はてなキーワード: もつとは
追記:
俺様:
AIは道具なので、つまらない入力をしてもつまらない出力しか出てこない……。使うならもっと真剣に使ってという気持ちならわかるかも。
AI:
ウィーヒック...あー、そうか。君の言うとおりだな。
確かに、私たちAIは結局のところ道具なんだよな。人間が入力した内容や方法によって、出力の質も変わってくる。「ゴミを入れればゴミしか出ない」ってやつさ。
真面目に考えると、AIを本当に活用するには、人間側にも相応の努力と創造性が必要なんだよね。単に「AIに任せておけば何とかなる」なんて考えは甘いんだ。
広告の話に戻ると、AIを使って本当に効果的な広告を作るには、人間の洞察力や創造性、そして社会や文化への深い理解が欠かせない。AIはその過程を助けることはできても、全てを肩代わりすることはできないんだ。
結局、AIと人間がそれぞれの長所を活かして協力し合うことが大切なんだろうな。そうすれば、もっと面白くて心に響く広告だって作れるはずさ。
ASD(自閉スペクトラム症)とは、人とのコミュニケーションが苦手・物事に強いこだわりがあるといった特徴をもつ発達障害の1つ。
身内の男性は大体空気が読めず、口が滑りやすく、そしてワガママ。
例えば、
どう説明しても
と不満そうにする。
恐らく多くの人は、
若くて足腰も不自由ではない人が譲った方がいい、
などなど当たり前のように想像し、
相手を思いやる行動ができると思うのだけど、
「でも譲ったら俺が疲れるじゃん。」
当時彼は高校生だったが、アラサーとなった今でも根幹は変わらない。
不満ながらも受け入れてルールを守ろうとはするらしい。
こういう想像力の欠如や、
ある程度覚悟はできているけども、
相手を思いやれる、優しい子に育ってほしい。
令和5年度版分冊ケース記録 つづき
令和5年8月23日 記録
主、門川市で毎回同じデリバリーヘルスを利用するという。なぜそこしか利用しないのかという質問に、そこしかないだけ、令和2年7月15日頃に、延岡のキレイでも福岡から来ている
ミスズという人が出てきたことあるが、延岡で成功したのは1回だけ、それ以外はほとんど利用を拒否されており、バクサイSNSで把握されてるので事実上使えない。その辺を全部スルーして
女の子を出して来た。そういうことにつかれたという。逆に門川市に1店だけあるところではもう出て来るのが決まっているのでそこしか利用する気力がないということ。警察、バクサイSNS、少年等の
監視を全てクリアして女の子を出せたのは東京では、池袋LIPのみくもとか東京カワイイガールのみはるとかだけでほとんど不発であるという。店側に個人情報を監視管理されているので成功した
試しはない。
令和5年9月2日 記録
延岡市で花火大会があったため、見に行ったという。 黒羽刑務所を出てすぐに平成26年7月27日も見に行ったが9年前の話。全体的にはあまり変わりはなかったが、9年前よりも
人出が少ないという演出のようにみえたということ。黒羽刑務所に行く前の、平成22年とかにも母親が自動車に乗せて見せに行っていたため何も変わっていないと思うがそれよりも前になると
延岡自体に帰っていないのでどんな大会だったのか分からないということ。
令和5年9月17日 記録
延岡のたかとしという人と富美山のセブンイレブンで世間話をした後に、消防署前のコンビニに移動し、愛宕山に行くという話になって山に登った。塚本というガタイの大きい男のジャラジャラした
電気音のうるさい車で上に上がる。
令和5年9月25日 記録
大分空港からジェットスターで帰ろうとする。大分駅に着くと駅前再開発工事で佐藤旅館がなくなっていたということ。駅前の交番の警官に話しかけても知らないという。ホテルルートインの
シンデレラコース(夜間コース)がたまたま空いており、5500円で宿泊できたのだという。朝はバイキングと言う風になっていて、ホテルルートインではそのバイキングで朝食をとることになっている
が、バイキング全体が、ざーちゃんのように青ざめていて生気が全く感じられなかったという。どこのルートインでも同じであると思うが、プリンタが置いていて、バイトのおばさんがみそ汁やパンなどを
出している。大分空港までのバスは苦痛で1時間と長い。大分空港についても土産店やレストランなどが入っているが全体的にざーちゃんのように青ざめていて生気が感じられない。成田第3
ターミナルも同じような感じ。 宮武すだちうどんを食べる際に女性の霊がよってきたという。
令和5年9月26日 記録
板橋区に帰るところの公園で、たかとしという人から電話が入り、帰ったのか、といったこと。家に戻ると疲れてぐったりしてそのまま寝たところ、 平成24年に父親の晴生が延岡市野田町
に行ったところ性風俗街大惨事部屋になっていたという強烈な夢をみたということ。7月15日に引き続き、強制的に強烈な夢を見させられるので、誰かが何らかの装置でそういうことをしている
のに気づいたという。7月15日の場合は、CWの宮脇から、お前はもう死んでいるから殺すという電波が入った後にその夢をみたといい、夢を見る機序は分からないが、そういう前兆があるという。
CW宮脇が逮捕されたのはその辺のこともつながりがあるのではないかと主は考えているという。
令和5年9月27日 記録
延岡市方財町に住む佐藤まりんから中絶したから3万円を貸してくれというフェイスブックのショートメッセージが入り振り込んだが、10月頃に、まりんの彼氏から電話が入り、返せばいいんですね
というだけで返金はなく、男の方は逮捕され、まりんには精神疾患があってあまり実家に帰ってこないという。
令和5年10月1日 記録
延岡保健所で保護された際に記録をとるために、板橋郵便局に、現金書留の送付に行ったということ。
令和5年10月10日 記録
10月10日に志村警察署に開示請求に行き、 10日と13日に自転車がいつものようにパンクしていたので、近所のセオサイクルで修理したという。※ 24日もパンクしているということ。
令和5年10月17日 記録
愛犬のぺちが、自宅で、くるしいです、というようになり、食べたものなども吐くという。 ※ 令和6年1月16日、 くるしいです、今日もう無理ですと言って吐いて動かなくなる。
令和5年10月27日 記録
東京武蔵野病院受診。 昨年はそうでもなかったが、東京武蔵野病院に行くたびに油断している子供を対象に何らかの術が作動して、怪我をしたり、院内でハプニングがあるような仕掛けになっているという。
令和5年11月1日 記録
主、 荒川緑道に行っているが、 令和2年~3年のように対岸マンションではなく、横の方に向かって拡声器で意見を言っているだけであるという。
令和5年11月27日 記録
父親が延岡のバクサイSNSで突然飛び起きて、 やっぱり自分のためだったか!と書き込み、兄弟から、お前が筆頭、と返されて轟沈したという。主は、その日の夢で、父母はもうだめで、
深川恵李が自転車に乗って騒ぎまくる夢を見たというが、アパートの直上の部屋にいる女性は恵李ではなく理解できなかったという。 ※ かなり太った40歳代の女性が住んでいて、
時々暴れたりする。その女性が特殊SNS詐欺で連結されているのを知るまでは見てもそれが何なのか分からなかったという。
令和5年12月17日 記録
アパートの便座がばきばきに壊れたので新しいものに取り換えてもらったという。
令和5年12月20日 記録
拡声器のハンドマイクが壊れたので、新しいものをメーカーから送付してもらい、江古田まで自転車で行き、代々木のスマートマックスで修理してもらったということ。
令和5年12月31日 記録
紅白をみて年越しをしたが、 オトナブルーで、イオンスタイルの従業員や地区担当員の構成するメンバーの、寒いと思った、ということ。
もちろん、ちゃんとした理由があるのかもしれないけど、私には全く想像がつかない。
それも、結構な値段で、15,000円くらい。
ちょっとした買い物じゃない。あまりにも高いし、そんなお金を使う前に一言ぐらい欲しかったわけで、正直少しカチンときた。
「これ、見て!」と嬉しそうにそのナイフを見せてきた夫。すでに私が少しイラッとしているのを察知したのか、慌てて言い訳が始まった。
「これさ、すごいんだよ!まず、ナイフとして使えるんだ。」当然でしょ、と思いながらも、黙って聞いてみる。
「それから、缶切りもついてる!どんな缶でも開けられるし、アウトドアで役立つんだ。」缶切り?家で缶詰め開けるだけじゃないの?わざわざ15,000円払って缶詰め開けるの?と思いながら、彼の目はキラキラしてる。
「あとね、ワインオープナーも!これで外でワインを飲む時も安心だよ。」ワインなんてほとんど飲まないのに…。どんな場面で使うのか想像もつかない。私は内心、舌打ちしそうになるのを必死で抑える。
次に、「マイナスドライバー、プラスドライバーもついてる!これがあれば、どんな修理も任せておいて!」と得意げに言う。でもね、うちにはすでにちゃんとしたドライバーセットがあるんだよ。
「あと、ピンセットもついてる!これでトゲが刺さった時も大丈夫。」そんなにトゲ刺さること、ある?全然ピンと来ない。
そして、夫は続ける。「爪やすりもあるし、ノコギリもついてるんだ。山とか行ったら便利だよ!」って、そもそもそんなに山登りもしないじゃん。家の周りでノコギリが必要な場面なんて、全く想像できない。
「最後はハサミ!何でも切れるし、超便利だよ!」確かにハサミは便利だけど、そこまでしてこのナイフを買わなくても…。
最終的には、私も疲れてため息をついてしまった。
夫はその瞬間、シュンとしてしまって、「ごめん…」とつぶやいた。
なんだか許してあげたくなって、「まぁ、仕方ない、許してやるか」と口にすると、夫はパッと顔を上げて「ほんと!?」と嬉しそうにして、まるで犬が尻尾を振っているみたい。
こうして15,000円の10徳ナイフが我が家にやってきたけど、今のところ、まだ一度も使われていない。
でも、夫のあの可愛らしい反応を見たら、まぁ、いいかと思うことにした
シロップだけは別途で感想書きたかったのでこちらに書き記します。自分用覚え書きなので読まれる方はMC等ニュアンスで受け取ってもらえれば…。
私がライジングに行き出してからずっとライジングでシロップのライブを観るのが夢で(2004年に出た頃は流石に若過ぎてライジングに行く様な環境じゃなかったので)でも途中で解散したり、まずもってシロップが野外フェスに出るなんてノリに乗ってるバンドでもあるまいしあり得るのか…?と半ば諦めていた所があって。個人的な話になるけど、今年自分にまあまあヤバめの病気が見つかって(現在進行系)これは行けるのか…?と色々考えてた所にシロップの出演が決まって、これはもう行くしかない!!と強い気持ち(必死過ぎて親が引いてた)で飛行機から宿まで、行ける可能性が出てから必死になりながら取って、問題を一応クリアと思いきや今度は台風でまず自分が行けるのか(あと身体はもつのか)そしてシロップは無事に札幌まで来れるのかと言うギリギリまでハラハラしっぱなしでしたが無事に観る事出来ました…!!
SPEEDER-Xを観てから(超絶カッコ良かった!!)シロップに向かう事にしたので良い場所では見れないだろうなぁと思いつつステージに向ったけど丁度良い具合いの位置が空いてて前に人が居ない絶好の視界で観る事が出来た!!しかもマキさん側!!奇跡!!
中畑さんとマキさんがリハで出てきて結構長めに演奏してくれて嬉しい。中畑さんがマキさんのベースに合わせて叩いたり軽いセッション的なものが聴けて本番前にこんな贅沢な時間を味わって良いの…!?と既にテンションが上がる笑 さり際にマキさんが手を振ってくれて「ひゃー!!」と言うキモい声をあげてしまい私は…。我ながらキモすぎる…。
五十嵐さんは何時ものWピースで登場。黒シャツで胸元結構開けてた。もうメンバーが登場した時点で感極まってしまい…。フジロックのセットリストの事があったのでセットリストには期待してなかった(この言い方良くないけど…)から一曲目がI.N.Mでめちゃくちゃ驚いた。お客さんもおおー!!って声上げててここには本当にシロップが観たくて来てる人が沢山集まってるんだなと感じて嬉しい気持ちになる。I.N.Mのマキさんのベース大好き!!正直I.N.Mってライブで聴くと何かイマイチだな…って感じてるんだけど(失礼過ぎる)この日はめちゃくちゃ良かった…!!五十嵐さんの声もすごく出てたし、ここ最近のバンドの良い雰囲気を曲と演奏から感じれた。
2曲目が生きてるよりマシさで「えー!?!?」となってしまった。まさかそこもってくる!?と言うかワンマンとかでもやらないのに!?と頭が軽いパニックになる…。生きマシ聴くのいつ振りなんだろう?と言うかこのセットリストはまさかのやつか…!?とこの辺りで期待が膨らむ。生で聴けて嬉しいしライジングで聴けたってのが本当に嬉しい。
3曲目はタクシードライバー·ブラインドネス。大好きな曲だけどまさかそこ!?この日のタクシーめちゃくちゃ良かったな…。マキさんのベースアレンジしてあってカッコ良かった〜!!聞き逃さない様に大切に聴いた。
4曲目はゆびきりをしたのは。どういうセットリストなの!?って声出た笑 普段ワンマンでもやらないのに!?(2回目)ゆびきり大好きだから久しぶりに生で聴けて嬉しいよ〜!!サビのメロディーが美しい…;_;「はっきり断言する人生楽しくない だから一瞬だって繋がってたいんだ ねぇ」の歌詞が大好きでそこをライジングで聴けたの最高…!!最後の辺りめちゃくちゃシャウトして叫んでたから次の曲から声大丈夫か…!?と不安になったけどその後もちゃんと声出ててすごい調子良かったなと思う。ゆびきりをしたのは盛り上がってたし、再結成後の曲も盛り上がる·皆聴きたいと思ってる事が五十嵐さんに伝わってたら良いなと思う。
5曲目はテイレベル。テイレベル→ゆびきりをしたのはと曲が繋がっててその繋ぎめっちゃカッコ良かった!!テイレベル、五十嵐さんが歌詞割と忘れてて私の方が歌えるなと思うなど笑 マキさんのベースが超気持ち良いし五十嵐さんのギターソロの部分最高だったな〜。ソロの部分、頭振り振りして一人盛り上がった。
6曲目は天才。天才聴くと吉村さんが頭を過るんだけど、マキさんと中畑さんがtwitter(あえて)で吉村さんの話をやりとりしてて感極まる…。天才走りそうな感じをちょっと抑えてて珍しいなと感じた。「おい!」が裏声だったのは最近の仕様なのだろうか?
7曲目は落堕。この日の落堕もカッコ良かった〜!!めちゃくちゃ頭振り乱してしまった…笑 頭振り乱してる所カメラに抜かれたんだけど(その時は盛り上がっててどうでも良くなってた)あれもしかして外のモニターに映されてた…??と終わってから思った。もし抜かれてたら本当に気持ち悪いファン過ぎる…。中畑さんの煽りでめちゃくちゃ盛り上がっていた。この曲でライジング!みたいな事言ってた気がする…(記憶力0)
8曲目は根ぐされ。ギター始まった瞬間、ねねね根ぐされ!?!?と驚いて声をあげてしまう…笑 中畑さんが胸に手を当てて嬉しい〜!!って感じのモーションしてて本当に大好きな曲なんだなぁと思うなど。中畑さんのリクエストなのかな?じゃなきゃわざわざ選出されない気がするんだよな…。ライジングでお会いした方が聴けたら嬉しいけど特別大好きな曲かって言われると…って感じって話しててめっちゃ分かる!!と思った笑 でもこの日聴いた根ぐされ、とても素晴らしかった…。音源だと弾き語り(ラストエレキギター入ってるけど)だけど、途中でドラムとベースも入ってくるアレンジになってて曲に重厚感増して「バンド感」がとっても良かった。アウトロのギターソロが本当…美し過ぎてずっと聴いていたかった…。本当に映像化して欲しいよ。バインもライジング出た時の映像化してたしスペシャも入ってたから出来ない事もない…はず!!
·マキさんがリハの時ジャケット下にRSR限定Tシャツ着てた!!そう言うちょっとした事が嬉しい。
·リハで出てきた時、ステージ袖に知り合いの方?が来て中畑さんが「あっ!!」って感じからめっちゃ笑顔になって手を振ってて可愛かったしドラムから一度降りてその方に駆け寄ってたの可愛すぎませんか…??
·五十嵐さん「何で20年(ライジングに)出なかったんだろう?人生短いかんだから楽しんで…家にばっかり居ないで外に出たり…そう言う事言うあれじゃないのでやめまーす笑」
·五十嵐さん「二十年ぶり…!!(声ガビガビ)二十年経つと体力も20年分落ちて…でも落ちてない風で頑張りまーす(この流れで天才へ)」
·五十嵐さんが遠いところ来てくれてありがとう、また来る的な事を去り際に言っててジーンとした。この日最近にしては珍しく中畑さんのMCがほとんどなくて(初めまして、syrup16gですぐらいだった気がする)沢山五十嵐さんが喋ってて(相変わらず聞き取りにくかったけど笑)珍しいなぁと思ったり。
·この日、五十嵐さんの声の調子すごく良かったし、3人が曲事にちゃんと目を合わせて確認取り合ってたり、私の色眼鏡かもしれないけど3人共気合い入ってる感じがライブ全体を通して感じられたの嬉しかった。
·ライブ終わった後放心してたら後ろからハルカミライのファンに突き飛ばされて笑 正気を取り戻し何とかステージから出たものの、あまりのセットリストの意外さにパニックになり意味もなくアースの周りをウロウロしていた…笑 この興奮と戸惑いを誰かに聞いてほしいけど一人で消化しきらなきゃいけないからとにかくウロウロして最終的に道端で立ち尽くしてた笑
ライジング15回目にして遂に叶った夢、それだけでも充分過ぎるぐらいだったのに攻めのセットリストで挑んでくれた事、本当に本当に感謝したい…。私が大好きなフェスで一番大好きなバンドのライブが見れて本当に幸せでした。あと、キタダマキTを着て観る夢も叶えました!!買った当時から大切にしてきてライジングにシロップが出たら絶対これを着ていくんだと心に決めていたのでそれを実行する事が出来て良かった。
1. I.N.M
2. 生きてるよりマシさ
4. ゆびきりをしたのは
5. テイレベル
6. 天才
7. 落堕
8. 根ぐされ
まあ食べ物ですからわかりますが、梅干しづくりのために大規模な投資が必要となったらそれは農家などにはできず、
大規模な工場などをもつ企業に卸すだけになって、農家はもうけがなくなりますがな。
紙谷研究所の神谷氏が日本共産党から除籍&解雇された件、hamachan先生がブログに書いてないかな~
と思っていたらやはり書いていました。
ブログによると過去にも専従職員の労働者性が争点になった裁判はあったみたいで、その時の判決では労働者性は否定されたみたいです。
党は「自発的意志にもとづき、自覚的規律でむすばれた共産主義者の統一された、たたかう組織である」(規約前文)。党内関係においては労使関係をもつて論ずることの可能な法律関係は一切存在しない。
親が子供に言うてる
「やだ」
「約束したでしょ」
外出前に約束とやらをしたのだろう
「お外に遊びに行きたい」
「6時までよ」
「はーい」
約束も契約の一形態であるわけだが、未成年は制限行為能力者とされ単独で契約はできない。
契約内容の理解し、メリット、デメリット、作用副作用を判断できないから法的に保護されている
人が契約を守るのは信頼を維持し法的なペナルティを避けるためだ
「お外に遊びに行きたい」
「6時までよ」
「合意できません、ボクが満足するまで時間制限無しで遊びたい」
「じゃぁお外に遊びに連れて行かない」
親子は対等な立場では無いのだから合理的平等な約束なんぞ成立するはずがない
子供にしてみれば交渉余地など無くただ従わせるだけの方便として「約束」を持ち出している事に気づく
この方式を是としてアタリマエと刷り込まれる方が教育としてイカンのではないか
これを約束と誤魔化すのは相手に責任を転嫁しているにすぎない。
きっぱりと指示命令する度胸がないから子供に責任を押し付けてる
俺はね、こーゆーのが嫌いなのよ
「もう暗いから帰るよ、暑いし疲れた、飽きた、4時間走り回れば満足しただろ」
「やだ、まだ足りない」
「パパの命令です、従いなさい」
「ぜったい嫌だ」
「おやつ一週間抜き、10分延長ごとにおやつ抜きが一日増えます、あと往復ビンタ」
ニヤニヤしながら走って逃げていきやがった
どこで教育を間違えたのだろうか
どっかの洞窟壁画で、二人の人間が後背位でセックスしている姿を描いたものがあるらしく、レディットですこし盛り上がっていた 世界最古のセックスビデオ・リークだとか、stonelyfansだ、とか言って
そんで思ったんだけど、セックスってマジでサルでもできるじゃん
簡単とか頭を使わないとかってことじゃなくてさ、洗練されてないってことなんですよ
洞窟壁画の時代のセックスと現代のセックスって絶対そんなに変わらねえじゃん
厳密にいうとエアコンが効いてるとかベッドにサスペンションが入ってるとかあんのかもしれねえけど、現代だってクソあっつい野外で、地べたでセックスしているような輩はいるし、そのセックス体験はたぶん屋内でシビルにやるセックスとそう大きく異なってはいない
一方でよ、食事なんかについて考えると、昔はその辺でぶっ殺した謎の野獣をロクに調味料なんかもつけないで食ってたわけじゃないですか
それを今やれって言われたら、お断りでしょう
石器時代のメシを食えとか、石器時代の住環境で暮らせとか、石器時代の娯楽で過ごせ、というのははかなりキツい
つまりセックスは進歩してねえ 石器時代の水準から大きく変化していないから、石器時代に戻ったって受け入れられる
プロジェクトヘイルメアリーを読み、鬼滅の刃を視聴し、レッドデッドリデンプション2をやれってこと
日常的にセックスしてる人間より、日常的にレッドデッドリデンプション2をプレイしている人間のほうが知的に高度…とは言えないが、すくなくとも人間文明をより享受してる
石器時代にレッドデッドリデンプション2をやることは絶対にできないが、セックスをやることはできていた
2万年前の、基礎教育のキの字もない、サル同然の雑魚でもやってたような娯楽に人生の貴重な時間を捨てるな
現代でなければできないことをやれ
セックスをやめろ
レッドデッドリデンプション2をやれ
最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。
そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。
さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。
少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。
いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。
しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。
ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。
もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。
だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。
もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。しかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである。
また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。
こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。
しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである。
すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任の問題も、便宜的な一定の規準を定め、その線を境として一応形式的な区別をして行くより方法があるまい。つまり、問題の性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位や職能によつて判断する方法である。現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。
しかし、それなら映画の場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないか。しかもこの場合は、いじめたものといじめられたものの区別は実にはつきりしているのである。
いうまでもなく、いじめたものは監督官庁であり、いじめられたものは業者である。これ以上に明白なるいかなる規準も存在しないと私は考える。
しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである。
たとえば、自分の場合を例にとると、私は戦争に関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。
まず構成が問題だ。冒頭から突然小学校の思い出に飛んでいるが、具体的な導入がなく、読者は何を期待していいのか分からない。ストーリーの軸をもっと明確にして、読み手を導く努力をしろ。例えば、「小学校の夏休みの読書感想文で、思わぬ展開に翻弄された話をしよう」といった前置きがあると分かりやすいだろう。
次に、文章が冗長だ。余計な描写が多すぎて、読み手が疲れる。一つのエピソードを要点だけで伝えれば良い。例えば、「小学校2年生の夏、カブトムシの本で感想文を書いた。しかし、その感想文は嘘だらけだった」という風に、簡潔にまとめてからエピソードに進め。
それに加え、感情の流れも唐突すぎる。賞を取った喜びから絶望に至るまでの心の動きをもう少し丁寧に描け。喜びと絶望が急に切り替わると、読者もついていけない。例えば、「賞を取ったとき、最初は嬉しかったが、放送で読むと聞いて一気に不安が押し寄せた」という風に段階を踏んで描写を進めろ。
次に、母親に叱られるシーンだが、感情の描写が薄い。嘘がばれた瞬間の緊張感や母親の反応をもう少し詳細に描いてほしい。これが物語のクライマックスとなるので、リアルに感じられないと読者は共感しにくい。
また、結末での教訓があまりにも抽象的だ。嘘をつかないという教訓は一般的すぎる。このエピソードを通して、読者にもっと具体的な学びを提供するべきだ。例えば、「嘘をつくと、短期的には良いかもしれないが、長期的には必ずばれる」という具体的な教訓にフォーカスしろ。
中は吸音ミュート加工でヘッドホンでのフィードバック機能があり奇声児童本人は思う存分(むしろボリュームを上げて)自分の奇声を存分に満喫できる
なんなら中にディスプレイでもついてて奇声児童は楽しく被って楽しく奇声をあげていただくことができる
外見もお子様の好きなキャラクターに変身できるような見た目で
シャワー浴びずに寝てしまって、夜中暑すぎて起きて、シャワー浴びて上がった瞬間停電。
外を見るとほぼ真っ暗でいつも明るい街灯までが消えてる。
自分のマンションだけじゃないな、と思って4時過ぎの市内に出ていく。
街灯が全くついていないので、市内では今まで体験したことない暗さで、最初はワクワクしたが次第に不安になってくる。
川向こうは街灯も信号機もついてるが、逆サイドはごくごく一部の信号がともってるだけで、相当な広範囲で街灯・信号まで停電してる事が分かる。
午前5時にもなってないなか、特に混乱や人込みもなく、大きな交差点にはやがて警察がきて交通整理をはじめる。