はてなキーワード: 経済的とは
で、具体的な被害者って誰なんですかね?法改正に必要な健康被害でも経済的損失でも名誉棄損でもいいですが一向に例示されないのは「お気持ち」だけで、被害者足るに必要な被害が示せないからなんですよね。別に現在の法律上問題なければーまでは言いません。外国人技能実習生とか具体的な被害者がいれば別だし、世論による動くべきと思います。
でも個人的に「気持ち悪い」と思う私が正しいから社会よ言うことを聞け、は困るんですよ。それって被害者じゃなくって、ただのわがままクレーマーです。思いやりゼロのクレーマーに勝手に世論代表されるのは迷惑だし、そうしたクレーマー行為の方が気持ち悪い。
正直私は別に萌え絵趣味じゃないので我が事ではないわけですが、私にも好きな表現だったり趣味があるわけで、そういうのを個人的な違和感やら「気持ち悪い」程度で規制されたりしてクリエイターに実害が及ぶのには反対です。それはあなたの中で解決してください(私や多くの人が何かしらそうしているように)。社会はあなたのゆりかごではない。
困ったなぁと思うけど
コードレスは一万円以上。
前と同じタイプは安いのだけどたぶん5年は持ったんで
経済的ではあった。紙パックは苦手なので
(すぐごみは捨てるのが好き)
だと欲しいのは一万五千円以上する。
2階用のがあるけどややごつくてあまり小回りが利かない
パワーはあるんだけど繊細な掃除が出来ない
狭い処にアプローチしてくれない。
やっぱり買うべきなんだろうな
喧嘩の原因は、やったやっていないという子供じみたことで、僕も間違ったことを認めたくないので、大抵はそのまま喧嘩になってしまう。僕は怒っても冷静なのだが、妻は怒ると蹴ってくるし叩いてくる。たまに包丁を持ち出して刺すふりをしてくる。僕には希死念慮があるので、包丁を持ち出されたときに刺さないでほしい旨をひっ迫した表情で伝えているが、内心はこれでやっと死ねる、とちょっと安堵していた、ということはここだけの秘密だ。さて、この暴力性については5年前くらいからやめてほしい旨は伝えているが、やっぱり直らないらしい。先月にも同じような衝動的な暴力が発生したときに簡単な誓約書を書かせた。内容は「次回、暴力をしたら夫の財産を受け取らずに離婚します」だ。
離婚をすることで、僕が受ける経済的不利益はおそらくごく僅かだと思うのだが、離婚の手続きがめんどくさい。親への報告とか数週間は仕事もだるくなるだろうし、年齢的にもこれから再婚するのもとてもめんどくさい。しかし話の通じない人間と同棲している自分へ反吐が出る。うーん、とにかく気が重いのだ。誰か僕を連れ去ってくれ。もしくは、このまま死んでしまいたい。
私は結婚しているけど、記事に共感できるし、妻も子どもは特に欲しくないと言っている。世の中の常識と個人の要求がマッチしてないことは何年も前から声があがってるし、常識に縛られないで自由に生きていって良いと思う。記事に何度も自分を卑下する表現が出てくることが気になった。おそらく、幼少期から自由に生きることを否定されてきたのではないだろうか。私もそうなんだけど、先人のアドバイスで役立ったものなんてほとんどなかった。もっと自分の好きに生きれば良かったと思う。実家に住むことは経済的に優れた判断だと思うし、もっと自信を持って良いと思う。普通に勤務して同人活動ができる活動力は素直に凄いと思う。
※ここでの「女装した変態」は、「女子トイレや女風呂に入るために女装してるやつ」を指しており、「女装家」「女装子」の意味ではありません。
トランス女性はトランス女性である。しかし、トランス女性と女装した変態は見分けがつかない(パス度の高さで見分けるのはただの差別である)。
そう言う話をすると、「いい外国人と悪い外国人は見た目で区別できないから、外国人は一律排除は無理なのと同じだろ」と言う話に持っていこうとするわけだ。
そうじゃない。いい外国人も悪い外国人も「外国人」であることに違いはないが、「女装した変態」は「トランス女性」ではない。
「女装した変態」と「トランス女性」が同じな点があるとすれば「(肉体の性別が)男」なことだけあって、「(肉体の性別が)男」である点だけで言えば、シス男性も同じだ。シス男性が「お前は男だから」という理由で女子トイレや女風呂に入れないことに反対する奴はいないだろう。
いい外国人と悪い外国人は「外国人」の中にいいやつと悪いやつがいるだけだか、「女子トイレや女風呂に入りたがる女装した変態」は「男」が「性犯罪をしたいがために」、「トランス女性」の存在を利用してるだけだ。
そんなものは許してはならない。
しかし、事実として「性自認を他人に認めてもらうのに医師の判断が必要ってのは違うんじゃないか」とか「経済的理由や医学的理由で適合手術が受けられないから、性自認と異なる施設を使えと言うのは人権侵害では」とか「見た目のパス度の高さで警戒心を変えるのは単純にルッキズム」とか、いろいろ問題があるわけだよね。
でも、「トランス女性と女装した変態の見分けがつかないから、女装した変態もとりあえず女の仲間に入れてやれ」ってのは、余りにも無茶が過ぎると思うよ。
あと、まあ、「パス度低めのトランス男性」とか「レズビアンの手術済みトランス女性」とか、そう言う人たちは「見た目が女だから、女の裸見放題でラッキーwww」みたいなこと言ってんだけど、なんでそう言う人たちが排除されないかって「5ちゃんとか二丁目とかでそう言ってるだけで、女性の前でそう言ってるわけではないから」「内心思ってるだけだから」なんだよね。性犯罪をしたら、それはそれで逮捕されるしね。
でも、「女装した変態」は性犯罪が目的で女装してるから、「言ってるだけ」「内心で思ってるだけ」じゃないんだよ。女装した時点で、性犯罪未遂くらいになってんだよ。そんな罪状はないし、そんなもんで逮捕出来るようになったらその方がおかしいけど。
とりあえず、「トランス女性を男性扱いするのはよくないが、かといってトランス女性を自称しただけで女性扱いも、それはそれで無理がある」ので、トランス女性の扱いより、トイレや風呂のシステムを変える方が優先だと思う。
女が頭悪いのではなくて男が生きていくのに上に立たれると困るから抑圧して勉強させないわけですよ。
だいたいの社会がそれなんですよ。
社会的に女性が強くなりすぎると狩猟本能での集団行動・利益活動つまり経済活動が衰退して円滑にできなくなるわけですね。
男性が無謀に考えないで野心的に利益を求める、下手な鉄砲かずうちゃ当たる、でみんながお金を欲して競争していたほうが経済は潤うわけです。
日本は女性の発言権、というよりも女性だけを保護する力が働きすぎていますし、
心強いと思う
優秀な人ほど未来をみているなあ
1950年代に描かれた手塚治虫の漫画「ジャングル大帝」の中で、動物たちの共食いをやめさせるために人工の肉である「人造肉」を作る場面がある。
そこからおよそ70年。
“培養肉”のいま
筋肉の細胞を培養して増やし、固めることで肉にする“培養肉”の技術。
きっかけは、2013年にオランダの研究チームが発表したハンバーガーだった。
ただし、作るのにかかった値段は総額3000万円以上。
大量生産は難しいものの、培養肉が料理として使えることを示し、世界を驚かせた。
ことし6月、鶏肉の培養肉を大量に作ることができる工場が誕生した。
細胞を培養するためのタンクを7基備え、1日に最大で500キログラムの培養肉の製造が可能になった。
こうした技術によって、ハンバーガーのパテ1枚にあたる100グラムの原価が3.9ドル、日本円にして450円ほどにまで下げることができたという。
国内で販売の許可がおりていないため、食べられるのは従業員だけ。
アメリカの食品企業がホテルのレストランで、培養肉をつかった料理を提供している。
価格は一皿およそ2000円。
(GOOD Meatの担当者)
「今、培養肉を扱う企業は爆発的に増えています。世界の食肉市場は巨大で、私たちの力だけでは足りないので、今、多くの企業が参入して来ていることをとても心強く感じています」
食糧危機に
世界中で培養肉の研究が進んでいるのはなぜか?背景には、世界規模の人口増加がある。
お祝いの日に「焼き肉」を食べにいく家庭もあるかもしれないが、経済的に豊かになると肉の消費量が増加するとも言われている。
人類が食べる肉の量は、2050年には2010年と比べて1.8倍に増えるという予想もある。
これに対して、既存の畜産では飼料となる大量の穀物や水が必要になるため、拡大が難しい。
食肉からタンパク質の摂取が難しくなる「タンパク質クライシス」が近い将来訪れるという懸念もある。
こうした畜産業では足りない部分を賄うために「昆虫食」や「植物性の代替肉」、それに「培養肉」などの新しい技術が注目を集めている。
アメリカのコンサルティング会社は、2040年には、世界の食肉市場の6割が「培養肉」と「代替肉」になり、培養肉の市場規模は69兆円になると試算している。
培養肉は、牛や鶏などの動物から少量の細胞を取り出して、動物の体の外で増やして作る。
広大な土地も必要ないため、将来、安く大量に肉が作れる可能性があると期待されている。
日本では、大型研究プロジェクト「ムーンショット型研究開発制度」などで培養肉の研究を国が後押ししている。
(太陽エネルギーを駆動源、藻類を栄養源とした培養肉工場のイメージ 画像提供:インテグリカルチャー)
現在大量生産が可能なのはハンバーグなどに使われる「ミンチ肉」にとどまっている。
そこで日本の研究者が目指しているのが、サシの入った和牛のような培養肉。
大阪大学の松崎典弥教授は、ことし8月、和牛と同じ構造をもつ培養肉を作ることに成功したと発表。
「細胞の繊維だけかき集めてハンバーグ状にしているが今の培養肉の主流です。でもそれではステーキにはならないんです」
肉は、繊維状の赤身と脂肪、それに血管などが複雑に絡まっている。
そこで目をつけたのが3Dプリンターだ。
(3Dプリンター)
特殊な容器の中に細胞を入れ込み形状を保ったまま細胞どうしを融合させる手法を開発。
筋肉、脂肪、血管、それぞれの繊維を作ることに成功し、これらをくみ上げることで、和牛と同じ構造をもつ1.5センチほどの大きさの培養肉を作ることに成功した。
(できあがった培養肉)
この方法の画期的なところは、赤身と脂肪の割合を自由に変えることができるところにある。
将来的に家庭にある3Dフードプリンターで肉が作れるようになれば「お母さんは胃がもたれているからきょうは脂肪を少なくしよう」とか「高校生の長男はサーロインで」などと、気分によって作る肉を調節できると期待されている。
ただ現段階では繊維をくみ上げる作業は手作業で行っていて、松崎教授は、メーカーと協力しながら、自動でステーキ肉を作る装置の開発を目指している。
「いまは、すべての行程を食べられる成分で作っていないので、食べることができません。ただ和牛と同じような構造ができたので、食べたらおいしいと思います。これから先にいくためにはスケールアップをしないといけませんし、自動化の装置開発もしなきゃいけません。細胞を大量に培養する技術も必要になります。まだまだ新しい技術開発が必要です」
大阪にあるダイバースファームは、肉を寄せ集めたチキンナゲットではなく、焼き鳥で使うようなかたまりの鶏肉の培養肉を作る研究を進めている。
副社長の島村雅晴さんは、独自の技術で鶏肉を培養する方法を確立。
できるのは薄いシート状の鶏肉だが、それを重ね合わせることで、4センチ四方で5グラムほどの大きさの培養肉を作ることに成功した。
実は、島村さんは星の数で店を評価する世界的なガイドブックに選ばれるほどの腕をもつ料理人だ。
いま、特定の種類の魚が手に入らなくなっているのだ。
また漁獲高が減っているというニュースも聞いたり、仕入れ先の養鶏業者から「飼料の値段があがり、経営が厳しい」といった話も聞いたりしてきた。
(ちゅう房に立つ島村さん)
そうした中で、細胞から培養することで肉を作る培養肉であれば、今の環境を守りながら、新しい食の選択肢も増えると感じ、取り組みを始めたのだ。
国のプロジェクトの代表を務める東京女子医科大学の清水達也教授の研究室にも出向き、勉強した。
その中で、研究がメインの大学ではなかなか“食べる”ところまでたどり着けないことを感じ、清水教授を通じて再生医療の研究者を紹介してもらい、ベンチャー企業を立ち上げた。
島村さんは、みずから作った培養肉をコース料理の中の一品に加えようと試作を続けている。
培養肉は血が通っていないため、コクを出すためにみそを加えてつくねを制作。
こかぶらとシメジ、まごいも、金時にんじんとゆずを加え、あんかけをかけた料理などを作っている。
島村さんによると、培養肉はこれまでになかった薄さの鶏肉を作れるほか、骨が多くて食べることに適さなかった魚や、絶滅が危惧される種類の魚の肉を増やすこともできるという。
さらに、無菌状態でつくれることから、生の鶏肉やレバーなども気軽に食べられるようになるのではないかと期待している。
常連客の中には、培養肉の料理が食べられることを楽しみにしている人もいるらしい。
(島村さん)
「お客様に提供する食品なので、すべてを分かっておきたいので自分で研究も行っています。まだちょっと食べることができないですが、少し培養肉にも興味を持っていただけるような機会ができればなと思って、議論が始まっていくきっかけを提供したいと思っています」
安全性は?
これまで大阪大学とベンチャー企業の例を紹介したが、食べられないの?と疑問に思った方もいるかもしれない。
察しのとおり、日本では販売のためのルールが十分に整備されていない。
日本では去年10月、農林水産省のフードテック官民協議会の中に、培養肉のルールについて検討する細胞農業のワーキンググループが立ち上がった。
また、実用化に向け法整備や安全基準の策定を進める議員連盟の設立に向けた動きもある。
細胞農業研究会事務局の吉富愛望アビガイル広報委員長によると、主な論点は5つだ。
4. 名称
最終的な商品には、既存の食品や食品添加物として認められていないものが入っていなければいいのか。
日本は品質の高いブランド牛があり、畜産農家の細胞の知財をどう守るのか。
論点はたくさんある。
(多摩大学 ルール形成戦略研究所 細胞農業研究会事務局の吉富愛望アビガイル広報委員長)
「超高齢化社会が訪れる日本では、健康を意識して食生活送らないといけない人がいる。また、これまで動物愛護の観点でお肉を食べなかった人に対しても培養肉は需要があるかもしれない。日本にはいい食材がたくさんあるので、培養肉のもとになる質の高い細胞が手に入り、ブランド化ができるかもしれない。日本がいないところで新しい肉の世界基準が決められてしまわないように、ルール作りを進めたい」
科学技術振興機構の湯口玲子副調査役は、培養肉が普及するためには、情報の透明性が重要だと指摘する。
「培養肉が社会に受け入れられるために必要なこととして、2つポイントがあります。まず製造過程自体が安全なものであるかどうかということを、きちんと消費者の皆さんに伝えて理解いただけるかという点です。それからもう1点が、培養肉の原材料が体に取り入れて大丈夫なものであるということを、きちんと証明できるかどうかというところです。いずれにしろ、消費者と作る人とのコミュニケーションが重要な点だと考えます」
綿密なコミュニケーションを
迫るタンパク質危機に対しての選択肢の一つとして、大きな可能性を感じた。
一方、専門家が指摘しているように、消費者がどのように培養肉を受け入れるのか、また、畜産業との関係がどうなるのか、しっかりと議論することが重要だ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211121/k10013354981000.html
ただここ最近、下記のような事例をよく見る。
A:「ペットショップで猫飼いたいです」
B:「保護猫飼えよ」
上記のやりとりではインターネットでよく見る何の関係もない赤の他人である。
一見、保護猫活動らしきものだが、果たして本当に善意や本心でちゃんと考えているのだろうか。
こちらは基本的に手続きがとても大変だ。どれくらい大変かと言うと、それはもう大変である。
仮に「ネコちゃん飼いたい!!」と思い、保護猫を迎え入れようと連絡したら、あまりの審査の厳しさと手続きにかかる膨大な時間の損失にヘトヘトになるだろう。
確かに、彼らは「もう二度と猫ちゃんを悲しませたりしない」という強い信念のもとで活動なさっている方が多い。(残念ながら猫ちゃんを虐待するキチガイ野郎は後を絶たないので。猫がそいつらを虐待する立場になってくれればいいのに)
なので、「ヤバい奴に渡さないように」とても入念に審査する。家族構成(独身か、夫婦か、子供はいるか何歳だ、等)、年収、など猫を飼うに値するかどうか入念に調べる。
仮に審査を通ったとしても、ワクチン代金などの資金、また譲渡後にちょくちょく連絡したりと何かと縁が切れない。
ネコを貰ってじゃあさよなら、というわけにはいかないのだ。正直めんどくさい。(ただ本当に世の中ヤバい奴がいるのでこの対策は正しいと思う)
しかしちゃんんとした機関なので安心して猫ちゃんをお迎えできると思う。
費用や手続きについては、こちらは里親によるとしか言いようがない。
基本的に個人間の取引みたいなものだからだ。間にボランティアが入ったりするけど。関係図だとメルカリに近い。
サイトで「わーこの猫ちゃんカワイイー!」と選んでみたら、里親がめちゃくちゃ厄介な奴で弁護沙汰になった、なんて話結構あるみたい。
仕方ないよね。他人同士だし。
そもそも、成猫をサイトに掲載している人たち、わたしは結構身構える。(猫ちゃん悪くないよ、可愛いよ)
何故かって、「いっぱい産まれちゃいました!困ったから里親募集」みたいな子猫は分かるけど(まあそれが大半だし)、成猫って「飼いたくないから飼えなくなった」とか「新しい子迎えるから里親にあげる」みたいな頭おかしい殺人鬼馬鹿野郎クソがいるからである。お前は一生猫飼うな。ネズミに転生して猫にくわれちまえ。※実際に私の友人の友人に居ます、マジ在り得ないあのクソ女〇ね。
勿論、「祖父が飼ってたけど死んじゃった。でも家ではどうしても飼えない」というちゃんとした理由で募集する里親さんもいる。
サイトだからってやり取りするのは個人だから、例え猫ちゃん可愛くても里親バケモンだったらトラブルに巻き込まれるリスクを考えてほしい。
※そもそも個人的に家から一歩も出さなければ避妊手術はいらないと思っている(まあ粗相滅茶苦茶ひどくなるし、猫ちゃんのストレスが~とかいう奴いるけど、お腹裂いて内臓取り出したり局部ちょん切られるよりは可哀そうじゃない。これだって人間の都合だろ。全部人間の都合だよ。出来る限り自由にしてあげたい、自然にね)
ただ例外もあって、例えば家で飼ってる猫ちゃんは駄菓子屋さんで貰ってきた子なんだよね。
なんか駄菓子屋の爺さんの知り合い?が子猫持ってきたんだって。欲しいって言ったらくれたよね。
知り合いに譲ってもらうのが、一番リスク少ないし、楽だし、金掛かんないし、ヤバい奴に関わんないね。
ただ受け取り手の審査しないから、猫にとってのリスクはあって、絶対に幸せにしてやる、って人しか猫飼ってほしくない(これは何処でお迎えしてもそう)
しかも猫余ってる(って言い方アレだけど)知り合いって周りに居ないじゃん。
運命なんだよね、結局さ。
②ペットショップで売れなくなった子の末路を想像できているのか
この前、ホームセンターのペットショップで猫のおやつを物色していた時、ショーケースに入れられた猫ちゃんの値段を見てびっくりした。
一体、どんな経路をたどればこんなに高額なるんだろう。
因みにこれは都内で、田舎だと半額だったりする。都内には悪徳バイヤーでも潜んでるんじゃないか?
田舎はまだ買い手がつく値段だろう。実際うちの子の一匹はペットショップで一目ぼれで買った。運命的な出会いだった。15万円である。それでも高いわ。
まぁ、実際に、このくらいの値段の方がキチガイはわざわざ買おうと思わないし、経済的に困窮している人が飼って更に悲惨な末路に……ってなる可能性も低い。
ただ50万前後はやりすぎだろ。
他にも50万、100万ごえのペット君なんてザラにいるけども。
そいつら基本希少種だろ。ネコちゃんなんてブリーダー腐るほどいるし、供給過多の時代になんて値段付けるんだ。売る気ないだろ。
基本、供給>需要だと供給の値段下がるじゃん。でも儲けしか考えてない奴がいるから値段吊り上がるんだよね。ペット業界ホントおかしいよ。頭が。
買い手がつくわけないだろ。ネコちゃんなんて三か月くらいですくすく大きくなって可愛くふわふわになるんだから。
値段見て「保護猫にしよ……」って思う人いるから動物愛護団体はメシウマなんかな。
でも、彼らって売れ残るとどんどんお店をたらい回しにされた挙句、オーナーかスタッフのペットになるらしいんだけど、絶対あぶれるよね(実際もうあぶれてると思う)
供給過多で値段も高いのに、受け取り手がなくなったらどうなると思う? 悲しい結末に決まってるよね。
実際にペット業界は公にしないけど(したら大問題になって会社潰れるから)保健所にいってるだろうよ。それで保健所も受け取れなくて、殺処分だろうよ。
保護猫飼えって言ってる人は、この現実を考慮して発言してるのかな。
③ ②という意見なのでペットショップで買わないのが大事だと言っている脳死人間嫌い
結局保護猫引き取ればペットショップ無くせる!って考え方、浅はかだよね。
じゃあどうすればこの負の連鎖断ち切れるの?って考えると、もうブリーダー抹殺するしかないじゃん。だってこいつ等が繁殖させてるんだもん。元を絶つしかないでしょうよ。
そうすればペットショップ廃業するよ。代わりに闇市とかで猫ちゃん出回るかもね。マジで。
それか国が条例作るかだけど、今の政策だとやる気配全くないよね。
「フランスが~」とか言ってる奴いるけど、よそはよそ、うちはうちだよ。
他国と比べても何の解決にもならないのに理想論ぶちまけてんじゃねーよ。日本でできる事を模索していくしかねーんだよ。
そもそもそう言ってる奴ら保護猫飼えないような未成年ばっかじゃないの?
本当に飼える奴はわざわざSNSとかで噛みついたりせず自分で保護猫カフェとか見せ開いたり、引き取ったりしてるからな。
未成年だから保護猫飼えないなんて言い訳する奴いたら出てこい。他人に「保護猫飼え」なんて言うくらいなら一人暮らししてでも里親で猫ちゃん貰って自分で飼え。そんで幸せにしろ。
大人になってもグチグチ行ってる奴については論外だよ。他人に噛みつくぐらいなら署名運動でもなんでもしろよ。クラファンでもよ。
④総括
わたしはペットショップで買っても、保護猫施設や里親でお迎えしてもどっちでもいいと思ってる。
だって繁殖元絶たないとこの連鎖は終わらないんだから。ペットショップの子は遠からぬ未来殺処分される可能があるんだから。
それでもごちゃごちゃ言うんだったらもう猫飼うなんてシステム自体廃止したほうが良くね?
運命的な出会いでこの子を幸せにすると決めたなら、一生幸せにする。
猫と人間はどうあがいたって不平等なんだよ。悲しいけど。でもこれ悲しんだら、牛や豚なんて食べられるために殺されてるんだから、猫も一緒じゃん。違いなんてあるの扱いに。
好きな猫選んでいいじゃん。こっちは選ぶ側なんだから、残念だけど。割り切れよ。猫に選ばれたらそれはそれでもう神よ。一生大切にしてね。
LIVE HAUS店長のスガナミユウ氏が「誰が踏みつけられているか」と題するnoteを公開した。
https://note.com/yusuganami/n/n78c9b96cb4be
https://medium.com/@sos.yu.lh?p=8926b83122e
私は彼の所属するインディミュージシャンコミュニティとでもいうべき界隈に属しているが、周囲の反応は絶賛の嵐といって良い状況だ。noteのリンクを張ったツイートには大量のいいねとリツイートがあり、批判らしき反応はほとんど見受けられない。これはかなりマズイよなーと感じてこの文章を書いている。
まず、前置きとして、このnoteに対する私のスタンスを書く。ちょっと長いので興味がない方は適宜とばしていただけるとありがたい。なお、文中の”リベラル”とか”アンチリベラル”といった記載は一般的にリベラルっぽい仕草・アンチリベラルっぽい仕草と受け取られがちなものとでも思ってほしい。
「誰が踏みつけられているか」はスガナミユウ氏が選挙中の市民運動を通して感じたことを書いている。その内容の主題は、日本にはまだまだ差別や不平等(特に男女差別に着目している)が残置していること、そして特権的な立場にいるスガナミユウ氏をはじめとした「おじさん(大人のシスジェンダー男性)」への自省を求める内容である。スガナミユウ氏はこのnoteを「知り合いのすべての男性に読んで頂きたい」という文章を添えて公開した。もっと言えば、(男女間等において)日本に差別や不平等がないと主張する男性、あるいは女性やLGBTなどの差別のみがピックアップされることに不満を感じている男性を説得しようとする文章であるだろう。 何がマズいと感じたかって、このnoteはスガナミユウ氏の周囲に多い所謂”リベラル”思想に親和的な層には受けても、本来のターゲットであろう”アンチリベラル”な層からは反発しか生まないような内容になっていたからだ。スガナミさんとは親しくこそないものの何度か会話したことはあり、政治思想の差異こそあれど、頭が良く一定のバランス感覚がある人物だと思っている。彼は社会を良くしようと考え、実際に行動に移してきた尊敬すべき人物だ。そんな彼がこんな内側にしか向かないバランス感覚に欠けたnoteを書き、それが大絶賛されている状況は本当に良くない。近年勢力を増した過激なラディカルフェミニズムは強烈なバックラッシュを生み、ミソジニストを増やす原因となったと考えているが、このnoteはそんな流れの延長線上にあると感じる。
わたしは男女平等の実現を望む一人として、このnoteの内容を批判したいと思う。私たちは完璧でないがゆえに、時に差別的であったり配慮に欠ける言動をしてしまうが、個別のそれに対して苛烈な批判を浴びせるのは適切でない。なにより問題なのは、その問題がある発言を周囲が容認してしまうことだ。スガナミユウ氏個人を非難することにあまり意味はないが、このnoteを無批判に受容してしまうコミュニティは大変問題があると感じたのがこの文章を書くにあたった経緯である。
まず、なにより批判したいポイントは、氏の主語の広さである。冒頭で過去のツイートで『おじさん』や『女性』と太字でまとめたことを指して、配慮に欠けたと反省しながら、結局のところこのnoteは「おじさん(大人のシスジェンダー男性)」を特権的な存在として雑にくくってしまっている。
大前提として現代の日本社会は男性が有利な傾向にあることは私も同意する(特に経済的な側面において)。しかしそれはあくまで傾向の話である。割合は適当だが、例えば7割の大人のシスジェンダー男性は平均的なその他のジェンダーよりも恵まれているかもしれない。しかし残りの3割はより不遇な立場にあるだろう。傾向の話だけでも、シスジェンダー男性の平均が不利な傾向にある場面も多々存在する。死亡率の高い労働は男性比率が圧倒的に高いし、自殺率もホームレスの数も男性が上だ。職業的な話でも、例えば保育士になるハードルは男性のほうが圧倒的に高いだろう。当たり前ではあるが、切り口はジェンダーだけだはない。年齢・健康・容姿・性格・能力・人種、なんでも良いが差別や不平等を生む原因は無数にある。これらの意見は典型的な”アンチリベラル”の物言いだと感じるかもしれない。しかし彼らを説得したいのであれば当然このような主張に対する応答は必要なはずだ。なにより”アンチリベラル”が怒っているのは、”リベラル”が特定の差別や不平等だけに着目し、それ以外を矮小化・無効化しようとする態度だろう。ここを無視して「おじさん」は特権的な立場にあるとだけ言っても当然反発を生む。典型的に”リベラル”には受けるが”アンチリベラル”には説得的でない主張となってしまっている。ある側面における男性優遇を批判するにしても、それは慎重に対象を選ぶ必要があるはずだ。
次に批判したいポイントはバズワードになりがちな「平等」という語句をどのような意味で使っているかが何ら書かれていない点である。性差別に関する論争でよくあるのが、”リベラル”は(結果平等を指して)「日本社会において男女は不平等である」と言っているのに対し”アンチリベラル”が(機会平等を指して)「日本社会において男女は既に平等である」と言い合い、すり合わせもないまま不毛な罵倒合戦をやるパターンだ。氏は文中において、差別・不平等が残置されている例として選択的夫婦別姓・同性婚・LGBT平等法が実現されていないことを挙げているあたり、結果平等を念頭に置いてこの文章を書いているのだろうが、”アンチリベラル”の多くの反応は「法律的にはどれも男女間で差異が無いのに何を言っているんだ?」というものになるだろう。細かいことをあげつらっているように感じるかもしれないが、やはり対抗論者の考えを想定していない内向きの文章になってしまっている。そもそも例として挙げられている選択的夫婦別姓・同性婚・LGBT平等法をジャンダー感の不平等という文脈で扱うことに個人的にかなり違和感があるが・・・・・(ジェンダー間の問題もあるだろうが、それ以外のイデオロギーの違いによるものがよほど大きいのではないか)。
最後の批判として、氏が「おじさん」に対する差別に無批判な点である。私が気になったのは『みんなの未来を選ぶためのチェックリスト』の記者会見において町田彩夏氏が受けたマンスプレイニングに関して言及している箇所だ。記者のマンスプレイニングに対して町田彩夏氏が返した「あらためてこの場において、特定の、所謂、ある年代以上のおじさんたちが司っている”国会”というのは日本社会に重なるものなんだなということを実感いたしました。ありがとうございました」という発言はマンスプレイニングを行った記者個人の言動を広げて「ある年代以上のおじさんたち」一般に拡大した差別的な発言である。大前提として、私は町田彩夏氏を非難する気は毛頭ない。記者のマンスプレイニングは本当に酷いものであるし、その反論が皮肉交じりになって問題のある表現が含まれてしまうのは理解できる。氏の毅然とした対応にむしろ好感を持っている。前置きでも書いたが、私たちは完璧でなく、時に差別的であったり配慮に欠ける言動をしてしまう。個別のそれを非難しても建設的ではないし、重要なのは周囲でありコミュニティがそれを容認しないことだと私は考えている。このnoteがジェンダーの不平等を訴える内容である以上、この町田彩夏氏の発言に対しスガナミユウ氏が言及しないのは不誠実ではないだろうか。少なくともその非対称な振る舞いは”アンチリベラル”が反発する最もたるものだと感じる。
ここまで読んでいただけるとわかると思うが、「誰が踏みつけられているか」はとにかく説得対象である”アンチリベラル”的な考えを持った対抗論者の思考をトレースできていないと感じる。そして自分と同じ”リベラル”的な思想だけを考慮したこのnoteは”リベラル”内でだけ盛り上がり、”アンチリベラル”には反発され、結局のところ分断だけを生むものとなってしまっているのではないか。誰かを説得したい時には、賛否はともあれまず相手の主張を理解するところから始めるべきだろう。この「対抗論者の考えをトレースするのが絶望的にできていない」点は近年のリベラル勢力に多い典型的な欠点だ。上記の私の批判にも多々問題はあるだろうが、少なくともこのnote「誰が踏みつけられているか」が無邪気に賛同一色となるコミュニティは絶対に健全でないと思うのだ。なんだかんだと書いたが、私自身はどちらかと言えば”リベラル”に親和的な考えを持っている。スガナミさんの主張に賛同するところは非常に多いし、全体的に見て日本社会は男性優遇の傾向にあると考えている。しかし社会は多面的で、一概に男性、女性、LGBTとくくってしまえるような問題はほとんど無いはずだ。いまいちど”リベラル”は自分自身の思想を俯瞰して考えられるようにならないと、本当にマズイ。
0:男
1:嫌いではないが好きではない。好きな絵柄のタイプはある。萌え絵にしか反応しないオタクが俺がいいなと思った絵柄を可愛くないと言って見下すのをよく目にするのでいい印象を持ててない。だがそれはオタクの幼稚な人格にムカついているだけで、萌え絵自体に罪や瑕疵があると考えたことはない。
2:学問的なフェミニズムは重要だし人権意識に基づいた不当な抑圧をなくしていくのは大事な活動だ。だが現状フェミニストの名を冠している活動家たちはミサンドリーが強すぎると思うし攻撃的な振る舞いで敵を作ることを繰り返しているので端的に言って愚かだと思う。そういう人間をフェミと呼ぶのであれば、あれらには賛同できないだけに留まらず、批判していくべきであると感じる。ただし、根幹の原因はあれらの人格にあるというよりも、生きづらさをうむ社会構造や経済的な貧しさにもあるだろう。それらは教育や文化を貧しくする根本の原因だからだ。
3:弱者とは思っていない。
記者の人も話半分で聞いてあげて欲しいんだよな
その症状が出てるのは確かだし、
どうしたら直るのか、いつ症状が治まるのかって不安がむちゃくちゃ半端ないのよ
(自分だと、片頭痛持ちだからじゃないかとか、仕事のストレスじゃないかとか根拠なしにいろいろ言われる)
副反応でいくら仕事休んでも、コロナじゃないし病気でもないから補償も保険もないしさ・・・
経済的にもしんどくて、体調も悪かったらそりゃメンタルおかしくなるのもやむないと思う
なので記者の人は、しんどい人の話はあくまで体験談として聞くにとどめて
頼んだぞ河北新報