はてなキーワード: ヴィーナスとは
誰向けでもない。ヘビロテした曲たち
とある言葉、というか概念について、どうしてもうまく思い出せない、検索しても探し出せないので助けてもらいたい。
おそらく心理学の領域で、「人間が注意をひかれたり情動を刺激されたりする要素が誇張して表現されること、あるいはその誇張された表現、もしくは誇張した表現をおこなおうと試みる傾向」をあらわす言葉、だったはず。「**刺激」あるいは「刺激**」といった単語の形式だったような気もする。
もう少し具体的な記憶としては、おそらく先月かあるいはもっと以前に、はてブの人気エントリーに載っていた記事で読んだ気がする。カテゴリーは憶えていない。例として、腰や胸が強調された「縄文のヴィーナス」が挙げられており、サムネイルもそれだった、かも……。
本当にあいまいな記憶なので、非常に不正確であったり、まったく違う事柄と混ざっていたりするかもしれない。
よかったら知恵を貸してください。
それだー!ありがとう!
人間の心理学の事柄だと思っていたけど、もうちょっと広い領域の話だったか。
元増田です。皆さんトラバで参加いただきありがとうございます。
さて、正解は「2」だそうです。なぜでしょうか?
元ネタ記事からの孫引き(『芸術新潮』2003年6月号「ヴィクトリア朝の闘うヌード/筒口直弘」)ですが、詳細は以下の通りだそうです。
この2人のヴィーナスが、それぞれどういう場にいるかを、よく見比べてください。レイトンの絵の背景に顔を出す青い海は、おそらく地中海。ドーリス式の柱も立っているし、画面の左下にはヴィーナスのアトリビュート(引用者注・このモチーフはこのキャラクターを表す、という約束ごと)である薔薇の花と鳩が描かれています。
一方のムーアの絵は、そこがどこかも判然としない室内風景ですよね。画面の下に描かれている染付の壷なんて、明らかに1869年当時(引用者注・この絵が描かれた年代)の日本趣味を反映している。
つまり、こういうことなんです。レイトンのヌードは、その場面設定からして、古代ギリシャ世界のヴィーナス像以外のなにものでもない。一方、ムーアのヌードはといえば、画家のアトリエのような室内でヌード・モデルを描いたとしか見えない作品でした。レイトンがヴィーナス像の伝統というものをきちんと踏まえているとすれば、ムーアのヴィーナスは、A
Venusという題名のとおり「ヴィーナスのようなもの」、つまりヴィーナスそのものではなくて、単なる現実のモデルをヴィーナス風に描いたヌードにすぎなかった。
先ほど紹介したムーアの作品への2つの評が変に回りくどい言い方で貶していたのは、この事実を口に出すのがはばかられて、ぐっと呑みこんだ結果だったんですね。だからムーアの絵を見た評者も、本当は「道徳的にやましいところ」を感じていたわけですよ。
(引用者注・ムーアの絵は「あまりにも醜くおぞましいために、その趣味に反対する以外、他に反対しようという気にもならない」「このようなヌード作品には反対しようがない。というのも、まったくもって不愉快きわなりないからだ」といった具合に、具体的に「どこがどう」という指摘ではなく、ヘンに奥歯に物が挟まったような表現で批判されている)
というわけで、この例では19世紀中ごろのヨーロッパ画壇における文脈にめちゃくちゃ依存しているわけです。
21世紀日本という全く背景が異なる我々が理解できなくても、たぶん「まあ、当時はそうだったんだろう」と考えるほかないのかなあ、と個人的には思いました。
上の引用にあるムーアの絵への批判の筆致も、最近の日本でも何か似たようなのをよく見るような気がしますが、人間の歴史というのはこうやって繰り返すものなのかも。
上記リンク先のブログ記事は2010年にまきおこった「非実在青少年表現規制問題」に関連した内容ですが、昨今かまびすしい「表現の自由はどこまで認められるか?」という問題についての観点からも興味深いので、ぜひ皆さんに見ていただきたいです。(というためにこのクイズを投稿したのが半分くらいなので、読んでみてね!)
1. Venus Disrobing For The Bath, c.1866 - Frederic Leighton - WikiArt.org
2. A Venus, 1869 - Albert Joseph Moore - WikiArt.org
どちらも同時期の同じ地域(1860年代のイギリス)にて描かれたヴィーナスを主題とする絵ですが、これが当時のイギリス美術界に論争を巻き起こしました。
さて、どちらが「芸術」と賞賛されどちらが「猥褻」と非難を受けたか皆さんわかりますでしょうか?
それぞれ理由も含めてお考えください。
追記:答えを書きました。 anond:20191019193022
LGBTさまって、自分たちが気に入らないと何でも配慮してもらえると思ってるの?何様?
嘗てのオタクがさんざん豚みたいに書かれてた時、何か言ったか?
冷戦時代にさんざん映画で冷血漢として書かれたロシア人の扱いをどう思う?
スポットライトが自分たちの方を見たときだけ、針小棒大に騒ぎ立てるのってどうかしてるだろ。
お前が楽しくないと思うのは勝手だが、だったらやるなよ。
俺はキャサリンが気に入ってるし、ATLUSのゲームも気に入ってるし、それをお前に穢されたくない。
悪魔とか悪夢とか石田★ルウ(ミッドナイト・ヴィーナス)とかが出てくる世界観で、何を現実に当てはめてあーだーこーだ言ってんの?
宇宙人の下りなんて自意識過剰且つ被害妄想の完全クレイジーってだけじゃん。
世の中他人のことを寸分たがわぬ正確さで、八方誰も傷つけずに書くなんて不可能だし、傷ついたらそれは「向いてない」だけ。
私には大好きな神絵師がいる。2万フォロワー越えの、(主観)神絵師である。そしてその神絵師は私とは違うcpを推している。私がABを推しているとしたら、彼女はCBというふうに。
ここまでは良い。よくある話である。
問題は、私が固定派だということだ。
固定派腐女子の方が読まれているなら分かっていただけると思う。推しcpが違う…しかも、攻め違い。これは固定派にとって大変重大な問題である。
私は私の推しcpが絶対唯一無二のcp(運命cp)であると考えているタイプの固定派である。
たいへん生きづらい私は快適なSNS生活を送るためにもちろん、他cpは即ブロック&ミュート。逆cpもまた然り。そうして自分の心の安寧を保ってきた。 もちろんどんなに素敵な絵を描く神絵師でも秒でブロックして生きてきた。そうしなければ殺意でどうにかなりそうだったから。
推しcpが溢れるTL。私はとても穏やかな心持ちでSNS活動をしていた。
件の神絵師を見つけるまで。
その日は突然訪れた。TLにとある絵が流れてきたのだ。私の推しである美少年キャラが描かれたイラストである。
う、美しい…!あまりにも美しすぎる。
その絵を見た私は思わず感嘆のため息を漏らした。繊細で柔らかく、透き通るような色使いで描かれた推しキャラはまるで、ヴィーナスを彷彿とさせるような美しさである。ヴィーナスなどと書いたが、正直な話私はあまり絵画には明るくない。ただ、そのイラストに描かれた推しキャラは形容し難い美しさであり、それは美の女神ヴィーナスを彷彿させるほどであったわけである。当時の私がヴィーナスを彷彿させたかは置いといてだ。
直球どストライクな絵柄に私の胸は貫かれた。
こんな美しい絵を描く人間がこの世に存在するのかと関心すらしていた。もちろんすぐにイラストは保存した。
「他にどんな絵を描いているんだろう?」
きっと美しい推しを沢山描いてくれているに違いない。こんな神絵師と出会わせてくれたフォロワーありがとう。きっとサムネイルもヘッダーも美しいんだろうな。とか呑気なことを考えながら、私は興奮気味に神絵師のプロフィールを開いた。
しかし、私の目に飛び込んできたのはサムネイルでもヘッダーでも無かった。
私は発狂した。
一瞬にして天にも登るような多幸感は打ち砕かれ、まるで奈落の底に突き落とされたような絶望感が私を襲った。
私は何かの間違いではないかと、その一言を無視して画像欄を開いた。
私は2度目の発狂をした。
固定派にとってその画像欄はまるで地獄絵図である。死すら感じた。他cpの絵しかないわけではなかった。他cp以外にも普通の、普通のキャラ単体イラストももちろんあった。
だが、私は少しでも他cpを見ると体調を崩してしまう。これから神絵師が他cpを描かないとは当たり前に言えないし、私が単体イラストしか踏まないという補償はない。これからの体調のために、万が一を思い私は泣く泣くその神絵師をブロック&ミュートした。
それで全てが終われば良かった。
しかしそれでは終わらなかった。
その神絵師の絵を見た日から、ふとした時に件のTLに流れてきた絵を思い出すようになった。頭に浮かぶあの、美しいイラスト。私は「憎き他cpの神絵師の絵など…」とすぐにそのイラストを打ち消すようにしていた。他cpを親の敵のように憎んでいた私は、他cpの神絵師が描いた絵すら許せないタチであった。
だから、そうやって他cpの神絵師または絵を、想ってしまう自分が許せなかった。
モヤモヤは何日も続いた。なんなら保存した件のイラストを眺めたりもした。「いけないわこんなこと…」と思いながらも何度も繰り返しイラストを眺めては複雑な感情を抱いた。
他cpを描く神絵師のことなんてきっぱり忘れよう、とデータフォルダに保存されたイラストを消そうともした。無理だった。こんなにも美しいイラストを、消せるわけがない。まるで禁断の恋をした、思春期の乙女のような気持ちだった。
「他の絵も見てみたい」
その願いに近い感情を認めるのは困難であった。散々憎んだ他cpの神絵師の絵を、わざわざ探して見に行くなどというのはプライドが許さなかった。推しcpを愛するものとしてのプライド。固定派としてのプライド。何より他cpの神絵師の絵を見に行くことは、他cpを認めてしまうようで、自分がしてきた行いや他cpに抱いた感情を無かったことにすることと同じだと思えたからだ。断固として見るわけにはいかない。そう固く胸に誓っていた。
見た。
人間は欲深いとはよく言ったものである。己の願望には従うしかなかった。ただ少し言い訳をさせていただくと、すぐに見たわけじゃない。
その時は自分の固い意志に従い、なんとか神絵師を忘れられるようにSNS活動に励んだ。そして神絵師の存在も忘れかかってきた頃、新しい覇権ジャンルにハマり没頭。神絵師と出会ったジャンルは私が心から愛するジャンルだったので、ちょいちょい見たり描いたりすることはあったが、神絵師と出会った当時ほどの熱はその年以降生まれはしなかった。気づけば絵をはっきり思い出せることもなくなり、「そういえばあんな絵もあったなあ」というぼんやりとした感情しか思い出せなくなっていた。あれほど見たいと思っていた他の絵に対する思いもほとんど無くなっていた。
そして今年。
神絵師と出会った日からゆうに3年が経っていた。色々あり、私はその例のジャンルに再熱。再び楽しい固定派ライフを楽しんでいた。
そんなある日私は機種変更をするためにデータフォルダの整理をしていた。その時目に入ってきたあの懐かしいイラスト。見るべきではないと瞬時に思ったものの、惹き付けられた目を離せるほどの意思がその時の私にはなかった。恋焦がれ、繰り返し眺めたあのイラストは、3年経っても変わらず美しく、輝いていた。再び燃え上がる感情。
「あの美しさをもう一度だけ…」
3年越しに打ち砕かれた誓いだった。
我ながら馬鹿だなと思う。
実は当時の私は、ブロックする前に彼女のIDをメモしていた。ブロックしてしまえば、他cpの単語で検索しても出てこないから、と。この行動だけを見ると、「やっぱりあとあと見る気だったんじゃないの?」と言われるだろう。否定は出来ない。固い意志がどうのこうのと書いていたが多分見る気だったと思う。
メモされていたIDを打ち込み、神絵師のユーザーページを開く。
うわ美……………………………………………………うま……………………………
絵を見た私はまるで激しい波に打ち付けられたような衝撃に襲われた。3年越しに見た神絵師の絵は3年前よりさらに美しく洗練されていて、それはもう、泣きそうなくらいに美しかった。
美の波に私は飲み込まれ、再びその美しさに胸を撃ち抜かれた。
他cpのイラストを上手く避けながらキャラ単体イラストだけを眺め、保存した。他cpのイラストが目に入ってくる度、殺意に駆られたが、だからといって絵をスクロールする指を止めることは出来なかった。完全な敗北である。
今でも昔と何ら変わりなく、他cpへの殺意は消えていないし隙あらば殺したいと思っている。しかし、その他cpの神絵師の絵だけはどうしても認めざるを得なかった。神絵師の絵があまりにも、涙が溢れてきそうなくらい美しかったから。この世に彼女以上に美しい絵を描く人間はいないと思ったから。彼女の絵を愛してしまったから。
他cpも他cpを選ぶ彼女も嫌いだが、彼女の絵は大好きだ。だから、「大好きな神絵師」というより「絵だけ大好きな神絵師」という表現の方が適切だと思う。
まず、昨今のLGBTQの動きと性の多様性を認めようという動きにわたしは賛同している。
休刊が発表された新潮45ではLGBTと題しながら、同性愛にクローズアップされて語られた。それは、同性愛が性欲の話になるからだと思っている。
両性愛者からすると恋愛を、同性しか愛せない、異性しか愛せないと語ることは、人格ではなく性別で恋愛の対象をふるいにかけることを肯定しろという発言で性差別にも思えるある種暴力的な言説ではあるが、それでもその言説が支持されるのは、性的欲求の対象を個人の理性でコントロールすることは、人間もまた性的な動物であり不可能であることを認められているからだ。
第4条(自由の定義・権利行使の限界) 自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることにある。したがって、各人の自然的諸権利の行使は、社会の他の構成員にこれらと同一の権利の享受を確保すること以外の限界をもたない。これらの限界は、法律によってでなければ定められない。
第5条(法律による禁止) 法律は、社会に有害な行為しか禁止する権利をもたない。法律によって禁止されていないすべての行為は妨げられず、また、何人も、法律が命じていないことを行うように強制されない。
他害しない限りは自由は守られるべきことであり性欲はその人そのものに根差すものだ。だから性愛対象を区別する権利、性欲を他者に抱かない権利、すべての対象に性欲を抱く権利、性欲を抱かない権利を、加害性がない限り肯定されるべきことだと思っている。
日本が明治以前は同性愛に寛容だったのは性欲を悪とする価値観がなかったからだ。明治以降のキリスト教的な価値観によって性欲が恥ずべきものにされていった。
つまり、生産目的ではない快楽を求めるためだけのセックスは道徳的によくないという価値観だ。このセックスを楽しむためだけのセックスは道徳的でないといった価値観が新潮45の論説に繋がる。
彼らにとって痴漢も同性愛もはしたない行為であり道徳的ではないから同じなのだ。
子供に性的なものを見せない配慮とは、責任を果たせない子供がセックスをすることを推進しないためなのと、過激な暴力描写は現実とファンタジーを混同しやすい子供には良くないといった理由であり、それは必要であると思っている。
ただ、それらを推進していない女性の体が強調されているだけの絵については、問題はないと考える。
気持ち悪いと切り捨て道徳を持ち出すことはかつて同性愛者を弾圧した言説と同じだ。
サイゼリヤのボッティチェリのヴィーナスの裸体のレプリカ絵が許されるように、露骨な性的表現がされていない表紙も許されるべきである。
日本では明治以降に抑圧された女性の性欲を漫画が勝ち取ってきた歴史がある。
ずいぶんと長いこと女性向け男性同士のポルノをヤオイと言って山なしおちなし意味なしと卑下しなければならなかったが、そのポルノ自体の卑下からはようやく脱却し、自らを腐ってると自虐することに移行してきた。その自虐も自虐ではなくなったきて、堂々と宣言しはじめてきたのを見ると女性がポルノと性欲を勝ち取ってきたのだと思える。
今でこそ形骸化してる雑誌アンアンのセックス特集も最初の衝撃はすさまじく、女に性欲があることを宣言する一つのターニングポイントだった。
気持ち悪いと道徳とモラルを持ち出して性欲と性的まなざしを否定し、ゾーニングを推奨する人々をわたしはフェミニズムだとは思わない。
いやだから、ヤオイがBLとなってその創作物自体を卑下する段階を抜けて、それを愛好する自分への自虐に移行していったことを言ってるので、同一視はしてない。
アンアンの衝撃については鴻上尚史の著作と当時の新聞の評論からなので、間違ってたら申し訳ない。あとアンアンについてはポルノとは言ってない。
24年組と風と木の詩からの流れを持ったJUNEと女性の二次創作が爆発的に増えたキャプ翼や聖闘士星矢で広がったヤオイが元々が別なのはわかっているよ。
ここらへんの知識は中島梓の「コミュニケーション不全症候群」の影響が強いので絶対とは言えないが、違ったことは知っている。
ただそれらがBLに吸収されるより前にまだヤオイと広く使われていた時代と腐女子の自虐の広がりは同時期だったと認識してる。
追記14:21
性的まなざしを通した視点で性的欲求を自身に齎す存在を表現することを「主体性のないモノ」扱いにしていると否定し規制させようとすること自体が、性的抑圧行為と同意味だと思っている。
そして性的まなざしを通した表現は男女に差がなく溢れている。なぜそれが正常な状態ではないと断言できるのかその根拠がわからない。
脱毛石鹸ってSNSや雑誌のCMで目にしたことがあります。石鹸で洗うだけで脱毛ができるなんて本当なんでしょうか・・・。
結果、脱毛はできないようです。逆に洗うだけで脱毛ができたら怖いような気がします。
抑毛と除毛ができるんですね。しかも毎日の使用はオススメできないそうです。やっぱりお肌に良くないのでしょうか(^^;)
ジョモリーという石鹸は1個4,590円するそうです。3~4ヶ月で抑毛効果が現れるとの事ですが、コスパはどうなのかが気になります。口コミでも劇的な効果を期待するのは難しいとありますね。
いつ効果が出るのか分からずに使い続けるのは、私にはできないなぁ、と思いました。
K-OUTは2,980円、ジョモリーに比べるとお安いですが、それでも高いです・・・。毎日使わなくてはいけなくて、使用をやめると元に戻る・・・。コストが割に合わないですね。
口コミで簡単に脱毛ができるとありますが、脱毛はできないようですよ。合わない方はお肌まで荒れています。
ケースベールソープは毛根を破壊できるとありますが、個人的に不可能だと思います。機械の力を使って初めてできる事ではないでしょうか。脱毛ができたと口コミしている方がいらっしゃいますが、除毛だと思います。
お値段も2,980円と、石鹸にしては簡単に手を出せるものではないのではないかな、と思います。
ヴィーナスエピレは保湿成分でお肌に優しいと謳っているのに、肌荒れが起きる可能性があるとのこと。矛盾しているような気がします。
1回の使用で毛がほとんどなくなったとの口コミ、やっぱり私は除毛だと思います。
肌荒れが起きてる方がいますね。強い成分が含まれているのでしょう。
ケースルーも同じく「除毛」だと思います。男性用の商品のようですね。2週間経っても除毛効果が出ないのはもうあきらめた方が良いのでは・・・と思ってしまいました。
まず腐女子にもいろいろと派閥というか考え方というか立ち位置があってそれぞれで主義主張は違うことは理解して頂きたい。
ネットにそれなりに詳しくて無断引用禁止とかアイタタなこと言ってる腐を苦く思ってる腐はそれはそれで一定数いる。
というかクソみたいに沸きあがってる人もいるけど、むしろ多くの人達は「現実を正しく理解している」からこそ引用は防げないとか法的に問題ないものから逃げるためにマイピクにしたり非公開にしたりサービス移行を検討したりしていると思ってる。
その上で、別に私は丁寧に扱ってくれるなら別に自分の作品を無断で引用しようが研究に使おうがそれが適法ならどうぞどうぞって思ってるのでPixivから移動するつもりはない。
でもあんなクソみたいな雑な扱い方されたら法的には問題ないですけどこっちとしてはこんなんでも色々とない頭でひねりだした作品なんで考えて下さいませんかねぇって愚痴は零すし必要なら声をあげる。
その結果私の主張が受け入れられるかどうかはまた別の話。受け入れられないならまあそれはそれ。そのかわり明日逃げてても文句は言うなよっていうだけの話。
で、それはそれとしていくつか言われていることについてそれはどーなのと個人的に思ってる話をする。あくまで個人的に思ってる話を。別に全腐女子の代表面したいわけじゃなくて私が考えた(正当性があるかは知らん)話を。
―――――ここから元増田の話とは無関係に今回の事件への数々の反応に対して思ったこと―――――
腐女子のネットリテラシーが低いんじゃなくてネットリテラシーが低い人でもネットが使えるようになって、その中には当然腐女子もそれなりの数いるってだけの話で、腐はバカとか腐は法律が理解できてないとかそういう話じゃないと思う。
そもそも今回論文に出てきた作品にはNL(異性での恋愛を取り扱った作品)もあったわけで。
機械とかそういうの好きな人の割合ってやっぱり男性の方が多いかな、とは思うので「男性より女性の方がネットリテラシーが低い人が多いのでは?」という話についてはまあそうかもしれない(統計取ってるわけじゃなく自分の周囲を見ての感覚)とは思うけど公を閉じた空間と勘違いしてやらかした例なんてそれこそいくらでもあって、だからこそバカッターとか言われたりとかあったりするわけで。
考えるべきは腐女子のネットリテラシーの低さじゃなくて、ネットリテラシーが低くてもネットが扱えてしまうこの状況でどうやって教養の平均値を上げていけばいいかとかそんなことを考えた方がいいと思う。
これも別に腐女子がどうという話でなく法律に関して一般人が疎すぎるという話だとは思うけど、ただ、二次創作という法律に密接に関わってくる活動をしておきながら別にそういう活動をしてない人と同程度の理解度なのはどうなん?って言われると仰る通りです。
とは言えこのあたりは技術の進化のスピードが早過ぎていろいろと整備がおいついてないという話でもあると思う。昔は自分の作品を発表するってすごくハードルが高くて色々と調べないとできなかったけど、今は別に深く調べなくても手軽に作品を発表できるし、そもそも色々なネットサービスが「手軽にあなたの作品を発表できますよ!」って手軽さをウリにして顧客獲得しようとしてるところだってある。
で、企業は勧誘してくるけど別に法律については教えてくれない。個人的にはもうちょっと企業だって社会貢献していいんでねぇのと思うけどまあそれを言ってもどうしようもない。
というか二次創作の中に腐作品があるだけで二次創作全部腐ってわけでもなくて、著作権を知らずに作品を公表してしまうことの危うさはそれこそ社会全体に通じる問題なのでは。
もっとこう、やさしい著作権入門みたいなそういうサイトがあったらいいんだろうなあと思うし昔はそういう話を取り扱っていた個人サイトさんとかあったりしたんだけど、そんな個人の善意に頼んだものだといつか限界が来て終わるだけなのでこのへんはもうそういう組織的な何かをつくらないと難しいのかなあと思ったりする。
「そんな無茶な」としか言えない。腐女子っていうのはあくまでその人の属性でしかなくて、その属性の人が皆同じコミュニティに所属してるわけじゃない。
というか腐女子コミュニティなぞ幻想だと思う。同じ腐女子の間ですら「隠れるべき」という人と「そもそも隠れる必要はない」という主張の人がいたりするわけでして。私は割と「隠れる必要はない派」に近い。
腐女子同士が一定の大きさのコミュニティを作ったり、コミュニティ同士にゆるく繋がりがあったりはするけど男オタクだって別に男オタクコミュニティってでっかいコミュがあってそこに男オタクみんな所属してるわけじゃないじゃん。
もちろん同じ属性を持つ者同士だから集団としての特徴とかはあると思うし、そういったものを研究するのは楽しいと思うし有用だろう。
けど、普通わたしたちが説明できるのは「わたしたちの周囲の極めて小さな集団について」なのだ。
今回仮に私がそれをしたとすると、私の周囲の腐女子コミュニティって元増田の例で言えばだいたいBの考えを持っている人達ばかりなので今沸きあがってる人達がなんで沸きあがってるかって言われても「知らんがな」としか答えられない。
慣習の可視化をするには間違いなく「研究」が必要になる。オタクコミュニティ出身者の方が比較的理解度が高いという観点から腐女子の人に研究者になってほしいなチラチラッ っていう話なら理解はできる。
私はそんなものをしたことはない。「むやみやたらに騒ぎ立てません」とは思っているけれど。
このあたり前述の隠れるべきか隠れる必要はないかという話になってくるのだけれど、二次創作にも公式のガイドラインに沿って作られた真っ白なものと特にガイド出てないのに作られたグレーのものと公式からやめてくれって通達のきちゃった真っ黒なやつと、色々ある。
で、公式が黙認してくれてるタイプのグレーゾーンの二次をやるときは(別に公式ガイドラインに沿って活動してても同じだけどグレーの時はとくに)公式が嫌だなって思ったときには止めてくださいって言えるようにしておくのが公式への一つの礼儀かと考えている私にとっては公式の目に触れないように隠れることについては「ガチで探すことができないくらいに完璧に隠れるならいいけど中途半端に尻尾はみでてる奴はただ自分が可愛いだけなんじゃないの」って思ってる過激派(別にだからってそういう人達を晒したりはしませんよ、もちろん)なので。
もちろんだからって作品が何も知らない人の前にいきなり飛び出てくるような環境はもちろんよろしくないと思う。だからこそPixivという「超大型で探そうと思えばすぐに見つけて探せる場所に、でもゆるーくゾーニングされていてきちんと使えばいきなり何も知らない人の前に公式だと誤解を与えるような形で作品を表示するようなことはないシステム」を有り難く利用させてもらっている。
R18設定は単にするべきゾーニングはするべきってだけの話で「ひっそりやってる」んじゃない。むしろPixivというサイトを「適度にオープンだから」使っている。
が、腐女子の中には確かに「ひっそりやってますという主張のつもりでR18とつけている」人もいるらしい。正直この感覚はさっぱりわからない。分からないけど事実としているようなので仕方ない。
そもそも私はそうは思わない。今回の論文の人が派手にやらかしたのは事実だし、それを足がかりに倫理について研究が進めば皆ハッピーになれるよね、って思うけど、それはあくまで「この人がやらかしたこと」。
だからこそ私は今後もし私の文章を使って何か研究したいって人がいたら別に無断で使うことに文句は言わない。でも雑に扱われたら文句は言う。
というか自分の作品を研究に使われてどう思うかなんて個々人で感覚の違うことに「腐女子内ルールを明文化して下さい」っていうのがそもそもえーっていう。
じゃあ一人一人「私は気にしません」「私は気にします」「腐女子全体ではNGですが私はOKです」とかやるの? 無理でしょ。
私は「配慮して下さい!」なんて言わない。でも雑な扱いに対して怒る自由はある。そして怒った結果受け入れられるかは別の問題。それでおしまい。
それこそが言論の自由ってやつなんじゃないんです?違うの?
今後されるか分からない研究のために予め自分の作品を研究に使うためにはどうしたらいいかガイドラインを作れって言われてもそれこそこっちにそんな労力押しつけられても知らんよ、としか。
そんなクソ面倒なことしないですむように折角法律が引用のルール作ってくれてるのにさあ。
ガイドラインぺっとはっときゃ「これ見て下さい。その上で分からないことがあれば質問して下さい」と言えば説明の手間が省けるからである。
つまり、「ガイドラインがあれば便利だよね」と思えるなら作ろうという動きになるし、「別にそうでもないよね」と思えばそんなものは作らない。
で、今回ガイドライン作ったら面倒が解消されるの?って言われたら、現時点では私はそう思ってない。なぜなら腐女子というなんか大雑把で実態がどこにあるのかよくわからんコミュニティの中に明文化できるほどのルールがあるとは思えず、かと言ってある程度明文化できるくらいの集団に小分けにしたらガイドラインの量が膨大になって作る労力に見合ったリターンがあるとは思えないからである。
「いやそんな大層なもの作っていらんからこれについてだけ教えて貰ったらいいんですよ」って言うならその「これ」っていうのをはっきり教えてもらえたら私ならまあ考える余地はあるかなと思う。
「ガイドラインが存在しないのでもっと大きなルール(法律とか)に従って対処しますね」っていうならそれでいいと思う。
「あなたの作品を研究対象にしてもいいですか?」って聞かれたら何に使いたいか聞いてOKだと思えばOKって言うしNGだと思えばやめてほしいって言う。
断っておくけれど私は間違いなく腐女子だしまあとても大雑把な分け方をすれば腐女子コミュニティに所属すると思うけど、私の考え方が腐女子の平均だとは露ほども思ってない。というか私みたいなやつばっかりだったら今回みたいな騒ぎ起きてませんから。
(でも今回の騒ぎについてはいらんことしてくれたおかげであっちこっち騒ぎは起こるわ筆を折る人も出るわ迷惑なことしてくれたなこの野郎(ビックパンテラおこサンシャインヴィーナスバベルキレキレマスター)くらいには思ってる。思ってるけどそれは私が勝手に怒ってるだけで死人に鞭打つような可愛そうなことはやめとこうと思ってる)
かと言ってこの膨大な腐女子という集団の中には私みたいな奴もそれなりにいるはず(母数が多ければ割合が少なくても数は増える)なので「こういう私みたいな奴もいるんだけどどうやって腐女子のオキテを明文化すりゃいいのよ?」っていう話である。
その1からの続き
http://anond.hatelabo.jp/20170401234837
最期になりますが、ファーストドロップ、つまり最初に落ちていく瞬間は、個人的にもコースターで最も好きな部分であり、魅力が凝縮された瞬間です。実は、当初は本当に苦手でした。でも、一度慣れてしまうと、こんなに気持ちの良い瞬間はありません。バンジージャンプやフリーフォールも体験したことはありますが、ジェットコースターのドロップとはやはり異なります。何が違うかというと、前に向かって全身で突き抜けていく感とでも言うのでしょうか。この爽快感が違うのです。
ただ落ちるだけと言っても、落下角度や緩急、風景など、一つとして同じものはありません。
そして、コースター好きには有名な話ですが、ライドの乗る位置によって感覚が全く変わるのです。コースターはご存知の通り連結されているものが多い。すると、前方車両は、後方車両が登りきるまで落ちていかないんです。一方で、後方車両は前方車両に引っ張られて一気に加速する。なので、一般的には後部座席の方が怖いとされています。まるで、引きずり込まれるように加速して落ちていく感覚が味わえます。
ただし、山なりのコース(キャメルバック)においては、前方の方がエアタイムを強く感じることもありますし、視覚的にはスピード感のある前方の席は捨てがたい。
そんなわけで、お気に入りのコースターは可能であれば前方や後方を乗り比べてみると、より楽しめます。(余談ですが、アメリカでは乗りたい席を自分で選べるのがスタンダード。強制的に前から詰めさせられる日本の遊園地は融通きかないなぁと思います。オペレーションの問題等あるんでしょうけど。)
さて、そんな最初に落ちていく緊張の一瞬「ファーストドロップ」が優秀なコースターはこちら。まずは東京ドームシティアトラクションズ・LaQuaのサンダードルフィン。これは絶品です。公称80°という、体感的にはほぼ直角で、落ちていく凄まじさ、ぜひ一度体験してもらいたい。周囲がビル街というのも乙なもので、まるでビルから飛び降りているような感覚が味わえます。巻き上げ最上部に平坦は部分が無いため、最前席と最後部座席での対比も分かりやすく、最後部座席の迫力は凄いです。一方で最前席だと高さ80mの空中にしばし宙吊りにされる感覚も楽しめ、一挙両得?です。スイスが誇る遊具機器メーカーIntamin社製の超スムーズで快適なコースに加え、開放感あふれたライドの作りも最高です。
富士急ハイランドのええじゃないかも、凄いファーストドロップが楽しめます。これは特殊なコースターで、コースレイアウトも凄いのですが、さらに座席がぐるぐる回転する。乗っていると、もうわけが分からなくなるというコースターで、マニアの間では4次元コースターと呼ばれています。で、このファーストドロップ。巻き上げは後ろ向きに登っていくのですが、頂上で突然座席がグルリと回転。地面に向かって真正面に落ちていき、その最中で更に回転、というとんでもない動きをします。文章では全く伝わらないと思うので、ぜひ一度乗ってください。
そして、個人的No.1ファーストドロップだと思うのは、那須ハイランドパークのビッグバーンコースター。全長600mちょい、落ちた後はキャメルバックをひとつ越えて宙返りしたら終わり、というなんともシンプルでつまらないコースレイアウトの小規模なコースターですが、後部座席に乗ったときのファーストドロップだけは本当に凄まじい。まさに奈落の底に引きずり込まれるという体験ができる、日本唯一、いや世界でもレアなコースターです。
そんなこんなで語ってきたコースターですが、最近は世界中でVRゴーグルと組み合わせたVRコースターが流行りです。日本では、USJやラグナシアにありますね。ただ残念ながら、少子化やエンターテイメントの多様化、老朽化などで、一部を除き昔ながらの遊園地はどんどん閉鎖されてコースターの数も減っていく傾向にあります。
日本では、遊園地やコースターは子どもが楽しむもの、という意識があります。ちなみにアメリカでは子どもから大人、さらには高齢者まで様々な人が楽しんでいます。広大な土地が広がるアメリカの田舎では、遊園地はエンターテイメントであり、常設のお祭り会場であり、社交場でもあるのです。知らない大人同士で隣り合わせに座り、一緒に笑い転げ、終わった後ハイタッチをする、そんなことが普通にある。少しでも多くの人にそんな楽しさを知ってもらえたらなーと思ったりしています。
ちなみに海外には、これらを上回る、想像を絶するようなコースターがたくさんあります。
最後に自分が愛してやまない究極と思う世界のコースター2つ(どちらもアメリカ)はこちら。
■Millenium Force (サンダードルフィンの兄貴分。最強のファーストドロップ、爽快感、スピード感)
■Voyage (最強の木製コースター、飽きさせないコースレイアウト、延々続く興奮)
死ぬまでにもういちど、乗りたい。
たくさんのブックマーク、ありがとうございます。せっかくなので、コメントできなかったコースターについてもちょっとだけ追記してみます。
長島スパーランドが誇る巨大木製コースターです。延々続く水平ループとガタゴトする振動に身を任せていると、腹の底から笑いがこみ上げてきます。大きなドロップも爽快ですね。あと、複雑な木組みのトンネルをすり抜けるスピード感。もうちょっとエアタイムや左右の振り回しなどの変化があると、最高の木製コースターになったんじゃないかなと思います。でも好きなコースターのひとつです。
久しぶりに調べてみたら、長島スパーランドにはフライングコースターに加え新型の4次元コースターもオープンするんですね。がんばってるなー。
大好きなコースターのひとつ。たぶん世界初のカタパルト式急加速のコースターです。ピッ、ピッ、ポーンでスタートする急加速と、バックで坂を登ったときの最後尾エアタイムは、アンティークレベルのとっても古いコースターにもかかわらず今でも特筆もののスリルですね。としまえんや横浜ドリームランドなど昔は色々な遊園地にあったけど、今は国内では長島だけかな。子どもの頃近くの小山ゆうえんちにあって、怖くて乗れず、ずっと眺めていた思い出があります。
恥ずかしながらまだ乗ったことありません。でも、同型のフライングコースターはアメリカで幾つか乗ったので、想像で。ピレネーなどに似たループ中心のコースレイアウトで、座席がうつ伏せ状態になるものです。これは、地面ギリギリまで降下したときのスレスレ感とスピード感がいい感じです。あと多分、USJのジュラシックパークエリアってことで風景やパーク内を滑空する非日常感が良さそうですね。
凄まじい最初の加速!これに尽きるコースターです。「ドドンパァ!!」のアナウンスと同時に発射される圧縮空気によるカタパルトの加速度は、未だに世界一だと思います。外の光に向かってのトンネル内での急加速は、まるで空間がぐにゃっと歪んだみたい。垂直のタワーを越えるときは、股間をバーに強打しないよう要注意。
これができたときは、ついにあの世界最高のコースターが日本上陸!と期待されたそうです。コースターマニアの聖地と呼ばれるアメリカの遊園地で大人気だったコースターの兄弟機ということで。ただ、実際はちょっとコースレイアウトが異なっており、残念ながら本家ほどのスリルはありませんでした。といっても、十分大きく迫力あるドロップが楽しめる優秀な大型コースターです。閉園は残念ですね・・・。
スペースワールドのシンボルともいうべきスペースシャトルを取り囲むループコースター。これは、とにかくコースレイアウトが秀逸です。緩やかなファーストドロップに最初は安心するものの、巨大な垂直ループや後半の地面すれすれ水平ループなど、強烈なGがかかるコースが続き、息つく暇もありません。
息を呑む強烈な急加速と垂直上昇、垂直落下が特徴のコースター。ドドンパに似ているけど、上昇と落下の爽快感はこちらの方が上ですね。このタイプは、アメリカなどにさらにスケールアップさせたものが幾つかあり、いずれも大人気です。最初は怖いけど、慣れると爽快感抜群!
●ガオー - 三井グリーンランド
三井グリーンランドの顔となる大型コースター。アップダウンは緩やかだけど、気持ちいい速度で広々とした園内を疾走します。子どもから大人まで、みんな笑顔になれる楽しいコースターです。
現存する日本最古のコースターとして有名なコースター。レトロなコースレイアウトながら、建物ギリギリをかすめたり、突然のドロップもあり、飽きさせません。確かに現代の安全バーがっしりのコースターよりスリルあるかも。実はこれ、FUJIYAMAと同じメーカー(日本製)の先輩コースターなんですね。
●スペースマウンテン - 東京ディズニーランド
みんなご存知のスペースマウンテン。宇宙空間を模したドームの中を疾走します。水平ループ中心で、ところどころにドロップが隠れているコースレイアウトはGが後に行くほど激しくなり、子供向けと思いきや実は結構ハードなコースターです。乗り終わったあと、フラフラします。これも今となっては古いコースターですが、その効率性を追求したシステムは本当に凄い。台数は忘れましたが、たくさんの車両が同時にコース上に存在でき、かつ緊急時はその全てが安全に停止できるようになっています。そういえば、このメモの最初に「富士急で初めてのコースターを体験」と書きましたが、こちらの方が先でした。
みんなだいすきビッグサンダーマウンテン。気持ちのいい疾走感と、軽いキャメルバックが楽しいコースターです。コースターとしてみると、とにかく高さが低いのに乗車時間と距離がある。それは巻き上げポイントを複数設けているから。そのおかげで何台もの車両が同時に走ることができ、回転効率が良い。そして、巻き上げの最中もディズニーならではの演出が豊富で、飽きさせない。ジェットコースターは嫌いでも、これだけは好き、という人も多いハズ。それも納得のアトラクションです。
火と水の演出に優れたループコースター。このコースレイアウトは、実はかなり昔からある古典的な中規模ループコースターのレイアウトそのまま使っています。なぜ、ディズニーの新しいコースターなのにあえてコレなのか、ちょっと不思議に思っています。適度なドロップとキャメルバック、そしてクライマックスのループ、という構成は、ハズレが無いって感じではありますが。夜乗ると、炎と景色がほんとにキレイですね。