はてなキーワード: 経済的とは
母を大事にしてて経済的に困ってるから仕送りしてるんだでいいじゃん
困ってる人がいれば身内が助ける、そんな当たり前の理屈が家族を大事にしてるお人好しの彼氏に通じないとは思えない
彼氏の実家が困ってるなら仕送りする必要あるかも知れんがそんなのは夫婦の話し合いでしょ
・更年期などの体調変化で本当に辛い
・加齢でプロポーションなどが変化して、人にさらすのが羞恥、屈辱まで感じる
・夫の性欲が衰えず、何度も誘われてその都度不機嫌になられ、針のむしろ
・とうとう離婚という最終兵器を持ち出してきた。このままでは経済的・社会的な制裁を受けてしまう。とうとう逃げ場がなくなった。
で苦しい気持ちを押し殺し、定期的に夫とのセックスを受け入れるという苦渋の決断をした って可能性が結構あるからな。
そうでない可能性もあるけど。
けど文章見た限り、増田は相手側の立場にたって考えるのが比較的苦手なんじゃないかと思うんだわ
増田は浮かれてないで、もっときちんと話し合ったほうがいいと思う。増田に書かれた自身の考えも正確に伝えたほうがいいだろうし
そうでないと人の心はわからんのだわ
介護の疲弊から障害のあるお子さんを絞殺した事件の記事に、こういうコメントがあって心から同意した。
発達支援施設で療育に従事している者です。保護者の方から各所や行政への相談に関して切実なご意見として、「相談、相談と言うが、聞き手によっては人の心やプライバシーに踏み込んで色々聞きだしたはいいが、当事者の立場に立った親身で適切なアドバイスをする訳でもなく、話をすることでこちらが楽になると思っている様だが、そんな楽な悩みではない、こちらは切実な対処法を求めている、ただ色々晒して恥ずかしい思いをするだけのことが多いので、相談しなきゃ良かったと思うことが多い」とおっしゃる方がとても多い。保健師にいろカウンセラーにしろ質の向上が求められると思います。
記事:https://news.yahoo.co.jp/articles/87b010a29b8640f85822d9f898597f85d2bd81db
コメント:https://news.yahoo.co.jp/profile/comments/16386745194505.0edd.30554
これから書くことは窓口で働いてる方に失礼な書き方になって申し訳ない。N=1で当事者の総意と言うつもりはない。
障害や介護の悩みは相談というワードがよく出てくる。福祉の相談窓口はいっぱいある。
なのにこの数日、そこが変な音がします
エコバッグと、保冷バッグも毎回洗ってるのですが
一回スレたようで、洗濯ネットがすこし擦り切れてしまいました。
普通に使っていたんだけど
少し異音がする。
底のスクリューに絡んでいる感じ。
Yahoo!知恵袋で+3番のドライバー左回しで外せるというので
ブラックフライデーなのに
衣類を守るけど
古くなってくるとファスナー締めたとこのカバーがゆるくなってくるので
希に開いちゃう
ファスナーがそのまま絡んでいるかも。
あけられてまた使えると良いんだけどな。
1,000円しないので買ってみました。
取れて戻って欲しいなぁ。
自然に絡んでいたのがとれるといいんだけど。
ちいさいものなので逆にそのままっぽい。
その過程で技術力を獲得し経済的に急成長しバブルを迎えバブルが弾けて
平成で郵政民営化や派遣法やパソナや消費税などを許してしまって
現在少子化で税金も高くなり国民全体が貧乏に向かう方向になっている。
なぜ我々が貧乏になるかというと
そもそもが人件費の安さを売りにした人海戦術頼りから始まっており(現在は中国やインド、アフリカなどがその人海戦術で動いている)
過程で獲得した技術力は白物家電や乗用車というカテゴリで主に反映されて輸出されていったが
世界中から富を引き寄せるだけの長所や需要が薄くなったのが最大の起因である。
変わらず世界中から求められる、輸出できる商品を創出・提供できれば良かったが
我々日本人はグローバル観点で求められるソフトウェアを創出できない、むしろヘタクソで苦手でIT後進国であるという結果になっている。
基本的には巻き返しは厳しく、盛者必衰の流れにそのまま乗っていると言える。
そうすると得られる富に対して人口が多すぎるという問題が出てくる。
非正規雇用の人、中級層をメインに結婚できない、子供を作れない、少子化するのは必然である。
得られる富の見込みに対して現行の人口が多すぎるのだ。
政治家や富裕層の人間たちは平成初期の段階でそれが既に分かっていて法人税などの仕組みに着手し、富裕層はダメージを受けにくいように既に備えている。
国民全員を幸せにできない、人口が多すぎるので人減らしをする必要があるのが日本国の実態であり
それに気付いてない不幸な、主に中下級層たちが我慢して怨嗟を溜めている状況である。
打破するためには、世界中から求められる、輸出できる商品を新しく創出するか、中下級層による(おそらく暴力を活用した)富裕層への反乱・革命が必要となる。
歴代でも有数の宰相クラスかつ最大派閥の長がこのような発言をしてくれるのはありがたい。
中国が台湾への軍事的な圧力を強めていることについて、自民党の安倍元総理大臣は「軍事的冒険は経済的自殺への道だ」と指摘し、習近平国家主席ら中国の指導部に対し、関係国で連携して自制を求めていくべきだという考えを強調しました。
自民党の安倍元総理大臣は、台湾の民間の研究機関が開いた会合にオンラインで出席し、台湾をはじめとする地域情勢について講演しました。
この中で、安倍氏は中国が軍事費を拡大させ、台湾への圧力を強めていることに強い懸念を示したうえで、「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある。この点の認識を習近平国家主席は、断じて見誤るべきではない」と指摘しました。
そして、「日本と台湾、民主主義を奉じるすべての人々は、習主席と中国共産党のリーダーたちに『誤った道に踏み込むな』と訴え続ける必要がある。軍事的冒険は経済的自殺への道でもあり、台湾に軍事的冒険をしかけた場合、世界経済に重大な影響を及ぼし、中国は深手を負うことになる」と強調しました。
また、安倍氏は台湾によるTPP=環太平洋パートナーシップ協定への参加やWHO=世界保健機関の会合への参加を支持する考えを示しました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211201/k10013369541000.html
差別的とか色々言われそうだけど、確かにこれは実際あると思う。
知り合いで書道科の女性がいるけど、全国的に見てもやっぱり男子学生は少ないらしい。
結局書道を大学まで行って学べるだけの経済的バックボーンを持った人ってのは少なくて、
よっぽど本人の熱意と技術(才能と言ってもいい)が無い限り、大学まで行って書道を学ぶ事は許されないんだろう、という話。
日本の芸術分野は今後女性が中心になっていくんじゃねーかな、と思う。
つか既になってんのかな?
去年ぐらいから丁寧な生活を始めた。もともと生活習慣は良くなかったのだけど、在宅勤務の影響で終わった生活を送るようになってから自律神経が乱れに乱れた。
勤務時間の直前に起きてそのまま机に向かう。空腹を感じたらuber系のサービスでマックとか特盛の牛丼とかを食べて血糖値を爆上げする。これを3回繰り返す。
勤務時間が終わればそのままゲームしたりyoutubeみたり彼女と通話したりする。もちろん残業することもあった。その時もう一回uberで小腹を満たす。
夜遅くまで起きて、以上の事を繰り返す。睡眠時間は5~6時間くらい。
そういう生活を1年くらい送っていたらブクブク太っていき、胸焼けや不眠などの不調が出始め、これはまずいと思い生活習慣を変えることを決意した。
朝は早めに起きてヨーグルトとか納豆とかを食べる。朝日を浴びながら30分くらい散歩をする。帰ってきたら軽く掃除したり手軽な家事をする。
頭が冴えた状態で仕事を始め、昼食は鶏むね肉を茹でたものと野菜サラダ。最近はドレッシングも自分で作るようになった。
炭水化物を急激にとらないので眠くなりにくく、眠気と戦う労力がごっそりと減る。
勤務時間が終わればもう一度掃除や家事を行う。晩御飯は少し手の混んだ自炊をする。レパートリーが増えてきて嬉しい。
そしてジムで筋トレをしあとは、 ゲームしたりyoutubeみたりして過ごす。睡眠の一時間前になるとモニターを見るのをやめ、本読んだり彼女と通話したりする。
他にも友人と積極的に会話するようにしたとか塩分をなるだけ控えるようにしたとか、細かな工夫は色々ある。
その結果体重は在宅勤務前の体重よりも下になったし、色々あった不調は収まったり軽減されたりした。
ここからが本題なんだけど、丁寧な生活を始めてしばらくしてから結婚をしたいという意欲が一切なくなった。何なら結婚したくないとさえ思うようになった。
昔は明確に結婚したいという意思があったし、彼女とはコロナが収まってからタイミングの良い時に結婚したいねとも話していた。
今はその気持ちが一切なくて、何のために結婚をするのかよく分からない状態にいる。
自分にとって結婚は未熟な自分が一人前の人間になるための物という認識だった。
ところが自分で自分を満足させられるという経験をしたことで、結婚に何かを求める必要がなくなった。
漠然とした欠乏感や不安感が取り払われたおかげで現状に非常に満足している感じ。
それ自体は好ましいのだけれど、彼女の方はバリバリ結婚する気なのが問題。
彼女は最近外堀を頑張って埋めているらしく、母親から「あんないい子絶対に逃しちゃだめだからね」みたいなLINEが来たりする。
こういうのも以前は何とも思わなかったんだけど今となってはひたすら重荷でしかない。
結婚する意欲が無くなるだけでなくそれ自体を忌避するようになったのは、結婚という文化には性別による役割を押し付ける側面があるからだと思う。
例えば彼女は俺がプロポーズをすることを熱望している。片膝ついて箱パカされるのが夢らしく、某イケメン俳優がプロポーズした話を少なくとも3回はされた。
でも俺からすると「なんでそんなことしなきゃいけないの?」って感じで、一方的にプロポーズを要求されても困る。
また男女平等が進んだと言っても、何だかんだで女性は男性が経済的な負担を負うことを求めているのでそれも結構憂鬱。
プロポーズとか養うとか、そういう「男性」を押し付けてくる結婚という文化が嫌で仕方がない。
せっかく丁寧な生活で自分の生活を楽しめるようになったのに、「男性」をやらなければいけないのつらすぎる。
彼女は子供も望んでいるので、分かれるとしたら早めに別れたほうがいいんだろうけど別れを切り出すタイミングが分からない。
クリスマス間近のこの時期に別れを切り出すと揉めるのは確実だし、周囲の人間や親からも顰蹙を買うだろう。
かといって彼女のプロポーズの圧を耐えながらクリスマスを過ごすのも気が重い。プロポーズ無かったら絶対に不機嫌になるじゃん...
グルーミング(性犯罪者が年下(もしかしたらそれに限らず?)との性的接触を実行段階に移す前段階としての信頼関係の構築を行う行為)への罰則をというニュースを見た。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_619f3793e4b044a1cc114845
ハフポストであるのでそこまで真剣に取り合う問題でもない気がするが、実際に行われるとしたら、社会全体が人間の発達期において、世代の上下をまたぐようなコミュニケーション全体を忌避するようになるのだろうか。
そのような環境が到来したときには、家族内部で解決できない、あるいはそこに起因する問題を抱えた子供を、血縁関係の外側にいる人間が個人や地域としてかかわるということは基本的に異常な行為とみなされ(今も?また基本的にそういう子供に“かかわる”人間は奇特な人間か異常者が多いのは確かかもしれないが…)、問題に対処する役割だということを国家が規定した施設や人物に問題を通告して、その後は関わらないのが正しい市民の在り方ということになるのだろう。
そうなったときにはおそらく今まで以上に児童相談所の役割は増大するのであろうし、そのために社会全体が経済的な負担をする必要があるが、果たしてそれを受け入れるのだろうか。
もしも負担なくして罰則を設けるということであれば、子供を取り巻く環境はかなり悪化するような気がする。
またうがった見方をすれば、国家が(あるいは何らかの共同体が?)家族の在り方というものにかなり深く干渉するきっかけとなりうる動きなのかもしれない。
しかしながら、民主主義社会にいる以上、声が上がったからにはその意見に対して真剣に向き合う必要があるのは確かであろうし、そもそもの問題として(グルーミングが)『性犯罪をおこなうのは見知らぬ通りすがりではなく、ある程度知り合った周囲の人間のほうが多い』という話とつながっている(顔見知りになり警戒を解いてから実行に移すので行為の成功率も高いし、発覚の恐れも少ない)のもたしかであろう。
外部の人間からすれば、「人間の記憶それ自体は内部・外部によって容易に操作され変質しうる(虐待や性犯罪の記憶は身体が捏造することもあり得る)」という事実のほうばかり向きがちで、実際に被害を受けた被害者の改革の訴えにはどうしても及び腰となるが、直接捜査や処罰の対象とはならずとも、発覚した性犯罪にたいして、完遂されたもの以外にも前段階にある性犯罪被害に対して罰則をという形であればある程度受け入れられやすいのではないだろうか。
ただし、罰則の追加や強化ははやり慎重に行われるべきであるし、加えて犯罪者となった人間をぶち込んで終わり、隔離して終わりという形の解決ではなく、被害者・加害者問わず治療などの防止策を含めて考える必要があるであろう。
再発の防止、被害の抑止という形での規制や改革は行われるべきであるが、性犯罪に限らず過去の被害の応報として社会の規則を定めたり変えたりということには少なくとも慎重であるべきだと思う。
私は、客観的に見て、それなりに成功した人間だと思う。大学進学者が少ない田舎から出てきて、経営に携わる仕事でそれなりの評価を得ている。妻と子供3人を養う程度の給与も得ている。親族の支援もあって、一定の資産も築けている。
でも、私は幸せを感じていない。理性的に考えると、自分は恵まれているなとは思う。しかし、心が躍るような幸せを感じることはない。より社会的に経済的に恵まれた人と自分を比べては、自分はまだまだ不十分であり、更なる努力が必要だと感じるのである。
今までは勉強することが幸せに繋がると盲信して努力を続けていたが、それにも疲れてきた。努力をすることに楽しみを覚えるということに変わりはないが、何を目指すべきかを見失った。何かになれると信じていた魔法の期間が終了したのである。
幸せを感じるためにはどうしたら良いのだろう。朧げに、下記のアクションが必要な気がしている。
1.マインドセット/環境については、まずは認知することが重要と考えている。認知さえできれば、すぐに解決することは難しいと思われるが、時間を掛けて試行錯誤していけるだろう。何年も粘り強く行動を変える努力を続けていくしかないのである。
早速、認知するというステップであるが、これに関しては思い当たることが多々ある。
A-1. 人から怒られない/責められないように生きている
A-1~A-3は紐づいていると思っていて、自分が犠牲になることで万事解決と考えているのである。また、自らの時間の価値を過小評価しているのである。このマインドセットに関しては、『精神論ではない仕事を速くこなす技術』という記事が役に立ちそうだ。まず重要なのが、物事に対して投下する時間を区切ること。強制的に、A-1の不安を要因としたA-2/A-3を防ぐのである。よって、私は下記の目標を定めた。
今までは、月に50時間~90時間をしていた。これを30時間に押さえるのは、当然簡単ではないだろう。当然、全てを得ようとしても無理な話で、多くを切り捨てないといけないと思う。脱線するが、何かに変化を加えようとするときに重要視すべきは、まずは質より量だと思う。恒常性の壁を超えるには量が必要なのだ。よって、今回は月30時間という思い切った目標を定めたい。
そして、もう1つ大きな目標を定めたい。
正直、私は、どの程度の完璧さを人から求められているのか、感覚的にわからなくなっていると思う。敢えてその水準感を他人から教えてもらうことで、バランスを取り戻したいのである。非常に勇気のいることだが、他人からこの水準を教えてもらうためには、その水準を一旦下回る必要がある。できる人には何の困難も伴わないだろうが、私にとっては大きなチャレンジである。
若い頃に童貞で独身であることに苦しんだ非モテ男としては、結婚して子供を持つと男らしさから降りられて苦しみが無くなった。
一人娘が生まれてもうこれ以上子供を持たないと妻と決めた時に「ああ、もう無理して頑張らなくていいんだ」ととても安心した。
妻子を捨てて今は気楽な独身生活というわけではない。逆に妻は専業主婦(子供の手が離れたら働くと言っているが)で生活費は全て僕が出しているのが現状。
そんな夫や父としての典型的な男性ジェンダーロールを引き受けておいて「男らしさから降りた」と僕が言っているのは意味不明に聞こえるかも知れないけど、僕にとっての男らしさとは「無理して女にモテる振る舞いをする」ことだったので。妻子持ちになってそれをやらなくて良くなったという意味だ。
妻と結婚して子供が生まれた時点で僕はもう男から降りている。これ以上モテる必要は無いし、寝た女の数で他の男と競う気も無い。同年代の男が恋人や所帯を持っているのを見て劣等感で苦しむことも無い。
家父長として、妻に言うことを聞かせたり、娘を指導して自分の望むように育てたりしたい、なんてマッチョな願望も無い。娘は完全に僕に寄生するニートにさえならなければ、独身実家暮らしでも、家を出て生活保護でも、本人の好きにすれば良い。本人の人生だ。
会社で働き続けることは僕にとっては自然なことで無理して引き受けた男らしさではない(独身のままでも働き続けていたに違いない)。働き続けた結果として今そこそこの稼ぎがあるから、妻子を養っているだけに過ぎない。
仮に僕が病気になったりリストラされたりして収入が激減したら、妻には「扶養の範囲ではなくフルタイムで働いてくれ」、娘には「大学は奨学金とバイトで通ってくれ」と言うと思う。
妻子を養うのは男の義務と気負って収入を維持するために、長時間・重労働の仕事を探したり、リスクの高い起業をしたり、そんな無理を僕はしないだろう。余生を気楽に過ごす。
生活レベルが落ちて働く苦労が増えて妻が不満を抱いても、娘の進路の選択が狭まっても僕の責任ではない。
別に妻が悪妻で憎んでいるとか娘に愛情が無いとかではない。妻はできた女性だと思うし、娘は可愛い。ただ彼女たちの人生に対して僕の責任は無いというだけ。
とても気楽だ。
二十代の終わり頃に「このまま童貞だったら俺は狂って通り魔殺人犯になってしまうかもしれん!」と身体の中から衝き上げるような焦りを感じて、それまで嫌いで苦手で逃げてきた女性にモテる装いや振る舞いを身に付ける努力を始めて恋愛市場に飛び込んだ。
勉強が嫌いで苦手で逃げていた人が「このまま高卒の肉体労働者を続けていたら、いずれ若さを失って稼ぎが減って貧困に落ち込むかもしれん」と危機感を覚えて大学入学や資格取得からのキャリアチェンジを目指す感じだろうか。
娘が生まれた少し後にデートで着ていた勝負服をゴミに出した。大学合格後にもう二度と読み返さないであろう文系科目の参考書を紐で縛ってゴミ捨て場に投げ込んだ時のような爽快感があった。
今の僕の格好は家の中でも外でもポケットのたくさん付いた作業着(外出時に財布やスマホやモバイルバッテリーを忘れがちなので常にポケットに入れてる)で髪型は1100円カットのスポーツ刈りだ。
誰もこんな見た目のオッサンを咎めない。女の子に相手にされなくても気にならない。
万が一お節介な人が「どうしてそんな安くてダサい格好してるの? オッサンでも少しは身なりに気を遣えば?」と聞いてきたら「いやあ、娘がこれからお金がかかる年齢なので節約生活ですわ」と返せばいい。
もちろん嘘だ。僕は経済的で合理的で身体的にも快適な今の自分の格好を気に入っている。昔は女と会う時は嫌々ながら店員の言いなりに買った勝負服を着て美容室で髪を切っていた。今も昔もそういう格好は嫌いだった。就活の面接に仕方なくスーツとネクタイで臨むようなものだ。
仕事でも、朝から今日は残業したくない気分の時は「悪いけど今日は夜に娘の用事に付き合わないといけないから」とでっち上げて定時に上がれる。仕事で無理をしない口実にも使える妻子持ちというステータスはとてもありがたい。
休日出勤に対しても家族サービスを名目に断るオプションを持てる。実際の休日の僕は「持ち帰りの仕事があるから夕食まで声かけないで」と妻と娘に言っておいて、半分仕事をしつつ、半分は今やってるようにネットをダラダラ眺めていたりするのだが。
非モテにとって恋愛や婚活は受験勉強や就活のような苦行なのは間違い無い。でも、若い時に人生のほんの一時期を耐えて所帯を持てば後は楽になれる。男らしさから降りられる。その後の人生で無理をする必要が無くなる。
「男らしさから降りる」という話題では、僕のような体験に基づく意見を見かけなかったので、昔の僕のような童貞・独身に苦しむ非モテ男が救われる方法の一つとして必要な人に届くと嬉しい。
・親が社長やってるって生徒が全然いない。個人事業主の括りだと、医者や歯科医や税理士や1級建築士ばかり。多分、慶応普通部とか暁星とか賢くて社会的ステータス抜群の学校にはうじゃうじゃいたのだろう
・肥満体型の母親がマジで居ない。入学間もなく1回だけあった授業参観のとき気づいた。多分、食費に金かける余裕ある家しかないからだろう。
・専業主婦家庭かつ2人以上兄弟、って家の子が異様に多かった。一人っ子や共働きが全然いなかった。すでに共働き当たり前の時代だったのに、大半の奴が母ちゃん専業主婦だった。あと三人兄弟率がやたら高かった。そして自分だけじゃなくて兄弟も中学から私立ってパターンが大半。
・親が地元県庁や政令市とかの地方公務員やってる家の奴が皆無に近かった。国家公務員や国税もいなかった。大学教授も全然おらず。このへんは逆に公立トップ校とか私立御三家とかに多いのかもしれない。
・大半がサラリーマン1馬力家庭だけど、電通とか三菱地所とか全日空のパイロットとか、お前の父ちゃんよくそんな凄い会社入れたなみたいな家の奴ばっか。
・平均年収1000万円くらいと推定。中学のとき公民の先生が授業中に
「みんなは親御さんがほとんど年収1000万円以上はあるから、自分もそれだけ稼げると思ってるだろうけど、
この教室の1割……だから3~4人しかそれだけ稼げるようにならないからね。親くらい稼げるのが当たり前だと勘違いしてるなら将来ショック受けるから」
とか言ってたのと、変わらぬ顔ぶれの同級生たちと何年も付き合っていくうちに本当にみんなの家は年収1000万軽く超えてるんだろうなと思った。
・別荘持ちがどのクラスにも3人くらいいる。ただし、仲間がその恩恵にあずかれるのは大学入学以降というパターンがほとんど。
・その資本力をもってしても現役であれ浪人であれ早慶以上の大学にいける生徒は学年の3割程度。親が金持ちならよっぽどの低知能でない限りはほぼほぼ早慶以上確とか絶対ウソ。
・その早慶未満の私立大学に行った同級生の大半が東大生でもめったに内定貰えない一流企業(三井物産とか朝日新聞とか日本郵船とかデュポンとか)に平気で内定していく。
こういうレベルの企業って家柄を推定して採用するようなことやってるんじゃないかと内心で疑ってる。
中学3年くらいの頃、社会の授業で機会平等・実質的平等のくだりで先生が雑談がてら
「今世の中で、例えば中卒の人とかが就職試験の応募資格すらない会社が物凄く多いんだよね。
それから、病気とかが原因で生活保護を受給してる人が大変な経済的不自由を強いられたりもしてる。
みんなはこのことについてどう思う?」
ってみんなに問いかけた時に、
跳ねっ返りでもなく、性格悪くもなく、普通に友達多い爽やかな陽キャの同級生たちが口々に
とか
「そんなになるまで不健康になるのは本人がだらしないからしょうがないと思う」
とか
マジで澄んだ目で意見飛ばして先生が「いや、ちょっと待って…この人たちは何もみんながみんな自分のせいでそうなったわけじゃなくて」とか慌てふためいてたのが忘れられない。
男らしさから降りるだの何だの言われてるけど、そもそも自分を男らしいと思ったことがない。だから今のフェミの言ってること聞いても他人事としか思えない。
子どもの頃から運動嫌いだし、ずっと身体には贅肉がついていて見た目がシュッとしていたり筋肉質だったりしたことなんて一度もない。文系科目が好きで数学や物理は苦手、大学でも金にならない人文系の学問を専攻して経済的に安定しない職に就いてる。中高時代には萌えオタは気持ち悪い趣味であって男らしい趣味という扱いではなかった。当然彼女とかいたことがないし、素人童貞とかではなく普通に童貞。幼児時代には恐竜が好きだったから、それが男らしいと言われたらまあそうかも。でもそれぐらい。
だから、男らしさから降りろとか言われる度に、「??? 俺はまったく男らしくないけど何から降りればいいの???」って感じ。「いや、別にお前には言ってない」っていうなら、あっそう、で終わりなんだけど、男全体に向けて呼びかけてるってことは俺も入ってるってことだよね。なのでこう、降りるだの何だのという抽象的なお念仏ではなく、生活実感に即した主張をしてほしいというか……
当然、フェミの人たちが「男らしさ」や「女らしさ」を前提にして主張していることにも納得がいかないことが多いんだよね。
トランス女性の問題とかで「男の方が力が強いのだから」云々という理屈を聞かされる度に、子どもの頃に年下の女との力比べで負け、成人してからも同じ相手に普通に負けた身としては「いやいやどう考えても俺みたいな腕立てもできない運動不足マンよりその辺の部活帰りの女子高生の方が力強いだろ」って思っちゃう。男女入り混じったグループで旅行したとき、最初に音を上げて「ごめん疲れたからちょっと待って」って言ったの男の俺だしな。もちろん平均の話をしてるのはわかってるんだけど、外れ値の人間としては白けちゃうよね。虚弱な男からすると「肉体的に男だからって女より強いとは限らないんだからトランス女性も普通に女性競技に参加すればいいじゃん、反対してるのはただの差別主義者でしょ」って感じ。
STEM系に女子が少ないとかの話を聞く度に「いやいや性別にとらわれず好きな学問をやりなさいよ」って思っちゃう。俺は人文系科目が大好きだから人文系を選んだのであって、性別とかを気にして選んだのではない。物理が好きな子は男女問わず理系学部に進めばいいし、文学が好きな子は男女問わず文系学部に来ればいいじゃん。理系学部に女子を増やそうとか余計なお世話すぎる。子どもの進路選択はまずその子がどんな教科が好きかを基準にするべきで、物理が好きな女子や文学が好きな男子の進路が性別を理由に諦めさせられるようなことはもちろん防止されるべきだけど、そういう消極的な予防措置以上の措置は必要ない。どんな教科を好きになるかはその子の自由であって、そこに介入しようとするのは間違ってる(どの教科を好きになってもいいように選択肢を増やすのには賛成)。
他にもいろいろ言いたいことはあるけど、この2点に関しては「男は力が強い」とか「男は理数系」みたいなド直球のジェンダー・ステレオタイプに基づいてるから、虚弱な文系の男としてはどうしたって反発が先立つんだよな……