はてなキーワード: 保育園とは
まあ今の子育て世代と、その親世代では価値観が違うってのはある。
0歳1歳から保育園に預けるのも、18時まで預けるのも本気でかわいそうで、
母乳で育てたら体重がすんなり落ちるとか、そういうどこに裏付けがあるのかわからない神話を押し付けてくる。
はちみつやこんにゃくゼリーをあげたらダメとか、そういうよくテレビでやるような情報だけは更新されているので、
それで「今の子育てにもそれなりに対応できている」と思っている節もある。
増して自分と価値観が違っているのであればストレスになるのもわかる。
でも、目いっぱい世話になっているんだから、そこは仕方ないんじゃないのか。
絶対に嫌な部分があるのであればそれは嫌だと伝えればいいと思うし、
5類になっていくばく
そういうコミュニケーションのため〜と言いつつ酒をガバガバ飲むのが嫌いだった。
んで、今某印刷会社のトラブル案件でぎゅうぎゅうづめになって深夜まで働いてた。
速攻パンデミックになった。
ワシは律儀にマスクしてるが保菌者の数には勝てない。
子供もコロナになってほしくないし、保育園で感染源になってほしくない。
濃厚接触者や罹患者の推移などテレビで取り上げられることもめっきり減った。
コロナに対してなーーーんも、学ばないの辛いし
本当に良しとしてる人はどのくらいいるのだろう。
子供のためなら、増田との二人暮らしよりも今の環境のほうがずっといいと思った。
なんというか、増田の押し付けも祖母の押し付けも押し付けの方向性が違うだけで幼い子供にしてみればそう変わらんのでは?
保育園と言うことは未就学児だと思うのだが、19時にお迎えに行ったらどうしても時間が無いと思う。
それからバタバタと食事・風呂・歯磨き・就寝をキレ気味の母親にけしかけるようにやらされるか、幼児には遅すぎる就寝時間に寝るかのどちらかになる未来が見える。
母親に任せてあるとそういうバタバタ感なく子供も余裕をもって食事・睡眠がとれそう。
自分をちゃんと愛してくれるステディな大人と長い時間一緒に居られるというのは子供にとって幸せなことだと思うけど。
保育園だとどうしてもたくさんいる子供の一人だから、少数の大人と深い関係にはなれないでしょ。
動画も幼児には決していいものだとは思えないけれど、動画が無い子育てってそれなりに手間暇がかかるから、それを買って出てくれるのは本当にありがたいと思う。
まあ、元増田も二人の環境よりもずっと子供にとってはいい環境に居るとわかったうえでの自分のコントロールが効かないことに対する愚痴なんだろうけれど。
自分の子育て観と違うと思うなら、どういうつもりで相手が子育てをしていてどうしたいかというのを聞いたうえで、自分の考えも話すべきで、対話を惜しんではいけないと思う。
元増田です。
色々とご意見ありがとうございます。
いくつかまとめてコメントしようと思ってたら遅い時間になってしまったので少しだけ書いて寝ます。
● こんな反抗期の中学生みたいな事を大人になって 子連れで実家に転がり込んですねかじりながら言う恥知らずが本気でいる訳ないよね?
ごもっともです。リアルで言えないからここに書いてます。ただの私のわがままです。色んな事頑張った結果がこれかという嘆きです。
● そんな嫌なら切羽詰まった理由もなくお言葉に甘えるくらいの軽さで帰らなきゃよかったのに。
仰るとおりです。大体の事は他の方法で乗り切れたはず。不安抱えて生活を始めた所で正常な判断能力を失っていました。
● 家を出る選択肢もある中での話なので贅沢な悩みに聞こえる
上では判断ミスと言ってますが、実家に帰る選択をしたのは自分が楽だからではなく子供の事を考えてこの方が良いと思ったからです。
他でもコメントあるように私が嫌なだけで母の子育てを子供はどう思うかわからないですし、少なくとも兄弟それなりに育っているので劣悪な環境ではないと思っています。
離婚は仕方ないとしても今の環境から抜けて私一人で子育てする事が子供のためになると言える自信がありません。保育園のお迎えも遅くなりご飯も手抜きになるでしょう。
あと何年か私が我慢すれば良いだけの話なんです。
わかってるなら文句言うなと?
本当はありがたいコメントに返信したかったのですがタイムアップになってしまいました。
ごめんなさい。ありがとうございます。
障害のある子供の親御さんたち、教育委員会や先生たちの薦めを無視して無理矢理普通の公立校、普通の学級に入れるのはやめろ。
発達障害やら何やらあるが、全国の支援学校、支援学級に在籍している知的障害の割合が1番多いため、主に知的障害の子供について話す。ただし、他の障害種別でも通用する話ではあると思う。
だいたい、文頭で指摘したような、障害がある子を無理やり他の子と同じ環境に入れたがるような親というのは
・自分の子供に障害があることを頭ではわかっていても認めたくない。
・特別支援学校(学級)やそこに通う子供、あるいは障害者それ自体に対する強い偏見がある
・子供のヤバさ(学力の遅れや集団に馴染めないなど)をきちんと把握できてない
のいずれか、あるいはハイブリッドなのだ。テレビ等でよく美談のように語られる中では「普通の学校で学ぶことの方が様々な経験ができる」みたいな、あたかも子供のためを思っているかのような美辞麗句で誤魔化すが、大体はこのどれかに当てはまる。
そもそも、普通の公立校に通うことが本当に障害のある子供のためになっているのだろうか?中には他の子とお互い刺激しあって力を伸ばす子もいるだろうが、ごくごく一握りだと思う。大半は勉強についていけず、お客さん状態(授業中、発言もできずただ終わりまでぼーっと座ってるだけ)になっているのが関の山だ。仮に学習についていけているとしたら、先生や学校の大変な努力と配慮の末に辛うじて成り立っているものだろうし、おそらく長くは続かず、学年が上がり内容が難しくなっていくごとに真綿で首を絞められるが如く状況は厳しくなっていく。
そもそも、そのように学習に大変な配慮を必要とする子が学級にいることで、先生の負担は遥かに増す。私学ならともかく、公立校の教員に「一部の子は見捨ててでも授業の進度を優先する」という選択肢はないに等しい。つまり、理解に困難を抱える子供への授業作りが主となってしまい、授業内で応用的な内容、ハイレベルな適用問題などに取り組むことが難しくなる。また、授業は普通に進めるが、その分ついて来れなかったところは放課後につきっきりで学習するという手もなくはないが、それをするということで先生の負担が増えているというのは火を見るより明らか。そして先生の負担が増えると困るのは誰か、皺寄せが行くのは誰か。その学級の子供である。無理矢理普通級に障害のある子供を入れることにより、巡り巡って自分たちの首を絞めている。自分だけならまだいいが、影響は大なり小なりそのクラスの子供全員に及ぶ。
障害のある子が特別支援学校や特別支援学級に入るプロセスのことを「就学相談」や「就学指導」などといった呼び方をする。
おおまかなプロセスとしては
①幼児期からの発達の様子を見て、幼稚園や保育園などから声がかかる、あるいは小学校入学前にある就学時検診における知能検査などの結果を見て、もしくは小学校、中学校在学中に随時学校や教育委員会から就学指導を薦められる。
③発達検査の結果から、教育委員会の人などがその子にあった判定を下す。
④次年度以降、③で出た判定の進路へ進む。
といった流れである。だが、保護者はこのプロセス中いつでもキャンセルができる。保護者が嫌がれば就学指導は中止され、自動的に普通の公立校、普通の学級に行くことになる。また、③で特別支援学校判定が出たとしても「普通の公立校の支援学級ならギリ許すけど特別支援学校はお断り」みたいなパターンもある。というかこのパターンは割とよくある。(普通の学校の支援学級在籍者のうち、体感1〜2割はそれ)
ここで曲者なのは「保護者の意向次第でいつでもやめられる」ということ。冒頭で示したように、自分の子が障害があると認めたくない人や偏見を持っている人は、そもそも就学指導の話を持ちかけられた時点でブチギレる。プロセスの途中でも、他所から変な知識を入れ知恵されて突然やめたりする。そうなるともうお手上げである。冒頭の黒ポチ3つめのパターンも厄介といえば厄介だが、子供のヤバさに気づいてくれたら考え直してくれることがよくある気がする。(まあ気づくまでに何年もかかって、結果勉強の理解は同学年の子より遥かに遅れて取り返しがつかなくなっている事が多いのだが。)
もう一度問うが、無理矢理普通の学校、普通の学級に行かせることが子供のためになっているのだろうか?
就学指導で「貴方の子は特別支援学校判定です」と言われたということは「お前の子はバカなガイジなんだ」と言われてるように捉えるかもしれないが、そうではない。その子は特別支援学校で学ぶことが合っているというだけの話である。それによって何ら人格が貶められることはないし、就学相談に携わる人間は誰もそんなこと思ってない。
環境の面でも大きな違いがある。小学校ではクラスの定員は35人だが、支援学級なら8人、支援学校なら6人である。ちょっと考える頭があれば、これだけで雲泥の差とわかるだろう。さらに、支援学校は担任が2名になる場合もある。また、学校の設備面でも、当然普通学校と比べ遥かに充実している。教員免許も特別支援学校用の免許のため、専門的な知識を身につけた教員ばかりなのである。(当たり前だが、普通の小学校には小学校教員の免許しかない人だって当然いるのだ。)どちらで学ぶことが、子供本人のためになるだろうか、子供本人の成長につながるだろうか。
更に言えば、障害のある子供の将来に関してもやはり特別支援学校にはアドバンテージがある。特別支援学校では「作業学習」という時間があり、職業訓練のような事もする。また、特別支援学校であれば、障害のある人でも就職し給料を稼ぐことのできる職場とのコネクションもある。普通校では作業学習の時間はないし、就職支援でだって特別支援学校の専門性には敵わないだろう。
長くツラツラと書いてしまったが、世の保護者に言いたい。自分の子に障害があり、特別支援学校や特別支援学級で学ぶことを薦められたら、どうかその通りにしてあげてほしい。教育や発達に関してある程度知見を持った人が何人も集まってそういった判断を下しているので、それを無視して無理矢理普通のクラスで学ばせることは、本当に子供のためにならない。親のエゴでしかない。親のエゴで普通学級に入り、理解が難しい授業を一日6時間聞き続ける生活を何年も強要しないでやってほしい。その結果(必ずしもこうなるというわけではないが、一例として)小5小6や中学生になっても九九の3の段も言えなかったり、小3になってもひらがなの50音が読めないような子を生み出さないでやってほしい。その子たちは、その子たちにあった環境で勉強していれば、もっと伸びることができたかもしれないのだ。
親のエゴで普通の学校に通わされ、勉強が十分身に付かず年だけくって卒業していく子供のこれからの人生における苦労を考えると、気の毒としか言いようがない。
最近離婚して、母が一人暮らししていた実家に子供(幼児)と一緒に転がりこんだ。
元々母が嫌いだった。
関係が悪かったわけではないが、田舎の閉鎖的な考えを持つ母の考えが私には合わなかったのだ。
思えばその考えの背後にある60〜70歳くらいの世代が持つ価値観(専業主婦、体罰の肯定など)が嫌なのもあると思う。
だから結婚してからも連絡を避けていたし子育てにも関わらせないようにした。
しかし来ないでと言っても家に来るしやめてと言っても大量の好みでない衣類や食品など送ってくる。
まあ年に数回だしガチ揉めするような事でもないので都度文句は言うが仕方ないものとして諦めていた。
そんなこんなで離婚したわけだが、離婚しても働いているので経済的には子供と2人で過ごせるし何もなければ家事もできる。
ただ、仕事してれば突発的な残業はあるし、自分が何かあった時に誰も子の面倒が見られなくなることも考えて泣く泣く実家に帰ることにした。
言い訳だが積極的にお願いしたのでなく帰ってこいと言うからお言葉に甘えたのである。強い心を持っていれば他の手段を考えたかもしれない。
実家に帰って数ヶ月が経つが、何が嫌かって子育てにめちゃくちゃ口を出してくる。なんなら私はママの代わりなのよなどと本当に言って育てている。
お前の子育てはなってない、子が可哀想などというニュアンスの文句を逐一言ってくるのである。
本当にありがたい話ではあるのだが、私は大体19時前に帰宅するのだが、そんなに遅い時間まで保育園まで預けるなんて可哀想と言って早い時間にお迎えに行って頂けるのである。
晩御飯も料理を別に作るなんて非効率と言って私と子供の分も作って頂けるのである。
そして休日には3人のお出かけの予定を入れてくる。嫌だというと、あなたは平日忙しいだろうから子供と2人で出かけてくるわ、などと言ってくる。
タンスに(好みでない)洋服も増えた。好きだったキャラクターものの服は小さかったから捨てたわよと言われて処分された。
母がタブレットよく分からないため好きだったアニメは見なくなり、図書館で借りてきた昔話などの絵本の話をするようになった。
間違った行動やきたない言葉はそういう事は恥ずかしいよと諭され、そして怒られ正しい行動言動に直される。
環境としては恵まれているかもしれないが、私はこんな暮らしがしたかったのではない。
仕事から急いで帰ってお迎えに行って、スーパーで一緒にお買い物してご飯作って洗濯してお風呂入れて寝る。朝も早起きしてご飯用意して保育園送って仕事行く。
子供にとってよかったかわからないが、自分で選んだことだし辛くはなかった。
自分で言うのもなんだがそれなりの大学に入りそれなりの会社に就職して、兄弟も同様なので子育てメソッドとしては間違いじゃないのかもしれない。
でも私がされて嫌だったことが子供に同じように行われているのが悲しい。
長くなるので具体的には書かないけど、私のいない所であれはダメこれはダメなどの価値観を押し付けられている。
母世代だと一緒に考えたり人の話を聞くなんてぬるい事はしないで理屈なく一方的に押し付けるのが普通なんだと思う。それは結論は間違ってなくても子供の何かを奪ってるように思うんだよね。
これもあまり書かないけど、当然やめて欲しい事は全部言っているが好きにやってた専業主婦が人の話など聞くわけもなく、意訳するとここは私の家でお前は居候でそんな偉そうな事を言えるのか?ということを言ってくる。
勝手に離婚した奴が面倒見てもらっておいてごちゃごちゃ言うなって意見はごもっともだしこの環境に感謝もしているが毎日あまりに辛い事が多くて嫌だ。
私が色んな思いを抱えて過ごした数年間はこんな日のためにあったのだろうか。
そして何のために働いているんだろう。
でも今3人の子供がいて、子どもが大好きで、子どもほど素晴らしいものはこの世にないとさえ思う。
親は楽しそうに子育てなんかしてなかった。
貧乏な親で、共働きで、いつも疲れていて、勉強でいい成績とることしか興味を持ってくれなかった。
私は有名大学に入って、読モやって、有名企業に就職した。バイトで稼いだ金でバックパックしたりもした。
それなのにいつも、心の中に「自分は役に立たない」「自分は邪魔もの」という思いがあった。
特に恋愛関係で、冷たかったり気に入らない態度をとられると話し合いや歩み寄りもできず、極端に攻撃的になるか連絡を一切取らないという方法をいつもとっていた。
今にして思えば、恋愛や友人関係がうまくいっているときは、子どもが親にするみたいに甘えた。顔を触ってみたり、わがままをいって甘えたり。
今子どもがいて、その行動の理由が分かる。私はずっと、親を探していた。
30歳になって、海外企業に転職して2年ほどたった時、自分の人生に飽きていることに気付いた。
もう遊びつくした。前頭葉の発達も止まって、みるものすべてが輝いていた季節は終わった。
保育園に預けて、なるべく子どもと過ごさないようにしようと思った。
それなのに、1人目が2歳くらいになってから、子どもがいかにまっすぐで真っ白で、これ以上ないほどの幸せと愛を呼び起こす存在なのかを知って、すっかり人生勧が変わってしまった。
きっと親も私と同じように愛情を十分に受けずに育ってきた。
愛情を受けないで育ったものは、それがなにかを知らずに生きる。
私はたまたま大学時代に教育心理学の授業で愛着障害という言葉に出会って、その時からやんわりと自分の育ちに違和感を持つことができた。
顔のかわいい、出来のいい子どもじゃないとほしくないという人。
ふっと心が別のだれかのためにつかわれてたがっていることに気付いたことはないか。
アイドルでもなく、ペットでもなく、宗教でもなく、ボランティアでもなく、
30も過ぎて親や生まれのせいにしてうまくいかないことを嘆くのは、自立してからの約10数年に何も積み上げませんでしたと言っているようなものだ。
親のせいにして子どもをためらっている人もう一度考えてほしい。
この世界のどんな友情も恋愛も、かかわればかかわるほど、愛が増す人間関係は存在しない。
大人の持っているエゴを大人自身に突き付け、自分に構え!とあらゆる手段で挑んでくる。
たくさんの愛情と献身、そんなことをやってるうちに、40を前にした今、自分の人生がだんだん空っぽになっていくのが分かる。
そしてその空の部分がとても気持ちがいい。
自分の欲望しかなかったその空間に、別の誰かが入ってくる余裕があるということ。
これほどに、年を取ることの意味があるだろうか。
もちろんとても大変だ。追いつめられたり、感情的になることだってある。
でも、それ以上にとても素晴らしい存在だ。
国際機関でも良い
障害児の親が大変とか親ガチャだとか、そんなん民間に任せてたら一生そうなるでしょ。障害児を産んだらなんでその家族が大変な思いをしなきゃいけないの?なんかその必然性説明できますかあんたたち?やっぱ家庭とは子供が育つ最小単位で〜ってやつ?壺ですか?
子育ての幸せとか障害児の育児が必ずしも苦痛ではないとか、そういう話でごまかすのやめよ。苦しんでる人達いるよ。成長しておじさんになった子供が暴れそうになるのを必死に止めながら外を歩いてる家族いるよ。それが幸せではないと決めつけるとこはもちろんできないけど、いいんだそういう視点で。
流石に遺伝子レベルの能力高低や出会う人による運ゲーは調整できないけど、少なくとも産まれる家・生まれる子によって誰もが人生左右されないように子供は国が育てるべきだとは思わんかね。
どうせ保育園の発達で育児と労働は交換されているんだから、それがまるごと交換されてもそれは「進化」だから大丈夫。
それとも家族がいないと仕事を頑張れないとか暴動起こしやすいとか思ってる?家族をそういう鎖みたいに扱うの感心しないな〜。それにじゃあ子供産まない人たちは?まさかそういう予備軍だって言いたいの?ちょっと信じられないな〜。
ひとりごとです。
自分は、生活している中でそこまで少子化を実感する場面がない(地域性によるところも大きいのだろうが)
勤務先ではチームメンバー(平均年齢30代前半、全員女性)の6割が子持ちで、学生時代からの友人たちは1年に3人くらい出産している。
近所のスーパーでもドラッグストアでもホームセンターでも、必ず子連れのママさんパパさんを見かける。総人口の割に、市内に保育園幼稚園が多い。
夫婦ふたりの生活は楽しく毎日幸せ。夫は最高のパートナー。両実家との関係性も良好で全員健在。
高所得世帯ではないので頻繁な旅行や大きな買い物には手が出せないけれど、たまにお寿司が食べたいなと思ったら食べられるし、焼肉が食べたいなと思ったら食べられる。
昨年夫婦でブライダルチェックを受けてみたら結果は特に問題なく、医師からは妊活を希望すれば十分授かれる可能性があると言われた。
それでも「子供を産み育てること」については全然前向きになれないまま、結婚4年目を迎えた。
前向きになれない理由は他の方もこれまでたくさん述べていることがほとんどなので割愛するが、夫婦ともに同じような感じ。
私は今年33歳、夫は34歳になる。
最近の少子化対策に関するニュースを見ていて、この国が社会全体で目指そうとしているのは
「産みたい人にもっと産んでもらう」⇒「産めるかもしれない人にはもれなく産んでもらう」状態なんだろうな、と感じた。それくらい厳しい状況なのだと無知な自分でも分かった。
同時に罪悪感を抱いた。産めるかもしれないのに産んでいなくて申し訳ないです。そんな気持ちにはなりたくなかったのだけれど。
この時代に子供を産み育てている方たちのことを心から尊敬している。
身近な人に自分が力を貸せることがあったらしてあげたいし、子供を見かけたときはどうか幸せに健やかに育ってほしいといつも願っている。
経済的に2人目、3人目を諦めているといった話もたくさん聞くので、そういう人たちには国がじゃんじゃん投資してほしい。
行政による子育て世帯へのサポートは手厚くしてほしい。そのために私が今働いて納めている税金も役立ててほしいと思う。
2年後、3年後、5年後… 夫婦ふたりで穏やかな生活を続けているのか。はたまた、何かのきっかけで子供を産み育てていたりするのだろうか。
家族は夫一人、未就学児の息子一人、今現在はフルタイムで働いている。
ずっと子どもなんて欲しくなくて、結婚しても欲しくなくて、夫と二人であちこち旅行に行ったり美味しいものを食べたり、楽しく暮らしていた。
子どもがいてもいいかもな、と思ったのは三十代になってから、就職した時からすごく良くしてくれていた上司が倒れて、ふと、このままずっと同じようには暮らしていけないんだなと気づいた時だった。三十代になって年齢的なこともあったんだと思う。先のことを考えた。あと四十年、五十年、生きられるとして、このままどうやってやり過ごして行けばいいんだろう? このまま楽しく暮らしていくことはできると思う。だけど、変わらないことを願いながら生きるにはこの先があまりにも長い。そう思って子どものことを考えた。そしてそう、夫と話をしたら、ちょうど夫も似たようなことを考えているところだった。
そしてなんやかんやで子どもが生まれて、本当に、幸い、運よく元気にすくすく育っている。歩いているのを横で見ているだけで、びっくりするほど掛け値なしに可愛い。
もちろん、心配なことはいっぱいある。この先の日本で大人になるこの子は、大変だと思う。まあ、自分たちの世代くらいまでいなくなったら楽になるかもと楽観的に思ったりもする。ままならないこともたくさんある。喧嘩なんかしたこともなかった夫と喧嘩することもある。保育園に通わせはじめて、自分が「学校」が大嫌いだったことも思い出した。友達の誘いを断るしかなくて、気を遣われているなと思うことがある。大好きだった仕事でも迷惑かけている。風邪ひくことも増えた。自由に辛い物も食べられない。旅行も好き勝手は行けない。
だけど、私は、子どもがいてよかった。
子どもと一緒に道を歩く。保育園の帰りに公園に行く。生えている草を見る。だんごむしを探す。一緒に鉄棒をする。ベランダで星を数える。家で子どもの好きな食べ物を作る。スーパーでたくさん牛乳を買う。どうしても、時折、自分の子供の頃のことを重ねあわせる。母親のことを思い出す。父親のことを思い出す。子供の頃好きだった本のページ。つまみ食いしたご飯。長靴で泥濘を歩く感覚。母親を呼ぶ自分の声。ずっと忘れていたそういうことを一つ一つ思い出すたびに、震える。驚きと、そしてたぶん嬉しいのだと思う。自分は親から、たくさんのものを貰っていたと、やっと気づけた気がする。これは辛い人には辛いことだと思う。だけど私にはとても大事な気づきだった。
十代の頃に読んだドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟の一節を思い出した。
何かよい思い出、とくに子ども時代の、両親といっしょに暮らした時代の思い出ほど、その後の一生にとって大切で、力強くて、健全で、有益なものはないのです。(中略)自分たちが生きていくなかで、そうした思い出をたくさんあつめれば、人は一生、救われるのです。もしも、自分たちの心に、たとえひとつでもよい思い出が残っていれば、いつかはそれがぼくらを救ってくれるのです。
思春期に拗らせていた私と同じように、息子も生まれてこなければよかったと思う日が来るかもしれない。私も子どもの反抗期に泣くかも。大っ嫌いだと言われるかも。何にせよ、ずっと心配し続けるのかもしれない。夫だって同じだ。どうしたってきっと私も最後は一人で死ぬ。
そう言えば、阿佐ヶ谷姉妹の「私たちにとって仕事は思い出作り」という言葉が好きだった。
勝手に言葉を広げてしまうが、生きることも全部思い出作りだとするならば。
私は子供ができたことで、きっとこの先もこの瞬間を思い出して生きていけるだろうと思うことがたくさんできた。夫と息子が笑い合っている写真を何度も見ている。こうした思い出をたくさん集めて、この先も、私は救われるんだと思う。
子どもがいない選択が最高みたいなのが最近よく流れてくるので、反対に子どもがいる人生を歩んでいる私の話。
今現在は30代。
何故子を儲けようと思ったのかと言えば、“愛する人と結婚したら子どもを産み育てる”というのが生きとし生けるものという認識だったから。
そんなありきたりな話。
(もうこの認識も、既に一昔前なんだろう)
自分は父や母のようになりたかったし、父や母のような家族を持ちたいと思った。
そう、私は家大好き人間であった。
美味しいものを食べて、温かいお風呂に入って、家族みんなでゲームしたり一日の話をしたりして過ごす。
ぬくぬくいつまでも入れるぬるま湯状態で過ごせる身分であったのが大きいのかも知れない。
実際生まれてきた赤子を見た瞬間には
「なんて大変なことをしてしまったんだろう!」
と思ったけれど。
一生守り続ける、と強く誓ったもの。
子どもとは〜赤子とは〜という育児予備知識入れていたが、そんなもの外れていくのが子育て。
すっかり推しの出ているテレビはリアルタイムでは見えなくなったし、コンサートライブに参加できるようになったのは卒乳後。
ファッションには疎くなったし、行くところはすべてショッピングモールで完結。
(スーパー、子ども用品、ファッション、日用品、ドラッグストア、飲食店、遊び場まであるショッピングモールはなんて素晴らしいと思ったか)
ガチャガチャの出費は嵩む。
ちなみに仕事は職場にとても恵まれ、コロナ禍もあり基本リモートワークの職。
子の体調不良時は保育園に通園できないため、自宅保育しつつの仕事になるが業務調整が効くの一人仕事なのでそこがとても良かった。
夫は急な欠勤は難しいものの、18時台には必ず帰ってくる。
(余談だが、夫婦で小遣い制。家計簿アプリで通帳やカード履歴の見える化をしている。)
付き合いが長かったのもあるが、お互いに何でも言い合えて揉め事があれば話し合いからの妥協も含めて改善できる。
今では、どちらかが子どもに構えばどちらかは家事をする、そんな分担ができているから不満もない。
寝かしつけで寝落ちしたら、その後の処理を完璧にやってくれる夫は最高である。
保育園は有給時のリフレッシュ保育を可能としていて、夫婦で有給取得してレストランランチに出掛けることもできる。
休日はワンオペ可能な夫に任せて友達と遊びに行ったり、美容に金をかけることもできる。
思えば実家の家族全員集まって揃ってBBQもしたり、お祭りに行ったり、水族館動物園に行ったり、ご飯に行ったり、旅行にも行った。
たぶん、大人になって自分の親とBBQするなんてことは子どもがいないとしないだろうな…と考える。
子どもがいたらできないこと、というのはあるだろう。
100%自分に注ぐことはできないけれど(それに粗相をしないか周囲の目は必ず気になってくるし)、それでも子どもがいてとてもとても幸せだとは言える。
私自身「生まれてこなきゃ良かった」なんて思ったことがないからかも。
Twitterの愚痴を見て、「私って恵まれてるな…」と感じることが多い。
義実家も優しくサポートもしてくれるし、実家は最高だし、夫も書いた通り何も言うこともない!
結婚する人、しない人。
子ども産む人、産まない人。
いろんな人がいて良いと思う。
子どもを産む、育てるは大変。
大変ではあるんだけど、Twitterで見るマイナスばかり目立ってしまうから書きたかった。
以上!
妻がめちゃくちゃコミュ力高そう
保育園に入りやすくなったのは保育園を増やす政策の結果が出始めていたところにコロナで出生数が減ったからだよな。預けたい側にはありがたいことだけどあまり喜べることでもない。
私はそこそこ年かさのパパで、就学前の子供一人と社会人としても家庭人としても優秀な妻の3人で暮らしている。
子供を持つ喜びがネットであまり共有されていないのがもどかしい。
子育てについて、よく把握しないまま否定しているような意見まで見るようになり、残念な気分になった。
そこで我が子を育てる中で感じている喜びを紹介したいと思う。
うちの子は、保育園のお迎えや、仕事からの帰宅でパパが来たのを知ると全力の笑顔とダッシュでつっこんでくる。
承認欲求と言うとなんだか下品な感じがするけれど、この誇らしい気分は悪くない。
結婚も家族が増えるという点では同じだが、また違う良さがある。
うまく伝えるのは難しいのだけれど…たとえば照明に例えよう。
結婚後、妻を見ると蛍光灯が灯るように、一拍おいて心が明るくなった。こんな体験は今までなかったので、結婚はすごい…家にいるだけで毎日新鮮で、修学旅行みたいだな…と思ったものだ。
ところが、子供が生まれたあとの喜びは、もう自分が経験したことのないほどの強烈な喜びを感じる。
子供を見ると、瞬時に天井いっぱいのLED照明が点灯され、多幸感が落ちてくるイメージだ。
そんなに愛おしい子供が、一人でできることが増えたり、同い年の子が苦手にするような野菜をパクパク食べたりしたら、どれだけ誇らしい、幸せな気分になれるか!
生理的な影響もあると思う。
子供を腕に抱きながら寝ると、寝覚めのときに、満たされた気持ちで起床することになる。
おそらくオキシトシンか何かがドバっと分泌されているのではないか。個人の感想だけど。
子育てをしていると親のネットワークができ、連絡先を交換することになる。
私の妻は素晴らしいママ友ネットワークを築いている。彼女には感心させられることが多いのだが、結婚後最もすごいと感じたのは、このママ友ネットワーク構築の実績だ。子供が生まれる前は近所付き合いなんて皆無だったのに!
妻の1/10も真似できていないが、コミュ障、陰キャの私でもご近所と多少は知り合えた。子供と、模範をみせてくれた妻のおかげだ。
私は妻と子のおかげで、今の街に根を下ろすことができたと思う。
我が子が知識や道徳を習得していくプロセスに寄り添うことで、人という生き物への理解が深まった気がする。
仕事でもプライベートでも、他者に対する感じ方がかなり変わった。
それから、フィクションで人が死ぬのを見ると、苦しくなるようになった。人の命の大切さを知ったと言えるかもしれない。
だが、消費する喜びや趣味を生きがいに生きていく、という人には、オタクで趣味に没頭して生きてきた私から言わせると、ちょっと待ってほしい、という感じだ。
個人的な感想になってしまうが、買い物ならば、子供のための買い物のほうがより楽しい。
おもちゃを手にとって、うれしいな、うれしいなと感激している子を見る満足感。このおもちゃを通して、何か新しいものを学んでいくという期待感。
子供が初見のものに感動するたびに、愛おしくて抱きしめたくなる。
子供がプラレール沼、レゴ沼、ロボットアニメ沼に落ちるたびに、親である私も一緒になって楽しんでいる。
人生の酸いも甘いも噛み分けたはずのジジババが、親が反対しても際限なくオモチャを買い与えようとするのは何故か?
まず、こんなに楽しい自分の子育てのために、公費でタダ同然の保育所、無償の医療が提供されるのはすごいことだ。
そして今の保育の充実ぶりは、質・量共にすばらしい。
保育所に入れないという話も聞かなくなった。昔は本当にひどかったようだが・・・
近隣の認可保育所は活動も食事も自宅育児では全く実現できないほどクオリティが高い。
私は日本での子育てがそこまでハードだとは思わない。成人してからの失業も少なく、子供が犯罪にかかわるリスクも低い。
金銭の問題はつきまとうが、行政も遊んでいるわけではないので、基本的になんとかなるように設計されている。
子育ての喜びを知らないまま年齢を重ねるのは機会損失につながる。
若い人にはライフプランについてよく考え、勇気を持って人生の方向を選んでほしい。
親子というのは離れがたい関係なので、障害など、困難な問題が起きてもそこから逃げられないというのはある。
世の中には子供が居るのに家庭をぶっ壊したり、子供に加害する人も居るのは事実。まったく理解できない世界だが、私が感じるようなバラ色の状態だけではないんだな…
長時間残業、長距離通勤、介護などで時間が無い場合は育児の困難さはかなり上がると思う。
キャリアも犠牲になると思う。我が家は夫婦ともにそこは受け入れているが。
いろんな立ち位置の人がいると思うけど、みなさんありがとうございます。
この界隈で見かけない意見を言語化できて、誰かの役に立てたなら嬉しいな。
説明したいと言いつつ、人によっては表現が伝わりづらかったなと思う。
ごめんなさい。
愛情で繋がっている嬉しさって言葉にしにくいということなのかもしれない。
大事なことを書き忘れた。
世界で一番かわいいママがいて嬉しい、なんでも知ってるパパ大好き、と…俺の息子…天使みたいに笑って…
彼はハッピーボーイなんだよ。そりゃ嬉しい。
いっぱいやってるよ!以上。
家事にからめて妻自慢をさせてもらうと、うちの妻の食事を作るスピードは半端ない。
省力化しつつ爆速で食事を用意する彼女は、キッチンという戦場を駆け抜ける疾風ウォルフだ。
私は高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に余った食材を組み合わせて使い切るタイプ。
とにかく時間
・土日に休めない
子供に張り付き、溜まった家事をすると休日さのほうが疲れる気がする。楽しい時間で体力消耗してるから良いような、良くないような。
我が家は語りかけ育児を信奉していて、家で子供を放置してしまうときは焦る。過保護かな。
・仕事への関心が薄くなる
心を広く持てるようになったような気もするが…
これ以外は人によって違うかな。
パパ友ママ友がみんな素晴らしい人なんだ。不思議。こわ有り難い。
子供は離れていくだろうし、ある意味犬を飼うより賞味期限の短い時間かもね。しらんけど。
>コミュ障、陰キャの私でも多少の知り合いができた。これもバイクのおかげだ。
ここリアルだな。
都内在住
実用性観点から嫁にノアヴォクを猛プッシュされているがどうしてもミニバンは好きになれない
2ドアは諦めるにしてもクロストレックあたりじゃダメかなぁ・・・
ちなみに嫁がノアヴォク推しなのは単に最初に試乗したのがノアヴォクだっただけ(BRZと比較したらそりゃそうなる・・・)で主張としては以下の二点と理解している
まあミニバンの形が嫌いで愚痴ってはみたけど、実用性に関しては増田自身スライドドアが一番だろうと考えているところはある
とはいえ狭い駐車場の場合は広いとこ移動してから嫁と子供乗り降りさせれば・・・という思いもあり一応SUVも候補に入れているけど、ミニバンよりはマシってだけでどうしても乗りたいSUVがあるわけでもない(別にスバリストではない)ので、十中八九ヴォクシーかフリード辺りに落ち着きそうだと考えている
アルヴェルは絶対にないです
主に子育て世帯、ママさんたちからはスライド以外ありえないといった論調の声が多数で、やはり実用性はスライドドアなんだろうなという思いを強くした
一方で、増田にとって車は日常の足ではないし、おそらくそれは子供が生まれてからも変わらない(嫁は免許すら持っていない)
保育園への車送迎なんて禁止だろうし、最寄り駅までなら歩いた方が早い住環境であり、あくまでも晴れた土日のレジャー用途
と考えると別にそこまで実用性に振る必要ないという意見も魅力的に映る
何より走行安定性とか側面からの衝突安全性は増田も懸念事項なんだよなぁ
BRZなんて乗ってていうのもなんだが、どれだけ気を付けていても避けられない交通事故ってのはあるものと理解しているし、万が一の時のことを考えるとヒンジ式の4ドアも積極的に選択肢に入れてもいいのかなと感じた
スライドドアなんていらんかったわw
でも、4ドアは本当に便利
◎子供産まなくてよかったです、マジで anond:20230604131352
◎20代既婚女だけど子供は産まないと思う anond:20230606154326
40代(氷河期世代ということなのでおそらく)と20代の話を、上記、それぞれ見かけたので、30代の自分の話を書く。
「わざわざ言うな」みたいな、気に食わない意見は口封じしとけなニュアンスのブコメが気に食わないので、わざわざ書いておく。
自分は30代中盤女性、そこまで稼いでいるわけではないが、お金に困るほどではない。数年来の同居人がいてそちらも働いている。
自分は婚姻制度が好きではないので、一緒に住んでいるが結婚もしていないし子どももいない。
自分が直接言われたことは無い(多分)が、同居人は「女性はそのうち絶対結婚したがるし絶対子どもを産みたがる」と言われてくることが度々ある。
これは元記事へのコメントにも散見されたけど、他人を不安にさせる呪いだよね。
まあ実際未来のことはまあわからないので、そういうこともあるかもしれないが、少なくとも今までの自分には全くその気配がないので、似たような肌感で生きている人は安心してほしい。
子ども産めるギリギリの年齢に差し掛かっても別に産みたくはならないです。
まあ、もともとそういう欲求はないし、現状の日本の状況を考えると生む意味がわからんまである。
なぜわざわざ見えている苦労を買わなければいけないのだろう。
兄弟の子ども(甥や姪)は別に嫌いではないが、たまに会う程度でいいな・・・という感じ。
彼らのために納税等はちゃんとしていこうという気持ちはある程度。
「産んでみないとわからない」みたいな話もあるが、なんでそんな不確実な博打(しかも命がかかっている)を打とうと思うのか?
生んでみて可愛くなかったら地獄だし、自分が絶望している世界に自分が愛する子どもを産み落とすのもそれはそれで地獄だし誠実ではないと思う。
自分が世界に絶望しているのは枝葉末節なので省くが、単純に今の日本は子どもを産みたくならないと客観的に見ても思う。
経済成長もしないし、だから給料も上がらないし、でも養育費は高くなるばかりだし、子どもを社会で育てようとしているそぶりもあんまり無いし。
というか、これだけ元記事がバッシングされているというのは、結婚して子どもを育てた/育てている人たちは、損をしていると自分で思っているのではないのだろうか。
(なんなら、産んでよかった!みたいな投稿で埋まっていて欲しかった・・・ )
子ども持ってないのに元記事を叩いているのであれば、お前は何を言っているんだ状態だし。
子どもを産んでいる兄弟や知人には悪いが、そこで苦労しているのを見ていると、やはり子どもは生まなくていいな、となる。
「保育園落ちた、日本死ね」みたいな状況は実際に日常にあるのだ。
キャリアも断たれがちだし妊娠出産で命の危険もある。無痛分娩バッシングもまだある。
苦労する方へ苦労する方へ進むことを誰がやりたいと思うのだろうか。
現状のままでいくと、あと数年してもう子ども確実に産まない(産めない)だろという年齢になったら、自分も「子ども産まなくて良かった」と言っていると思う。
生んだほうがよかった、と後悔させてくれる社会になってくれていることを願っていますが。
>結果、無言で産まなくなる。
保育園落ちた日本死ね!!! https://anond.hatelabo.jp/20160215171759
は明白なクレームですね。
元増田が「お前らは公園の隣に住んでるわけじゃないだろ」ってんで実際公園の隣に住んでる俺が来ましたよ。
それもめちゃくちゃ利用されてる公園の隣。とにかくずっとうるせえ公園の隣。
朝早くから年寄りがラジオ体操の音楽をガンガンかける。その後は犬がやたら散歩しに来てワンワン吠える。それが終わると乳児連れの奥様の社交場と化す。近くの保育園からカートに乗った園児も参入。小学校が終われば一番うるせえ時間だ。なんせ遊具が豪華だから小学生に大人気。あいつら毎日毎日はしゃいで泣いて絶叫する。遅くなったら増田の悩みのトリガーになった十代のガキどもがたまる。一時期はバイクの連中が溜まってブンブンいわして、それは流石に通報されたみたいで、警察が来て今は収まってるけどな、今でも夜中までガキどもはいるよ。
でも俺がイライラしてどうしようもなかったのはバイクだけ。夜中に静かにしてくれりゃいいのよ。
俺は心の広い人間じゃない。虫の居所が悪いと些細なことで腹を立てる。でも公園の音には、夜中のバイク以外でイラついたことはない。どいつもこいつも楽しそうで何よりだと思う。年寄りは体操して健康でいろ、犬はよく散歩さしてもらえ、子どもは遊んででかくなれ、悪ガキはほどほどに青春しとけ。珍走団は失せろ。
なあ元増田、あんた何かもの凄い我慢してることあるんじゃないか。公園の騒音の他に。
俺の身内でやっぱり子どもの声がうるさいってんでクレーマーになったのがいる。あと会社の知り合いに一人。
そいつらの近所はうちよりどう考えても静かなんだ。身内のほうなんか小学校が近くにあるだけなんだぜ。
その身内は三十過ぎからやたらイライラするようになって四十路になるころにはすっかり性格変わった感じなんだよ。これは偏見かもだけど、独身女でずっと不倫してて自分はそれでいいって言い張ってたんだけどよくはなかったんじゃないかと俺は思ってる。もう一人は細かいこと知らんけど会社でも難癖つけるんで有名で、役所へのクレームは武勇伝的に喋ってたらしい。こいつは男で、突然怒鳴ったりするんで評判悪い。
この二人は独身だ。で、独身だからクレーマーになったわけじゃないと思う。人生が上手くいかなくて、何かもの凄い我慢してて、それが解決する見通しが立たなくなった時、公園の騒音がダメになったんだと思う。神経ってそういう具合にできてんじゃないかと俺は思う。
俺だって人生バラ色じゃない。どっちかっていうと灰色。でも少なくとも俺は自分の不満を誤魔化さなかった。「自分はこれでいいんだ、これを望んでいるんだ」とか言わなかった。だから俺の耳は公園の騒音を聞き流すんじゃないか。
なあ、元増田。俺はお前より上等な人間ではまったくない。お前のほうがきっと優しくていい奴だ。だから他人のために何か飲み込んで自分の気持ちを誤魔化してることないか。そいつがお前の耳に悪さしてることないか。
今朝から軽い腹痛はあったものの、薬飲んで行こうと思えば全然行けるレベルではあったけど、会社まで行く気力が出なくて、今日は体調不良で休ませてくださいと連絡した。
先週から子供(1歳と5歳)が相次いで発熱し、在宅勤務とかしつつなんとかこなしてたのだが、丸一日子供を見つつ仕事というのは不可能に近いし精神をゴリゴリ削られる。家も荒れるし諸々雑務も溜まるし、仕事も何一つ片付いてないのに夜には疲労困憊。
という感じだったので、本当は今日は出勤して仕事を進めたかったのだが、どうにもしんどくて休んでしまった。
家でできる仕事もあったけど、結局スマホで漫画読んだり、アマプラで映画見たり、昼寝したりしてダラダラ過ごした。
日中はそれでよかったけど、5時には保育園のお迎えに行き、何が気に入らなかったのか帰宅してから1時間半ずーっとギャン泣きの1歳&私の膝に座ってアーンしてもらわないとご飯を食べない5歳、で振り出しに戻るという感じ。
有給取得はズル休みではないよな…と思いつつ、それほどでもないのに体調不良カードを使ってしまった罪悪感もあって、なんというか、生きづらい。