はてなキーワード: 内向的とは
こいつがベストを尽くしたとは到底言えないなあ。
だとすれば「この世に~ない」なんていう超巨大な主語が引っかかるよね。
「この世にない」なんてのはそれこそこの世を調べつくすレベルの、
こいつはなんだっけ?
なんでこいつが「この世」を語れんの?
えっ、横って本人が横から入ってくるという意味もあるけど、話題が横にそれるけど、この流れからするとこういう横の話題もあるよね。
「努力して地味で内向的な職に就いたのにそこでもコミュ力を求められた」
とかなら
「不器用で内向的な人間が幸せに生きられる場所なんてこの世にない 」
って結論にもなるだろうが、
おまえ小さな会社の営業職に就いてんじゃん。
それってこの世の様々な仕事の中でもトップレベルにコミュ力を要する仕事だろ?
汗ダラダラ流しながら
「暑がりな人間が幸せに生きられる場所なんてこの世にない 」と言ってるようなもんだお前は。
深刻ぶってるけど馬鹿丸出し。
たくさんある。
例えば士業。
いま事務所を見渡して、不器用なんてものじゃないとか、内向的を通り越した奇人がいっぱいいる。
言葉が足りない人だらけなので、うまく翻訳して衝突を避けるのは奇人度が低く一番下っ端の私の役になってる。
年齢相応に世慣れてると言えるのは代表ぐらいかもしれない。
他に私が自分の目で確かに見たもの、在籍した例としては、アニメ製作会社。
世の中にはまだまだたくさんあるだろう。
それはあるが、今の君の苦境は避けられるものだった。
(いま鬱病だという人にこんなことをいうのが適切かわからないが
今書かないと二度と会わないだろうからこのように率直に書いている。)
不器用で内向的な人間が幸せに生きられる場所なんかいくらでもあるよ
無いのは「不器用で内向的な人間が人並み(リア充並み)に生きられる場所」の方
サカナを陸に揚げてチーターとスピード競争しろとか無茶振りにも程があるだろ
それと一緒
できる営業職だった父の背中を見て育った。
学校の成績は良かったが、我ながらおとなしい性格だったので、父のような会社員にはなれないだろう、と小学校高学年の頃に悟った。その頃の将来の夢は考古学者。シュリーマンになりたかった。
それから数年。私が中学生のとき。父、癌を患う。一命は取り留めたものの、落ちた体力では、かつてのように仕事はできなくなる。会社はクビになった(病状の割には長く引き止め、部署を移すなど色々と対策もしてくれたが)。大学時代の友人の伝手で、小さな会社で働き出し、そこでも成果を出すものの、癌の転移が発覚。私が高校の時分に早逝した。
その後、母が生命保険や退職金を切り崩して捻出してくれた金で、出来が悪かったにもかかわらず、私は大学に入学した。小学校時代の神童も、今となっては人並以下。考古学者の夢はとうの昔に捨てていた。折からの不況。まったく学問として興味はないが、手に職のつく資格が欲しい、という甘い考えで入った法学部の勉強は、軟弱で夢想癖のある文学少年には想像以上の苦痛だった。そして、情けないことに、胃に穴を空け、単位を大幅に落とし、留年してしまう。
なんとか四年次まで進級するものの、就職活動でまた胃潰瘍になる。入院。今度は留年こそしなかったものの、就職浪人になる。ただでさえ社交性がなく、新卒の下駄でぎりぎり内定が出るか出ないかの身。カウンセリングや話し方講座なども受けてみるものの、大した影響はなく、どうにも上手く行かない日々。ようやく出た内定は、小さな会社の営業職だった。
それから半年が経つ。やはり父は偉大だった。時代のせいもあるのかもしれないが、この過酷な職業に良く耐えられたものだ。先日、あまりの不調にかかった医者に、軽度の鬱病と診断された。
そんな私の現時点での考え。
不器用で、内向的な人間が、幸せに生きられる場所なんて、この世に、ない。
母が無事に逝ったら、私も穏やかに逝けたらよい。そんなことばかり考えている。
男子のほうが女子の2倍も自殺しているのに、世界的に見ると自殺率は女子のほうが高いから女子のほうが苦しんでるって。なんだそれ。
『男子のほうが女子の2倍も自殺しているの』という絶対的事実は歪まないだろ。世界のほうが女子が死ににくいという事はあるだろうが、
男子と女子比べた場合において、ほぼどの国でも 男子のほうが自殺している。という事実は変わらん。
世界では女性がもっと優遇されているから、日本でももっと優遇しろ。というのは、男女差別でもなんでもねーだろ。
つか、ワースト5がワースト3になるだけで2ランクアップするだけだ。どっちも世界的に見て 異常なまでに高い自殺率ということは変わらん。
男子も女子も 日本は自殺しまくっている。ワースト3だと差別されていて、ワースト5だと差別されていない。というのは暴論だろ。
順位の問題というより、絶対数の問題だろ。
①ゴーリキーの良さが解らない。
ごり押しも酷いと思う。
が、正直ごり押しされても「個性的な顔の人がいるね」としか感じない。
いや、確かに可愛いのかもしれない。可愛いとは主観的な感情なのだから。
けどなんだろう、イグアナがかわいいとかナマケモノがかわいいとかそういう。
②ビブリア古書堂が嫌いだ。
ミステリが嫌いだ。
表紙で売っているくせに「ライトノベルとは違うんだぜ」な感じが駄目だ。
ヒロインの設定がとにかく鼻につく。
「男には媚びてないけど男オタには媚びるぜ」な感じが駄目だ。
せめてwikipediaの編集者よ、もう少し表現をぼかせなかったのか?
③ところがどっこい、ゴーリキーが栞子さんを演じるとなるとどうだろう。
読んだことない小説の鼻につくヒロインを興味のない女優が演じる。
俄然興味が湧いてくるではないか。
みたいな現象。
④例のキャスティングは
・ゴーリキーが好きでビブリアに興味のない人
・両方興味ないけどとりあえずドラマ見る人
・ビブリア嫌いな人
の三者にとっては最適なキャスティングじゃないだろうか。
というか多分あれだ
人を殺したわけではないが、判決は殺人と同等かそれ以上のものだった。
お互いに学生だった10年程前はほとんど毎日のように学校で会い、遊ぶのも一緒が多かった。
しかし、学校卒業後は徐々に疎遠になり、ここ5年ほどはまったくの音信不通で最初にニュースで名前を見かけた時、かなりショックを受けた。
逮捕され、その後求刑され、判決がでたのはニュースを追うことで知った。
判決が相当重かったので、動揺しつつもさらに詳しい情報が知りたくなった。
当時の共通の友人に詳細を知っている人がいないか探してみたが、皆「もう、最近は全然連絡とってなかったから。。」という答えだったので、ニュースでしか知りようがなかった。
友人は明るく社交的で、とても話上手な奴だった。私は内向的で地味な性格だったが、彼と一緒にいると楽しい人生を歩んでいるかのように思えた。
けれどその友人は、時折自分中心的な言動をすることがあった。またわがままで彼を嫌ったり避けたりするような人間を激しく憎んでいるように感じた時もあった。
そのような性格が何かしら事件に結びついたのだろうかと、当時を振り返ってなんとか自分にできたであろうことはなかったかなどと、いろいろと思い悩む。
せめて、今の彼に会って当時の、学生時代の楽しかったことについて、ありがとうと伝えてみたい。
もちろん悪いことをしたのだから、罪を許すということではないけれど、友人の一人である自分くらいは微力でも罪を償って再び世間に戻るという力になれたら、、どうだろうかという思いに駆られる。
調べると刑務所では両親や兄弟などのごく近親者しか面会は許されておらず、その近親者にまずは面会できないかあたってみるのがよいようだった(近親者から本人に面会可能か聞いてもらう)。
けれど、彼の両親には一度会ったことがあるけれど、住所などの詳しい情報は知らないためそれも叶わない。
探偵などに依頼して両親の居場所を調べてもらうということも考えたが、そこまでしてやるべきことなのか迷い、実行まではできずにいる。
それとも他に手段があるのだろうか。
余計なお世話かも知れないが、本人や両親は今どんな気持ちでいるのだろうか。
自分はこのままなにもしないでいて、いつか後悔しないだろうか。
※表立って誰かに相談したり、話したりできることでもないので、この場を借りて吐き出させてもらいました。
読まれてなにか思われたことがあれば、どんなことでもコメントください。
一般に外向的で社交的な人間はコミュニケーションが達者と思われているが一概にそうとは言えないのである。
コミュニケーションが上手であることと外向性は社会一般に考えられているほどには強い結びつきが無いんだよなあ。みつを。
むしろ、外向的人間のほうが「特殊」と言って良いくらい、コミュニケーションの仕方がまわりくどいことが多々あるのだ。
ここでコミュ力のために重要だとされている要素の一つに人に対する思いやりや人の心を推し測る力がある。
しかしよくよく考えていくと実は社会一般の大多数のコミュニケーションのシーンにおいて本質的なのは人の心を読むといったしばしば無理難題な芸当ではなく実に単純明快空気を読むことである。
ここに一つのつまずきの石があるのだ。人の心を読むことなど到底難しい。苦手な人にとってなおさら。それなのにそれを要求されて社会生活に絶対不可欠だと信じ込みコミュニケーションの難しさに何度となく立ち向かっては打ちのめされるのだ。
そんなことを延々と繰り返している人が非常に多い。だが、「心を読む」と一般に思われている行為のその中身をよくよく見てみると、
なんてこったい単なる空気を読むこと、つまりその場その場の状況にあわせて振る舞うことだったのだ。必要とされていることは実に単純なのだ。
外向的で社交的な人間もしばしばプライベートなコミュニケーションを苦手とするがそれもそのはずである。彼らは決して人の心を読むことに長けているわけではないからだ。空気を察知し、空気に合致した言動の引き出しがあるだけのことなのだ。
むろん外向的かつ内向的な人間もいる。外側だけでなく内側にも心が向いている人間はどうなのか?まず内側に心が向くことで自己の多面性によく開かれている。これに外向性も加わるから自己の多面性を外側に適切な形で表現できる。
だからプライベートな距離の近いコミュニケーションにおいても自己を包み隠さずありのままに表現することができる。さらに、自己の多面性を理解する人間は人間の多面性をも理解しているから他者の多面性にも理解が深いことが多い。
したがって他者の多面性も理解することができ、他者をありのままに理解したり認めたりすることができる。だからプライベートな対話も得意なのである。そしてそうした要件を満たして初めて「人の心が読める」と言えるのである。
しかしそんな人間はわずかである。多くの外向的な人間は内向的ではない。これは断言していい。というのも、外向的な人間種族がどのようにして形成されるかを考えるとわかる。
周囲に合わせなきゃという同調圧力が外向性を促進し、そうした歪んだ外向性が人類の長きにわたる歴史を通じて遺伝されてきて現在に至っているのだ。
だから特に日本のような国においてはそうなのだが外向的な人間はたいていのケースにおいて内向的な気質など持ち得ないのだ。これが外向的人間のコミュニケーションの特殊性である。
筆者は合同コンパ(a.k.a 合コン。普段は仕事に重きを置いた生活をする20代、30代が、視野と交友関係を広げるため、知人の紹介によって様々なバックグラウンドを持つ人々と交流する会合の総称。異業種交流会とも言われる)
に今年のGWに初めて参加し、それ以降2月に1度程度の頻度で同様の会合に参加してきた。幹事を務めたことさえある。
筆者は特にそこからMaking Affairできたことはいままでない。
それどころか合コンで知り合った人物と友人としての関係を築けたこともない。
言うまでもないが我々に残された時間は有限であり、今後すれ違うことのない出会いを繰り返すことに意味は無いし、もっと自分にとって大切な人々と過ごすほうがはるかに有益だ。(筆者友人の同僚談)
では筆者はなぜ合コンに参加するのか。それは未だ見ぬ素敵な出会いを求めるからであり、友人の紹介する人々はその友人の為人(ひととなり)によって担保されているからに他ならない。
先述した通り筆者は合コンに可能性を感じつつも、これまでコンパ時間を漫然と過ごしてきた。
「おれは...反省すると、強いぜ...」(音石明/ジョジョの奇妙な冒険)
筆者は合コンに臨む姿勢に至らない部分があるのではないかと反省している。
このエントリでは合コンで何を目指し、そのために具体的に何を達成すれよいかを明らかにし、今後の活動に反映させていきたい。
現状:
合コンは「会話」「お礼のメール」という2パートに大きく分けることができる。
思うに(あるいはこの主観にすでに間違いがあるのかもしれないが)、筆者がこれまで経験してきた合コンは会話自体は難なく続いている。
それなりに盛り上がっている状態だ。しかし、クリティカルな盛り上がりには欠ける。(ここで言うクリティカルとは「今後も交友関係を築きたい」と思えるほどの、という意である)
また、筆者は相手に対して合コンの「お礼のメール」を書くことが苦手だ。それはクリティカルな深さまで会話を掘ることができていないからではないだろうか。
目的:
男女関係もしくは今後「バントを打つ」土壌となる交友関係を構築する。
(「バントを打つ」とは次はその相手とともにさらなる合コンを開催することである。ある種の有限を無視すればねずみ算式に出会える計算になる)
戦略:
「お礼のメール」のための「会話」
お礼のメールの中で、次回の個人面談にもっともスムーズなかたちで進める文章を盛り込む。
ご存知の通り合コンの間に何かが始まることは稀で、多くの場合、その後の個人面談などによってことが進む。
そのための試金石となるのがこのお礼のメールである。お礼のメールでお互いの興味や共通点が合致した内容を盛り込むことで、その後の進展が期待できそうだ。
実行:
ありきたりで非常になさけないのだが、一言で表すと「きどにたてかし衣食住」に沿った会話となるだろう。または自分の得意な分野に引きずりこんでも良い。
き・・・季節
た・・・旅
て・・・天気
衣・・・衣類
食・・・食事
ここで注意すべきは漫然と会話するのではなく、常に共通項目を探し、次回につなげるアウトプット(お礼のメールにおける個人面談への誘い文句)を考えながら会話することだ。おそらくマイナーな趣味ほどハマるのではないだろうか。
また、相手がおよそどのような属性を持っており(出身、故郷、年齢層、職業...etc.)、どのような指向(趣味、興味、服装、性格が外交的か内向的か...etc.)などを類型分類しながら把握できると少ない情報から相手との共通項をより多く発見できるかもしれない。
・相当ゲーマーらしいですね。モンハンで今度温泉行きましょうよ。
反省:
補足:
もしお互いの共通点が全くない場合はどうしたらいいのか...!?
それはこの本が教えてくれるでしょう。旬やシチュエーションに合わせたデートを演出してくれるはずである。(まだ実践できていない以上エントリがまとまらないので付け足した冗談ですが、旬の食材や風物詩をきっかけに女性を誘い出す手法には目からうろこが落ちる。物語のちからを強く感じる一冊。)
君「非モテの行動特性は人に対する恨みに起因する」
これなんか難しいとか複雑だとかっていうやりとりか?
構造で言えば
「いや、イチゴが好きなんだと思う」
レベルだが。
そら、会話にならん。
君の特殊すぎる知能に配慮しなかったのが悪いと?
なんでこんなにキレられてるのかすらわからないわ。
バカって予想不能すぎて怖い。
じゃぁ、おまえは、内向的な自意識の問題だろうで、意味が通じるとか、反論になるとか思ってるのか?
論理的に思考・会話できないならネット切って独り言でやっててくれよ。
すりあわせを拒否して、自分の意味は一言で通じるのが当たり前、相手の言う事が通じないのは相手が悪いって。
そら、会話にならん。
おまえは恨みのある人間に、積極的に近づいて、積極的に機嫌をとって、積極的に仲良くしようとするか?
俺は「人への恨みではなく内向的な自意識の問題だろう」つったよね?
それでなんでこういう反論になるの?
明日から10月で下半期が始まる。就職してからこの8年ずっと仕事辞めたいって思ってる。
ここではないどこかがあるっていう思いがまだやっぱり消えない。生きる意味とかさ、未だに考えてて、気づいたらもう30歳になってた。
結婚もして、子供も生まれて。結婚すれば変わるかなって思ったけど、子供生まれたら変わるかなって思ったけど、少しは家族のために働くとかそういう気持ちは確かに芽生えた。
転勤で地元を離れて今家族がいなかったら、完全に気持ちが萎えてたと思う。何とか毎日仕事にいけてるのは、家族がいるからっていうのはある。
だけど、根本的な解決にならない。子供もだってかわいいけど、疲れっ切って土日に騒がしくて、遊んでってこられるのが正直うるさく感じることもあるし。
仕事が向いてない。これに尽きる。
土日も仕事のことが気になって休まらない。だいたい内向的な自分に営業は向いてないし。顧客との折衝は神経使うし理不尽なこともある。
どんな職業だっていろいろあるだろうけど。仕事を変えるか、自分を変えるか。
日々に忙殺されて転職活動する気力が湧いてこないし、このご時世転職が成功する保証もない。平日はご飯食べてシャワー浴びたらもう起きてられない。
奥さんも、慣れない土地で近くに親類もいなくて一人でやってるから土日くらい子供みてて、家事手伝ってって言うし、それは分からんでもないけど、こっちも疲れてて休日くらいゆっくりしたいってなって難しいね。
何が楽しみで今自分は生きてるのか分かんないわ。よくあるサラリーマンの典型かもしれんけど、やっぱり苦しいから現状をどうにかしたいんよ。
要するに「お前もういい歳なんだから早く結婚しろ」ということだが、自分が池沼を疑われるレベルのコミュ障で終始キョドっていたので、見かねての発言だろう。
あと内向的フリーダム人間の叔父も「嫁さん大事にしろよ」と言われてたっけ。
これまた「(お前みたいな引きこもりキャラのオッサンを愛する女なんてまずいないんだから)嫁さん大事にしろよ」ということだろう。
こういう空気を読みつつ直球勝負でモノを言う人って、普通の人が中々言えないことを言うから、たまに会う程度なら新鮮だと思う。
それに直球勝負といっても、「童貞は幼女誘拐する前にソープ行け捗るぞ」と毎週のように絡んできた、自称ロックな元上司とかと比べたら全然控えめで上品(そりゃ僧職だから当たり前だけど)。
いや、アメリカに限った話でもないんだけど。要するに海外の。ちょっと気になった。
多分日本は日本ですごい独特のネット文化の発展をしたんだと思う。ちょっと内向的な人種で、基礎教養レベルは一応相対的には世界的に高い位置にいるし、インフラも充実しててネット的なものにもほとんどの人が参加できることになってる。
で、どんなコミュニケーションがあるのかというと多分これは交わされる言論の質が高い順に
はてな、Twitter(一部)、2ch(一部の一部)、/(慣れ合いの壁)/Facebook、mixi、LINE
みたいな感じなるのかなあと思うんだ。いやもちろん反論轟々なんだろうけど概ねでまあこんな感じということにさせてください。Twitterとか2chとか風景が広すぎて平面にでもマッピングしないと一軸では生態が掴み切れないんだろうことは承知しながら。
で、本題として海外のネット事情はどうなってるんだろうねえ、という。例えば一番その存在感があるだろうアメリカ。Facebookは勢いを失い始めて、Twitterなんかそもそも流行ってないし(日本ほどは)、2ちゃんてきな匿名掲示板の文化ってそんなメジャーじゃないでしょ??じゃあどういう市民の分かれ方をしてるのかその大まかなシェアが知りたい。今後のネットの行先を見るのにもすごい大事だと思うんだけどどうなんだろう。留学とかしたらその辺の肌感覚わかるんだろうか。
中国とか中東みたいな言論干渉多いところもまた独自の発展するんだろうと興味津津なんだけどもなんとも調べるアプローチが沸かず悶々。誰か何かしら分かるならご教示いただければ嬉しいす。
詳しい返信を頂き、ありがとうございます。
まさか、ここまで詳しく解説いただけるとは思いませんでした。
けれども問題は「まがいもの」であることそのものではないのです。歌われることは「まがいもの」でも構わないのです。
確かに、「まがいもの」でない歌を探す方が難しいでしょうし、仮にあったとすれば別の名前で呼ばれると思います。
「まがいもの」でない小説は、小説ではなく、「ノンフィクション」や「ルポタージュ」と呼ばれるように。
これは、一言で言うと、歌詞に描かれている恋愛関係や人間関係が、非現実的ということでしょうか?
それならば、「ワールドイズマイン」を「根が暗い」と指摘している点は納得がいきます。
「関白宣言の女性版だ。」との指摘もありますし。実際に、「ワールドイズマイン」に歌われているような性格の女性とは、良好な関係を築けないと思います。
なお、この質問の意図ですが、元増田の「根の暗さ」の意味が解らなかったんです。
捻れや歪み、悲しみ…そのものを選ぶこと、歌うこと自体は今に始まったことでもなく、決してまずいことでもありません。
最初に上記引用部分を読んだ時、「根の暗さ」とは、「内向的」や「内省的」や「陰気」という意味なのかなー、「死」や「別れ」を歌っていることなのかな。たしかにVOCALOID楽曲には多いなーと思いました。で、納得しかけたんです。具体的には、小林オニキスのサイハテ(http://www.nicovideo.jp/watch/sm2053548)、もじょPの丸子橋まで(http://www.nicovideo.jp/watch/sm7085927)、なんとかPのキツネ目のあの子(http://www.nicovideo.jp/watch/sm14240097)とかを想像していました。それで、実際にランキングを見たんです。そしたら、「ワールドイズマイン」や「メルト」が入っているから、「根の暗さ」の意味がわからなくなりました。それで、思わず聞いてみたんです。
もともと内気で友人はいなかった。両親も仕事で家にはほとんどおらず、保育所に私は預けられていた。
そこにはフィリピン国籍の10歳前後だと思われる未就学児が何人もおり(今思うと法的に大丈夫なのかどうか怪しい)、常に暴力を振るわれていた。
保育士はいつもひとりかふたりで、業務そっちのけでタバコを吸いながらマンガを読んでいたり、私が助けを求めたりすると大抵は無視されるか、最悪の場合その人からも暴力を受けた。
両親も私の置かれている状況の異常性は、保育士の行動以外は把握していた様で、私が「行きたくない」と泣き喚き叫んでも「仕方のない事だから」「仕事があるから」と言って無理矢理私を置いてどこかへ行ってしまうのであった。
この生活は私の記憶が正しければ3歳から5歳までの2年間続いた。
その後、父親の仕事の都合で引っ越す事になり今住んでいる場所に至る。
一連の経歴でほとんど人間不信になっていた私は、引越し後の幼稚園での生活でも、病的に寡黙で、内向的で、友人などできるはずはなく、更に悪意を持った人に目を付けられ、またも私に対する虐めが始まった。
そこは田舎の過疎化・少子化が進んでいる土地だったため、ここから中学卒業までの面子は転校して行った人、転校して来た人を除いて殆ど同じだった。義務教育期間が終わるまで虐めは続いた。
しかも厄介な事に母親の家系が「ほんみち」というカルト宗教を信仰していて、私が他人の害意に晒された時はいつも「お前は(前世の)因縁が悪いから虐められるんだ」と私だけを一方的に悪者扱いし、更には「お前が虐めに遭う事によって前世での因縁が浄化される。抵抗すれば因縁は深まるばかりだ」と意味不明な考えを押し付け、「お前を産んだのがいけなかった」と包丁を向けられた事も何度かあった。
学校での成績は全て悪かったため、高校には進学できなかった。
今は障害者2級の認定を受けて、障害基礎年金で細々と暮らしている。自分では覚えていないが、後で父親から聞かされた話によると私は、「大人になったら自殺する」とよく口走っていたらしい。
今年で年齢は22になる。秋葉原通り魔殺傷事件や、附属池田小事件の実行犯並みに私に行動力があれば最期を覚悟した復讐はしていたと思う。今はもう無気力で、何もする気が起きない。
ライブやクラブに行くと、いつも不思議に思うことがある。フロアにいるにも関らず棒立ちの客がいることだ。ライブではほとんどいないが、フロア外の階段やラウンジでお喋りに夢中な人、しまいには寝ている人も結構多い。何しに来てるんだろうと思ってはいけない。音楽の聴き方は人それぞれだからだ。踊りたくなる人もいれば、座って聴きたい人もいる。私もどちらかと言えば座って聴きたい派だ。立ちっぱなしの勤務後のライブ見学は年齢的にも辛いのだ。膝などガクガクである。そのため、野外フェスでの寝聴きは至高である。ドラムの音でビクッと起きるのが堪らない。
では、なぜライブやクラブに行くのか?考えられる目的は、アーティストの生演奏やDJの選曲が目的の人がほとんどだろう。あとはナンパ・お酒などのコニュニケーション目的。自称音楽通のステータス(地獄のミサワ的な人)もあるかな。私が思う1番の目的は「普段聴けないような音量で音楽が聴けること」ではないかと考える。お洒落なカフェでのアコースティックライブや、コードレスヘッドフォンを着用するサイレントディスコなどは除外するとする。
しかしながら、現代の都会の住宅環境では「爆音」は手軽に楽しめない。一歩間違えれば、小さな音でも騒音であるからだ。当然ながら、ジャイアンの歌やしずかちゃんのバイオリンも騒音である。そもそも音楽は嗜好品であるから、本人にとって不快な音というものは騒音でしかない。「爆音」どころかイヤホンの音漏れで、電車内にて殺し合いが始まるくらいだ。音楽の力というのは恐ろしいものである。
次に、「爆音」の定義だが、通常の話し声が60dB程度であるのに対して、クラブやディスコは100~110dB程度とのこと。これは、ヘリコプターの近く・自動車のクラクションの直前と同量である。耳鳴りなどの聴覚障害が発生してしまうくらいの音量だ。一般的には60dBで騒音なのだ。「爆音」で音楽を聴くことは自虐的行為である。トラ柄大好きヤンキー風なワゴン車の窓明け爆音も恥ずかしいことこの上ない。よって、音楽好きはM体質が多いと思われる。反論は認めない。
なぜ「爆音」を求めるのか。私はカラオケと一緒で、ストレスの発散のためだと考える。耳鳴りがするくらいの高音と、パンツ(下着ではない)がビリビリ震え内臓にも響いてくる低音。身長より背の高いスピーカーの前は私にとっての定位置であり、理想郷(パラダイス)である。もちろん低音房としてはウーハーも欠かせない。新木場のagehaでは踊り台と間違えて上ってしまう人がいるくらい大きい。私はリアルタイムで経験していないが、有名な「ジュリアナとーきょー」である。そして、すぐに黒人セキュリティーに引き摺り下ろされる。黒人怖い。なんであんなにデカイのかと。
よって、以下の式が成り立つ。『「爆音」が好き=自虐的=内向的=1人が好き』。でも、現状は『クラブ・ライブハウス=オールナイト辛い=人多い不快=不良怖い・ドラック怖い・黒人怖い』である。これは敷居を高くしている理由でもあるだろう。
私にはパーティーはいらない。爆音さえがあればいいのだ。吉祥寺バウスシアターでは爆音映画祭というのも開催されている。既に第5回である。恵比寿リキッドルームでも開催された。近年の音楽フェスの多さとリンクするように、時代は「爆音」を求めているのだ。
書いててアホくさくなったので終了。