はてなキーワード: 登板とは
シン・エヴァンゲリオン、面白かったですね。ラストシーンではシンジとマリがイチャイチャしたあとカメラがひいていくと宇部興産と宇部興産専用道路(興産大橋)がドカーンと大写しになって終わり、というシンジくんが宇部興産に就職したことを強く示唆するものでした。
これについて、多くの人が「宇部と宇部興産の景色」が庵野秀明の原風景の一つであることを指摘しています(もう一つの原風景は身体障害者の父親でしょう)。ただ、それだけでエヴァンゲリオンというコンテンツを宇部興産で終わらせるとも思えないですし、パンフなどをみたかぎり実務(特に脚本解釈と編集)を担当したのはどうも緊急登板である前田真宏監督であり、マヒローの視点が多く入った、庵野英明だけの映画でない、ということも考慮しなければいけないと思う。
というようなことを考えたときに、やはり田植綾波にたいしておばちゃんが発した「働くとは汗水たらすこと」というセリフにたいする反論として、現代文明と日本社会の象徴として宇部興産という要素が使われている、という面が大きいのではなかろうか。それがいいことかわるいことかは別として、現代の文明社会は砂の加工製品たるコンクリートを基盤にして形成されている、というのは確固たる事実です。みなさんが住んでいる家だって大抵はコンクリートの基礎の上にたっているでしょう。そして宇部興産という会社は、日本におけるセメントの象徴のような存在であり、そしてスーツで宇部興産に出勤する神木隆之介碇シンジはあきらかに「汗水たらす」仕事をしていない(まあ建築資材部門じゃなくて化学部門とかで働いてるかもしれませんが、そうだとしても汗水たらす仕事ではない)。
シン・ゴジラでもそうだったと思うけど、今の庵野秀明にはあきらかに現代文明と日本社会を比較的素直に肯定するような面があり(それが誰の影響でそうなったかみたいな話は俺よりもっとエヴァ好きな人にまかせる)、その象徴が宇部興産であり、宇部興産専用道路だったのではないか、というように俺には見えた。
言いたいこととしては俺は宇部興産というか宇部興産専用道路が大好きなんだ。工場の配置の非合理を力業で無理矢理ぶちぬくその精神性、そして連結されたオーストラリアみたいなクッソでかいトレーラー。道路と道路にある意味不明な踏切。エヴァンゲリオンに興産大橋が出てきて本当にうれしかった。
高校1年生の1953年に、冷蔵庫、洗濯機、トースターなどがようやく登場する。
32歳の1969年に、第32回衆議院議員総選挙に立候補する。
選挙直前の一族会議中に、近隣の家から出火した。この時、森は決死の覚悟で家にとびこみ、仏壇を抱えて出て来たという。当時の北陸地方は仏教への信仰が篤い土地柄であったこともあり、この行動は風向きを変えることになった。
51歳の1988年に、日本が初めてIPインターネット接続をする。同年、リクルート事件発生。森は約1億円の売却益を得ていたとされ、一時謹慎する。
63歳の2000年に、当時の小渕首相が脳梗塞で倒れる。その3日後に第一次森内閣発足。日本国の長となる。
前任者の急病による就任であり、総裁になるための正式な準備無しでの登板だったため、内心「正直いってえらいことになったな」と思ったという
64歳の2001年に、えひめ丸事故発生。森はプライベートでゴルフ場におり、第一報が入ったとき関係者からその場を離れないよう指示されていたらしいが、第三報が入るまでプレーを続けた。ゴルフを続ける映像が繰り返しテレビ放送されかなりの悪印象となる。
同2001年、森は総理大臣を辞任する。約1年の任期期間だったが支持率は低く、前述のえひめ丸事故の印象やたびたびの「失言」が支持率低下の原因だったとされている。
73歳の2010年に、育ての母が亡くなる。
76歳の2013年に、アルゼンチンのブエノスアイレスで行われた第125次IOC総会に現地入りし、東京オリンピック (2020年)開催決定の瞬間に立ち会った。
77歳の2014年に、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長に就任する。
84歳の2021年に、失言により、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長を辞任する。
森が物心がついたのはいつ頃だろうか。仮に小学1年生の頃として、この頃は1944年である。母が亡くなった年である。
森が小学2年生のときに第二次世界大戦が終結している。どんな時代であっただろうか。戦後教育なので、今よりはるかに奔放な教育がなされていただろう。有り体に言えば体罰や、現代の倫理観では時代錯誤とされることが、当然の教育としてなされていただろう。
そのような教育を通して、森は育ったのだ。
日本にインターネットが誕生し、私達がWindows98でテレホタイムをしていたころには、既に森は61歳で定年を過ぎている。
森は内閣時代もとにかく失言が多いイメージであった。生来の性格とみるか?育った時代、教育、環境も影響しているはずだろう。
私達の感覚では、「時代に合わせて感覚をアップデートできないものは置いていかれる」「アップデートできないものが悪い」というのが通常だが、森にこれが可能だったとは到底思えない。
特別に森がというより、一般論としての森の世代がである。Twitterが誕生したころには70手前の世代である。
自分の母親や父親、職場の上司に「感覚をアップデートしろ」というレベルではない。それよりもっと上の世代の人間である。学生時代に戦後を経験した世代にである。
PCが使えなくて当たり前だろう。スマホが使えたら上々だろう。その世代の人間は、感覚をアップデートするのが嫌なのでなく、どう感覚をアップデートすればいいのかわからないのではないのか。
この世代の人達は恐れているのではないか。自分の古くさった感覚をアップデートできてないことは自覚しつつ、言葉ひとつで多くのバッシングが飛んでくるこの時代を恐れているのではないか。
哀れと思うこそすれ、責められないと思うのだ。私達も、いずれきっと行く道である。
安倍政権が他に類を見ないほど外交上手であったのなら彼が最長政権を維持できた理由は説明できるかもしれないが、別にそんなことはなかった。
また、増田自身が「民主党(含む野党)がだらしないから」という論に安易に乗ってしまっている気がするが、安倍政権が時々失敗していたなら、適切な外交政策を打ち出して勢力を伸長する党がその間現れなかったことも不自然である。安倍が外遊に力を入れていたことは事実だが、対露外交の失敗は増田の言うとおりであるし、ヨーロッパ・アフリカに対する中国の派手な外交と比して世界の地勢に橋頭保を築き得たというほどのことはなく、彼方の首脳陣との間に個人的な信頼関係を築くこともできていない。またアメリカ・イスラエルに寄り過ぎて、中東関係では初歩的なやらかしもしている。そもそも身近なアジアにおいても、対韓国では朴大統領との間で交渉を進めた結果、逆に文政権の成立に手を貸したようなもので、文政権成立後何もできていないし、北朝鮮にはトランプから「口を挟むな」とでも言われたのか、結局あれほど課題だ課題だと言いながら8年間何もせず、できなかった。つまり「安倍政権が外交で評価された」という主張自体、事実ベースで見れば成り立たず、実体はただのイメージ論に過ぎない。
よって、安倍政権が例を見ない長期政権を築き得た理由、ファクターXは、これまでの政権とは全く違う、別の部分にある。では、安倍政権がやった、そしてほかの政権がやらなかったこととは何か?
私見では、それは人事統制・情報統制の2点だと思う。内閣人事局による官僚支配、そして、徹底的なメディア管理だ。
2014年に設置された内閣人事局は、菅官房長官・安倍総理による官僚支配の象徴である。これは、安倍政権の、それ以前の政権とは全く違う性質を象徴する。モリカケ問題はその象徴の一つに過ぎない。
一方のメディア管理については、NHKへの露骨な圧力問題(総理就任前の2005年の番組改編問題から始まり会長・経営委員会に自己人脈の人間を多数送り込むなど)をはじめ、強権的な体質を隠す気もない。世界報道の自由度ランキングでは、民主党政権の3年間(2009~2011)は17位、11位、22位だったが、安倍政権2012からは53位に急落し順調に低下。現在は安定して60~70位をキープする、先進国中最低水準の有り様である。
正直な話、第二次以降の安倍政権を象徴するのがこの2つで、この2つを欠いたらあの長期政権は成立しなかったというのが最も正しい判断だろう。
では、「そんな簡単なことを、なぜ他の政権はやらないのか?」という問いがあるかもしれない。それだけのことで長期政権が取れるなら、みんなやればいいのでは? これに対する答えは極めて簡単で、そんな恥知らずな真似は普通できないから、ということに尽きるだろう。議院内閣制における官僚支配、民主主義国家での報道支配は、いずれも政治運営上のタブーであり、これをやれば、誰も政権に歯止めをかけることができなくなり、確実に国家は衰退・弱体化する。それをやったのが安倍晋三という人間である。国民が彼を選んだという説明も、本来は微妙に怪しい。国民はまさに彼を選ぶしかないと、この8年思わされ続けてきたのだから。ただ、そのメッキはコロナで脆くも剥がれ落ちた。「これは自分の手には負えないこと」と引き際を見極めた逃げ足はさすがである。後始末のような面倒は、部下の汚れ専門の実務家に任せればよいと考え、ことが済めばのうのうと再登板の心づもりだろう。ひょっとすると、東京五輪を再登板の舞台とさえ考えているのかもしれない。
スワローズファンの親元に産まれた時点でその運命は決まっていた。
抗えもせず、私は幼少時から、野球そのものを知る前にスワローズを知り、それを愛した。
スワローズに夢中になり、故野村監督の全盛期から今に至るまで、シーズン中、私の気分の上下は、ほぼこのチームの勝敗に左右された。
『いきなりよわくなったりつよくなったり』のチームを、応援し続けて、今では殆どの選手が年下となっていた。
数少ない年上選手の中で、19年間神宮のマウンドに立ち続け、チームのために投げ続けてくれる石川雅規(愛称カツオ)というベテラン投手がいる。
40歳の開幕投手なんて、と他の球団のファンは思ったかもしれない。
他の球団には、もっと強くて勝てるエースがいるのだろうし、それは素直に羨ましい。実際石川は、華々しいエースというタイプではないだろう。
しかし石川は、怪我人の多さでは他の追随を許さないヤクルトで、19年間ほぼずっとローテを守って投げ続けてくれてた。
しかし、今年は石川にとって辛い登板が続いた。チーム状況も目を逸らしたくなるような有様だ。
『スワローズに勝利を』毎日そう願ってる。でもある日、石川が登板する日に『どうかカツオに勝利を』と願ってる自分を見つけた。
今更気づいた願いは、石川と同期の五十嵐亮太投手の引退を聞いてより切実となった。石川にはまだ投げ続けて欲しい。石川がいないヤクルトは、神宮は、それまでと同じではなくなるような気がした。(神宮が建て替え予定なのは知ってる)
私はここで初めて、自分の世界の中心のスワローズの中心にカツオがいることに気付いた。当たり前のこととして、自覚していなかったけれど。
今年の石川の成績が振るわないこと、年齢的なこと、ヤクルトファンの中でも色々言われてるのは知ってる。それも現実。
でも、この厳しいプロの世界では、どんな若手だって明日のことは分からない。
つまり逆にいえば、石川は、まだまだこれからの選手、の可能性だってあるかもしれない。
選手の応援の仕方なんて人それぞれだから、私は私なりの応援を続けたい。
輝く一等星、流れ星、消えた星、現れた星、そんな選手達に囲まれて、北極星のように中心でずっと動かずに。
野球選手の割には小柄な石川の肩には、今までに去っていった選手の思いも乗っている。ずっとみんなの背中を見送る側だ。
本当なら、その全部を降ろして神宮のマウンドから下りて仕舞えば、その方が楽なのかもしれない。
でも私は、石川にはまだ去って欲しくない。
当たり前のこととして、来年も神宮の『カツオの日』を眺めていたい。
ともすれば、マウンド上で迷子になりがちな若手投手陣に背中を見せ続けて欲しい。
ずっとスワローズを守り続けた石川雅規を、まだまだ誇らせて欲しい
ここに来て私は、カツオへの強い想いを自覚したので、勝手に一蓮托生でいようと決意した。
カツオがヤクルトに入団した時から、これはもう宿命みたいなものだから。
勝てる時も負ける時も、最後の日の最後の一球まで添い遂げる覚悟だ。
どうして急にこの感情が湧き出したか本当に分からない(ほぼ五十嵐のせいな気はする)。こんな押しつけがましい愛を、もちろん伝えられる訳ないので、ここに溢れるままに書いた。これで少しは落ち着けるかなと思う。
だから。
今夜も、私は世界の中心へ愛を叫ぶ。
行革が錦の御旗になる時代はとっくに終わった、というだけだよ。党派性の問題にしたいようだが、仮に野党が同じようなことを言っていようが、筋が悪いという意見は変わらないな。
今の日本を会社に例えれば、過去には金づるとなる事業を抱えて好調だったが、今や競合も多く、おまけに未曾有の大災害で市場も冷え込んでいて大ピンチという状況。
この状況でするべきことは、普通はビジョンの練り直しと新規事業の開拓だろう。ところが、危機の最中に登板した新社長は「既存事業の徹底した経費節減によりV字回復を図ります!」とドヤ顔で宣う。まぁ、俺だったら即座に株を売っ払うね。別に「欲しがりません、勝つまでは」をもう一回やりたいなら止めないが、まぁ、悲惨なことになるだろうな。
その意味では、デジタル庁には若干の期待を抱いていなくもない。例えば、もし、平井さんが自分のミッションを「紙の業務をデジタルに置き換えること」だと思っているなら、まぁ、無残に失敗するだろう。
本当に必要なのは、「デジタルを前提に業務そのものを見直すこと」だ。そんなこと、当事者にしてみればやりたくないことの筆頭だし、業務の根拠となる法律だって山ほど変えなければいけないだろう。つまり、上は大臣から下は現場まで、行政組織のあらゆる構成員からデジタル化に向けた協力を真に得る必要があって、そのためには「日本の行政はこうあるべきだ」という青写真、ビジョンが必須だ。これが、「○○の申請書がエクセル方眼紙なのを改善しました!」みたいな話の対極にあるのは分かるだろう。
というわけで、これは非常に困難な道のりなのだが、どうも「庁」の職掌で達成できるとかいう甘い見通しを抱いているように見えるし、たぶん菅さんもこれを最後までやり通す覚悟はできてない。だから、デジタル庁は十中八九で単なる「電通庁」になるだろう。ただ、もしも、これでまともなビジョンを打ち出してやり遂げるところまで行ったら、それは素晴らしいことだと思う。
俺は法治国家やめてるからこそ、案外行けるんじゃないかなって思うけどね。
次の首相、これまで安倍がやってきたことすべて引っ被るんだぜ。
そうなったら国民どもはまた叩き始めるし、そこに安倍の私兵集団のJNSCが集ればあっという間に再登板要請の機運が高まると思う。
国会議員にとって、1番怖いことは、もちろん「落選」です。「猿は木から落ちても猿だが、国会議員は選挙に落ちたらただの人」とは良く言われます。
そして、衆議院議員の任期は約1年。泣いても笑っても、この1年のどこかで選挙です。
その状況で、「選挙に強い」と言われた安倍総理が辞職しました。
「国民に人気のある人を担ぎ上げて、化けの皮がはがれる前に選挙をしてしまう」というのが、1つの作戦でしょう。
そうやって議席を得れば、4年間はやりたい放題です。
実際、自民党は、過去に、その作戦を取ろうとしたことがありました。
時は2008年。
長く続いた55年体制に国民は嫌気が差し、金銭問題の不祥事なども重なって、政権交代は時間の問題とも思われていました。
自民党は、当時、国民に人気があるとされていた麻生太郎を総裁に選びます。
Wikipediaの「麻生内閣」項には以下のように書いてあります。
自民党内の圧倒的人気を得た麻生は「選挙の顔」として[3]、解散ができなかった福田にかわり[4]「解散、総選挙を行うことを前提に」首相になったとも言われ
結局、麻生内閣成立直後に起こったリーマンショックにより、麻生氏は解散を断念。
そうこうしているうちに、麻生内閣の支持率は低下し、1年後の政権交代に繋がります。
さて。
今回も、その作戦をとるとしたら、国民人気のある石破氏あたりを総理総裁にして、総選挙に討って出る。
そして、総選挙が終われば、党内基盤の弱い石破氏は、好きに料理できる。下手したら、そこで、安倍総理の再々登板という可能性だってある。
もちろん、石破氏も、一人の政治家として、大いにあがらうでしょう。
この先、何が起こるか、楽しみです。