はてなキーワード: 内向的とは
「内向的=悪」という等式は成り立たない。
悪であるであると思い込んでいる増田の思い込みは間違いなく「悪」である。
http://anond.hatelabo.jp/20131217220801
文章読んであなたは強い人だなと思いました。
宣伝するわけでないけど同じようなことで悩んる私が参考になった本を紹介したくて書きました。
内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力 スーザン・ケイン
固定リンク: http://www.amazon.co.jp/dp/4062178591
最近、人に会うことをやめた。
相手を不快にさせないことを最大の目的とし、気が合う人とも、合わない人とも平等に接してきた。
飲んだり騒いだり遊んだり、それが全て嫌だった。
世の中が求める「外向的」な人の像を演じ、その像を守るために人と会っている自分が嫌いだった。
それらを全て捨てることにした。
こういう考え方に賛成してくれる人が周りにいるとは思えなかった。
そういう人が周りにいないのは、演じて生きてきた報いだと思っている。
全員が「外交的」であることを求められる場所で、いなくなった何人かの「内向的」な人を思い出す。
それを追い出した「外交的」な人が思い浮かぶ。
「内向的」な人が悪なのは、「外交的」な人がそう決めつけているからだと思う。
それしか思い付かなかった。
世の中が変わらなくても、身の回りは変えられる。
でも、「内向的」を下に見る考え方とは断固戦いたいと思う。
演じてきた「外交的」な自分を使いながら、「内向的」な人の地位を上げたいと思う。
これからしばらくはそうやって生きようと思う。
もう無理するのは疲れた。
初めてその店に行った記憶は、柿の渋抜き用にと焼酎を買いに行かされた「はじめてのおつかい」だ。
それからしばらくの間は子供が酒類を買いに来ても咎められることはなかったな、そういえば。
その酒屋には豊富に駄菓子も売られていたので子供の頃からよく利用していた。
たまに賞味期限切れだったり小虫が紛れている菓子があったのもご愛嬌。
顔見知りとなっていたので当時生意気だった私は酒屋のおっさんに軽口を叩いては遊んでもらっていた。
地域の祭にもよく参加していたおっさんが、竹笛をとても上手に吹いていたのを私は知っている。
おっさんのくせに上手いなあと思っていた。
海がとても近い町だったので、放課後に買ったアイスをかじりながら、よく堤防の上で友達とジャンプを回し読みしたっけ。
その後自分も中学高校へと進むにつれ行動範囲も広がり、その店に行くことも減ったが、
おっさんの母親であるお婆さんが痴呆となり、外を徘徊しているという話を両親が夕飯の席で話していた。
へー、そういえばおっさん元気かなと一瞬頭を過ぎるものの、そんなことより
生意気だった小学生も思春期を迎えて、その頃にはたいへん卑屈で地味で中二病交じりに内向的な高校生になっていて
あの頃の失礼極まりないながらも天真爛漫だった私はどこに行ったんだろうなどと考えながら白飯を口に詰め込んだ。
確か部活終わりに部室でまったりカップラーメン食ってる時に、同中の友人からメールが来たんだっけ。
中学校の近くの裏山で首をくくっていたという。例の痴呆の母親の介護を苦に…とかそれらしい話もで出回っていたが
背が高く飄々とした、竹笛のうまい顔見知りのオッサンに死のにおいは全く結びつかなくて戸惑った。
おっさんを知る友人も私も、泣くほどではない。ただ、あれこれ思い出話をしては、たださみしいなと思った。
海の近い町に生まれた。山も近かったが、なにより海に近かった。
それなりにいい町だと思う。とはいえ、人口に対して自殺の話題をやたらとよく耳にして、
それは同級生や後輩の父親だったり地元の名士的に知られた男性といった、面識があったりなかったりの人達だったから。
おっさんの死後、しばらくは彼の妻が会社勤めをやめ店に出ていたようだが、その頃実家を出ていた私はよく知らない。
おっさんが(屋号からしてきっと先代の頃から)営んでいた酒屋はもうない。当然、ジャンプを回し読みした堤防も。
.●前提
.
.肌にも老化を感じる24,5歳までとなる
.
.しかし、その時期は
.この時点で適齢期を過ぎてしまう
.
.また、産後のことを考えた際も
.やはり現実的に無理がある
.
.これではせっかく作ったキャリアをフイにするのは
.また、この時点での相手の男性についても
.
.今後は女性が30歳をこえ
.そもそも結婚相手を探すことが難しくなってくる
.
.現在、母体が出産に適した時期を越えてしまっている部分が大きい
.
.
.
.●完全なる少子化対策
.
.やるべきことはたった2つ
.2.子育ては祖父母が行う
.これだけだ
.
.
.
.各々が2年間を調整し、兵役にあてている
.それと同様に
.16-20歳の4年を確保する
.
.具体的には
.
.海外に見聞を広めるもよし
.趣味にいそしむもよし
.
.要するに、先に社会に触れさせ
.
.恋愛は大いに推奨
.出産も推奨し
.
.この時点で女性に
.
.
.子供1~2人が生まれていることとなる
.
.
.
.●2.子育ては祖父母が行う
.
.
.今の価値観ならばそう思う
.そこを無視する背景はここにある
.
.ドラえもんでこんな話がある
.-------------------------------------------------
.ならば、タイムマシンで
.-------------------------------------------------
.
.祖父母世代に行ってもらう
.
.なぜなら、祖父母世代には余裕がある
.余裕を持って子育てができる
.
.また、後述するが
.今の祖父母世代のような体力の衰えはまだ表れておらず
.
.
.
.●完全なる少子化対策・具体例
.-------------------------------------------------
.
.今までならば、A子さんが産もうと思っていても
.A子さんも子育てをするには
.進学も就職もできない
.そして高卒のB斗くんでは
.
.そんな背景から親は反対一色となり
.
.子供は祖父母が育てる
.A子さんの両親が赤ちゃんの世話をし
.
.
.二人が28歳となるあたりで
.経済的な余裕もでき新居を用意する(ここまでは通い婚)
.小学校高学年となり
.一緒に暮らす
.
.A子さん夫婦36歳のころ
.
.A子さんは円満退職
.-------------------------------------------------
.
.その後に子供を生むかどうか選択するため
.上記の具体例と
.
.にも関わらず
.この例のとおりであれば
.
.
.
.
.この案にはメリットが多数ある
.
.
.☆高齢化社会にならない
.人口ピラミッドを横に増やす、伸ばすことしか考えていないことだ
.
.今の世代の男女を炊きつけ多くの子供を産んでもらうことにしろ
.それは今、目先の危機回避のみであり
.次の世代での問題をどうするかを考えていない
.
.今回の新対策
.縦に重ねて厚くしていくことは
.
.高齢化社会とはならない
.
.
.☆孤独な老人が発生しない
.現状では25歳で子供を産み、50程度で孫がうまれ
.そしてひ孫が生まれるかどうかで
.
.子供の数も1人が主で
.家族の数に対する老人の数は多く
.老人の面倒を見切れないことが多い
.
.寂しい老後のまま
.
.モデルケースのとおりだと
.60歳でひ孫が生まれ、80歳で玄孫(やしゃご)が生まれる
.
.世代間の間隔が小さいほど
.世帯の数も多く
.たとえ子供が一人であっても
.協力して老人の面倒を見れる可能性が大きい
.
.
.やれ婚活だ!
.やれ妊活だ!などと
.
.
.それらを無視する形で
.無理やり人生設計を強いても
.
.この時期のカップルは
.
.自然に解決できる
.
.
.それは不況の影響も大きいし
.
.一人当たり2000万ともいわれる
.
.大きく余裕ができる
.
.また、老人世代も
.貯蓄の最たる理由である
.今ほど溜め込まずに済む
.
.世代間が短くなることで
.
.
.
.●完全なる少子化対策・QA
.Q:恋愛期間の4年は長すぎるのでは?
.→
.A:1年で社会見聞を広げ、2年目で交際開始
.
.
.→
.センター試験範囲のみに絞る
.
.
.→
.A:逆に増えることが想定される
.人との付き合いで養われる
.
.
.Q:自由恋愛出来ない者も多くなるのでは?
.→
.という悪しき共通認識が働いているためだ
.これは致命的である
.少なくともアメリカの
.女子を誘ってペアで参加してね」
.小学校でやるべきだろう
.
.
.Q:16,7歳の娘が交際、性交渉、出産なんてとんでもない!
.まだ子供だし相手の男を見極める眼もないに決まっている!
.→
.そしてもう1つが
.具体的にいうと
.自分の所有物としての執着の2つを強く持ちすぎている
.そして、それは娘に対して異常なほど大きい
.30近くなった娘には「結婚はまだなのか」と迫る
.ステレオタイプの親などは
.ちなみに、草食系男子の増加は
.つまり「うちの娘に欲情するならばお前を罰する!
.(それが嫌ならば口説こうともするな)」という重圧によるのは明白だ
.
.相手の男に対する眼は前項のとおり
.男女ともに早い段階で学ばせるべきだ
.それでも娘の自主性に任せられないというのならば
.それは親自身が子離れできていないことになる
.そして、祖父母が子育てをする以上
.娘の相手は親にとっても非常に大事なこととなる
.娘がよりよい相手を見つけられるように努力し
.娘から信頼されることがよい親の在り方になるだろう
.
.
.→
.それが親子両方のためになるとも思えない
.親が必ず子供に接していなければならないというのも
.実際はシッターを雇うなどで、リフレッシュしながら
.それに両親はいないわけではないので
.親子の断絶にもならない
.
.
.Q:年齢差のあるカップルはどうなる?
.→
.
.
.●まとめ
.完全なる少子化対策のためには
.子育ては祖父母に行ってもらう
.
.
自分の研究室ではアニメを見る人間が多い。アニメといっても深夜アニメである。自分は深夜アニメ自体は見るのだが、もともと視聴頻度が高くないので、話しについていけない。
その他にも麻雀とかパズドラとかもう、うんざり。ほんとに面白くてやってんのかよ?はっきり言って他人に置いてけぼり食らいたくないからやってるだけなんじゃないかと。
結局他人に合わせることが小さい頃から当たり前になってる人間ばかりだから何かをやるにしてもそれが自発的なものかどうかと関係なく他人と話題を合わせるために何かをやるっていうのが当たり前になってて違和感を感じることすら無いのだろうな。要するにただのコミュニケーションツールでしかない。
時代が違えばディスコに通ったりとか、ヒッピーみたいなことをやってたような、時代の流行に流されやすいミーハータイプの人間が「アニメ見てるわー。俺ってオタクwww」とかやっているのである。所詮本質的にアニメに興味があるわけではなく、所詮コミュニケーションツールとして目をつけたにすぎないのである。
そういう連中と付き合うには、前提として、流行りの話題に敏感であることが必須となる。その対象はかつてはドラマだとか、ゴールデンのTV番組だとか音楽だとかだったのが、今ではソーシャルゲーやアニメに移りつつあるのである。アニメにせよ、ソシャゲーにせよ、どんなサブカルにせよ、娯楽が義務になったらこれほどつまらんこともないし、衰退する。他人と合わせるために自分の趣味や娯楽を合わせるのは本末転倒だ。休日まで人付き合いさせられてる気分になる。
アニメを見るのが当たり前の風潮を作るのはやめよう。ミーハー連中は普通のテレビ番組でも見てて下さい。楽しいことはアニメ以外にもいっぱいあるでしょ?コミュニケーションツールが欲しいならアニメ以外のものでやれ。見るのは勝手だが、押し付けるな。
自分みたいな内向的で中途半端にオタク気質の人間はアニメは好きだが、積極的にいろいろなアニメを見たりはしないのである。本当に今の風潮は迷惑極まりない。アニメは結局アングラでひっそりと、気楽に、クローズドにやってるくらいがちょうどいいのである。まあ、もう無理だろうが。
あ、デトックスはこれ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%88%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
ここにいる人とか多分情報中毒気味の人多いから一回試しにやってみるといいと思う。ちなみに自分も多分にもれずわりとそんな感じでウェブとかよく見たり暇があったらTwitterみたりしてた。で、とても物知りにはなって、そういうの疎い人(いわゆる普通の人、非肉抜きで)からはよくものを知ってるなー、と同時になんだかインドアで内向的な人なんだろうなー、という印象を持たれてたと思う。週に本や雑誌も数冊は読むしなんというか習慣といえば聞こえはいけどやはりものは限度を超えると中毒と呼ぶべきものになってくる。自分も人といるより一人でそういうの眺めてるのが好きなタイプだったのでそういう生活してだけど、若干鬱っぽくなったりしてたし試しにそういうのほとんど断ってみた。
●試してみたこと
ウェブとかTwitterほとんど見なくした。本もあんま読まなくなった。そういういわゆる「メディア」に触れるのを一日大体一時間とかそれ以下に制限(大体)して、それでできた時間を家事、筋トレ散歩とかスポーツ、知人との交友とかとかに使うようにした。
●感じた変化
とりあえず世の中って捨てたもんじゃないなあとなんとなく思うようになった。いや、多分はてなにいる人って完璧主義で感受性の強い人が多いと思うんだよ。いろいろ話題になってることとかそれの議論も正しいことが多いと思うし、けど、世の中やっぱりそんなに神経質には動いてなくて、とりあえずもう、よくも悪くも適当に動いてんだなあ、と思うようになって、気分はすごく楽になった。Facebookとかのふわふわした投稿とかも、よくいう苛々した感じ自分も感じることはあったかもしれないけど、そういうのも楽しく見られるようになった。LINEとかすごい楽しい。
やっぱり人間も普通に自然の動物なんであって、なんというかそれに合ったリズムなり生活があるんだなあと思うようになった。それだけ。でも自分でちょっと生活があれな感じに思う人とかは一度試してみるのはありかなあと思うかも。
自分は人と会話できません。
人の話を聴くこと、自分の話、気配りみたいな事をしてこなかったので共感やら同調やら全然できてなかったし今も現在進行中です。
小さい頃は自分の世界でしか生きてない極端に内向的な性格で、周りの人や社会のそれが見えてなく周りに甘えてました。それを違和感として感じてたけど自分騙して気付かない振りしていて、一人になれば忘れるリセットの毎日でした。
中学で思春期になってリセットされていた部分やネガティブが蓄積するようになり、意味も分からないうちに学校を休んで不登校になりました。イジメなどがあったわけではなく、クラスも班も部活も賑やかで楽しかったです。でもいつもの違和感はあって、どうすればいいかも見つけられず楽しいと同時に不安や逃げ出したい気持ちが渦巻いていました。仲良くなってもメールやSNS、遊びに行くことからおおまか避けていました
今高校に通い始めたのですが、内心ビクビクで言葉が浮かんでこなく、言葉を口に出してもそれでいいのか分からず、間が開いてしまい以前よりも致命的にしゃべれなくなっていてどうすればいいのか。
その時々で声が震えたり、メールや遊ぶ約束などをすると寒気がして鳥肌が立ちます。
でも普通に会話できるようになりたいです。
自分は人と会話できません。
人の話を聴くこと、自分の話、気配りみたいな事をしてこなかったので共感やら同調やら全然できてなかったし今も現在進行中です。
小さい頃は自分の世界でしか生きてない極端に内向的な性格で、周りの人や社会のそれが見えてなく周りに甘えてました。それを違和感として感じてたけど自分騙して気付かない振りしていて、一人になれば忘れるリセットの毎日でした。
中学で思春期になってリセットされていた部分やネガティブが蓄積するようになり、意味も分からないうちに学校を休んで不登校になりました。イジメなどがあったわけではなく、クラスも班も部活も賑やかで楽しかったです。でもいつもの違和感はあって、どうすればいいかも見つけられず楽しいと同時に不安や逃げ出したい気持ちが渦巻いていました。仲良くなってもメールやSNS、遊びに行くことからおおまか避けていました
今高校に通い始めたのですが、内心ビクビクで言葉が浮かんでこなく、言葉を口に出してもそれでいいのか分からず、間が開いてしまい以前よりも致命的にしゃべれなくなっていてどうすればいいのか。
その時々で声が震えたり、メールや遊ぶ約束などをすると寒気がして鳥肌が立ちます。
でも普通に会話できるようになりたいです。
以下は「集団主義という錯覚」という本からの要約引用で、私は心理学を学んだわけではないので誤謬もあるかもしれませんが、
・確証バイアス:自説に有利な証拠ばかりが目に付く
その後被験者aにAがセールスマンの仕事を希望していると言うと外交的な側面ばかりを思い出し、
被験者bにAが図書館司書を希望していると言うと内向的な側面ばかりを思い出した、
Aの一週間の行動には内向的なエピソードも外向的なエピソードも等しく入っていた。
・錯誤相関:現実にはそぐわない相関でも、先入観を持っていると実際に相関があるように思ってしまう
例:ロールシャッハテストにおいて、ゲイは肛門を想起しやすいという先入観を臨床医の大半が持っていた、
実際には人間以外の架空の生物などが見える場合が多いが、そのことを指摘した医師は極少数だった。
・信念の持続:自説(先入観)を合理的な形で否定された後にも、自説に対する非合理的な執着が残る
例;4つの遺書を用意し、一つは本物の自殺者の遺書だが残りは偽者であるので本物を見分けてほしいと被験者に言う、
実際にはすべての遺書が偽者なのだが、グループAには正解である旨をつげ、グループBには不正解である旨をつげた。
実験後に「実は遺書はすべて偽者である」と告げた上で、実際に本当の遺書を用意したらあなたは遺書を見分けられますか?
と問うと、グループAの人々は「見分けられる」と言う場合が多く、グループBの人々は「見分けられない」という人々が多かった、
グループAの人々は実際には全部偽者であることに気が付かなかったのにもかかわらず。
・外集団同質性効果:自分の内集団は個性的に見えるが、外集団は没個性的に見えること
という、この辺りの組み合わせなんじゃないですか?
※追記あり
今日Facebookでたまたま中学の頃の同級生のページを見つけた。
当時のことを思い出しながら懐かしさ半分、好奇心半分で同級生のページを見ていった。
関西の人なら分かるかもしれないが柄の悪さで有名だ。
女の担任をグーで殴って辞職に追い込んだり、一晩で校舎中の窓ガラスを叩き割ったりするような学校だった。
そんな中で俺は三年を過ごした。
中学の頃は非常に内向的で自分に閉じこもりがちだった。周りもヤンキーばかりで馴染めない。普通クラスの端っこにオタクグループがあるらしいが、うちの中学にはなかった。
机に突っ伏して休み時間をやり過ごしては毎日逃げるように学校を去っていた。
当然スクールカーストは最下層。身体的なイジメには合わなかったが、心に刺さる言葉を投げかけられることは多々あった。
正直にいうと当時の記憶はほとんど残ってない。卒業してから無意識的に記憶を抑圧したのだろう。
他人と関わる時間が減った分、成績だけが伸びて行った。当時の俺にはそれしか無かった。薄っぺらい中学生活だった。
そんな暗黒時代を送った俺でもあいつらの様子は気になるもんだ。
子供や嫁との出来事、プチ犯罪自慢、近くのラーメン屋、焼肉屋での写真。すべて地元の小さいコミュニティの中での事だった。
当たり前だが、海外に行きましただとかインターンしてますなんていうのはゼロ。
彼らは中学の時の姿のまま大人になっていた。
彼らはこのままダチ最高、地元最高と言いながら死んでいくのだろう。
可哀想やな。単純にそう思った。
二十そこそこで家庭を持ち家族を文字通り体一つで育てている部分は純粋に尊敬している。
だが土方やサービス業で低賃金で働き、一生小さい世界で満足して暮らしていくなんて俺には考えられない。
知的な仕事をしたいし、たくさん給料も欲しい。いった事のない場所、出会ったことのない人、まだ見ぬものにわくわくしたい。
だが一方で羨ましかった。
彼らの人生は単純な楽しさに溢れていた。
体を使って働き、仕事帰りには友人との飲み、愚痴りあっては家に帰り家族の相手をする。
ほんの数年前まで同じ教室で同じ景色を眺めていたのに。俺たちは違う人生を歩んで行くんだ。
そんなことを思った。いろんなことが頭をよぎった。この複雑な思いをどこかに吐き出したかった。
高学歴が多いとか言われるはてな民のみなさんも同じ思いを感じてきてのだろうか。
※追記
予想外の数のブクマがあって正直戸惑っている。だが、こんな糞みたいな駄文にコメントしてくれたことには感謝している。
いくつかは俺の言いたいことと違った読みをしているものもあったが、面白い視点を教えてくれるものもあった。
少し本文を補足する。
俺の見下し感が気になる人もいたようだ。多少刺々しい表現だったかもしれないが、実際DQNたちと俺は相互に見下しあう関係にある。否定しない。少なくともそういう関係にあった。
そもそも可哀想という表現が100%俺の言いたいことと一致しているわけでないが、俺の日本語の語彙力ではこれが最善の表現。
後は、「知的」はブルーカラーと対比されるホワイトカラーを指すために用いただけ。デサイナーとかエンジニアリングといった高度な一握りの分野を指すわけではない。
そして一番補足したかったのが、上記の内容が話のメインでは決してない、ということ。
見下しと羨望、尊敬と軽蔑といった矛盾した感情を抱きましたってことが言いたかった。
そういうアンビバレンス抱えたことありますか、どう処理しましたか、ってことを聞いてみたかった。
文章の未熟さからメインパート至るまでの前菜に噛み付かれて、コアの部分にコメントをもらう機会をふいにしたのは悔やまれる。
文字に落とした瞬間それは、筆者とは異なる基準、価値観から読まれるのだというのは身に染みて感じた。
最後に。
奴らが今から俺のような生き方をするのはほぼ不可能だし、逆もまた然り。
俺は俺のやり方で幸せを見つけなければいけない。
もう戻れない、俺が選んだこの道を歩むしかないんだ、そう腹を括った。
今年29になる俺には、2歳の娘がいる。
地域の児童施設に行ったり、親戚づきあいをしてるとよくわかるが、娘のルックスはかなり目立つ。小顔で、顔立ちが整っており、加えて物腰が大人しくて人懐っこい。
街中や電車・バス内で、孫持ちっぽいお年寄りに声をかけられ外出のたびにいろんなものを貰ってくるし、公園に行くと、幼稚園の女の子集団に取り囲まれることもしばしば。どこへ行ってもアイドル扱いだ。
まあ、あくまで今のところの話で、幼児の顔立ちなんて今後いくらでも変化していくことは重々承知だが、少なくともベースとなる造形が、20台後半まで小太りキモヲタぼっち童貞で生きてきた俺に似なかったようで何よりだ。
下位カーストでの身の処し方はいくらでも教えてやれるのだが、もし娘がこのまま美少女街道を突き進むことになった場合、リア充付き合いの心構えは教えてやれそうにない。
嫁さんは、カーストでいうと中位くらいの出身らしいが、こっちもあまり期待できない。
元の容姿はいいんだが(娘は嫁似っぽい)、たいへんに男らしくて洒落っ気がなく、また女子的空気を読めない性格のため、あまりモテなかったらしく、主に部活に専念してたそうだ。
実際に、社会に出てからそこそこ揉まれた俺なんかより気配りとかできない。
ちなみに出会いは、嫁さんがニワカでレイヤーやってた同人イベントの打ち上げ。仕事のストレスによる一生に一度の激ヤセ期を逃さず、美人の処女捕獲した俺マジ強運。まあ今は、会社から帰ると娘と並んで屁こきながら寝てる一生物に過ぎないんだけれども。
ともかく、お父さんの願望としては、リア充でありつつ、内向的で冴えないヲタ少年でも、真面目で誠実なら恋愛対象から除外しないような子になってほしいんだが、どんな育て方したらそんなラノベヒロインみたいな子になるだろうか。今期のキャラで言うとガハマさんとかあんな感じ?
別にリア充君が相手でも娘がよければいいんだが、その場合、こっちがキョドってしまいうまく会話できそうにない。
2歳にしてこんなことをつらつら考えてしまうのが、我ながらキモい父親だと思う。
【追記】
もいっこ関連増田書きました。
だそうです http://mechag.asks.jp/545295.html
そしたら1分足らずで消されたよワロータ
内向的で優秀な人物はたくさんいるが、
内向的な人がすべて優秀とは限りませんね。
その文章にも表れてますが
あなたには整然とした思考がないようです。
整然とした理論にまとめることも苦手なようです。
読者になにも伝わっていないからです。
たとえばこの記事の最後のほうを読んでる人は、
こういうふうに思います:
* * *
逆にいうと、すべてを一人の人間で完結させる内向型より
単純な思考をもちながらも、協力・分業(個々の専門化つまり現代文明の基礎)を得意とする外向型人類のほうが文明を発達させたといえましょう。
あれ、え、ほんとうに内向型>外向型なんですか?
”高度に思考する・内向型”を自負しながら
* * *
せめてそれくらいはなんとかしてみてください。
僕が抱えている問題はいったいなんなのか。誰か教えてください。
30歳にもなったのに何をしているんだろうという気持ちはあるけど日常生活ではほとんど忘れてます。
現在進行中の浮気相手は多くありませんが、10代の頃から浮気に抵抗はなく女の子と遊ぶのがすごく好きです。20代後半になってからモテないのが残念ですが。
女性と知り合うと「やるかやらないか」というのは常に考えます。直感的に「この人とはセックスするな」と思う人はたまにいて、そして当たります。こんなことばっかり考えているので、女友達は少ないです。飲んで手を出してしまい気まずくなることも多々ありますが、その点に関してはそれほど抵抗はありません。長く続いて友達以上恋人未満となる人もいます。ご飯に行ったり遊びに行くのはすごく楽しみにしています。
罪悪感はたまに感じますが、浮気をキレイさっぱりやめてしまうほど大きな感情にはなぜかなりません。
浮気と同様クセになってるのが風俗です。月に3〜4回は行きます。ホテヘル一択で店舗型は全く興味がありません。ほんとうにたまにですが、1日に2回行ったりもします。
買春と書いたとおりの店なので違法ではありますがこの地域では黙認なのでそれほど特殊なお店ではありません。しかし、この形態にしか興味がないというのも僕の心を何かを反映しているような気がしてならないです。初対面の女の子と1対1でセックスを楽しむホテヘルがクセになるというのはほんとにダークだと思います。
毎回違う女の子を呼びます。浮気の話で書くのを忘れましたが、風俗の子と店外で遊びに行ったりという浮気もあります。
ソープより安いとはいえこれだけホテヘルを利用すると月に十数万円のお金がかかります。行きたくても行けないというのが普通だとは思うのですが、仕事がそこそこうまくいっているのでお金が制約になりません。
好きで始めた仕事で若いうちからそれなりの給料をもらえていましたし、副業のおかげで貯蓄も少しありました。仕事ができそうな雰囲気とそれなりのコミュニケーションスキルをもっていたのか独立までしてしまいました。独立をきっかけに一般的にお金持ちと言われるだけの収入はとれるようになりました。
いまは数人の社員と一緒に仕事をしていますがどうしてもお金を稼ぐことに執着してしまいます。もちろん多くの給料を支払いたいとは思っていますが、それ以上に自分でももっともっと稼ぎたいという欲求があります。なんとか給料を抑えたまま売上を増やすか。このままいくと典型的なブラック企業経営者になるでしょう。いまはまだギリギリのところでとどまっています。
若くに結婚して子どもも生まれ仕事も楽しくそして生活も豊か。多忙のため家族の時間は少ないですが夫婦仲は悪くないですし、2人の子どもは可愛いです。友達とも休日に時間を合わせて飲みにいったり、たまに旅行に行くような付き合いはあります。楽しいです。
自分で言うのもおかしいですが、上っ面だけを見れば何不自由のない生活でちょっと立派な人ぐらいには見えるようです。不安や不満、後悔などは全くありません。むしろ楽しい人生です。(もちろん会社の将来など現実的な不安はありますが)
でもふとした瞬間にこう思うんです。「自分には何かが欠けている」と。
非社会的な行動を続けてしまう原因は子供の頃の出来事が影響していることが多いようなので少し自分でもおさらいしてみました。
家庭環境は良い方でした。都心から少し離れた郊外の街に一軒家を持つ少しだけ裕福な家庭です。父親は多忙で一緒に食事をとることは少なかったですが両親の仲は良く愛情は注いでくれたと思います。兄弟はいません。
いじめを受けたような経験もありません。小学生の頃にクラスの中心的な子とケンカをして殴られた後に嫌がらせの手紙を書いたことはありました。けっきょく出せませんでしたけどね。
中学生以降は少し素行の悪い子供でした。サボる、たばこ吸う、酒を飲む。どの学校にも一定数いる不良中学生です。小心者なので暴力的な面はありませんが、学校サボって遊び回る、夜中に抜け出し遊び回るという生活でした。学校と勉強は嫌いじゃなかったですが、コツコツと勉強することが嫌だったので高校から大学まではFラン?という感じです。
ただ、コンピュータをいじるのは好きでがっつりのめり込んでました。当時一番好きだった本はマスタリングTCP/IP応用編でした。
一方で二十歳前後の時期にはまったのがドラッグでした。いまでいう脱法ドラッグとマリ○○ナとかですね。一時期、有名大学学生の逮捕が相次いで社会問題になっていましたが、その少し前の時期だったのでそれほど厳しい目は向けられていませんでした。学内で焚いてヘラヘラしていてもだれもドラッグというものが身近にないので気付かなかったんでしょうね。
いまでは考えられませんが、かなり傾倒していたのでヨーロッパにまで吸いに行く始末でした。あのころもまた楽しい思い出です。この影響かどうかは知りませんが、旅行が好きで年に数回いく国内旅行が趣味です。
過去を振り返っても何か大きな問題があるようは気はしません。違法行為に対する意識が緩いということはありますが何か影響しているでしょうか。
ただ、一つ心の中でひっかかることがあります。それは他人との関わりの記憶がすっぽりと抜け落ちていることです。学生時代は常に友達はいましたし楽しく遊んでいました。今でも付き合いがあります。でもなぜか一緒に遊んだ場面の記憶が少なすぎるのです。これは家族についても同様です。集まって昔の話をすることはよくあると思いますが自分だけまったく記憶がないんです。どこに誰と行ってどんな会話をしたとか。思い出せるのは上に書いたとおり、ほとんど自分が一人で楽しかったこと。内向的な性格 ーー 関心が内に向くと言う意味での ーー ではあると思うのですがちょっと極端な気もします。
30歳になってこんなことを悩むのは恥ずかしい限りですが勇気を持って書きました。
なぜか他人からの評価と自分自身の評価にギャップがありすぎます。おそらくこの文章を周りの人に読ませたらビックリするでしょう。「え?そんな人に見えないんですけど!?」という驚きと引きつった顔が目に浮かびます。あなたの会社にいる30歳を思い浮かべて、その人がこの文章を書いたと想像してみてください。ありえますか?ありえませんか?でもそんな普通の世界に僕は入り込んでいるんです。
繰り返しになりますが、日常生活はまったくもって平穏におくることができています。良い部分と悪い部分でバランスが取れてるというんでしょうか。荒れたり、自堕落的な生活になることもありません。体調も良いです。人間関係も良いです。(本心はわかりませんけどね)
精神的に幼すぎるのでしょうか?それは普通どのように成長させるのでしょうか?正直なところ、人生経験という意味ではそれなりのものは蓄積してきました。
いったい僕はなんなのか。抱えている問題はなんなのか。誰か教えてください。
就活シーズンですが、ゆとり教育を享受してきた二十代前半から。
ゆとりの仲間たちの就職活動を応援する意味で、企業側に言いたい。
いま、即戦力を期待する企業が多いと感じている。そんな企業の姿勢に異を唱えたい。
かなり極端に書いてるが、書いた内容は重要だと思う。
企業は
「ゆとりが使えないのではなく、ゆとりを使いこなすための情報が不足している」
と考えてほしい。
更に言うなら、
と考えてほしいと思う。
そうすべきと私が考える理由は、
だから。
一例をあげてみたい。
普通、人は後進を育成するとき、自らの経験をもとにして指導すると思う。
ところが、そのもとになるところの学校教育が問題だ。
何が問題かというと、管理職世代が受けてきた学校教育と、ゆとり世代が受けてきた学校教育は、質が全く異なる点。
これは、単純に教わる内容が減少したという量的な問題だけではなく、様々なものを教わっていないという質的なところからの問題。
繰り返しになるが、人間を指導教育するためには、その人間が育ってきた背景を知っておくことが不可欠だと思う。
さもなくば、お互いにストレスフルなやりとりがたえない労働環境となる。間違いなく。
別の例を挙げてみたい。
ゆとり教育世代の中の一部では、学校における活動以外で他者と結びつこうというマインドとその経験が圧倒的に不足している人がいる。
ひととひと。
そのつながりがあって、社会は回っている
言うまでもない常識と思う。
なぜか
それは、「学校教育しか受けていないゆとり」が、その事実から切り離された特殊な環境で成長するからだ。
だから、人とつながるということの重要性を認識しないまま成長する人もいる。
そういう人間は、なるべくエネルギーを使わずにらくをしようとする。
人と関わると発生するエネルギーコストを削減しようとする人間は、必然的に、人と遭遇しないようにするため、狭いコミュニティで生きることになる。
必要性があるときにしか行動しないために、見識が広がりにくい。
見識の狭さが活動範囲をより一層狭める。
活動範囲が少ないので学びが少ない…という悪循環がそこにある。
この結果、彼らは自分から人と関わり、情報を取りに行くことができないという、社会人としてかなりヤバ目な特性を持っている
場合がある。
自ら育つようになるまで、育てる必要がある。
このことを企業側が、意識しておかないと、この手の人材は、すぐにつぶれてダメになる。
2つ例を出した。
問題なのは、彼らの特性が、日常生活を営むうえでは問題にならないことである。
しかし、ひとたび同じ職場で働くことになれば、たちまち非ゆとり世代とゆとり世代の常識は大きく異なっていることに気づかされる。
きっと、非ゆとり世代から見た、同じ職場のゆとり世代は「エイリアン」に見えている。
そして、きっとそれは逆も同じなのだと思う。
とりあえず、企業がいかに「ゆとり」を戦力化するかということが最大の問題だ。
ゆとりを効率よく戦力育成するには、ゆとり世代の生育背景を把握し、特性を理解し、それらに基づいた教育を行うよりほかに方法はない。
しかしながら、この景気、経済状況なので、企業側が教育者となる管理職に「ゆとり」について1から学ばせるのは得策ではない。
有効ではあるかもしれないが、最善手とは思えない。
「ゆとり世代の人間から一人、ゆとり統括用のリーダーを指名する」
という方法だ
こうすると低コストで、意外と、とうまくいく。
もちろん、企業側がリーダーと綿密にやり取りすることは必要だけれども。
世間を見渡すと「ゆとり」が、使えない人材の代名詞になっていて腹立たしい限りですが、実際その通りだとおもう自分もいる。悔しい。ビクンビクン
ですが、ゆとり世代の中にも、即戦力となる人間は3~4割程度いる、というのが自分の実感です。
企業側としては、そういった人々を少数でいいので、確実に、最低一人確保することがポイントとなります。
こうした人々の見分け方ですが、いくつか特徴があります。
たとえば、家庭における教育が良かった人。
部活動をはじめとした、種々の課外活動が充実していた人。
あるいは、個人の特性によるもの。
たとえば、学びのサイクルが確立しており、鋭い洞察力によって自ら疑問を持ち、また、その解決のために努力を惜しまない人々。
どの世代においてもこの手の人々が最強なのは言うまでもないことかもしれませんが。
こうした人々は、新しいことをまなび、新しい環境に適応するだけの柔軟性が期待できます。
また、実際、学校で生のゆとり教育を受けてきたので、「ゆとり」の傾向も知っていますし、理解もある。
(もちろん、いくら優秀とはいえ、周囲の先輩方のサポートは不可欠なのですが
補足すると、先ほどもちら触れたように、ゆとり世代は、非ゆとり世代と比較して縦のつながりを作るのがへたくそな人が多い。内向的というか。
そして、その代償として横の関係性を求める傾向もある。
こういた特性も、同世代をリーダーにするとうまくいく要因の一つな気がする。
まあ、ようするに、ゆとりの中でも上の世代と互換性のありそうな人間にゆとり世代を統括させれば、そいつが、応急処置的ではあるものの非ゆとり世代とゆとり世代とがやりとりするためのちゃんねるとして機能する。もちろん、そいつにそんな役割を期待していること、必要があればバックアップすることはきちんと伝えておくひつようがあるけれど。
ともかく、そうすることによって、ゆとりを組織の機能の中にぶち込んでもある程度機能し続ける状態を保つことができるわけです。
こうやって、会社や現場に慣れるための猶予をあたえれば、ゆとり世代を無用に追い詰めることもない。
とにかく、はじめはそんな感じ仕事をさせつつ、徐々に世代の違うリーダーのもとで、仕事をする機会を増やせば、心理的に安定するはず。
がそのままおっきくなってる場合がある。
繰り返し述べているように、学校教育以外のフィールドでの人生経験が足りないために、人生経験の深さや、広さが非常に限定的な人間の割合が高まっている。
就活中にお祈りされるだけで、あたかも人生の終わりであるかのように感じてしまう
鋼メンタルの持ち主なら、
「お前みたいなブス、こっちからねがいさげじゃあああ!」と言って自分を守れる。
(フロイト心理学では、合理化というらしいよ!!どうでもいいね)
でも、でも、それができない。
それは、やっぱり、人生経験の少なさから来ているモノだと思う。
知っている価値観が少なくて、物事を自分の都合のいいように考えられないほどに、思考が狭まってしまうからだ。
自分自身さえ、自分に味方をしてくれないのがゆとり世代の人生なのかもしれない。
ちなみに、この価値観の狭さは、これまでの22年ないし、それ以上の人生で、積み重なってきたものの集大成であり、就職後1か月やそこらで変わるようなものでもない。
柔軟性の無い人間は、なかなか使い物にならないと思う。
だからといって、もし、強力なストレスをかけることによってショック療法的に何とかしようと考えているなら、それはやめるべきだ。
先ほどから繰り返し述べているように、学校教育しか手持ちの判断材料がないゆとりは、貧弱だからだ。
企業側としては苦しいかもしれないが、4~5年は、戦力として使えるようになるまで、面倒を見るつもりで、ゆとり世代を採用してほしい。
そして、企業側は、同時に並行して、ゆとり世代が、どういう教育を受けてきたのかについて、情報収取をしたほうが良い。
なぜならば、今すぐにやれば、それが企業の成長につながる可能性が高いからだ。
これまでの言と矛盾するようだが、大部分のゆとり世代は、ちょっとしたことで非ゆとり世代とも互換性を持つ。
そういう人たちが4割程度。
できる3~4割と合わせると大体7~8割
しかし、ゆとり世代についての知識、理解があれば、その3~2割を制御するのも可能だし、彼らを戦力として育成することもできる。
ギャンブル的要素があることは否めないが、彼らを戦力化することができた企業は、他の企業が拡大成長できずに苦しんでいる中、その規模を拡大することができる。
他の企業が使いこなせないということは、その人材は安価に使えるということである。
やとわれた側のゆとりは、就業チャンスをスキルアップに結び付けられるように努力する必要がある。
それでも、フリーターやニートよりはましだとおもって死ぬ気でがんばろう
なんだかんだ書いたけれども、適切な方法を導入することで、ゆとりはいくらでも使える人材になりうる。
そして、その対応が早ければ早いほど、その企業は実入りがでかく、後々になって対応する企業ほど割を食うと思う。
いくら人材がグローバル市場化したとは言え、企業が即戦力として必要とする人材のレベルは非常に高い。
その不足を補うため、これからの時代は、企業の内部にも高度に専門化した高効率の教育システムが出現するはずだ。
そして、マーケットリーダーでない企業では、特に、即戦力でない人材をどうやって戦力化するかが、深刻な課題となる。
そういった企業は、いずれ生き残りのため、否応なく
に習熟する必要がある。
なら早いうちに「ゆとりを使いこなす」体勢を整えるのが良いように思う。
そのためには、とにかく、ゆとり世代の中で比較的優秀な部類の人間をなんとしても一人確保する。
そして、その人間と一緒に、ゆとりを戦力化する方法を一緒に考える。
これが、現状、一番低コストかつ効果的で現実的な、企業がとるべき方法だと思う。
繰り返しになるが
ゆとりはつかえないのではない。
ゆとりを使いこなせていないと考えるべきだ。
同意。俺も士業だけど。別に内向的でも普通に生きていける。現状とりあえず幸せ。
まあ、法科大学院出の人たちの状況を見ていると、どうやら最近はコミュ障だと就職も覚束ないようで大変だなあと思うし、もはやこの業界も斜陽産業だから、今後は、既に大御所なんていう人を除けば営業力とやらが必要になるのかもなあとは思う。