はてなキーワード: ボウリングとは
あのは頃まだ一部の人がやっている感があり、そこはかとないアングラというかアウトロー感というか
当時中二病を引きずっていた高校生の自分には、とてもワクワクする場所だった。
その時のサービスというか、そんなものがどうなったのかちょっと考えた。
当時の2chユーザを主とした中年層と業者と幾ばくかの他の年齢層が5chに
少し趣を変えてtwitterの一部クラスタが昔に居た2chの層としている感じ
匿名の若気のバカ遊びみたいなノリが機能する場所はなくなった気がする。
個人ニュースサイト⇒はてブ、スマートニュース等キュレーションサイト:
はてブに関してはリンク中心の前者から、コメント中心の後者になった感がある。
キュレーションサイトは個人の色がないというか、あまり面白みがない。
まだ更新してくれている個人ニュースサイトさんをたまに見るのが、月1の楽しみ。
後は更新の止まったサイトをさっさと丸ごと保存しないと、多分いつか消えるからしないとなぁ。
mixi⇒数多のSNS(Facebook、Instagram、tiktok,Clubhouse等):
mixiの対抗にGreeとか居たけどあの時代のSNSとしてはほぼmixiで、
進化できず改悪を繰り返すことで他のSNSに散らばった形なのかな。
mixiは止まった時を保存しつつ現存するSNSとして今も生き続けており、
たまに見ると楽しい。引き続き歴史文化の保存として社名を背負って頑張ってほしい。がんばれモンスト。
何気にmixiが現存しているのもあり、mixiの代替となるSNSはないように思える。
基本匿名のテキストベースの趣味と任意の人とのつながりみたいな、なんというかうまく言えないけど、アレは好きだったんだ。
テキストサイトと並行してブログもいたけど、、GeoCities的なアレからブログとかnoteとかに移ったのかな?
ただ、日記とネタみたいなはテキストサイト的なノリは少なくなったのか、少なくとも盛り上がらなくなった。
今もテキストサイト的なノリでたまに更新しているけどやはり当時のような熱はない。
それは、大量の読者があってのあの熱だったのかもしれない。
十数年後には今の状況を懐かしく思い出せるものなのかな。
何か他にあるかな。
酔いに任せて書いた適当なつぶやきがホッテトリってる。せっかくなのでコメントを拾って補完してみる。
デイリーポータル、テキストサイト⇒デイリーポータル、オモコロ:
テキストサイト成分とデイリーポータルを足していくつかで割った感じがオモコロの感
OKWave、教えてgoo、人力検索はてな、⇒Yahoo!知恵袋:
はてなについては、ポイントを質問者が配るという構図で、質問者優位の構図が新しかった。
上記とカテゴリは一緒なんだけど、「女性の悩み相談」というジャンルに特化した先見の明と生存戦略の妙が見える。
質問系はYahoo!知恵袋以外は駆逐されたけど、発言小町は発言小町として生きている。凄い。
存在を横目で見ていただけなので、よくは知らないけど趣味ベースのSNSということでmixiのコミュニティつながりを特化させた感じかな。
しかしこれもサービス終了ということでこの手のつながりに、今はビジネスとしてペイするほど需要がないのかもしれない。
結局Web2.0とかdocomo2.0とか何だったんだという感。
どっちかというと2000年後半な気もするけど、本人のHPも2008年が最終更新、Wikipediaも2012年が経歴の最終。
と、まぁアメリカで活動している人なんで、日本に飽きたんでしょう。
なんでもないつぶやきや独り言にゆるく☆を付けあう優しい世界。
同じく収益の問題があるはてブよりも全然世界平和に貢献していたと思うんだけど、
悲しいけどこれ、ビジネスなのよね。なんで、代替もないでしょうね。
HP(ホムペ)にぶら下がる掲示板、という感じでそこでの会話があり、HP主のみの発言の悲しい掲示板や
メジャーなSNS無き時代のネットコミュニティとして機能していた活発な板など様々。
基本的にHNでの発言で、コミュニティでは独自のルール「お礼3行以上」とかがあったりなかったり。
この掲示板を抜き出して集約して匿名化した、あめぞうからの2ch、まちBBSとかの系譜は既に2000年を待たずに出来ていた。
で、今もあるところはあるけど大体閑古鳥。5chとか、SNSに行っちゃったね。
これはツールが変わっただけでコミュニティの働きとしては同じく機能し続けているようにも思う。
チャット、ICQ、MSN Messenger⇒LINE、Slackなどのチャットツール:
ここにおけるチャットは上記のBBSと同列で個人HPにぶら下がっているものを指す。
ここでの状況はBBSと同じ。ただそのレスポンスが基本リアルタイムというのが新しかった。
MSN Messengerというより敷居の低い神サービスがあったので、これを主に使っていた。
そこから、特にMSN Messengerから現在のチャットツールでは基幹は変わっていないので
99年にできたMSN Messengerは凄かったな、とコメントにもあったね。
GeoCities的なアレからBlogという新しい概念!発明!とか騒がれていた気もする。
全盛期は使いやすさのLivedoorBlogと賞金と芸能人のAmeblo、アングラfc2、独自のはてなダイアリーみたいな感じだった。
そのなかでTrackbackという「情報で繋がれる!」なんて画期的っぽい仕組みも持ち上げられたけど、スパム横行で衰退。
※今も見ている個人ニュースサイト
いくつかあるけど、ugNews.netさんとか無駄な領域リサイクルさんとか面白いです。
ポストペット⇒ メッセージングアプリ「PostPet GO」:
当時は素敵そうだったけど、そんなにメールでやりとしなかったし。。。
メールのサービスは終わったみたいだけど、メッセージングアプリで復活する予定みたい。
Flash系⇒派生としてのニコニコ動画とYoutubeとか:
常時接続環境が出来上がりつつあるとはいえ、動画コンテンツに飢えていたネットユーザーの救世主だったのがFlash。
個人的にはNightmareCityが好き。
Flash自身がその死に向かう今、これらに近いのはニコニコとかYutubeとかあるけど、ちょっと違うんだよな。
言語化が難しいけど。
何か長くなってつかれたので、いったんここで中断しまっす。
clubhouseは…今後セカンドライフ化するのか、化けるのか。
少なくとも今時点では前者っぽい空気がするけど。
flickrは写真共有SNSとしてはこの時期の始祖だけど、PC前提っぽくて。
あまり詳しくないけど、flickrはflickrでよいところはありそうなので、
大枠としてはInstagramに流れつつも、flickrはflickrとして残るって感じかな。
買い手はなるべく安く落札する、ゲーム的要素の強い個人売買の走りだった。
高値更新を見据えたスナイプ合戦だったり、いかんせん敷居が高いし、めんどくさかった。
その辺りの敷居の高さを、おおよそ取っ払ったのがメルカリをはじめとしたフリマアプリでうまいことやったなと。
今は相場が決まっているものやライト層はメルカリ、相場が分かりづらいものはヤフオクみたいな住み分けか。
pya! そのものが宝島のVOWのネット版という感じで、画像はまさにそんな感じだった。
そこにFlashが乗っかったりで、”「ありがとう」って言いそびれたヤツいる?”は泣けた。
pya! はネタ色が強かったけどtumblrはネタ含めwebのスクラップって感じでそこに包含された感じ。
デリシャス?はて?と思ったら、Delicious、あの格子状のアレか。
確かに、この頃はDeliciousの方がよく見た気がする。何で衰退したんだろう。
自分は個人ニュースサイトをしつつ、いつかはこれに置き換わるんだよなぁ、なんて見ていたけど。
主に2ch界隈で色々な板でされていたオフ会に参加していたりしていた。
キャバクラに初めて行くより前にキャバクラ嬢と深夜ボウリングでハイタッチしたのは今でもいい思い出。
今はそういう匿名な闇鍋オフ会、あるんだろうけど自分はめっきり出てないな。
で、SNSでのオフ会とかはある程度ペルソナの知れた人の集まりなので、これは面白みがなさそう出てない。
いくつか出版とかされてて、それが映画ドラマになった電車男とか鬼嫁日記とかネットがリアルに来た、なんて見てたな。
ネットのメディア化という点ではむしろ加速していて、出版はもとよりTVの街の声とかもTwitterだしなぁ。
360SNS:
存在すら知らなかったけど、この時期、MIXIの派生版みたいなSNSはいっぱいあった気がする。
その中でこの360SNS みたいに意味ある形で定着できたものは少なかった様だけど。
あれはしゃーない。
と、キリがないので飛ばして。
それな。あの頃の探偵ファイルは軽快なノリと探偵ならではの情報ですげー面白かった。
大住氏とかえりす氏とかだっけ。あの人たちのバカなノリがとても好きだった。
オモコロもノリとしての継承はそれなんだけど、なんというか当時の探偵ファイル的な熱量と面白さはないなぁ。。。
全網羅無理っぽいのでいったんここで〆
(2/24 5時)
いつの間にかクリアしてたとか、クリアした瞬間が良く分からないとか、そういうゲームが最近多くなってる気がする。
まるで、ゴルフのゲームでスイングした瞬間「ホールインワン!」テッテレーとか、ボウリングで球がレーンに落ちた瞬間「ストライク!」みたいになってる感じ。
「ちょっ待て!なんで分かんねん!」とゲームに突っ込んでも「ゲームプレイ中突然失礼しますゲームの中の人ですそんな事言われましても
こちらは全て計算可能な世界でやってますんでそこらへんはそれはもうはっきりと分かるわけです」とド正論が返ってくることは100%明らかなのでどうしょうもない。
https://twitter.com/dogu_fm/status/1346029676813115393
まとめ
https://sumatome.com/su/1346029676813115393
この主張に関しては、特に問わない。
「宗教的に寛容だから笑いにできる」とした言説なんて、あまり聞いた事が無いのだけど。
むしろ、日本は宗教にいい加減だからだと思うんだけどね。良くも悪くも。
そもそも、宗教を馬鹿にする文化はアメリカにもイギリスにも有る。
気になったのはそこでは無くて、キリスト教の聖人はバンバン登場しているのに、仏教の導師や祖師が登場しないという分析。
これは本当なのか確かめてみた。
以下はその結果。
聖☆おにいさんを読んでいると、キャラクター達は登場パターンで分類出来る事がわかる。
そこで、キャラクターの扱いについて大まかに分けてみる。あくまで便宜上の分類。
1. 主人公二人組
これら全て登場人物なんだけど、4は聖☆おにいさん独特の登場パターン。
今回はあくまで後代の聖人や導師などや、その他伝説となった人を対象としている。
3の登場パターンは○
4の回想での登場パターンは△
1巻
特になし
2巻
3巻
※ 空海 18話 伊豆旅行の時にガイドさんが発言。弘法大師名義
4巻
※ダ・ヴィンチ 27話 漫画アシスタント候補として名前が挙がる
※ラファエロ 27話 同上
5巻
特になし
6巻
○ 空海 41話 ショムジョのチームの一員として登場。セリフあり
△ 三蔵法師 42話
7巻
△ 天草四郎 48話 イエスさんが知っている戦国時代の人物として挙げる
8巻
9巻
10巻
11巻
12巻
13巻
特になし
14巻
特になし
15巻
特になし
16巻
17巻
○ ジャンヌ・ダルク 123話 大家のフランス語教師として登場
18巻
ゴディバ夫人や耳なし芳一は迷ったけど、モデルが居るみたいなので入れた。
即身仏も名前は出ていないので、人によってはカウント外だとも思うが、とりあえず入れてみた。
他にも抜けが有るかもしれないけど、とりあえず。
キリスト教側については使徒はもとより四大天使に旧約の人物や遙か後代の聖人とマルティン・ルターまで登場する。ところが仏教側は釈迦十大弟子、天部(梵天など)、釈尊の血族、悪魔、如来や観音、菩薩は出てくるが、仏教で重要な後代の導師や祖師は出て来ない。
一度だけ空海がイエスやブッダに顔を会わせないかたちで登場してはいるらしいが。ともあれ後代の大乗仏教で重要なボーディ・ダルマは出ていない。まして日本仏教にとりわけ大きな影響を与えた鎌倉仏教の祖師である道元、栄西、法然、親鸞、日蓮は登場どころか名前すら出てこない。
マルティン・ルターは回想で触れられるくらいで、それほど。総登場5コマ程度だし。
空海についても何故か伝聞風に書いている(自分で読んだんだよね?)けど、ちゃんと登場しておりセリフまで有る。(登場コマは2コマだけどw)
そもそも、キリスト教で親鸞に当たる人物となると、キリスト教の成立史に名前が挙がる人物なんだろうけど、Wikipediaのキリスト教の歴史の項目に出てくる歴史上の人物は、それこそルターぐらいで。教皇も初代教皇のペドロ以外、名前も出てこなかった。
そうなると、作者の単純なネタの選択と考えたほうが自然じゃないかと。
しかし『聖★おにいさん』はあくまでそれらの人物を出さない。この数年はネタ切れなのか北欧神話まで持ち出してきた。七福神を神道側として出してきたことも苦しい感がある。「八百万の神」の名は出たものの天照大神、イザナギ、イザナミ、スサノオ辺りの名を出すのを避けているようにも感じる。
これに関しては、19巻に収録される予定の回でイザナギさんが出てくるので、完全に穿ち過ぎかと。
最初に述べたとおり、日本人の宗教に対する態度は寛容ではないという意見は否定しないけど、漫画作品の描写だけで断ずるのは早計じゃないかな。
そもそも、日本人の宗教観を批判する事が念頭にあったのか、バイアスが掛かってる様子だったし。
これだったら、聖☆おにいさんを持ち出さずに自分の言葉で論じればよかった。
一応クリスチャンだけれども聖★おにいさんは大好きだよ
会食の話みてて思ったんだけど、なんか大人になってから、というか大学生あたりから友達と会って一緒に飲食しないで解散することがかなり減った気がする
つか思い出せる範囲だとマジで毎回なにかは食っとる 食ってなくても飲んどる
飲食をひとつの区切りというかメインイベントとする感じがある メシ食わないと締まらない
14〜18時くらいに会って、昼飯は食ってきました、晩飯は各自食いましょうみたいなノリで別れることってあるんか?
14〜15時に1時間だけ会うみたいなパターンだとホントに行くとこ喫茶店くらいしかない気がするし、喫茶店に行って飲食せんことは不可能
ボウリングとかだと一切飲食せずに解散するパターンもありうるのか?
なんつうか、交際と飲食って思った以上に強く結びついてる気がするんですよね
休日に会ってメシ食わないわけねえだろって感じがするもん
せっかく会うんだから一緒に寝る→寝ねえよ!
せっかく会うんだから一緒にメシ→そっスね!
謎や
初めて長文をネットに投稿するので、不備があったら申し訳ありません。また細かい部分は匿名性の保持のため一部改変してる可能性があります。
タイトル通りですが今年の9月に某国立大学を中退しました。現在24歳です。大学には理工学部に5年半在籍していました。1回生、2回生までは普通に進級できたのですが、3回生でつまづき(後述)、そこから休学を挟んで3年半3回生を繰り返して最終的には中退しました。
幼少期から勉強は非常にできる方でした。勉強するという点においては他の子と比べてあまりに要領が良かったのだと思います。勉強時間はそんなに取らずとも吸収力はすさまじいタイプでした。両親の学歴はともに平凡でしたが教育熱心で幼稚園から公文などの学習を始めていました。小学校4年生から学習塾に通い、中学受験もして難関中高一貫私立校に合格、入学しました。
ただ私自身は勉強自体が好きだったというよりはゲーム感覚で解けるのが楽しかっただけでした。そして中学受験までは良い大学に入って良い企業に就職するということが当たり前の幸せ、人生の目標といった感じでなんの疑いもなく勉強していました。しかし入学後にその考え方は複数の理由で消え去りました。この「良い大学に入って良い企業に就職する」という考え方は、後に両親が一種の洗脳に近い考えを私に植え付けていたのだと感じました。もちろん前述のようなレールに乗っかる人生設計は社会的に成功する可能性を高めてはくれるので他の人から見れば贅沢の浪費だと考える人もいるかもしれません。しかし当時の私はそうは思えませんでした。
中学入学以降私の成績は落ちていきます。中高一貫校に入ったおかげで高校入試もなく、生徒の自主性を重んじる校風もあり強制されて勉強させられることもありませんでした。自由な時間が増えたので私は遊ぶことに費やしました。テレビゲームだったり部活仲間とのカラオケ、ボウリングなど、一般的な中学生でした。成績は落ちたと言っても有名私立校で真ん中くらいの成績でした。これは高校3年生まで変わりませんでした。勉強時間も日頃は宿題をやる程度でテスト前だけ範囲分おさらいするくらいでした。
しかし、勉強好きだった(ように周りからは見えていた)私が勉強しなくなった一番の理由は、周りの圧倒的な天才集団を目の当たりにしたからでした。もちろんそれは一部の生徒でしたが、数学オリンピック金メダリストだったり、論文コンテスト最優秀賞だったり、とにかく次元の違う天才がゴロゴロいました。もちろん彼らも類稀なる才能の他に血のにじむような努力はしていたに決まってるのですが、当時の私はその才能に嫉妬し、「とてもじゃないが敵わない」と感じ、トップオブトップを目指すのをやめてしまったのです。そこから勉強するのが苦痛になりました。「どうせあいつらには勝てないのになんで勉強する必要があるんだ」と。
その結果勉強の方はなあなあで高校3年生まで過ごしてしまいました。それでも一定の学力は維持していたので効率よく勉強する才能だけはあったようです。
とにもかくにも高校2年生になった私は自然と大学受験を意識し始めます。将来の夢もそれのために行きたい大学もなかった私はとりあえずどちらかというと得意だった理系を選択します。大学受験しないという生徒は周りに1人もおらず、仕方なく周りに合わせて大学受験する、といった感覚でした。
高2のときは一応東大を目指していましたが本気で勉強しないで行けるほど甘くはなく、高3の夏にはランクを落として某国立大学を目指すことになります。その大学ですら日本ではベスト10に入る有名大学で、企業からも高く評価されている大学です。「この大学にならほとんど勉強せずに入れるぞ」と感じ、それでいて社会的に一定の評価を得られると思ったのです。
実際高3の夏以降の平均勉強時間は、平均1日5時間もなかったと思います。
そんな舐めた私ですが、センター試験、2次試験ともに無事終了し、結果は合格。
世間一般の受験生からすればほとんど勉強せずに有名国立大学に入って「しまい」ました。自分の受験に対する計算がぴったり合っているくらいの小さな努力とそれなりの結果の相関があり、割と満足してました。
大学は自宅から通える範囲ではなく、ひとり暮らしをはじめました。大学生になってからは自由を得たこともあり、誇張なしに全く勉強しませんでした。1回生、2回生まではほとんど単位を落とすことなく進級できましたが、そのあたりで異変に気づきます。「授業についていけない」と感じることが多くなってきたのです。大学の理系科目の高度な授業を勉強せずとも理解ができるほど私は天才ではありませんでした。同級生に過去問などをもらったりして単位を拾ってはいましたが次第に大学の授業に出られなくなりました。最初は自分が怠惰なだけだと思っていたのですが次第に大学に向かうだけで動悸、めまい、嘔吐などの症状が出始めました。これはもしやと思い心療内科に行くと案の定うつ病と診断されました。
これだけ見ると「何だこいつ甘えてるだけじゃないか」と言われそうですが私は自己分析していました。メンタルの弱さと完璧主義です。
もともと完璧主義者のようなきらいがあった私はできない事があるとすぐ嫌になってしまう性質がありました。小学校の頃は図工や家庭科などの副教科が苦手でうまくこなせないと授業中泣いてしまうことも多々ありました。周りの子に主要教科では負けたことがないのにです。また中高時代の天才に出会ってからトップオブトップになれないという挫折を引きずっておりそれが数年たって限界に達したとも考えました。
私は4回生にあがれず留年しました。2度目の3回生を始める4月に休学をして、2年間大学に行きませんでした。その間将来に対する不安が募りました。大学すらまともに行けず、しかも自分の努力不足であるという自己嫌悪に陥り、社会人としてやっていける自信もなくなっていたのです。死にたいと思ったことも何度もありました。
しかし大学から離れたことでうつ病の症状は緩和され、バイトを始められるまでになりました。
そのバイト先で評価され社員にならないかという打診を受けて、大学を中退し今年の10月から社員になりました。大学にこれ以上在籍しても勉強・研究する気は全くないし、自分の将来にプラスになることはないんじゃないかと思い思い切って中退しました。現在は後悔は全くないです。
長くなりましたが一応まとめを書きます。この話から皆さんに伝えたいことは人生は辛いことから逃げていいということです。
私自身いわゆるエリート街道を歩んでいましたが、挫折し、レールからは外れました。少年時代描いていた未来とは大きく異なっています。高卒ということで今後大企業に就職できる可能性は大きく減りました。昔ならそれに耐えきれませんでしたが今は非常にポジティブに生きています。
しかもイレギュラーではありますがコロナ禍の現在、就職できただけでもありがたいと考えていますし、現在の仕事にやりがいも感じています。人生一度きりだし後悔のないように楽しく生きる。これが今の私の人生観です。
Twitterで盛り上がってるタモリ(森田一義)を月に移住させる署名運動の問題点について書き残したい。
ノーベル文学賞にカズオ・イシグロが選ばれたのは記憶に新しいが、それによって村上春樹は今後20年受賞の目は無くなったと言われている。何が言いたいのかと言うと、タモリが月の移住者に選ばれたら次の日本人移住者はだいぶ後になると言うことだ。75歳のタモリに月のアダムとイヴ(またはイザナギとイザナミ)の役割を担わせるのは、年齢的にかなり厳しいと思う。そうでなくても、タモリは長いことお昼の顔を務めていた事もあり、夜の象徴とも言える月の始祖にはイメージ的にもしっくりこない気がする。
「地球に優しく」というキャッチコピーがあるが、当然ながら月も同様に大事にしなければいけない。タモリは芸人になる前、ボウリング場の支配人をしていた事がある。ボウリングのボールはウレタン製が多いが、昔はプラスチック製のボールもよく使われていた。今レジ袋が今問題視されているが、レジ袋がダメでボウリングの球が良い道理はない。そういう観点からもタモリは月に相応しくないと思う。
タモリの祖父は満州で駅長をやっていたらしい。駅長というとJRや私鉄の駅長を想像しがちだが、満鉄の駅長はそれらとはまったく意味が違う。満鉄は鉄道を敷くだけでなく病院や学校や様々なインフラを整備し、駅の周辺の行政権を持っていた。企業が国家を運営するSF作品はよくあるが、あの時代の満州は既にそれを実現していたのだ。そしてタモリの祖父はその中で一定の職務を務めていた。もしタモリが祖父のその才覚を引き継いでいるとしたら、それはある視点では適任だと言えるだろう。しかしいつ何時タモリが月の裏側に軍事基地を建造し地球に侵攻して来ないとは言えない。
なんとか消化しようと思ったのだが、話せる友人も特にいないのでここに記す。
本番は規約で禁止されているためなかったが、それでも大変に満たされた時間だった。
私はというと、自己肯定感はほぼ無し、
しかし承認欲求と性欲だけは人一倍あるというどうしようもない女だ。
そんな女がこのサービスを利用したらどうなるか?答えは明白である。
信じられないほどハマった。
まずい。これは本当にまずい。
正直今までそういうのにハマっちゃう人たちってわからんわ…こわ…とか思ってました。申し訳ございませんでした。
普段会話のキャッチボールどころか、1人で投げっぱなしボウリングばかりしている私が、楽しく話せている。
そして何よりめちゃくちゃに褒めてくださる。
息をするように褒めのジャブが打たれまくるのである。
褒められ慣れていない私はただただその幸せを受け止め浴びることしかできず、すぐにノックアウトした。
さすがプロ…すごい。
これが諭吉の力。すごい。
このホテルまでの道のりで既にホクホクだったが、彼らの神髄はこんなものではなかった。
部屋に入ると、まずカウンセリングがある。
カウンセリングでは、マッサージして欲しい部分、して欲しくない部分、したいプレイ、NGプレイなどをヒアリングしてもらう。
してもらうのだが
びっくりするくらい喋ってしまった。
ギアスでも使われたのかと思った。
これからしてほしいプレイを自ら言うとか、正直めちゃくちゃ恥ずかしい。
非常に!恥ずかしいんだけれども!
…と、恥ずかしい思いをしつつ、ある程度こちらの要望を伝えたところで代金を支払う。
いや…良………
所詮マッサージとは名ばかりの、雰囲気だけのただの踏み台なんだろ?とか思っていたが普通に良かった。
そして徐々に中心部へ迫ってくる指先に嫌でも期待と熱が高まっていくが、この間にも褒め殺しジャブがめちゃくちゃ飛んでくる。
理性が飛ぶ…やめてくれ…
と最中は思っていたが、これは理性を飛ばしていた方が後々もっと楽しかったように思う。
何より、セラピストさんに触れて悦んで貰い、(当然表面上のリップサービスなのだろうが)褒めジャブを浴びせてもらえるというのは、私を脳内麻薬ドバドバのスーパートリップ状態にするには十分すぎる要素だった。
こんな精神状態で、学生時代から妄想し続けてきた両手拘束目隠しで玩具責めにあう、というのを想像してみてほしい。
…無理だ。
堕ちるなと言うほうが無理だ。
自分の意思に関係なく責め続けられるというのは、想像を絶する快楽だった。
今よがり狂ってるのは本当に私か?と一瞬俯瞰してしまったくらい。
結局あれは何分啼かされたんだろうか。
喉は死ぬわ酸欠で頭も足もフラフラするわで、最高の気分だった。
相手も仕事とはいえ、こんなに性癖をさらけ出しても褒め、肯定し受け止めてくれるというのは、これは錯覚おこしても仕方ないなあ…。
めちゃくちゃに褒めて貰えるので、嘘でも
健全な心、精神をお持ちの方は正しく受け止め、割り切って満足に到れるのだろうと思うが、日々渇望している私にとっては正に麻薬だった。
お金を払っているので、心の内ではどう思われていようが、目に見える形でこちらを傷つけてくることは無いであろうという安心感。
これは間違いなくまずい。
日々あんなに努力しても得られなかったものたちが、お金の力でこんなにも簡単に手に入ってしまう。
こうして人は何かに依存していくのか、と他人事のように感じている。
自覚があるだけまだマシと思っているが、依存している人間というのは「あ〜、自分依存してるな〜。」と思いながらも離れられないものなんだなあ…と、ぼんやり考えている。
あくまで、あちらは仕事としてお金を貰っているからあそこまでしてくれるのであって、私そのものを肯定しているわけではない。
そこを完全に見失ってしまった時が、私の真の終わりの時だろうと思う。
https://togetter.com/li/1567399
このまとめ読んで思ったけどコートの広さとボール、プレイヤーの移動速度の問題なのでは?
例として、
・卓球はあの狭さのコートで道具(ラケット)を使って相当な速度でボールの応酬をする。
・バスケットボールはコートもそれほど広くなく、ドリブルをし続けるルールがあるため、必然的にゴールに向かって動き続ける動きが多い。
・アメフトはゴールから遠ざかる動きに制限があるため、点が入りやすい。
・ビリヤードはコートは狭いが、ターン制かつボールの動きが止まるまで待つ必要がある。
・ゴルフもターン制でボールの動きが止まるまで待ち、そして広いコートを移動する必要がある。
・その点、野球もターン制で一回ボールを投げるとボールが落ちるか誰かキャッチするまで次のボールを投げることができない
・全員道具を持ってボールをかっ飛ばす
それを有り難く頂いた後に母親が「そのお金を預かっておくから2年後のスーツ買う時に使おう」という提案をしてきたので
「いやいや、もう子供じゃないんだから、20超えてるんやぞ、スーツ買うときには働いているんだからこんくらいの金はすぐ出せるわ」
などと言って死守したのだが、何気なく口に出したこの論は真理を突いているのでは?と気付いた。
子供の頃、お年玉や入学祝いなどでお金を頂いたとき我が親は「ランドセルに使うから」「学生服買うために使うから」と言った理由でお金を回収していった。
当時の私はそういうものなのだなと考え、残念には思いながらお金を渡していたが、今思えば非常に勿体ないチャンスを逃していたのだと思う。
「身の丈にあったお金の使い方をしなさい」
しかし、それが重要になるのは、身の丈が極端に変わらない大人になってからだ。
親戚から貰えるお金は、往々にしてその年代には少々大きい額になることがある、だが10代の少年少女が使うお金の額はたった数年で一桁ずつ上がっていくため、数年後には有り難みのない額になってしまう。
言い換えれば、数少ない「身の丈を超えた、しかし数年後には身の丈に合うお金を使う経験」を得られることができるローリスクハイリターンなチャンスなのだ。
ローリスクというのは、「親が不要なお金を渡すことはない」という立場を取れることである。
「あまり会わない親戚から、祝い事の時だけ貰えるお金」ということを子供が認識していれば、身の丈を超えたお金を日常的に使えるものだと思うことは少ないだろう。
ハイリターンというのは、各々具体的な例を考えれば理解してもらえると思う。
自分は小学生の頃にカラオケやボウリングなどのレジャースポットを知っていれば、中学・高校生の時は物怖じせずに遊びに行けただろうなと思うし、中学・高校生の頃から服や化粧品を買うことができていれば、大学生大人になった今もう少し身嗜みに苦労することはなかったと思う。
ここで言いたいのは、分不相応という言葉も子供の頃なら悪いことではなく、大人になろうと背伸びをして初めて背が伸びていくのである、ということだ。
もし将来自分が結婚できて子供が産まれ、お祝い事でお金をもらった時には一緒にお金の使い方を考えたい。
まぁ自分が無理でも兄は恋人もいるしそのうち結婚して子供できると思うのでその時は甥っ子姪っ子に良い経験をさせてやりたいものだ。