はてなキーワード: 楽園とは
社会人になってから初めて存在を知ったんだけどさ、この世には「社会に出たおかげで初めて人に話を聞いてもらえるようになった人」というのが存在するんだな。
クラスでハブられ部活でハブられ自分が入ったコミュニティはことごとく散っていく(参考:https://note.com/tonoike0604/n/n946aaf2c59f1)もんだからママ・パパ以外に話を聞いてもらったことのない人たちね。
原因としては話し方がキモかったりウザかったり下手だったりらへんだろうなってのは話してて感じるし実際そうなんだろうね、憶測だけど。
社会に出ると先輩は気にかけてくれるし仕事の為にみんなが自分と話をしてくれるしで、生まれて始めて人間の温かみを感じて舞い上がっちゃうみたいなのよね。
それで小学生が先生あのねあのねって喋るようなよちよち歩きトークであちこち行って喋りまくっちゃうの。当然人との距離感はわからんし空気読むとか出来んしの会話ド素人だからもうマジでヤバい。NBC兵器のCはコミュ障のCだわマジで。
そんな初めて人に話聞いてもらえました系人類だけど、なんでだか型にはまったようにみんな「自分頑張ってますアピールをしたがる」「同期をものすごい敵視する」そして「同期より仕事が出来ない」んだよねえ。
順序としては「仕事出来ない」→「会話も同期より下手」→「このままでは自分が会話出来る楽園が同期に奪われてしまう」→「何としても維持しなきゃ!」なんだろうけど、いわゆる無能な働き者ってやつで倍プッシュでトラブル起こして結局辞めてくんだよね。
辞めてくれる事自体はありがたいんだけどね…。
戦え 皆 戦え 皆 神のために戦え
神は 助けを乞う者を 助けたりしない 慈悲を乞う者を 救ったりしない
神の王国は 降りてくる!!
百人のために一人が死ね 千人のために十人死ね 万人のために百人死ね
ならば 億土の神の世界のために この私の小さな世界が燃えて墜ちても
その果てに 神は降りてくる
皆で 祈れ(たたかえ)
裂けて 砕けて 割れて 散る
みじめな私の元に あわれな私達の元に
馬の群れのように 神は降りてくる!! 天上から!!
それで
どうした 答えろよ プロデューサー
狂ったプロデューサー
皆 死んだ
皆 死んだぞ
お前のために お前の信じるもののために
お前の祈りのために
皆 死んでしまった
お前はもうプロデューサーじゃない
アイドルの従僕ですらない
いや もはや人ではない
敵を殺し 味方を殺し
守るべきアイドルも 勝ち取るべき声も
度し難い 全く以って度し難い化け物だよ 「プロデューサー」
それでもなお あきらめを踏破するのなら
https://anond.hatelabo.jp/20210420144859
こういうこと言い出すやつめっちゃ多いんだけどさ。
問題なのは、批判に値する意見ってバカにはかけないということで。
批判って、ちゃんと文章を読んで理解したうえで、その問題点を指摘する必要があるから。
そして誤読した文章や、読み切れてない状態でなんか言おうとする。
自分がネガティブなこと書いたら批判未満の不愉快なやじにしかならないっていうことをいい加減理解しろって言いたくなるわ。
批判に値しないネガティブな意見はすべてゴミ・野次扱いくらいで全部非表示にすればいいまである。
100文字制限だからってのもあるけど、まともな批判なんてほんと1割か2割でしょ。
他の奴は全部誹謗中傷扱いでいいよ。
だから、自分がその2割だと思わないんだったら、おとなしくまともな批判にスターつけるか大喜利でもやってたほうがいいよ >はてブ利用者諸氏。
批判に値しないようなゴミ発言しかできない人間にとてもやさしい。
文章を読んでいるとは思えないズレまくりの発言をすることもある。
いつも同じようなことを言っていてしかも的外れなので、リアルで同じようなことをやればぼけ老人のような扱いを受けるのが関の山だ。
そうでなくとも、他人の話をちゃんと理解しようとせず、思い込みで的外れなことをいう人間は
生まれた時から高貴な身分でもないのであれば、無視されるかゴミのように軽蔑されてしまいがちだ。
しかしはてなの場合、党派性さえ合っていれば深く考えずにスターを押す人間が多いため、ゴミ発言の方が支持されたりする。
その結果として、まともな発言が出来ず軽蔑しかされなてこなかったような人間が居場所を見つけて居座ってしまうことになった。
そういう人間が集ってスターを付けあい、まともな人間の意見を抑圧するようになると場が腐る。
まともな人間にとって不快な腐った空気を蔓延させることによって単に愚痴や的外れな誹謗中傷をやってるだけの人間の楽園を作り上げてしまう。
そうやって長い時間をかけて今のはてなブックマークの空気が醸造されてしまったってわけ。
・介助が必要な場合はカスタマーサービスに36時間前までに電話で介助スタッフ予約
https://www.vr.fi/en/facilities-and-services/accessible-train-travel
・乗降サポートのみが必要な場合は事前予約不要、ただ事前連絡が望ましい
・車椅子の形や重量によっては乗車不可
・全ての駅でのサポートは不可
https://www.sj.se/en/we-offer/disabled-community.html
・一緒に持てる荷物は20kg1つまで
https://www.sj.se/en/we-offer/disabled-community.html
雪組だけに?
これ一幕ものでよかった、と思う。
雪原?ロシア?ロシア。ナポレオンが敗北したロシア。でもサクサク動いてみんなを助けて、いい人なんだなあナポレオンさん。
ここは少し気持ちがダレた。もうちょっと演者側でやりようがあったように感じる。ワンスのマックスやこのナポレオン、月城かなと氏だったらどう演じたかなと考える。city hunterは楽しみにしている。
ベートーヴェン「おれたちは何のために生きてるんだ」
ナポレオン「苦しむためだ」「苦しむためじゃなかったら、おまえは何のために生きてきた」
「人間はあらゆるものを発明することができる。ただ幸福になる術を除いては」不可能あるやん、ていう。
出生名
ナポレオン「そ!こ!そ!こ!」
わらった。
!!ナポレオンてEU構想持ってたの⁈つながった!第九、the European Anthem。なるほど、ヤバ!
音楽は数学だし、昔は世界を解き明かす学問として必修科目だったしね。
再び勝利。
「愚人は才人にまさる大いなる利得を有する。彼は常に自らに満足している」
ナポレオン「生きることは、不幸だ。不幸に敗北するか、それとも不幸に戦いを挑むか、それとも」
ナポレオンが死んだのは1821年。ウィーン会議から6年経ってる。第11場ウィーン会議にロッシーニがいたことを考えると、あそこで1822年ぐらいまで描いていたと考えてもいいのかもしれない(『セビリアの理髪師』1816、『どろぼうかささぎ』1817、ロッシーニウィーン訪問1822)。
謎の女「誰もがわたしを憎む もうひとりのあなたとも知らず 醜い不吉な女だと 憎んで恐れて逃げまどう 憎むほど自由奪われて ただ 死を 待つ」
ベートーヴェンも謎の女に失せろと言った。そして孤独期、曲も作れず、ただ…。
謎の女「死は、救いなの」
ベートーヴェン「哀しく強い、おまえの歌」
あーー。だから、曲、献呈。「やるならやってみろ、運命よ」は1816年の彼の日記のことば。
「今、運命が私をつかむ。やるならやってみよ運命よ!我々は自らを支配していない。始めから決定されてあることは、そうなる他はない。さあ、そうなるがよい!そして私に出来ることは何か?運命以上のものになることだ。」
上田氏の京大講演会「経験の中で一番痛いもの、辛いことが不愉快なものなら、当然、それがなくなることはない」
ここは本当にありがとうと言いたい。望海真彩(あと非常に聞こえづらいけど多分望海の右手)でメロディを歌いながら、真彩の右手がオーボエパート、望海の左手がクラリネットパートかな、をなぞってきっちり3声の対位法をやってのけた。歴史に残るメロディ爆誕の瞬間。1822年。
モーツァルト「不幸と一緒になって、よろこびをうたってる!」
シラーの『歓喜に寄せて』は、もともと『自由賛歌』で、ベートーヴェンが感動して曲をつけようとしたのは『自由賛歌』のほうであるが、当時の体制下で云々。…というのは都市伝説であると、英語版のWikipediaには書いてあるなあ。日本語版の出典のひとつはURLの変更があったっぽく今はたぶんこっち。もうひとつの出典では『自由賛歌』がシラーの作品だとは言っておらず。セイヤー氏の著作が都市伝説の元なのかな。
ベートーヴェン「あー」(A4)
運命「あー」(A5)
1815年の手紙から。日本語訳がピッタリこないけどドイツ語わからないから2つの英訳。
"We finite ones with infinite souls are born only for sorrows and joy and it might almost be said that the best of us receive joy through sorrow."
"we mortals with immortal minds are only born for sorrows and joys, and one might almost say that the most excellent only receive their joys through sorrows."
よかったね天国行きだよ!
あー、早霧さんが出てた世界ふしぎ発見でやってた話。
und der Cherub 音楽は おれたちのものだー! steht vor Gott, フォルテー! steht vor Gott, フォルティッシモー! vor Gott, フォルティッシッシモー! vor Gott.
ここだけドイツ語詞で、ケルブ様出てきた。第九の中のここの歌詞の解釈はなかなか大変なようで、まあなんとなく壁・障害・天国/楽園行きを阻むもの・自由を阻むもの、ぐらいで自分は捉えておこうかなあというところ。
今作においては、ベートーヴェンさんお亡くなりになりました、ってことかしら?
そりゃalla marciaには入らないよね。音楽配信も始まってしまったわけだけど、これ音だけで聴いてると爽快にズッコケる、爽快。そのうち慣れるだろうけど。
きたー
ベートーヴェンの葬儀には多くの市民が続々と駆けつけ参列者は2万人、異様な様相、大混乱だったと。
うたえ 生きとし生けるもののうた
なんかここのベートーヴェン(推定54歳)と運命さん(年齢不詳)の振り付けかわいいな。
ぴあの上田久美子インタビュー記事より(2020/3/16 コロナ前)
耳が聞こえなくなって絶望し、一度は死ぬことも考えたけれど、神から与えられた才能は自分だけの物ではないから、身体の中の音を外に出すまでは死ねない、どんなに不幸でも生きていようと思ったそうなんです。すごいですよね。そうやって作った最後の交響曲が第九で、その合唱部分の『歓喜の歌』は、今で言ったら異常に盛り上がるロックみたいな感じだったと思うんです。それを、音楽のために一切の個人的幸福を諦めた人がどうして作れたのか、ぜひその物語を書きたいと思いました。
お見事。
配役を見て?が浮かんでいたところに次々とピースがきれいにはまっていく気持ちよさ。タイトルの意味しかり。
重くなりがちなベートーヴェンの話をできうる限り軽快に描き、新しいベートーヴェン像を見せてくれた(そもそも楽聖ベートーヴェンのイメージはシントラーやロマン・ロランによって作られたもの)。
第14場がコーダっぽかったので、ソナタ形式に当てはめて考えてみた。
*一瞬だがベートーヴェン真ん中でナポレオン、ゲーテが左右におり、謎の女もいるので。
うーん、苦しいか?意外とうまくハマった気がしている。
ハマったのもつい最近、まだ1ヶ月の超新参だ。所詮戯れ言にすぎないけど、杞憂でしかないけどそれでもどこかで吐き出したかった。
この界隈では尊い関係性のことを「てぇてぇ」と言うらしい。どっかの超サイヤ人か。
そんな私の推しには、どうやらてぇてぇ関係性の2人がいるらしい。
この1ヶ月動画を漁りまくった。本編、切り抜き。
全てがてぇてぇだった。間違いなく、推しと2人はてぇてぇものだった。
推しはコミュ力の鬼で、よく色んな人とコラボをしている。それも見た。どこに行っても推しは推しで、愛されていた。
個人配信もリアルタイムで見た。飾らない言動、脳死トーク。切り抜きで見た推しがそこにいた。
そんな推しだが、てぇてぇ関係の2人の前では何故か笑い方が赤ちゃんになる。
乾いた笑いが特徴的な推しだが、2人といるとよく赤ちゃん笑いをする。既にてぇてぇ。
てぇてぇのバーゲンセールかってくらい、赤ちゃん笑いが出るので、きっとこの2人には本当に心を開いているのだろうな、といちヲタクとして思っている。仲良しかな。
2人も2人で、推しとコラボの時は心なしか楽しそうである。声を殺して笑っていても、顔は笑っているのだ。てぇてぇ。ここが楽園か。
3人には身体的特徴に共通点がある。セット売りされてもおかしくはなかった。寧ろ事務所が売り出すのがちょっと遅く感じるほどだった。1ヶ月の新参の体感だが。
今日も某所コラボのアクスタ品切れのツイートを見て戦慄した。こわい。
セット売りはしんどい。
3人とも人気であることは分かってる。
杞憂ヲタクは個々の人気差よりも、推したちの未来が心配である。
3人は個々でも活躍している。
それぞれ、別の場所に行っても輝いている。3人である意味はあるのかもしれないけれど、3人でいなければならない理由もないように思えるくらいには個々で輝いている。
セットで売られるということは、個々の活動にも何らかの影響が出てくるのではないだろうか。
個人配信をきっかけにハマり、関係性を知り、今に至る身としては、3人でいて欲しさもありつつ、それでもやっぱり個々として輝いて欲しくもある。厄介ヲタクでしかない。
楽しく友達とゲームをして騒いでいるような今の関係が、このセット売りで壊れなければいいな、といち新参杞憂ヲタクとしては思わずにはいられない。
「かわいそうじゃないと抜けない」&「徹底的にかわいそうな目にあったキャラが救われる瞬間に快感を覚える」だ。
なので元ネタがエリートばっかりの世界を描いてるっぽいウマ娘に全く興味がなかったのだが、
https://note.com/stormroastpork/n/n8834b1cd55f7
あああああああああああ。
私の心にずっきゅんきたあああああああああ。
「7SEEDS」っていうんですけどね。
とある学園で未来のエリートを育成するという名目で1000人以上いる候補生を集めている。
しかし実は、この学園の目的はこのうち生き残るべき優秀な7名だけを選ぶことだったのだ。
それ以外の生徒はその7名の糧となるべく選別の過程で全員皆殺しにされる。
「殺し屋組織で幼いころから競わされ、仲間を手にかけることを強制された」みたいな話だったら珍しくないだろうが、
殺される直前まで「7名に選ばなれなかったら殺される」ということを全く意識せずに教育されるというところだ。
みんな仲良しで、自分こそが7名に選ばれるものだと切磋琢磨しあっている。
直前までは選ばれなければ殺されるという悲壮感が全くない。
だからこそ、突如世界が地獄に変わった後多種多様な表情を見せてくれるのだが
そういうところが最高に私の性癖にずっきゅんな作品なのである。
上のnoteを読む限り、プレイヤブルなキャラクターから見たウマ娘の世界は、選別が始まる前の世界だ。
プレイヤブルなキャラクターは、たとえ目標達成できなくても何度でもやり直せる。
ただただクリアできるまでのびのびと走ることを楽しめる楽園のような世界だ。
ハルウララにすら勝てない雑魚の自分は殺されることを知っていたからだろう。
モブウマ娘は、毎回毎回背後に迫る死を感じながら走ることを余儀なくされる。
それが経済動物の極致である競走馬に知性を与えるということなのだ。
恐怖に押しつぶされそうになりながら走り、
そうやってアリジゴクの中で苦しみ続ける。
そしていざその時が来たら
助けを求める声をグッとこらえながら人知れず消えていくのだ。
そんな彼女が、全く勝てないくせに
むはああああああ考えただけで興奮する。
むくむくと二次創作の意欲がわいてくる。
のだが
ほんとすみませんでした。
友人にこの話をしたら
https://togetter.com/li/1372208
など全否定されました。
私がキモイ妄想を話しても引かない、とても懐が広いやつなのですが
とにかく口が悪い。
ぼろっかすに言われて悔しいので
友人を満足させるべく
もっとかわいそうなウマ娘二次創作設定を考えて送りつけることにします。
ありがとうございました。
「人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたしはしまいには、どこかの場所がわたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする」
二つの家族の間を行き来しながら、人間の記憶や、場所への執着を捉えた文章。それはまるで、漱石のいいところだけ抜き出したような文章だった。
ところで、同じ著者の「インドへの道」もいい。これは大英帝国支配下のインドで、未婚女性が現地の男性に暴行されたという疑惑を巡る話だ。女性を守ろうとする騎士道精神と排外主義が結びつき、支配者と被支配者の亀裂が広がる様を描く、不幸にして極めて現代的な作品である。冤罪をかけられたインド人が、「誰があんな不美人な年増を」と心の中で毒づくの、とても嫌なリアリティがある。たぶん、帯を工夫したら売れるし、どっちの「弱者」がより保護されるべきか的な話題で定期的に盛り上がる増田の住民にも刺さるんじゃないかな。
切れた靴紐を昼休みに買うだけの、注釈だらけの何だかよく分からない小説。細やかな観察眼と都市生活者が思わず共感してしまう日々の経験で、要するにあるあるネタで延々と読ませる。すごい。こういうのが現代文学なのね、みたいに一席ぶつのにも使えるかもしれない。
真面目な話をすると、文学にはいろいろな機能があって、それは作者の意図とはかけ離れているかもしれないのだけれども、その結果的な機能の一つとして、その時代で言語化されていないものを文字化するというのがある。だから、文学賞を受賞した作品だからと言って、実は今の自分が読んでも面白いかどうかは全くの別問題なのだ。文章が巧みで、いかにも知的な主人公の知的な悩みを描いた文学だけが主流な時代は終わっているのかもしれない。そういうのが好きな人は古典で充分であるし、逆に言えばいろんな立場の人のきれいごとではないこじれた気持ちが知りたければ現代文学は面白い。
理由は書かないが、自分は周囲の期待を一身に背負っていたエリートが挫折する話が好きだ。前途有望な若者が、将来を棒に振ったり挫折したりする筋書きに対するこの偏愛ゆえに、自分は「ゲド戦記」第一部の前半部分や「スターウォーズ」のエピソード3に対する執着がある。
生きていくとは何らかの失望を味わうことであり、時間をかけてそれらを味わいつつ咀嚼していく過程であるのだけれど、こうした自分のどうにもならない感情を言語化した先行作品があることで、自分は孤独ではないとわずかな慰めが得られる。
「鏡の中の鏡」「魔術」「薔薇の名前」などの元ネタとなる作品を書いた人。「バベルの図書館」は聞いたことがある人もいるかもしれない。
非常に濃密な短編を書く人で、このネタで長篇普通に書けちゃうだろ、みたいなネタをそのまま短篇で調理する。どの作品も非常に濃密で、読み解くのにエネルギーがいる。文体は簡潔で、物語も必要最小限の描写できびきびと進む。ただ、具体的に何が起きているのか、そしてなぜそうなったのか、その設定の意味は何か、を追うには読者に教養が要求される。読破すると、それ以上のものが得られる。読み終わったらカルヴィーノだとかスタニスワフ・レムの「虚数」だとかミロラド・パヴィチ「ハザール事典」だとかそういう沼にようこそ。
キリスト教文学の癖にルシファーがめちゃくちゃかっこいい。地獄に落ちても神への反逆を続けよとアジる場面は音読したくなる。そのくせ、彼の弱く情けない姿もまた魅力的だ。アダムとエヴァが楽園で楽しげにしているところを見て、自分には愛する伴侶もなく、人類に与えられている神からの恩寵も既に失われたことを嘆く場面もまた、声に出して読みたい。そして、彼は人類への憎悪と嫉妬のゆえに、アダムとエヴァを堕落させる。この叙事詩の主役はルシファーだ!
好きなヒロインは六条御息所。自分の意に反して生霊を飛ばし、他人を苦しめてしまうことに悩むのがかわいそうでならない。今でいうなら、好きという感情をコントロールできなくて、それでも好きな人が振り向いてくれなくて苦しんでいるタイプで、感情のエネルギーが強い自分としては大いに共感する。
他に好きなキャラクターというか、嫌なリアリティがあっていいと思うのは薫で、その優柔不断さがいい。「この子とつきあいたいけど、でもこの子にそっくりな別の子とはいい雰囲気だしなあ」みたいな優柔不断というか欲深さは、男性心理をよく観察していないと書けない。そういう意味で、自分の中では紫式部の評価がすごく高い。
情けない夫が不機嫌な妻に、お前それだけはやっちゃダメだろ的な行為を延々続け、妻から完全に軽蔑され、とうとう上司に妻を寝取られてしまうだけの話で、一人称の視点から延々と繰り返される言い訳はひたすらに情けない。ねえ、僕のこと愛してる? 嫌いになっちゃった? と尋ねまくって、わかっているくせにとぼけないで! 今忙しいから後にして! うるさいからほっといて! もう愛してないったら! あなたを軽蔑するわ! と怒らせるのは、完璧な反面教師であり、ギャグすれすれだ。
しかし、作者は妻のことを相当恨んでたんだなあ。
身体に劣等感を持つ主人公が、付き合うだけで不幸をもたらす浮気性の彼女を振り切って、幸せにしてくれる女性を見つける話。多くの人が何かしらのコンプレックスを持っているし、何であんな自分に敬意を払ってくれない人を好きになったんだろうって記憶を持っていることだろう。王道過ぎるといえばそうかもしれないが、結婚してハッピーになる王道の何が悪い!
ローマ皇帝が自分の治世を振り返る体裁でありながら、欺瞞と自己満足をさほど感じないのは文体のせいなのか。時代も性別も文化も言語も超えて、別の個人に憑依しながらも、己を見失うことなく語る著者の声は、他人の視点に立って(歴史)小説を書くとはどういうことなのかを、これからも厳しく問い続けることだろう。
中年や老人にならないと書けない小説がある。そして何年もかけて書かれる小説があり、構想から数十年が過ぎて着手される作品もある。そうした重みを持つ文学作品がどれほどあることか。
技巧も素晴らしく、文体も素晴らしい。こうした作品に出合えるのは、年に一度か二度だ。
説教臭い頑固おやじのブログ。基本的には仏教説話が多いが、それらに交じって挿入される、「〇〇という迷信には典拠がない」だの「〇〇という習慣は最近のもので、本来のありようや精神とはかけ離れている」だの「〇〇という言葉は語源を考えれば正しくは〇〇と言うべきだ」だのが、まさにその辺のおじさんがいかにも言いそうなことで面白い。
ただ、それだけじゃなくて、第三十九段の「或人、法然上人に、……」のエピソードは、「とりあえずできるところから頑張ればいいじゃん?」的な内容で励まされるし、十八段の「人は己れをつづまやかにし、……」は身軽に生きていくことの幸せさを教えてくれる。
最高だった。ラヒリ大好き。体調崩すレベルで刺さった。アイデンティティの混乱という古典的テーマもさることながら、ラストシーンで過去と不在の人物の記憶が、そして小説の全体が何気ないものによって濃密によみがえってくる様子がすばらしい。そのイメージはプルースト以上に強度があるかもわからない。
これは、インテリのインド系(ベンガル人)移民の第一、第二世代の話なんだけれど、読んでいるうちに海外赴任者の寄る辺なさを思い、つまりイギリスで暮らしていた自分の両親の境遇を勝手に連想させられ、ついつい感傷的になってしまった。随分と勝手な読み方だが、小説の読み方はいつも私的なものだから構わないだろう。
外国では気候も習慣も何もかもが違う。両親の教えることと学校でやることが矛盾していて、両親が里帰りしても子供たちは故郷のノリについていけない、ってのが、すごくパーソナルなツボをついてくる。こういう経験がなくても、地方と都会として読み替えると、増田でいつも議論されている話にも近づくんじゃないかな。
正直なんでこの時代にラブクラフトを読むのか、というのはある。人種差別主義者だし、排外主義者だし、クトゥルフ物はパターンが決まっているコントみたいだし(人類に理解できない名状しがたいものに触れて発狂するのが基本的なオチ)。でも、彼の持っていた宇宙の巨大さと人類の取るに足らなさという感覚は、まさにセンス・オブ・ワンダーだ。そして、「人間の感情の中で最も古くて強いのが恐怖であり、その中で最も強いのが未知のものへの恐怖である」という言葉の通り、究極的には理解できない「他者」という存在の恐怖にまっすぐに向き合おうとしたことを何よりも評価したい。
この作品が好きな理由もまた、不気味なクリーチャーが非常に知的であり、かつ知識欲が旺盛だということによっている。
一巻から三巻までは、ゲドという人物の自我の確立に始まり、他者を助けることや世界を救う英雄的行為が扱われる。しかし、実はゲド戦記は第四部からが本番なのだ。あらゆる魔法の力を失い無力な存在となった彼が、魔法のある世界でいかに生きていくか。これは、老いに直面する男性の物語だ。
そして第五巻! ゲドの生涯で一番の功績が、実は重大な誤り、人類の傲慢に過ぎなかったのではないか、という仕事に生きてきた男性には非常に厳しい可能性が示される。
しかし、ル・グインはゲドにとてもいい歳の取らせ方をしている。果てしなく努力をすれば、男性が女性を、女性が男性を理解できるのだと作者はどこかで述べていたが、その希望を見せてくれるし、そこに女性作家を読む喜びの一つがある。
いわゆる毒親について書かれた小説なんだけど、ねちねちしていなくていい。文体は軽く、描写も簡潔。だからこそ、彼の育った環境の異常さが際立ってくる。なんでこんな親子関係になっちゃったのかについて掘り下げられることもほとんどない。
そして、暗鬱なだけの作品にならないのは、にんじん少年の異常なたくましさだ。ひどい目に合っても受け流し、冷淡な母から何とか愛されようともがいている。読んだときの年齢によって、感想は大きく変わるだろう。
UAE(120位)
日本(121位)
クウェート(122位)
これは世界経済フォーラムが毎年発表している男女格差指数というランキングです。
非ムスリム国で日本がこの順位なのは快挙ですし、イスラム教徒と最高に価値観が近いといえるでしょう。
・タバコ休憩がある
海外ではたばこ休憩が徐々に廃止されていますが、日本では廃止の気配はありません。
タバコ休憩の時間は約10分ほどと言われていますが、イスラム教徒も同じように仕事を抜けます。
礼拝ですね。
喫煙所を作るのも簡易礼拝所を作るのも大して手間は変わらないですし、タバコ休憩に慣用な日本では礼拝で抜けるのも認められるでしょう。
「神と使徒を信じ、神の道でおまえたちの財産や生命をかけて戦いにはげめ。・・・そうすれば、神は必ずおまえたちのために罪をお赦しになり、下を河川が流れる楽園に入れて、エデンの園のりっぱな住まいに住まわせスもうだろう。これこそ偉大な勝利である」
「戦争で国を衛るには死を恐れぬ兵が必要だから、及ぶ限りの光栄を戦死者と遺族に与えて、戦死は幸福であると感じさせねばならない。東京に祭壇を築き、全国の遺族を集め、天皇自らが祭主となり特別の祭典を挙行して戦死者を顕彰すれば、死者は地下で天恩に感謝し、遺族は光栄に感泣して父兄の死を喜び、一般国民は国のために死ぬことを冀う」
これは上がコーラン、下が国家神道の創設に関わった福沢諭吉の発言からの引用です。