきですし、
性的消費表現を規制するスタンスなら男女同時に性的消費を助長する表現を批判するべきです。
ルッキズムを批判するスタンスなら、ダイバシティ文脈も踏まえて、美形だけでなく多様なキャラクターのエロを出すことを推進すべきです。
また、児童への偏った性的嗜好への偏重を憂えるなら、フェチズムではなくストレートな性行為のみを描くべきだと、主張するでしょう。
さらに、身体性の復権を求めるなら、局部表現の規制によりフェチズムに傾倒した業界を正すために、無修正表現の解禁を推進するでしょう。
実在する人間を使って、男女・男男・女女でカップリングを組む、あるいは自分自身(二次創作者)との架空の恋愛模様を妄想するものである。
それと同様のジャンルとして2.5次元二次創作(以下半ナマ)がある。こちらは実在する人間が演じた作品の登場人物を使ってカップリングを組んで妄想するものである。これも、登場人物同士だけじゃなく二次創作者とのもの(いわゆる夢)も含まれる。
これらは代々、「隠れるべき存在」であるという認識のもと密やかに続いてきた。
しかし近年、腐女子(男性もいるかと思うので、以下BL愛好者)が市民権を得てしまい、そこにLGBTの待遇是正問題が浮上してきたことと相まって、「ナマモノ・半ナマは何故隠れるべきなのか?」「隠れる必要はない」と豪語する輩が増えてきた。非常に良くない。
何故良くないか?
よくナマモノ・半ナマの秘匿性をLGBTへの差別だと言う者もいるが、同性愛が気持ち悪いから隠れるべきじゃないのだ。
これは人によって分かれると思うが、少なくとも増田は異性愛でも同性愛でも夢でもそれが実在の人物が関与する「架空の恋愛」なのだったら隠れるべきだと思っている。
ナマモノを嫌いな人が自衛すればいいんじゃないか?これも違う。
Twitter・Pixiv、BL特化型サイトのピクブラであっても、そこは私的な空間ではなく公共の場だ。姿が見えなくても同じページを共有する人間が確かにスクリーンの向こう側にいる。
そのような場で不快なパフォーマンスが突然行われたとする。近所迷惑レベルの騒音での演奏だとか、過度にグロテスク・エロチックな仮装とかと思ってくれていい。
それを公園の利用者が苦情を言ったり注意してもやめてくれないとしたら当然パフォーマーが非難されるだろう。公園の管理人が呼ばれたり、警察沙汰になってしまう可能性もあるし、Twitterで拡散されてアーティスト人生が終わるかも。
少し飛躍した例かもしれないが、「嫌いな人が自衛すればいい」はそれと同じことだ。
どんなに自由に開け放たれた空間であっても、そこには思いやるべき他者がいる。
アカウントに鍵をかけたり、パスワード制サイトにこもらない限り、私的空間というものはインターネットには存在しないのだ。
近年BL需要の高まりを見てBL的な絡みを積極的に行う「BL売り」が横行している。
そしてBL愛好者だけじゃなく「男性同士の友情」を好きな層も確実に存在している。つまり、男性と男性が絡むことに需要がある。
それが心根から行われていれば何も言えないのだが、残念ながら世の中には商魂たくましく自身の利益のためにBL売りをする芸能人がいる。
彼らは自らBL的な振る舞いをする。でも、だからと言ってナマモノ愛好者が隠れなくて良いわけではない。
そんな彼らにも当たり前に彼ら個人をちゃんと好きなファンがいて、そしてそのファンは彼の性的指向を同性愛者じゃないと思っているはずだ。
あるいは同性愛者だと公表しているにしても、共演者や相方、同グループのメンバーと恋愛関係にあるなんて思っていないはずだ。
もしそんなファンがナマモノ・半ナマを見てしまったらショックを受けるだろう。そしてその対象とされているキャラや芸能人に対して「あらぬ誤解を与えかねない表現をする人」というレッテルを貼ってしまうだろう。
「●っさんず●ブ」がおおっぴらに出られるのは、彼らの恋愛関係が作品内で認められた「公式」だからだ。
それ以外の作品や実在の人物については、作品内で結婚・パートナー等が明言されていない限り非公式のものである。
BLとばかり言っているが、これはもちろんGLでも男女CPでも同じである。そして、夢でも。
夢女子がよく言う「うちの彼氏」的な発言、普通に虚偽情報の流布だし誰もが見える場で自己満足行為に興じるようなものだ。
そういえば最近、「舞台俳優の発言をもとにした2次元キャラクターのBL妄想だからOK」「伏せ字を使っているから公の場で書いてOK」というものを見かけたが、もちろんこれもいけない。
ナマモノって何?半ナマの線引きわかんなぁいと言っている人に言いたいのだが、そこに一瞬でも「実在の人物」が介在した場合、それは「ナマ」である。
続いて後者についてだが、増田はつくづく不思議である。「なぜ伏せ字を使うのがBL愛好者だけだと思うのか?」と。
あまり大声で言えないが、いわゆる愚痴垢や壁打ち垢というものが存在する。内容は名前から推して知るべしなのだが、そのようなアカウントの界隈の人々は普通の検索ではヒットしないように伏せ字を使う。そう、ナマモノ・半ナマをオープンでやっている人々と同じように伏せ字を使うのである。
もちろんその方々が全てナマモノ・半ナマ愛好者なわけではない。むしろ、そうじゃない人の方が多い。
本来は愚痴垢なども隠れるべきだと増田は思うのだが、それを盾にナマモノ・半ナマ愛好者が隠れなくて良いと主張できることはない。どちらも須らく隠れるべきなのだ。
ここまで様々な隠れない派の定説を否定してきたが、増田個人で考える隠れるべき理由も一つ上げておこう。
非常にありきたりな理由ではあるが、それは「気持ち悪い」の一言に尽きる。
スレタイにもしているが、ナマモノ・半ナマをオープンで行う輩は、痴漢とほぼ同値である。
痴漢は電車や道端などの公共空間で相手の快不快を考えず自らの性的欲求に従って行動する。そして、ときおりこんな言い訳をする。「性欲があるから仕方ないのだ」「誘うような服を着ている方が悪い」と。
ナマモノ・半ナマをオープンで行う輩はTwitterやPixivといった公共空間で、その他のオタクの快不快を考えず自らの欲求に従って実在の人物を性的に消費する。そして、ときおりこんな言い訳をする。「萌えたから仕方ない」「嫌なら自衛しろ」と。
正直増田には、どちらも誰かを性的に消費することを正当化している同類に見える。
これが例えばセクシー女優・セクシー俳優であればある程度許されることもある。もちろん彼・彼女にも過度なセクハラを行うべきではないが、少なくとも「そうされても良い」としてくれている人々である。
「そうされても良い」としていない人に対して性的に消費するというのは、言ってしまえば侮辱行為である。
…とまぁ、ここまでナマモノ・半ナマにかなり厳しいことを述べてきたが、かく言う増田も実はナマモノに沈んで数年、BL愛好者としては10年選手である。気持ちは痛いほどわかるのだ。
痛いほどわかるから、土下座してでもお願いしたい。隠れてくれ、と。
BL売りに萌えてしまう気持ちも、それをされなくても飛躍した妄想で恋愛関係を勝手に考えてしまう気持ちもわかる。
でも、そういう我々の性癖を「気持ち悪い」と思う人がいる。確実にいる。
そういう人々を、我々の身勝手で傷つけて良いことはない。
そしてもし、「嫌なら自衛しろ」というスタンスを貫き通しておいて、最終的に傷つくのは我々なのである。
自衛を強要させられたナマモノ・半ナマを嫌う人々に、誰にも迷惑をかけないように、この気持ち悪い性的嗜好を共有できる仲間と人の目を盗むようにして逃げてきたサイトやアカウントを晒される。
もちろん、晒しのモチベーションは一概に怨恨目的だけではないと思うが、でもそういう人が多いのは事実である。
これは、避けられるはずである。
自分の幸せを追求するのは人間のあるべき姿だが、そのために他者の幸福をないがしろにすべきではないというのも人間のあるべき考え方だと思う。
こういう注意をすればなぜか「じゃあ〇〇はどうなんだ」などと言い出す輩もいるが、それはあなたが注意してくれれば良い。
私は、私とその仲間がひっそりと生きているテリトリーを侵されるのが許せないだけである。
ルールが多い・旧態然としている・息苦しい、肩が凝る界隈かもしれない。でも、マナーとルールを守れない人間に不寛容なのはどんな社会でも当たり前だ。
どうかどうか、我々と全てのオタクの幸せのために、オープンでナマモノ・半ナマをするのはやめてくれ。
あっちなみに、よく「公式は伏せ字なんかしらねぇよw」とか「伏せ字で検索するほど暇じゃねぇよw」とか言ってる人いますが、
公式は存外我々のことを「よく見ている」し、「知っていても利益になるなら黙認(あるいは単にスルー)してくれている」だけで、知らない公式の方が少ないと思います。
/を入れて伏せたつもりでいる人もいる(検索で引っかかります)し、伏せ字だって半角英字にすればいいみたいに考えている人もいますが、鍵垢じゃない限り、そのツイート・投稿は誰でも見れます。
そして「良い公式」ほど我々のことをじっくり観察している。「何がほしいか」「何が需要があるか」、考えている。考えてくれている。
そういう人たちに対して、不快感を与えるような言動をさらけ出しても良いと思えるなんて、正直コンテンツを享受する人間の態度としては最悪だと思っています。
たとえ露骨にそういう売り方(BL売り・夢媚び)をされたとしても、明言されない限りは「そう見える」の範疇です。
長々書いてきましたけど、言葉を選ばず端的に言うなら、マジキモいことやってる自覚持って、クソみてぇな公開オナニーしてんじゃねぇよって話です。はやく自分がキモいって気づいて!
読みやすいように少しだけ文章直させてもらったよ、あと、ブクマコメとかみて思ったこと以下に書いたよ。
まず、痴漢被害に苦しんでいる人の気持ちを考えずに〜っていう方、ごめんな。
そうして苦しむ人がいる痴漢と同じくらい不快でやってはいけないことだよって言いたかったんだけど、それで痴漢被害に苦しんでいる人らに不快な思いさせちゃダメだよな。本当にごめん。
それから、新幹線で匂うもの食うな的なルールの押し付けを感じるっていう例えを見て笑った。それも私の嫌いなやつだ。
「押し付けられている」と感じるかもしれないけれど、なぜそれが作られ、存在しているのかよく考えてみよう。「人様に迷惑をかけないため」ということもあるけど、「自分が平和に暮らすため」でもあるんだよ。
美味しいものを食べたいなら電車じゃなくテーブルに向かって食べた方が美味しくないか?それと同じで、迷惑をかけるリスクの低いところでやる方が安心して創作できないか?
そういうゾーニングの内側にわざわざ入ってきて晒したり「こういうものがあります!」と取り沙汰するナマモノ嫌いは、もうそれはお前が悪いとしか言えません。
ナマモノ自体が気持ち悪いのもわかっています。それをどう発散するか・発表するかという話です。
ナマモノも「性的に消費する」なの?という方もいると思うが、たとえ性的消費じゃなくても架空の人間関係をあたかもそうであるかのように流布することに正義はないよ。
性的な絡みがなければ良い・未成年だからダメ(成人ならOK)ではない。BL売りやGL売りをする人だとしても、彼らの私生活や演じた役に本来とは違う性質を付与していいわけじゃない。
それでも「そうだ」と主張したい気持ち悪い我々のような人間は隠れねばならないんですよ、という話。これは2次元にも言えることだけれど、今はより火急的な問題としてナマモノに限定しています。2次元のオタクも気をつけような。
最後に、女性芸能人界隈の痴漢行為を働いている人、須らく逮捕されるべきだわ。
でも今回話したいのは、本人への対応(=痴漢行為)うんぬんというよりは、本人の本来とは異なる性質を付与する行為(=ナマモノ創作)についてなんだ。
ナマモノ創作者でも本人に凸る輩がいるので本人への対応の話に及ばないわけじゃないが、より原理的な話をしているつもりである。
男女の性的嗜好性の違いってやつだな。