初めてその店に行った記憶は、柿の渋抜き用にと焼酎を買いに行かされた「はじめてのおつかい」だ。
それからしばらくの間は子供が酒類を買いに来ても咎められることはなかったな、そういえば。
その酒屋には豊富に駄菓子も売られていたので子供の頃からよく利用していた。
たまに賞味期限切れだったり小虫が紛れている菓子があったのもご愛嬌。
顔見知りとなっていたので当時生意気だった私は酒屋のおっさんに軽口を叩いては遊んでもらっていた。
地域の祭にもよく参加していたおっさんが、竹笛をとても上手に吹いていたのを私は知っている。
おっさんのくせに上手いなあと思っていた。
海がとても近い町だったので、放課後に買ったアイスをかじりながら、よく堤防の上で友達とジャンプを回し読みしたっけ。
その後自分も中学高校へと進むにつれ行動範囲も広がり、その店に行くことも減ったが、
おっさんの母親であるお婆さんが痴呆となり、外を徘徊しているという話を両親が夕飯の席で話していた。
へー、そういえばおっさん元気かなと一瞬頭を過ぎるものの、そんなことより
生意気だった小学生も思春期を迎えて、その頃にはたいへん卑屈で地味で中二病交じりに内向的な高校生になっていて
あの頃の失礼極まりないながらも天真爛漫だった私はどこに行ったんだろうなどと考えながら白飯を口に詰め込んだ。
確か部活終わりに部室でまったりカップラーメン食ってる時に、同中の友人からメールが来たんだっけ。
中学校の近くの裏山で首をくくっていたという。例の痴呆の母親の介護を苦に…とかそれらしい話もで出回っていたが
背が高く飄々とした、竹笛のうまい顔見知りのオッサンに死のにおいは全く結びつかなくて戸惑った。
おっさんを知る友人も私も、泣くほどではない。ただ、あれこれ思い出話をしては、たださみしいなと思った。
海の近い町に生まれた。山も近かったが、なにより海に近かった。
それなりにいい町だと思う。とはいえ、人口に対して自殺の話題をやたらとよく耳にして、
それは同級生や後輩の父親だったり地元の名士的に知られた男性といった、面識があったりなかったりの人達だったから。
おっさんの死後、しばらくは彼の妻が会社勤めをやめ店に出ていたようだが、その頃実家を出ていた私はよく知らない。
おっさんが(屋号からしてきっと先代の頃から)営んでいた酒屋はもうない。当然、ジャンプを回し読みした堤防も。