はてなキーワード: 登板とは
『ウルトラマンZ』を観ていると、毎週何かしらの良い意味でのサプライズがあり、
脚本と特撮を含む演出に密度の濃さを感じているのは、SNSで見かける反応を見る限り、
しかしながら、ふと思ったのが「実はニュージェネって各作品毎の質に波がある」という疑問。
・1作目『ウルトラマンギンガ』は、廃校を舞台に、主人公と元同級生達との交流を描く
青春ドラマを軸とすることで、低予算で作品の質を守る工夫がされていた。
・2作目『ウルトラマンギンガS』は前作の直接的な続編だが、スタントマン出身のメイン監督、坂本浩一と
脚本の小林雄次・中野貴雄が、ドラマと特撮とアクションをバランス良く成立させた。
・3作目『ウルトラマンX』は田口清隆監督とシリーズ構成4名の布陣で、各設定をアップデートさせた
・4作目『ウルトラマンオーブ』は田口清隆監督が続投、『X』でやりつくした正統的様式をぶち壊す方針で作られ、
人気を博したことでニュージェネレーションの基礎が確率された。
・5作目『ウルトラマンジード』は作家の乙一によるハードSF寄りな物語と、再登板の坂本浩一監督の明るい演出が
良い方向に組み合わされた良作となった。
・6作目『ウルトラマンルーブ』は、評価こそ悪くないものの、企画・設定に粗が目立つ作品となった。
・「防衛隊が存在しないと同じ町内の話ばかりになる」という某監督の指摘があるが、
『オーブ』の怪奇現象YouTuberチームや、『ジード』の治安調査団のような、防衛隊の代替機能となる
役割の存在が無く、企業城下町ウルトラマンというスケール感縮小が否めない。
・ホームコメディを目指したと言いながら、ドラマ面で兄以外の親・弟への掘り下げが殆ど無く、
学園ドラマ要素を盛り込もうとして破綻した『ウルトラマン80』と同じ轍を踏んでしまった様子。
・7作目『ウルトラマンタイガ』はウルトラマンタロウの息子・タイガと、出身の異なる2人のウルトラマンの
トリオと、タロウを逆恨みする拗らせウルトラマンとの戦いを軸として、宇宙人と地球人の対立や和解を描く
企画だったようだが、タイガ以外の2人のウルトラマンは出番が少なく、本編にはタロウも現れず、宇宙人差別も
ある程度踏み込むかと思いきや終盤の数話で噛ませる程度に終わっている。
…といった印象で過去作を振り返ってみると、『オーブ』『ジード』までの成功と、『ルーブ』『タイガ』の不調が
見て取れる(好みは皆違うので、異論は認めます)。特に『Z』の出し惜しみの無い展開を見せられた後では、
『ルーブ』と『タイガ』は出し惜しみ感や、設定やイベント消化に追われていた印象が強い。
ニュージェネの監督は皆優秀なのだけれど、メイン監督は、坂本監督や田口監督のような拘りの強さがないと、
悪い意味で企画・設定の消化で目一杯になってしまい、各話監督時のサービス精神が発揮しにくいのでは、という感想。
メジャーリーグベースボールのボストン・レッドソックス等で活躍した田澤純一投手が13日、日本の独立リーグ BCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズに入団した。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200713/k10012512801000.html
日本人歴代3位のメジャーリーグ388試合登板というリリーフ投手としてメジャーリーグで積み上げた数字の割には、日本では知名度が低いだろう。
それは通常、日本でスター選手になり満を持してアメリカに渡る選手が多い中、田澤選手は日本プロ野球に所属した経験が無いからである。
「日本のドラフトを拒否して直接海外挑戦した場合、日本に戻っても高校出身選手は3年間、大学・社会人出身選手は2年間、ドラフトで指名できない」
というものだ。
プロ野球12球団の申し合わせ事項となっており、通称で田澤ルールと呼ばれる。
これはまさに田澤選手が引き金となって作られたルールであり、本人が希望したとしても、巨人や阪神などのいわゆるプロ野球の球団にはすぐに入団できないということである。
田澤選手は、高校を卒業後、社会人野球のJX-ENEOSに進んだ。
JX-ENEOSで活躍して評価を高め、複数球団からドラフト1位候補として名を挙げられるようになった。
しかし、ドラフト指名が確実視されていた2008年、メジャーリーグ(MLB)挑戦を打ち出した。アマチュア有望株のMLB挑戦について、当時の球界には一大騒動が巻き起こった。
田澤選手はNPBの全球団にドラフト指名を見合わせるよう文書を送付し、バッシングを受けながらも最終的にMLBの球団と契約した。
これを受けて、NPBの球団は事後的に上述のルールを定めたのである。
1995年の野茂英雄氏をパイオニアとして(ただし、日本人初のメジャーリーガーは1960年代の村上雅則氏)、その後数々のプロ野球選手がアメリカに渡ったが、ルールは問題が発生するたびにその都度整備されてきた。
野茂氏のMLB移籍も複雑な話だった訳であるが、長くなるためここでは割愛する。
NPBを経ずにMLBに行こうとする日本人選手が現れるのはどんな背景があるのか。
海外移籍のためのフリーエージェントの権利を得るのに9年の1軍登録が必要だからだ。2軍暮らしが長ければもっと時間がかかる。
原則と書いたのは、ポスティング制度を利用すればそれより短い期間で移籍できるからである。
しかし球団が認めなければポスティングでは移籍できないので、海外フリーエージェント権を得ない限り移籍の自由は保証されない。
MLBに挑戦するのが30歳近くなれば、選手によっては全盛期を過ぎていることもある。
数年間日本で実績を積んでMLBにステップアップしよう等ということはできないのである。
日本人選手が自由に海外球団と契約できることは、NPBのレベル低下につながる。
しかしながら、「NPBからオファーがあったにも関わらず、それを蹴って海外球団と契約されてはNPBの面子が立たない。面子を立てなかった選手の面倒は見ない」という裏の声が聞こえてしまうように思えてならない。
一方で日本の球団は、チェン・ウェイン、リン・イーハウなどといった台湾の有望選手を獲得している。
また、昨年には異例中の異例で、2018年にMLBドラフト1巡目指名を受けたが契約に至らず、2019年にも再度の1巡目指名確実と言われたカーター・スチュワートがMLBを経ずにNPB入りしている。
ここ数年の田澤選手はアメリカでもマイナー暮らしで、力は落ちてきていると見られる。
したがって、田澤ルールが無かったとしても今の実力でNPBで投げれるかは未知数だ。まして2年後、3年後にNPBの球団が獲得する保証はない。
とは言うものの、インタビュー記事からすると、田澤選手自身もこのルールには従っている。
しかし、将来の選手のためにも、このようなルールが少しでも変わっていくことを願っていることも事実のようだ。
https://full-count.jp/2020/07/14/post829635/
田澤ルールは田澤選手が渡米した事後にできたルールだから、田澤選手には適用されないのではという説もある。
もっとも、NPBの球団が田澤選手をドラフトで指名する動きが無いため表面化していないが。
レベルや報酬の面でNPBがMLBに敵わない以上、アマチュア・プロ問わず今後も多くの選手がMLBを志望するだろう。
しかし、この田澤ルールについては、大物アマチュア選手がMLB志望を口にすると、たびたび話題にはなったものの、深い議論には至らず置き去りになっているように思える。
この年数はアマチュア選手にとってどんな心理的影響を与えるのか。年数を変えたらどうなるのか。
同じ目的を達成するのに、他の手段ではダメなのか。どうしてもこのルールである必要があるのか。
議論を重ねた上で、最終的に結論は変わらないかもしれない。しかし今はまだその議論がなされていない。選手の契約、移籍に関する問題は発展途上だ。
・あるSF編集者が自分の担当したアンソロジー本(『日本SFの臨界点』と『2010年代SF傑作選』)の表紙を掲載し、そのツイートが広くバズった。
・それを見てある読者が twitter で以下のような発言を行い、反響を呼んだ。
「なんでSF小説とかアンソロの表紙って漫画・アニメ絵の女の子ばっかなの?恥ずかしくて持ち歩けないんだけど。自らターゲット狭めてマーケット小さくしてる気がする。(中略)誰も彼も「売れるから」で思考停止している気がしてならない。」
それに対して当該編集者がfusseterで以下のような反論を行った。
・「女の子」に関して
・イラストレーターには『性別を指定しない抽象的なキャラクター像』で発注したもので、『女の子』ではない,
・キャラクター的であることそのものに対する違和感にしても、少なくとも現場ではそういうものにしようという意向ではなかった。
・「恥ずかしい」に関して。
・特に若年層ではキャラ絵が「恥ずかしい」と思う感性はあまりないはず。
・キャラ絵が想像力を狭めるということはなく、むしろ想像力を喚起するもの。
・表紙に対する意見について
・表紙を描くイラストレーターたちにも評判を気にして傷つくなどの感情はあるんだから、そういう人に届く危険を認識したうえでSNSを使え。
・事実として違う(SFマガジンの書評欄に見られる書籍の表紙を引き合いにだして)。
・今回の表紙の意図について
二者間で応答された論点は以下のように要約される。
1.なぜSF小説・アンソロの表紙はキャラ絵の女の子ばかりなのか
1.は事実認識としては適当ではない。ただ、主観的で不正確な感覚でも、その感覚が広範に共有されていればシーンに対する認識としては強度を持つ。
たとえば、読者の記憶に残りやすい「目立つ」コンテンツの表紙にアニメ絵率が高かった(ように思える)場合、多くのユーザーは「表紙にアニメ絵ばかり」という認識を持ち、関係するアクターやシーンの振る舞いもその認識に沿って動いていく可能性がある。
ハヤカワは伊藤計劃の『ハーモニー』『虐殺器官』の文庫化の際に、伊藤計劃作品のアニメ映画でキャラデザを務めたredjuiceを起用した。ちなみに表紙に、ではない。本をすっぽり覆うタイプのオビにイラストを反映させたのだ。実質的には「アニメ絵の表紙になった」とみなされても仕方がないし、事実そのように勘違いしている人も散見される。
シライシユウコのイラストレーションに対するファンダムの記憶は伊藤計劃や百合SFと密接に結びついており、2010年代の「気分」を確実に決定づけていた。
「シライシユウコが表紙を描くこと」は他のイラストレーター(キャラ絵寄りであれそうでないであれ)が担当するより確実にある種の指向性を帯びやすい。
どういう指向性か、と問われるとなかなか言語化しにくいが、このイラストレーターが伊藤計劃の『ハーモニー』の単行本版の表紙を担当したこと、伴名練のデビュー作である『少女禁区』の表紙を担当したこと、ライトノベル作家の短編が多く採られた『ゼロ年代SF傑作選』の表紙も担当し『2010年代SF傑作選』がその「再登板」でもあること、百合SFブームを決定づけた『SFマガジン』の百合SF特集号の表紙も担当していたこと、等々から鑑みて、「百合SF」に代表される近年のSFを代表するイラストレーターとみなされうる、といったところだろうか。
もちろん、シライシユウコは上記以外にも多くのすばらしい仕事を残している。ヤングの『時をとめた少女』など『2010年代SF傑作選』よりも「少女性」が強い絵も描く一方で、円城塔の『エピローグ』(単行本版)やヴァーリイの『逆行の夏』などのようなさほど「少女性」が目立たない絵もある。
そうしたイラストレーターが表紙を担当することで、某評論家のいうように様々な出自、トーンを持つ収録作のイメージを一つのカタにはめることになるのは否めない。それはイラストレーターの罪ではない。
『日本SFの臨界点』に関して言えば、伴名練が編纂するということで『なめらかな世界と、その敵』での「キャラ絵の人物がアップになっている表紙」が文脈的に意識されているのだろう。
『なめらかな世界と、その敵』の収録作はジュブナイル的な色彩を帯びた作品が多く、表紙の選択はかぎりなくマッチしていたと思う。だがその文脈を発表年代も書き手もバラバラなアンソロに持ち込むのは(表紙を決めるのは編集者なので作家ではなく編集部として)作品群を「私物化」、あるいは領土化する行為として糾弾されてもしかたがない。
とはいえ、アンソロジーを編集するのはひとつの創作活動でもある。DJのようなものだ。どんな作品を選ぶか、どんな順番で収録するか、といったことが作品個々の印象や読み味を大きく左右し、「一冊」のイメージを決める。その点で、表紙を「私物化」するのも表現の一部であるかもしれない。増田個人の意識としてはアンソロの表紙もまた(アンソロ自体のコンセプトにもよるが)「私物化」されるべきと考える。
ハヤカワは伴名練という作家に過剰な文脈を背負わせすぎなきらいもあり、それはあまりよろしくないと感じるが、『日本SFの臨界点』は伴名練の作品・批評のひとつとして見なすべきではないか。
アンソロを編纂するということはそのくらい暴力性を孕んだ行為なのだ。「埋もれた作品を発掘する」などといった無邪気な善性だけで成り立っているものではない。作品について一切指向性を持たせたくないのなら、表紙をつけず、amazon あたりで短編単位でひとつずつ売るしかない。
2.に関しては編集者の反応があまり噛み合っていない。「恥ずかしい」と感じることはどこまでも個人的な感情なので、「若者には違和感がない」と反論してもあまり意味がない。発端となったツイートで「恥ずかしい」に続く文がマーケティングの話なので、マーケティングの話をされていると思ってもしょうがないというか、増田も普通に読んでればそう取ると思うが。
また、編集者の立場としてはイラストレーターを守りたい気持ちで「いや、恥ずかしくないんですよ」と反論したくなるのもわかる。表紙についての議論をすることに対してやや脅迫的ともとれる言辞をしているのも、そうした仲間を守りたい意識のあらわれだろう。その判断は編集者として間違ってはいない。
ともあれ、その人が「恥ずかしい」と感じたならば「恥ずかしい」のは仕方がない。また、読者や作家にもそうした感覚に共感する人々が一定数存在するようなので、そうした心情を斟酌しないのはいかがなものかと思う。最低でも文面の上ではそうした消費者の感情に向き合うふりくらいはしておくべきではなかったか。
Twitterではよく「表紙が恥ずかしくて買えないとかガキか」という意見が目にされたが、そういうマウントの取り方もよくないと思う。
3.については(元の発言者は重要視していないとしているが)完璧に食い違っている。片方は「キャラ絵にすることでターゲットを狭める」と主張し、もう片方は「キャラ絵にすることでターゲットを広げる」と主張している。百合SFブームを仕掛け成功させたことや、この論争がそもそも『2010年代傑作選』と『日本SFの臨界点』が"バズった"結果生じたものであることを踏まえると、(編集者もまたマーケティングのプロではないにしろ)編集者側に理があるように思える。
SFというものはキャラクター文化と親和的なのだから、そっち方面から未開拓の読者を拾った方がよいと判断するのは筋が通っている。「キャラ絵で買わない新規消費者」より「キャラ絵がついてることで買ってくれる新規消費者」ほうを多く見積もっているのだ。興味を持ってくれる読者層を有効に開拓してこなかった業界の怠慢を一挙に巻き返そうとしている節はあるにしろ。
ある一定の方向へ突出しすぎている表紙を出すことでそれ以外の読者を切り捨ててしまう可能性はある。たとえば、ライトノベルの表紙絵はキャラ絵を好む読者以外へのリーチをハナから諦めている。キャラ絵を用いてる点では『臨界点』と変わらないが、よりパラメータがいわゆるオタク寄りに調整されている。最近、スニーカー文庫のハルヒが角川文庫から再発されるにあたり、有名ないとうのいぢの表紙から実写を用いたいかにも一般向けの表紙へ切り替わったことがあった。これは「キャラ絵を切り捨てる層」への訴求を試みた例だろう。
ハルヒのメインターゲットであった層を掘り尽くしたので、本来ターゲットにしていなかった層も掘る余裕が出てきたのだ。メガヒット作ならではの展開といえるだろう。
間口を広く取れるのは後者だ。特定の層により訴えるのは前者だ。
どちらを取るかは出版社の戦略次第だ。ハヤカワが大手より体力の低い中小出版社であることも考慮にいれるべきかもしれない。
だが、特定の層に訴えるマーケティングはときにその層に含まれていないと感じた消費者への疎外感を生じさせる。そのことには出版社は自覚的であるべきだろう
個人的な感想をいえば、シライシユウコ絵が「マンガ・アニメ的絵」だという意識はあまりなかった。林静一から中村祐介に至るイラストレーターの系譜(もちろん彼らにくらべたらややまんが的ではある)に連なるような存在として認知していた。
『臨界点』のイラストもそこまでキャラ絵として意識していなかった。「恥ずかしい」と感じられるキャラ絵とは、それこそライトノベルの表紙絵くらいのレベルだと思っていたのだ。
たとえば、『臨界点』がライトノベル的な表紙であったら、増田も「切り捨てられた」と感じたことだろう(それはそれとして本を買いはする)。
こんなことを萌え絵に対して不感症になっている典型的な日本人の謗りを受けそうであるし、実際そういう面も否めないのだろう。増田はよくTwitterで論争になる公共の場所で広告に使われる萌え絵について「恥ずかしいだろ」と(その是非とは別のレイヤーで)思ってしまう人だ。本当に「恥ずかしさ」の基準はひとそれぞれだなと思う。
今回話題になった表紙が即女性に対するオブジェクティフィケーションにつながるとは思わない。
一方で、キャラ絵を用いたSF小説の表紙が女性という表象にまったく何も背負わせていないとも思わない。本人たちが意図するしないにかかわらず、文脈的には「百合SFムーブメントを作り上げた編集者」が、「伊藤計劃の百合SFやSFマガジンの百合特集号の表紙を描き、百合のイメージが強いイラストレーター」や「百合SFムーブメントの一翼を担った新進作家」と作ったものなのだ。人はそこに「少女」を見る。その「少女」は私たちの築き上げてきた「少女」のイメージを背負っている。そこに無自覚ではいられない。
私たちはどのレベルの「恥ずかしさ」で合意するのか。SFという貧しく狭い領域でマーケティングとコンプライアンスをどう天秤にかけていくのか。
今はまだ問いの出ない問題だ。作家にしろ編集者にしろ読者にしろ、一個人ではどうにもならない問題でもある。
だが、他人の感じる「恥ずかしさ」を「時代遅れ」と切り捨てることなく、あるいは読者同士で向き合うことで、ある方向へ流れていけるかもしれない。そこから先は、未来の話だ。作家たちの語るべき領域だ。
余談。あるミステリ作家が「消費者の意見に対して真剣に向き合わず、味方を囲い込んでる」と例の編集者にキレてブロックしたことについて。むしろ、fusseterの文面ではTwitterでの論争の不毛さに触れているように、犬笛にならないように注意を払っているように感じた。よくやるように擁護ツイートのRT連発みたいな行為にも走っていないし。
個々のフォロワーたちが発言したり群れたりするのは止められないだろうし、それを「味方を囲い込んでる」ように見えたとすれば、多分に先入観が強い。
「意見に向き合え」というのはその通りだと思う。本人がおそらく可能な限り真摯に向き合っているつもりなのはfusseterで重ねられるエクスキューズからも読み取れるが、だとしても人はどこかで何かから目を逸らしてしまうものだ。当事者になればなるほど防衛機制は強まる。ただ例の編集者は自分に対して意見を言ってくる人を尽く敵と見做して戦争をしかけるタイプには見えないし、あの作家の言うことなら無碍にはしないはずなので、ブロックする前に意見交換を行なって互いの認知を均したほうが幾分有益であったはずだ。
この問題については意見を出してる作家や業界関係者でさえ恐る恐るというか、批判にしろ擁護にしろ通り一辺倒のことしか言っていない印象がある。
その穏当さが党派的な対立を強めていはしないか。業界のトピックとして捉えるなら、公の場で作家同士でもっと突っ込んだ話し合いを行うべきではないのか。
横田哲也氏「安倍総理、安倍政権は動いてくださっています やっていない方が政権批判をするのは卑怯です」この言い方が有りなんだったら
左翼「自分たちは安倍政権打倒のために動いている 何もやっていない横田氏が左翼を批判するのは卑怯です」ってのも成立するよね
アニメオタク「なんだこの酷い作画は」⇒「アニメーターは一生懸命やっている 何もやっていない方がアニメ批判をするのは卑怯」
野球ファン「ワンポイントで登板して四球与えて降板とかやる気あんのか!」⇒「選手は一生懸命やっている 何もやっていない方が西武を批判するのは卑怯」
こんちは増田です。4月になって春アニメが続々と放送開始している今日このごろ、いかがお過ごしでしょーか。
私は研修で遠方に缶詰になってまして、ようやく戻ってきたと思ったら今度はコロナの影響で自宅待機とか。この業界も影響出るんだって初めて知りましたよ。全然影響なんてないと思っていたのに……
というわけで、もう書かないでおこうと思ったアニメの話ですが、自宅待機のおかげで時間があまりまくってヒマなので、冬アニメの総括などを懲りずに書いていきたい。
なお、前回の記事
https://anond.hatelabo.jp/20191215115436
ワクワク感が半端ない。ものづくりとか創作はこれがあるからやめられない。って言うのがわかってもらえるんじゃないかと思う演出が憎い。現実の世界から空想の世界にシームレスに移る部分がすごく心地がいいなと感じました。3人の能力に特化した作業分担。金森氏のようなプロデューサーだって創作に関われるんだよってところもポイント高いですね。今かかっている劇場版SHIROBAKOでも同じ。現場だけではアニメ(それ以外の創作作品)は作れない。だから金森氏が人気なのか?
いい群像劇を見せてもらいました。各キャラクターも個性はあれど突出はせず、タキタとミカを中心にうまく話がまとめられていてわかりやすかった。
空を飛ぶ壮大なシーン、世界観を画で見せる。美術・背景もキレイ。最高の演出のオンパレード。食事シーンも最高にいいのですよ。ああ、龍肉食いたい。
アニメファンからは全く相手されなかった作品だけど、私は声を大にして言いたい。最高。
当初の犯人捜しから、身近な人の犯罪を暴いていったり、予期しないストーリーは探偵ものの醍醐味ですわ。決して派手なストーリーや演出はないんだけれど、だからこそ人物の感情がくっきりと描かれている。これ、アニメではなくて実写のドラマとしても展開出来るいい脚本だと思います。シリーズ構成の岸本卓さん、いろんな引き出しを持っている人なんだろうなあ。
最初の感想はすんごくどーでもよかったんです。友達の家で他の人がプレイしてるゲームをぼーっと眺めているだけって感覚に近い疎外感を受けながら見ていたんですが、だんだんと物語に惹かれていくんですよ。なろう系でチートなお話なのでそこまで最初はじっくりとは見ていなかったんですが、キャラの可愛さと作画の安定感、アクションシーンもかなり動いていたのが結果的に作品に入りこめたんだと思います。製作スタッフが頑張った作品ですね。2期製作おめでとうございます。
安定の筆安一幸脚本。最初から最後まで外れなしの各回。半年前納品のNHKアニメだから出来る安心のクオリティ。そりゃ面白いよ。キリヲの回でラスト超盛り上がる構成すごいなって思ったら、ラストはくろむちゃんのネタを持ってくるとこが衝撃でしたよ。キラキラの衝撃だよ本当に。2期も期待してます。
作品自体が面白いのでアニメもそりゃいい感じになりますよ。二人の視点が絡まって話を盛り上げるのはストーリーが秀逸ですよね。原作通り。キャラデザも忠実に再現されてて、原作のファンも納得じゃないですか。
ただ、個人的に言動や仕草とかが意識高い系ッぽいのがちょっとしんどかったので評価が下がってしまいました。
原作の絵がアニメでどうなるかと思いましたが、こちらもいい感じにデザインされてて作品とあっていましたね。
コマ割りとか吹きだしなどの漫画的手法を使ってアニメで表現するのってハクメイとミコチもやっていたんだけれど、原作の独特な世界観と空気を壊さない配慮としてはあり。この雰囲気がこの作品の魅力だな。話が終わってないパートもあるので、2期に期待していいですか?いいんですかね?
今季の頭真っ白にして見られるアニメ。ランカちゃんに木野日菜を持ってきたところですでに面白いよ。合格点だよ。ストーリーは突飛なものが多いんだけれど、ブレないし小ネタも多かったのでよく考えられてると思う。
前作に引き続きでほぼ設定などは同じ。盾と慎重勇者がゲストに入ってきた程度か?学園の鉄板ネタで安定してた。3期もやるってことでこのままで続けて欲しいね。
小雪の周りがボケてそれを突っ込む基本パターンがこの作品の魅力なのでしょうが、それしかないのはキツいかなと思ったらやっぱりそれしかなかったかなという印象。
ゆるキャン△2期へつなぐためのショートアニメとしてはキチンとしたストーリーだったので好感が持てた。舞台の山梨を巡るというのは聖地巡礼も捗るし、地元企業とのタイアップも期待出来るしWin-Winじゃないですか。しまりんもちょっとだけ出てきてて本当によかった。
へやキャン△と同じくショート枠。こちらは後半あからさまに企業アイアップ臭がぷんぷんしてちょっとなーって思ってしまった。ちなみに、三河地方に3年過ごした経験がある私にとって雀田来先輩がやああああっと登場したのが嬉しかった。みんな、竹島水族館をよろしく。(よくデートで使った)
さすがレールガン、勧進懲悪の王道を突き進んでますねー。シスターズも元気で何より。コロナの影響か3週飛んでしまった事が悲しいですが、これから巻き返して欲しいですね。
いい題材のきらら作品なのでどこまで深く掘り下げるのか興味深かったのですが、蓋を開けたらいつもの通りのきららアニメだった感じ。もうちょっと地学・天文学を掘り下げたらマニアックになるのにな~と思ったんですけど、やっぱり無理ですかそうですか。
わたてん!スタッフがスライド登板ということで、変態部分出るかな?と思いましたが、まあないですよね。キレイさが残る今季のきらら枠でした。
エロゲーが原作のこの作品も、ここまでエロを抜けば潤っちゃう~~!アニメになるってことだな。
終わった。長かった。
いつ切ろうかと思っていたけれど、結局完走してしまった。
色々と問題点はあるけど、そもそも会話劇をアニメにして楽しかったのだろうか。脚本家の人苦労しただろうなあ…… あと、鋼人七瀬をあんなに引っ張るとは思わなかった。(原作の小説準拠なんでしょうね) これはテレビアニメではなくて劇場アニメにすればしっくりしたと思うけどな。あまりにも12話は長過ぎ。テンポ考えて。
むっちゃ面白かった。けど、エログロがあるアニメは評価しにくいのでここ。
天原さんはついったでもpixivでもエッジの効いたエロをたくさん出しているので知っているけど、この作品でも炸裂してたなあ。人類には早すぎるものもあったけど嫌いじゃないよ。
正味1分20秒の超ショートアニメ。フラダンスの教本アニメ。可もなく不可もなく。
感動の名作かなと思っていたんだけれど、(-ω-;)ウーン ゴーレムと旅するだけじゃん。
原作は売れたからアニメにしたけどって感じの作品なのかね。アニメにしたらつまんないやつじゃなかったのか?
はてなスター☆もあってはてな界隈では少しネタにされましたが、結局空気。
作画が省エネでしかもあれ。なのはまだいいとして、そもそも話自体面白いのか?
変身バンクも用意していながら王道展開が全くないし、主人公はてなと真は活躍しないし一体何をしたかったのか。
とか何とか言いつつ11話まで見続けた。早くラストが見たいけれど万策の関係で最終12話の放送日が決まらない。これでそのまま放送しなかったらうんこ確定だぞっと。
かなり期待してはいたんですが、結局9話くらいで見なくなった。
いろはの貫通行動がないのが原因かなって思う。各話ごとはそこそこ面白いんだけれど、最後に「で、結局何がしたかったん?」で終わるのよね。多分ソシャゲのストーリーを順を追ってやってるんだろうけど、それも話が分かりにくい原因になってると思う。
あと、当初2クールって聞いてたけど13話で「終」マークが出てびっくりしました。結局2期(分割2クール?)ってことだけど、多分後半は見ないかな。13話までは録画で残したけど。
最初は中々の展開で期待はしていたんだけれど、数字が支配している世界でその数字をイカサマしていたらいかんでしょ。ここから作品の設定に色々と突っ込み入れながら見るみたいな不信感が募っていき、8話で戦闘ヘリが出てきたところで無理でした。ごめんなさい。数字が支配している空想の世界で現実の物体が登場したら白ける。もう設定がどうとか「もーえーわっ」て感じ。いちおう録画には残していて見ようと思えば見られますけど、見た方がいい?
3話まで見たものの世界観が理解出来ず、後述の(1)の基準で継続ならず。
面白そうだったし、話の方向性が分かればまだ見続けていられたのに残念。
1話Aパート見た時点で「あ、違う」と思い1話切り。主人公のシナモンが世界観をひとり喋りして興ざめた。もうちょっと何とかやりようがあったのでは?
新カットありとかだけど、新作とはいえないので冬アニメとしては評価せず。けれど面白かったよ。初見の時は白竜戦あたりで追っかけるのがしんどくなったのでほぼスルーしてたけど、改めて見るとやっぱり面白いわ。2期はきっと見ます。
で、別にここからは見なくてもいいのですが、みなさんになんであのアニメ見てないんだよとか言われてますが、私のアニメの視聴には法則があって、、、
1)人が死ぬアニメ、争いごとがメインのアニメは見ない。ヤクザが出てくるアニメも基本見ない
3)続編アニメは最初から追っかけているアニメ以外は「基本的に」見ない(2018年頃にアニメファンに復帰したのでそれ以前は見ていないものが多いよ。最後に見たアニメはあずきちゃんだった)
4)1クール14作品(2019秋アニメからは頑張って20作品)を基本として、放送予定が決まった作品から視聴する(≒直前で放送日が決まったアニメは視聴リストから外れる可能性が高い)
5)ただし、アニオリ作品はできるだけ視聴する(今期ID:INVADED見たかったけど4番の理由で見られず)
3時間にしたら案外あっと言う間でした。
二時三時問題勃発する中、
いやいや3時間は、
永遠と書いて永いと読ませたいほど永いわよ!と構えつつ終電間際の際までだと翌日しんどいわ。
なんだか付き合わされちゃったけど、
そんなわけで朝からシャキッと行きたいところなんだけど、
これはいよいよ閉店間際の今際の大バーゲンなのかしら?と思いつつ、
プール帰りに食べるおでんはとてもおいしいでお馴染みの夏おでん。
それに加えて秋おでん始めましたって準備のためのおでん温め器のいよいよ登板でスタメン入りしてるのかと思ったら、
まさかのおでん温め器がセール対象品になってて笑っちゃうけど、
いや本当にこれマジで閉店しちゃうの?真向かいに同じコンビニできちゃったから閉店なの?と、
いや正式に言うと負けてあげるという甥っ子への優しいオセロのようで、
700円分もいつも買ってないのにキャンペーンクジ引を当たるまで引かせてくれるからそうなっちゃったの?とも、
ちょっと罪悪感。
私のせいじゃないからね!と思うわ。
でもさ、
閉店セール開催中のコンビニの向かいに出来た同じ系列のコンビニの前は別系列のコンビニがもともとあって、
なんだかややこしいけど、
その新店舗の道を挟んだ向こう側の昔からあるセブンイレブンが閉店セールで惜しまれながらの、
もうこれはコンビニ上上下下剋上だわ!と乱立するコンビニに何かを申したくなるわ。
コンビニの看板の色が変わると街並みの色も変わるような気がするけど
夜も煌々と明かりを灯し向かいの閉店するコンビニも照らすのがなんとも皮肉で、
なにか上手にものの例えを言いたいようで言えないような、
そんな切なさを感じつつ。
少なくとも私は閉店するまでそこで朝シャッキリドリンクを買うんだわって
心にそう決めて閉店セールに足繁く通いたいわ。
うふふ。
コンビニと言っておきながら、
朝から肉!って行きたいけどさっぱりサラダ系がお腹にも優しそうな印象。
一度本格的にスパイスを使ったホッツをやってみたいけど、
例えばクミンシードとブラックペッパーとかカルダモンを入れるんだもん!と
それらをホールスパイスでのホッツスパイスウォーラーとかやってみたいわね。
とりあえず
早く使い切っちゃわないとという感じだわ。
またホッツスパイスやってみたら書くわね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!