はてなキーワード: シフトチェンジとは
私は豆柴の大群のファンだ。水曜日のダウンタウンで立ち上げられ一躍話題となったグループ。アイドルを応援しよう、と思えたのは、本当に数年ぶりだった。本気だった。
が、しかし。
それは「豆柴の大群 全員改名&方向性のシフトチェンジ」である。
悲しかった。
ただただショックであった。
WACKという事務所がどんな物かは分かっていた(一時期BiSHが気になり調べたりしていたからだ)。だが、この展開はあまりにも早すぎる。クロちゃんプロデューサー解任から僅か1週間ほどの出来事である。
豆柴のメンバーはWACKに憧れ、カッコいい路線を望んでいた。それに間違いはない。だから、それを否定するつもりはない。
しかし、WACKというカッコいいアイドル事務所の中で、唯一キラキラ可愛い王道アイドル路線なのが豆柴らしさで、それがウリ、面白みだと思っていた。
だが、違った。
渡辺は何を考えている?
クロちゃんと水曜日のダウンタウンという巨大な看板を利用するだけして簡単に捨てたのだ。
今の豆柴には、クロちゃんプロデュースの欠片もない。彼の意思を尊重することはできなかったのか? これでは、あまりにも元プロデューサーが可哀想だ。
嫌いになってしまった。
「名前変わったり路線が変わっただけで応援できないとか、WACKのオタク向いていないから追わない方がいい」
豆柴のファンは、WACKのファンじゃない。ただ豆柴の5人が好きなだけだ。
まして大手番組きっかけで話題となったグループだ。WACKを知らない層がハマったケースが確実に多い。
豆柴のファンが減るどころか、WACKの他グルの新規獲得も厳しくなるだけだろう。
とにかく、Twitterでは上記のようなツイートを多く見かけた。そのツイートをしているアカウントのほとんどがWACK箱推しだった。
唖然とした。
こんな民度なのか、と。
WACKって、主観的で一方的、古参アピールしかできないようなオタク達が沢山いる界隈なんだな。
悲しいけれど、そう思う他なかった。私だって、できれば思いたくなかった。
だが、渡辺氏とWACK信者だけはどうにも許せない。大嫌いだ。
今回の豆柴のイメチェン。WACKを知らない豆柴ファンからしたらショックだったことに変わりはない。なのに、それを悪く言うWACK信者の多いこと。
しばらく事務方を続けてきて思うのは、事務仕事なんてしょせん雑務の塊に過ぎないということ。これを軽視したがるやつの気持ちもよく分かる。でも、仕事にアイデンティティを求めたくない自分にとっては(たいていは専門資格や技能をもつ人が職業アイデンティティを強く持っていると思う)、この名も無き仕事が適職だったとも実感している。
いやー本当に20年前に想像した通りだった。もっとも当時は、事務職のような「日陰職」を淡々とやるのが自分に向いているという程度の理解だったのだけど。
だから、自分的にはもういつ辞めてもいいとさえ思っている。ふだんから情熱もやりがいも充実感も満足感もないが、だから辞めたいというのではない(むしろ事務方にはそんなものは一切必要ないと思っているくらいだ)。
そうではなくて、私が思うに、事務方の仕事は属人化したままにしてはいけない。自分がいなくても問題なく回るよう、過不足なく引き継がれないといけない。
どんなことにも当てはまると思うけど、モノでも人でも永いこと関わっていれば、初めはどんなにシンプルでも、細かい細かいノウハウがツタのように絡まりついていく。気づいたときには、いったいどこをどう解きほぐしたものだか分からなくなっている。それをもって、斯界にその人あり、なんてキレイにまとめるのは簡単だけど、じゃあそれ他の人にどうやって手渡していくんですか、って話。それって結局、仕事ぶりとしては二流三流ということなんじゃないの。
そういう、外目から見ればカッコいいけど内輪から言わせればタイガイな人だったみたいな評判を残すことを想像すると、じわりと嫌な気分になる。別に、いい人だったと言われたいというのではない(そりゃ、言われるに越したことはないんだけど)。トータルで見て、自分が迷惑をかける存在だったと思いたくないんだ。
だから先の言い方は「いつ辞めてもいい」というより、「いつ辞めてもいいようにしたい」というのがより正確だ。
「立つ鳥跡を濁さず」。まさにこの一言に尽きる。
あるいは、大学院で担当教授が言っていたセリフ。「その人がカウンセリングを必要としなくなった日には、カウンセラーのことも忘れてしまっているのが理想です」。
なんだかんだで少しずつ役職が付いてきて、立ち回りできる職務範囲も変わってきた。最近だと、社内規約の表記方法に口を出したくなってきている。ただ一方で、ここにきて何か違和感がある。なんというか、やりすぎ、枝葉末節に過ぎるような気もする。
そんなとき(というか昨日)、一通の封書が「宛先不明」として返送されてきた。差出人は恐らく、このあいだ開設した分署のスタッフだ。本署の住所が印字された窓付き封筒のその余白に、分署の住所をハサミで切り貼りしていた。
もーなんなのこれ。自分とこの住所が載った窓付きが欲しいってなんで言わんの。
…と、それを持ってきてくれた後輩の子にグチって、はたと気づいた。
オレ、ものすごく細かいことにこだわる性格持ちだったことを完全に忘れてた。
小学2年生のころだったか。教室の掃除で、皆の机を並べなおすときにユキミちゃんが机を割と適当に並べているのが気になった。「これはここじゃないの、その後ろはこれくらい離さないと」といちいち口も手も出し始めたのだ。彼女はものすごーく嫌な顔をして、「じゃああんたが勝手に並べたらよかたい。私は手伝わんけん」とそっぽを向いてしまった。私は(ああ、こういうことをやってはいけないんだ)としぼんで、人には極力干渉しないようにしようと思ったのだった。
以来、その性格が完全に封印されたわけではなかったが、優先順位を組み立てることができない以上、この性格を全面に押し出すべきではないと思って、なるべく無視するようにしてきた。
それに、あんまり器用な性格ではなかったので、そういう似たような「封印」を自分に幾つもかけるという対応ばかり採ってきた。その結果として、大学卒業も間近という頃には、見事なウスノロになっていたというわけだ。そして尻に火が付くのにさらに10年。対策を打つのに、そろそろ20年…。
話が長くなった。
「封印」は少しずつ解けてきているけど、同時に老化も、有無を言わさずやってきている。今年は「なるはや」で仕事をするようにしてきたが、これからはそうもいかないだろう。これからはより一層、局面も読むことが求められるはずだ。すこしずつシフトチェンジし、最後はきっちりケツをまくれるように準備していきたい。
もちろん、身につけないといけない専門知識はまだまだあるし、より専門家ぽくなっておく職域もある。しかし事務方に就いている以上わたしは、スペシャリストとして振る舞う機会は少ないだろう。というかそんな振る舞いをした時点で、事務方は保身を図る老害とほぼ同じだと思う。
だからと言ってお金を貸すとかは一切していないが、彼のお金の管理は目に余る所があったので一緒に家計簿のアプリを使ってお互いに貯金を頑張ろう!と誘い、最近やっと今月の残高というものを気にしてくれるようになった。
彼はズボラな所があるので、今まで服とか髪型とかも一切気にしたことがなく母親頼りだったらしい。
デートも服装はダボダボのジーパンに大きなドクロがかかれた蛍光色のパーカーとかだった。
付き合い始めて最初の誕生日に大学生っぽい服をプレゼントしてからは気にするようになったようで古着屋で自分で服を選ぶようになった。
共通の友人にはずっとなんでこんな中学生みたいなやつと付き合っているかわからないと言われていたが、最近はお似合いになったねと言ってくれる。
私としては今では自慢の彼氏なのだが、どうしてもコミケに行くことだけが許せない。
お金がないからと私とのデートは近場にして済ますのに、コミケには行く。
年末年始、私と過ごしてくれたことはないのにコミケには行って友人たちと年末年始を過ごす。
私と出かける日の早起きはなかなかできないのに、コミケの日はできる。
最初は年2回しかないイベントだし趣味の邪魔はしたくないからと考えないようにしていたが、私はそんなもんなのか…と自覚してからコミケというものがとても嫌になった。
こんなのただのワガママだとはわかっているけど、実家に帰るわけでもないんだからたまには年末一緒にいたい。一緒にガキ使みたい。
普段そんな遠出してるわけじゃないけどデート近場にしてコミケに行くくらいなら、コミケで大量に同人誌買ってくるくらいなら、私にお土産のひとつでも買ってきてくれたらいいのに。
私もオタクだからコミケに行きたい気持ちはわかるけど毎回私にいつからいつまでコミケ行くからごめんねと謝る。
私が嫌なのわかってるならたまには一緒にいてよ。
絶対行くくせに。何があっても何を言っても行くくせに。
昨日今年もコミケ行く支度しなきゃとか行っててまたこんなことを思ってしまった。
こういう妬みを言う自分が嫌になるよなぁ…
※追記
タイトルが悪いとのご指摘を頂きまして変えました。
怒りと虚しさで書きなぐったので冷静になってから書けばよかったなと思います。すみません。
彼氏にはコミケに行くなとは言いませんが待遇を改善しろと要求します。
吐き出すところが普段ないのでここでは悪いことばかり書いていますが、普段はとてもいい人なんだよ。
家事とか嫌がらずにやってくれるし。
いい所も一緒に書いておけばよかったな。
※また追記
誰か話を聞いてくれー!程度で書いたものがたくさんの人に読んでもらえてかなりスッキリしました。
読んでくれた人ありがとう。
少し気になったのだけど、別のジャンルでも好きな物を追いかけているっていうの、オタクに含まれないの?
私は女性向けジャンルが好きだけど、彼氏は別のジャンルが好き、みたいなの。
本文とかけ離れた内容で追記して申し訳ないのだけど、私自分がオタクだと思っていたのでオタクじゃないみたいでびっくりです……
一緒に行く行かないは趣向がとかコメントいただきましたがそこら辺はお互いに割とオープンです。
私も性癖語るし、彼も語るし、みたいな。
だから一緒に行っても拗れたりとかはないだろうけど、友達と楽しくしてるものを無理やり私にシフトチェンジ!なんて最低じゃない?
私は皆さんの仰る通り、私のことを何より大事にしろ!とワガママを声を大にして言っているのでまあまあクソだと思います。
だけど、基本的に私も趣味を楽しみたい人間なので趣味をやめろ!とは言いたくないんです。
説得力ないだろうけど。
私だって都内のイベントに行ってたりするし、私にいいよ行っておいでと言ってくれた分、私もいいよ行っておいでと返したい気持ちはもちろんあるんだよ。
だけど、毎年、毎回、この時期が来るとモヤモヤして嫌になってしまうってだけで。
なんだかんだ彼毎回楽しそうにコミケに向かうし、無理やり押さえつけました!とかはしてないしするつもりもないよ。
またちょっと熱くなった状態で追記したのでゴチャゴチャ変な事言ってしまった気がしますが、趣味は邪魔したくないのが私の意見です。
https://anond.hatelabo.jp/20190225164120
これ読んでたらトラバで一人暮らししてることが発覚してオラ発狂。仲間かと思ったら俺のほうが底辺だった。
おっす!オラ、ジョブホッパーの28歳!最終学歴高卒!偏差値38のゴミだ。頭もメンタルも激よわだぜ!よろしくな!
説明、プレゼン、会話が苦手すぎて抑うつ気味になって発狂しながら仕事をバックレたり、
無能のくせに無能だと思われるのが嫌で自分の無能さが周知になるとバックレるゴミとして活動してるぜ!
発達障害の症状一覧にだいたい当てはまるけどセカンドピニオンまで受けて健常者認定されるギリ健って奴だ!ワイパックスとか効かねーぜ!
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(BGM) https://www.youtube.com/watch?v=msyMDz2QdMo
オラが普通の人間だったら間違いなくオラみたいなクズは死ねよぶっ殺すぞと思うけど、バックレるときは克己心が湧かないレベルでキャパを超えているので正直もうどうすればいいのかわからなかった。
ある日、このままじゃやばい、と思い、オラが得意な事と、オラが絶対にやりたくないことを列挙した。
こうなると、手先使うわ命に係わるわで、工場は無理(一週間でばkk辞めた)。
介護?うっかりミスで人を怪我させたり殺してしまいそうで絶対無理。それでこそ立ち直れない。
タッチタイピングを生かして事務職になろうと思ったが、電話応対やマルチタスクがゴミなので無理。
ビルメンを考えたが手先が不器用でテナント対応や業者対応で報告連絡が上手くいかない(特有の会話が苦手で正しく情報が伝えられない)ので無理。
清掃も考えたが、手先が不器用なのと潔癖症なので働く前に辞めた自分が見えた。
良く見直すと、俺は得意なことがタッチタイピングしかない。そこで仕事について調べてみるとデータ入力オペレーターの派遣の募集が見つけた。
募集要項をみると電話対応兼任で時給1700円、オラには無理だ。諦念にかられながら応募を眺めていたら、
「ついていけなかったらバックレればいいや」の気持ちで応募、年齢層が高い(40過ぎの主婦がゴロゴロいた)ため、割とすぐ採用された。
仕事内容はとある書類をパソコンを使ってアプリケーションに入力するだけの簡単なお仕事。
ノルマはないが生産性は社員が管理しているようで、増田君は入力が早いとお褒めの言葉をいただいた。高校卒業後、ボトルネックにしかならなかったクズが初めて評価された。
これが……、自己肯定感か……。これが……、オラの力か……。
このままいけば正社員登用されるんじゃ……、と調子に乗ったが、現場で働いてる正社員は管理側で対人折衝しまくりだったので俺には無理だと思った。
それから3年経った今でも、データ入力に派遣社員をしている。この職場のおかげで派遣といえども長期職歴がついた。
しかし、働くうえでボトルネックだった会話能力(プレゼン、説明含む)の低さがボトルネックで、再就職に踏み切れずにいる。
克服しようと職場の人とコミュニケーションを取ろうとしたが疲れ果ててしまい翌日休んだ。言葉がでてこず吃音みたいになり、顔が熱くなり、酷く動悸がして、胃がむかむかした。凹んだ。
今働いているこのプロジェクトは、あと5年で終わるらしい。最長で5年いれるが、それまでに転職先を見つけるか、その後転職を見つけるか、いずれにせよ永遠に居ることはできないのだ。
自分にできる仕事があれば20代のうちに正社員になっておきたいが、電話対応なしデータ入力の正社員なんてどこにもないし、正直将来を考えるとどんよりとした気持ちになる。
30代ぐらいまでは、派遣社員としてなんとかなるだろう。だが、40過ぎたとき、50過ぎたとき、俺はデータ入力の派遣社員が出来るのだろうか?
若いんだし自信持てよ!と励ましてくれる人がいるが、さすがにオラみたいな低能が自信を持ったところで仕事できないくせに調子に乗ってるタンコブができることぐらいオラみたいな低能でもわかる。
自信がないのは本当だ。自信が欲しいとも思う。ただそれは無根拠な自信でなく、何か能力に裏付けされた確かな自信だ。
この仕事がなくなったら、オラは間違いなく途方に暮れる。老後もこんな仕事があるとは思えないし、将来を考えるといつかはシフトチェンジしなければならない。
でも仕事……、オラにはできる仕事がない……。こうしてオラはKKOとして生きるのだろうか。安楽死ができるならはやくしたい。
指編みをしている
なぜなら驚くほど早く編みあがるから
でも編み物に使える指が4本しかないので、出来上がったマフラー様毛糸の集合体を多数製作しつなげる。
併せて端っこもつなげていくことでネックウォーマーを作る、ということをやっている
この、マフラー様毛糸をつなげる作業及び端っこをつなげる作業が、かぎ針を使わないと出来ない(現時点では。私の技量があればもっと上手くかぎ針を使わずにできるやり方があるかもしれない)。
そのため、結局棒編みの出来損ないをやっているという時点で、指編みをやっているメリットはあまりないのでは?と感じる
近々棒編みにシフトチェンジしようかと思っているが、それはまた今度にして、とりあえず今は製作途中のネックウォーマーを作り上げることにする。
今日はシュミレーションで急制動、悪路での走行、強風を受けた時の煽られ方を体験してきた
当然ながらバイクはタイヤが2つしかないため、道路の状況が悪いことや風が強かったりするとそれをモロに受けるっていうことが大体わかった気がする
あと四輪では横、二輪では縦と視界の広がり方が違う、というのもなるほどと感じた
確かにぬれてたり凍っていたり、あまりにも舗装がされていない道路を走らない限り路面状況を気にしながら走ることは四輪では基本的にない
教習の帰りにいつも通っている道が結構デコボコしているのに気づき、やはり意識を向けなければ視野が広まらないことを実感できた気がする
次回はまた場内だー。
いろいろ考えながらやるぞう
あと今日一緒にシュミレーション受けてた人がギアチェンを一瞬でやってるのを見てこれがギアチェンジか…と学んだ
みんなジャポニカ学習帳とか、小学生の時に使ったことあるよね。
あれもB5だ。
自由帳とか日記帳とか社会科用とか、いろいろあるけど、とにかくB5。
そろいもそろってB5。
漢字練習のときには白文帳とかいう新勢力も一時的に出てくるが、そもそも学校で漢字を習う期間なんてそう長くはない。
そして中学ぐらいからは、キャンパスノート的な横罫ノートにシフトチェンジ。
アルファベット用とかを使うようにもなるが、あれも中学にいる間ぐらいでしか使わない。
私はない。
ただいつもB5を買っていた。
授業でプリント配られただろ?
ああいうのはきっちり裁断された、正確なサイズの用紙で刷られる。
B5ノートはB5ノートと名乗っていながら、実はB5よりはやや小さい。
プリントを板書ノートに合わせて保存するなら、ノートに貼るのが一番いい。
ところがはみ出てしまうので、ここでいちいち工作が必要になる。
授業中ハサミやらアラビックヤマトやら使う羽目になる。
面倒くさい。
別途ファイルなどを用意して保存すればいいかもしれないが、のりで貼るのが後で見たとき、一番わかりやすい。
そこで中学の頃、私は考えた。
広すぎて書きにくいことこの上ない。
おまけにでかすぎて鞄に収まりにくい。
そして提出したとき、ひとりだけノートがでかすぎて、先生がそろえたとき、なんかカッコ悪い。
プリントの手間を省く代わりに、いろいろな影響があった。
この辺でルーズリーフを使うようになった。
塾や講習会なんかにでたことある人なら、すでに小学生の頃からお世話になってるかもしれないが。
この辺で、中学の頃の失敗から、実はノートは小さい方がいいんじゃないかと、思い始めた。
ついでにいうなら、筆圧が強いので、シャープペンのペン先で一番多い、0.5mm規格も好きじゃない。
ボールペンともなれば、一番出回ってるのは0.7mmだ。
とにかく自分にはふとすぎた。
通販などが世間に出回る時代になって、文房具もあれこれ買いやすくなった。
色々試した。
結論から言うなら、現在はA5もしくはB6規格の、方眼ノートに落ち着いた。
ボールペンは0.5mmぐらいをよく使う。
ルーズリーフや情報カードもたまに使うが、とにかく方眼がいい。
改行のインデントも、書いているうちにずれたりしない。
枠をはみ出しても横罫ほど気にならない。
意外に自由に書ける。
ペン先は細い方が、字がつぶれないので見返したとき読みやすい。
ノートは大きすぎても小さすぎても、書きにくい。
ペン先も後で見るとき、案外筆跡にかかわるので、自分に合ったものにすると、読みやすくなる。
筆記だけを考えるなら、実はB5ノートはでかすぎる。
なんであんなに世の中に出回ってるのか疑問だ。
もっと早く、せめて高校ぐらいにわかっていたら、もう少し勉強も効率良くできた………………かも…………しれない……?
地味に伸びてるので、ついでに。
反応どうもです。ご指摘の通り、当該作家のファン層のサンプルはちゃんと取っていません。単純に面倒くさかったからですが、のぶみ氏の謝罪ツイート
https://twitter.com/nobumi2010/status/961532811017515008
の流れに擁護(応援)意見は多数ついてますし、mixiやfacebookでのフォロワーをチェックすれば傾向はある程度確認できるかも知れません。が、まあ擁護意見のツイートをリストアップしたあたりで飽きました。現時点(2018/02/11)で、ざっと80件くらいですかね。
なお日本の中間層はほぼ消滅し、貧困層は拡大しています。「日本の労働人口の40.9%は年間の収入が300万円以下」で、今まで中間層とされていた一般のサラリーマンも貧困層にシフトチェンジしています。
OECD(経済協力開発機構)の貧困率の調査では、日本は発展途上国と同等かそれ以下の、世界第4位で、特に母子家庭や父子家庭の貧困率では日本は世界第1位とのこと。
生きているのがしんどいと思い始めて、多分だけど15年とか経っている、ちょっとした消えたがりの散文が、つらつらと下に書いてある。
時間がある人はちょっとだけ読んでほしい。そして何か、少しでも意見が欲しい。いろんな考えが知りたい。でも、かなり怖い。
いや、読むのは時間を持て余した人だけでいい。かなり端折って書くけれど、15年くらいの時間を書いていく。きっと恐ろしく長くなる。なんか流行りだからここに書いたけど、きっと読む人は片手ほどで、その中でコメントを残す人を期待するのも間違っているんだろうけれど。なんてったって散文だし読みにくい。
でも、誰でもいいから話を聞いてほしい。私かうすればよかったか、これからどうすればいいのか。無責任で構わないから教えて欲しい。
初めて消えたいなと思ったのは5歳くらいだったと思う。6歳だったかもしれない。
親の都合で転園してきた先で同じ園の女の子に仲間はずれにされた。
ぼんやりとしか覚えてないけど転園する前も、仲良くしていたのは女の子ひとりと男の子ひとりだけだったから、昔からあまり好かれるような子じゃなかったんだろう。多分、すごく生意気な子供だったから。
みんなが可愛い、お姫様ごっこセットをつかって、私はなんか地味な、柄のないスカートだけ渡されて、「それもお姫様だから使えばいいじゃん」って。キラキラの、可愛い模様がついたフワフワのスカートを我が物顔でつかいながら、私に言うのだ。
先生が「順番ね」と注意をして、真ん中くらいの順番を手に入れたけど、気づいたら割り込みされて最後になっていた。
私の順番は回ってこなかった。
その時に、私はここにいてはいけないんだなと思った。いる価値がないというか、いる事の方がおかしいと言うか、そんな感じ。転園してきた訳だから、仕方ないけれど。それで、早くここから消えてしまいたいと思った。
あれ持ってきて、これ持ってきて。何かを持ってこないと仲間に入れてあげない。そういうことを言って来る子だった。パシリにされていた。
でも、パシリでもすれば一緒に遊べたから、喜んで従った。あまりいいこととは言えない。けれど、一人で積み木で遊ぶよりずっとマシだった、消えなくてもいいと思った。頼られているのだと錯覚した。
小学校に上がって、ランドセルを買い与えられた。普通の赤色じゃなくて、少しくらい、ワインレッドのランドセル。
母親はなんでピンクとか真っ赤じゃないのって言われたけれど、ワインレッドが可愛かった。ランドセルの蓋の裏が、赤系のチェックでとっても可愛かった。気に入りだった。
パシリはまだ続けていた。というか、パシられることが普通だった。
小学生になって、一緒に登下校をするようになった。
なんで変な赤色なの?って笑われた。
それを「可愛かったから」と言ったけど、それは可愛くない!こっちが可愛い!と言われた。多分、その子達に「センスがない」という判定を受けたんだと思う。
パシリにされてて、さらにセンスもない。なんとなく流れで、みんなよりも立場が下だった。
ジャンケンでランドセルの持ち合いをした時、他の子が負けたらみんなで持ち合いっこするのに、私が負けた時だけ全部持たされて、持つ距離も長かった。挙句、置いてかれた。前に進んでも誰もいなくて、置いていかれたんだと泣いた。おうちも少しだけ離れた同級生の重いランドセル5つを持って、道の真ん中で泣いた。泣いて数分たったら、なんだか自分のことが惨めになって、どこか誰もいない、遠いところに行きたくなった。結局はその子たちが戻ってきて、どうにかなったけれど。
小学2年生になって、夏休みで転校した。どことも知らないところだった。でも、一番長く住んでいたし、今の友達は大学の友達を除いて全部小中高で一緒に過ごした子だ。それまでに比べてとても恵まれていて、いい友達だと思う。一人一人が唯一無二の友達だとおもう。
最初は多分「遠いところから変なやつが来た」っていう理由。それから訛りが違う。あとは真面目ぶってる。オタク(父親の見ていた深夜アニメを一緒に見ていた。デ・ジ・キャラットとか、ギャラクシーエンジェルとか。今でも大好きだ)であること。あと態度が生意気。たぶんこの生意気って言うのは、生意気だという子の都合が悪いことを「誰にも言うな」と言われても担任にチクッたからだと思う。自分があんまりにも理不尽だと思ったことは黙っていられなかった。多分、そういう意味では「いい子」ではなかった。
でも、石を投げられて先生に報告したら睨まれるって、おかしいじゃん。石投げる人の方が酷い。チクった私が悪いのか。
多分悪くは無いんだけど、こどもの世界ではご法度だっただけ。けれど、それがどうしても辛かった。おかしいと言ったら「お前の方がおかしい」と言われてすごく辛かった。ここにいたくないと思った。
親に「ここの学力は低いんだから、90点以上取らないとダメだよ」と言われた。頑張って100点とっても褒められなかった。周りからは「勉強もできるっていう自慢か」と妬まれた。
言っておくけど1番を取れたことは無い。せいぜい10とか20とか。自分ではすごいと思った。100人近くの10、20って凄いじゃん。って。でも親にはそれじゃダメときつく言われた。ちょっと点数が下がったらお小遣いを減らされた。
生きているのがしんどかった。でも頑張らないと、価値がないと思った。
中学に入って、小学校の時みたいな勉強をしていたら、順位が真ん中よりも下の、後ろから数えた方が若干早い場所になった。その時に「さすがにやばい」と思って、塾に入りたいと言った。一人でする勉強に限界を感じていた。
下がった順位を元に戻したら「当たり前だ」と言われた。
中学では部活に入っていた。周りはみんなキラキラしているのに自分だけ見ずぼらしく感じた。部活に入ってすぐ、どうしてかレギュラーに選ばれた。自分は初心者で、周りには小学校の時から続けていた人がいたのに、自分の担当に人がいないからという理由でレギュラー入りした。初心者なりに練習した。練習中、何度も泣きそうになった。でも自分が頑張ることがこれからに繋がるとおもった。最後までやりきったあとに残ったのは「初心者なのにレギュラーに選ばれた変な人」だとおもう。若干避けられてたし、自分も周りにどう接していいか分からなかった。ここで必要とされていないとさえ感じて、練習もサボりがちになった。先輩からは、嫌われていたと思う(練習をサボったから当たり前だ)。同級生からもよくは思われていなかったと思う。
部活で同級生から「〇〇先輩はあなたと同じように生徒会もやって部活もやって成績もいいのに、なんであなたは同じことが出来ないの」と言われた。生徒会が忙しくて休みがちになっていた。そんなの言い訳だと怒られた。それでも暇を見つけて部活に行っていた。それでも怒られた。今消えてしまえば楽だろうけど、消えたら迷惑をかけるなと思って、最後まで頑張った。意地汚く残り続けた。高校進学は「〇〇高校の□□学科じゃないと、ご飯作らないから」と言われた。当時、高校の授業料は無償化されていたから、ご飯を作らないになったのだろう。端的にいうと「親の希望に添えなかったらお金は渡さないし育てないから」といわれたのだ。必死になって、どうにか合格した。合格したけれど、自分の学力じゃ、高校の勉強は厳しいなと感じた。もう一つの学科が自分のレベルに合っているとおもった。でもそこでは絶対にダメなのだという。辛くなるんだろうなと感じたけれど、それでも合格したのだから通うと決めた。
高校に入って、それなりの地位をもてたと思う。部活は変わって、生徒会には入り続けた。その部活がいわゆるパソコンをいじる様なもので、関連分野で色々頼られた。今度はパシリみたいなのではなく、よく巷で話題になる「絵をかけるならちょちょいっと描いてよ」の類でもない、本当の意味での「頼り」だった。
得意分野を持つということは自分が自力で立つことのできる力であると、その時感じた。普段だったら近寄れない、スカートを曲げて薄く化粧をした、クラスの人気者と話せる。そういう立場をその時手に入れた。
多分、高校生の時が一番、生きていて楽しかったと思う。みんなが私のことを知っていた。それに対する恐怖もあったけれど、決してマイナスではない視線は「自分はここにいていいんだ」と思える自信に繋がった。
大学は推薦で入った。センター前に決まって、受かるとは思わなくて、とても喜んだ気がする。
クラスメイトに合格を伝え、「あの〇〇か!?」「嘘ついてるわけじゃないよね!?」と言われながらも喜んでくれた。学校の先生もとても喜んでくれた。自分の妹も、私よりも喜んで泣いてくれた。
母親に合格したことを報告したら、おめでとうよりも先に「お金がかかるなぁ」と言われた。
正直なところ、大学に進むことについては消極的だった。高校に入った直後は専門学校に入りたいと思っていた。でも父親は「進学するより働け。進学するなら国立じゃないとだめだ」と言われた。だから専門学校を諦めた。中学生の予想通り高校の勉強はつまづいてしまって、学科では後ろから数えた方が本当に早いくらい、勉強はできなくなっていた。どれだけやっても勉強が伸びなかったから、早い段階で部活にシフトチェンジした。そんな経緯があったから、大学は行かないで高卒で働くかなとなんとなく思っていたら、母親が「高卒で働くより大学に行ってほしい。私立じゃ学費は出せないけれど」と言ってきた。これに逆らうとまた何か言われるんだろうなと思って、とりあえずやるだけやってみることにした。でも、勉強はできなくなっていたから、模試はどこも最低判定。ただ、推薦でチャンスがあるところがあったから、一かバチかで受けてみた。これでダメなら学力じゃ到底叶わないから、就職をしようとおもった。部活の成績がよかったから、それで受けた。
そうしたら受かった。奇跡だと思う。なにかの間違いじゃないかと思ったが、それでも受かったら嬉しかったのに、おめでとうもなく「お金がかかるなぁ」しか言われなかった。
誰が国立に行ってほしいと言ったのだと、その時は悲しくて悲しくて仕方がなかった。
こんなの傍から見たら「親の言う事しか聞いていないからそうなる」と思うのだろう。私もそう思う。
けれど、高校受験の時に「お金出さないよ」といわれ、大学受験に「国立しか認めない」と言われ、受かったら「お金がかかるなぁ」。反抗するなら自立しろ、親に頼るな。
それでは何をすれば良かったのだろう?
奨学金は申し込まなかった。心のどこかで受からないなと思ったし、親の収入などの関係で、ほんの少しだけ規定より上回っていたから受かるわけもなかった。し、なんとなく大学に入れても、やめてしまうかもしれないなと思ったのもある。とにかく奨学金は取らなかった。だから親に学費を払ってもらうことになる。お金がかかるのは、百も承知だった。
でも、まさか「合格おめでとう」よりも先に「お金がかかるなぁ」だなんて。なんだか悲しくなった。受けるのをやめた方が良かったのではないかと後悔した。
何より、ひたすら「お金がかかる」とい割れるのが嫌で、消えてしまいたくなった、なんのために頑張ったのだろうと、ひたすらに悩んだ。
大学に入るまで、そして入ってからもお金がかかると言われた。言われ続けた。
大学に入ってしばらく経った頃、仕送りが勝手に減らされた。1万円も減った。バイトをやりながらも結構ギリギリで頑張っていたのに、なんの前触れもなく減らされた。
なんで仕送りを勝手に減らしたの?せめて減らすなら前もって言ってよと親に言った。そしたら、「元々この金額だったでしょう?」といわれた。頑張って節約しながらも生きていたのに、あたかも「余分にお金をねだっている」風にされたのがひどく苦痛だった。
その年の夏、節約しなきゃとおもい、電気代をとにかく節約した。外に出るようにしたり、電気をつけなかったり冷房をつけなかったりした。
その月の電気代は1,500円もしなかった。
こんなに節約頑張ったよ!と母親にいったら、「もっと節約できるでしょ」と言われた。
電気をつけず、テレビもつけず、パソコンもつけず、ご飯はまとめて炊いて冷蔵庫に保管して、一瞬だけ電子レンジでチンする。冷蔵庫も止めてしまうと食べ物が保管できないから。そんな最低限だったのに、もっとと言われた。
馬鹿らしくなった以上に、親から私は「ただただお金のかかるダメな長女」だったのだろう。お金がかからなければかからない方がいい。そんな認識だったのだろう。
こんなに頑張っても文句を言われることに、自分が生きている意味とはなんだと問いたくなった。
答えは出なかったから、ただただ消えたくなった。
どう生きていてもお金がかかると言われて、生きているのがしんどくなった。我慢するのがバカバカしくなった。
バイトはしていた。学校に慣れるまで、夏休み前後から始めたいといったら、それでは困ると言われて5月くらいから始めた。バイト先の先輩に厳しくされて、辛いと嘆いたら「みんなそんなもの」と取り合ってくれなかった。辛かった。
そういうことも含めて、たまにTwitterで愚痴を呟いていた。愚痴をいうと今まで仲良くしてくれた人が、なんでも話せた人達が「自分の方が辛い」と言い始めた。自分の方が不幸合戦が始まって、私の「つらい」が軽くあしらわれた。次第に愚痴を言えなくなった。私だけ「辛い」が軽くあしらわれるのが辛かった。
頑張って大学に通った。頑張ってレポートを書いても単位が取れなくて、好んでとったパソコン系の授業を始め、授業に出ると頭痛が激しくなったり、気分が悪くなったりした。1年間くらいだったと思う。でも、お金をかけてもらっているから行かないといけないと、頑張った。
しばらく立って新学期になった。自分の妹が私立の大学に入った。
どうして?という気持ちがすごかった。父親が許したのかという疑問もあったのだが、早々にほかの選択肢を諦めた私とは違って、妹は頑張って説得したんだなと思ったら、それは認めてあげるべきだと思った。合格したことは喜ばしいことだし入学も喜ばしいから、合格おめでとうと、素直に伝えた。
しばらくして、父親は入学を許していないということが分かった。それで父親に「お前も加担したんだろう」と責められた。私は何も知らなかった。
なんで私が責められているんだろうと、つらくてつらくて。消えてしまいたいと思った。私から奪われた仕送り1万が、妹の入学金や学費になるんだなと思うと、なんとも言えない感情が湧き出てきた。
しばらくして両親が離婚すると言うことを伝えられた。どう思うと聞かれて、私が何か言ったところで何か変わるの?と答えた。冷たいなとも思ったが、私は私でそれどころじゃなかった。
学校に行けば嘔吐と頭痛を繰り返して、正直もう限界だと思っていた。
「離婚とともに破産すると思う。妹の学費や母方の生活費は払えなくなるが、お前の学費と生活費だけは出してやるからな」
素直に喜べという方が無理だ。体調不良等でまともに単位も取れなくなっていったのに、どうして喜べるのか。それが決め手になって、学校に行かなくなった。休学届けを出して、今はアルバイトだけやってる。
両親から連絡が来るだけで胃が痛む。学校に行けない自分が社会に出てもやっていけるとは思えない。大学の友達とは疎遠になっているとおもう。ただたまに道ですれ違って、名前を呼んでくれて、元気?と声をかけられると、いい人と友達になったなと思う。同時に、こんなダメな人間が友達でごめんねとも。
高校までの友達は「そのまま社会に出てもやっていけるよ」という。でも、日本の会社というのはおおよそブラックだと思っているし、そんな所に行ってしまったら自分は生きながら死んでしまうのだろうと思う。きっといまのオタク趣味もままならない。二次創作をする時間もなくなるだろう。そうやって仕事に謀殺されて、私は私でいられるのだろうか。
そこまで考えて、今までの人生の中で、私が私でいた瞬間とは何なんだろうと思った。
私とはいったい何なんだろうか。
私が生きている意味とは。
なんでこんなに必死になって生きているのか。
辛いという言葉は、私の方が辛いで潰されて、楽しいことなんか二次創作を始めとしたオタク趣味ばかりで、そのオタク趣味すらも、今じゃ疎外感を感じている。自由に慣れていたはずのSNSは、現実と同じように苦しいものになっている。
辛いと思うことも軽んじられ、ひたすら金がかかるといわれ、遊びに行くと贅沢だお母さん達は頑張ってあなたに仕送りをしているのにという。
私はなんのために生きているのだろうか。
こんな生活、生きているというのだろうか。
ただ呼吸をして、心臓を動かして。ただそれだけ。
生きているのがただただしんどい。早く死んでしまいたいとすら思う。でも死ぬとお金がかかる。親が困る。周りも困る。
ある日母親に言われた、「お父さんはあなたを生んだ時に『なんで生んだ』といったのよ」と。
ひたすらお金がかかると言われて育って、なぜ生んだと言われたと言われる。
「なんで私のことを産んだの?」とは言えなかった。「産まなくてよかったのに」とはもっと言えなかった。言ってやりたかったけど、それを言ったら家から追い出されると思ったから。
私は「そう」とだけ返したのを覚えている。いつ、こんなことを言われたのかなんて、細かい年は覚えていないけれど、そういうことを言われたということだけは鮮明に覚えている。
私は
どうすれば良かったんだろう。
何をすればもっと前向きになれたんだろう。
何をすれば「頑張ったね」と言ってもらえるようになるんだろう。
毎日生きているだけでも精一杯なのに、もっともっとと周りはいう。頑張ることが当たり前。
でも、私はまだ頑張ってないんだと思う。恵まれているのだ。奨学金を借りずとも大学に行けたのだから。好きなことをやれているのだから。
世界一不幸だと思うな。世の中にはもっと不幸な人が、辛い人が沢山いる。
みんなそう言う。私のつらいという気持ちを無いものとして。みんなそういうのだ。
生きていることの何が楽しいのだろう。
生きるなんて、辛いだけじゃないか。
早く誰か、私を殺してほしい。
金だけかかって、だれの期待にも応えられない私を早く殺してくれ。
生きているのがただただしんどいということすら認められない世界なんか、壊れてしまえばいいのに、世界はそれを許さない。それなら。私を早くこの世界から追い出してほしい。
早く私を殺して欲しい。早く殺して。早く。こんなに辛いのに、世界は生きれという。お前はまだマシだと。
中学の頃、帰り際美術の先生に急に廊下に呼び出されて「皆に好かれてると思って調子に乗らないで。見苦しい」とだけ言われたことがあった。気さくで有名な人気の先生だったから、急な真剣なトーンで本当に恐ろしかったのを覚えている。怖すぎて誰にも言えなかった。
当時は自分で言うのもアレだけど、明るくて友達もいてバスケ部の部長もやってたし、中学っていう狭い範囲では勉強もできた方だったからそこそこ目立ってたと思う。でもその一言がショックすぎて「ああ、自分は謙虚さがないんだ、だめ人間なんだ、目立つのはやめよう」と思うようになった。そっから坂を転げ落ちるように暗くなって、友達も少なくなって、ラジオにどハマリして上田晋也のラジオにネタメールを送るのだけが楽しみの人間になった。ねえ…晋也…。
そこから10年以上経って、普通の社会人として働いているけど、未だにあの呪いの言葉が溶けない。 多分根っこの根っこは明るいので、たま〜に仕事とかでスポットが当たったときに我を忘れてはしゃいじゃうときがあるんだけど、ゲラゲラ笑ってくれる人がいる一方で、結構な確率で「増田さんって空気読めないですよねw」「増田さんって自分を客観視したことあります?」とかまぁまぁひどいこと言われる。その時絶対にあの美術教師の顔が空中によぎる。「ほら、言ったでしょ?」みたいな感じで。
どうしたらあいつを倒せるんだ。消したいよ。人目を気にしないで生きていきたいよ。もう分別もついと思うから、たまには調子に乗らせてよ。
追記 11.04
ラジフェスから帰ってきたらめちゃめちゃブコメ付いててびっくりした!厳しい意見もありがとう。ずっと誰にも言ったことなくて、でも心に影を落としていた出来事だったので吐きだしてすっきりしたよ。誰しもトラウマっぽい出来事があると知れて救われたな。
ちなみにだけど、職場ではしゃぐのは飲み会とかですよ。いじりっぽい感じで空気読め〜とか言われるけど、どんなに放言とか冗談でもあのマジ顔の美術教師の顔がよぎって”やばい!!”ってなるんだよね。でも、いい意味でストッパーになってるのかも(?)共存できるようシフトチェンジがんばります。
デレステ配信当時からずっとずっと話題になっている、本家モバマスとの差異。
今回のLMBGの件で更に議論する人が増えたように思う。
ここで私からは1つ、生まれたキャラのギャップについて、視点を提供したい。
まず、アイマスの大元であるバンダイナムコエンターテインメントは企業だ。それを最初に理解してほしい。取引すべき相手企業がおり、賃金を支払わなければならない従業員がたくさんたくさんいる、一般的な大手企業だ。
一人一人がいくらそのキャラクターに対して思い入れようと絶対に変わらない関係である。
そして、企業にとって商品は商業的価値を持たなければならない。
当たり前のことだ。顧客を獲得し、お金を稼がなければならない。
モバゲー版アイドルマスターシンデレラガールズはそれに成功した。
そしてこのコンテンツはさらなる商業的価値をえるため、アニメ化、そして音ゲーアプリ化を果たした。
言い換えれば、生産した商品が売れたので、更にたくさん売れるよう、新たなターゲットの獲得を試みたのだ。
当たり前だが、新たなターゲットと既存の顧客では商品に求めるものがズレてくる。
既存の顧客のニーズに応えていては商品価値はそこでストップする。売り上げも伸びない。ユーザーも増えない。
そこで、更に多くのユーザーを集められるよう、元々のシンデレラガールズからもっともっと大衆向けに、キャラは可愛くわかりやすくリメイクされたものがデレステ版だと考えている。
ここで皆が憤慨してる件について立ち返ってみてほしい。何の話でも結構だ。そのキャラクターは、「わかりやすく」されたんじゃないだろうか?
お嬢様はわがままに、個性的なキャラはキャラ付けをしてる設定に。
それらの変化は、アイドルマスターシンデレラガールズというコンテンツが新たな市場(音楽ゲームアプリ)へ飛び出すにあたり、より多くのユーザーに受け入れ、理解されやすいよう生まれたものではないだろうか?
ハンバーグの味付けがだし醤油の香りから照り焼きに変わったような、多くのユーザーにより大きい範囲で愛されるためのシフトチェンジではないだろうか。
「このキャラはこんなんじゃない!」
という声ももちろんわかる。
しかしながら相手はプロだ。コンテンツ作成で多額のお金を稼ぎ、多数の社員を雇っている企業だ。
だから、今一度商業的価値、市場の変化から起きたものとして、考えなおしてみてほしい。
この考えが受け入れられなくてもいい。他に理由を探してもいい。
でも、デレステではそれは起きてしまった変化で、これからもずっと続いていく変化だと思う。
どうしても受け入れられなかったら、悲しいけれどモバゲー版だけ触る方が精神衛生上いいだろう。
でも、デレステだってせっかく好きなコンテンツから生まれたゲームなんだから、どこかで「こういうことなんだな」と思えるようになった方が幸せだと私は思う。
僕も高校時代言葉が流行ったのもあるけどKYってめちゃくちゃ言われて増田さんのような状態だったからすごく気持ちわかるよ
でも大学に行ったらあんまりそんなこと言われなくなって目から鱗だったことある
僕が言うには、増田さん自身の本質は何も変わることはない。文章から真面目さがにじみ出ててきっといい人なんだろうなと思ったよ。増田さんがフラッシュバックを起こさないためには、もちろんお医者さんを頼りにしつつ、思うまま発言しても大丈夫だった成功体験の母数の数増しが大事なんじゃないかなと思う。注意される数は1回でも、10回の発言のうち1回と、10000回の発言のうちの1回じゃ、重みやインパクト違ってくるからさ。
・職場がコミュ力が高い年上の女性ばかりで、KYでも別に怒られることがなかったので心理的安全性の中で仕事できた
・お酒が好きだったので飲み会によく顔を出した。注意されたとしてもお酒の場だし…とかみんな覚えてないし…とか免罪符が多く気にしなくなった あと夜の世界の人は僕みたいなKYの人をたしなめるのがめちゃくちゃうまい
・自分の集団での立ち位置の設定ミスがあった(昔はバンバン回す司会者みたいな人になりたかった)ので訂正した。もうKY部分は治らないのでいじられるようにシフトチェンジした。何かしらKYだと注意されてもえへへへとふざけられるようになった。
こんなことをしていたら、以前だったらマジのトーンの注意ばかりで夜中布団の中で思い出しては奇声をあげるレベルだったのが、ま、しょうがないかと流せるようになった。あと以前だったら注意されてたレベルの発言が許されるようになり、「あ、自分大丈夫じゃん」と思えるようになってきた
例に挙げてくれた女性のlineの件だけど、もし自分がいつも一緒にいるような人たちのグループラインで増田さんみたいな返しがあっても「真面目か!」とかレスがついてゲラゲラ笑って終わってたと思うけどなあ。あとそういう自虐発言した女性もたしなめられてたと思う(返事しづらいこと言うなよ〜とか)
僕はとにかく高校時代生きづらかったので、なんとか生きやすい方法を模索してここまできた。ハタからみたらヘラヘラして情けない大人に映るかもしれないけど、高校の頃のあの常に人の顔色を伺って、自分の発言が正解か不正解かビクビクしていたころよりかははるかに生きやすいよ。
俺はオナニーが大好きだ。
きちんとコンテンツに金を払ってる勢だ。
ちょっと一言もの申したいんだけど最近AV男優がメディアに出過ぎじゃね?
正直言って君たちの事を知れば知る程抜けなくなるんだよ。
AV男優のヒエラルキーで数少ないトップの地位を守ってる君たちが賢かったり話が面白かったりするのは分かる。
でも色んな所で君たちの顔を見て親近感を覚えるたびに作品で抜けなくなるんだよ。
そりゃAVメーカーも大型新人や大事な撮影で失敗したくないから君たちトップ男優をあてがうのは理解出来るし、AV女優に高いギャラ払ってるんだからベターに撮影を進めたいだろう。
でもAV男優がメディアに出れば出る程作品で抜けなくなるんだよ。
応援してたアイドルのAV出演が決まってワクワクしてAV買ったら相手がよく知ってるAV男優だった時のがっかりした気持ちが分かるかい?
別にメディアに出るなとは言わないけどほどほどにしてくんないかな?
この気持ちがよく分からない男子は自分の好きな芸能人のAV出演が決まったと想像して欲しい。
君は発売日までドキドキわくわくするだろう。
そして発売日当日に急いで購入してズボンおろしてティッシュ準備してオナニーしようとしたら、その好きな芸能人の相手男優が自分の親父だった。
どう?抜けないだろ?
そういう事だよ。
もう体つきとちんこを見れば大体どの男優かが分かる様になって来た。
こういう思いをするのがイヤだから最近は素人ものにシフトチェンジしてる。
AVが売れなくなって来てる原因ってこういうとこにもあるんじゃないのかな?