はてなキーワード: 戦局とは
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E6%A7%8D%E4%BA%8B%E4%BB%B6
問題となった戦局解説記事は、毎日新聞社政経部および黒潮会(海軍省記者クラブ)主任記者である海軍御用記者の新名丈夫記者が執筆した記事(見出し作成は山本光春)で、「勝利か滅亡か 戦局は茲まで来た」という大見出しの下でまず「眦決して見よ 敵の鋏状侵寇」として南方における防衛線の窮状を解説し続いて「竹槍では間に合はぬ 飛行機だ、海洋航空機だ」として海軍航空力を増強すべきだと説いている(#『毎日新聞』(1944年2月23日付)の記事参照)。これは海軍航空力増強を渇望する海軍当局からは大いに歓迎されたが、時の東條英機陸相兼首相は怒り、毎日新聞は松村秀逸大本営報道部長から掲載紙の発禁[5]および編集責任者と筆者の処分を命じられた。
その作戦はやや奇妙に思えた。
このウイルスは伝染力が非常に強い。しかも無症候のウイルスキャリアが多くいるらしい。感染予防策を徹底的に行っても、いずれはその網をかいくぐるウイルスが出てくることは自明であるように思われた。しかし、中国は経済活動を捨ててまで、まさに国力を挙げて感染対策を行っている。大都市の封鎖、大病院の緊急建造など前代未聞である。いくら全体主義国家といえどやりすぎではないだろうか。
感染対策には少なくないコストがかかる。感染対策自体にかかるコストが、感染をしなかった時に発生する治療費や社会的損失を上回る時に感染対策は有効となる。
感染症に対する戦略(この際は特に隔離予防策について)は簡単に言うとこうだ。
・致死率の非常に高いものは流行した時の影響が大きいので徹底的に隔離する(エボラなど)
・感染力の非常に高いものは抑え込む為のコストが大きい、またそもそも現実的に不可能であるため、隔離予防策の有用性は相対的に低くなる(麻疹、風疹、水痘など)
今回のコロナウイルスはどうだろうか。
・致死率については高い方ではあるが、高齢者でなければMERSやSARSと比較すると高くない。専門家もむしろパニックにならないように繰り返し伝えている。
・感染力については非常に高い。インフルエンザ以上との予測もある。
仮に中国国内で流行を止めることができても、そのうちウイルスが海外を経由して逆輸入される可能性が高い。西側諸国は中国のような徹底した策を講じるのは不可能だからだ。であれば、国内で必死に食い止めるために費やしたコストが無駄になってしまわないだろうか。極論を言えば全ての人がこのウイルスにかかれば流行は終わるのだから、なるべく犠牲を少なくコストを少なく抑えて全員にかからせるのが取るべき戦略のようにも見える。
たしかに、隔離予防策は完全に封じ込めできなかったとしても、データを集めて治療法を練るための時間稼ぎをする意味はある。が、それでもコストに見合ったベネフィットが得られるように思えない。臨床試験から薬を大量生産できるようにするまでの確かな見通しが見えない中、時間稼ぎのための感染対策コストをかけ続けるチキンレースはあまりいい賭けとは思えない。また、コロナウイルスはインフルエンザのように少しずつ形を変えて毎年大流行する事はない。一度かかって治れば免疫ができてしばらくかからないはずだ。世界規模の流行が起こるのはこれが最初で最後だろう。その意味でも治療法の開発に莫大なコストをかけるのは分のよくない賭けではないだろうか。なんだったら季節が変わって自然に収束する可能性もある。
しかし、中国は何も戦略がなくただ目の前の壁にがむしゃらにぶつかっていっているわけではない。
おそらく中国もこのウイルスを完全に封じ込められるとは思っていない。
中国の真の目的は、ウイルスと人類との戦いで中国が世界に貢献を示す事である。
中国自身がこれは戦争だと形容した。軍隊を動員して対策にあたらせているニュースを冷笑して見ていた人もいるかもしれない。だがこの時まさに、中国が先陣を切り、それぞれの国が国力を挙げて戦うべきものとして世界を戦場に引き入れたのだ。この戦場ではウイルスへの有効な対策を講じた者が勝者であり、ウイルスを蔓延させた者が敗者となる。また派手な施策を打てば戦果をアピールしやすい。
中国は初手を誤り、武漢での対策が後手に回り、世界から批判を受ける立場だった。しかし、感染力が高いこのウイルスであればいずれは世界に蔓延することが容易に想像できる。それを見越して、全世界を感染対策という名のコストをかけさせるチキンレースに参加させれば中国が圧倒的に有利となる。全体主義と自由主義の危機管理能力比べに持ち込んだとも言える。ある程度自国内を感染制御したところで我慢して、他の国でアウトブレイクが頻発すれば敗者は逃れられる。むしろ、最初にデータが集まることをアドバンテージとし、各国に有効な対策を広めることができれば世界的なプレゼンスを高めることまで期待できる。
先月、日本国有重工業清算事業団の資産整理の一環として放出されたタクトスイッチ、T-303(黒)。
私には入手できなかった。今回の放出分、32510台は完売したそうだ。今後の発売予定分もすでに予約で完売という。
私が生まれるより以前には多くの趣味人口が在った分野のようだが、昭和99年の今では古臭い趣味として認識されている。
世代の違う親に言わせれば例えば、切手収集みたいなもののように映るようだ。
デザインや絵柄しか違いのない切手に比べたらスイッチには、筐体を形作る樹脂の手触りや質感、眼に映る色、端子の鈍い輝き、そして何と言っても機種による様々なクリック感。
大きなものではなく、嵩張らないので例えば自動車のような趣味と比べ所有するのに場所をとらず、多くの種類を所有できるのもいい。
採取した昆虫を陳列するよう離れの書斎に並べてある私の多くのコレクションのうち、気分で選んだお気に入りのスイッチを手にしてその感触を味わう。
冬の暖かい部屋のなか、柔らかな椅子にくつろぎラヴェルの録音を再生する。
そしてその単調な変わらないリズムに合わせ、スイッチを左手に取り、クリック。
午後は、そうした至福の時間を得て過ぎた。
この、スイッチ収集という趣味の市場は世の中に、昭和初期に急に現れたらしい。
どういうわけかは不明である。はじめは細く好事家の間での国の生産計画の情報交換などの会合や、あるいはコレクションの展示会、交換会などが行われていたようだ。
国立国会図書館に存在もするその会の名簿を調べると、参加者には国防機構内のテクノクラートや財閥系の重工業企業の社員の名前の存在が目立つ。
そしてその趣味の市場の人数規模は、この頃では大きくは、なかったようである。
その後、先の大戦中の国家高揚のなか、敵性語であるのでスイッチとは言わないがこのころではすでに開閉器収集というジャンルの趣味が市民の間には広く存在した。
昭和15年2月 東亜開閉器公社発行の、季刊開閉器句報創刊号も私のコレクションの一部だ。
スイッチを手に遊ばせながらブラウン管から聞こえるニュースに耳を寄せると、本営の報道官が伝えている。
先週も三沢基地より、北の方向への弾道ミサイルが2発発射された。
ニュースはヨーロッパ共同体の経済状況に続けて本営、および日本原子力研究製造開発機構の広報官らによる記者会見を写している。
先ごろ国会を通過した法案、憲法66条2項の改正を適用した結果の条項は、兵器を発射する装置を制御する管制官の責任は日本の行政システムの中には存在しないよう、恣意に解釈できるようだ。
一度外れた箍を再び同じにはめることが難しいことと同じように、多く憲法が改正される機会のある今日ではあまり興味のない類のニュースだ。
古くからのスイッチ収集家の私から見たら、必要は感じられないのだが最近のスイッチの内部にはただのスイッチ以上の何らかの機能もあるようだ。
また、市民用通信網上に在る、政府の機密に近しい噂のあるページによると、スイッチ部品の販売元は各民間商事企業ではあるのだが、製造は全て国が一元して行っているという話も見る。
製品の処機能が増えるならば趣味の幅が広がるしまた、国が管理しているのならばその製品の品質も安定するであろう。
https://note.mu/rainbee/n/nffab15da919e
バカボットが言うPCゲームの普及率も家庭用機、スマフォ、アーケードにもmobaがあることを考えれば的外れだろう
そこで俺も暴論を放ってみる
lolにせよowにせよこれらのタイトルは対戦ゲームとしてはかなり広いステージで戦う
ことだと思う
俺はちゃんとやってるのに負けたのはどう考えても味方が悪い!
と思い込むのは誰でも同じだろうが、日本人は視野の狭さゆえに自分の悪さに気が付くのが難しい
例えばヒーラーの射線を切ってしまっているタンクとか(回復してもらえない)
例えばヒーラーが延々狩られているのに守らないとか(回復してもらえない)
目の前の敵は倒せていても本当に重要な戦局を放置しているかもしれない(オブジェクトを奪われているとか)
だがそれがわからない
結果、
となって上達する前に投げることが多いのではないだろうか
日本人が戦略的思考に欠けていることは第二次世界大戦での戦略のまずさを始めとして散々指摘されてきたことだ
日本人は他人と共同作業するのが苦手ということはないしロールに従うこともむしろ得意な方だろう
これらは日本産のゲームにも対戦、協力、ロールの要素がふんだんに取り入れられていることからして明らかだ
だが目の前の状況以外のことに気をめぐらす視野の広さに欠けているゆえに、mobaへの適正に欠けている
戦況報告をやりやすくするかゲーム自体がどんどん警告を出していくようなシステムが追加されれば日本人にもできるmobaになるかもしれない(競技性は低下するだろうけど)
ヒーラーがフランカーに狙われるとチームメンバーの画面にでかでかと警告が表示されるとか
近年、新たな学説の登場により一般的に理解されているポメラニアンの戦いの全貌が明らかにされようとしている。
ポメラニアンの戦いとは主にポメラニアン同士の戦いのうち、二頭あるいは複数頭での争いのことを言う。
もし仮にポメラニアンが勝った場合、それは同時にポメラニアンの敗北を意味するからである。
歴史上最も知られているのは、やはりポメラニアンの戦いであろう。
1994年、ポメラニアンがポメラニアンと出会ったことで開戦の火ぶたは切られた。
序盤はポメラニアンが有利に思えた。
しかしポメラニアンの背後にはポメラニアンのポメラニアンが控えており、これを見抜けなかったポメラニアンの戦局は一転する。
ポメラニアンはどうにか戦局の建て直しを計るも、ポメラニアンは頼りにしていたポメラニアンに裏切られ、ポメラニアンの権力構造が崩れるとポメラニアンの戦いは泥沼化することとなった。
これに憂慮を示したポメラニアンは、ポメラニアンの戦いの停戦協定を模索すべくポメラニアンを特使としてポメラニアンに派遣して事態の鎮静化を図った。
我々は一人の社員を失った。
GAFA連邦に比べ、我がNTTの年収は30分の1以下である。
にもかかわらず、今日まで戦い抜いて来られたのは何故か!
そうして、一握りのエリートが、全地球にまで膨れ上がったGAFA連邦を支配して20余年。
日本に住む我々が社員引き留めを要求して、何度連邦に踏みにじられたか!
我が社員、諸君が愛してくれたXXXXXXは辞めた。何故だ!?
新しい時代の覇権を、我ら選ばれた社員が得るは歴史の必然である。
ならば、我らは襟を正しこの戦局を打開しなければならん。
我々は、過酷な競争環境を生活の場としながら、共に苦悩し、錬磨して手厚い福利厚生を築き上げてきた。
かつて中曽根康弘は、行政の革新は郵政の民たる我々から始まると言った。
しかしながら、GAFA連邦のモグラ共は、自分達が情報通信産業の支配権を有すると増長し、我々に抗戦をする。
諸君の、父も、子も、その連邦の無思慮な抵抗の前に辞めていったのだ。
この悲しみも怒りも、忘れてはならない!
それをXXXXXXは退職をもって我々に示してくれた!
我々は、今この怒りを結集し、GAFAに叩き付けて、初めて真の勝利を得る事ができる!
悲しみを怒りに変えて、立てよ社員!
好きだった人がダメすぎて嫌いになった
明るくて面倒見よくて楽しい人だなと思ってた
私の強いチームに在籍してた別垢で誘うも非協力的な返事
それでもなんとか合併にこぎつけた
強いチームに入りやられる側でなくなったと思うと態度変わって調子づいて他チームを攻撃しまくった
嬉しいんだね、とは思ったが引いた
その時もまた様子見の非協力的な返事
それが合併して過ごしやすいと見ると、元いたチームをさっさと捨てる
さらに 彼に管理を任せていた資源チームを個人の都合だけで移動させていた
同じ資源用チームが既に隣接しているにもかかわらずだ
あるいは断らなくても管理メンバーは自由に使ってくれと全員にメールしていたし
けど彼は、断って使うことも黙って使うこともせず、ただ自分が自由にできる同資源チームを移動させて
チームの人たちとまともに会話できてないし
信頼関係も作れてない、作ろうともしていない
気づくとなんで好きだったのかと思うほどにみすぼらしかった
見窄らしい これに尽きる
口ばかりの内弁慶 そういうことだったのか
弱小企業の弊社。
成長中の市場にいるにも関わらず、競合他社に抜かれまくり経営は低迷中。
その目標にタッチするには我々現場の社員が頑張らないといけない。
頑張らないといけないし、今頑張ったことがきっと将来活きるのかもしれないけど、もう疲れてしまった…。
残業代も一応出るから勤務時間分の収入はあるんだけど、日付変わる頃に帰宅してお茶漬け食べて風呂入って寝るみたいな日々で得た収入なんで、人生溶かしてこれだけかあ…という感じ。
そこまでしてやりたい仕事じゃない。
残業代出るからブラックじゃない(?)し、結局私が根性無しなんだろうか…。
今は辛いけどなんとか色々効率化してあれをあーしてこれをこーして絶対この戦局を乗り切ってやるぜ!目指せ業界ナンバーワン!ってなれない。
21時にはお家に帰りたい。
ほかのトラバにあるように、捨て牌に「偏り」があったら集めてるモノが推定できる。
もっとも、字牌や端っこのほうの牌(12、89)はもともと使いみちが少ないので、タンヤオに限らず序盤から終盤まで捨てられやすくて、たいして参考にはならないかもね。
逆にど真ん中の牌(3~7)はとても使いみちが多いので、そんなのばっか切ってくると不自然。そこから端っこ系の役(チャンタ・ジュンチャン系)なのかな~と当たりをつけたりとか。
マンズ・ピンズはどんどん捨てられてるのにソーズだけは全然捨てられてないなーと思ったら「染めてるな」とか(染める=一色系の役。チンイツ、ホンイツ)。
あるいは、トンチンカンな捨て牌で脈絡がなかったらチートイとかトイトイかなーとか。
で、なんのために相手の手役を読むかというと、その人にポン・チーされて手を進ませたり、放銃(=フリコミ)したりしたくないからだ。つまりディフェンス。
自分の手役を進めるだけでは防御ができない。自分の手を進めるとともに、相手の手が進むのを妨害したり、先行する相手に振り込んでしまわないように防御力を上げるのが麻雀で強くなるヒケツだ。
たとえば、マンズで染めてる人がいたら、マンズと役牌はそいつに対して危険牌となる。その人が躊躇せずにマンズを切り始めたら、テンパイかそれが近い証拠。役牌とマンズはプレゼントしないように注意しなきゃいけない。
あと、ディフェンスという意味では「スジ」というセオリーを理解すると防御力はかなりアップする。
147,258,369という組み合わせがスジ。
誰かのリーチがかかったら、その人の捨て牌を見て「456」のどれかがないか確認しよう。
4が捨てられていたら1と7、5が切れていたら2と8、6が切れていたら3と9はかなり安全、というセオリーだ。
麻雀の待ちは「リャンメン待ち」が多用される。リャンメン待ちっていうのは、たとえば「34」と持っていて「2・5」の両方を待っているようなケースだ。「6・8」と持っていて間の「7」ひとつを待つ「カンチャン待ち」よりもアガれる確率が高いよね? なので、人はできるだけリャンメン形に待ちを持っていきたいわけ。
待ちがリャンメンだと仮定とすると、5を捨てている人が2を待っている(34が手元にある)ことは理論的にありえない。フリテンになるから。8も同じ。これがスジの基本。
ただし、2が切れているからと言って5が安全かというとそれは違う。67と持っていて5・8待ちかもしれないからだ。これを遠いスジという。
また、「468」と持っていて「4」を切ってリーチしました、待ちは「7」です、みたいなケースもある。4が切れてるから安心して7を切ると「ロン!」って言われる。これを引っ掛けリーチという。スジのセオリーの裏をかく戦法だ。
麻雀はどの牌も場に4枚ずつしかないので、それも防御に使うことができる。
先ほども言ったように待ちの形はリャンメン形になることが多いけど、たとえば「3」がすでに4枚とも場に捨てられていた場合、3を使ったシュンツ(234とか)は作ることができない。つまり3をまたぐ「1・4」と「2・5」のスジ牌は比較的安全と考えることができる。
それとか、場に3枚切れている字牌の4枚目もめちゃくちゃ安全だ。最後の一枚は(国士無双でもない限り)使いみちがないから。
このように、リーチがかかったり相手の手が進んでいる雰囲気を察したら、ガードを上げて振り込まないように手を進めるわけ。
自分の持ち点、自分が今作っている手役の進度や点数、誰が親か(親は点数が1.5倍だ)などの戦局を勘案して、リーチをかけた人に刃向かうのが得策ではないと判断したらオリる(自分の手作りを諦めて安全牌だけを捨てる)のもディフェンスのひとつだよ。
(※ このエントリは釣りエントリーです。どういう釣りなのかは言いませんので推理でもすればいい)
俺は重度のCoD厨。BOからハマり、新作が出るたびに買って「BOは良かったな」「BO2は良かったな」っていうクソ老害。
IWはなんだあれ。あそこまで行くともうオーバーウォッチしたほうがいいわ。
そんな毒づいた俺に友人が勧めてくれた「バトルフィールド1(以降、BF1)」。
正直、BFは4とハードラインをしたけど、戦車や戦闘機やヘリや車やらで苦手だった。室内戦だけしていたいと感じるぐらいに。
BF1も変わらないんだけど、すごく良いので、まとめたい。
もう、100人いて100人が賛同してくれる内容だと思うんだけど、ビームやレーザー、反射レーザー、異様に硬いドローン、投擲物どころかミサイルまでもを完全に焼き尽くすトロフィーシステム、透明になったり、一気に足がはやくなったり、空を飛んだり、ロボット兵士がいたり、そういうのがない。
出てくるのは世界大戦中の性能の悪い武器と戦争を変えたといわれる異様に強い重戦車。
CoDは家の中で人を簡単にバラバラにしてしまえる爆弾をつかっても家が異常に頑丈につくられているので問題ないが、BFの家は崩れるし、地面はえぐれる。
泥臭い。最高に。最高だ。
32vs32なので、チーム戦ではあるが自分一人が強ければ味方を勝利に導けるとは限らない。
自分は一兵士なので、どんだけ死のうが、どんだけ味方の足を引っ張ろうが勝つ時は勝つし、負ける時は負ける。
「じゃぁ自分が勝利に貢献してる感覚はすくないのか?」といわれたらとんでもない。むしろ、1人の勝利貢献が大した事ないゲームだからこそ「自分(または自分の分隊)がゲームを作ったな」というような勝利に立ち会えた瞬間に喜びは凄まじい。
基本的にコンクエスト(他のゲームでいうとドミネーションみたいなやつ。スプラトゥーンならナワバリバトル)の話だが、戦力が拮抗してなかなか盤面が動かないC陣地があったとして、そこを無視して1人で相手の陣地に忍び込んでうろちょろする。
そうすると5~6人が「奇襲をかけられているぞ!」と思って前線を離れて自分を狩りに来る。
自分一人で前線から5~6人の兵を退けることに成功してそのままC陣地に味方がなだれ込み拠点を制圧。この瞬間が本当にたまらない。そして自分が操作していた兵士は死んでしまうのだ。儚い…。
これは凄まじい。上記のように「自分がゲームを作った」という感覚はあるが、それでも結局は「みんなががんばったから」という感想が一番大きい。
激戦区を突破できたのは後方で拠点を守ってくれた味方がいたからだったり、奇襲をしかけて敵の戦力を削いだ人がいたからだったり、戦闘機で地上を支援してくれた味方がいたからであって、自分一人ではどうにもできない。どれも必要。だから、勝った時の喜びはみんなで分かり合える。負けた時には素直に「自分たちはここが相手とくらべて至らなかった」「相手チームの奇襲に完全にやられた」など前向きに負けを理解できる。
ガンダムでアムロは「自分がもっと強ければマチルダさんを生かせた」とウッディ大尉に言って「戦争はそんなもんやないで」という場面があるけどまさにそれ。
ガンダムの影響は大きいが、かといってガンダムがすべての戦局を左右したわけではない。
BF1でいうと、戦車は、銃弾が効かないし、爆弾一発で壊せるようなものでもないからまさに無双の如き活躍をみせるが、戦車だけが戦場を支配しているわけではない。
第一次世界大戦を追体験するようなキャンペーンなんだけど、まずは車の運転手から戦車の運転手になった人、戦時中にだまし取った戦闘機で最高のパートナーと一緒に戦った詐欺師、戦場で兄弟を探す兵士、若い人間を生かそうとする英雄の老兵、アラビアの部族の1人などいろんな主人公でプレイできる。どれも泥臭い。そして、いずれも儚い。
土日やりこんで後半?ってところまで進んできたが、ここ最近のDQで一番AIがバカなんじゃないだろうか(3DS版プレイ)
基本的にバッチリがんばれを指示してるが全然バッチリがんばらない。
主人公だけは雑魚戦でも命令したい派なのでAIが思う通り動かず困る。
・ターゲットが読めない
同じモンスターが2グループで出た時は別々のグループを攻撃したりする。
別々のモンスターが出た時もドラゴン斬り等の特攻技があるとバラバラに攻撃しはじめたりする
・戦局を読まない
イオやギラで複数攻撃して欲しいと思うような数の時に一匹トドメをさせる弱ってる敵にメラで単体処理をする
・ガンガン消費する
賢者ポジションのキャラがMP消費高めの全体技を覚えたが、ガンガン使う。
「MP使うな」ではなく「MPせつやく」がものすごく欲しくなる
少し前のシリーズからも感じていたが、個別に作戦を指示して判断するようになってから各々が勝手に行動してるように見える時はあったが
ようこそ!
ここは酸いも甘いも味わえる夢のワンダーランド、インターネッツ。「www」の扉をくぐれば誰だって飛び込める!
人種、属性、性癖、思想、誰一人制限されることはない完全な仮想的オープンワールド。
来る者拒まず去る者追わず。見回りの警察はいても門番はいないよ。誰でもカモン!
それが、政治。
無視したくても、目を閉じたくても、視界をそらしたくてもいっつも気になる子の様に視界の隅にチラついちゃう。
参加条件はなし!ロボット以外は誰でもおいで!
でも、どっちが有利かなんてわかんないよ。それは指揮官なき戦争。局地的戦局は見られても誰一人、俯瞰的なことはわかりゃしない。だって、今もこうしてワンダーランドは広がり続けてるんだから!
いっつも、右の軍勢と左の軍勢はせめぎ合ってばかり、左が押し込むこともあれば、右がグイグイくることもある。
それの繰り返しさ。
飽きないかだって?
そりゃ、飽きないよ。実際今まで続いてきたじゃないか。
でもでも、右の軍勢に押されてる時に、左の軍勢なんて辞めたくならないかだって?
いいこと聞くねぇ、このワンダーランドは一つの戯曲。大事なのはギリシャのような精神の浄化、カタルシスさ!
グイグイおされた左の軍勢。でもでも、ワンダーランドの神様はかたっぽがやられっぱなしなんてつまらない真似は好まれない。
ある時を境に今度は左の軍勢は水を与えられた魚のように元気になるのさ。
そうすりゃ、なんのクライマックスのように左の軍勢はカタルシスを味わえる。
因みにこれは、右の軍勢も然り、だ。
しかも、こりゃただの劇場とは違うぜ、何せそこはワンダーランド、皆が皆悲劇のヒロインで復讐の主人公。悪の大魔王軍団に好きなだけ思いの丈をブチかますことが出来るのさ。
ワンダーランドの人達が争うことワンダーランドの神様もそれを望まれている。
闘争は人間の本能。体はワンダーランドでも心が人間なのならそこからは逃れられない。
人と人との争いはエネルギーを生む。神様にはそのエネルギーが必要なのさ。このワンダーランドをワンダーランドたらしめる為には……
さて、キミはどっちの軍勢に入りたいんだい?
……そっかぁ、そりゃいつか苦労するぜ
私には入手できなかった。今回の放出分、32510台
は完売したそうだ。今後の発売予定分もすでに予約
で完売という。
けている。
して認識されている。
なものに目に映るようだ。
ッチには、筐体を形作る樹脂の手触りや質感、色、
端子の鈍い輝き、そして何と言っても機種による様
々なクリック感。
思っている。
くの種類を所有できるのもいい。
る私の多くのコレクションのうち、気分で選んだお
そしてその単調な変わらないリズムに合わせ、スイ
午後は、そうした至福の時間を得て過ぎた。
昭和初期に急に現れたらしい。
るいはコレクションの展示会、交換会などが行われ
ていたようだ。
きくは、なかったようである。
るのでスイッチとは言わないが、このころではすで
広く存在している。
ている。
日も快進のようだ。
2発発射された。
による記者会見を写している。
一度外れた箍を再び同じにはめることが難しいこと
号に目を移す。
して行っているという話もある。
るであろう。
としかその時は考えなかった。
る。
そして私以外の多くの蒐集家の手にも、押されるの
を待つスイッチが数多く、あるのだろう。
我々は一人の英雄を失った。しかし、これは敗北を意味するのか?否!始まりなのだ!
リーマンどもに比べ、我がスケベな女に出会いたいだけの50代は30分の1以下である。
にもかかわらず今日までひとりで正気を保って抜いてこられたのは何故か?
諸君!我がスケベな女に出会いたいだけの50代たちの戦争目的が正義だからだ。
これは諸君らが一番知っている。
我々は窓際を追われ、渋谷TSUTAYA前移民者にさせられた。
そして、一握りのリーマンらが神泉にまで膨れ上がったニガー達とポールダンサーを支配して50余年、蒲田に住む我々が自由を要求して何度踏みにじられたか。
スケベな女に出会いたいだけの50代の掲げる人類一人一人の自由のための戦いを神が見捨てるはずはない。
私の弟!諸君らが愛してくれた岩◯竜◯は死んだ。
何故だ!?
…
新しい時代の覇権を選ばれたドスケベが得るは、歴史の必然である。
ならば、我らは下の頭を硬くし、この戦局を打開しなければならぬ。
我々は過酷な田都を暇つぶしの場としながらも共に苦悩し、錬磨して今日の文化を築き上げてきた。
かつて、ワカバ・コシーキは人類の革新は田都の民たる我々から始まると言った。
しかしながらリーマンのモグラ共は、自分たちがスケベな女たちの支配権を有すると増長し我々に抗戦する。
諸君の父も、その息子(もちろんそういう意味で)もそのリーマンの無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ!
この悲しみも怒りも忘れてはならない!それを、◯二は!死をもって我々に示してくれた!
我々は今、この怒りを結集し、どうせ私服はガイアが輝けと囁いてるリーマンに叩きつけて、初めて真の勝利を得ることができる。
西郷隆盛とその下の息子たちよ立て!悲しみを怒りに変えて、立てよ!アソコよ! がんばっぺ福島!
我らスケベな女に出会いたいだけの隆盛たちこそ選ばれた民であることを忘れないでほしいのだ。
優良種である我らこそ巨乳のポールダンサーたちを救い得るのである。
やぱやぱ〜
戦前、戦局が悪化しても満蒙開拓移民を送り続けることができたのは
日本人の社会的なシステムと国民性が大いに関係していると思う。
当時の農林省が村長に話しかけて村長が村民に働きかけ村単位で人間を外国に送るという政策ができるところが凄い。
会社のようなトップダウン型の動きが普段の日常生活の中にも浸透してる辺りが単一民族国家であり日本の特徴ではないかなと・・
国は貧しい農村に多額の寄付金を渡して村に施設や水路などのインフラを整備する代わりに
その時期はちょうど関釜連絡船が米軍か他の連合軍に撃ち落とされたニュースがあった時期だ。
やっぱり日本人は追いつめられるとトップの人が無茶な計画や政策を打ち出して
下部の人間にそれをアメとムチを駆使して強いる王道的なやり方を使う傾向がある。
満州の開拓移民は最後には集団自決した。生きて帰って来た人もいるけど
自殺した人もいた。
以上を踏まえて日本人はよく考えてほしい。
先月に発売された日本国有重工業清算事業団製のタクトスイッチ(黒)SKHPHNA313。
私には入手できなかった。初期ロットの32510台は完売したそうだ。
今ではそれなりのコレクションになった。
私が生まれるより以前には多くの趣味人口のあった分野のようだが、昭
世代の違う親に言わせれば例えば、切手収集みたいなもののように目に
映るようだ。
デザインや絵柄しか違いのない切手に比べたらスイッチには、筐体を形
作る樹脂の手触りや質感、色、端子の鈍い輝き、そして何と言っても機
種による様々なクリック感。
大きなものではなく、かさばらないので例えば自動車のような趣味と比
べ所有するのに場所をとらず、多くの種類を所有できるのもいい。
採取した昆虫を陳列するかのように離れの書斎に並べてある、私の数多
くのコレクションの中からその日の気分で選んだお気に入りのスイッチ
を押すことにより、その感触を味わう。
冬の暖かい部屋のなか、柔らかな椅子にくつろぎ、ラヴェルのレコード
を掛けその単調な変わらないリズムに合わせ、スイッチを左手に取り、
クリック。
ところでスイッチ収集という趣味の市場は世の中に、昭和初期に急に現
れたらしい。
どういうわけかは不明である。はじめは細く好事家の間での国の生産計
画の情報などの会合やあるいはコレクションの展示会、交換会などが行
われていたようだ。
国立国会図書館に存在もするその会の名簿を調べると、参加者には国防
関係のテクノクラートや財閥系の重工業企業の社員の名前の存在が目立
つ。
市場の人数的には、その頃はこの趣味の市場は大きくは、なかったよう
である。
その後、先の大戦中の国家高揚のなか、敵性語であるのでスイッチとは
言わないが、このころではすでに開閉器収集というジャンルの趣味が市
民の間には広く存在した。
月刊開閉器句報、昭和15年2月創刊号、も私のコレクションの一部だ。
さて、スイッチを手にとりながら、テレビジョンによるニュースに耳を
寄せると、本営の報道官が伝えている。
数年続くこの大戦の戦局は本営の発表によると、本日も快進のようだ。
先週も三沢基地より、北の方向への弾道ミサイルが2発発射された。
ニュースは続けて本営、および日本原子力研究製造開発機構の広報官ら
による記者会見を写している。
先の国会を通過した法案、憲法66条2項の改正を適用をした結果の条項
は、どうやら兵器を発射する装置を制御する管制官は日本の政府運営シ
一度外れた箍をはめること難しいことと同じように、多く憲法が改正さ
古くからのスイッチ収集家の私から見たら、必要性は感じられないのだ
が最近のスイッチの内部にはただのスイッチ以上の何らかの機構もある
ようだしまた、コンピューターネット上にある、政府の機密情報をリー
クする情報発信サイトによると、スイッチ部品の発売元、ディストリビ
ュータは各民間商事企業ではあるが、実は製造は全て国が一元して行っ
ているという話もある。
機能が増えるなら趣味の幅が広がるし、また国が製造管理しているなら
ば品質も安定するであろう、理由はわからないがコレクターとしては喜
ばしい、とだけしかその時は考えなかった。
そして私以外の多くのコレクターの手にも、押されるのを待つスイッチ
が多く、あるのだろう。
かなり皮肉や嫌味にまみれた屈辱的な内容となっている。はてなポツダム宣言とでも呼ぶべきであろうか。
もちろんフミコフミオ氏は本心でこんなことは思っていない可能性は高い。しかし、勝敗が決しているからこそこういうことが書ける。 劣勢でこんなことを書いたら間抜けだが、優勢の状態で書けば寛大な対応と解釈される。今はこれを書いてもいいくらい圧倒的な差が付いてしまった。しっきーを応援しているブコメは無能な味方ばかりでありまるで戦力になってないどころか逆効果である。フミコフミオ陣営は、フミコフミオは本当に性格が悪いなあと笑いながらコメントする人が多数いるほどの余裕ぶりである。力関係において米帝様と資源がなくなった後の小さな島国くらいの差だができた。
現時点で、フミコフミオは対しっきー戦において脳内では勝利を確定させている。ここからはフミコフミオさんは黙っていればしっきー氏があがけばあがくほど戦局がどんどん有利に働く。フミコフミオは自分が不利な状況であれば何も記事を書かずに知らんぷりをするか、もっとちゃんとした文章を書いていただろう。「その必要がない」圧倒的に有利な状態だからこそ、こういう言葉を使っている。
今はそういう状態。ここで表面的な皮肉に噛み付いたところで負け犬の遠吠えであり、しっきー氏の戦況の読めなさが際立つだけである。戦局が判断できるなら余計なあがきはやめることだ。
スタートは間違えていなかった。しっきー氏の攻撃のタイミングは良かった。米帝にかすかに見えたスキ。千載一遇の機会と大義名分を得たはずだった。このタイミングを逃さず小国による一刺しを目指したのは間違いではない。しかし現場指揮官がその重要性を理解せず、肝心なタイミングでふざけた行動をとったせいで初手の真珠湾攻撃からすでに躓くこととなった。 現場における攻撃の非徹底ぶりはこの戦いの重要性やリスクを理解していない愚か者のソレだった。会社で働いたことがないと、目上の人間と戦うことの怖さがわからないのかもしれないが、これは勝つか、あるいは死の勝負だったのだ。にも関わらずそういう緊迫感がまるでなかった。状況をあまりに舐めすぎていた。
フミコフミオ氏にも付け入るスキはあったのだが、しっきー氏の敵失により、フミコフミオ氏は自分の記事について何かを述べる必要がなくなり、しっきーの態度を責めるだけでよい余裕の状態になった。
この時点で戦局はしっきー氏に大幅に不利になった。それでもこの時点ではまだ手仕舞いして仕切り直しを狙うチャンスはあった。米帝はまだ動いていなかったからだ。ちゃんと戦局が判断できていたなら不利を悟って手をひくことは可能だった。彼が何かを言う前に自分の態度がまずかった点を述べ、その上で一点突破を目指す。そういうやり方はできたはず。 しかし、ここでしっきー氏は大きく判断を誤った。本来ただの道具にすぎなかったはずの大義名分を守ろうとして戦局の誤りを認められず、体制を立て直すこと無く突撃を行った。「俺の言ってることは正しいはずだ。これで負けるなら世界が間違っているのだ」と。精神論に陥り、戦略的思考を放棄してしまった。 この時点でもうあとはジリ貧だっただろう。 皮肉交じりの無条件降伏の勧告が情けと感じられるほどに。
最後の展開が待たれる。しっきー氏はまだギリギリなんとかなるところではある。プライドが傷ついて引くに引けなくなっているのかもしれないが、なんとか意識を切り替えてもらいたい。それができないならもう暫くの間ファイターとしての復帰は不可能だろう。この後の対処によってしっきー氏の評価は大きく変わる。これほど有望な人材が一度の失敗で取り返しがつかなくなるというのももったいない話だ。 譲れるところは譲って、なんとか生き延びて欲しいところだ。
インパール作戦って補給を無視した愚劣な作戦って世間ではよく言われる。
でも、これが当時のビルマ(ミャンマー)方面軍がビルマの防衛をするにあたっては最善手だったって話はしちゃいけない雰囲気あるよね。
当時日本が抑えてたビルマっていうのは日本軍にとって放棄、撤退できない大きな二つの理由があった。
それはビルマの後方に位置する東南アジアの資源地帯の防衛と中国軍へのアメリカイギリスによる支援ルート(援蒋ルート)の遮断。
特に後者は南方への戦力の引き抜きで弱体化しつつあった支那派遣軍を守るのにどうしても必要だった。
ここを突破されたら支援物資の米式装備で固められた中国軍が襲いかかってくることになる。
さて、この状況でビルマ方面軍が持ってる戦力といえばろくに機械化されてない歩兵師団と航空師団1つの合わせて10個師団。
ビルマの広大さから見ればあまりにも少なすぎる戦力だ。対峙するイギリス軍(15個師団以上)と中国軍(10個師団相当以上)に対して戦力は質量ともに劣勢だった。
このビルマは北部はともかく中央部はだだっぴろい平原が広がっていて自動車が動きやすい。そレに対して鉄路がすごく貧弱。(日本軍は部隊の迅速な移動は鉄道に頼りきり)
これがなにを意味するかって言うとまともに戦ったら制空権もなくて動きののろい日本軍は機械化された連合軍に粉砕されるってことだ。(実際にされた)
だから最前線を戦車や飛行機が活動しにくい北部のアラカン山脈まで伸ばす必要があった。そしてその拠点となりうるインパールが必要だった。
つまりあのまま防衛していたら負けることを牟田口や陸軍の上層はちゃんとわかってたんだ。
でも、上述の2つの点から絶対に退くことは出来ない。だから無謀とも思えるようなインパール作戦が行われた。
補給無視と言われるがちゃんと必要量の補給要請はしてたけどそもそも補給部隊がないから結果的にああなってしまった。
それを少しでも埋め合わせようとしたのが食用野草の研究や水牛を連れていくという付け焼き刃の策だった。
牟田口が非難されるべき点で言えば撤退の判断が遅れてしまったことただひとつ。
ただこれにしたってインパール作戦が行き詰まった戦局を打開するという政治的な打算で必要以上に持ち上げられて
実情を知らない上層部から督戦の激励が矢継ぎ早に来てしまったせいもある。
つまり支援はしないけど攻略はしろという無茶ぶりが来てたわけだ。
たしかにこの撤退判断の遅れのせいで大多数の死者がこの時点で発生した。
でもあなたはこの状況下で撤退の判断を果たして下せるか?俺はたぶん同じ状況なら同じことをした。
このようにインパール作戦は撤退が不可能な選択肢がない中での最善手な炎上プロジェクトを指揮した中間管理職と、それが落ち目の企業の期待を集めてしまったことによって悲劇が起こった。
ビルマを放棄する=中国軍が強化、そして後方の資源地帯が脅かされる。
というどちらも出来ないという完全に詰んでいる状況だったのだ。
それをなんとかしようとしたのがインパール作戦で状況的にも最善の策だった。