その作戦はやや奇妙に思えた。
このウイルスは伝染力が非常に強い。しかも無症候のウイルスキャリアが多くいるらしい。感染予防策を徹底的に行っても、いずれはその網をかいくぐるウイルスが出てくることは自明であるように思われた。しかし、中国は経済活動を捨ててまで、まさに国力を挙げて感染対策を行っている。大都市の封鎖、大病院の緊急建造など前代未聞である。いくら全体主義国家といえどやりすぎではないだろうか。
感染対策には少なくないコストがかかる。感染対策自体にかかるコストが、感染をしなかった時に発生する治療費や社会的損失を上回る時に感染対策は有効となる。
感染症に対する戦略(この際は特に隔離予防策について)は簡単に言うとこうだ。
・致死率の非常に高いものは流行した時の影響が大きいので徹底的に隔離する(エボラなど)
・感染力の非常に高いものは抑え込む為のコストが大きい、またそもそも現実的に不可能であるため、隔離予防策の有用性は相対的に低くなる(麻疹、風疹、水痘など)
今回のコロナウイルスはどうだろうか。
・致死率については高い方ではあるが、高齢者でなければMERSやSARSと比較すると高くない。専門家もむしろパニックにならないように繰り返し伝えている。
・感染力については非常に高い。インフルエンザ以上との予測もある。
仮に中国国内で流行を止めることができても、そのうちウイルスが海外を経由して逆輸入される可能性が高い。西側諸国は中国のような徹底した策を講じるのは不可能だからだ。であれば、国内で必死に食い止めるために費やしたコストが無駄になってしまわないだろうか。極論を言えば全ての人がこのウイルスにかかれば流行は終わるのだから、なるべく犠牲を少なくコストを少なく抑えて全員にかからせるのが取るべき戦略のようにも見える。
たしかに、隔離予防策は完全に封じ込めできなかったとしても、データを集めて治療法を練るための時間稼ぎをする意味はある。が、それでもコストに見合ったベネフィットが得られるように思えない。臨床試験から薬を大量生産できるようにするまでの確かな見通しが見えない中、時間稼ぎのための感染対策コストをかけ続けるチキンレースはあまりいい賭けとは思えない。また、コロナウイルスはインフルエンザのように少しずつ形を変えて毎年大流行する事はない。一度かかって治れば免疫ができてしばらくかからないはずだ。世界規模の流行が起こるのはこれが最初で最後だろう。その意味でも治療法の開発に莫大なコストをかけるのは分のよくない賭けではないだろうか。なんだったら季節が変わって自然に収束する可能性もある。
しかし、中国は何も戦略がなくただ目の前の壁にがむしゃらにぶつかっていっているわけではない。
おそらく中国もこのウイルスを完全に封じ込められるとは思っていない。
中国の真の目的は、ウイルスと人類との戦いで中国が世界に貢献を示す事である。
中国自身がこれは戦争だと形容した。軍隊を動員して対策にあたらせているニュースを冷笑して見ていた人もいるかもしれない。だがこの時まさに、中国が先陣を切り、それぞれの国が国力を挙げて戦うべきものとして世界を戦場に引き入れたのだ。この戦場ではウイルスへの有効な対策を講じた者が勝者であり、ウイルスを蔓延させた者が敗者となる。また派手な施策を打てば戦果をアピールしやすい。
中国は初手を誤り、武漢での対策が後手に回り、世界から批判を受ける立場だった。しかし、感染力が高いこのウイルスであればいずれは世界に蔓延することが容易に想像できる。それを見越して、全世界を感染対策という名のコストをかけさせるチキンレースに参加させれば中国が圧倒的に有利となる。全体主義と自由主義の危機管理能力比べに持ち込んだとも言える。ある程度自国内を感染制御したところで我慢して、他の国でアウトブレイクが頻発すれば敗者は逃れられる。むしろ、最初にデータが集まることをアドバンテージとし、各国に有効な対策を広めることができれば世界的なプレゼンスを高めることまで期待できる。