はてなキーワード: スーパーマンとは
最近読んで印象的だったのはジェフリー・ダーマーの記事
別に読んだからといって犯人の動機とか心情が理解できるわけじゃないけど、事実は小説より奇なりを地で行くというか、自分の想像を越えた凄惨な事件が起きてるんだなって怖いものみたさというか好奇心で読み進めちゃう
ジェフリー・ダーマーも結構映像化されてるみたいだけど、ロス・リンチが主演で高校時代を描いたマイ・フレンド・ダーマーって映画観てみたいなって思った
YouTubeに上がってたトーキング・ヘッズのサイコ・キラーに載せて作られた映像も良かった
https://youtu.be/CKti7QixnJI?si=wlWHnU8wh-t700YJ
ジェイク・ギレンホールとロバート・ダウニー・Jrとマーク・ラファロとマーベル映画と見まごうキャスティングだったけど、消化不良なラストが後味の悪さもありつつ想像を掻き立てて印象深かった
実在の事件を題材にしたやつだと、スーパーマンのテレビドラマで主演を務めたジョージ・リーヴスの死に迫るハリウッドランドも良かった
“女性起業家の半数がセクハラ被害” スタートアップ業界で何が - 性暴力を考える - NHK みんなでプラス
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nhk.or.jp/minplus/0026/topic132.html
本件、一部ブコメの知らないっぷりが割とすごくてで驚いたので、知ってることだけだけど注釈を。
【追記があります→https://anond.hatelabo.jp/20240830160254】
会社を新しく作ってその運転資金の一部を銀行などの金融機関から借りるというのは一般的で、最低限のお金なら今時はどこの銀行も貸してくれる。しかし一方で、幅広く新規開発をしたい、広く実証実験したい、事業を拡大したいなど、そこそこ大きい資金が必要になった時に、担保もなしに新しい会社にノンリコースローン付けてくれる金融機関はあんまりほとんどない。
これは一つには、都市銀行などには「その新規事業の事業計画が成功を期待できるものかどうか」を判断する能力がないから、という理由が大きい。銀行は30年間で事業の質や領域がシュリンクし続けていて「これまで取引のある企業へ手堅い資金融資しかできない」状態が長く続いている。不動産などの分かり易い担保があれば別だがスタートアップに億を超える融資はまずしてくれない。失われた20年はデカかった。
ryun_ryun なんで謎の投資家にみんな頼るのだろう?金融機関に頼ればいいのに。博打にリスクは当然では
tikuwa_ore 真っ当なトコからお金を借りられない人が、個人投資家の懐を当てにしたら代価を要求されたってだけの話。そも借りた後で要求されたのならセクハラだが、借りる前ならセクハラ成立してねえだろ。アホか。 繊細チンピラ これはひどい 社会 企業 うーん
上の2つのブコメ(代表して目についた2つだけ、ごめんね)は、この辺の資金調達の基本的なところが見えてない感じがある。まぁ調達や銀行との折衝なんて、それなりの会社でサラリーマンでお勤めだと全然見えないところなので、まぁ仕方ない。悪くないよ君たちは!知らなかっただけ!あ、でもid:tikuwa_ore さんのやつはちょっとあれだなセクハラは借りる前でもセクハラじゃないかな?「黙ってサせないと金出せないよ」って脅されるケースも有り得るわけで。
doroyamada 「○○業界のスタートアップ」はあっても「スタートアップ業界」というのはないのでは(金融業界内のサブ業界としてはあるかも)
miscmisc 正直どうでもいい。辞めて正解。おっさんに頼らなければいいだけの話。それにしても「スタートアップ業界」って何だよ。何の業界のスタートアップなんだよ。
2010年代までは孫さんや、ホリエモンさんや、ZOZO澤さんや、そういう「ひと財産築いた人」が投資家として、お気に入りの起業家や気になる業界好きな界隈などに投資していた時代。その流れを汲んで色んなスタートアップ企業が生まれたりジュっと消えたりしていったのだが、その波の中から「新しい事業を作る人や会社をサポートする」というショーバイが生まれた。銀行が不良債権をひーひー言いながら貸し剥がしたり税金で補填したり、貸し先に困って投資信託や保険商品を売らされて疲弊してた間に、「新しい事業が成功するかどうかを見極めつつ金を出す」仕事をする人は別の場所で別のショーバイクラスタ「スタートアップ業界」を作っていたというわけだ。
その人たちの内訳は、「成功した元スタートアップの実業家」だったり「コンサルファーム出身のやり手」 「コンサルファームのスタートアップ部門」だったり「大企業で何やら良く仕事ができていて独立したおじさん」だったり「元経産省の官僚」だったり「大企業の新規事業部門」だったり、まぁそういう人や企業たちだ。
id:miscmiscさんの「何の業界のスタートアップなんだよ」という問いはちょっと外れていて、どんな業界にもその業界から生まれるスタートアップがあるのだ。多くの場合、彼らは自分たちにとって明るい業界(孫さんならイットやDX、とか)の周りで、新しいビジネスを思いついた人に、お金を貸したり、事業がうまく行くように人脈を使って有益な会社を紹介したりといった「伴走業務」をする。金を貸したからには成功してもらわないと困るので「伴走業務」をする。この「金を貸しつつ事業成功に向けて伴走もする」ビジネスが要するにベンチャーキャピタル(VC)業である。本当は銀行の仕事のはずなのだが、前述のとおり銀行にもうそんな人材はいない。銀行に事業計画書を出しても収支表の足し算引き算が合ってるか確認する程度しかできない行員がほとんどなんだよね…。
id:doroyamadaさんの「金融業界のサブ業界」というのは割と合っているんだけど、今やもう少し複雑になっていて「ベンチャーキャピタルに金を出すファンド」があるのが一般的。銀行はスタートアップには直接の融資はせず、ベンチャーキャピタルに金を貸すわけでもなく、「ベンチャーキャピタルの資金をプールしてるファンド」に出資をする。銀行→ファンド→ベンチャーキャピタル→スタートアップ、という順番で金を調達するケースが増えている。
VCには、まぁ基本は専門色の強い人や成功者がいたり協力体制があったりするので、銀行は金を貸しやすい(実績があると稟議が通りやすいから)。またこの「VCの資金プールファンド」には銀行以外にも「そのギョーカイの老舗企業の新規事業部門が出資」とか、「その事業が成功すると潤う自治体が出資」ということも起こる。だからこそ「資金プールファンド」を作る意義があるとも言える。多様な人がステークホルダーになれるから。あとファンドを作っとくと資金使途の透明性が担保されやすくなるというメリットもある。
「スタートアップ業界」はこの5、6年で政策にもすっかり取り込まれていて「スタートアップを支援する場を作りました!」みたいなことを国や自治体や大学や大企業がやっている。
例えばこんなの
「内閣官房 スタートアップ育成ポータルサイト https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/su-portal/index.html」
「東京都スタートアップ・国際金融都市戦略室 https://www.startupandglobalfinancialcity.metro.tokyo.lg.jp/」
「起業・大学発ベンチャー支援 - 東京大学 産学協創推進本部 https://www.ducr.u-tokyo.ac.jp/activity/venture/index.html」」
このように、ベンチャーキャピタルは銀行などから金を調達し、「どのスタートアップに金を貸そうかな」というセレクションを行う。この辺でハラスメントが発生しやすくなるんじゃないかと思う。選ぶvs選ばれるの構図でスタートアップ側からしたら生殺与奪権を握られてるから。あとは、「新しいことに金を出す余裕があるのはおっさんだけ、それも過剰にバイタリティが有り余ってる(結果セクハラする人も混じっている)おっさんしかいない」というのも、まぁ遠因ではあるかもしれない。社会の構造はそんな簡単に変わらない。おっさんに頼らなきゃいいじゃんと言うが、おっさんしか金持ってる人間がいないのが現代の日本なのだから仕方ない。おっさんからは調達しなきゃいいというなら、おばはんに金を預けてくれよな!おばはんも人によってはセクハラするかもしれんけどな!
SanadaSatoshi スタートアップ界隈に顔を出す自称投資家は山師ペテン師も紛れてる。投資家ヅラしてるけど金持ってない奴もいる。そういう様子がおかしい奴の目的なんか分かったもんじゃないし、残念ながら排除する仕組みもない。
sionsou 陽キャがバンドマンやるのは女にモテてセックスしたいからって理由が9割と一緒で、陰キャもそうなれる可能性があるスタートアップも結局金儲けて権力と金でマウントしたいだけっていう。世の中のためなんて嘘だよ
この辺は、まぁ中にはそういう人はいるかなぁ…というのは正直あるけど、そんな屑ばっかりでも全然ない。多くのスタートアップは理系分野における新しい発見などがシーズになっていることも多く、そのシーズの研究の確実さや「稼げそうさ」をスーパーバイズしたり伴走したりできるのは、かなり深めの専門家、大学の先生や企業の研究所をあちこち渡り歩いてるスーパーマンだったりもする。更に「金勘定もできる人」なのだからもう頭が下がる。そういうデキオジたちはめっちゃ面白い人だらけだし、私の知ってる限りだけど皆さん愛妻家だったりすることが多いね。
knzm_img 意識の高そうなスタートアップやリベラルの連中も、金と権力を持った途端に性欲と支配欲に抗えないのは人間って感じがする。
これまで述べた通りで、スタートアップ界隈は「賢くて生臭い(稼ぎたい)」人たちの集まりなのは確かなので、むしろリベラルとは真逆な人がほとんど。
スタートアップ側がゆるふわSDGsな題目を唱えてたら鼻で笑いつつ「まぁゆるふわな方が話題にはなるかもねhahaha」って感じである。そしてスタートアップ側も意識の高さよりは稼ぎたさの方が大きい人の方が多いです。そりゃそうだよリスク取って稼ぎたいんだから。
■じゃあ起業家はどうしたらいいのか
一つは、上に上げたような、比較的公的セクターに近かったり堅そうな大企業が参画してるような「スタートアップコミュニティ」にコミットする、というのは大事だと思う。変なのにあたる確率を少しは下げられる。前述した通りシゴデキすぎて愉快おじさんたちもいるし、女性の伴走者も少数ながらいる。なによりも「コミュニティ」なので、それが大きいコミュニティなほど周囲の視線が気になるものなので。
あとはシンプルに「一人で誰かに会いに行かない」のも実は大事。たった一人でやってるんです、ということであれば、スタートアップコミュニティにはだいたいマネジャーなどの相談できる人がいるので、そういう悩みごと相談してもいいと思う。あとはたった一人ではできることは限られるから仲間を作ろう。
「変なのに近寄るから悪いんだ」的なブコメは完全なセカンドレイプで本当なら許せる発言ではないのだけれど、起業するというのは危険やリスクを取ってでもやりたいことがある・稼ぎたいネタがあるからなので、その勇気やパワーをセカンドレイプを糾弾に向けるなんてもったいないから、若い人はああいうのは無視しよう。
こうして見るとエヴァ以前の作品は哲学性の平均レベルが現在のアニメとは比べ物にならないぐらい幼い事がよく分かる。
エヴァが出る前にもイデオンのように哲学的な問いかけを投げかける作品があるにはあったけど、あれらが結果的にブレイクしてあとに続くものが出ることもなかったということがよく分かる。
せいぜいアメコミのスーパーマンと同じ程度にしか葛藤しない熱血ヒーローモノばかりであり、等身大の主人公が巨大な現実に立ち向かっていくダンテやゲーテのようなスタイルの作品はオタク界にはほとんどなかったと言えよう。
そこにエヴァが風穴を開け、そのあとをウテナが続いたことで、業界の中に様々な鬱アニメ・哲学アニメが溢れ出したことで混沌の時代が巻き起こり、そこを抜けた先でアニメ界全体の哲学レベルが二回りほど大きくなったわけだ。
機動戦士ガンダムのブームがヒーローモノの勧善懲悪に疑問を投げかけたように、エヴァンゲリオンという実験的アニメが業界に広げた波紋の大きさの強さが分かる。
この件は怖いことがあり過ぎてホラー。
山田さんというスーパーマンには感謝しかないけど、逆に言うと、なぜ問題が解消したのか? 山田さんが居なかったらどうなってたのか? クレカ会社の頼り切ってる状況が怖いと言われてるけど山田さん一人に頼り切ってる状況はなぜ怖くないのか…?
海外クレカ会社は何を恐れているのか? あるいはクレカ会社周辺の企業が恐れているのか? 海外での一件の裁判を恐れていると言う説がなぜ信じられてるのか? 海外クレカ会社が足並みを揃えてるように見えるのはなぜなのか? JCB なら安全となぜ言い切れるのか? JCB 安全神話を信じて安心していられる呑気さはどこから来るのか?
未成年を性的にまなざした絵画の何が悪いのか? 逆に何が悪くないと思われてるのか? 実際に及ぼす影響も、恐怖の影の大きさも不明。どうして大人を対象にしたエロは問題ないのか。実は戦いの前線に過ぎないのではないか。
そして、フランク・フラゼッタですよね
フラゼッタの絵に初めて出会ったのは小学生低学年ぐらいだったでしょうか
親戚からスーパーマンのアメコミをもらったりしたのが切っ掛けでした
ビキニアーマーどころかトップレスの女性が川で怪物たちから逃げているところを、筋肉ムキムキマンが救う、その彼の背中が強調された絵だったと思います
当時の私は大興奮でした
トップレスのねーちゃんにも大興奮でしたが、やっぱりムキムキマンの背中がいいですね
やはり、描いても楽しい題材です
そんな私も、今では立派なキモいデブのオッサンになってしまいました
余りの日本の夏の暑さに、クーラー稼働させつつも、パンツいっちょでキモいデブのオッサンが集合住宅の、この世界の片隅でひっそりと暮らしているのです
チャイムが鳴っても居留守を使うことが多いのですが、出たくてもいちいち服を着るのが面倒なんですよ
パンツいっちょで玄関に登場してもいい、なんならフルチンでもいい、というならやりますけど
スーパーやコンビニに買い物に行くのも億劫なんですよ、服着なければいけないから
パンツいっちょで買い物できる世の中にならないですかね
そういえば、中国のタワマンなんかは、寝間着とか着たままで外出するのがステータスだって聞いたことあります
要は、高級住宅街でも部屋着で歩けるぐらい、この世界は俺の室内なんだ、という主張がカッコイイといいますか
つまり、俺もパンツいっちょでスーパーで買い物するということは、中国流の金持ちアピールにもなるのではないか
いっそ、女性も下着でスーパーで買い物してもいいようにすれば、猛暑の日本の夏も快適になるのではないだろうか
下着は良くないですね、水着とかビキニアーマーとかがいいですね
日本の古来からの言い伝えに、パンツじゃないから恥ずかしくない、というのもありますし
トカゲ?に跨ったビキニアーマーのアラレちゃんの絵とかプラモもあった気がします
なんなら、自分が率先して手本になるべく、ビキニアーマーを装備して外出するのもいいかもしれません
男女平等の時代ですからね、男性がオッパイデュエルで勝つことだって時代としてはアリだと思うんですよね
実家に寄生しているタイプのこどおば、一人暮らしもせずだらだら実家で暮らしてたら気付いたら親が高齢者。で、外で転んで骨折して入院。事前準備なしに自炊生活に突入。
増田のスキルは米が炊けて味噌汁作れて枝豆茹でられるけど肉の調理はレシピ必要なレベル。
冷蔵庫に肉や野菜が買い溜めてあってなんとかする必要があり、とりあえず冷蔵庫の中身を確認しつつ1年以上の住民にご退去いただくなどで使い方の分からん肉を冷凍庫に移住させることに成功、親の退院まで問題を先送りする。
宅食(※最重要)を頼みつつ、冷凍庫行きにできない食材……使いかけや食べ残し、野菜などをなんとかするにあたり少し自炊した。
プロの料理増田がなんか言っていたが、急場(1ヶ月強)を凌ぐのに増田が使った調味料は4種類。
1.塩
→野菜茹でたり枝豆茹でたりマグロ解凍したり。ほうれん草と小松菜とブロッコリーとアスパラはとりあえず茹でて食う。
2.油
→フライパンと相入れないものの、どうしても肉の調理が発生するので炒め物するために油。我が家にあるのはサラダ油だった。テフロン加工? 知らん、多分ハゲてる
→だし巻き卵風のなにかが作れるプラ容器のやつ作るのに必要。あと我が家の味噌はだし入ってないタイプなので別で入れる必要がある
脳死で作れる唯一の手持ちレシピ、鍋にカット野菜(八宝菜用がおすすめ)とコンソメキューブ2つ入れて水ヒタヒタにして沸かしたら終わり、な野菜スープ用調味料。唯一の手持ちレシピというのは『親が二泊三日でお出掛け』『親が体調不良』みたいなときに何度でも縋りつく依存レシピなので常備必須だが、世間一般として常備すべきかと問われれば疑問。ヒガシマルのうどんスープの粉常備してる人とカテゴリ的には同じだと思う
おまけ。なくても大丈夫だが、ある方が自分に優しい調味料:5.醤油・6.マヨネーズ
→主に味のない食材にかけて食べる。醤油はおかずが思ったより味薄かったりした時にもかけるとなんとかしてくれるスーパーマン。マヨは生野菜を食う時に虚無(-_-)から美味しい(;ω;)にレベル上げしてくれる救世主
おまけ2。砂糖は実は使ったんだけど、パン作りに使ったので調味料というよりは材料。突発自炊としてはなくていける。パンは自分は普段はなんでもいいんだけど、親はショートニング嫌いなので退院直前のみホームベーカリーを稼働させた。バターがバカ高くてビックリした
『若者』じゃ駄目でしょ
中高年も含めて全ての国民の、だよ。
若者だけ経済状況がよくなったところで、中高年が冷遇される社会では将来への不安から老後に備えて溜め込むだけ。
蓮舫の選挙活動もそうだったけど、なんでこうも『若者』にこだわるのか。
なんで一人の人間の人生は連続したものであるという意識がないのか。
不思議でならない。
@RyuichiYoneyama
特別なものはありません。それが現実ですから。若者の経済状況を改善し、子育てし易い社会を創る取り組みを丁寧に積み重ねていくしかありません。しかし、多数の合意を得ながら弛まずそれを進めていく事は、誰にでもできる訳ではありません。政治家はスーパーマンではなく偉大なる実務家であるべきです
A. Honchan
@honchan320
·
18時間
返信先: @RyuichiYoneyamaさん
ワイもアナウンスが流れたら、すっくと立ち上がり
連結部分のトイレに姿を消すやで
お笑いコンビ「NON STYLE」の井上裕介(44)が26日、自身のX(旧ツイッター)を更新。新幹線に乗車していた際の出来事を明かした。
「新幹線に乗っていた」という井上。すると、「お客様の中に、お医者様、医療関係の方はいませんか?」というアナウンスが流れたという。
フィクションの世界ではよく登場するこの言葉だが、井上は「初めて聞いた」と驚き。「その後、僕の後ろの方の席の方が立ち上がり、指定の号車の方に歩いて行った。知識と技術で人を助けるスーパーマンに見えた」
担任教師とは、現代教育界におけるスーパーヒーローであり、彼らの役割はただ教室で教えるだけに留まらない。実のところ、担任教師はカウンセラー、社会福祉士、進路アドバイザーなど多岐にわたる役割を兼任する、福祉教育系の超上級職なのである。
担任教師は、生徒の悩みや問題に耳を傾けるカウンセラーとしての役割を果たす。恋愛問題から家庭内のトラブル、そして進路の悩みまで、何でも聞いてくれる。その相談内容はまるで有名芸能人のゴシップのように多岐にわたり、時にはドラマのような展開になることも。
生徒の家庭環境や社会的背景にも敏感な担任教師は、社会福祉士の役割も担っている。生徒の貧困問題や家庭内暴力、虐待などに対応するため、まるで敏腕探偵のように情報を収集し、適切な支援を行う。その対応力はまさに超人的で、地域の福祉機関との連携もスムーズにこなす。
生徒の将来についても担任教師は大きな役割を果たす。大学進学、就職、専門学校など、様々な進路の選択肢を提供し、その一つ一つに対して適切なアドバイスを行う。進路相談の際には、まるで株式アナリストのような情報収集能力を発揮し、最新の情報を提供する。
担任教師は、教育の正規過程を通っていないため、時には定石無視・法律無視も辞さない。そのため、彼らの行動はしばしば福祉教育界隈の特殊部隊と称される。彼らはルールや規範に縛られず、生徒のために全力を尽くす姿勢が求められる。
担任教師の一日は、朝の挨拶から始まり、授業、カウンセリング、福祉活動、進路指導と多忙を極める。まるで一人で何役もこなすスーパーマンのように、彼らは生徒のために日々奮闘しているのだ。
以上のように、担任教師は現代教育界における多才で多忙な超上級特殊職であり、その活躍はまさに教育界の縁の下の力持ちである。
コロンブスのアメリカ大陸500周年を記念した映画は1992年当時、すくなくとも2本公開されている。
1本は、元増田が書いてるリドリー・スコット監督の『1492 コロンブス』。(原題 “1492: Conquest of Paradise)”)
もう1本はジョン・グレン監督の『コロンブス』(原題 “Christopher Columbus: The Discovery”)。
ジョン・グレン監督というのは馴染みのない名前かもしれないが、1980年代から90年代の007シリーズを手掛けている人。
自分は見たのは前者(以下『1492』と略記)だけだが、後者(以下『コロンブス』)についてもいろいろ悪い意味で話題になってたよなあと思い出したので、wikipediaの英語版その他を手がかりに書いていく。正確性は必ずしも保証しない。
元増田は『1492』を“盛大にコケた”と評してたが、もっと目も当てられないコケ方というか、製作時点からトラブル続きだったのは後者の方。興行成績も『1492』のほうがよほどマシだったはず。
『コロンブス』は米・英・スペイン合作の、アメリカ大陸到達500周年記念大作として、スーパーマン・シリーズでも有名なサルキンド親子のプロデュースで動き出した企画だった。
実はリドスコ、こっちの監督としてオファーされていたのだが蹴ったあげく、ライバル作品である『1942』を監督を受けてしまう。
こっちのプロデューサーは当時は若手のフランス人で、脚本はその人の奥さんが書いてるのだが、たしか脚本に惚れ込んだとかいう話だった記憶が、うっすらあるような、ないような。
これが訴訟沙汰になってリドスコは訴えられてしまい『コロンブス』サイドによればリドスコ側が脚本のアイデアを盗んだとかなんとか。
脚本は似てないってことで損害賠償は認められなかったようだが、リドスコ版の原題が“Conquest of Paradise”となっていてコロンブスのコの字もないのは、そういう大人の事情が働いていたようだ。
『コロンブス』は大作にふさわしく、原案と脚本にマリオ・プーゾ(あのゴッド・ファーザーの)、キャストにはマーロン・ブランドも名を連ね、リドスコに蹴られた監督のオファーをまず受けたのは、イタリア出身のギリシャ人監督ジョージ・P・コスマトス。
っていわれても知らねえよってのが普通の反応だが、『カサンドラ・クロス』『ランボー怒りの脱出』『コブラ』等々の作品は知ってる人もそこそこいるか。
ところがこの人も、「創作上の相違」を理由に降板した上、製作サイドに訴訟を起こしており、あとを続くようにティモシー・ダルトン(4代目ジェームズ・ボンド)やイザベラ・ロッセリーニ(あのロッセリーニとイングリット・バーグマンの娘)も降板。
マーロン・ブランド(異端審問官役だったらしい)はクレジットの削除を要求したらしい。
詳細は不明だが、勝手に推測するに、“とにかく500周年に合せてデッカイ映画を!”が先走って、いろいろグチャグチャだったことがうかがえる。
映画自体は観てないから内容は知らないが、あらすじをみる限り、こちらはあくまで“アメリカ大陸到達まで”を描く娯楽大作だったようだ。
『1492』の方も見るには見たのだが記憶は曖昧だ。元増田同様、長くてつまんなかったというのは良く覚えてるけど。
ネットでいくつか感想や評のようなものを見かけたが、わりと人によって違う印象で、これはつまり、ダラダラ長い割に焦点の定まらない映画だったということかも。
ネットの情報を参考にしつつ自分の記憶とあわせて再構成してみると、
みたいな感じか。
で、当時たしか“なんだかコロさんがどういう人なのかも、監督がなにを言いたいのかよく分からん”と思った記憶がある。
山師なのか夢見がちなロマンチストなのか。結局は儲けたくて航海やってんのか。
いやまあ色んな面を持ってるのが人間だよねーで納得できる感じでもなかったと思う。
で、最後になんか取ってつけたように“人生にはロマンが必要だよね”みたいなこと言い出して、いや、これそういう映画だったっけ?みたいな。
コロンブスがきたせいで南米大変なことになっちゃったねー、それまで楽園みたいだったのに、ってのはかろうじて伝わったが。
もしかしたら当時、コロンブス像の転換というのが行われている最中で、それを反映していろいろ多面的な捉え方をしようとした脚本だったのかもしれないが、それが作品には投影されてなかったのだろう。多分。
まあ配信もされないってことは、もう歴史の闇に葬り去られていく映画なんだろうけど、あの年にコロンブス映画が失敗したことで、その後のエンタメのテーマとしてはとりあげにくくなったのかなぁ?という気はするな。
結論 コロンブスは鬼門なので安意にエンタメで扱わないほうが良い。
え?違う?
一見地味な貧乳女が頑張って基礎修業を続けた結果、世界最強クラスの猛者に混じって最強クラスを倒していく話。
「フリーレンはなあ、お前ら魔族が貴族っぽく暮らしてる間、毎日魔力を隠して過酷な頑張り、やってたんだよ!魔力出してんのか?漏れてるやつが、笑うな!」
みたいな流れで大体いつも倒すじゃん。
葬送のフリーレンの主な勝因:フリーレンの方が頑張っていたから
「頑張った奴に必ず結果が出るわけじゃないが。結果が出ているやつは、魔族以外は頑張ってる」
頑張ったので勝つ、頑張ってない奴は負けるの世界。
魔族も強い奴は頑張ってきたという背景があるから強い。
完全にはじめの一歩と同じ。
一見ニヒルで気取っている天才も、結局は毎日物凄く頑張ってるから強いっていう世界。
アメリカの場合は「生まれつきスーパーマンは強いけど、負けるとしたら使命を忘れるから。大いなる責任を自覚してる限り天才なスーパーヒーローは天才だから勝てる」みたいなのが流行る。
教授に言われた内容で十分にアカハラ判定されると思うので、時系列で整理して所属大学のしかるべき部署に行ってください。
教授と闘って勝とうと思うと、なかなか難しいかもしれませんが、研究室の変更だったら普通はやってくれると思います。
それと、追記を読みました。
教授の年齢は分かりませんが、昔は確かに大学進学率も今より低い上に、大学院まで進むのはごく少数だった時代があります。
そういう時代を生き残って大学教授になるということは能力も自信も人並み外れたものが要求された、みたいなところはあるかもしれません。
そう言う教授が、自分の学生に自分がやったのと同じようなハードな努力と才能を要求しがちである、と言うことはあります。
しかし、ここ20年は大学院も大衆化してきており、50%が大学に進学し、そのなかで理工系に限れば4割近く、全体でも1割強が大学院に進学する時代です。
ついでに言うと、政府はそれでも「国際競争を考えれば、近い将来に高度人材が足らなくなる」と悲鳴をあげているわけです。
(20世紀前半に活躍した科学者で科学論者であったJ.D.バナールは、いずれ働く人の3割が何らかの意味で科学者になると予言しました。荒唐無稽に感じるかもしれませんが、例えば「コンピューターを扱える」と言うのもバナールの時代を考えれば一種の科学者と見えるかもしれず、そんなに無茶なことでは無いのかもしれません)
こうした時代において「スーパーマン」だけを合格させては到底、大学に期待された役割を果たせませんし、合格させた以上はそれなりの経験なりスキルなりを身につけて社会に送り出す義務が、大学側にあるわけです。
「学費を払ったお客さんだから」とふんぞり帰って何かを与えられるのを待つと言うのも違うと思いますが、能力を悲観して要求すべきものを諦めてしまうのはもっと違うと思います。
せっかく、若い時期を何年か費やし、(多分)それなりの学費も払うわけですから、もっと自信を持って大学を有効活用することを考えてよろしいかと思います。