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2017-10-10

anond:20171010104400

ヨーロッパ貴族キリスト教文化が何千年と続いている

日本にその文化情報が入ってきたのはほぼ明治以降さら敗戦で相当部分がリセットされた

経済大国になったときから現在までそんな心的余裕(福祉にまわす)はなかった

2017-06-09

元号まで変えなくても

天皇陛下の退位に関する特例法が成立した。

それはいい。

しかし、別に退位に合わせて元号まで変えなくても「平成」のままで行けばいいじゃないか

過去、何度か知人にこういう話をしたが、みんな鼻で笑うばかりでまともに取り合おうとはしなかった。

 

現実的に考えて、元号を変えれば日本中で膨大なコストが発生する。

一部のIT企業なんかは特需で潤う可能性もあるが、トータルで見ればどう考えてもマイナスだ。

であるなら、元号なんか変えなければいい思うのだけれど、なぜか世の中は天皇陛下の退位と元号の変更を分けて考えようとはしないのだ。

歴史的に見れば、一世一元は明治以降制度であって、実際、それ以前には新天皇即位しても元号が変わらないケースも存在している。

法律のことはよく分からないが、仮に現行法で退位に合わせて元号の変更が必要とされているのなら、当たり前の発想だが、これも特別法を作ればいい。

どう考えても、多大なコストをかけてまでして、元号を変えなければいけない合理的理由存在しない。

 

平成」をそのまま使い続けることに反対の人。

論理的反論があるなら、ぜひ教えて欲しい。

2017-05-21

http://anond.hatelabo.jp/20170521234913

バカな男に自分のことをバカ自覚させると種馬としての本能が損なわれてしまうので、女性必死ガラスプライドを維持してあげましょうというのが日本明治以降文化ですからしょうがないですね

2017-05-19

鎌倉時代僧侶・一向俊聖(暦仁2年(1239年)? - 弘安10年(1287年)?、以下「一向」と表記)を祖とする宗派

一向は筑後国草野家の出身で、はじめは浄土宗鎮西派西山派という異説もある)の僧侶であった。後に各地を遊行回国し、踊り念仏天道念佛を修し、道場を設けた。近江国番場蓮華寺にて立ち往生して最期を迎えたという。

以後、同寺を本山として東北関東尾張近江に一向の法流と伝える寺院分布し、教団を形成するようになった。鎌倉時代末期に書かれた『野守鏡』にはこの教団を一向宗と呼んで、後世の浄土真宗とは全く無関係宗派として存在している事が記録されている。

一向と一遍智真は同時期の人物であり、ともに遊行や踊り念仏を行儀とする念仏勧進聖であることから、一向の「一向宗」は一遍の「時衆」と混同されるようになっていく。『天狗草子』に記された「一向宗」は、一遍の衆を指したものである(一向俊聖の項を参考)。たしかに一向も一遍と同様に浄土宗の影響を受けて自己教義確立させたものであるが、全く別箇に教団を開いたものである。また、一遍と違い一向の教えは踊り念仏を行うとはいえ、念仏のもの特別宗教的意義を見出す事は少なかったとされている。ところが時代が降るにつれ、一向の教えが同じ踊り念仏一遍の教えと混同され、更に親鸞の興した浄土真宗とも混ざり合うという現象が見られるようになる。特に一向の教義が早い段階で流入していた北陸地方ではその傾向が顕著であった。

浄土真宗本願寺八世の蓮如北陸地方活動の場を求めた時に、布教対象としたのはこうした一向や一遍の影響を受けて同じ浄土教の土壌を有した僧侶信者であり、蓮如はこれを「一向衆」(「一向宗」ではない)と呼んだ。蓮如布教時に、一向宗時宗支配層との結びつきを強め、民衆から離れ、一向宗民衆蓮如教団になびいた結果、一向宗と呼ばれるにふさわしかったともいわれる[1]。本願寺及び蓮如北陸における成功の背景にはこうした近似した宗教的価値観を持った「一向衆」の存在が大きいわけであるが、同時に蓮如はこれによって親鸞の教えが歪められてしまう事を恐れた。さらに別の事由から宗派より「一向宗」と呼称されていたこと(後述)も彼の憂慮を深めた。文明5年(1473年)に蓮如によって書かれた『帖外御文』において「夫一向宗と云、時衆方之名なり、一遍・一向是也。其源とは江州ばんばの道場是則一向宗なり」とし、一向宗が一向の教団でもあることを明記して本願寺門徒一向宗名前を使ったもの破門するとまで書かれているものの、ここでも一遍と一向の宗派混同されている。

江戸時代に入ると、江戸幕府は本末制度の徹底を図り、系譜を異にするさまざまな念仏勧進聖が、清浄光寺総本山とする単一宗派時宗」の管轄下に編成された。この際、一向の流派独立した宗派とは認められず、「一向宗」の呼称を用いる事も禁じられた。『時宗要略譜』によると、時宗十二派のうち、一向派と天童派が一向の法脈を受け継ぐものとされている。一向派(かつての一向の一向宗)は再三にわたり時宗から独立を求めたが実らなかった。

明治時代になって、中期に一向派から独立転宗を唱える者が出現し、一向派は浄土宗宗務院に「所轄帰入願」を、時宗教務院に「時宗一向派独立認可願」を提出した。しかし一向派の独立・転宗を認めてしまうと、明治以降衰退著しく、時宗寺院が少ない上に、さらに減少することになるので、時宗当局は、これを認めようとしなかった[2]

大半の寺院時宗を離れ、一向の母体であった浄土宗帰属するようになったのは、昭和時代に入った1943年の事であった。

ゆかり寺院[編集]

番場蓮華寺滋賀県米原市

佛向寺(山形県天童市):現在でも踊躍念仏を伝える。

浄土真宗の「一向宗」[編集]

浄土真宗、ことに本願寺教団を指す呼称。教団自身はこの名を自称しなかったので注意が必要である

「一向」とは「ひたすら」「一筋」という意味であり、「一つに専念すること」を意味している。『仏説無量寿経』に「一向専念無量寿仏」と記されていることから、とくに阿弥陀仏名号を称えることと解釈され、親鸞宗祖とする教団(本項では「真宗教団」とする)を他の宗派から指す呼称となった。とくに浄土宗は、親鸞の教団が「浄土真宗」と自称することを嫌い、「一向宗」の称を用いた。

したがって「一向宗」は真宗教団の門徒から見て正しい呼称ではなく、また一向俊聖の「一向宗」と混同される事から望ましい呼び方でもなかった。だが、中世において同じ念仏を唱える浄土教宗派であった両派が混同され、更に時衆などとも漠然と同一のものとして捉えられるようになっていった。蓮如は前述のように「他宗派の者が(勘違いして)一向宗と呼ぶのは仕方ないが、我々浄土真宗門徒一向宗自称してはいけない」という主旨の発言をして違反者破門するとまで述べているが、逆に言えばこれは、真宗教団の門徒ですら「一向宗」を自称する者がいた事を意味する。

こうした指導により教団内部では「一向宗」の語は正式に使われることはなくなり、「浄土真宗」または「真宗」と称するようになった。しかし、門徒たちを中心とする一揆が「一向一揆」と呼ばれるなど、真宗教団のことを教団外から一向宗」と呼ぶ風潮は収まる事はなかった。

江戸幕府は、真宗教団を指す名称として「一向宗」を公式に用い続けた。この経緯としては、徳川家康三河一向一揆により家中統制で苦しめられたこと、徳川将軍家が(真宗教団が「浄土真宗」を称することを望まない)浄土宗信仰していることが挙げられる。これに対して、真宗教団側は本願寺の分裂などの影響があり、長らく具体的な対応が取られることがなかった。

2017-05-14

[] 長生殿

長生殿(ちょうせいでん)は、石川県金沢市の森八で作られている和菓子である

金沢市名物であり、落雁の最高級品とされる。

新潟県長岡市の越乃雪、島根県松江市山川と共に、日本三名菓の一つにも数えられる。

  

紅白落雁一種であり、材料四国産の和三盆糖北陸産のもち米を用いる。

昔は落雁の中に胡麻も入れていたが、現在は入れていない。

出来上がった落雁は、小堀遠州の直筆の“長生殿”と彫り込まれた木型で打ち上げられている。

ちなみに、菓子名前は唐の白居易長恨歌」の末章:「七月七日長生殿、夜半無人私語時。」より、唐玄宗楊貴妃

七夕に愛を語りあった場所である長生殿から由来しているとされる。

  

長生殿は加賀藩3代藩主前田利常より七夕のための落雁を作ることを命ぜられた三代目森下屋八左衛門(森八の前身)によって

作られた。茶道遠州流開祖である小堀政一遠州)の助言により、菓子に篆書で「長生殿」の文字が彫り込まれている。

命名も小堀による。

後水尾天皇にも献上され、前田から徳川将軍家にもしばしば献上された。明治以降もしばしば宮内省に収めた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E7%94%9F%E6%AE%BF_(%E8%8F%93%E5%AD%90)

2017-05-09

時代劇水戸黄門」が健全民主主義を阻害する

日本では時代劇高齢者を中心に人気を博している。

特に、40年以上放映され、今なお毎日再放送されている「水戸黄門」は、その代表である

今回はそのストーリーいかに非民主主義的、非現代であるかを検証する。

水戸黄門主人公である水戸光圀の一行は、「越後ちりめん問屋」と身分詐称諸国を漫遊しているが、その先々では必ず商人の不当な物価の値上げや、代官の課す重税に庶民が苦しめられている。それを聞いた一行が、屋根裏に潜入し、また色気を使って捜査証拠をとる。そうして悪事を暴いた「越後ちりめん問屋」は、悪事を起こした者の怒りを買い、刀を交えることになる。最大の見どころであるチャンバラシーンのあと、権威象徴である「印籠」を見せつけることで、「先の副将軍である自身の正体を明かす。それを見た者はみな平伏し、悪事を働いた者は自分の過失を認め、登場した藩の者がその身柄を拘束する。最後は一件落着と一笑しまた旅を続ける、というのがストーリーの梗概である

この作品には

権力者の悪はさらに上の権力者しか裁けない」

庶民は無力で虐げられる存在である

権力者はどんな手段を用いても許される」

という世界観が透けて見える。これについて持論を述べる。

まず、「権力者の悪は更に上の権力者しか裁けない」という点について述べる。

本作の世界では、いつ来るかわからないような、国家から派遣された、さらに上の権力者しか悪を懲らしめられないことになっている。水戸光圀はその土地の者でなく、また問題解決した後は旅を続けてしまうため、対処療法的な解決しか行えない。地方にも自浄能力がなく、一回水戸光圀問題解決したあと、また同じような悪事不正が起き続ける。地方はそれを解決する術を持たないため、水戸光圀が来るのを待っているだけである住民当事者意識民主主義原理が欠落した「他人任せ」の政治は、今日日本の政治通底するものがある。

また、ある放送では、朝廷中納言悪事を裁いた際、「私は徳川の家来ではないので従わない」と反発したが、更に上の役職である左大臣が登場し裁いたという回もあり、「権力者の悪は更に上の権力者しか裁けない」という世界観をより強固なものにしている。

次に、「庶民は無力で虐げられる存在である」という点について述べる。

水戸光圀が「越後ちりめん問屋」と詐称しているにもかかわらず、庶民からは色々な苦情が持ちかけられる。旅する隠居にまで相談しなければならないほど、それほどまでに事態悪化してしまっていることがわかる。作中ではこのように圧政不正に苦しめられる庶民の姿がよく描写されるが、反対に実力行使に出ようとする庶民水戸光圀が宥める場面は皆無である。先述した住民他人任せの意識がここでも顕在化している。

欧州市民革命においては、圧政に苦しんだ市民の流血によって民主主義が獲得されたが、日本においては明治以降主権者の変更は市民革命ではなく、支配者同士の権力争いの結果に過ぎない。このように市民自らが流血し民主主義を獲得した経験がないことが、権力者任せの日本人気質形成しているのではないか

そして、「権力者はどんな手段を用いても許される」という点について述べる。

苦情を持ち掛けられた水戸光圀の一行は、全員が証拠裏付けのために捜査を行うことになる。しかし、その捜査方法卑劣である。「越後ちりめん問屋」と身分詐称した捜査は、当然警察権を保持する藩の奉行所許可を得ていない。令状なしに現場や物的証拠を取り押さえるという、現在の「法の支配原理からはかけ離れたものであるが、作中では身分詐称私人の警察権行使について議論されることは一切ない。奉行所水戸光圀の一行のおかげで吐かされた自白を聞いた後に、身柄を連行するだけという、警察組織の体をなしていないものであるが、水戸光圀がこれを一喝するシーンもない。

なお、作中で水戸光圀は「先の副将軍」と自称しているが、居候の身であるはずの前任者が悪を裁くことについての是非も議論されていない。これは現在においても、我が国では一線を退いた者が強大な発言力を持ち続ける事例が、政財界ともに存在している。

法の支配原理」「地方自治原理」「民主主義原理」すべてが欠落したこのストーリーを、多くの高齢者再放送毎日視聴し続けている。これでは、日本の政治に対する認識を歪めるものであり、健全民主主義国家としての市民意識が育たないことは当然である

2017-04-03

http://anond.hatelabo.jp/20170403112353

でもそういう使い方が定着したのは明治以降のごく最近ことなので「日本の伝統」というには不適切な例示だと思いまーす。

2017-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20170302093141

自虐史観ってよく言うけど、そもそも小中高の日本史の授業で近現代まで達したことがない。大体江戸時代に達するか達しないかで終わる。明治以降歴史代ゼミで学んだ。

2017-01-16

元号なにが良いか? という街頭アンケート

仕方がないんだけどさ、馬鹿じゃねーのかと思ってしまう。

元号四書五経などの古典とかから採るわけで、既存熟語をだせばいいわけじゃない。

平成は『史記』と『書経から採っている。昭和も『書経』だ確か。

これってある程度常識じゃないの?

平和とか安直に言うんじゃねー。

ただ、平和字面からも出典を捻りだせそうなんだよな。筋は悪くない。実際。たまたまだけど。


これから元号が変わるから元号に興味持ったり、元号の是非や、元号の制定に関心を高めるためのニュースであるはずなのに、街頭インタビューをするのはおかしいと思うわけだ。筋がおかしい。

好きな食べ物とか漫画だとか自分の頭の中だけで答えられるものじゃない。本とか先例から考えなきゃならないものに街頭アンケートするなよって思う。

元号なんて東アジアもも日本しか採用してない謎レア古い制度なんだから適当認識で好きな言葉みたいな感覚アンケートとるなよ。

こういう安直な発想が、現場で行なわれるであろう作業への認識を遠ざけるんだよ。

歴代元号を見て、こんな漢字が使われるんですね、とかで良いじゃん。そういう番組もあるんだろうけどさ。アンケートおかしいよ。




ということで私のお勧め元号を紹介する。

良く議論されるアルファベット重複回避理論を踏まえるとKやJなんかが使いやすいと思うわけだ。あとはEとかOとか。


Kだと「広」「弘」「康」「建」「嘉」「慶」

Jだと「承」「貞」

Eなら「延」「永」

oなら「応」

あとBの「文」なんてのも字面が良いよなーって思う。

あとは適当よ。よさげな字を二文字めに持ってきて、歴代のに被んないようにして、適当に出典が有れば良い。

「広徳」とかでいーじゃん。「康徳」はダメだな。満州国元号からな。


あとちょっと考えなきゃならないのは画数だ。あと書き間違えやすいのも採用するべきではないのかも。

明治以降10画以上の字は採用されていない。偶然かも知れないけれど。

「慶」とか「嘉」とかはやや画数が多いのかも。「建」も「健」と紛らわしいかも。

それと、常用漢字と旧漢字との関係考慮しなくてはならないかも。

「応」なんかは、正式には「應」と書くべきなんじゃないですか? とかめんどくさいやつがしゃしゃり出てきて絶対議論になるから回避するべきかも知れない。

そしたら「広」も「廣」だから難しいかも。

こういう側面だと「文」はやっぱり良い。書きやすいし常用漢字の際の改めもない。


それと言いやすさ。「カ」とか「カン」とか「コウ(コー)」ってとても発音やすい。他の近代元号とならべた時に聴き間違えが無い。だから私はアルファベットで言うとK推し。

この点Jの「ジョウ(ジョー)は「昭和」と被りやすいかなと若干思う。


私は四書五経二十四史必要なところしか読まないし、元号念頭に読んでないか全然詳しくない。

元号なんて偉い人がちゃんと考えて決めるんだから庶民が考えなくたっていいんだろうけど、折角の何十年かに一度の話題なんだから、手元で扱える情報を集めて、素人なりに考えるのは面白いと思う。

たぶんそんなことにはならないと思うけど、何個か由緒ある候補有識者会議に出してもらって、皆で投票して決めるのも面白いと思う。



最後付言すると、決まった元号文句言うやつが絶対出てくると思う。この故事に際して縁起が悪い、とか、歴代天皇諡号と音がかぶってる、だとか、中国の悪い時代元号とおんなじだとか、私元号に事例があるからダメだとか、出典に由緒が無いとか。うるせークソ雑魚なめくじ。って思う。作ったもの文句言うのは、作ることそのものより非常に簡単なのだ

2017-01-11

元号

奇遇なのか必然なのか分からないけど、30年区切りってのは明治以降日本マッチしていると思わないか

明治前半~中盤の約30年:近代日本の夜明け オッペケペ

明治後半~大正の約30年:第一次世界大戦ケイ

昭和前半の約30年:第二次世界大戦戦後 オロオロ

昭和後半の約30年:高度経済成長 モーレツ

平成の約30年:なんだかんだで平和だった ユルユル

どうだい?

後付けだろ?

2016-10-24

http://anond.hatelabo.jp/20161024182544

ああ、そうか

日本行政の弱さと企業依存はワンセットなんだな

行政に力が無いからこそ企業セーフティーネットみたいになっちゃってる

それじゃあ「もっとクビにしろ」なんて言えない

 

企業側を変えれば良いと考えていたが、変えるべきは国の方なのかも

でも何故・いつからこうなったのかがよくわからない

 

近年? 戦後? 明治以降? 民族性なのかな、根が深そうだ

2016-09-28

http://anond.hatelabo.jp/20160928011131

反論では全然ないんだけど、歴史的にいえばやれない連中は一定数いて、それでもやれるペアがたくさん子どもを産むから人口を維持できた。それに幼児死亡率も高かったしな。

明治以降モテなくとも見合いなり何なりで必ずセックス国民皆婚制)できたから、みんながやれる、セックスができないのはおかしいって価値観がありえたのは社会システムによるところもあったんだろうな。

2016-09-03

二重(ふたえ)と日本人

突然だが、私は外見にコンプレックスがある。

私は一重(ひとえ)、それもかなり腫れぼったいタイプの一重だ。生まれからずっと、自分のまぶたを呪い続けてきた。

一重が嫌で仕方がないので、私はアイプチ(まぶたを固定するノリのようなもの)を利用して二重を装っている。

毎晩寝る前にアイプチを使って二重を作り、そのままの状態で寝て次の日はアイプチを落とし、さも生まれつき二重であるように装って生活を送っている。

この習慣を続けたおかげでまぶたにクセがつき、前日アイプチしなくても次の日も二重で朝を迎えることができるようになってきている。

アイプチを使いすぎるとまぶたの皮膚が伸びて老後酷いことになるそうだが、数十年後にはもっと安く簡単に整形手術が受けられるようになっていることを祈って今はゴリ押ししている

…と、私の話から入ってしまったが、本題はもっと別のところにある。

私はアイプチを使い始めてからずっと、

「(若い日本人ほとんどは一重であるはずなのに、テレビに出ている若い人のほとんど全てがキレイな二重なの、おかしくね???

と思っている。悶々としている。

ちなみにこの考えにはいくつか注意書きが必要で、

(1)歳を取るとまぶたの脂肪が落ちて皮膚が薄くなるため、生まれた時は一重の人物でも歳を取って二重になることは結構ある。つまり、年齢層の高い二重の人は多い(はず)

(2)男性の一重or二重が重要視されることは女性比較して少ないので、テレビに出てる人でも一重の男性結構多い。

(3)ただしジャニーズを見れば分かるが、女性ウケを狙う「若いイケメン男子ほとんどは二重まぶたである

ということをツッコミをさけるために先に断わっておく。

私はまぶたにコンプレックスがあるので、コンプレックス意識し始めてからずっと他人のまぶたに注目して生きてきた。だからこそ言えるのだが、ほとんどの若い日本人はやはり一重まぶたなのである(ちなみに私は大学生なので、基本的若い日本人のまぶたの傾向しかからない)。これは男女両方に言えることで、どう考えても一重まぶたの人が多い。私の主張に疑問を持つ人は一度小学校中学校卒業アルバム個人写真ざっと見てみればいい。化粧も整形もしていない少年少女ほとんどのまぶたは一重のはずだ。

それでもって若い女性の多くは私と同じようにアイプチを使って二重まぶたを装っている。言い忘れていたが、アイプチは完全な一重まぶたの人のみが使うのではなく、奥二重の人が綺麗な二重に形を整えるのにも用いられるので、今では結構多くの若い女性アイプチやこれに準ずる化粧品を使っている。さらに、男性がこのアイプチを使うこともある。整形手術をせずとも誰でも二重まぶたになれるのだから、かなり便利(?)な世の中になったのだ。

別に独自客観的統計をとったうえで、その分析結果に基づいてこの主張をしているわけではないのだが、少なくとも女性に関しては間違いないと胸を張って言える。くらい明らか。

是非ともこの日記を読んだ方は、テレビに出ている人物が一重まぶたである二重まぶたであるかを意識してテレビを見てほしい。別にテレビでなくとも、電車の中の広告SNSタイムラインに流れてくる画像の人物のまぶたに注目してほしい。びっくりするほど二重まぶたの人物で溢れ返っているはず。

さて、ここまで読んだ読者にはきっと「そりゃあ多くの視聴者が見るテレビなんだからウケの良い(と思われる)二重まぶたの人物を多く起用するのは当たり前のことじゃないか」と考える人もいらっしゃるだろう。確かにその考えは至極真っ当で、私だって一重が嫌で二重に憧れてアイプチを使っているわけで、多くの人々が二重まぶたを美しいと感じているのは事実だろうし、テレビ番組視聴率を取りたいわけだから一般に美しいと思われている二重まぶたの人を積極的に起用するのは理に適っている。その通りである。間違いない。

しかし一度立ち止まって考え直してほしい。

我々が「二重まぶたは美しい」と考えるようになるのは、幼いころからテレビ雑誌二重まぶたの人たちばかりを見ているからではないか

我々がもとから二重まぶたは美しい」と考えるのではなく、メディアによって「二重まぶたは美しい」という選好を植え付けられているのではないか

我々が日本史の授業で目にする平安時代の絵巻物や江戸時代浮世絵の「美人」はみんな一重まぶたではなかったか

我々が「二重まぶたは美しい」と考えるようになったのは西洋人が身近になった明治以降のことではないか

そして私のように、一重まぶたにコンプレックスを抱き、様々な化粧品を試して必死二重まぶたを装おうとしている人こそ一度考えなければならないのは

世の中のトレンドを作り出すことで私腹を肥やす薄汚いブタ野郎が、「まるでそれが普通であるかのような空気を作り出す」ことで、消費者の行動を一つの方向に導くことがある

ということだろう。ブタ野郎の手のひらの上では踊りたくないのはきっとみんな同じ。

普通に考えて、多くの日本人が一重まぶたであるにもかかわらず、二重まぶたの人ばかりが日本メディアに出ているのは異常ではないか

これを言うと陰謀論臭くなって嫌なのであまり言いたくはないし費用対効果の点から現実味ほとんど無いのだが、この状況、化粧品会社美容外科業界タレント業界メディアが結託してしたりしないか政治学には「非決定権力」やルークスという人が唱えた「第三の権力」という概念がある。興味のある方はぜひとも調べてみてほしい。

※私は「二重まぶたの人がテレビ画面を占め、それを見る我々一般人がそれを普通だと認識している」この状況が異常であると主張しているだけで、二重まぶたの人をテレビから引きずり出せとか一重まぶたこそが真に偉大であるとか言いたいわけではない

自分で書いていて着地点が分からなくなってきたのでこの辺にしておこう。

一重まぶたには一重まぶたの、二重まぶたには二重まぶたの良いところがあるわけだから、それぞれの良いところを認め合える世の中になればいいなぁ。

二重まぶた女性しか出てこないテレビ普通の人はおかしいと思わないのかなぁ。

普通だと思われていることに、常に疑問を投げかけられる人間消費者?)でありたいなぁ。

ああ、二重まぶたになりたい。

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追記

実はこの日記、私が初めて匿名ダイアリー投稿したものだったのだが、予想以上に反応がきてとても驚いている。

読者の方のコメントを拝見して、なるほどと思うことも多かったので、いくらか追加で書き記しておこうと思う。

①「ほとんどの日本人は一重」という表現について

確かにこれは少し誇張が過ぎていた。あと、地域性によってまぶたのパターンが大きく変わることは恥ずかしながら考えてもいなかった。

北海道九州沖縄あたりでは縄文系の顔つきの人は多いだろうし、二重まぶたの人も多いはずだ。ちなみに私の居住圏は、恐らく弥生系が最も多いであろう関西地方である。そのため、私の脳内サンプルにはある程度のバイアスがあることは断っておかなければならない。バイアス絡みでいえば、私自身が「日本人の多くは一重まぶたである」と意識し過ぎた状態脳内統計を取っているせいで、無意識的に実数よりも過剰に一重まぶたの日本人の数を計上している可能性もある。

ただ、これらのバイアス考慮に入れた上でもやはり私は身の回りの人は一重まぶたが多いと思うし、テレビ中の人特に女性)たちは二重まぶたが多いと思うのだが、これは私の頭がおかしいからそう思うのだろうか。

②二重or一重まぶたの人口に関する学術統計調査について

思った以上に一重の人口が少ない説を唱えるコメントが返ってきたので不安になってciniigoogle scholar適当論文を調べてみたのだが、一重or二重まぶた人口比に関する学術論文は見当たらなかった。ということで私は正確かつ客観的統計データを持っていないし、恐らく手に入れることが出来ない(一応文中でも断っているのだが)ので、断定的な主張をおこなうのはまずかった。一応お詫びしておこうと思う。

③二重の極みについて

このタイトル日記を公開するわけなので、ある程度この反応があるであろうことは予想していた。

冨永愛多部未華子について

確かに彼女たちは一重まぶたであるもっとも、彼女らは膨大な女性芸能人の中のほんの一握りのケースであることは言うまでもない気がするのだが。さらに言えば、私は「テレビに出ているほとんどの女性」と述べているだけで、「テレビに出ている全ての女性」とは書いていない。

⑤私が本当に主張したかったことについて

コメントの多くが「一重まぶたの人はそんなに多くない」という趣旨のものだったので、私としては少しうーんといった感じ。譲りたくはないがあえて100万歩譲って、日本人の51%が一重まぶたで49%が二重まぶたであるとしよう。しかテレビで我々が目にする日本人の多く、少なくとも半分以上は二重まぶたではないか?私が本当に主張したいことは、明らかに現実乖離している風景テレビに映っているのに、我々がそれを異常とも思っていないのはおかしくないか?ということだ。もうひとつ挙げれば、そのように異常なものを異常と思わないように世の中が動いていることが怖くないか?ということだ。

2016-08-09

NewsPicksより

(引用)

崩御、即、改元ではないとしたら、象徴天皇制であっても明治時代以来の転換となりますので、これまでのあり方が大きく変わることになります政府にも国民にもそれなりの自覚が求められますが、果たしてどこまで考察が深まるだろうか。

追記 拙著東条英機処刑の日」(文春文庫版)の宣伝と思われるのがいやだったので書きませんでしたが、皇太子時代の、15歳の誕生日戦犯処刑されたのはGHQが仕組んだ導火線でした。天皇誕生日ごとに休日となりあの戦争を思い出す仕掛けです。しか昭和天皇長寿ですっかり忘れられてしまいましたが、今上天皇陛下はひとときも忘れずアジア沖縄など戦争被災地訪問し続けたのです。

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明治以降の転換なのでこれまでのあり方と大きく変わる

という認識があまりないのかなというのを感じる

2016-07-06

しろ何で純文学挿絵を付けないの?

古来、書物挿絵が入るのは当然だった。

古典文学はもちろん、歴史書科学書、聖書にいたるまで挿絵はついていたし、中世になって印刷革命が起こるとその傾向はさらに加速した。

日本においても、王朝文学や軍記物には絵巻があったし、江戸時代読本にも浮世絵師イラストを添えていた。明治以降読本も同じく。

現代では、新聞雑誌連載小説にはたいてい挿絵が付いているし、また言うまでもなくライトノベルが勢力を拡大してきている。

こうしてみると挿絵をまったく入れないほうが例外的に感じるほどで、「なぜライトノベルには挿絵が入るのか」よりも「なぜ(純)文学には挿絵が入らないのか」を考えたほうが良いのではないかと思えてくる。

なんで?

2016-06-13

ジャガイモはなぜ日本人主食にならなかったのか

http://anond.hatelabo.jp/20160609124904

色々な答え方があると思う。

1.日本人別に米ばかり作っていたわけではない

戦前軍隊では「故郷では食べられなかった白米を食べられて嬉しい」という兵隊が多くいた。

稗、粟、黍などを主食とする地域、白米を主食とする地域など、日本農業多様性に富んでいる。一地域内での多様性という意味でも同じ。

比較史的にみて日本人口変動がかなり安定的に推移しているのは、そのことと無関係ではないだろう。

日本においてジャガイモは「飢饉対策」として導入されており、要するに「主食の変更」というより「農業多様性の増加」を目的としていたように思われる。

ちなみに最近は「主食」という概念自体があまり普遍的ではない(特定地域しか通用しない)概念であるという指摘もされているのだが、ややこしいので略。

2.税と米

こうした多様性にも関わらず、米が「主食」とみなされていることの一因は、いわゆる「年貢」の存在に求められるだろう。

白米が貨幣的な性格を持ち得たのはなぜなのか、「私鋳銭や破欠銭などの悪銭が一般流通し、貨幣価値が安定していなかったから」と言われている。

16世紀ごろから戦国大名年貢を銭納から穀納に切り替えるので、そのころに画期があったのだろうと思われる。

要するに、ジャガイモが伝来した16世紀以降においても、米は作らざるを得ないものだったのである

3.食文化の変化と国家による強制

「税の徴収」という観点から江戸幕府農業政策の中心を米においていたとして、

農民商人による自発的な変化」としてジャガイモ中心の食文化が生まれ可能性はなかったのか、という疑問は当然生じるだろう。

結論としては、「可能性がなかったことを否定するのは悪魔の証明に等しく、困難」だが、17世紀以降、国家干渉によらずして自発的食文化が大きく変化したという事例は極めて稀であり、日本においてもまずなかった、ということになるだろう。

不安定生活を送る農民にとって主要作物を変化させることは大きな博打であるプロイセンロシア、(イギリス支配下の)アイルランドジャガイモで知られるこれらの地域は、いずれも専制君主植民地政府苛烈支配のもと、ジャガイモの普及を進めていった(中公新書ジャガイモ世界史』を参照)。日本においても明治以降北海道や、満州においてジャガイモの作付が奨励されている。その意味では、日本では明治以降にこそ「ジャガイモ主食化」の可能性があったということになるのかもしれないが、一方では「日本食」という観念が広がりを見せ、他方では食の多様性が増大しつつあったのだからジャガイモが「唯一の主食」の地位を占める可能性はもはやなかった。

2016-05-06

[] 宇部市

宇部市(うべし)は、山口県西部周防灘瀬戸内海)に面した市。

  

山口県西部拠点都市の一つであり、県内では下関市山口市に次ぎ3番目となる約17万人の人口を擁する。

宇部市前身である宇部村は、江戸時代まで厚狭南部半島状地形の先端部にある一寒村であったが、明治以降宇部炭鉱での

採炭が本格化したことで炭鉱都市として急速に発展した。石炭産業は後に宇部興産の一部となり、現在でも同社は本社機能の一部

および主力生産拠点を市内に置いている。

炭鉱採掘とともに人口が急増したこともあり、1921年大正11年)に村制から町制を経ずに市制に移行し、厚狭から離脱した。

山口県内では下関市に次いで2番目の市制施行であり、村から市に直接昇格した例は全国的にも珍しい。

  

地名の由来については諸説あり、

1.地元名産植物であるムベトキワアケビ)が繁茂していた地域ムベと呼ばれ、これが転訛し「ウベ」になったという説。

2.海辺景観に由来。つまり、「ウミベ」の読みが転訛し「ウベ」になったという説。

3.応神天皇が設置した宇治部の部民が住んだ地域宇治部里(うじべり)と呼ばれ、これが転訛し「宇部里」になったという説。

以上の3説が主なものである

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E9%83%A8%E5%B8%82

2016-04-21

http://anond.hatelabo.jp/20160421025800

増田は何か勘違いをしている。

どうも増田は①「二次元さえあれば生きていける」などという考え方は誤りで、②「世間が求める”普通”を追い求めることこそ重要である」という考えが正解であると思っているように見受けられる。

しかし、それは間違いではないか。①②両方とも正しいのではないか。

若いうちに恋人を作り、結婚し、子育てをするという、いわゆる”普通”の生き方というのは、日本民法が定める婚姻制度と、それを基礎とした相続制度税制度が作り上げた一つのモデルにすぎない。

そのため、このモデルというのは明治以降の代物にすぎず(恋愛結婚まで含めれば戦後の代物というべきかもしれない)、別に日本伝統のものというわけではないし、このモデルに従ったとき問題点も近年噴出している。これは田舎での離婚率・家庭内別居率の高さ、近時の芸能人による不倫報道を見れば明らかだろう。

増田流に2chコピペから考えれば、「結婚人生墓場コピペなんかもこの証左となるかもしれない。)

結局、①も②も生き方として良い点もあるし、悪い点もあるというとで、どちらが正解というのもはない。

(この点を勘違いして、②が正解であるとの固定観念に陥ると、いざ結婚したのちに、今度は「普通人生がいいと思っていた」みたいな増田を書くことにもなりかねない。)

それを踏まえて、今回増田は、これまで消費してきた二次元コンテンツの廃棄を通して、価値観が①から②へと変化したにすぎない。

増田二次元コンテンツの消費を通して成長ないし変化したのだ。

今回の件で増田が②の生き方をよしとするなら、それに応じた努力をすればいい。さしあたっては、美容院に行く、服を買う、出会いの場を作る、というような方途が考えられるだろう。幸い、これらの行為は全てインターネットを通して調査・実行することができる。昔に比べればハードルは低い。

エロゲーという表現形態はどうしても一段低く見られがちだが、その基礎にはクリエイターたちの必死努力研鑽がある。その消費によって得られた体験は、その努力研鑽に応じた素晴しいものがあるはずだ。

自らの人生を軽々しく否定すべきでない。価値観が変わったなら、それに応じた努力をこれからすればいいだけだ。

2016-04-14

人を憎む心、恨む心ー地震の原因ー

先程、「地震について」で、私が阪神大震災を起こしたように書いたけれども、私が引いたのは、その引き金にすぎない。

地震は、以前、私が、千葉県市川大野に住んでいて、西船橋のTACTでアルバイトしていた時にも、市原地震が起きているので、私と地震の発生には関係があるのだが、

私が、阪神大震災を起こした、というよりは、阪神地方に溜まっていた、利己的な思い、

人を恨む心、憎む心の想念の蓄積が、地震の原因といえるだろう。

したがって、阪神大震災被害を受けた人々が、私を憎み、非難するのは、おかど違いである。

ようするに、そのような心が、地震の原因であり、そういう心がなくなれば、大きな地震は来ないのである

東北震災も、かわいそうではあるが、人々の意識が、慈しみと思いやりの心になりきっていれば、あのような被害は起きなかったし、

地震津波は、必ず被害にあうというものではない。そのような不都合な状況は、すべて回避できるのである

しかし、どのようにすればよいか分からない日本政府は、少子化問題にせよ、地震津波問題にせよ、お門違いの政策ばかりやっている。

人間は、心と肉体だけの存在ではない。宇宙創造主生命を宿した、霊的な存在なのである

たとえば、売春禁止法。これは、慈しみの欠如が著しい。少子化を止めるためには、まず、売春防止法廃止し、

わいせつ物に関する法律を、すべて解禁とするべきである。それで、少子化がなぜ止められるか、というのは、

深い仏陀としての洞察の結果なので、ここでは、詳しくは述べないが、日本守護神である天照大神が怒っているのである

それは、古事記天の岩戸開きの故事関係している。ようするに、天照大神がお隠れになった時、女陰女性性器)を露出させて、

女性神様が踊って、それを契機に、天照大神が顔を出した、ということである日本経済復興させるには、この故事にちなみ、

ストリップ奨励し、合法的売春施設売春は、聞こえが悪いので、恋人代行サービス業と呼べば良い)を作り、風俗営業法で扱い、

自由セックスをさせる環境をつくればよいのである。そうすれば、日本全体に、良い波動が渦巻き、自然経済再生し、

少子化も解消できる。この方法に異を唱える人がいるのは承知しているが、これは、宇宙創造主天照大神の声を聞いた、

仏陀の智慧の視点なのである。今の男性は、アニメアイドルに夢中になり、現実女性結婚意識が向かない傾向にある。

これは、日本全体に、性欲はわいせつであり、罪深いこと、という明治以降欧米の風潮が悪い影響をしている。

自由に、性器露出させた雑誌を、コンビニに並べることにより、子供たちは、隠し、嘘を見せるのではなく、ありのまま女性の姿をみつめ、

自分に嘘をつかず、女性大事にすることを学ぶ。今の性器教育中心の偏った性教育ではなく、女性への尊敬と、宇宙創造主に対する畏敬と感謝の念を持って、

セックスと言う問題を扱うようにすれば、自然に、現実女性と家庭を持ち、子供を産み、きちんと育てようとする機運、風潮ができるのである

今の官僚は、隠すのが好きである。これが、日本の政治を取り巻いている。高齢者も、自由セックスを楽しめる様になれば、生きがいも持てるし、

抑圧する感情情動を、ごまかして、いい加減に済ますようにし、その結果、認知症になったり、変な恋愛観を持って、女性ストーカーするなどの

行為が減る。身体障碍者の性欲の解消にも、役立つ。日本国憲法は、国民に、最低限度の文化的生活保証しているし、幸福追求に関する個人の権利

認めている。そうであるならば、職業選択の自由を認め、恋人代行サービス業を公に認めて、国家を上げて、セックス奨励する機運にすると良い。

これが、少子化経済活性化の唯一の根本的な治療である。私は、仏陀として、治療師として、そう強く思う。

2016-02-15

http://anond.hatelabo.jp/20160215084048

日本は元々男が子育てする習慣がないから

と言うと江戸時代は男も子育てしてたーとか言うのが出て来るけど、庶民というか貧困層だけだろ

上流階級になると表と奥に分けて男は奥には関わらないわけで

明治以降庶民も金がある所ほどそれの真似したがったわけで

最近はイクメンだのが流行ってるけど、所詮海外価値観付け焼刃しかない

あと数十年も経てば日本にも根付くかもしれないけどまだ無理だな

まして今大人である世代子供の頃は育児する男は=負け組扱いだったわけでその劣等感もあるだろうし

子供の方も周りは皆母親に育てられてるのに自分の所にはいない&親父は負け組的な劣等感を持ちながら育つから歪みやすいんだろうな

2016-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20160101202037

地元氏神がどこにあるかってのと、で、そこは大抵分社だから本社はどことか

そこで行われる祭礼はいつ、どんな形でやってるのかってのはその地方で暮らすには必要一般教養

調べてみると、神道なんか元は土人のまじないで、仏教儒教悪魔合体してようやく宗教の体を成して

まともに整ったのは政治的要請のあった明治以降だし、地元の祭礼なんかほとんど戦後に始まったような

さして由緒正しくもない、まず集まり(講)があった上でこじつけで由来を作っていったものも多い

そうして本気で調べてまとめてみればA4 1枚に収まるくらいの情報量だが

そういうペラ紙1枚で収まる程度の情報の蓄積が教養というものだと思うよ

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