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はてなキーワード: 筆談とは

2015-12-11

感音性中度難聴

もう疲れた

人の話が聞き取れない聞こえない

宇宙人の中に1人暮らしている感覚だわ

周りは聞き返して、筆談してって言うけどさ

嫌な顔される想像しかできない 家族でさえ嫌な顔されるのに(普段はめちゃくちゃ仲良いのに)

嫌な顔されても改善しようがないから人間全否定されるくらいショック

受験生だけど大学行ってもどうせ友達もできないだろうし恋人なんて以ての外だ

就職が一番心配だ こんなんでやっていけるんだろうか 嫌多分無理だ

未来希望が持てない 今にさえ

やる気も起こらん

二次障害双極性障害ますます酷くなる

2015-11-19

年齢を重ねたので整理したい

いままでは誕生日を迎えても特に何か思うわけでもなく、単純に年齢が+1されただけだとか、これを口実にだれかに奢ってもらおうウェッヘッヘ!ぐらいにしか思ってなかったんだけど、この1年は今までとは違った。

辛いことがあったし、(おっさんが言うことではないとは思うが)大人になったのかなとも思う。

自分区切りをつけるためにも書いてみようと思います

一番に辛かったことは、大好きだった母方の祖父が亡くなったこと。

※そして見返したら祖父のことしか書いてなかった…

昨年に胃癌が発覚して、既にかなり広い範囲転移していた。

胃を全部取ったとしても良くて余命1年程度だろうとの先生のほぼ予測通り、7月に亡くなった。

胃の上部に癌が見つかったため、胃の全摘必要となった。(部位によっては半分摘出や、部分摘出が可能だったらしいが、上部の場合はほぼ全摘となるらしい。)

胃の全摘手術後しばらくしてから退院できた時期があって、お医者さんからも無理しない範囲で本人の好きなことをやらせてあげてくださいと言われていたので、温泉旅行に連れて行ったり、鰻料理屋でビール飲みながら鰻重を食べたりした。

また、当初は団地の4階に住んでいたのだが、日々弱っていっているような感じで、体力も落ちに落ちていて階段上り下りが辛そうだったのもあり、母と相談していたところ運良く同じ棟の1階が空いたので引っ越しもした。

結局引っ越し先には2,3日しか居られなかったが。

最終的には再入院し、そのままどんどん自分自身日常生活を負えなくなっていった。

一番驚いたのは風呂だった。

本当に大好きだった風呂自分で入れなくなり、しばらくは看護師さんに手伝ってもらって入浴していたけど、亡くなるまでの2

週間ぐらいはベッドから起き上がることすら辛かったようで、風呂に入りたがることすらなかった。(それでも体を拭いてあげるととても気持ちよさそうにしていたし、喜んでいた。)

亡くなる前々日、そろそろ危ないとお医者さんに言われので会社休みのお願いをし、クソ忙しかったにも関わらず快く休ませてもらった。

そのような状況だったので、病院まで電車で30分ほどの母の家に泊まったが、夜中に喀血したと病院から連絡があり、すぐタクシーで向かった。

到着直後の祖父は、今にも死ぬんじゃないかという勢いで目を見開き、激しく肩で呼吸しているような状態で、酸素マスクをつけていた。

手助けもできず、見ているのが辛かった。

その晩は私、母、祖母、そして遠方から駆けつけた叔父の4人で病棟フリースペースで過ごした。

翌日の昼頃には酸素マスクはつけていたものの、なんとなくレベルではあるが会話もでき、意志疎通がなんとか可能な状態だった。

祖母や母、叔父と「昨日は死ぬかもって思ったけど落ち着いたねーw」なんて話したのをよく覚えている。

そして祖父はその日、「眼鏡をかけたい」「入れ歯を入れたい」と要求したり、急にベッドの上で足を上げ下げし始め、リハビリのような運動をしようとし、その補助を私たち要求していた。

要求は主に発言しようとしているが、この時にはもうしっかり喋ることもできず、筆談しようにも祖父が上手く文字を書けない状態で、コミュニケーションも大変だったし、とても辛かった)

普段は絶対にしないような言動ばかりだった。

元々、子や孫に何かを要求したりしないし、迷惑をかけたがらない祖父だったので、そんな言動は珍しいな…としか思っていなかった。

今になれば分かる気がする。

そうして私の祖父は、家族が一旦帰った後に亡くなった。

やはり今でも、祖父の元気な時の写真や亡くなった直後の写真を見て悲しい気持ちになってしまう。

そして私も見なければいいのに、時々自分から見てしまう。

その一方で、もし祖父が健在であるならば、私が無事に年齢を重ねられることを当たり前だと思ってくれているだろうしそれを嬉しく思ってくれているんだろうな、そういう人だったな、と暖かい気持ちで祖父を思い出せる。

私が祖父が亡くなった時と同じ年齢になるまで、まだ50年近くあるから、それまでに祖父のように、子ども・孫・親戚だけでなく、老人会のみんなや地域のみんなに愛されるような、素敵なジジイになれるようになりたい。

2015-07-11

難聴

なんで難聴なんだろう。

コミュニケーション障害」という言葉がある。普段は「うまく会話が出来ない人」という意味で使われることが多いが、聴覚障害者は本当にコミュニケーションをする上で障害がある為シャレにならない。

人の会話を聞いてもうまく聞き取れない。その上相手の顔色を伺ってえ?と聞き返せず聞こえたふりをしてしまう。聞き返さねば聞き返さねばと心の準備をしようとしても、会話はどんどん流れていって会話の全てがわからなくなり、聞き返す気力も次第に失っていく。筆談も考えた。だが健聴者のペースで流れる会話の中で、ポンと筆記具を出してこれに書いて!なんて言えるものだろうか?自分のペースでしか会話ができないことが辛すぎる。そして次第にコミュニケーションを取らなくなって、一人でいることが多くなってしまう。一人でいる方がむしろなのだ。だがそれが辛くて悲しくて、家に帰ると毎日のように家で泣いている。

ここ数年打ち解けた友達というものがいない。だがそれは難聴所為ではなく、コンプレックスに塗れた性格のせいなのだと思う。難聴コンプレックスに思うからダメなのだ難聴を劣等性だと思わず、自ら積極的筆談なり聞き返すなりすればいいのだ…とわかっていても、過剰な自意識邪魔をする。

正直に言うと健聴者が怖い。私の理解できない言葉が目の前で飛び交うのが怖い。だが怖い怖いばかり言っていられない。結局解決できるのは自分自身なのだ。よく聴覚障害者サイトで健聴者に理解を求める内容のものがあるが、理解を求める前に自分でまず行動できることがあるだろう。。。自分を変えられるのは自分自身しかいないのだ。

近いうちに小中等度難聴の集まりを探して行ってみようと思う。仲間が見つかるはずだ。共感できる人を見つけることで、少しでも楽になりたい。

2015-05-25

http://togetter.com/li/825604

日本空港外国人の多い観光地ではわりと通じるし、積極的に話しかけに行くタイプもいるが、逃げる人も少なくない。聞き取れるが喋れない、喋れるが聞き取れない、のタイプが圧倒的。英語担当者がいない。筆談をすれば著しく事態改善する。英語表記場所が非常に多いが文章が間違ってる事例が大量に発生

中国大都市外国人の多い観光地や高級ホテルなどでは必ず英語が非常に堪能な人間が雇われているが、英語担当でなければ全く喋れない。アルファベットに馴染みがなく、go, eatなどの単語もわからないので筆談もできない。ただし漢字筆談は非常に捗る。たとえまったく相手の言っていることがわからなくてもあれこれと世話を焼いてくれることは多いが詐欺の可能性も

フランス大都市では英語を喋れる人も多いが、基本的英語で話しかけられるとどうしようという顔をして首を横に振ることが多い。また英語聞き取り自体はできるが、喋れない人が多い。フランス語で話しかけてからにすれば対応はよいが若い人なら英語で話しかけてもOK。ただしフランス人英語フランス語訛りがきついのでよくわからない。英語表記は少なめ

オーストリア基本的英語が通じる

ドイツ基本的英語は通じているっぽいが、教育を受けていない人の場合ドイツ語しか喋れない

ポーランド大都市観光地もしくは高い教育を受けた人は英語理解できるがポーランドなまりがきついので聞き取りにくい。筆談より絵のほうが通じる。

チェコプラハ観光名所なら英語が通じるが、小さい店に入るととたんに通じなくなる。筆談も無理なので絵やジェスチャー必要観光地以外は英語表記少なめ

ルーマニア大都市観光所くらいでしか通じない上にルーマニア訛りがきつい。筆談は意外に通じる

ハンガリーブダペストならだいたい通じる。英語表記がかなりすくない

クロアチア:有名な観光地なら英語ストレスを感じることはあまりないが、場所によってはフランス語のほうがよいようだ。首都でも英語表記が少ない。ブロークンすぎる英語は通じない

イタリア:だいたい英語は通じるし、わからなくてもノリで理解してくれる

ポルトガル:あまり英語は得意でなく簡単な単語でなら応じてくれる。発音ジャパングリッシュに近いのでききとりやすい。お互いに英語が得意でなくても意思疎通はしやす

スペイン大都市観光名所を除きほとんど英語は通じない。ただなんとなく理解はしてくれるので波長が合えばうまくいく。スペイン語ができたほうがよい。

オーストラリア:大体通じる

イギリスアメリカ英語理解してくれるが、イギリス英語しか喋らない。下町英語場合はまったく意思疎通ができない。筆談を嫌う

アメリカイギリス英語理解しているが、アメリカ流を押し通す

アイルランドほとんど通じない

日本より英語の通じない国はたくさんあります

欧米英語通じるよって行ってる人はガイドブックにあるような観光名所と有名店にしか行ってないんだと思います。あとフランス人がひとを睨むのは敵意を持っているからではなく、テンパってるだけです。

2015-02-13

身内の認知症はこうやって始まるのだと、痛感。

登場人物

・母方祖母(後発難聴他人とは筆談での会話になるが、自身は口頭で応答することができる)

・母方祖母の弟(祖母は5人姉弟、祖母は2番目、彼は5番目、だったと思う。祖母の保証人の一人である)

・母方祖父(4年前に他界)

・母(一人娘、3年前に他界。亡くなるまでは祖母の保証人)

・私(一人息子、20代後半。祖母の弟と共に、現在祖母の保証人)

・父

ケアマネージャー



母方祖母は現在、長年住んでいたところを離れて私が住んでいる東京介護施設(老人ホーム)に、母方祖父より少し遅れて引っ越して住んでいる。

5,6年前(?)くらい、先に母方祖父が施設引っ越してきたのは、長年住んでいたところである日道端で頭を打って以来重度の認知症を患ってしまい、まともに話せる状態でなかったかである

祖父の介護施設への引っ越しは、私と母と2人で飛行機を使って手伝った。


この介護施設は要介護の棟と、身の回りのことはある程度できる人の居室がある棟に分かれており、当然祖父は要介護の棟へ、祖母は約1年後に居室の棟へ引っ越した。


さて、祖母が引っ越しから祖父、母の他界を含めた色々な経過を語ると長くなるので省くが、

昨年12月中旬に祖母の居室へ伺った以来2ヶ月ぶりの先日、久々に祖母の居室へ伺った。

その少し前に祖母のケアマネージャーからお話があるとの電話をもらっており、とりあえず対面して話したいとのことだった。


当日は先に私が祖母の居室に到着、電話をかけてケアマネージャーを部屋に呼び、そして少し経ってから祖母の弟が到着。

計4人での話をした。

そこで私が伺えなかった2ヶ月の間に起った出来事を聞いて、驚いた。


1月上旬夜に祖母の部屋に置いてあったお金が、朝気付いたら無くなっていた。

→夜間に居室は施錠しており、マスターキーを持っている職員しか開けられない。

しかし、緊急時以外夜間は居室を開けることなどない。

→祖母の居室の鍵は私が携帯していることを祖母は知っている。(とはいえ、日中スタッフがすぐ訪問やすいよう開放されているので、私が鍵を使うことはまずない)

スタッフが行かないということは、私しか夜間に入らないということになる。

→私がそのお金を盗んだとしか考えられない。


またその後日、とある満期になったというお知らせと証書が届き、それをおとりとして置いたら案の定無くなっていたという。

→同時に印鑑もなくなっており、ケアスタッフに連絡して、印鑑を預かっていた私から取り返してもらうよう電話し、取り返してもらった。

→早速ケアスタッフに連絡、通帳を記帳してもらい、その満期になった額は記帳されていたので、無事に済んだとのことである


矛盾点は以下のとおり。

お金証書が無くなったと祖母が主張する期間は旅行に出かけていたり、仕事だったり、仕事外の打ち合わせだったり、風邪で寝込んでいたり等行ける時間など無かった。

私がそれらの場所ににいたという証言者はいる。

証書印鑑を持っていったからといって大金である満期の額を、たとえ身内であったとしても即座に受け取れるはずがない。

・私は直の相続者で、一応祖母の持っている口座についてはほぼ全て把握しているが、そんな満期になるようなものがそもそも存在しない。

ケアスタッフに記帳してもらって、満期額=振り込まれていたという額がまず記載されていない(だけど、何故かどこかの数字勘違いして未然に防げたと安心している)

ケアスタッフが私から取り返してもらったと思っている印鑑は、ただ単純に室内から発見されただけのことである

・そもそも、印鑑を預かったことなどない。(生活費無関係の口座の通帳とカードは預かってはいるが、複数の口座を祖母一人で管理する煩雑さを避けるのためであり、私的に流用するためではない)



祖母は割と昔からしっかりと物事を考え、記憶しているほうではある。また、日記をつけ、気持ちの吐露と共に、届いたお知らせの封書や、訪問者や、使ったお金なども記しておいている。

(ただし、お金証書が無くなった日や、スタッフと少々揉めた日などは嫌な気分になって日記を書くのをやめてしまうことがある。)

しかし、後発難聴になってから、余計に一人でぐるぐると考えてしまい、口頭で喋ることができるのでよく質問したり主張すること多く、その内容が「はい」「いいえ」などの単純な応答で済むようなものでないため、筆談するのが億劫になる聞き手側が多い。

義母という関係である私の父も、私の母が他界後に3人で会う機会があり、難聴になってから久々に会話したみたいなのだが、慣れない筆談でめんどくさがりの性格が出てきて、私に応答するよう途中で投げるほどである



…話は逸れたが、お金証書が無くなったことと私のアリバイ証明するだけならば誤解を解くのはまだ少しは可能だ。

問題は、この不安出来事があってから1月下旬に一度祖母の弟が居室へ伺い、ケアマネージャーと3人で話した時のことを聞かされたことであった。

祖母は私についてこう言ったという。


・今年1月に祖母の居室へ訪問した。

→(矛盾点)そもそも1月訪問できていない。

転職した。

→(矛盾点)現時点ではまだその予定はないし、してない。

転職したのだから職場に近い所へ引っ越しをした。

→(矛盾点)もう長い間現時点の居住地から引っ越していないし、直近でその予定はない。

引っ越し先はどうしても教えられない。

・どうしても教えてもらえないのは、悪い女に引っかかったからだ。

・だからお金必要になった・・・


・・・年頃であるから恋人がいると想像するのはわかる。実際いるけれど、恋愛沙汰の話は今までほとんどしたことがない。それに、そんな大金を使う関係でもない。

考えられるとしたら、旅行引っ越しが、勝手にごっちゃになったということ。よく、旅行出張勘違いしてそのまま受け入れてたこともあったので。

旅行に関しては、行く前は事細かに旅行先や、期間を伝えるし、そして旅行後は土産を持って行き、その感想を話す。

今回だってそれまで渡せなかった土産も持って行ったし、行くことは12月中旬に伝えたのだ。

・・・しかし、すっかり忘れていた様子であった。



ここ最近は祖母の弟のほうが比較時間があるからと、たまに来るからか、彼に信頼を置いてるようである。昔から仲が良かったというのもあるのだろう。

私は、自分比較的近い身内だからと、それまで時間があってよく訪問していた頃はあまりにも祖母の居室でリラックスしすぎて、頼りなかったと思わせてしまったのかもしれない。

伺える日は銀行、買い物によく付き合ってたのに、それも無くなって最近ケアスタッフにばかり任せっきりになってるからかもしれない。


祖母が描くエリートの道を進んでないから(祖母の親戚たちは思い描くエリートの道を進んでる人が多い)、残念がらせているけれど、ギャンブル経験もなければお金をちょろまかすことなんて一度もしたことないんだけれども…一人孫だからからお小遣いはよくもらっていたし様々な面で世話になってはいたけれど、借金抱えるほどの困った経験もないんだけれども…


祖母は、祖母の弟とケアマネージャーと私との4人の会話の中で、激高しないし極めて婉曲に会話する性質も失っていないにも関わらず私と目を合わせようとしていなかったのを覚えている。

帰り際、祖母の弟と私を見送ってくれたけれど、いつもなら私を見送る時は玄関の外まで出て私の姿が見えなくなるまで手を振ってくれるのに、今回はすぐ扉を閉めてしまっていた。



初めてこうやって祖母から不信感をあらわにされたことを経験し、テレビでよく見る身内の認知症に悩まされるのはこういうことなのかと悟った。

そういえば今日NHKあさイチでもちょうど認知症特集だったな、と。あれは親子だったけれど。

2014-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20140829231247

何のために話をしているのか、肝心なところが欠けてるわね。

つきつめれば、耳の遠くなっている人にパーリーパーティー関係ないわ。筆談するがよろしい。partyと書くか、パーティーと書くかは相手によるね。

2014-08-22

聾唖者に英語で話しかけた

普段身の回りに耳の不自由な方がいないのだが、最近少しコミュニケーションを取ることがあった。

耳が聞こえないことを知らず普通にしかけて、当然だが気付いてもらえなかったのだが、

しかけて反応がないことに気付くととっさに、私は英語で話し始めていた。

英語といっても中学生以下の片言で、外国人に道案内を頼まれたときのようなものだ。

別に聾唖者を馬鹿にするつもりは当然のことだがなかった。

反応がなかった瞬間に脳味噌が、「日本語が聞こえない=外国人ではないか」という判断を下してしまったのだ。

結局、身振り手振りと筆談コミュニケーションを終えたのだが、その間にも「Yes」や「OK」が無意識に出てしまっていた。

驚きを覚えた経験だった。

2014-06-30

日本英語教育は間違ってたわけじゃない

だって、会話の重要性は読み書きに比べて断然低かったんだからバブル以前は外国人と話をする機会なんか、そうそうありゃしません。社会全体がそれで困る状況じゃなかったし。

逆に読み書きはそれなりに必要な可能性があったわけです。少なくとも大学まで行けば最低減、辞書を片手に読める必要はあっただろうし、電話よりも文書でのコミュニケーションがメインだっただろうし。

でも、ここ4半世紀ぐらいで世界の方が大きく変わっちゃいました。直接会ってコミュニケーションするばあい筆談じゃさすがにまずい。でも、そもそものカリキュラムが読み書きに極振りなので、会話できないのはしょうがないわけです。

以前の英語の授業に対する不満は「使う機会なんかないやん」

最近英語の授業に対する不満は「会話で役に立たないやん」

目標設定ってむつかしい。

2014-03-29

俺に一番影響を与えた人

子供の頃から「坊ちゃま」「坊ちゃま」と言われて育った。

それは自分病院の跡取り坊っちゃんだったかである

しわくちゃな手をした人たちが自分を取り囲んで、

「手がきれいだ」とか「賢そうだ」とかいう。

自分だけきれいな恰好をして申し訳ないような、浮いているような、居心地の悪さが常にあった。

はいえ期待されていたかというと全く逆で、学究肌の父親は、「お前は医者になるな」が口癖であった。

自分弁護士になるつもりでいたから、そういう点では父親とは全くぶつかることもなく、仲良く過ごしていた。

「東大理Ⅲしかさない」とか言っていたとぼけた祖父も中学の時に亡くなったので、特になんのプレッシャーもなく育った。

高校3年のとき病気になって手術を受けた。

都内の大きな病院だが、執刀医は父親の親友であった。

受験前なのに勉強道具を持っていかなかったのは、どうせ病気をしているのに勉強したって効率が悪いからに決まっているからで。

自分高校名も父親の名前バレバレであり、「さすが頭がいい人は勉強道具を持ってこないのね」などとナースがいう。

嫌味には全く聞こえなかった。

あなたもお医者さんになるんでしょ」と皆が言った。いつの間にか病棟患者さん全員が知っていた。

そういうつもりはないのです、とは言わずに、「なれると良いですね」と答えていた。


手術後は貧血があるだけで元気であった。

まりにもやることがないので、毎日の日課は回診だった。

今思い出せば、それは末期がんの患者さんが多くいる病棟であった。

当時、流動食(で、かつ高カロリー)というのは病院メニューにはなかったようで、ラコールやらエンシュアやらいう薬もなく、

自分ミルクセーキのようなものを作ってチューブで流し込む、というような生活をする人がいた。

その人は喉頭が失われていたので意思の疎通は筆談なのだけれど、わざわざ病院の近所のスーパーに買いに行っていたか自分がお使いをしたり。

あとは各部屋で何時間患者さんたちと喋りこむのである


俺は高校生で全くの素人なわけで、そんな自分健康相談をするのは全く間違っている。

全く間違っているわけだが拒絶するのもおかしな話だし、第一自分の家は病院で、物心ついた時には患者さんたちや従業員さんに囲まれて育ったわけだから

死ぬとか、苦しいとか、そういう事について多少は自分なりの考えを持っていたんだろうとは思う。

(「死ぬのは苦しくはないんですよ」というような。それはうちの病院が30年前にすでに緩和ケアみたいなのをやっていたから本当の話)

はいえ、自分が何か話す、というよりは人々の話を聞いたり、会話の媒介者になる、ということをただただ繰り返していたわけだ。


そんな中に顔色の悪い「その人」はいた。

30歳ぐらいの「その人」はいつも口数が少なくて、元気がなかった。

家庭の事を聞いたかもしれないけれど、良く覚えてはいない。

でもだんだん日にちが経つうちに、打ち解けて来たかもしれない、という印象を持った。

今はその人がどんな病気だったかがわかる。乳がんで、たぶんあんまり予後が良くない状態なんだ。


俺が退院するという日になって、「ちょっと話がある」と地下に呼び出された。

なんだろうと思ってついていくと、めっちゃいかつい男性がいた。こわい。

どう見てもその筋の人である

どうしよう、怒らせてしまったのだろうか。

喫茶店で俺の向かいにその二人が座ったが、

別に文句を言われるでもなく、

「夫です」などと自己紹介をされた。自分はといえば、どこから刺青が見えるんじゃないかとかそんな事を考えながらさりげなく相手を観察しつつ

はいはい」と話を合わせていたのだけれど、そのうち「その人」の顔つきがちょっとかわって、

「○○くん、絶対医者になってよ」と唐突に言う。

はい?」

「○○くんは絶対医者になってほしい」

「と、妻が申しております

その男性までが頭を下げるのである

頭を下げてお願いされたのは、その後の人生でもあまり記憶にないのだけれど、

こんな一瞬の出来事が、自分医者になった理由である

医学部面接では、

途上国医療に貢献したい」

と言ったが嘘である

知らない人に頭を下げて頼まれたから、という理由ではあまりにもいい加減すぎるだろう。


あとがき

この話は本当の話。

なんで医者に向いてるんだか全然わかんないまま「その人」に指示されるままに突っ走ってる。

転載はご自由に。

たくさん素敵な人と出会ったよ。

師匠の話も何人か読んでくれたかなあ。

あの人も本当素敵だったんだよ。

2014-02-17

外国人観光客の不満に思うこと


http://www.nikkei.com/article/DGXZZO66730540T10C14A2000000/

外国語サービスが少ない

日本は決して外国語サービスは少なくないが、アルファベットを使う国の人からすると、文字からの推測がかなり難しいというのはあるだろう。しかしだからといって非難されるほど少ないわけではない。

ではなぜ不満が出るのか?

日本人英語ができない?

日本人はどちらかと言うとけっこうな割合の人が英語理解できる。が、致命的に聞き取れない。これはまあしょうがない。だって発音が全然違うし、単語・文法もかけ離れているか想像ができない。

同じように英語が通じないと言われるフランス中国だが、フランス人は聞き取れてはいるが喋れない傾向が強いようだ(最近は喋る人も増えている)。またすぐにめんどうくさがる。

中国は同じく聞き取れないうえに喋れない。しかも紙に書いても通じない。しかしとにかくおせっかいなので相手がもういいというまでひたすら中国語で繰り返す。

日本は聞き取れないが、意味がわかればある程度喋る。筆記ではだいたい通じる。ただしすぐ諦める。

まり聞き取れるかどうかがすべての問題なわけで、無理なら筆談をすればよいのである。どこの国の人もそうだが、一生懸命伝えようとするときは別の手段を使うことを忘れるので筆談が選択されることは少ないが、スマホがこれだけ普及したのだから音声認識アプリかなんかつかって自動翻訳させれば大抵の意思疎通はできるはずだ。

なおショーなどは我慢してもらうしかないのでは。どの国でもああいうのは母国語でやるものだ。歌舞伎なんかはイヤホンガイドが借りられるし、美術館もだいたいあると思うのでこの辺りは世界標準レベルだと思う。ま、ディズニーは用意してもいいかもしれませんが。すでにあるのかな?よくしらないけど。

英語表記が少ない

前述のとおり少なくはないが、外国人からすると単語や文章から類推が難しい。逆に日本人海外に行ってそれほど不便さを感じないのは、日本国内にある程度の欧米文化が入ってきている・なんとなく英語から想像力を働かせることができるという二点にある。しか英語からかなりかけ離れた言語場合はまったく類推ができないので、飲食店一つに入るのも冒険だ。というか駅の出口がわからないとか切符が買えないとかいろいろある。とにかく冒険だ。まぁそれも楽しいんですけどね。

この問題は一昼一夜で解決できることではないが、類推できないのなら絵をかけばよい。食事メニュー外国人用の全部写真がついてるのを作るとか。あと外国人が触れることのできる日本コンテンツが増えれば多少は解決する。一番良いのはガイドブックなどを充実させることだ。最近ガイドブック買う人も減っているので難しくはあるが、どこかにここをみておけばOKというコンテンツがあれば、まぁ改善するんじゃないか。

無料Wi-fiスポットがない

しか日本は少ないし、つなげかたよくわからんというのも多い。そもそも欧州から来た場合スマホ周波数違うので、つながっても糞遅いとかになる。

しかしこれは別段外国に行っても同じことで、どこでつなげるのか、パスワードはなにかみたいなのはたいていわからないものだ。アンケートなので不満としてこれが出てくるのなら、まぁまぁ満足してたんじゃないのってところじゃないでしょうか。

なお、ホテルでつながらないのはアナウンスが悪いだけだと思うのでどうにかした方がいい。またいまだ有線のところが多いのは確かで、これは日本人も不便なので無線飛ばすようにして欲しいですなー無線ルータ一個かますだけなのでどうにかできないものですかね。

食券システム

食券ってけっこう日本人でもあれ、メニュー名なんだっけってなることあるので、写真メニュー名にしていただきたいですね。それだけでだいぶ違うと思うのだが。

飲食店の食べ方

別に必要ないのではと思うが、そういうのまとめて各国語で書いてるWebページとか作ると人気出そう。

欧州日本以外はだいたいどこも過剰なほど親切なので、困ってたら隣のテーブルの人が教えてくれたりはするけれども、日本はそういう文化じゃないしな。しか外国人客は別に金払い良いわけではないので、コストから対応するのは微妙かもしれない。ただ差別化が難しいと感じているお店なら、ビジネスチャンスなんじゃないでしょうか。

現金しか使えない

もうちょっと使えるカードはでかでか書いてもいいと思います日本人でもたまにドキドします。後フレッシュネスバーガはなぜカードが使えないのか。

後この間来日した外国人SuicaPasmoおしえたらすごく便利っていってた。どちらか持ってたらたいていのところはスムーズにいけるし、買い物も簡単だし、ストレスフリーらしい。もうちょっと外向きにアピールしてもいいと思うな。あとJRSuica私鉄Pasmoでないとだめだと思い込んでいたらしいのでそのあたりもきちんとアナウンスしないとだめかも。

個人的にはレンタサイクルを増やすべき

最近いろんな国で増えてきたけど、お近くで借りて、おりた場所で返せるレンタサイクル観光客にはすごく便利。使うのはどこの国でもちょっと難しいので上級者向けになってしまうが。

あわせて自転車レーンの整備と駐輪所も増やしていただけるとありがたいですね。

2014-02-16

狂った質問だと承知で聞きたい

この世に、あなたと1~3の人間しかいないとします。

どれかを一生の伴侶にするにはどれにしますか?

(1)生首のみで生きているが絶世の美女

ただし、受け答えは精神障害者レベル

動く事はできない。


(2)首からしかない女。スタイルは抜群。

目と耳と口がないので話すことや筆談はできないが、

セックスハグ家事はできる。


(3)脳髄のみで生きている女。

脳髄の先はipadマイクスピーカー、画面に接続されていて、

しかければ答えるし、冗談もかますコミュ力抜群。

2014-02-08

鬼武者サントラ収録時、指揮をした 新垣隆による楽曲解説(当時、佐村河内守作曲)と寄せ書き

多くの目に触れるようになる前から価格が高騰し、入手困難なCDであるため、これを引用公開することで、多くの人の目に触れることは、昨今の事情に照らし、有用だろうと思い、ここに記しておきます。じゃあ増田で書くなよ、というツッコミは効きません。たぶん期間限定

奇跡目撃者    指揮者 新垣隆

佐村河内スコアを詳細に眺め評価することは、近頃の劇音楽に屡々見られる基本的技術不足や、必要以上に技を凝らそうとする過剰なテクニックの持て余し。

これらとは明かに一線を画しているという事だ。

第一楽章邦楽静謐な、それでいて熱いエネルギーを内に秘めた佇まいから戦いを表現する大オーケストラへの見事な転換、目の眩むような、あたか生物細胞分裂の様な声部の増殖の緊張は、来たるべく英雄の出現(心に強く刻み込まれる主題[テーマ])を準備しているのだ。

第二楽章では、一楽章の主要な動機[モティーフ]や主題[テーマ]を巧みに変奏発展させてゆく、限られた時間の中で超絶的展開能力

神業である

そして遂に圧倒的なクライマックス突入する。

全く隙の無い構築力と完璧オーケストレーションには唯々感嘆するばかりだ。

これらの事が自然に在る、ということ、技術はその為にこそ使われなくてはならない事をこの奇麗なスコアは私達に示してくれている。

そしてこれこそが天才仕事なのだ

そんな氏の天才物語エピソードがある。

私がコーダ部の総譜を受け取りに氏宅に伺った日のこと。

着いてすぐ筆談で、まだ出来てないので待てとのこと。

以降氏は黙したまま延々4時間が流れた。

と突然立ち上がり、未だ見た事も無い80段はあろう巨大な五線紙を取り出し席に着くや否や、嵐の如くペンを走らせ始めた。

それは神憑り的な速さといった感じだった。

何やらスケッチでも書き写しているようだった。

10分も経った頃、「写譜なら手伝おう」と立ち上がり氏に近づいた私は思わず目を疑った。

氏が書き写している筈の五線紙の向こうには何も無かったのだ・・・・。

その恐ろしい光影に立ち尽くすばかりだった。

写し取っていたのは頭の中のスケッチだった、以降ペンは一度と止む事無く僅か20分で全ては終わった。

氏は見直しもせず「ポイ」と私に手渡した。

後に私が見直したところ、何の落度も無かった事は言う迄も無い。

こうして私は奇跡目撃者になったのだ。

注:引用者により、ルビを該当する熟語のあとに[]で読みを挿入してある。また、句点ごとに改行し、アラビア数字は半角に変更した。

交響組曲ライジング・サン』徹底アナリーゼ(分析)

遠い古からの声―長い間日本風土の中で培われてきた都節と呼ばれる伝統的な様式からこの曲は始まる。

この尺八の「息」が、はじめは琵琶の力強い一打や笙の開放的な響きを導き、外に開かれていく空間を形づくるが、つづく締太鼓合いの手を橋渡しとして、今度は逆に人間の持つ陰の部分、尺八の内に籠った響き、そこに影を落とす琴の不穏な調弦や笛の虚ろな息づかいなどが、前との微妙コントラストとして対置される―ここで提示された様々な要素(おもにコントラストという概念)がこの作品の全体を紡いでいく上での重要ポイントとなっている―。

やがて一本の竹のひびきは12もの竹(尺八)を呼び(ff)、静かに、しかし豊かにひびき渡る和太鼓の一打が大オーケストラを迎え入れ一転としてスペクタクルな場面に突入する。

前の部分と全く別な世界の様にみえるこの部分は実は冒頭の尺八旋律と深い関わりを持っている。

譜面を見てみよう。

(譜例1)ここでフレーズの後半にあたるAという部分にオーケストラ対応する。

(A')。

いわば西洋的に解釈―拡大される、という「複写」が行われる。

そして英雄の出現を伝えるファンファーレ(これは西洋で培われてきた伝統だ)につづいて(やはりこれも西洋伝統的な)ハーモニーのゼクエンツ(鎖)に乗って英雄テーマ提示され(譜例2)クライマックスを迎えた後、譜例1のBの和音の固定(オスティナート)による経過句に入る。

ここで邦楽の冒頭部分が新しい状況の上で再び現われる。

尺八サキフォーンに、笙がヴァイオリン群に、また12本の尺八は今度は虚ろで怪しげなハーモニーを醸し出し、三味線は乱れ(冒頭の拡大)、琴はますます不穏なアルペジュを掻き鳴らす、一瞬の閃光、地底から沸き起こったかのような轟音から出現したもの英雄テーマヴァリエーション、そして輝かしいマーチ(ファンファーレの変奏)―ここで西洋ハーモニーコントラスト(長三和音と短三和音)を挙げておく。(譜例3)

そして再びスペクタキュラーなシーンが登場し、コーダ(ゼクエンツ部分の変奏、このモティースがその後の楽章で大変重要役割を果たす)(譜例4)。

楽章は前半の静かな部分「夜の音楽」(佐村河内談)と後半の激しいアレグロからなるが、前章であらわれた様々なモティーフによる更なるヴァリエーションである

(一楽章ソナタ形式に於ける提示部と捉えるならば二楽章は展開部、三楽章は再現部とみなすこともできる)

楽章は前の余韻を受けて「能楽」の囃子コラージュ的部分を経て尺八の冒頭が再現される、ここでは笙のか代わりに弦楽器が増四度上で現れる、実に美事である

メインテーマがアダージュで(本来の姿で)再現され圧倒的なコーダで締めくくる……

以下は若干の譜例による指摘にとどめるが、この作品は様々な要素を複雑縦横に織り込んだ大変興味深い大曲であり、聴き手は注意深く聴き込む毎に新たな発見を見いださせる至宝の逸品と言える。

(譜例5)(譜例6)これは、まさに作曲者の静寂という苦悩の地より我々に届けられた一通の手紙なのだ……。

指揮者 新垣隆

引用者注:譜例3には『マーラー交響曲第8番(第6番かも、とにかく字が小さくて読みにくい)が想起される!』と書いてあるので、もともとマーラーが好きなんだろうと思う。また、誤字と思しきもの原文ママにしてある。

交響組曲ライジング・サン 参考動画

www.youtube.com/watch?v=ukFtX9iZPjU

余談だが、このサウンドトラックは贅沢にもxrcd2を採用している。ネットにある音源とは比べられないぐらい素晴らしい音楽が堪能できる。

2013-08-24

中国の初めての風俗で脱童貞したが遅漏で死にたくなった

 一度掲載して削除したもののせっかく書いたのでやっぱり載せる。表題の通り、中国風俗で脱童貞したが遅漏で死にたくなった。クソみたいに長文だから興味のある人だけ読んでほしい。

 当方、二十代。童貞はいっても、高校時代彼女がいて、彼女にはよくフェラしてもらったりしていたが、彼女は内臓系の病気を患っていて医者からセックスを禁止されていたため本格的なセックスはしたことがなかった。彼女はもちろん処女だった。二回だけ、医者言葉反故にしてTITSに挿入したことはあったが彼女はとても痛がり激しいピストン運動はできなかったため射精には至っていない。

 彼女とは大学に入ったあたりで別れ、なんとなくそれっきり女性にも興味がなくなってしまい、それ以降彼女ができないまま今に至る。生身の女性を相手にするのがしんどかったし、エロゲーAVを相手にしていたほうが疲れないというのもあったが、生身の女性を相手にしないことで無意識に足ピン、皮オナ、強握力オナニーという三重カルマを背負っていて、もしかすると自分は遅漏ではないかという疑惑が生じたのだがきわめて楽観視しており真剣に問題として捉えたことはなかった。

 いまの会社に勤めてから中国赴任を命じられ、数カ月前からここに住んでいる。中国では風俗は禁止されているのでいわゆるソープ的なところでは場合によってはK察のお世話になる危険性があるが、一方でデリヘルなどが発達している。値段が一万円程度、しかも本番アリということで彼女もいない身にとってはとても魅力的で試してみることにした。

 ネット検索をかけてみるといろんなお店があったが、日本語がOKで、割と善良そうなサイトを選んだ。日本風俗なら口コミなども豊富だと思うがこちらではそんなものは少ない。だが隅々までサイトを見渡せばなんとなく誠実そうな感じかどうかはわかる。ちなみに自分風俗などは行った経験がなく、その時点でとんでもなくハードルが高かったがここで一歩を踏み出さないと何も変わらないと思った。デリヘルを自宅に呼ぶことに決めたが、決めたあともなんだか落ち着かず、部屋を掃除したり買い物に行ったりして決断がつかなかった。悩むこと4時間、ついにふるえる手で番号をダイヤルした。飛び込み営業の何倍も緊張した。

 電話をかけるといかついおっさんが出るかと思っていたがでたのはしゃがれた声のオバサンで、片言の日本語でこちらの住所と好みの女の子を訊いてきた。明るい子で、日本語ができて、リードしてくれる子がいいとリクエストをした。可愛くなくても最悪我慢するつもりだったが、リードしてくれるかどうかは重要だった。童貞なめんな。オバサンはまたしゃがれた声でダイジョブダイジョーブとか言っていて不安にまみれたがもうここまできたら後にはひけないと思った。なるようになれと祈るしかなかった。

 思っていたよりも冷静に一時間ほど待機できた。時間通りに譲はやってきた。わりあい小柄で、髪は赤っぽい黒で後ろにまとめていて、胸元が大きく開いた服を着ていた。顔は、さほど好みではなかったが可愛い部類に入ると思った。ドアを開けるなり譲は抱き付いてきた。意外に自分は冷静でほとんど動揺はしていなかった。譲は部屋を周り、窓から風景などをひとしきり褒めた。日本語はしゃべれるとはいっても片言で、コミュニケーションとしてはかなり初歩の部類に入る。譲はコンドームを持ってるかと訊いてきた。持ってないと言うとポーチの中からゴムを取り出して微笑んだ。不覚にもちょっと可愛いと思った。

 譲はシャワーを浴びようと言いだし、風呂場へ行った。おもむろに脱ぎ始めた。乳はそれなりに大きかったが少し垂れていて、乳首は大きくちょっとずんでいた。だが、高校時代に付き合っていた彼女も当時服用していた薬の副作用乳首は黒かったのでそれぐらいではたじろがなかった。じーっと脱ぐ様子を見ていると、譲は恥ずかしそうにはにかんだ。そして僕の服を脱がせた。パンツを降ろすと、僕の息子は半勃起していて彼女は大きいね、と日本語で言った。ちなみに自分火星人半年ほど前から剥く練習をはじめ最近では24時間剥きっぱなしでも耐えられるようになっていた。譲はすっと手を伸ばし僕の息子を勃起させた。竿に触っているときより、校門に近い場所をさすられるほうが気持ちよかった。

 シャワーを二人で浴びる。譲はボディソープを使って僕の身体を洗い、僕の息子をとりわけ丁寧に洗った。ここでほぼフルボッキに近い状態になる。譲は竿をくわえた。気持ちいいと思ったが、歯が当たらないので物足りないとも思った。昔の彼女フェラは歯が当たるせいで少し痛かったが、それが少し快感だったのだ。

 まもなくシャワーが終わりベッドに移行する。割と高層の階にあってのぞかれる心配が少ないため普段はカーテンを開けっ放しなのだが譲は恥ずかしそうにカーテンを閉めた。僕はいよいよはじまるのだと思った。譲はベッドに腰掛け、iPhoneを取り出して何か文章を打っている。中国語翻訳アプリのようだった。中国にはどれぐらい住んでるのか?とか中国彼女はいるのか?などという他愛もない会話を筆談アプリ談?)で交わした。その程度の会話もできないことが情けなく、もっと中国語勉強をしようと思った。

 全裸の譲がベッドに寝そべったので僕が覆いかぶさるような形で譲にキスをした。譲は黙って目を閉じ、されるがままになっていた。僕は首にしがみつくようにして唇を貪った。女性キスしたのはいつぶりだろうか、はじめてキスをしたのはもちろん高校ときの例の彼女で、キスをしたプリクラを撮ろうとはしゃぎ、ジャスコの中のゲーセンプリクラコーナーで僕ははじめてのキスをしたのだった。そのときファーストキスレモン香りがするとわりと本気で信じていたがそれはもちろん嘘で、彼女レモン味の何かを口に含んでいない限りそんな香りがするはずはなかった。もちろん唾液の味がした。だがそれ以降もキスだけはお互いよくしていたのでキスの良さは知っている。相手の頭の後ろに手を回し、舌を絡めていると脳天に突き抜けるような快楽を感じた。僕はやっと性的に興奮してきた。

 譲は僕を仰向けに寝かせ、しばらくキスをしたあと、息子の処理にとりかかった。口で激しくピストン運動をする。僕はそのあいだ、彼女の乳を揉んでいた。昔の彼女は確かCカップだったが、譲の乳はそれより少し大きい。乳は脂肪でできているらしいが、中に何か塊があり、そういえばそうだったなと僕は思い出していた。僕は彼女が痛がらないようにそっと揉み続けた。彼女は高速でフェラをしている。確かに気持ちよかったが、これで射精できるとはとても思えなかった。

 しばらくして今度は譲を仰向けに寝かせ、足を広げさせた。ビラビラはそこまで黒ずんでおらず綺麗な色をしていた。僕はクリを刺激しながらそっと口をつけた。譲は目を閉じている。しばらく舐めると、小さく声をあげた。僕の唾液以外の液体でじっとり濡れ始めたため、僕はそっと左手の人差指を射し込んだ。譲はさらに目を細める。TENGAの中にも指を突っ込んだことがあるが感触は少し似ている。正直、ちょっと気持ちいいと思った。

 譲はコンドームをつけると言ったが、僕はもう本番なのかと少し焦った。前述の通り女性経験が少ないためうまくセックスができる自信がない。そのことを日本語で言ったが、譲には伝わらなかった。iPhoneを取り出して例のアプリを起動しようとしたが、僕は制止した。もうなるようになれと思った。

 譲はコンドームの包装を破り僕の息子に装着する。つけるときに、また大きいねと言った。世辞だと思ったが、怒張したそれは自分が見ても大きく、案外本当に大きいのかもしれないと思った。剥きはじめてからそれほど期間の経っていない亀頭ピンクから紫色っぽい色に変化しており、まがまがしさを増長していた。臨戦態勢に入っているのだと思った。

 譲が仰向けで僕を迎え入れる体制になる。僕は息子をTITSに押し当てると、すんなりとそれは入った。前の彼女とき彼女処女だったということもあり、こうはいかなかったので僕は驚いた。その後、少しぎこちないながらも腰を使うことができたので少し感動した。腰振りの練習は布団を使ってやろうと思った時期があったが、アホくさいのとうまくできないのとで断念していた。やはりセックス生物本能というか、練習などしなくても可能なものなのだという確信を得た。考えてみれば犬や猫などもバックで挿入しているが、あれをどこかで練習しているとも思えない。生物は生まれながらにしてセックスの技巧を持っているのだ。

 もちろん腰振りはAVで見るほどスムーズではなかったが、なんとかできてはいた。だが、問題は別にあった。あまり気持ちよくないのだ。譲の締まりが悪いのかと少し疑ってしまったが、考えてみればTENGAをはじめて使ったときも言うほど気持ちよくはないよな、という感想を持ったことを思い出した。これまでの数千回にわたる皮オナ、さらには足ピン、強握力による遅漏という弊害が出て来ているに違いなかった。僕は焦った。譲はますます激しくなる腰振りに感じていた(ふりかもしれないが)が、僕はいっこうに気持ちよくならなかった。極端なことをいうと、挿入しているという実感すら希薄だった。

 疲れてきたので譲と上下を交代する。譲は僕にまたがると、慣れた手つきで息子をねじ込む。さすがにプロだけあって、見事な腰づかいだった。時々覆いかぶさってきて、キスをしてくれる。満たされた気分になったが、それでも僕はあまり感じなかった。譲の顔は上気しており、だんだんと腰の動きも激しくなってくる。譲との温度差を感じ、僕は申し訳なくなった。譲はまだいってない?と訊いた。僕は頷いた。

 譲を四つん這いにさせ、今度はバックで挿入した。これもすんなり入った。バックは突きやす体位だと思った。確かに腰を振る必要があるが、相手の腰を両手でつかんで揺さぶればあまり腰の力を使わずに深く挿入することができるからだ。今までで一番激しく僕は突いた。譲の声もだんだん大きくなってくる。だが、それでも僕はまだいけなかった。ときどきピストン運動スローにして、挿入している実感を確かめると、いま自分セックスをしているのだ、という実感が深まり、それによって多少は気持ちよくなったが、このままあと何分これをやろうが永遠にいくことはないだろう、と思った。僕は絶望的な気分になった。

 譲が疲れてきたので僕は息子をTITSから抜いた。譲は中国語ですごいねと言って笑った。僕も腰が疲れてきたのでそれ以上セックスを続ける気にならなかった。譲はコンドームの上から手でしごいてくれる。自分でやるオナニーに近いため感覚的にはこれがもっとも馴染み深く、僕はまた性的に興奮しはじめた。譲は手でしごきながら深いキスをしてくれて、さらに僕の気分は高まった。だが、まだいく気配はなかった。舌を絡め合いながら、僕は本格的に焦り始めた。

 僕は仰向けになり、譲はコンドームを剥ぎ取って直接僕の息子をしごきはじめた。プロから、僕が射精をするまではプレイは終了しない。譲も必死だった。また僕にキスをしてくれる。僕はさらに申し訳ない気持ちがつのった。皮オナのみならず、足ピンも重大な問題だった。仰向けになることで足ピンに近い状態になることが出来、ようやく僕は射精の気配を感じとった。譲の胸を激しくもみしだきながら、射精のくる感覚を待った。やがてわずかに射精前兆を感じ、小さく声で、いく、と言った。譲はそれを聴いて、さらに手を速く動かした。

 わずかにドクンと息子が蠕動し、少量の精液がこぼれたあと、一拍遅れてすごい量の精液が飛び散った。譲の手はもちろん、自分の胸のあたりにまで射精してしまった。さすがの譲も驚いていた。もちろん僕も驚いた。一体何が爆発したのかと思った。ちなみに、精子を溜めていたのはたったの一日だったが、あの精液の量はそんな比ではなかった。睾丸に入っていたものをすべてぶちまけたのだろう、と思った。

 譲は落ち着いたあと、手早くティッシュで処理をして、またシャワーへ誘った。中国語で少し会話をしたが、半分ぐらいは意味がわからなかった。譲は僕の身体を洗いながら、何度かキスをしてくれた。僕らは身体をふいて、またベッドに戻った。

 譲はまた仰向けになれ、と中国語で言った。仰向けになると、肩から順番に、丁寧に時間をかけてマッサージしてくれた。ちなみに中国風俗はここまでの記述の通り本番まであるのだが、表むきはマッサージということになっている。この店の譲はマッサージもできるように訓練されているらしかった。自分の自宅で、しかも互いに全裸マッサージをしている光景はかなりシュールだったが、僕は本当に満ち足りた気分になった。情けない話だが、デスクワークで凝り切った肉体にはセックスよりも全身マッサージのほうが気持ちよかった。譲はなかなかツボを心得ているらしく、ときにやさしく、ときに手荒に僕の身体を揉みほぐしてくれる。セックス最中にはほとんど声をあげなかった僕だが、マッサージされながら何度も声をあげた。それぐらい気持ちよかったのだ。譲も嬉しそうだった。

 すべてが終了し、またディープキスをしたあと、譲は風呂場で服を着始めた。もう終わりか、と思ったが、時計を見ると一時間と少しを回っている。さっきの大射精で深い賢者モードに入っていたし、全身マッサージで至福の時間を過ごしたあとだったので文句はなかった。僕も服を着ようと風呂場に行くと、譲はブラジャーをつけているところで、また恥ずかしそうにはにかんだ。今さら何を恥ずかしがっているんだ、と思い、また少し可愛い、と思った。

 服を着ると譲は僕のリビングに移動し、窓の外の風景に見とれていた。急に何かを思いついたようにiPhoneを取り出し、外の風景をバックに写真を撮って、とお願いしてきた。少し躊躇したが、希望通り撮ってあげると、ものすごく喜んでいた。彼女ソファーに座って、iPhone写真を見せてくれた。こないだの休みの日に海水浴に行ったらしく、水着姿の譲がファインダーに向かって微笑んでいる。ノーメイクだと言って恥ずかしそうだったが、僕はノーメイクでも魅力的だと思った。時間になり、彼女が帰るそぶりを見せたので、僕はお金を渡した。彼女はそれを数え、これがママの分、これがあたしの分、と言って笑った。僕は少しチップをあげようかと思ったが、やめておいた。譲は最後に僕に抱き付いてきて、短いキスをした。僕はドアまで行って見送った。再見、とお互いに言いあって、別れた。

 初めての風俗、それも中国での体験で、結論としては概ね満足したわけだが、やはり遅漏の弊害は大きく、僕に深い影を残す結果となった。彼女が帰ったあとにパソコンを開いた。遅漏を解決する方法はないのか。すると、とにかくオナ禁しろということだったので、これからは本格的にオナニーを禁止し、月に1、2度のデリヘル譲だけで抜こうと心に決めた。思えば、女性と接触する機会、交際する機会は何度もあったにも関わらず、セックスに自信がないせいで僕は常に一歩を踏み出せずにいた。女性と同じ部屋に泊まったことがあるにも関わらず、何もできずに一夜を明かしたこともある。これも何かの機会だ、遅漏の解決と、セックスを練習することで、何か変わることができるかもしれない、とそう思った。

 無駄に長文になってしまいました。ご清聴ありがとうございました。僕と同じように、遅漏や火星などで一歩を踏み出せない男性は、とりあえず風俗女性に慣れてから改善をしていくといいと思います

2013-07-20

マスク

ここ数日、咳喘息が悪化したようで、声を出すと直後に咳き込む状態になった。

夫には、声を出せない旨を伝え、筆談で「加湿マスク(小さめサイズ)」を買ってきて欲しい旨を伝えた。

外出した夫が買ってきたのは、「加湿マスク普通サイズ)」だった。

残念。これなら、家にもまだストックがあるんだ。

肩を落とした私に、夫は言った。

「店にこれしか無かった。……ありがとう、ぐらい言えないの?」

ムッとしなかった、と言えば嘘になる。

でも、買い物をしてきてくれた労力には感謝を示すべき、これは正しい。

「ありがとう」

咽せた。やはり声はあまり出さない方がいいようだ。

しかしたら、声が出せないことが、うまく伝わっていないのかもしれない。

「声を出さないのは、出せないだけだから……他意はないよ」

そんなことを、伝える。

「でも、愛想がないっていうか、不機嫌そうだったしさー」

そりゃそうだよ。苦しいからね。

自分が至らないところも多くて、色々あって言われた「ありがとうぐらい言えないの?」なんだろうけど、メモをしておこうと思う。

半日経った今は、もう一周して、思い出し笑いさえできるようになったけれど。

でも、一瞬だけ、もう別れようかと思った気持ちも、念のためメモしておこう。

なにが「念のため」なのか、自分でもよくわからないけど。

 

2013-07-18

http://anond.hatelabo.jp/20130718181334

元増田らが感じているのは、殺人に関する会話が目に付くところに出てきていることへの違和感だろ?

でも実際には「目に付くところ」ではないんだよ。

強いてたとえるなら、密室筆談していたときの紙を、後からマスコミが入手して公開しているだけだ。

ニュースでよくやる「犯人電話の再現VTR」とほとんど変わらん代物。

それなのに違和感を覚えたのは何故か?

LINEというツールが目新しかたから。

そこで行われている会話がJK特有の砕けた口調だったから。

あとは殺人事件そのものへの恐怖感との混同。

そんなところだろ。

「俺はLINEを使ってる」がいったい何の言い訳になるんだ?

2011-09-22

真理は外で保管される

http://anond.hatelabo.jp/20110815225307

ということで先日はじめて台湾に行ってきた。

なんやかんや言って香港などよりも、下手すれば中国本土よりもずっと中国的なところだと思った。


故宮博物館に秘蔵されている歴代中国王朝の文物。

忠烈祠に合祀された抗日英雄の一人一人の名前と、

中正紀念堂に書かれた儒教思想および日本翻訳され中国にも輸出された近代西洋思想に基づく孫文の訓示。

仏教寺院で熱心に参拝する台湾人たち。

美しい繁体字を皆達者に書く。

下手な中国本土の都市よりも美しい北京語を話す。

地名には忠孝とか信義とか儒教思想が色濃く反映されている。

南京路とか重慶路とか中国都市を基にした地名が非常に多くニューヨークなどと同じく植民地地名のものだった。

中国ではすべて横書きに統一しているが、台湾日本と同じく新聞など模範的な文章は縦書きで書かれる。

漢民族伝統文化中華文明を忠実に継承している。

高雄とか便当とか日本の影響もところどころ目に付く。


香港では北京語は通じない。少なくとも、香港人北京語を聞き取りはできても話せず英語のほうがよほど通じる。

名前も英名が公式に使われる。

台湾中国でも最近は英名を名乗る人が増えたけど香港ほど公式ではない。

日本人ならダニエルとかマイケルとかメアリーとかキャサリンとかとても名乗れないだろう。

英国植民地面影が色濃く残る香港ポルトガルのそれであるマカオアジアの国とは思えなかった。

住民はアジア人の顔をした西洋人に見えた。

白人だらけでムスリムも多いタイや、

英語母語とする中国人ムスリムインド系の街であるシンガポールは、

すでにアジアなのかどこなのかわからない無国籍国家という印象だった。

ベトナム中国フランスとが混交していてカオス雰囲気を醸し出していたし。

台湾にはモンゴロイド以外はほとんどいない。

観光客中国人日本人かどちらだからだ。

日本語が通じる人もこれまで行ったどこの国よりも多かった。

片言の中国語で、英語筆談の助けを借りながら住民と会話した。


人類を支配するだけの文明を持ち得たのは英語が史上初だ。

少なくとも西洋言語のみが全人類に受け入れられる世界共通言語になり得る。

英語を否定するにもそれを手段として使わなければいけないという時点で、英語を否定できないことが証明されてしまう。

何が入用で何がそうでないかの判断はこのように割合容易につく。

言語アイデンティティ帰属意識、同胞意識)の確立の手段、という重要機能を持つが

それがコミュニケーションの手段という機能を上回ることはない。



文化発祥した地よりもむしろ影響を受けた衛星で保管されることも多いのではないかと思った。

どこの文化圏でも土着の文化よりも舶来の文物を珍重し上位に置く一定の傾向がある。

土着の文化は卑近で生々しいのに比べ舶来のものは「よく理解できない」ために神秘的だからだ。

日本語では大層難しく聞こえる漢語や外来語が、中国西洋では子供でも使う日常であることは多い。

儒教思想や陰陽五行思想はむしろ朝鮮本家中国よりも忠実に継承されている。

お箸単独で食事をするのもやたらお辞儀をするのも深々と頭を下げるのも日本人特有の風習であるし、元号も今や東アジア日本しか使っていない。

死に際で万歳をしたのも日本人だけだ。

唐服に影響を受けあるいは呉服起源を持つ?和服も今や日本の象徴である

国家元首名前元号名前漢籍から採るということも中国ですらしてない。



台湾沖縄韓国に失われた中国日本の文化の残滓が脈々と生きているように、

そして日本台湾韓国中国のそれがそうであるように、

文化起源を離れて独立して継承されていることも多々あるのだ。

2011-08-15

アジア人英語で話す寂しさ

10年ほど前学生の時、香港旅行に行った。

現地人に間違われることも何回かあり、

こちらが広東語を解さないことを悟ると英語に切り替える。

北京語筆談しようとして漢字を書いた紙を見せても英語で返される。

街中に溢れる英語はcentreとか-iseとかイギリス式だった。

ちょっと落胆した。

同じような顔をした東アジア人、同じ漢字の知識を持つ漢字圏の人たちと、

遠い西洋の国の言葉である英語で話すことの疎外感。

来日アジア人学生とは日本語で話していたから気付かなかったけれども、

日本に照準を当てていない外国人とは、いか文化人種的に近い東アジア人であろうとも、

英語がまずは標準語になるのだ。


最近東南アジアに行ったときも、やはり現地人との会話には英語を使うしかなかった。

現地の言葉を話そうにも、「サワディー」「カムオン」ぐらいしか分らないんだから

英語は分るのに、同じような顔をした人達の基本的な挨拶も知らないなんて!

自分を恥じた。


日露戦争の時は日本人清国人と朝鮮人ベトナム人とは、知識人であれば会話は出来なくても漢文で意思疎通が出来たらしい。

伊藤博文暗殺した安重根漢文の遺稿を残している。

安は日本人看守に処刑前に「為国献身軍人本分」という自書を渡した。

今や朝鮮人ベトナム人も平均的な戦後生まれは漢字を理解しない。

もっとも千数百年前は当時の漢文が今の英語立場にあったのかもしれない。


英語世界が均質化されるということは、逆に言えば今まで交流の浅かった遠い国との距離が縮まる分、

隣国との距離が相対的に広がるということでもある。


追記:

揚げ足取りする人ばかりでうんざり

広東語は話し言葉香港でも書き言葉普通話なんですよ。

アジア」は多義的で曖昧言葉ですね。

文脈によってその指す範囲は異なりますが、本稿では、文面から

漢字や箸や仏教儒教伝統文化として擁する東アジアの国々」からモンゴロイドを主要構成員とする東アジアの国々」

までを漠然と指している、ということを、感じ取れないでしょうか?

形式的には「中華人民共和国」という国連の基準では一つの国家の中に含まれていても、

ウイグルカザフキルギスウズベクチベットを「東アジア」に含んでいないことを、感覚的に理解できないでしょうか?

英語で十分、それ以外の言葉を学んでいたらきりがない」

英語がどこでも通じるから便利」

から、そのほかの文化が滅びていくことが無念だ、というのがこの日記の主題なんですよ。

安重根辞世の句、これは漢文から魂が込められているのです。

同じ文句を英語で安が発言したとして、意味は通じるでしょうが、それはもはや魂のない「記号」でしかありません。

漢文も土着の言葉蹂躙して君臨してきた事実差し引いてもです。)

今の韓国人は安の遺墨「為国献身軍人本文」「国家安危労心焦思」を読めません。

安の遺墨に込められた魂は漢字排斥により子孫たちから断絶されました。

私たちは、英語を汎用できる利便性と引き換えに、それぞれ固有の文化が持つ魂を失いつつあります

「自身の不勉強から強引に一般化する」

英語以外の言葉を学ぶにせよ、世界中言語全てを「平等に」習得するのは無理ですから

何にせよ取捨選択はしなければいけませんよね。

対象が日本語であれ英語であれ日本語方言であれ何であれ。

人類永遠にこの宿命から逃れられないという現実を嘆いています

2011-08-06

http://anond.hatelabo.jp/20110805235517

堅物だったよ.和文と漢文古典に詳しかったなあ.大叔父の言葉は僕と交わした最後の日に筆談ででた.

増田にいる暇とネット環境がある辺りで無能といわれてもなあというのはある.大叔父は血圧が収縮期で80 mmHg 未満で進行性のショックだからうそろそろ死ぬんじゃねえかな.もう意識はないし,あれぐらいになったら無能と呼んでやっても良いとおもう.

2011-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20110211073246

人は、目の見えない人を案内しようとする

耳の聞こえない人には筆談を試みる

足の悪い人に走ってついて来いとは言わない

しか空気の読めない人には空気を読めと言う

何故なら、目の見えない人はいても空気が読めない人などいないし

空気の読めない人は空気を読まない人でしかいからだ

それでも空気を読まないのだとした人格の問題だ

目や耳の不自由さと人格は全く関係ない、だから人は手を貸す

しか空気を読まない人は人格に問題がある、だから人は手を貸さない

世の中はそういうものだ

2010-07-04

http://anond.hatelabo.jp/20100703225643

当然できる。

人とつきあうということは、相手を知る作業を進めていくということ。 

相手を知ることはつまり意思疎通をすることに他ならない。

言葉が話せないということは「言葉による」意思疎通ができないだけだ。

言葉を話せる場合よりも難しいことは多いだろうが、筆談メールチャットがあれば解決できることも多いだろう。

また、言語的な意思疎通よりも、表情や仕草など、副次的な意思疎通も非常に重要であることは理解してもらえると思う。

やはり結論は、十分に付き合うことができる、だ。

補足だが、正直な感想としては、盲目で耳も聞こえない(つまり言葉も発せない)人が、他人と愛し合うことは不可能であろう。

(ヘレンケラーは意思疎通をする方法を取得したので別枠)

なお、事前情報の伝達なしでセックス(つまり行きずりのセックス?)することは、本件の主題とは何の関係もない。

2010-06-21

英語を死ぬほど勉強してきたからわかる、英語学習のありかた

前のん: http://anond.hatelabo.jp/20100620143255

前回エントリブコメ/トラバに逐一答えることはできないけど、眺めていて誤解があったかなと思う点について補足しておく。

まず一つ言っておくと、俺は自分英語学習の成果としての英語力に「満足している」。俺の英語力は俺に対して果たすべき役目を十分に果たしてくれている。そして同時に、自分には場合に応じてネイティブの力を借りなければならない状況があることを知っている。しかしその自覚は、決して自分コンプレックスを掻き立てるようなものではない。

なんつーかな、例えて言うなら、超サイヤ人になれなくてもクリリンにはなれる、ってことです。フリーザ一味のザコならガチボコれるし、フリーザ相手にだって気円斬駆使して、クラッチプレイヤーとしての役割を果たすことはできるわけですよ。しかしやっぱり最終的にはサイヤ人ナメック星人の力を借りて立ち回らなきゃいけないわけ。

クリリンにだって重要な役目がある」ことと、「でも結局クリリンクリリン」との間のバランスを取ることはとても大切なわけですよ。「どうせフリーザには敵わないんだから俺何もしねえよ」でもなく、「俺はもうフリーザとも互角だぜ」でもなく。修行の成果を自分の糧とし、修行していなかったら見ることのできなかった世界を見ることの意義は、「ラスボスを独力で倒せない」ことによって失われるものでは無いんです、全然。

しかしですね、今日本人に向けて英語をやれと言う人達。主として経営者であり役人であり、もしくは煽り口調でいうなら「中途半端英語ができる人間」ですね。英語をやれと言うこと自体はものすごく合理的だし理解できる。そこを問題視しているのではない。問題は、往々にして彼らは、「(今の段階の)クリリンにできること」の限界がわかってないと思われる点にある。そこから出てくるのは無いものねだりであり、無いものねだりされた側に植え付けられる英語コンプレックスである。その意味で、俺が指摘したかった問題は「レベルの高い」ことではなく、むしろ日本における初級以降の英語学習者の扱いなんである。

一つ例を挙げましょう。金谷憲の「英語教育熱 過熱心理を常識で冷ます」より(今手元に本が無いので記憶に基づいて。多少不正確かも)。文科省の高校英語学習指導要領に「実践的コミュニケーション能力の育成」という項目が入った。で、教師が「実践的コミュニケーション能力って何、具体的には何を教えればいいわけ?」と問うた。当然ですな。そしたら文科省側は「例えば英語電話をかけることができるような能力です」と答えた、というエピソード。

しかし(ここからは金谷さんではなく、俺の意見)、英語圏で生活をしたことがある人間なら皆実感として知っていると思うんだけど、「英語電話をかける」のはものすごく難しい。

これはちょっと考えれば当たり前の事なんです。まず、今時「電話での会話」が必要とされるのは、緊急性が高く、複雑なコミュニケーションが必要な状況に限られる。それ以外だったらメールや、自動音声ガイドに従ってプッシュホンのボタン押すので済むわけ。わざわざ電話で相手と話さなければならないのは、何かすぐに解決しなければいけない問題があって、その問題は単純なYes/No疑問文の応答では解決しないようなものである場合、ということになる。

そして電話である以上、視覚情報は全て遮断される。ジェスチャーや指さしを使うことも、相手のジェスチャーや指さしや表情から情報を得ることもできない。単純な音の聞き取りにすら視覚情報は大きな役割を果たしている(「マガーク効果」でググれ)。さらには頼みの綱の音声すら、電話回線を通して劣化していて、生で聴くよりも情報量が減っているのだ。この失われた情報の埋め合わせをするのは、確固たる英語能力に基づくトップダウン解釈しかない。

というわけで俺は、日本人高校生電話での会話能力を習得させるのは実質不可能だと思う。そもそも順番がおかしい、「面と向かってなら十分に会話ができる」レベルに達して初めてそれよりも困難な電話に挑むべきだ。しかしお上にやれと言われた教師は、とりあえずやらざるを得ないわけですよ。なので電話での定型文を適当に教えてお茶を濁すことになる。Hello, this is Bob speaking.

で、高校生卒業後、アメリカ旅行に行く。そしたら目的地の空港スーツケースが出てこない(アメリカ国内線ではよくある)。空港カウンターに行ったら、「後でここに電話しろ」と電話番号を渡される。ホテルの部屋から電話する。全然向うの言うことがわからない、こっちの言いたいことが伝わらない。惨めな思い。「学校英語なんて役に立たない!」となる。俺は六年英語をやらされたのに電話一本かけられない、ああ何て日本英語教育はクソなんだ、もう英語はイヤだ。

しかし、仮にこれが中国だったらどうか。中国空港スーツケースが出てこない、ここに電話しろと言われた、電話したら中国語で何言ってるか分からない。大抵の日本人は、ここで頭を抱えて自分中国語能力の無さに身悶えたりしない。まあ当然わからんよねーそりゃ、あーまいったなーと言いつつフロントに向かい、フロントマンに筆談や身振り手振りや片言の英語/中国語を組み合わせて意志を伝え、代わりに電話してもらうだろう。首尾良くスーツケースが届いたら、上手いこと言語の壁を迂回した自分コミュ力にニンマリするはずだ。

この非対称性を日本人は深刻な問題と捉えるべきだ。例えば、「学校英語が役に立たないのではなくて、学校英語ではできるようにならないことがあるだけ」という、ごく単純な真実を覆い隠しているのものは何なのか。それは元を辿れば、「クリリン超サイヤ人にはなれない」という認識の欠如で、さらにその大本にあるのは「超サイヤ人にならなければ生き残れない」という思いこみなんじゃないか、と思うんだよね。違う違う。学習のどんな段階においても、英語に関して「できないこと」は無くならない。どうしてもそれをやる必要があるなら、ネイティブにやってもらえばいい。「ネイティブにやってもらう」のは、恥ずかしいことでも、難しいことでもなんでもないのだ。

2010-05-05

増田の社を見て初めてここを知りました

私事を誰かに聞いてもらいたい

 

4月初めから週1でジョギングしてるんだけど、中旬ごろジョギングの帰りに黒人に話しかけられたんだ

最近日本に来たらしくて友達がいないので友達になってくれないかと言われた

メールをやりとりしたり、一緒にご飯を食べたり映画をみたいと

私自身大学生一人暮らし、友達が少ないのでまあいいかと連絡先を交換した

メールを数回やりとりして、次はその週の土曜日に会った

地元マックでお互いのことを日本語英語で話した

彼は日本語勉強したてであまり日本語が通じないので筆談を交えて

私はリスニングスピーキングができないので、途中から英会話教室になったけど

3時間くらいしゃべって、帰りにケータイカメラで肩組んでツーショットを撮った

次はその次の週の金曜日の夜、私が授業を終えてから

ご飯を食べて映画見る予定でした

電車に乗って横浜まで行き、ご飯を食べた

みなとみらいに移動する前にプリクラ撮ろうぜと言うもんだから

プリクラを一緒に撮ったんだが、これが問題になった

肩組んでプリクラを撮ってるときに彼がすんげーディープキスしてきたんだ

男とつきあったことないからキスしたことなくてびっくりしたけど、好奇心が勝って拒絶しなかったんだ

舌を入れられながら胸を揉まれ、ジーンズ越しにアソコを触ってきた

さすがにアソコを触られたら手を払いのけたけど、

キスをほっぺたに近いところまでなめられ体をぎゅっと抱きしめられた

好奇心に負けたのが罪悪感になってその後私は無言

山下公園に連れてかれるものの、私の様子が変なことに気付いたようで引き返す

電車に乗って地元まで戻り、いろいろ謝罪の言葉を聞かされたものの私は手を払いのけて帰宅した

次の日に謝罪のメールが来たのち、私からは返事をせず連絡を絶った状態になってる

 

友達と言うものの友達を超えた振る舞いをしたことを怒り、

このまま彼と付き合っていくことの不安の気持ちの一方で、

私の頭の中が性への好奇心でいっぱいなのが矛盾している

セックスなんてもんを一度はやってみたいと思うんだけど、

好きだとも嫌いだとも思わない相手とすることなのかという矛盾

そして彼はうまく意思疎通ができない黒人だということを踏まえ、

私はこれからどうすべきなのか

わからん

 

私は女だ すまん

2010-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20100117154722

まぁ正直普通にしててできないってのがカチンと来て書きなぐった感は多々ある。

ってか俺位なのは正直普通じゃないな、それは認める。

だけど君のいう普通の具体例を書いてくれよ。

そうしないと批判のしようがない。

だが君の言ってるレベルは正直いうと就職活動面接担当者圧迫面接食らったからもう就職しませんレベルじゃん。

一切努力もしませーん。世の中が狂ってるので俺は悪くありませーん。でも俺は普通です!(キリッ

何が普通かは書いてくれないからしらんけどな。

それ本気でいってんの?ってか恥とかないの?

いくつか知らないけど1人前の大人として、人として

誰がそんな子供を好きになるんだろうか。

そんくらいで社会が悪いとか言う奴は企業だってノーセンキュー女の子もノーセンキュー

それが普通っていうのなら俺は反対する。

努力はノーセンキューって言ってる時点で何も改善がないだろうから結局無駄だろうが、

んで正直君のした努力って何?それを教えてくれよ。

またナンパ話になって申し訳ないが

俺の友人の知り合いで直接会ったわけではないけど、

聴覚障害者にてナンパで始めて彼女を作って童貞じゃなくなってナンパを引退した人

筆談女の子に声をかけて彼女に至る。。

普通ありえねーw

http://tutomu73.blog43.fc2.com/

(非常に失礼な言い方で申し訳ないけども)

聴覚障害者の方ですら自分現在の状況を認識し、把握して対策をとってそして結果を出されてるけど、

君は何をしたの?

どうせ言い訳しか帰ってこないだろうけどなw

それが非モテだよな!って感じでいいと思うよ。

けど社会のせいとかカッコ悪いからやめてくれ、

反論も別にいらないよ、どうせ内容は読まなくてもわかるしね。

反論でも書いてる暇でも会ったら公園掃除とかのボランティアでもいくつか参加して出会いでも作ったら?

これが一番の助言だと思うけどな。

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