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長めです。
私は普段からいくつかの報道番組を録画して関心のある部分だけざっと視聴するようにしてるのですが、
今回の事柄のテレビ報道で問題に感じてる事があります。(新聞は読む習慣がないのでテレビ報道のみについて)
端的にいうと報道番組は必要な手順をスキップしてないか?と感じます。
まず、私達の住む社会がセクハラに対して厳しい態度で臨むという選択に全く異論はありません。
一方でそういった事が起こったとされた場合、何が妥当な事実かについて十分な調査や検証が行われてない段階で、
誰が加害者で、誰が被害者か、何があったかなどを断定的に語られるのは非常に危険だし、公正な態度ではないと思います。
一般の人同士が世間話をするのと、要求される社会的役割や影響力が全く違います。
私は法律の専門家でも何でもありませんが、刑事裁判においては「無罪の推定」という原則があるそうです。(推定無罪という言葉の方が一般的ですが)
検索すればその定義がすぐ出てきますが、以下の文を日本弁護士連合会のサイトから引用します。
「無罪の推定」とは、犯罪を行ったと疑われて捜査の対象となった人(被疑者)や刑事裁判を受ける人(被告人)について、
「刑事裁判で有罪が確定するまでは『罪を犯していない人』として扱わなければならない」とする原則です。
(引用ここまで)
法律の世界において、一つには刑事裁判の立証責任の所在を示す意味もあるそうですが、
今回の事柄は(少なくとも現段階では)刑事事件ではありませんし、民事裁判でもありません。
ですから刑事裁判の原則をそのまま法的に適用しようとは全く思いません。
しかしこの原則の意図するところは、人と人のトラブルが起こった時には常に留意すべきではないでしょうか。
被害にあったと一方の側が主張しており他方がその事実を否認しており、また提出された証拠の妥当性、当時の状況等々に関して
十分な確認や検証がなされない内に、「誰が加害者である」「誰が被害者である」といった断定がいくつも見られました。
更には加害者とされた側に対して「事実」を認める事を要求したり、謝罪を要求したりする事もありました。(この場合の「事実」は批判する側が想定している事実です)
報道機関においてだけでなく、政治の場において国家議員の方々も同様の言動が見られました。
直接的に「誰某は加害者である・被害者である」と言わなくても、「被害にあった女性記者」という表現は被害は事実であったという事実認定が前提になった言葉です。
「セクハラ発言」という表現もある発言がセクハラに該当するという事実認定が前提になっています。(「事実認定」という言葉は一般的な意味で使っています。私は法律の専門家ではないので)
言外のニュアンスといった問題ではなく、ある事実認定が前提になった発言が多々みられました。
「あのような発言はどこで誰に言ってもセクハラである」と考える人もいるかもしれませんが、私はそれは状況次第だと考えます。
(http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20090218/1234934521)
中年男性の性的な発言に対する嫌悪感から即座にセクハラと認定していないでしょうか。
何が妥当な事実かを追求するには様々な可能性を想定し、また様々な事を疑わなければならないのではないでしょうか。それには被害を訴えた側の証言も含まれるはずです。
加害者とされる側に対しては検証を経ない粗雑な断定を下す一方で、被害者とされる側に関しては考えうる可能性を述べる事も「被害女性」を更に傷つける行為だと批判する人もいました。
もちろん私もこの場合、被害を訴えた女性がいわゆる二次的な被害に合わないように配慮するのは必要なモラルだと思います。
しかし、であれば、加害者とされる側についても必要な検証が終わるまでは当該の事実に関する推測は控えるべきではないでしょうか?
(対応についての批評は含みません。あくまで疑いを受けている事実に関してです。)
一方の側が配慮され推測も抑制された状態で、他方が様々な推測を述べられる状態が報道において連日続けば
視聴者の印象はある方向に導かれるのは必然で、その事によって社会的制裁がなされてしまうのではないでしょうか。
念の為、本当に念の為言いますが、私は疑われている事実などなかったと主張するのではありません。
疑われている事柄が事実なら、必要な謝罪や処置が当然行われるべきです。
しかしそれは、繰り返しになりますが、十分な確認と検証の後なされるべきではないかと主張しているだけです。
また言うまでもないかもしれませんが、仮に今後の検証によって、この次官が疑われている事柄が全て事実だと判明したとしても、私が申し上げた論点はやはり問題だと思います。
例えば、ある刑事事件において警察が犯罪を立証する十分な証拠が得られないので、被疑者に自白の強要を行い裁判で有罪が確定したとします。
この時、その被疑者が実際に犯行を行っていたかどうかに関わらず、この警察の行動は違法であり批判されると思います。
後に被疑者が本当に有罪だという証拠が見つかった時、「どの道有罪なんだから問題ない」とは法律やジャーナリズムに携わる方達は決して言わないと思います。
そこまで悪質なものかと思う方がいらっしゃるかもしれませんが、報道機関の持ってる影響力、言い換えれば実際的な権力を考えればそんなに差のある話ではないと私は思います。
最後に、上で述べたような性質の発言をする人ばかりではありませんでした。
慎重でバランスのとれた発言もあり、被害を訴えた側について疑いを投げかけた発言もありました。
http://megalodon.jp/2018-0318-1837-50/b.hatena.ne.jp/entry/360559563/comment/hagihagi0000
http://megalodon.jp/2018-0318-1846-24/xn--x8jva6d8d0a7w2kw68vhe4g.com/kekkon.html
http://megalodon.jp/2018-0318-1839-14/b.hatena.ne.jp/entry/360559563/comment/hayato1996825
http://megalodon.jp/2018-0318-1847-20/xn--x8jva6d8d0a7w2kw68vhe4g.com/tumetai.html
トップから記事を見てみると、同じ枕の宣伝記事がずらずらと。ていうか1ページあたりの長さが長すぎる。情報商材なの?
別にこの枕に恨みはないけど、アフィリエイターのお小遣い稼ぎ(はてな内の購入でなくSEO狙いのアクセスアップが目的?)に右往左往してまじめにアドバイスしてるのはもったいないと思う。
https://medium.com/@junpei9/それほどつらい仕事とは思えないのに公務員が病んでしまう理由-30c20561f812
まず「それほどつらい仕事とは思えない」という思い込みが間違っている。公務員の職場の忙しさはピンキリで、世間が思い描くような9時から5時でちょっきり帰れる職場ばかりではない。だいたい定時で帰れるような職場は窓口とか市民対応が多いので、たとえ定時で帰れるとしても常連クレーマーなどの相手をせねばならず、ストレスはたまる。
また、激務で有名な部署がところどころあり、その部署に行くと終電やタクシー帰宅は当たり前だ。出先でその手の忙しい部署に行くと、残業代の予算がないのでその分はサービス残業になる。そういう部署に限って、タクシー代もない職場が多い。土・日に出勤してこそこそと仕事を片付けるのが常態になっているところもある。そしてそんな生活について弱音など吐こうものなら「税金で食ってるくせに文句言うな」という世間の冷たい目が待っている。
ま、「それほどつらい仕事とは思えない」のところに関するコメントはこの程度にして、最大の問題点は「職員の個人差に応じて仕事内容や分担を調整しない」「人間の好き嫌いや向き不向きを無視している」というところ。概ね2~3年に一度のペースで人事異動をすることが多いのだが、頭の柔らかい若手ならともかく、ある程度歳をとって新しい仕事や環境になじむのが難しくなっている中高年にとってこれがどれだけ面倒なことか。職場の風通しを良くするという意味では人の入れ替えはある程度必要だけど、一部の有能な人を除き、頭の固い中高年に新しいことを覚えさせるのは、教える側も教わる側も恐ろしくストレスフルなことだ。
なぜか特定の仕事を特定の人間に長く続けさせない…というのが役所の人事の特徴だ。将来ある若手に、決まり切ったルーチンワークをいつまでもやらせておくのがもったいないというなら分かる。が、先ほども書いたように頭が固くなって過去に経験した仕事の延長でないとなかなか上手くこなせない中高年の仕事をコロコロ変えることに何のメリットがあるというのだろう?なるべくその人が若いときにやっていた仕事や、過去の評価で得意分野ということになっている仕事をやらせる方が本人にも周囲にもストレスが少なくて良いと思うのだが。
役所に適応して生きている人は、「仕事をえり好みするのはけしからん」と言うけれど、人間には向き不向きがあるという現実を無視している。たまたま不向きな仕事をやる羽目になり、「あいつは仕事ができない」という評価が定着してしまうと「他のジャンルの仕事をやらせれば上手くいくんじゃないか」という方向には行かない。また、「あの人は優秀だ」という評価になると、それなりに出世コースには乗るけれど、激務ポストばかりを回る羽目になり、プライベートを犠牲にすることになる。出来が悪いと思われても、よほどの問題行動をしない限りは給料を減らしたりできないし、優秀だと言われても給料が上がる額なんてたかが知れている。残業が多ければそれなりのものはもらえるけれど、そんなのは自分の身体と時間を切り売りしているようなものだ。仕事より自分の趣味の時間や家庭を大事にしたい人は、たとえ能力が高くても、それを100%発揮せずに70%出力ぐらいにしておいた方が平和な人生が送れるのではないか。役所なんて悪平等の巣窟だから。
まぁ役所は行政という立場で税金を使って仕事をしている以上、皆がやりたがらない仕事にも誰かを配属しなければならないし、職員が希望する職場に配属したとしても、その職員に与えられた仕事に相応しい能力があるかどうかは保証の限りでない。でも10年も20年も雇っている職員だったら、何が得意で何が不得意か、人事の方も把握してるんじゃないかと思う。少なくとも希望する仕事に相応しい能力を持っている職員には望み通りの仕事を与えてやれば良いと思うのに、なぜそれができないんだろう?今のままでは激しい環境の変化にも耐えられる職員と、希望でない仕事でもモチベーションを下げずにいられる職員しか成果を上げられないと思う。「人間は、自分のやりたい仕事をやるのが一番」という単純な原理が忘れ去られているのが、役所の人事制度の最大の欠点だと思う。
ストラテラ、コンサータ、インチュニブ。こいつはドラクエの呪文じゃないぞ。俺たち発達障害者にとってのアルファでありオメガだ。辛いんだ。飲むとアドレナリンが胃の中で大暴れして、食事さえもできなくなる。
ぶっちゃけクスリの効果なんてろくすっぽ感じられない。健常者のフリがなんとか出来るって程度。なのにヤメたら元通り。あっという間に魔法が解けて、ただの落伍者にランクダウンだ。知的障害者ならまだいい。でも、俺たちは健常者と知的障害者の狭間に産み落とされている。社会からは見えない透明人間だから、いつだってセーフティーネットの濁りなき網からこぼれていく。
発達障害者には、常人にはない才能が備わっている、と人は言う。いわく、お前の内なる想像力を引き出せば、健常者どころか超人にだってなれる。いわく、お前は無限の可能性を秘めている。いわく、お前は磨かれていないダイヤモンドだ。シンデレラは意地の悪い姉を差し置いてプリンセスに、野獣は呪いが解けてイケメン王子に最後はなっただろう?You are エジソン and アインシュタイン and スティーブ・ジョブズ、blah blah blah…
ハイハイ、この話はもう終わり。そんな都合のイイ話、あるかってんだ。俺、本で読んで知ってるんだ。海馬とか側坐核とか、脳の一部が常人より小さいだけなんだろう?ようするにただの障害者なんだろう?
ある時、テレビで映画「フォレストガンプ」が放映された翌日、学校でセンセイが俺に言い放ちやがった。「お前は無能なフォレストガンプだな」って。その時は腹が立ったけども、よく考えたら当たってた。そうだよな、映画じゃ主人公のフォレストガンプは知恵遅れだけど、底抜けの優しさと脚の速さで皆から愛された。少なくとも才能があった。卓球だってアメリカ代表になるくらい強かった。
だが俺たちは?チートツールで隠しパラメータを読むまでもねぇ。当ててやるよ、顔面:E・体力:D・知能:D・幸運:E。ゲームならノータイムでリセマラ対象、競馬なら二束三文でデビュー前に売却さ。何かひとつは良いところがあるはずだって?残念、ギリギリ正常であり、かつ真に何の取り柄もないナチュラルボーンの無能だ。
生まれてこのかた、あらゆるコミュニティーで必要とされたことがねぇ。唯一慰めてくれる親は日に日に年老いていく。クラスのみんなは結婚して子供もいるらしい。数少ない俺の友だちは(友だちと言えるのか?)、未だに森の小動物みたいに鼻をヒクヒクさせながら実家に引きこもってやがる。
どこにも属せない俺はどうすりゃいい?最近じゃ、phaとかいうヤツが「持たない幸福論」とか提唱してるそうだ。社会に適合できないはみ出し者は、はみ出し者らしく断捨離して生きれば幸せになれるってさ。それにヨッピーは「明日クビになっても大丈夫!」だって。オイオイ、クビになったらどうすりゃいいんだよ?ブログ記事書けってのか?お前みたいに、パンティー被って裸で渋谷でも駆け巡ったらさ、お布施貰えるのか?
イラッと来たね。そんなことが言えるのは、お前が京大卒だからであり、あるいはお前が元商社マンだからだ。つまりお前らは確かにアウトサイダーかもしれないが、と同時に才能のあるフォレストガンプだからだ。文化資本があるからなんだ。頭がいいからなんだ。人には負けない才能があるからなんだ。ムカつくんだ。
なぁ、教えてくれよ。俺たちの物語には、ハッピーエンドが存在しない。そう言うと、お前らは「誰にだって悩みはあるし、ハッピーエンドの人生を送っちゃいない。まずはその思い込みから脱却しろ」と、ニヤニヤしながら言ってのけるんだろう。それ、病院のセンセイにもこの間言われたよ。でも、それってお前が、医学部卒で4LDKのタワマンに帰ると綺麗な奥さんが笑顔で暖かいご飯を作っており休みの日には子供と遊園地に行き血統書付きのラブラドールレトリバーを飼いベンツを乗り回し悩みをウンウン聞いて薬を処方するだけで年収一千万だからだろう?そう話したら、向こうは押し黙りやがった。
俺も努力すればそうなれるのか?いや、人並みの生活が送れるのか?お前は短期バイトすらロクに受からない人間の気持ちを、頭を横に振られながらゴミを見るような目つきでクビを宣告される人間の余裕を、必死に働いて手取り15万という人間の惨めさを、本当に知っているのか?
発達障害者には隠された才能がある。駄目なところではなく良いところを伸ばしましょう。みんな違ってみんなイイ。ダイバーシティ。人という漢字は支え合ってできています。もう、やめないか?そういう綺麗事。どうせ俺たちは見捨てられる。才能がなきゃ、発達障害者は愛されない。臭いものに蓋をするかのように。まるで最初から存在しないかのように。無能なフォレストガンプに救いは用意されていない。
そこに贖いはなく、最初から天罰だけが与えられている。それでも生き抜くしかない。マハロ・マザーファッカー。みんなくたばりやがれ。
徳島ヴォルティスの選手会長をやっている井筒選手のブログ記事が昨日公開されたけど、これは非常に悪手。
https://note.mu/izz_izm/n/nf5fce9a8551f
「敗北のスポーツ学」がブログタイトル、「「結果が全て」なんて大嘘」が記事タイトルで、「意味のある負け」について考察しているが、それは現役プロサッカー選手でプロチームの選手会長が、開幕戦を間近に控えて機運を盛り上げなければいけないこのタイミングで世に出すものではない。
記事内に、関学で優勝したときにスタンドの後方にいるメンバーがなんとも言えない表情をしていたくだりがあるが、その理由ははっきりいってこの記事のようなことをするからだろう。
関学でキャプテンをつとめて、優勝もしているので、リーダーシップはあるのかもしれないが、自分だったらこんなキャプテンにはついていきたいとは思わない。常に一歩引いていて、信頼しきれないから。
新体制発表の「サポーター上級者のみなさん」発言もそうだけど、井筒くんは「分断」を招く発言を無意識のうちに繰り返している。ここままじゃ将来禍根を残す可能性が高いよ。アイデンティティがブレブレだし、自分自身の問題で周りを振り回しすぎ。
http://aniram-czech.hatenablog.com/entry/2018/02/15/220000
チェコ好きさんが自分で炎上したと言っている記事ってもう削除されたのだろうか・・・とか思っていたら「どうもこれっぽい」というものが見つかった。
http://aniram-czech.hatenablog.com/entry/2015/05/08/114553
追記で謝罪しているけど、謝罪相手へのブログ記事が削除されてる・・・。
何があったのか知りたいけど、たぶん当時散々はてな上で話題になっていたんだろうから今更知りたいと思っても「オワコンだろ」って叩かれそう。
うーむ。
私はチェコさんのブログを3年前くらいから購読しているけど確かに人間関係とか恋愛のこととか書かなくなった気がする。
独特な考えがある人だからそういう人こそ身近なテーマを題材に記事を書くと面白いと思うんだけどな。
当時は多少は恋愛や結婚のこととかを書いていて同世代として興味深かったし更新も楽しみにしていたのだけど今は小難しい話が多くなってついていけなくなってしまってるなぁ。
入院すると暇すぎて退屈だろうなあ、、
たいへんだろうなあ、、
えらい長文で検索上位に盛っていくような意志が感じい撮れる長文ばかり。
何とも言えない気分になる。
入院したら退屈だけどね。。
http://www.cocoro-quest.net/entry/ruminant-thinking21
自己評価が低いためにすぐにうつっぽくなっていたのだが、上のブログ記事をみてから自分を褒めてみようと 1 週間くらいやってみた。自分も今なお試行錯誤中で全面的にうまくいってる訳でもないのだが、ポジティブな効果も多少感じられるようになってきたし、自分が試したことを述べてみる。他の増田にも再現性があるといいけど。
まずは何でもいいので「自分はすごい」みたいな簡単な言葉で自分自身を褒めてみる。まずこの時点で相当な勇気がいるし、全然しっくり来ないだろうけど、それで良い。とにかく最初の一歩を踏み出してみることが肝心っぽい。自分を褒める理由はなくて良い (← ココ大事)。
次に、その言葉を呼吸に合わせてくり返し唱えてみる。声に出せる状況なら声に出してもいいだろうし、心の中で唱えるだけでもよい。このプロセスで、リズム感があり復唱が容易なフレーズにチューニングしていく。自分の場合は「(吸気 2 回で) オレは / (呼気 1 回で) すご / (無言で呼気 1 回)」に落ち着いた。
そしてそれを日常生活の中で思い出して繰り返す。自分を褒め慣れていないとすぐ忘れてしまうのでリマインダーなんかを使ってもいいかもしれない。これを辛抱強くやっていると、根拠もないのに超微弱な「俺つえー」感というか「俺もまあマシじゃん」みたいなのを、ホントに超微弱だけど感じられるようになる。この感覚を大事にして、根拠のない「俺もまあマシじゃん」感を育てていく。
だいたいこんな感じ。「俺つえー」とは思えたことはないが、「あれは自分の中では出来たことにしとこかな」みたいな、あくまでも一部ではあるが小さな達成をポジティブに考えてみようと思えるようになってきた。自己評価が低いとできない事に目を向けがちだが、勇気をもって出来てることに目を向け、自分を褒めてあげることが重要なのかもと思えてきた。もし良かったら誰か試してみて下さい。
一時期盗作で炎上した某猫マンガ絵描きさんが、現在行っていることが本当に怖い。
・「昨日の猫ちゃんの様子です」といって去年、一昨年の写真を淡々と貼り続ける。
「これは以前の写真ですよね。猫は元気なんでしょうか」というリプライは全て無視し続けている。
休止中別アカウントで報告していた、ガンで死んだはずの猫も写っている。
以前問題になった作家と別の作家からのネタ盗作、トレースが続々と判明。指摘には無視を続ける。
・「本日の更新です」というツイートとともに数年前のブログ記事を貼り付ける。
これまでに紹介した猫カフェ、猫型ドーナツ屋、すべて閉店している。
・それらのツイートに「かわいいですね」「素敵なお店ですね!今度行ってみます」「また猫が見れてよかったです\(^o^)/」というリプライがつき続けている。
過去の100以上にもわたる盗作だとか、自粛中に出版準備を進めていたとか、そういうのは金と人気がほしかったんだろうなで納得できる。
今やっていることは怖すぎてどうしようもない。
もう猫は死んでいて、その現実を受け入れられない人にしか見えない。
怖い。誰か助けてください。
とある人物の近況ノートのコメント欄に、とある記事のURLを貼ったら警告もクソも無くいきなりBANされた。しかも、そのBANしたメールについて、到底納得がいくものではないので、ネットのみなさんにそのBANの内容について共有して意見を求めようとしたらメールの末尾に
とのこと。なので、警告もなくいきなりBANされたということしか書けない。ユーザーを納得行かない理由で一方的にBANしておいて、その理由に納得がいかなくとも抗議はできずしかもそのことについて他言することをこれまた一方的に禁止するサービス。それがカクヨム様だ恐れおののけユーザーども。togetterでコメント管理するアレだな
ざっくりいうとカクヨムサービスの運営を妨害する行為に該当するらしい。他人のnoteに書いてる記事についてコメント書いて、コメント書かれた人が通報したら無条件でBANだって
言っておくが俺は一切その人を誹謗中傷するようなことは書いてない。それどころか俺の自身の言葉は一言も発していない。 その人が昔書いたブログ記事のURLを貼っただけ。 それでBAN
気に入らないやつの記事は通報すれば機械的に消してくれるなんて、素晴らしいね。 そいつが何かちょっとでも人を批判することを書いたら即別のアカウント取って通報しようと思いましたまる
匿名ダイアリーを、数回のテスト投稿くらいしか使ったことがありません。
(初投稿はこんな感じでした。 → anond:20101018182509 )
資格の勉強をサボって、絵を描いてたら、あらまぁ、なんとこんな時間。
匿名ダイアリーなのに、失礼ながら名乗ちゃうのですが、おいらは、id:weep って言います。
常時、HTML派なものでして、はてな記法はすぐに忘れてしまうもので、よみづらいことをお許し下さい。
***
リストにある、はてブのユーザーページがユーザー自身によるものなのか、運営によるのかは仕様が詳しくないおいらには判断できないんですが、ことごとく強制非表示で証拠なくて、知らない人からすれば「見れねーじゃん」「よくわかんえー」ってなるかと思います。
だもんで((ひろゆきがよく使ってる、謎の静岡あたりの言葉?))、ブコメだと書ききれないし、ここに「はてな記法」を駆使して増田主さんみたいな綺麗なリストみたく書きたいんですが、お絵描きじゃなくて、資格の勉強しないとなんないので、即席な感じでおいらが書いたブログをここに貼ります。
「ブログの宣伝乙」とか「アフィカス」とか言われてもしょうがないんですが、そら言われる覚悟でこれを書いてます。。。
おいらはどうも文才以前に、言葉の組み立て方が不自由なほうなんで、あとから自身の書いた文を読み返したら「アチャー」ってなるくらいなんで、自分自身を含めた全ての人々に読みづらいブログ記事となってますが、証拠物件としてお役に立てれば良いのですが。。
***
(即効で非表示されるアカウントもあったりなので、ほぼメール通知からコピペして紹介しています。)
https://xweep.hatenablog.com/entry/2017/08/23/024039
(ついでに、id:kyoumoe さんネタも入れましたが、これはたまたまです。)
ttp://blog.weep.jp/entry/2018/01/30/181711
***
まぁ、現在進行中の投稿を見れば、そのひどさは分かるかと思いますが、それを連日新規アカウントを取って跨いで、まるでヤドカリのような感じです。
今後も同様の行動をやりかねません。。。
おいら以外でIDコールされた方々も、このネチネチの件で相当イライラしているのではないでしょうか?
規制されても新規アカウントを取ってIDコールすれば、相手には確実に届くので、はてなブックマークの弱点を突いたような手法を狙ってやってるようにしか思いません。
どうやら、そちらも徹夜なようですね。。。
http://b.hatena.ne.jp/entry/356365334/comment/baodiua
つたない文章でしたが。。。
こちらからは、以上です((これって、内Pあたりのバラエティ番組が元ネタなんだよね? 某切込名乗ってた人が我が物顔に使ってたけど。。。))。
女だけの街が最近話題だが、女だけの街の問題として差別を取り上げるのはポイントがズレている。女だけの街の論点は、街の内部が全て私有地かどうかという点だけにある。
世界中にあるゲーテッドコミュニティは、塀に囲まれた全ての土地はコミュニティの私有地で、道路も私道だ。だからこそ、立ち入りを禁止できる。仮に道路が公道であった場合、女だけの街を作っても男性の立ち入りを禁止することが法律的にできないので、差別だとかいうこと以前に、女だけの街を実現することが不可能。
一般的には街と言えば公道も公園も公共施設も一般の店舗等も全て含むという言葉のイメージがある。そうである以上、女だけの街が欲しいといえば、公道や公共施設を女性だけで独占するという主張だと見なされて荒れるのは当然。コンビニなどの店舗も、目の前にある道路がいきなり男性通行禁止になったら商売に影響するから納得できないだろう。
女だけの街を擁護する以下のブログ記事では、その点に薄々気がついているのか、姑息な言葉の言い換えをしている。
何故このツイートで一部の男性たちはここまで怒り狂うのだろうか。
「あ~~性犯罪者うっぜぇ!男なんてほぼ全員性犯罪者だしもう男全員どっかの島で住んでてほしいww」
といった内容なら男性から反感を買うのもわかる。ただ件のツイートは、「日頃受け続けている被害から逃げるために、加害者側になりがちな性別の人間がいない街で暮らしたい」という、ささやかな願いではないか。
私は男性が「表現規制だのうるさいクソフェミムカつくから男だけの島を作って暮らしたい」と言っていても、グッドアイデアだね、としか思わない。
何故「女だけの街があればいいのに」に怒り狂うのか
見て分かるように、「街」→「島」に巧妙な言葉の言い換えがなされていてセコい。
全体が私有地の島なら、好きなように女性が大挙して移住しても誰も文句は言わないだろう。お好きにどうぞとしか思わない。それなのに、男性の税金も投入されている公道や公共施設を勝手に独占して、権利もないのに男性の立ち入りを不法に排除しようとしているから、荒れたのだ。
女だけの街を作りたいなら、ヤマギシや宗教団体がやっているように、田舎に広大な土地を確保して、そこでコミュニティを作りなさい。コンビニが欲しければ交渉すれば私有地にも誘致できる。
私個人は東京の大学に通っていますが、成人式は、高校卒業までを過ごしたいわゆる「普通の地方都市」のものに出席しました。成人式自体は非常に平凡かつ平和なものでした。近くに住んでいたというだけで同じ校舎にぶちこまれていたかつての級友たちとの再会を楽しみ、今は東京に戻っています。
さて、出席して改めて思うのは、成人式は「中学の最後の学校行事」だということです。主催は地方自治体と、その対応する教育委員会ですし、会場の治安維持には当時の先生方が駆り出されていました。(平和ではありましたが、「荒れる新成人」対策はがっつりされていました。以前大変なことになったことがあるようです。)そして、学校行事である以上、その場にはあの頃と同じ「スクールカースト」の力場が保存されていました。あの頃の教室の雰囲気を思い出すのにそれほど時間はかかりませんでした(!)が、あの独特のサル山リバイバル感が無理で成人式に出席しない、という選択をする人たちの気持ちは十分に分かりました。私自身は、あの頃にいい思い出はないもののそれなりに神経が太いので気になりませんでした。(「地元」というコミュニティからある程度離れてしまっているのもあると思います。)
ただ、あの頃の学校行事と異なり、成人式にあっては、その当時のスクールカーストに加えて(成人式では一時的に不可視であるように振る舞うことが求められているものの)社会的な役割分担(階層)がある程度見えています。これら2つの「構造」の比較検討は、フィールドワークの考察としてはかなり面白いと思ったので、とりあえず雑に考えてみます。(レポートじゃないのでテキトーです。許してね)
改めてスクールカーストを俯瞰的に見てみると、以下のようなマトリクスで整理することができるはずです。どこかのブログ記事かなにかの受け売りで、スクールカースト一般の問題を語るのに適切かどうかはわかりませんが、今回は便利なので使ってしまいます。
\ | 学業成績が優秀(教員に従順) | 学業成績が不振(教員に反抗的) |
---|---|---|
コミュニケーションが比較的得意 | 「リア充」タイプ | 「不良」タイプ |
コミュニケーションが比較的苦手 | 「優等生」タイプ | 「オタク」タイプ |
以下、成人式時点での社会階層(の萌芽)との対応を述べていきます。
ほとんどが大学に進学。東京圏の地方都市であることも要因としては大きいだろうが、東京の私立大に通っている割合がきわめて高いことが特筆すべき点。背景として考えられるのは、彼ら/彼女らの家庭が比較的安定していたこと、自分自身の容量の良さから「楽かつ評価される」選択肢を選び取ったことなどか。就職先として地元という選択肢はかなり薄めのよう。
当時から「不良」タイプとの関係性が良好であり、アルコールにも慣れていることから、同窓会後の2次会でも中心的な役回り。男性の中でも血気盛んな層は「不良」タイプの女性とワンナイトラブをキメたよう。
高卒もしくは専門学校に進学。いわゆる「地元」コミュニティの中心をなしているようで、そのコミュニティの関係性を悪化させてしまっていた「元」不良たちはそもそも成人式に出席していなかった。家庭環境がさまざまだが、比較的早い段階で家計を支えることが期待されており、当時のような「ヤンキー」的振る舞いはほとんどなかった。それでも様々な着飾り方、騒ぎ方で成人式の夜を賑わしていたが……。一方で大学進学者も一定数いて、多くは高校からの推薦で、地方の大学に在籍しているよう(就職を意識してか、比較的理工系が多めであるように感じた。)
「つっぱり方」を基軸とした当時の力関係が希薄になるにつれ、地元自営業者の息子/娘もこの層と仲良くしていたのはおもろいかな。
大学進学者が中心であることは「リア充」タイプと共通しているが、比較的国立大学進学者が多め。(女性を中心に)典型的には地元大学の学生だが、理工系を中心に東京圏の中堅私大にも分散していた。地元との関係性は一番希薄であるものの、地元就職を視野にいれた就職活動を行うよう。大学入試偏差値や就職を考えた場合、在籍中の大学の「レベル」はリア充タイプと拮抗しており、今となっては絶滅寸前の浪人経験者もこの層に集中。(余談だが、イキリオタクの如くこの文章を書いている私もこの層に属していると言える。)
一部は大学での経験をもとに「リア充」タイプへの順応を見せているか。
大学もしくは専門学校進学者がほとんど。コミュニティとしての「地元」には所属していないものの、実際は地元に残っている場合が多い。なぜか分からないが、男性ではスーツの着こなしが一番微妙だった。当時と比較して「優等生」タイプとのコミュニケーションを志向している様子が見て取れ、同窓会ではアルコールも控えめい、かなりおとなしく過ごしていた。高校卒業後フリーターをしている層はここに集中しており、このご時世にあってコミュニケーション能力の果たす役割の大きさを感じずにはいられなかった。
当時のスクールカーストに対して学歴で復讐、みたいな素敵なことはなく、社会の荒波と言われるようなものは(少なくとも自分の地元では)スクールカーストとなんとなく連続している。ただ、東京の大学に進学することは、「提示されている選択肢の多さ」という点で大きなメリットであり、また、終わりつつある「普通の地方都市」という機構から脱するためのいちばん有効な手段。
もちろん家庭環境は当時のカーストから現在の状況までを形作る通奏低音であるものの、社会全体の成長という神話が終わってしまった自分たちの世代にあって、ふたたび地方における「構造」として安定的であるかどうかは疑問。「不良」タイプの家庭の再生産は現在の就職環境にあっては以前より難しいし、「優等生」タイプに提供される地元の就職先の選択肢は縮小しつづけている。「オタク」タイプは「結婚しない/できない」問題の中心にあるし、今後の私の街はどうしようもなく不安定な何かしらになってしまう気がする。