2013-12-17

内向的であることは何故悪なのだろうか

最近、人に会うことをやめた。

小さい頃から社会が要求する「外向的」な人を演じてきた。

相手を不快にさせないことを最大の目的とし、気が合う人とも、合わない人とも平等に接してきた。


飲んだり騒いだり遊んだり、それが全て嫌だった。

世の中が求める「外向的」な人の像を演じ、その像を守るために人と会っている自分が嫌いだった。

それらを全て捨てることにした。


心配もされたけど理由は話さなかった。

こういう考え方に賛成してくれる人が周りにいるとは思えなかった。

そういう人が周りにいないのは、演じて生きてきた報いだと思っている。


内向的であることは何故悪なのだろうか。

全員が「外交的」であることを求められる場所で、いなくなった何人かの「内向的」な人を思い出す。

それを追い出した「外交的」な人が思い浮かぶ。

内向的」な人が悪なのは、「外交的」な人がそう決めつけているからだと思う。

それしか思い付かなかった。


世の中が変わらなくても、身の回りは変えられる。

もう無理はしたくないから、「内向的」に生きていく。

でも、「内向的」を下に見る考え方とは断固戦いたいと思う。

演じてきた「外交的」な自分を使いながら、「内向的」な人の地位を上げたいと思う。


これからしばらくはそうやって生きようと思う。

もう無理するのは疲れた

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