なんで難聴なんだろう。
「コミュニケーション障害」という言葉がある。普段は「うまく会話が出来ない人」という意味で使われることが多いが、聴覚障害者は本当にコミュニケーションをする上で障害がある為シャレにならない。
人の会話を聞いてもうまく聞き取れない。その上相手の顔色を伺ってえ?と聞き返せず聞こえたふりをしてしまう。聞き返さねば聞き返さねばと心の準備をしようとしても、会話はどんどん流れていって会話の全てがわからなくなり、聞き返す気力も次第に失っていく。筆談も考えた。だが健聴者のペースで流れる会話の中で、ポンと筆記具を出してこれに書いて!なんて言えるものだろうか?自分のペースでしか会話ができないことが辛すぎる。そして次第にコミュニケーションを取らなくなって、一人でいることが多くなってしまう。一人でいる方がむしろ楽なのだ。だがそれが辛くて悲しくて、家に帰ると毎日のように家で泣いている。
ここ数年打ち解けた友達というものがいない。だがそれは難聴の所為ではなく、コンプレックスに塗れた性格のせいなのだと思う。難聴をコンプレックスに思うからダメなのだ。難聴を劣等性だと思わず、自ら積極的に筆談なり聞き返すなりすればいいのだ…とわかっていても、過剰な自意識が邪魔をする。
正直に言うと健聴者が怖い。私の理解できない言葉が目の前で飛び交うのが怖い。だが怖い怖いばかり言っていられない。結局解決できるのは自分自身なのだ。よく聴覚障害者のサイトで健聴者に理解を求める内容のものがあるが、理解を求める前に自分でまず行動できることがあるだろう。。。自分を変えられるのは自分自身しかいないのだ。
近いうちに小中等度難聴の集まりを探して行ってみようと思う。仲間が見つかるはずだ。共感できる人を見つけることで、少しでも楽になりたい。